できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

だれも言わないのが不思議

2015-03-26 21:28:21 | 受験・学校

http://www.nhk.or.jp/ohayou/marugoto/2015/03/0326.html

このNHK「おはよう日本」の放送内容の件についてなのですが・・・。
だれも次のことを言わないのが、不思議です。
まず、1997(平成9)年に「中学生・高校生のスポーツ活動に関する調査研究協力者会議」が出した報告をもとに、文部省(当時)が1999(平成11)年に『みんなでつくる運動部活動』という手引きをまとめました。
この手引きのなかでは、たとえば活動日・時間の目安として、次のことが言われています。
・中学校の運動部では、学期中は週当たり2日以上の休養日を設定。
・高校の運動部では、学期中は週当たり1日以上の休養日を設定。
・練習試合や大会への参加など休業土曜日や日曜日に活動する必要がある場合は、休業日を他の曜日で確保。
・休業土曜日や日曜日の活動については、子どもの「ゆとり」を確保し、家族や部員以外の友達、地域の人々などとより触れ合えるようにするという学校週5日制の趣旨に適切に配慮。
・長期休業中の活動については、上記の学期中の休養日の設定に準じた扱いを行うとともに、ある程度の長期のまとまった休養日を設け、生徒に十分な休養を与える。
・効率的な練習を行い、長くても平日は2~3時間程度以内、休業土曜日や日曜日に実施する場合でも3~4時間程度以内で練習を終えることをめどとする。長期休業中の練習についても、これに準じる。
私は休養日の設定はさておき、ふだんや長期休みの練習時間について「もっと短くてもいいのでは?」と思ったりもしますが、でも、一応、こういう活動日・時間の目安はすでにあるんですよね。
また、これが設定された背景には、子どもたちの部活でのバーンアウトやスポーツ障害を予防することや、子どもたちに部活以外にも多様な体験を積ませたい・・・という思惑があったわけですし。ちょうど学校週5日制で「ゆとり、ゆとり」と言われていた頃で、だから部活にも「ゆとり」という発想があったわけですね。あの発想は今、どこへいったのやら?
また、もうこの頃から地域の人々など「外部指導者の導入」も可、他校との合同チームの編成も「あり」だし、スポーツドクターなどを講師に招いての部活顧問の研修機会をつくるとか、過去の事故やスポーツ障害の発生事例にまなんで防止策をつくるとか、いろいろ言われていたんですよね。だからこそ、私、一応、大阪府教委から「部活外部指導者」の認定を受けて、夜桜(大阪府立桜塚高校定時制)で現代社会や地理、日本史の非常勤講師をしつつ、野球部の指導にもあたっていたわけです。また、その部活外部指導者どうしの交流会・研修会みたいなものも、確か府教委が当時、やっていたような記憶もありますし。
あと、各地域の教組によっては、たとえば中学生の「ノー部活デー」みたいなものを週1回は最低限、各校でもうけよう・・・なんて取り組みしているところもありますし。
そして、川西オンブズで故・宮脇健斗君の中学校ラグビー部熱中症死亡事故に関する調査や再発防止策の検討をするときにも、私、この手引きをずいぶん参考にしたりもしたんですが・・・。
このような次第で「なんか、あれから十数年たつのだけど、まだこのレベルでしか議論が進んでないのか・・・」と、このテレビ番組のネット配信の内容をみて、ちょっと、がっくりきたのでした。
あまりにもみんな、過去の議論や取り組みを知らなさすぎる・・・。


2089冊目:片田珠美『他人の意見を聞かない人』(角川新書)

2015-03-24 19:42:48 | 本と雑誌

2089冊目はこの本。

片田珠美『他人の意見を聞かない人』(角川新書、2015年)

最近出た新書本のタイトルが興味を引いたので、買って読んでみた。結論から言えば、「始末におえない人」ということか。精神科医の著者の立場から見ても、どう対応すればいいのか、具体策が提案できないようだったので。しかし、こういう人が世の中に増えているとしたら、やっかいだなあ。ただ、「他人の意見を聞かない」ことから生まれる「疾病利得」に注目するという視点は、とても参考になる。

他人の意見を聞かない人 (角川新書)


2088冊目:内田樹編『日本の反知性主義』(晶文社)

2015-03-22 23:25:04 | 本と雑誌

2088冊目はこの本。

内田樹編『日本の反知性主義』(晶文社、2015年)

