できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学人文学部・住友剛のブログ。
関西圏に関することを中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

取り組みの方向性がちがっているのでは?

2010-02-19 20:38:43 | ニュース

http://mainichi.jp/kansai/news/20100218ddf041010007000c.html

(毎日新聞のネット配信記事・2010年2月18日付け、「大阪市:生活保護費急増、一因に市外転入者 支給適正化、就労支援16億円計上」から)

今日はこの記事の内容から。とはいえ、全体的な論調というよりも、ただ一点、この記事の中にある次の文章のところへの疑問というか、「取り組みの方向性がちがうのではないか?」という違和感からのコメントです。

(以下、青字部分は新聞記事からの引用)

「貧困の世代間連鎖を断ち切る」との目的で、モデル地区に指定した受給世帯の中・高校生を対象に、進学指導や生活全般のアドバイスをする社会福祉士の配置も始める。

「あの~、それって本来、社会福祉士の仕事ではなくて、中学校や高校の生徒指導や進路指導の担当教員の仕事ではないのでしょうか?」とか、「こういった仕事こそ、かつて、青少年会館に配置されていた社会教育主事や指導員のみなさんが担ってきたのではないのでしょうか?」というのが、私の率直な疑問であり、この施策に対する違和感です。

それこそ、「こういうことに取り組むのだったら、今こそ青館を復活させて、同和地区だけでなく、中学校区くらいを単位に、貧困世帯の多い大阪市内の各地区すべてに建設してみたらどうか?」とか、「そこには、社会福祉畑から出向した職員と、社会教育や青少年育成に長けた職員、さらには学校教育や保育から出向した職員とが常駐して、子育て支援や児童福祉、教育などが一体となった子ども家庭支援活動を展開したらどうなのか?」とか、そんなことも思ってしまいますね。

たしかに、『子どもの貧困白書』(明石書店、2009年)や岩川直樹・伊田広行編『貧困と学力』(明石書店、2007年)には、東京都江戸川区で福祉事務所勤務の生活保護担当のケースワーカーが中学3年生を対象に行った学習会の事例が出てきます。

また、生活保護世帯などの子どもの支援には、社会福祉・社会保障と教育との連携が必要であることは、私自身もこれまで主張してきたことであり、そのこと自体についての異論はまったくありません。

しかし、だからといって、こういった生活保護世帯などの子どもに見られる教育・学習や文化活動面での諸課題への対応まで、すべて社会福祉士が担うとか、福祉事務所勤務のケースワーカーが担うとなると、また話がちがいます。「子どもの学力形成や進路形成への支援に取り組む前に、もっとほかに、社会福祉士が担うべき仕事があるだろう」と思うのです。

さらに、「貧困の世代間連鎖を断ち切る」ということを真剣に考えるのであれば、子どもが中学校・高校卒業後に進学機会を得ることだけでなく、「就労」にまで視野に入れた取り組みが必要になります。その「就労」の部分での支援については、本人の努力だけでなく、雇用先の側が積極的にこうした生活保護世帯の子どもを受け入れ、支えていこうとする努力が必要とされるはずです。

また、「進学」ということについても、たんに受験「学力」の形成や、それに向けての学習習慣の形成面での支援だけでは不十分でしょう。それこそ、大学等への進学時の学費の問題、在学中の生活保障面での問題にまで目を向けないといけないはずです。そういった個人の教育費や生活費の負担軽減策が政策的に準備され、さまざまなオプションが整っていないと、いくら社会福祉士が投入されても、その人も、本人や家族に「がんばれ」というしか手がないのではないかと思います。

やはり、本気で「貧困の世代間連鎖を断ち切る」ということをいうのであれば、抜本的に教育・福祉連携のあり方(さらには就労や社会保障まで視野に入れた連携のあり方)を見直し、自治体レベルでの子どもや若者の生活支援に関する行政システムの整備をしなければいけないのではないでしょうか。

いまこそ、そういう議論を大阪市あたりから巻き起こしていくチャンスだと思うのですが・・・・。少なくとも、今起きている現象への対応をとりつつも、将来的には「こんな制度的な保障がないといけない」ということを国にも、市民社会にも言い続けていく。そんなスタンスが大阪市の行政には必要な気がするのですが。

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新自由主義的改革の実験場?

2010-02-17 20:28:02 | ニュース

ひさびさにケータイからの投稿です。誤字や改行の乱れなどは、あとで直します。

さて、今朝の新聞各紙によりますと、昨日は大阪府の次年度当初予算案が発表されたとか。また、来年度から大阪府では、低所得世帯対象の私立高校授業料への補助を導入して、実質無償化に近づけるとか。

基本的には好ましいように一見思われるこの施策ですが、一皮剥けば「学校教育に競争原理を導入し、人気薄の学校を淘汰したい」という、府知事サイドの思惑がチラホラ見え隠れしているもの。

要するに、いわゆる「教育バウチャー制度」をこんな形で高校教育に導入することで、一方で低所得世帯に配慮したというポーズを見せつつ、実質的には学校教育、特に高校教育のリストラ及び競争原理による秩序維持をはかりたいだけのように思われるのです。

よく考えてほしいのですが、確か以前、高校生たちが私立高校への補助金増額などを求めて府知事のところへ行ったとき、彼はその高校生たちに、経済的に苦しいなら努力して公立を受験しろという、そんな趣旨の発言をしたとか。何事においても、自助努力に競争、自己責任が大好きなのでしょう、府知事は。(なお、この発言については、明石書店から2009年に出版された『子どもの貧困白書』P.98~99掲載の、「笑顔ではなく泣き顔をくれた橋下知事 公立高校に行けなかったのは自己責任ですか?」を参照。)

