できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

5月20日・21日の全国学校事故・事件を語る会大集会についてのブロゴスの記事(ご紹介)

2017-05-30 13:01:02 | 受験・学校

私は今年、本業での出張のために参加できなかったのですが、今年5月20日・21日の全国学校事故・事件を語る会大集会の様子について、渋井哲也さんがブロゴスにていねいなレポートを書いておられます。

以下がそのリンク先ですので、紹介させていただきます。

「全国学校事故・事件を語る会」 参加者が語る第三者委員会の問題点 (上)

http://blogos.com/article/225250/

「被害者・遺族に権利性を持たせるべき」全国学校事故・事件を語る会で明らかになった第三者委員会の課題とは? (下)

http://blogos.com/article/225253/

さて、この後編(下)のレポートには「被害者・遺族に権利性を持たせるべき」というタイトルがついています。

その一方、私が最近出版した『新しい学校事故・事件学』の第6章は「被害者家族・遺族の権利保障と周囲の人々との関係調整」というタイトルをつけています(興味ある方は、ぜひぜひ、読んでください)。

当然といえばそうなのですが、私も長い間この「語る会」に出入りしていて、代表世話人の内海さん・宮脇さんや弁護士の渡部さん、そして他のご遺族・ご家族のみなさんや支援者の方々とかかわってきました。

なので、「大集会に出ていなくても、お互い、言うことは似ているな~」なんてことを、あらためて感じてしまいました。


 


講演依頼とプリキュアと、そして、自分の本のこと

2017-05-30 07:11:03 | 雑感

昨日は豊中市内で講演、また、先週土曜日は大阪市内で、NPO法人CAPセンター・JAPANの総会記念講演会でした。

豊中では教職員相手の「特別の教科道徳」についての講演会でしたが、なんとまあ、120人集まりました。

その団体では、例年、この時期にやっている講演会では70~80人だったそうで・・・。

やはり次年度以降の実施を前にして、教職員の間で、「特別の教科道徳」に対するみなさんの関心が高まっているんだな~って思いました。

また、この講演会の場で、自分の公開講座、『新しい学校事故・事件学』そして6月3日の家庭教育支援法案を考える学習会と、3つのチラシも120枚、ばらまきました。

公開講座と家庭教育支援法案の学習会の参加者、どっちも増えたらいいんですけどねえ。

そして、先週土曜日も30冊売りましたが、昨夜も豊中で『新しい学校事故・事件学』5冊売りました。

土曜日の講演は「学校における子どもの安全・安心と人権教育」でしたけど、今回はテーマが「特別の教科道徳」とちがうから、「この本、売れるかな~?」なんて思いました。

だけど、やっぱり「講演とセットで本を売る」というのが、確実に「ある程度の冊数、さばける」ということを、先週土曜日の講演会に引き続き、昨夜も実感しました。

あと、先週土曜日は、講師紹介でプリキュアとラブライブの話をしていただきました。

昨夜は終了後の懇親会の場で、私、ひたすらプリキュアとラブライブの話をしてました。

「ほんと、マジで、一日も早くアニメ評論家になりたい~」とかいう話ですわ。

それで、これも今夜思ったことですけど、このプリキュアやラブライブの話が私から出せる講演会・学習会も、わりと「ええ雰囲気やったな~」ということですね、はい。

こちらがわりとしゃべってみて、参加者からいい感触をつかんでいる講演会・学習会では、プリキュアやラブライブの話が出せます。

逆に言えば、住友の講演会や学習会を盛り上げるためには、プリキュアやラブライブの話を「前ふり」でしていただけるとたいへん、ありがたい・・・ということです。

なので、今後の講演や学習会の依頼につきましては・・・。

(1)私の心身の負担にならないようなスケジュールであること。

(2)講師紹介でプリキュアやラブライブの話をしていただけたり、終わった後の懇親会で好きなだけプリキュアやラブライブの話ができること。

(3)その講演会・学習会の場で、自分の書いた本(当面は『新しい学校事故・事件学』ですが、他にも売りたい本はあります)を売ってよいこと。

この3条件をつけていこうかな~って思います。

今後、企画や依頼をされる方、よろしくね(笑)

『新しい学校事故・事件学』を購入したい方、上記の文中の本のタイトルをクリックしますと、通販サイト・アマゾンの私の本の購入ページにたどりつきます。そちらからどうぞ。


正直なところ「いかがなものか」と思っていること(その2)

