できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

地道に各地の取り組みを追う必要性

2008-07-27 11:06:09 | アート・文化

昨日、ある会合で、大阪市内の旧青少年会館を使って、地元の小学生の子どもたちを集めて子ども会活動をしている方の話を聴きました。その地区では、高校生や地元の若者たちの支援を得て、この夏休み期間中、ほぼ毎日、子ども会活動をやろうとがんばっているとのこと。また、去年の夏休みもほぼ毎日、子ども会活動をやりきったとか。学期中にも旧青館内にうまく場所をキープして、何らかの形で活動を続けてきたそうです。こういう話を聞くと、なんだかうれしくなってきますね。

また、最近定年退職された元青館指導員の話によると、今、その子ども会が取り組んでいる活動の様子は、青館事業が始まる前の「解放子ども会」の取り組みととてもよく似ているとか。そんなところから、「過去の歴史に学ぶ」ことの重要性を感じます。もしかしたら、30年くらい昔の取り組みのなかに、今後の子ども会活動のあり方を考えるヒントが詰まっているかもしれないからです。

それから昨日、大阪人権博物館のホールで開催された和太鼓コンサートを見てきました。なかなか、面白かったです。太鼓のリズムを聞いているこちらも感じることができたとともに、太鼓をリズミカルにたたく若者たちの体の動きが、まるで創作ダンスか何かのような、身体表現のパフォーマンスでも見ている感じになりました。演じている若者たちのものすごくエネルギーが伝わってきたことと、この和太鼓コンサートに向けて、相当、若者たちが厳しいトレーニングを積んできたんだろうな・・・・ということも伝わってきました。

それこそ大阪市などの行政当局が今、「文化を基盤としたまちづくり」だの「創造都市戦略」というのであれば、和太鼓コンサートのような若者たちの文化活動はもっと積極的に位置付けられていいだろうし、そのための練習場所として旧青館のような施設がもっと積極的に活用されてしかるべきだし、こうした若者たちの文化活動に小学生たちの子ども会などが触れる機会がたくさんあってしかるべきだろうし・・・・。

そして、「人権文化のまちづくり」とか「人権文化の構築」とか、私ら(子どもの)人権論の研究者がいうのであれば、和太鼓サークルや子ども会活動など、もっと、こうした地道な取り組みを地域で続けている人びとと交流して、こうした活動が活性化するための条件整備に向けての政策提言づくりだとか、実践的なノウハウに資するような情報提供とか、そういったことにもかかわっていく必要があるのではないか、と感じました。

しかし、なんか旧青館での地元の人たちの取り組みにかかわればかかわるほど、次々に教育(学校教育、社会教育・生涯学習の両方)、福祉(主に児童福祉だけど)、まちづくり・文化振興など、いろんな課題が見えてきて、なかなかたいへんだけど、面白いです。かかわればかかわるほど、これまでの(子どもの)人権論の「弱い」部分がわかるような、そして、その「弱い」部分を、地元の人たちと私らがいっしょに変えていこうとしているような、そんな感触を抱いています。

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最近の新聞ネット配信記事から

2008-07-27 10:40:49 | アート・文化

今日は朝日新聞のネット配信記事から、いろいろ思うことを書きます。

(1)なんだったんでしょうね、あの「岩おこし」のみやげ物をめぐる一連の橋下大阪府知事のコメントって? 下記の新聞記事を見る限り、府知事側は肖像権があると言ってみたり、ないといってみたり・・・・。それに「100%できレース」っていうのですが、それも本当なんでしょうか? もしも本当に府知事がいうように「できレース」だとするならば、「府知事周辺はああ、こうやって、何か新しいことをはじめるたびに、マスメディアを使って世論を操作するんだな」という思いを抱きます。

http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200807240106.html?ref=recc

http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200807250036.html?ref=recc

(2)それから、この記事。一応アート系大学でもあるうちの大学の中にもこのイベントの案内チラシが貼られていたり、あるいは、ミクシィのうちの大学関係のコミュニティにも案内が出てました。

http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200807260034.html

 で、この記事を見た率直な印象は、「要するに、府知事はおとなの文化人たちからの批判にはかなり参っていて、いらだっていたから、自分の意見に賛同してくれる大学生たちに出会って、癒されたったわけ?」ということ(まぁ、なんとな~く、学内に貼り出されていた案内チラシをみていて、「ああ、そういうイベントになるんだろうな~」という察しはついていたんですけどね)。

