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京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

教育基本条例のこと(8) ~これは教職員首切りのための条例では?~

2011-09-24 09:42:56 | ニュース

いよいよ大阪府議会・大阪市議会に、大阪維新の会は教育基本条例案を出してきました。まぁ前回も書いたように、出す前にいろいろと批判を受けて多少の修正はしたようですが、基本的な性格は何もかわっていません。ちなみに、大阪市議会及び大阪府議会に出した条例案は、以下のページで見ることができます。また、先日も書いたとおり、今後、このブログでは、新しい条例案に即してコメントをしたいと思います。

http://www7a.biglobe.ne.jp/~hotline-osk/

それから、もともとは6月の「君が代」条例への反対という趣旨での集会だったのですが、上記のページにあるとおり、今日は午後から大東市で大きな集会が開かれます。ここでも維新の会の教育基本条例案に反対する意思表明などが行われるかと思います。私も行ってみようと思っています。

さて、この教育基本条例案の第5章「教員の人事」、第6章「懲戒・分限処分に関する運用」、第7章「学校制度の運用」を読みました。この3つの章に書いてあることが、この条例案を作った人のもっともやりたかったこと。私はそのように理解しました。

なにしろ、この教育基本条例案、あれだけ第2条や第3条で基本理念を高々とうたっていながら(もちろん、そのすべてに私が賛同しているわけではない、むしろ逆です)。いちばん詳しく中身を書いているのは、この部分ですからね。

ということは、この条例案の本質は何か、それは「教職員の首切り、リストラのための条例」である、ということです。

たとえば、第5章第2節「人事評価」で、校長が学校協議会の側の評価も聞きながら、所属校の教職員の勤務状況について5段階(S、A~D)の評価を行うと決めています。しかも、毎年Dを5パーセント出すということ、府教委はその評価を給与やボーナスに反映させるということ。そして、2年連続でD評価の教員については、29条の分限処分前の校長の指導、31条の指導力不足教員の研修などを行うこと。そして、それでも改善が見られない場合は、人事観察委員会の審査に付して分限処分(つまり免職等)を行うということになっています。

なるほど、一応は教職員側の立場を考慮して、校長の指導や指導力不足と認めた後の研修の機会の設定などは行っていますが、要は「2年連続でDになるような教員は、最終的にはリストラにします」ということ。しかも、毎年5パーセントずつD判定をするわけですから、確実に何人かはこの校長の指導から指導力不足教員の研修、そして分限処分(免職等)という流れに乗りますよね。

あるいは、28条の「別表第6に掲げる教員」のなかに、「協調性に欠け、上司や他の教員等ともめごとを繰り返す教員等」という項目があります。これ、上司や他の教員のほうが理不尽なこと(いわゆる「パワハラ」)を繰り返すので、それに抵抗している場合はどうなるんでしょうか? いまの条例案でいくと、やっぱりこの場合も、上記のように校長の指導、指導力不足教員の研修などを行って、そのうえで改善が見られなければ分限処分(免職等)ということになります。要するに、「上司の言うこと聴かない教員は、研修センター送りにして、そのうえで処分だ!」と言っているのに等しい条例、ということですね。

さらに、第6章第3節「職務命令違反に対する処分の手続」を読むと、この条例の性格はよりはっきりします。一応ここの36条で職員側からの不服申し立ての手続きは定めているものの、37条で職務命令違反の教員への処分は1度目が戒告・減給、「過去に職務命令違反をした教員等」には停職及び氏名・所属等の公表、指導研修の実施が定められています。そして、指導研修をしてもなお繰り返し同様の職務命令違反が行われている場合、38条で免職とすることが定められています。これは、要するに、生徒指導などでいう「スリー・ストライク・アウト」の方法を教職員にも使うということ。つまり、今後は職務命令違反に対しては寛容度ゼロ(ゼロトレランス)でいく、ということですね。しかも、校長と府教委には第42条で、第6章1節~3節の処分を行うために適切、迅速な対応を求めています。

しかし、どういう中身で、職務命令を出しているのか、上司の側の問題は、ここでは問われないのでしょうか? 法令違反の疑いがあったり、あるいは仕事をすすめる上での適切さに欠けていたり、さらにはマナー、品位に欠ける上司の側の指示・命令に対しては、部下たる教職員の側から抗議・反対の意思表明があってしかるべき。上司の命令に従わない教職員の側にも、それなりの一理があるとは、どうして考えられないのでしょうかね? これだと、上司による「パワハラ」を「職務命令」と安直に認めてしまう危険性すらあります。

そして、第6章第4節「組織改廃に基づく分限処分の手続」ですが、一応学校統廃合などで教員定数の削減、過員などが生じた場合は、「配置転換」などの努力をすると39条には書いています。また、第40条では府立学校を学校法人化する(=私立学校にする)場合、その新設の学校に移ることになった教員は一応「分限免職」という扱いにすると書いています。

ですが、この39条では、「整理退職」「定年前希望退職」のことが出ています。また、第7章「学校制度の運用」では、第43条で府立高校の学区制の廃止、第44条では3年連続で入学定員を下回って改善の見込みのない府立高校の「統廃合」にも触れています。そして、40条では「学校法人化」つまり「私立学校」にする可能性も示唆していますよね。

これらをあわせて読めばわかりますが、この条例案、学区制の廃止と府内全域での公立高校の学校選択制の実施(さらには、私立学校との競争)によって、志望者のあつまらない府立高校を統廃合して、余った教職員を「整理退職」等の手続きに持ち込む。つまり、「府立高校のリストラのための条例」「府立高校教職員の首切りのための条例」というのが、この条例案の本質だということです。「競争原理による学校改革」の最たるもの、といえばそれまででしょうか。

当然ですが、大阪の府立高校及び府内の私立高校がこのような状態に置かれることは、その下の段階にある中学校、さらには小学校の教育にもさまざまな影響が及びます。特に中学校教育には、大阪府内の公立・私立の高校がこのような競争原理に基づく教育改革にさらされることで、「どの学校にどのような形で入るのか?」をめぐって、学校内にいろんな混乱がもたらされます。

もっと露骨なことを言えば、今まで地元の就学前(保育所・幼稚園)段階から小学校・中学校、そして地元の公立高校へという流れで組み立ててきた、大阪の人権教育のさまざまな取り組み。これが全部、この教育基本条例案が可決・成立してしまえば、高校段階からぶちこわしにされ、ぐちゃぐちゃになりかねない、ということです。「○○校区の実践が~」とか「地元校で~」とか、「学校と家庭・地域とが連携して~」とか言ってきた大阪の「解放教育の伝統」など、この条例がもしも可決・成立したら「風前のともしび」ではないのでしょうか。

ことここに及んでもなお、大阪の人権教育の関係者、「解放教育」にこだわってきた人々は、教育基本条例案に反対の意思表明をしないのでしょうか。現場レベルの教員や、教組の関係者のなかには、かなり憤っている人もいるようですが、研究者や地元の運動関係者はどうなのでしょうか? この条例への反対の意思表明、今ならまだ遅くないと思うのですが・・・・。言うべき時に言うべきことを言っておかないと、あとあと、後悔しても取り返しのつかないことになると思うのですが・・・・。

もしかして、これだけ大阪の教育が大揺れに揺れているし、学校現場の教員は戦々恐々としているのに、この条例案すら読んだことのない人権教育の研究者だとか、地元の運動体関係者とかがいるのでしょうか? だとしたら、「もう、そんな人、どうしょうもないな・・・・」というしかありません。


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