2017-05-29 07:30:30 | 学問

部活動の大会 平日開催の是非を問う 「授業よりも部活動優先」の危うさ

(Yahoo!ニュース、2017年5月28日)

https://news.yahoo.co.jp/byline/ryouchida/20170528-00071413/

昨日から書き始めている「正直なところいかがなものか」と思っていることの2つめは、この記事です。

「結局、彼は、『授業が大事』『学習指導要領にもとづく正規の教育課程が大事』というその枠組みを越えられないんだな」ということですね。

あれだけ「教育を問う」とか「学校を問う」とか言っているわりには、たとえば彼は「部活動」であったり「2分の1成人式」であったり・・・と、どちらかというと、「特別活動」や「正規の教育課程外の教育活動」だったりする部分を問うていて、「本丸」ともいえる「授業」や「学習指導要領の枠組み」それ自体は「不問」にしているんだな、と。

この彼の論理の延長線上でたとえば教員の多忙化緩和策や部活動の活動日数・時間数規制をしていくと、結局、どういう学校ができあがり、どういう教育が営まれるか。

結論から言えば「がっちがちに固められた学習指導要領の枠組みのなかで、教職員と子どもがひたすら、授業に専念しているような、別の意味で『余裕のない』学校」かと。

ちなみに、このがっちがちに固められた学習指導要領の枠組みそのものが、子どもや教職員の負担しきれないくらいの学習内容を質・量ともに消化することを求めていたら・・・。彼の発想を前提にすると、多忙化は部分的に緩和されるかもしれませんが、抜本的には解消されません。だからこそ、教員の多忙化や部活動の活動日数等の規制の必要性は一方で認めるものの、他方で私は「ものたりない」と、彼らの多忙化緩和のキャンペーンについては思ってきました。

もちろん「学校は本来、勉強するところだ」とか、「学校での教育は本来、学問をするところだ」とか、そういう価値観があるのは認めます。彼も、もしかしたらそういう価値観の持ち主なのかもしれません。

でも、「学校で子どもが学んだり、経験したりする必要のあること」のなかに、「精一杯、自分の今、手持ちの力で、何かにチャレンジすることの大切さ」みたいなものを入れてみる。これを仮に「今を生きる経験」と呼んでおきます。また、この「今を生きる経験」そのものが「いまどきの中高生にとって必要な学習経験であり、学問への入り口になるものだ」と考えてみます。

ちなみに、私はどちらかというと、学校のなかであれ外であれ、子どもたちの「今を生きる経験」を充実させてほしいし、おとなたちはその「今を生きる経験」にできる限り、向き合ってほしいと願っています。

そういう風に考えてみたときに、「はたして今の学習指導要領の枠組みや、日々営んでいる授業のなかに、そのような子どもたちの『今を生きる経験』みたいなものが多々、含まれているのか?」という疑問もわいてきます。

だとすると、むしろ「いまどきの中高生にとって、『今を生きる経験』の場になっているのは、学習指導要領の枠組みに沿った日々の授業よりも、部活動だ!」なんて話も出てくるかもしれませんね。

そして、「いまどきの中高生にとっての『今を生きる経験』の時空間・仲間を保障するためには、むしろ学習指導要領の枠組みなんてぶっとばし、日々の授業もいったん脇において、熱心に部活動やることのほうが大事」なんて発想もでてきますよね。

とすれば・・・。「平日に数日、部活動の試合をしたからといって、どうなの?」という意見や、「学校の授業を休んでも、それにかわりうる貴重な経験をするんなら、別にいいじゃん」という意見にも、それなりに「一理ある」ということになりますよね。

さらにここへ「シーズン中は平日に試合等をして、土日はしっかりやすむ。試合で出られなかった授業は、オフシーズンなどに補習をする」なんて発想も組み入れたら、どうなりますか? 「別に何か、問題ありますか?」ということになりますよね。

要するに「大会日程と休養日、そして授業時間の確保。この3つを両立可能なカリキュラムをうまく組んだら、それでいいじゃん」って発想もあるわけですが、なぜこういう発想に彼は立たないんでしょうか?