 また、「府知事は若者たちの意見を聴きますよ~っていうポーズを示しながら、実は『残る文化と残らない文化の違いは、やっている人の必死さ。消えそうだからといって、行政が特定の何かに金をぶち込むべきじゃない。やっている人間がまず努力すべきだ』という持論を展開したかったわけ? だとしたら、結局、この学生を集めたイベントも、府知事周辺の、マスメディアを使った世論操作のひとつだよね」ということ。「どうしてその、府知事にとってややこしい文化人たちを集めて、こうした対話集会をやらなかったのか?」と考えてみたら、いろいろ思うことがでてきますよね。

 そして、そういう府知事側の持論展開、世論操作の場として設定されたかのようなイベントではあっても、大阪府の文化行政のあり方について、府知事にその場で批判的な話をすることができた学生たちのほうに、私は「よくやったね!」といいたい気持ちです。

(3)ついでにいうと、「やってる人の必死さ」が大事で「行政が特定の何かに金をぶち込むべきではない」というのなら、「あの御堂筋のイルミネーション計画についても、府知事のイラスト入り「岩おこし」をあちこちで売りまくって、金を稼いでやってください」といいたくなります。

 そのかわり、そのイルミネーション計画につぎ込む府の予算は、下記の記事に出ている夜間中学校の生徒たちへの補助とか、その他、いろんなマイノリティ支援の施策に使ってほしいです。

http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200807260041.html

 ちなみに、「知事側の出してきた財政再建案が大阪府議会で通った今頃になってさぁ、夜間中学校の生徒さんへの補助打ち切りのことを書くのは、ちょっと、遅すぎるんじゃない? こうした補助を復活させるような補正予算案を組めとか、そういうキャンペーンを貼るのなら別だけど」と、この朝日新聞の記事に対しては言いたいです。

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これからが大事

2008-07-23 18:12:05 | ニュース

http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200807230078.html

このネット配信の新聞記事にもあるとおり、とうとう、就任間もない橋下知事の下で、大阪府の行政当局のとりまとめた予算案が、大阪府議会で可決・成立しました。

この間、橋下知事の財政再建策、特に子どもの教育や福祉、文化施策、人権施策などに関連する施策の大幅見直し(という名の削減、廃止)、府立青少年会館や国際児童文学館などの拠点施設の廃止等の方針について、いろんな人たちが反対の意思表示をして、撤回を求めてきました。しかし、そうした声も一部は反映されたかもしれませんが、大筋では取り入れられることもなく、このまま今回の府議会での予算案の可決・成立という事態を迎えました。

正直なところ、私としては「なんでやねん?」という思いはいまだにぬぐえませんし、「これでほんまにええんか?」という思いも多々あります。「あのパブリック・コメントで集めた大阪府への意見を、府の行政当局はこれからどう受け止めて、どういう形で活用するつもりやねん?」とか、言いたいことはいろいろあります。

ただ、大阪府の財政再建は、これで終わったわけではありません。今回は2008年度の本予算案が可決・成立しただけで、2009年度、2010年度・・・・と、今後も橋下知事の任期が続く限りは、こうした財政再建の歩みは続くことになります。そして、橋下知事がたとえ次の選挙で交代したとしても、次の知事も財政再建の課題を引き継ぐことになれば、やはり、その後も府の財政再建の歩みは続くことになるでしょう。

そういう状況のなかで、今まで大阪府及び大阪市、その他府下の各自治体の子どもの教育・福祉施策、文化施策、人権施策で培ってきたことを、どのようにしてこの財政再建の動向のなかで大事に守りながら、後の世代へと継承していくことができるのか。そのことに、私たちも本腰を入れて取り組まなければいけません。

そのためには、この財政再建策が出てくるに至るまでの大阪府及び府下各自治体の子どもの教育・福祉施策、文化施策、人権施策などに関する歴史的な検証作業。こういった施策の何が後の世代に引き継ぐべき成果で、何は整理してもいいことなのか。それを、私らの立場からきちんと意見として出せるように、準備をしておかなければいけないと思います。これがまず、私らの研究課題の1つであろうと思っています。

と同時に、今年からはじまる財政再建の動向のなかで、そのしわよせがどういった人びとの、どんな生活場面に現れてくるのか。

例えば、大阪府で暮らす子どもとその保護者の暮らしが、このたびの財政再建策の実施によってどう変わってくるのか? 障がいのある人たちの暮らしは? 外国籍の人たちの暮らしは? 被差別の人たちの暮らしは? 高齢者の暮らしは? ホームレスの人たちや生活保護世帯の人たちの暮らしは? 非正規雇用の人たちの暮らしは?