内田樹さん、白井聡さん、名越康文さんと、うちの大学にご縁のある方々が書かれた(名越さんは内田さんとの対談ですが)本。随所に私が今まで感じていたことに近い内容がちりばめられていて、とても共感できた。たとえば戦後民主主義が学校で理想形として語られたことによって、ある種の学校の優等生文化のようなものになり、学校文化や教職員に反発したヤンキー層にとっては敵対すべきものになったとか(小田嶋隆さん)。これ、感覚的にはとてもよくわかりますねえ。あるいは、手っ取り早く結果を出そうとするという点で、反知性主義は効率主義や成果主義となじみがよくて、私たちの身近なところからすぐに忍び寄ってくる傾向があるとか(想田和弘さん)。

日本の反知性主義 (犀の教室)


2087冊目:今村弘子『北朝鮮「虚構の経済」』(集英社新書)

2015-03-22 23:16:35 | 本と雑誌

2087冊目はこの本。

今村弘子『北朝鮮「虚構の経済」』(集英社新書、2005年)

書棚というか、我が家の倉庫みたいなところに置いてある古本を整理するなかで見つけて、あらためて読んだ本。おそらく今と状況はそれほど変わっていないと思う。甘い見通しにもとづく計画的経済運営の「失敗」という点でいえば、それは北朝鮮だけでなく、他の国々においてもありうる。なにしろ第二次大戦前後くらいから、程度の差こそあれ、資本主義国においても政府のつくる成長戦略や経済政策などにもとづいて、計画的に経済運営が行われてきたところがあるから。ただ、その「甘い見通しにもとづく計画的経済運営」の「失敗」が見えたときに、それをどう処理するのかという部分で、他の国々と北朝鮮との間での対応の差が大きくて、その差がさらにどんどん拡大しているのではないか・・・と、この本を読んで思った。要は「政府が経済運営の失敗を認めて、軌道修正を図る」ことができるかどうか、という点なのだが。ついでにいうと、この日本という国であっても、時の政権が経済政策に失敗して、それを認めて退陣することがなければ、経済情勢の悪化は延々と続くことになるだろう。

北朝鮮「虚構の経済」 (集英社新書)


2086冊目:無藤隆・北野幸子・矢藤誠慈郎『認定こども園の時代』(ひかりのくに)

2015-03-22 23:10:16 | 本と雑誌

2086冊目はこの本。

無藤隆・北野幸子・矢藤誠慈郎『認定こども園の時代』(ひかりのくに、2014年)

来月から「認定こども園」のまた新たなシステムがはじまるそうで、それに関する解説として書かれたのがこの本。

正直なところ、「認定こども園」や保育・子育て新システムにおける子どもの安全・安心の確保という点で、この本を読んであらためて心配になってしまった。保育機会の量的拡充、規制緩和等々の論理が先に走りすぎていて、安全・安心の確保の面からの議論がそれに全くおいついていない気がする。

認定こども園の時代: 子どもの未来のための新制度理解とこれからの戦略


「関係教職員の処分」だけで終わってはいけない。

2015-03-19 10:46:51 | 受験・学校

大阪の支援学校で体罰、処分へ 平手打ち、重度障害の生徒に集中(東京新聞の配信記事、2015年3月19日)

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2015031901000714.html

まずは今回、発覚した事実に対して、なにがしかの「けじめ」としての教員への府教委の処分という話になるんでしょう。また、それで溜飲を下げて満足される方も、世の中には何人かいらっしゃるのではないか、とも思われます。
だけど、「ほんとうはそれでおわっちゃ、あかんのよ。それじゃまた府立支援学校のどこかで、形を変えて、事件が起きちゃうのよ」とこの際、私からハッキリ言っておきたいと思います。
おそらくこのケースには日本の支援学校教育のあり方、さらには「地元校でのインクルーシブ教育に熱心」な大阪における支援学校教育のあり方から根本的に見直さないといけないような、そういう次元の課題が背景にいろいろあるように感じるからです。
もっとも、そういうことに私が思い至るのは、去年、この事件の起きた学校とは別の府立支援学校2校に教員研修で呼ばれて行って、そこで働く教職員や管理職の話を聴いて得た実感と、支援学校卒業後の人たちが過ごす地域の施設で働くゼミ卒業生の話を聴いて得た実感がベースになっているわけですが。
たとえば支援学校高等部にいる生徒さんたちに、就労など卒業後の「将来の自立に向けた訓練」と称して、どんな取り組みをしていたのか。ゆるやかに本人のペースにあわせた対応をしてきたのか。それとも、かなり生徒側が引き受けられる範囲を越えて、無理強いに近いような生活指導や身辺自立の指導をやっていたのかどうか。その結果、子どもたちと教職員の双方にどのようなストレスがかかっていたのか、等々。
あるいは、そこにいる教職員たちのひとりひとりの生徒たちへの理解のまなざしはどうなのか。たとえば上述のような日々の指導のなかで、目の前の子どもについて「言うコトきかんな~、この子」といらだつばかりで、上記のような「指導」の中身そのものに「無理があった」から「修正を」という見方ができなかったのはなぜか。そういう子どもの状態の理解を共有したり深めたりするための研修や、外部からのアドバイザーの派遣などは行われていたのか。
さらには、この生徒さんが地元校から高等部に来たのか。それとも小学部・中学部から高等部に来たのか。同じ支援学校で下からあがってきたのなら、過去の取り組みでわかった本人の特性をどう活かそうとしたのか。あるいは、地元校から高等部にくるにあたって、本人についての情報等はどう共有されたのか。また、本人は高等部進学をどう捉えていたのか、等々。