私はやっぱり、彼は「学校」や「教育」のあり方を問うというわりには、「学校」や「教育」は「かくあるべし」ということに強いこだわりを持っている。なおかつ、そこだけは常に「不問」にされている。そして、その「不問」になっているこだわりの部分が、実は意外と「学習指導要領の枠組み」だったりするのではないか・・・と思っています。 

いかがでしょうか? こんな風に考えていくとと、「教育」や「学校」のあり方を問いたい彼のまじめさ、善意は否定しないものの、やはりその「問い方」やその「問い」の前提にある価値観の部分で、私などは「いかがなものか?」と思ってしまうんですよね。

いまどきの教職員や子どもを最も追いつめたり、苦しめたりしているものが、もしかしたら「学習指導要領」かもしれないと思ったら、彼のような議論にはならないような気もするんですよねえ。

なお、「学習指導要領」自体もよく読み込むと、けっこう融通の利くものになっているところがあります。そういう「融通の利くもの」として読み込んでみると、先の私が言う「大会日程と休養日、そして授業時間の確保。この3つを両立可能なカリキュラム」だって実現可能かもしれません。

でも、こんな発想、今の彼からは出てこないだろうなあ・・・。


正直なところ「いかがなものか」と思っていること(その1)

2017-05-28 23:46:49 | 学問

このところ、学校での事故・事件に関する研究動向を見ていて、正直なところ「いかがなものか」と思っていることを、この際、少し書いておこうかなと思います。

この内容は昨日、CAPセンター・JAPANの総会記念講演会でもお話したことと重なるのですが・・・。

また、これはあくまでも「私の目から見て」の話でしかないのですが。

要するに「子どもを守りたい」とか「子どもの安全・安心の確保を」といいつつ、実は「それって、おとなの不安の解消」とか「おとなの不信感の緩和」のためにやっていて、「肝心の子どもそっちのけ」の話になっていないか、ということが、時折、子どもの安全・安心確保策についての議論に見受けられるんですよね。

たとえば、次のようなパターンの議論を見かけたときに、私はこのところ、「それって、おとなの不安感や不信感の緩和のための議論じゃないの?」と思うのです

(1)そもそも、子どもたち自体を「危ないこと」から遠ざけておく。そうすれば事故・事件は防げる。

⇒どこで子ども自身が身を守る術を学ぶの? 子どもが成長する上で貴重な体験を得る機会はどうなるの?

(2)たとえば「暴力をふるう」などの「他人に危害を加える子」は、学校から排除しておく(あるいは、そういう行為があれば排除する)。

⇒「学校安全・安心ルール」なるものをつくる自治体もある。あるいは、障害のある子どもなどの分離・別学を望む声もある。

 さらに、そもそも「問題行動を起こさないような子どもに家庭が育てるべき」だと考えたら、「家庭教育支援法案」なども出てくる・・・。

(3)そもそも「学校で子どもどうしが濃密に関わる機会」がなければ、問題も生じない。

⇒どこで子どもの仲間関係を育てるの?

(4)そして、GPSケータイと監視カメラで子どもの登下校や学校生活の「すべて」を把握しておきたい。

⇒それでおとなは安全・安心かもしれないが、一方で監視社会・管理社会を創り出すことにもなる。

ざっと、こんな感じですね。

以上の(1)~(4)のような環境で、確かに子どもの安全は守られるかもしれないし、子どもとかかわるおとな(たとえば保護者とか)も安心かもしれない。

もちろん、「隅々まで誰かが子どもを監視・管理してくれているほうが、子ども自身もおとなの側も安全・安心」という発想もあるわけですが・・・。

しかし、これって見ようによっては、子どもに対するおとなの「善意」による「支配」、あるいは子どもに対する「監視・管理社会」の構築ですよね。

それでほんとうに、いいのかな?

あるいは、これって正直なところ「いかがなものか」とか思ったりするんですよね・・・。


最近読んだ本をまとめて紹介(2470冊目~2482冊目)

2017-05-28 19:47:37 | 本と雑誌

最近、本を読むペースがちょっと落ちている傾向が伺えますが・・・。

それでもまた何冊か読みましたので、本のタイトルや出版社名、著者名などを紹介しておきます。

2470冊目:平川克美『路地裏の民主主義』(角川新書、2017年)

2471冊目:品田茂『日本一小さな農業高校の学校づくり』(岩波ジュニア新書、2017年)

2472冊目:鈴木孝夫・平田オリザ『下山の時代を生きる』(平凡社新書、2017年)

2473冊目:濱田武士『日本漁業の真実』(ちくま新書、2014年)

2474冊目:奥田弘美『ストレスと疲れがみるみる消える! 1分間どこでもマインドフルネス』(日本能率協会マネジメントセンター、2016年)

2475冊目:水島広子『正しく知る心的外傷・PTSD』(技術評論社、2011年)

2476冊目:水島広子『対人関係療法でなおすトラウマ・PTSD』(創元社、2011年)