・・・・という風に、この財政再建策の実施によって、今までよりも生活状況が悪化する恐れの人たちの様子を、きちんといろんな人たちで手分けして、継続してフォローし続ける。

また、そのフォローの作業とともに、必要に応じて、その当事者たちいっしょになって、「財政再建の結果、私らの暮らし、こんな風により悪くなってしもたやないか。これ、いったい、どないしてくれるねん?」と、大阪府や府下各自治体行政・議会などに対して、声をあげていく。そんな取り組みも必要になってくるのではないでしょうか。これは研究課題の1つでもあるとともに、今後の大阪府下における社会運動の課題の1つでもあろうと思います。

さらに、この財政再建の動向のなかで生活状況が悪くなる一方という人びとがいたとするならば、その人たちがいろんな人たちと支えあって当面、今の状況をしのいでいけるように、例えば当事者間の相互支援のネットワークを形成するとか、地域社会における人びとの支援体制を整えていくとか、NPO活動を通じた支援を行っていくとか、いろんな取り組みも必要とされると思います。

こうした相互支援ネットワークづくりや、NPO活動などのノウハウの蓄積というのも、大事な研究課題ではないか、と思います。と同時に、これもまた、大阪府下における社会運動の課題の1つであることは、いうまでもないことです。

ですから、大阪府議会で橋下知事・府行政側から提示された財政再建案が、一定の修正の上可決、成立したからといって、この財政再建案に反対してきた人びとは、「ああ、終わった・・・・」などと、ショックに打ちひしがれているヒマはないのです。

このままでいけば、2009年度、2010年度・・・・と、大阪府の行政側は、次々に予算・人員の削減、施設の廃止などの案を打ってきます。その案に対して、私らがどうやって批判精神を研ぎ澄ませ、理屈を練って、反対の意思表示をしていくのか。また、次年度以降も次々に各種施策の削減・施設の廃止などが行われたら、その状況をどう当事者とともにしのぎ、反撃の機会をつくっていくのか。そのために、今までの社会運動の理論や実践論のどういう部分を改め、どういうところから体制を整えていくのか・・・・・。

そういったことを、急いで、本腰を入れて、考えていかなければいけません。また、私らがどれだけ本気か、それが「試されている」ということ。そのくらいの覚悟を持って、今の事態に対処しなければいけないのではないでしょうか。

大阪府の財政再建案が府議会でも承認された今日、大阪市の青少年会館条例の廃止、事業「解体」という事態を迎えて以来の約1年数ヶ月の経験をふまえて、いま私が感じていることは、こんなことです。

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知人から届いた要望書

2008-07-14 15:30:03 | 受験・学校

以下は昨夜、ある知人から届いた文書です。「ブログへの転載OK」ということと、この要望への賛同団体を求めておられるということでしたので、私のブログにも掲載したいと思います。なお、これから賛同団体を他にも募って提出するようなので、当然ながらまだ文書の提出日が決まっていないので、日付は空欄のまま届いています。それから、下記の文章の内容には、私も「同感だ」と言っておきます。

<以下、昨日届いた文書の転載>

2008年 月  日

大阪府知事 橋下 徹 様

(呼びかけ団体)

知的障害者を普通高校へ北河内連絡会

「障がい」のある子どもの教育を考える北摂連絡会

障害者の自立と完全参加をめざす大阪連絡会議(障大連)

高校問題を考える大阪連絡会

「共に学び、共に生きる教育」日本一の大阪に!
「大阪維新プログラム」(案)『教育日本一をめざして』に対する要望書

 これまで多くの府民の要望に応え、大阪府と大阪府教育委員会は、障害のある子もない子も共に学ぶ教育の実現に誠実に取り組まれてきました。

 しかし、今回発表された「大阪維新プログラム」(案)の『教育日本一をめざして』を見て、大阪の障害児・者が地域の学校教育から排除されていくのではないかという大きな危惧を感じています。能力主義の教育が推し進められることによって、障害のある子もない子も地域の学校でいっしょに育ちあう「共に学び、共に生きる教育」が破壊されてしまうのではないかと思うのです。

 「教育日本一をめざした」案からは、これまで学校現場の教職員や、保護者、地域との連携によって、営々と取り組まれてきた障害児教育、同和教育、在日外国人教育等々、大阪の人権教育の思想と実践とどのように関わりあっているのかが全く見えてきません。私たちは「共に学び、共に生きる教育」として結実してきた大阪の人権教育の実践と歴史に自信と誇りを持っています。また、これからの社会や時代を創造するための教育の原点であり、目標となるべきものと考えております。現在、政府が批准に向けて動いている障害者権利条約がうたう「インクルーシヴ教育」を先取りするものでもあり、まさに大阪が日本に誇る、世界に誇る教育ではないでしょうか。