この事例の背景要因を深く深く掘り下げていくことで、いまの大阪の支援学校教育、さらに日本の支援学校教育の抱えているいろんな課題が見えてくると思います。

ということで、私のブログを見てる府教委や府立人研の関係者のみなさん、再発防止策の検討とその前提となる調査・検証、あるいは教職員研修の実施等、私、できるだけの協力はしますんで、連絡をお待ちしております。

※このブログの内容は、一部修正して、フェイスブックにも投稿しています。


中原大阪府教育長「辞職」表明の記事に感じたこと。

2015-03-11 19:23:50 | 受験・学校

※以下の内容は、今日、フェイスブックに書き込んだ内容を一部修正して、こちらに転載したものです。

今日の朝日新聞デジタルの記事から、中原大阪府教育長の辞職表明の件、紹介します。

http://www.asahi.com/articles/ASH3C5HWJH3CPTIL01Z.html

で、この件について少し、感じたことをいくつか、整理して書きます。

(1)「なぜ今日なの?」ということ。
辞職表明ですが、まず、3.11のあの東日本大震災・原発事故から4年目の今日を「わざわざ、選んだのか?」ということ。
ただ、後任を4月1日付けで教育長に据えるためには、3月中に知事が人選して、諸手続きをふんでいかねばならず・・・。
とすれば、今週当たりが辞職させるにせよ、解任するにせよ、タイムリミットなのかもしれない。

(2)(1)とも絡みますが「後任は誰なのか?」ということ。
こういうことがあると、まあ、パワハラなんてしそうもないような温厚な人物で、なおかつ、松井知事(さらには橋下市長)の「忠実なしもべ」みたいな人が後任に座りそうな気がします。
そうすれば、今までの教育改革の方向性は動かさずに、パワハラ問題に対する非難だけは当面、避けられますから。
それで、松井知事サイドで「そんな後任者の心づもり」がある程度できたから、今日の辞職表明につながったのか?
それとも、中原氏本人の辞職の思いつきが、たまたま今日だったのか?
このあたりの事情は、今夜以降の松井知事らの動きで見えてくるかな、と思います。(彼らが手際よく後任人事をすすめた=計画的な辞職表明、どたばたしている=中原氏の思いつきが急だった、ということかと)

(3)この間すすめてきた「公募」人事の「辞職ドミノ」が起きるか?
この何年かの間に、大阪市の「公募」の区長や校長等々、いろんな問題が取りざたされている人が居ます。
そちらについても3月末に向けて、辞職する等々の動きが起こるかどうか・・・?

(4)春の地方選挙、5月の住民投票、そして年末の知事・市長ダブル選への影響は?
これから「選挙」や「住民投票」が次々に行なわれますが・・・。
松井知事や橋下市長だけでなく、この中原氏をかばいつづけてきた府議もいらっしゃるとか。
そういった人々を今後、「選挙」などでどう扱うのか?
また、そういった人々が推してきた「都構想」(実は大阪市解体構想)をどう考えるのか?
こういう課題もありますね。

(5)新しい教育委員会制度の運用に関する問題点の指摘は?
(2)の話とも絡みますが、この春から新しい教育委員会制度になって、教育長と他の教育委員、首長の関係が従来とはちがったものになります。
今後より首長の教育行政への関与が強まる制度になると、こうした首長の「忠実なしもべ」みたいな教育長がパワハラ起こす危険性も高まり、辞めさせるのも一苦労・・・なんてことも再び起きかねません。
このあたりをどう考えるか・・・なんて議論も必要でしょうね。

