できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

新しい年度のはじめに

2009-04-10 11:18:01 | 受験・学校

2007年3月末をもって大阪市の青少年会館(青館)条例が廃止され、青少年会館事業も形を変えて残るもの・廃止になるものと「解体」されてから、すでに満2年が経過しました。いよいよ、この4月から3年目を迎えます。

この2年の間、このブログや雑誌などで条例廃止後の大阪市内各地区の状況を追って、いろんな情報発信を私なりに続けてきました。あるいは、研究者仲間で手伝ってくださる方とともに、大阪市内各地区の状況を把握する研究プロジェクトの取り組みも行ってきました。そして、プロジェクトの取り組みのなかで、あらためて各地区で子ども会や保護者会、識字教室や若者たちのサークルなど、さまざまな取り組みを地道に続けておられる方々、「何か、自分にできることはないか、あったらやってみたい!」と思っている方々に出会ってきました。もちろん、元青館職員のみなさんにも、何人かの方とは直接お話する機会を得ることがありました。

ただ、いよいよ3年目を迎えます。地元の公立保育所から、青館条例がない、事業もない状態で小学校に入学した子どもたちも、もう3年生になります。ベテランの青館職員の方にお聞きすると、「子どもの世界は3年もあったら激変する。3年たったら、もう青館がないのが当たり前になって、それで生活が組み立てられてしまう」とのこと。だとすれば、今年あたりから生じる子どもたちの問題は、「青館がない各地区の子育て環境や教育環境のなかで起きてきた諸問題」ということになります。

もちろん、現実としてあらわれた子どものよくない傾向には、早急に学校と地域社会、保護者、そして行政の側から、さまざまな手立てを打っていく必要があるでしょうし、それをトータルにコーディネートする調整機関も必要になってくるでしょう。また、条例・事業がなくなったこと自体は残念であっても、本当は各地区の子どもたちにとっては、「何事も悪いことは起きなかった」ということが望ましいことは、あらためていうまでもありません。

でも、大阪市内の各地区で、青館があった頃にはあまり見られなかった子どものよくない傾向が、条例・事業をなくした3年目の今、顕著に目立つようになってきたとしたら、そこから何か、青館がセーフティーネットとして機能してきたことの意義が見えてくるのではないか。そんな風にも思えてくるのです。

それから、前任の関市長の時期からはじまった大阪市の行財政改革が、今の平松市長の下でもある程度継承されている面があります。この数年間にわたる大阪市の諸改革が、各地区の教育環境や子育て環境をどのように変化させ、各地区の子どもや保護者にとってどんな影響を与えているのかも、そろそろ、きちんとした検証作業をしていく必要があります。さらに、大阪市以外の大阪府内の各地区では、橋下府知事就任後の府政改革や、各自治体レベルでの行財政改革が、教育環境や子育て環境をどのように変えようとしているのか。そのことについても、地道な検証作業を行っていくことが必要です。

そして、こうした地道な検証作業の積み上げの上に、各地区の住民、特に保護者や実際に各地区の拠点施設を利用している人々の側から、ほんとうにこの地区を暮らしやすいものに変えていくためには、何が必要なのかを考え、その意見を行政当局や、行財政改革のプランをつくる側に投げ返していく作業も、これから先はますます必要になっていくでしょう。

私としては、これからの大阪市内や大阪府内の各地区における人権教育(学習)というのは、こうした地元住民たちが、自分たちの暮らす地域をよりよいものに変えていくアクションを起こしていける力になるとか、あるいは、行政施策に対して積極的に自らの提案を出していけるような、そんな取り組みにつながるものになっていく必要があると思っています。

このような学習の取り組みは当面、大阪市内や大阪府内の情勢を考えると、まずは社会教育(生涯学習)の領域において、おとなを中心に行っていく必要があることになるでしょう。保護者会などで、こうした取り組みを核にした学習活動を行ってもいいかもしれません。あるいは、高齢者や障害のある方々の集まるサークルなどにも、こうした観点からの学習が入ってもいいのではないでしょうか。

でも、自分たちの暮らす地域をよりよいものに変えていくアクションを起こしていける力ということでいえば、これこそ、子どもや若者に身につけてほしい力です。また、それは学校教育においても、学校外の諸活動=社会教育(生涯学習)の領域においても、大事な学習課題なのではないでしょうか。そして、いわゆる読み・書き・計算の「学力」や批判的に情報を読み解くという意味での「メディア・リテラシー」の力も、このような「自分たちの暮らす地域をよりよいものに変えていくアクションを起こしていける力」とのつながりで、もう一度、きちんと論じていく必要があるように感じます。

そして、私の言うような諸課題は、ある意味、今の社会情勢下における「主権者」育成とか、あるいは「市民性」「シティズンシップ」の育成といった観点から(そうそう、これに似たようなものでいえば、「公民」教育という古い言葉もありますが)、各地区における子ども・若者から高齢者にいたるまでの教育・学習の課題を整理しなおす、ということのように思います。

今、さかんに議論をされているように、「学力」の格差にあらわれた経済的・文化的な階層間の格差だとか、その格差の是正策に関する取り組みなどは、私も不要だとは思いません。そんなことをさらさら言う気もありません。ですが、いつまでも「そこばっかり論じている」というのも、どうなのでしょうか。もしもほんとうに格差是正策を行政当局に実施させようと思うのであれば、そういう要求を突きつける社会運動が必要でしょうし、その運動の担い手を育む取り組みこそ、真っ先に求められるのではないでしょうか。「ピントがずれているのでは?」という思いを抱くのは、私だけでしょうか。

そう考えても、国や地方自治体の行政施策が自らの暮らす地域をよりよいものにするのか、それとも、逆に向けていくのか。もしも逆向きだとしたら、どんな手立てでそれに対応し、異議申し立てをするのか。こうしたことを考え、行動することにつなげる力を育む取り組みが、今の人権尊重の社会づくりを目指すさまざまな運動には必要なのではないでしょうか。

新しい年度のはじまりに、このことを書いておこうと思います。

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