 私たちは、世代から世代に受け渡しながら長年月かけて取り組んできた教育を、性急に否定し、変えようとする手法に反対します。ますます教育格差が生じ、ひっきょう一握りのエリートと、圧倒的多数の「落ちこぼれ」を生み出し、すでに学校現場を覆っている「荒れ」を助長して、教育崩壊が更に進行することになると思います。社会的格差とひずみを拡大し、これまで以上に社会的問題を頻発させることにもつながります。障害児・者が過ごしやすい学校や社会は、誰にとっても学びやすい、暮らしやすい学校であり、社会です。どんなに重い障害があっても排除されず、地域で共に生きられる社会を実現することが大阪府民の願いなのではないでしょうか。

 「大阪維新プログラム」(案)の『教育日本一をめざして』に対して、以下の通り要望いたします。誠実にお答えいただきたくお願い申し上げます。

要望事項

1.大阪が進めてきた教育をどのように評価し、何を引き継ぎ、何を改革しようとするのか、具体的に説明されたい。

2.大阪の教育現場が取り組んできた「共に学び、共に生きる教育」の実践と歴史をどのように評価されているのか、合わせて今後についても明確にされたい。

3.「支援学校」を地域のリソースセンターなどに縮小し、すべての子どもを地域の小・中・高等学校で受け入れるように、根本的な改革を図られたい。

4.「共に学び、共に生きる教育」の更なる具体化と、どんな子どもも排除せず、地域の普通学校・学級で受け入れる教育を推進されたい。またそのために必要な教育条件の整備をこれまで以上に図られたい。

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「ほんまもん」を見分ける、「ほんまもん」になる

2008-07-12 10:34:42 | 学問

ひさびさの更新になります。この間、どのくらいの忙しさだったかは、もうひとつのブログを見ていただければおわかりのとおりかと思います。

さて、今日のタイトルは<「ほんまもん」を見分ける、「ほんまもん」になる>というテーマ。このことを書こうと思ったのは、大阪市内のある地区で識字教室の活動にかかわっている方とのメールでのやりとりがきっかけです。少し長くなりますが、その方とのやりとりで思ったことを書きます。

あの飛鳥会事件発覚から、気づけばもう2年。大阪市の青少年会館事業の「解体」、条例廃止から、もうすぐ1年半になろうとしています。この間、まずは条例廃止反対の動きがあり、その後、事業「解体」が本決まりになってからは、市内12ヶ所の青少年会館所在の各地区で、地元住民や保護者たち、地元の若者たちなどが中心になって、「自主サークル」等のかたちで、市民利用施設になった旧会館をつかって、子どもに関する諸活動が営まれてきました。また、事業があった時代から引き続いて、識字教室の活動を含め、おとなたちの学習・文化活動やスポーツ活動が、旧会館の施設を使って営まれています。

正直なところ今もなお、私としては、「なんだかんだといいつつ、地元からこれだけ今もなお利用している人たちがいるのに、なぜ青少年会館事業解体だったのか? なぜ条例廃止だったのか? そういうことをとらなくても、公設民営方式など、別の枠組みで運営する方法もあったのでは?」という言いたい思いがあります。特に、地元の小中学生や高校生が何かあったときに「ふらっと立ち寄って、相談をしたり、学習・文化活動面でのサポートを受けたりすることのできる公的機関」の不在というもの、これは早急になんとかしてほしい、という願いがあります。

ですが、そういうことを訴えていくにも、その前提として、地元の人々の旧会館利用が多様な形であってのこと。また、地元から「もっと、こういう形で旧会館が利用できたら」「もっと、旧会館をつかって、こういう活動をやってくれたら」という希望があってのこと。ですから、私としては、今はまず、市民利用施設として位置づいている旧青少年会館を、積極的に地元住民や保護者、若者などが使いこなすのを、こちらとしては側面から支援していくという、そのことにまずはエネルギーを注ごうと思っています。

と同時に、青少年会館の事業解体や条例廃止という事態を迎えても、「それでもなお、地元の子どもや若者、その活動を必要としている人々のために、なにかやりたい」という願いを持って、旧会館での諸活動にかかわろうとした人が、どのくらいいるのか。きっと、そういう条件の悪いなかでも、「これだけは大事に守りたい、続けたい」という願いって、ほんとうに深いものだと思うんですよね。