(6)この間すすめてきた大阪府・市の教育改革路線の問題点の指摘は?
これも(2)の話とも絡みますが、彼が教育長として据えられたのは、ある意味松井知事・橋下市長下で進められてきた一連の教育改革路線の「徹底・継承」ということが念頭にあってのこと。「彼が部下や他の教育委員にパワハラしてでも、それでもやりたかった・部下にやらせたかった教育改革とはなんだったのか?」が問われる必要がありますね。

以上、この彼の辞職表明を受けて、率直に感じることの「まとめ」でした。


2083冊目:市川良『こまったときの算数の教え方 4年生』(大月書店)

2015-03-10 00:22:13 | 本と雑誌

2083冊目はこの本。

市川良『こまったときの算数の教え方 4年生』(大月書店、2010年)

こちらも数教協系のベテラン教員がまとめた、算数の教え方の本。ちょうど今、うちの娘が小学校4年生。4年生の算数ともなると、かなり算数の教育方法・内容論的にも難しくなるんだなあ・・・ということを、あらためてこの本を読んで実感した。

こまったときの算数の教え方 4年生


2082冊目:渡辺靖敏『こまったときの算数の教え方 3年生』(大月書店)

2015-03-10 00:18:24 | 本と雑誌

2082冊目はこの本。

渡辺靖敏『こまったときの算数の教え方 3年生』(大月書店、2010年)

こちらも数教協系のベテラン教員が書いた、算数の教え方に関する本。この本を書いた人のいまの教育政策の動向に対する「ぼやき」のような文章がちらほらあって、なかなか、そこが面白かった。今の算数の学習指導要領と教科書を絶対視するのではなくて、これまでの算数教育の実践・研究をふまえて、「もっとこうしたほうがいい」ということを、その「ぼやき」を交えながら書いていた。

こまったときの算数の教え方 3年生


2081冊目:何森和代『こまったときの算数の教え方 2年生』(大月書店)

2015-03-10 00:14:12 | 本と雑誌

2081冊目はこの本。

何森和代『こまったときの算数の教え方 2年生』(大月書店、2010年)

数教協(数学教育協議会)にかかわるベテランの教員が書いた、算数の教え方に関する本。これもまた、このところ書いているとおり、ゼミ卒業生が小学校教員になるので、読ませてみたいと思って自分が先に読んでみた。「なぜ、そういう考え方に立って計算させるのか?」という理由付けがはっきりしているので、数教協系の本って納得できる。

こまったときの算数の教え方 2年生


2080冊目:学力研『だれでもできる基礎基本の授業 4年国語』(フォーラム・A)

2015-03-09 20:18:22 | 本と雑誌

2080冊目はこの本。

学力研(学力の基礎をきたえどの子も伸ばす研究会編)『だれでもできる基礎基本の授業 4年国語』(フォーラム・A、2010年)

この本も『2年国語』『3年国語』と同様の事情で読んだ本。コメント省略。

だれでもできる基礎基本の授業 4年 国語


2079冊目:学力研『だれでもできる基礎基本の授業 3年国語』(フォーラム・A)

2015-03-09 20:15:07 | 本と雑誌

2079冊目はこの本。

学力研(学力の基礎をきたえどの子も伸ばす研究会)編『だれでもできる基礎基本の授業 3年国語』(フォーラム・A、2009年)

これも先ほどの『2年国語』と同様の事情で読んだ本。コメントは省略。

だれでもできる基礎基本の授業 3年 国語


2078冊目:学力研編『だれでもできる基礎基本の授業 2年国語』(フォーラム・A)

2015-03-09 20:09:51 | 本と雑誌

2078冊目はこの本。

学力研(学力の基礎をきたえどの子も伸ばす研究会)編『だれでもできる基礎基本の授業 2年国語』(フォーラムA、2009年)

前にも書いたとおり、ゼミ卒業生が来月から小学校教員になるので、その人に読ませたいと思って読んでみた本。

授業方法というか、実践的な取り組みのノウハウとしてはよくわかるのだが、その意義をいちいち「脳科学」に何かこじつけて説明しようとする点がひっかかる。そこまで無理に理論づけしなくても、「ことばのリズムをからだでわかるようになる」とか、その程度の説明で十分だと思うのだが・・・。

だれでもできる基礎基本の授業 (2年国語)