2477冊目:水島広子『トラウマの現実に向き合う ジャッジメントを手放すということ』(岩崎学術出版社、2010年)※リンク先は文庫版のものです。

2478冊目:片山厚志・NHKスペシャル取材班『密室の戦争 日本人捕虜、よみがえる肉声』(岩波書店、2016年)

2479冊目:苫野一徳『勉強するのは何のため? 僕らの「答え」のつくり方』(日本評論社、2013年)

2480冊目:帚木蓬生『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』(朝日新聞出版、2017年)

2481冊目:鈴木亜英・山田敬男編著『共謀罪VS国民の自由(学習の友ブックレット26)』(学習の友社、2017年)

2482冊目:高山佳奈子『共謀罪の何が問題か』(岩波ブックレット、2017年)


今回(5月28日)のプリキュアの話です。

2017-05-28 09:16:26 | プリキュア話

おはようございます。

今日も日曜日、まずはプリキュアの話からです。

さて、先週、ゆかり(キュアマカロン)のお茶会での機転によって、プリキュアたちの敵・ジュリオが、同級生(転校生)の黒樹リオだということがばれました。

ゆかりはそのことを他のプリキュアたちに伝えようと、妖精のペコリンを通じて呼びかけるのですが・・・。

でも、いちか(キュアホイップ)だけは遅れて参加とのこと。なぜかといえば、海外の無医村で訪問診療を続けている母から、いちか宛てにスイーツが届く日だから。いちかのお母さん、お医者さんだったんですね。お父さんは武道家だったわけですが・・・。

また、いちかはいちかで、お母さんへのお返しのスイーツにクッキーをつくろうと、材料の買い出しに出かけます。

そんなかたちで、他のプリキュアからいちかが離れていることに目をつけて、「どうせ自分の正体はばれている」と察したジュリオは、いちかに接近。ジュリオはお母さんのつくったマドレーヌをたべて、キラキラルがいっぱいになったいちかから、そのキラキラルを奪い取ってしまいます。

そのいちかのキラキラルを奪い取ったあとのジュリオの力は強くなり、いちかの様子が心配になってかけつけたほかのプリキュアたちを次々に倒していきます。

そんななか、妖精のペコリンは、いちかのキラキラルを取り戻すべく、もう一度クッキーをつくるようにいちかにすすめます。そして、小麦粉を捏ねたり、型を抜いたりしているあいだに、いちかのキラキラルがだんだん回復してきます。

まあ、そのあとは・・・。キラキラルが回復して、パワーが満タンになったいちかがキュアホイップに変身して、ジュリオを倒すわけですね、はい。

ただ、ラストで、どうしてジュリオがキラキラルを奪おうとしたのか聴き出そうとしたら、ジュリオは「スイーツもお前も嫌いだ」といって、どこかへ立ち去ってしまいました。また、ジュリオにかわる新たな敵・ビブリーの姿も、エンディングではでてきましたね。

ということで、これから6月いっぱいくらい、長くて夏休み前くらいまで、ビブリー対プリキュアの物語が続くことになります。また、その合間、合間に、今回倒されたジュリオの秘密があかされるような、そんなストーリーになっていくでしょうね。きっと、それはジュリオがどうしてスイーツが嫌いになったのかというストーリーになると思うのですが・・・。


「量産型モビルスーツ」の生産のような今後の教員養成??

2017-05-23 08:20:13 | 学問

この土日(5月20日・21日)と、東京・玉川大学まで出張しておりました。

一般社団法人私立大学教職課程協会(全私教協)の定期総会&研究大会というものに、うちの大学の教職課程科目担当者として出席したわけですが。

そこに出ていて感じたこと、ここに書いておきます。

まあ、これから文科省が各大学を通じて進めて行こうとしている「教員管理政策の動向」にかかわることですが・・・。

まず、当日、他大学の知り合いの教員ともちらっと話をしたのですが、どうやら文科省は今後の教員養成において「量産型モビルスーツみたいな教員」をつくりたいようです。

しかも、そのための理屈づけに「大学の質保証」システムの構築と、医師その他の国家資格を必要とする職業に教員を近づけていくという、そんな「専門職教師」論、そして「多忙化解消」談義をくっつけたような話をしております。

また、その「しかけ」としてでてくるのが、「教職課程コアカリキュラム」という発想ですね。なお、このコアカリキュラムづくりに、一部の教員養成大学関係者や教職課程科目の担当教員がすでに「動員」されています。「教員養成の専門家のみなさんのご意見も聴いて聴きました」という形をとっているわけですね、はい。