たとえば、大阪府や大阪市などの行政施策の縮小や廃止などによって、活動の条件がどんどん悪くなっていく中でも、「それでも、私たちにはこうした活動が必要なんだ」と思い、子ども会づくり、中学生や高校生の居場所づくり、識字教室の活動、和太鼓その他の文化活動・スポーツ活動などに取り組む。そういう人々の思いって、やっぱり、「ほんまもん」だと思うんですよね。たとえ条件が悪い、悪くなる一方の状況のなかでも、人間として、あるいは同じ地域に暮らす仲間として、「こういう活動に取り組むことで、大事な何かを守り育てたい」と願っている。その思いが「ほんまもん」なんですよね。

逆にいうと、今、どういう形であれ、旧青少年会館での諸活動にかかわりながら、その「ほんまもん」の思いをお互いに共有しようとしている人たちとか、あるいは、小さくとも他の人たちとかかわりながらその「ほんまもん」の思いを育てようとしている人たちというのは、なにが「うそっぱち」で「まがいもの」なのかも、よくわかるようになってくるんじゃないでしょうか。

たとえば、今まで自分たちの仲間だと思ってきたような人権教育の研究者・活動家だとか、人権問題に関する運動体の関係者であっても、机の上で「きれいごと」だけ言っているような人と、自分も「ほんまもん」になろうと、今、泥まみれになって大阪市内の各地区の人々と交流し、旧青少年会館での保護者や地元住民、若者たちの間に入っていこうとしている人とのちがい。こういったところで、研究者や活動家、運動体関係者がどのくらい「ほんまもん」なのか。地元で苦労している人たちの側の感性が磨かれてきて、何が「ほんまもん」なのか、鋭く見抜く力が育ってきているのではないでしょうか。

あるいは、人権教育や人権問題に関する諸活動のなかで「エンパワメント」なる言葉が今、はやっています。特にもの書きの世界で暮らしていて、自分の身を安全地帯におきながらこの言葉を発するのは、とても簡単です。

だけど、旧青少年会館でさまざまな取り組みを始めている保護者や地元住民、若者たちにとっては、「自分らとしんどさを共有し、共に悩み、共に動いてくれる人」の存在を感じ取れるような、そんな営みに触れることこそ「ほんまもん」の「エンパワメント」なのではないでしょうか。また旧青少年会館で一生懸命活動している人たちが、お互いに励ましあい、支えあっていけるような「ほんまもん」の人たち・「ほんまもん」の営みに出会える機会を、できるところから地道につくっていくことこそ、「ほんまもん」の「エンパワメント」ではないのでしょうか。そして、こういう「ほんまもん」の「エンパワメント」を、今、私たちなりにできるところから追求していくことのなかで、運動体の再建も、人権教育論や人権問題に関する諸活動の実践論も、今まで以上にレベルアップしていくのではないでしょうか。

ついでにいうと、ソーシャルワーク論の世界では、「エンパワメント」という概念は、アメリカ社会で貧困や被抑圧・被差別の立場にある人々の生活をサポートする実践のなかで生まれてきたとされます。また、その置かれている社会的な環境のなかで減退したパワーを、被差別や貧困といった課題に悩む当事者が取り戻し、さらに力をつけていく。そのプロセスに支援者が適切にかかわっていくこと。そういう意味が、「エンパワメント」という言葉にはこめられています。そして「エンパワメント」という言葉には、、必要に応じて、当事者が支援者とともに、その社会構造の変革に向けて共に立ち上がっていくという、ソーシャルアクションの営みも含まれているのではないでしょうか。

だから私は、今、遅々として進まなかったり、いざこざがあったり、悩んだり迷ったりしているかもしれないけど、旧青少年会館を使って、地元の子ども・若者たちのために何か活動を始めようとする人々や、あるいは、自分たちのために何か活動しようとする人たちの「変わりうる可能性」を信じます。また、日々の旧青少年会館での活動のなかで、みなさんが「ほんまもん」を見分ける感性を研ぎ澄ませていく、その可能性も信じます。そして、旧青少年会館で活動中の人々とかかわるなかで、私自身が「ほんまもん」になる、その可能性にかけてみたいという思っています。それがきっと、大阪市内の社会教育・生涯学習の領域や、あるいは、青少年活動の領域での、「ほんまもん」の「エンパワメント」の実践につながるんではないかな、と思うからです。

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