この「教職課程コアカリキュラム」ですが、要するに、国公私立のすべての大学の教職課程で、それぞれの免許取得対象者に最低限、各科目で取り扱うべき内容をある程度、具体的に決めて、それをシラバスに盛り込ませる。そのときに他の国家資格、たとえば医師免許ではこんなことしているでしょ、獣医師でもこういうカリキュラム組んでるでしょ・・・みたいな話をするわけですね。

たとえば従来の「教科教育法(社会科教育法)」では、「学習指導要領の内容に関することは必ず扱え」とか、「その教科でのICT教育に関することは必ずやれ」とか、そういうことを書きこんでくるわけです。あるいは、教職課程コアカリキュラムのなかに、「学校安全」に関する事項を盛り込もうという話もでています。そういう形で、うまくいけば「最低限、教員になるために知っておくべきこと」の水準が具体化され、確保されるというメリットが、このコアカリキュラムにはないわけではありません。そのため「一概にダメとは言いづらい」という面があります。

ただ、その「教職課程コアカリキュラム」の内容がシラバスに盛り込まれ=再課程認定や新規の認定でそれがチェックされるとともに、今後、担当教員もそれに関連する業績を持っているかどうかをチェックされますし、今後の文科省の各大学での実地視察なんかでもそのあたりを見る・・・ということが十分、予想されます。

なおかつ、文科省はこの春、つくばにあった教員研修センターを再編した「独立行政法人教職員支援機構」をつくりました。将来的には、ここで「教職課程コアカリキュラム」の内容理解を中心としたテストを開発して、どうやら先々、各都道府県・政令市等がやっている教員採用試験の「統一の一次試験」みたいなものをやろうとしている様子です。それも「学校現場や地方教委の教員採用試験の負担、たいへんでしょう。それを国が肩代わりします・・・」ということと、「公教育を担う教職員の質保証」という理屈をつけてやるわけですね。「他の国家資格だって、国レベルでの統一試験やっているわけですから」という話も、ここに加わります。

さらに、この「教職課程コアカリキュラム」で身に付けた基本的資質の土台にたって、「地方独自の課題に対応した養成・採用・研修の一体化」をする。そこで、都道府県教委や政令市教委が主導する形で、「教員育成指標」をつくるための協議会が今後、つくられることになります。そこで、各地域での教委側の要請と、大学側の思惑とをすりあわせたかたちで、各地域独自の教員養成をするわけですね。すでに東京都が小学校教員の養成に関して、独自の指針みたいなものをつくっているようですが・・・。

・・・という具合に、ここまで書いたことでおわかりいただけるかと思いますが、大学側の学問や研究・教育の自由度を「公教育における教職員の質保証」という観点から、文科省と地方教育行政の両面からある程度まで「制約」しかねないということ。その結果、私の目から見たら、「量産型モビルスーツのような教員」を「質が保証された専門職教師」として、大量に学校現場に送り出したい・・・という意図がうかがえるわけですね、はい。もしかしたら学校現場に今、必要なのは「量産型モビルスーツではなくて、プロトタイプのガンダム、ガンタンク、ガンキャノンかもしれない」という発想は、そこにはありません。

しかも、これって戦後日本の大学における教員養成の根幹にもかかわるような大改革なのですが、「これをあと1か月ちょっとで具体化して、やれ」という、そういう「むちゃくちゃなこと」をやろうとしているわけですね、文科省。もちろん、教育再生実行会議などで方針がでてから一定の月日がたつわけですが、それでも、やはりていねいな議論を蓄積するには時間がかかるわけで・・・。おそらく、何かが見切り発車されることは、十分、予想されます。

そして、こういう構造・構図のなかで教員養成改革行われているのを、従来の「専門職教師」論や「多忙化」談義やっている人たちが十分に捉えきれているのかどうか。

「専門職としての教師」等々、佐藤学さんあたりが言うてきたことなんて、なんかここのところの大学教員養成の質保証なんていう怪しげな文科省の管理政策とくっついて、ヤバい流れに巻き込まれているような、そんな気すらしてきたんですけどねえ・・・。

おそらく、この手の「質保証された量産型モビルスーツみたいな教員」には、「管理職や教育行政のしていることがおかしいと思ったら、異議申し立てをする」なんてプログラムは、入ってこないんだろうなあ。あるいは、「現場で起きている問題でマニュアルにないことは、自分で何が適切かをその場で判断して行動する」なんてことも、きっとここでいう「質保証」には「なじまない」といって、切り捨てられるんだろうなあ。そんなことに、従来の「専門職教師」論が接続されて、いいのかしら??

いずれにせよ、私立大学の教職課程担当者として、これから次々に押し寄せる「激動」の波をかぶることは、避けられないなあ・・・と思ったのでした。


これは「大学授業料の後払いシステム」で「無償化」でなく、しかも大学への管理・統制強化策にもなる。

2017-05-23 08:14:29 | 学問

大学在学中は授業料無償化し卒業後納付 首相に提言提出

(2017年5月22日 16時28分 NHKニュース)

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170522/k10010990911000.html

記事本文を読んでいただければすぐわかりますが・・・。

これってただの「大学授業料の長期間後払いシステム」であって、「無償化」じゃないよなあ。

なおかつ、すぐに予想されることだけど・・・。

まず、一時的に在学中、授業料を払わなくてすむために、大学等には国庫補助を増額することになる。

その国庫補助の支給要件をものすご~く厳格にしていけば、国がこのシステムつかって各大学を「支配」することも可能だな、これ。

お金の面からギューギュー各大学の自立性・自律性をしめあげるというのか、おそらく各大学を生かすも、殺すも、その支給要件次第ってことになりそう。

要するに、小中学校や高校並みに大学を国が管理・統制するシステムをつくる口実としても、この「授業料口先だけ無償化、実態は長期間後払いシステム」は使えるわけだね。

だ~れもそういうこと言わないから、あえて言っておく。



昨日(5月21日)のプリキュアの話です。

2017-05-22 09:16:35 | プリキュア話

さてさて、昨日ケータイのワンセグ機能で見たプリキュア、さっき録画であらためて見ました。

なにしろ昨日、おとといと東京への出張だったもので・・・。

いや~。今回はやや「おとな向き」のストーリー展開でしたね。要するに黒樹リオ(ジュリオ)の謎を、ゆかり(キュアマカロン)が明らかにしていこうという、そういう展開でした。

まず冒頭で、いつものパティスリーで、プリキュアたちが「どうして自分たちのまわりで何か事件が起きるのか?」「どうしてそのときリオくんがいるのか?」という疑問を出し合います。そこでふと、「次は自分の番」と、ゆかりが何か思いつきます。なにしろこの間、ひまり(キュアカスタード)、あきら(キュアショコラ)、あおい(キュアジェラート)と、次々にメインになるプリキュアが変わってますんで・・・(笑)

さて、ゆかりの家は、今回わかりましたが、どうやら茶道の家元のようです。日曜日のお茶会をどうするのかと、学校に通うときに祖母から言われます。いろんなことが完璧にできるけど、自分がほんとうのところで何が好きなのかわからない。それがどうやら、いまのゆかりの悩みのようです。ゆかりがそういう悩みを抱いていることを、リオは知ります。

そんな悩めるゆかりに対して、いちか(キュアホイップ)は日曜日、何か一緒に楽しいことをしようと提案します。それに賛成したゆかりは、自宅でのお茶会にプリキュアたちとリオを誘います。

リオはその場でゆかりたちのお茶のたて方を観察して、自分にもやらせろといいます。また、ゆかりの悩みを察したリオは「ぼくにはなんでも話して」というので、ゆかりは「自分には姉がいて、姉が家を継ぐから自分は好きなことをしていいといわれるが、好きなことがなにかわからない」とリオに話します。

一方、茶室でのゆかりの所作がとても気に入ったいちかは、自分たちのパティスリーにも茶室をつくって、いちご大福&他のフルーツ(グミ)大福でお茶を出すことを思いつきます。いちかのおかげで、自分が茶道をとても好きなことに、ゆかりは気づきます。

そんなゆかりが、お客でやってきた高校生の忘れものを届けようと出かけたところに、変身後のジュリオが現れます。ジュリオはゆかりの「自分の好きなことがわからない」という悩みを知り、それを語りかけるような形で攻撃をしてきます。そこでキュアマカロンに変身してゆかりはたたかうわけですが、一時期はジュリオに捕まってしまいます。

ところが・・・。実は、その「悩み」は、ゆかりがジュリオをおびき出すためにしかけた罠というか、嘘。「あなた、それをどこで知ったの?」と言うところから、反撃開始。これでジュリオ=黒樹リオということが、ゆかりにはバレます。そして、そこに他のプリキュアもかけつけて、ひとまずジュリオを撃退します。

そしてラストの場面では、ゆかりが祖母といっしょに、リオがたてたお茶が何かおかしい・・・という話をするところでおわりですね。

まあ、こんなわけで、黒樹リオ=敵のジュリオで、彼がプリキュアたちを攻撃してきていることが、一応、ゆかり(キュアマカロン)にはわかりました。来週はいよいよ、いちか(キュアホイップ)がジュリオの攻撃にかかる回ですが、さてさて、どういう展開になるのでしょうか・・・。

ただ、こういうゆかりとジュリオの駆け引きというのか、虚実織り交ぜてのストーリー展開というのは、プリキュアとしてはやや「おとな向け」の回といえるのではないかと思いました。お子さまたち、わかったかなあ、今回のストーリー??(笑)


昨日(5月19日)衆院法務委員会でのいわゆる「共謀罪」採決強行について

2017-05-20 00:12:51 | 国際・政治

何を委員長が言ったのかわからないなかでの衆院法務委、「共謀罪」採決強行。

こういう決め方はアカンで。中身もだけど。

特に「30時間も議論したから」等々の理由で「採決を」と促した、日本維新の会の議員。この人、最低です。

きっと「共謀罪」修正案を出すときに、日本維新の会として、政権与党側とそういう採決強行への打ち合わせをしていたのでしょう。

だけど、「これでいい」と政権与党も日本維新の会も思っているのならば、「なんだ、あんたらは?」としか、私には思えません。

「たった30時間しか議論してない」「内容がひどすぎる」「法務大臣ですらまともに説明できない」等々。

野党からのさまざまな批判に対して、この採決強行をした人々、どのようにお答えするつもりですか。

参考人として招致された研究者の方々からも、さまざまな懸念も指摘されたと聴きます。

そういう懸念に対して、どのように採決強行を認めた人々は答えていくつもりなのですか。

今日の対応というのは、「議論の場」としての国会を、あまりにも軽視しすぎているのではないですか。

なので、日付変わってまもないうちですが、ひとこと。

「昨日の衆院法務委員会でのああいう採決のやり方は、アカンで」と、政権与党と日本維新の会に対して、私の思いをここで伝えておきます。


拙著『新しい学校事故・事件学』のご購入よろしくお願いします。

2017-05-19 23:35:37 | 受験・学校

河北新報に私の本『新しい学校事故・事件学』の書評が出ました。

先月、宮城県の新聞「河北新報」に、私の書いた『新しい学校事故・事件学』の書評がでたことは、上記リンク先のこのブログ記事でもうご存知のことと思います。

その後、どの程度、この本が売れているのかわかりませんが・・・。

でも、各地でくり返し起きる学校での悲しい事故・事件。そのあとの学校や教育行政による事後対応と、そのプロセスで生じる被害者家族・遺族の孤立。そして、事実関係の調査・検証をめぐる調査委員会と学校・教育行政、そして被害者家族・遺族の関係のさまざまなこじれ。

こうした諸課題について、私のこれまでの被害者家族・遺族とのかかわりや、調査委員会での作業の経験、そして文部科学省「学校事故対応に関する調査研究」有識者会議での「学校事故対応に関する指針」づくりの作業の経験などをふまえて、今、思うことを率直にこの本で述べてみました。

1冊2000円+税です。ぜひ、どこかの書店、もしくはアマゾンなどの通販サイトでご購入いただければと思います。どうぞよろしくお願いします。(上記太い赤字部分の書名をクリックすると、アマゾンでのこの本のページに飛びます。そこから注文可能です)



「災害発生後の子ども支援」をテーマにした6月10日・7月8日の公開講座の告知です。

2017-05-19 07:23:05 | 受験・学校

2017年前期公開講座「災害発生後の子ども支援」の参加受付始まっています。

以前、上記のブログ記事のとおり、6月10日・7月8日の公開講座の告知をしました。

もう一度、ここで告知させていただきますね。

詳しいことは上記のブログ記事と、下記の画像を見てください。

6月10日・7月8日のどちらか1日だけの参加も可能です。

どうぞよろしくお願いいたします。

<下記のリンク先にある申し込みフォームから直接、参加申込ができます>

https://www.kyoto-seika.ac.jp/info/event/garden/contact/


「教員の多忙化」問題に対する私のこだわり。

2017-05-14 19:36:49 | 受験・学校

職人の魂なのか、こだわりなのか。

それとも、その仕事にかかわる者としての矜持なのか。

それとも、別のことなのか。


どれだけ忙しくて大変でも、

私たちがその仕事に就いている以上、

ずっと大事にしていかなくちゃいけないこと、

何があっても守り続けていきたいこと、

どんなときでもなくしちゃいけないこと、

そういうことって、ありますよね。


私は昨今の教員の多忙化談義について、

「こういう切り口の側から議論したいなぁ・・・」

って、このところ、ずっと思っています。


仕事のスリム化、時間短縮、その一環としての外部委託。

そういうことは一方で必要かもしれない。


でもね、後々になって・・・。

「たしかに仕事は楽になった。

早く家にも帰れるし、からだもこころも楽。

でも、自分たち、気付いたら今、

何か大事なものを亡くしてしまっている・・・」

なんてことにならないためにも。


今回(5月14日)のプリキュアの話です。

2017-05-14 09:14:09 | プリキュア話

おはようございます。日曜日朝ですから、プリキュアのお話です。

今日はキュアショコラ、あきらがメインになる回でしたね。まあ、前々からお伝えしているように、タカラヅカの男役風のキャラですが(声優さん自体が元・タカラヅカの男役さんですけど)。

また、このあきらの妹がプリキュアたちの営むキラパティにやってきて、スイーツづくりに取り組むというのが、今回の物語でした。もちろん、そのスイーツづくりを、いちか(キュアホイップ)、ひまり(キュアカスタード)たちがサポートするわけですけどね。

では、なぜあきらの妹がキラパティにやってきたのか。

実はこのあきらの妹、長期にわたって病院にて療養中。お姉さん・あきら(キュアショコラ)に何かとお世話になっているので、何かお返しをしたかった様子。なので、あきらの大好きなチョコレートを使ったケーキをつくりたい・・・ということでした。

一方、なにかと「妹の笑顔を守りたい」というあきらは、病院から外出許可をとって出てきたという妹が心配でしょうがない様子。そんな妹のことを心配するあきらに、ゆかり(キュアマカロン)は「ふたりは似ている」と言ったりなんかします。

そしていよいよ、妹のつくったチョコレートケーキを、あきらが食べる場面がでてきます。もちろん、あきらはケーキを食べて「おいしい」というわけですが。そのとき、確か、あきらと妹、ふたりの笑顔を並べているシーンが出ましたね。それがよく似ていたりなんかしました。

そこへ、チョコレートケーキで増幅したキラキラルを奪うために、ジュリオが現れます。いちかとあきらの妹がスイーツづくりをしたいという話を、ジュリオは先に聴いていたのです。

実際、ジュリオが奪ったキラキラルは、スイーツにこめた妹の思いで、いつもより強くなっています。それをつかって、プリキュアたちを攻撃するジュリオ。でも、妹のつくったスイーツを食べて、変身後のキュアショコラの力もまた強くなります。そんなわけで、プリキュアたちはジュリオの攻撃を退けます。

ラストの場面ですが、病院に帰るバスに乗るときに、あきらの妹がプリキュアたちに「お姉ちゃんをよろしくお願いします」といいます。それを聴いて、ゆかりが今度は「守られているのはどっち?」みたいなことを言いますね。まあ、ふたりが似ているというのは、こういう意味だったわけですね。

ということで、今回のプリキュアおわりました。

予告編によりますと、次週はゆかりが、ジュリオの秘密を探ろうとするようですね。ただ、次週は私、東京出張なんで、落ち着いてプリキュアを見る時間があるのかどうか。次週は録画を見てコメント書くことになるかなあ・・・。


6月3日、大阪・梅田にて「家庭教育支援法案」に関する学習会が行われます。

2017-05-14 07:56:28 | 学問

私はこの日不参加になりますが、下記のとおり6月3日(土)、大阪・梅田にて「家庭教育支援法案」に関する学習会が開催されます。

関心のある方、ぜひ、ご参加ください。

○子どもの権利条約関西ネットワーク主催 家庭教育支援法学習会

「家庭教育支援法ってなんですか?」

2017年6月3日(土)14時~16時 龍谷大学大阪梅田キャンパス研修室

要申し込み・定員80名(先着順)、資料代800円

申し込み(メール申し込みのみ):kodomonokenrikansai@gmail.com (氏名と参加人数、連絡先、保育サービスの有無を必ず書いてください)

<プログラム>

講演「家庭教育支援法案の問題点―子どもの権利の視点から―」(仮)

國本依伸弁護士 60分

子ども支援の現場からの報告 30分

質疑応答 30分