そこから思うに、自己責任・自助努力・競争にこだわる府知事が、何も裏なしに、私立高校生への授業料補助を拡大するはずがないことは、すぐにわかりますよね。

ついでにいうと、学力テストの結果公開と、テストの結果に応じて各学校への予算配分を変えるというのは、まさに「成果主義的」。これもおそらく、大阪府内でやろうとしてる教育改革の流れのはず。

個人的には「こんなプランでほんとに大阪府の教育なんてよくなるのか?」と思うのですが・・・。

少なくとも、これだけ競争中心、成果主義的な発想で学校運営を考えたら、競争になじまない、成果をあげにくい層の子どものニーズは、学校からはじかれるでしょうね。

しかし、いわゆる「新自由主義的な教育改革の実験場」のように、次々にいろんなプランが試されようとしてるのが、今の大阪府内の状態のように思われます。

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そろそろ、はじめてみたいことがある。

2010-02-11 23:54:02 | 受験・学校

今から書くことは、かなりまだ漠然としたことではありますが、研究面及び社会的活動面で「そろそろ、はじめてみたい」と思っていたことです。

まだ今後、これをどのように具体的にすすめるかについては、このブログで思っていることをいろいろと書き綴ってみたり、個人的にいろんな方と話をして考えていきたいと思います。また、自分の体調や本業との兼ね合いを考えると、どこまでできるか自信が持てないところもかなりあります。

ですが、今の関西圏での子どもや若者を取り巻く社会情勢を私なりに見ていると、「このままでいいのか?」と思うことがいくつかあるので、こんなことを考えたような次第です。

で、「何をはじめてみたいと考えたのか?」ということですが、今までの子どもの人権論や人権教育、部落解放教育、同和教育などに関する議論の「整理」です。なお、ここでいう「整理」の対象には、学校教育に関する議論だけでなく、学校外の教育や保育・児童福祉の領域での議論もあると思ってください。

あえて露骨な言い方をすれば、今の社会情勢を前にして、きちんと「子どもや若者の最善の利益」を追求していけるように、子どもの人権論や人権教育、部落解放教育、同和教育などの既存の議論を「練り直す」ということ。その作業を抜きにしては、もはや今の社会情勢に、私たちは太刀打ちできないのではないか・・・・という、そんな危機感が私にはあるのです。

そういう危機感を抱き始めたきっかけにあるのは、当然ですが、2006年夏から2007年春に至る間の、大阪市の青少年会館条例廃止をめぐる諸問題。また、それから3年間の、もと青少年会館を使って活動中の大阪市内各地区の人たちとの交流の経験。そして、大阪府内の青少年会館関係者との交流の経験です。

はっきり言いますが、まだ雑誌『部落解放』のほうは、「解放子ども会の挑戦」(2008年8月号)なる特集を組んだこともあるように、各地区での子ども会活動などの地道な取り組みに目を向けてくれているような印象があります。しかし、雑誌『解放教育』がこの3年間、別に大阪に限定はしませんが、たとえば全国各地の子ども会活動などに、どれだけ目を向けてくれたのでしょうか? どうも私の目には、この3年くらいの雑誌『解放教育』の内容から、学校外の諸活動が「消えた」印象がぬぐえません。

あるいは、子どもの人権論の立場であれこれ研究をすすめたり、情報発信をしている人々のなかで、大阪市内や府内で青少年会館事業が廃止あるいは縮小されようとするときに、「子どもの最善の利益」の実現という観点から、「それって、おかしいのではないか?」と、どれだけの人が声をあげてくれたのでしょうか?

これは私の知る限りでしかありませんが、あのとき、何か声をあげたり、何か動いていたのは、子どもの人権論関係では、私の身近にいるような、ごくわずかな人たちだけだったように思います。そこにはもちろん、私らの情報発信の仕方のまずさがあって、ほんとうであれば仲間になってくれそうな人たちに情報が伝えられなかったという、そんな反省もあります。と同時に、子どもの人権論の関係者の側にも、「あのとき、あなたたちのアンテナの感度はどうだったのか?」という思いも抱くのです。

そして、大阪市内でも府内でも、次々に行財政改革がすすめられ、子どもや若者が利用できる施設が廃止・縮小されたり、子どもや若者の生活を支えるための諸施策もどんどん整理・縮小されていくような状況のなかで、理論・施策・実践のいろんな面で、私たちが何をその状況への「対抗軸」として打ち出し、具体的な「抵抗」の形を創り出していくのか。

また、その「抵抗」の形を創出したり、「対抗軸」を示していくのにあたって、既存の子どもの人権論や人権教育、部落解放教育、同和教育などに関する議論や研究の何が役にたって、何が役に立たないのか。私たちには何が「使える」材料として手元にあって、何が「足りない」のか、等々。そういったことを、もうそろそろ、きちんと整理して、具体的に論じていく必要があると思うのです。

シニカルにこれまでの部落解放教育や同和教育、あるいは子どもの人権などに関する議論をとらえ、突き放した見方をするのでもなく、さりとて、「大阪の人権教育ってすごいんや」と仲間内でほめあうような見方でもない。あくまでも、「私たちが今のこの社会情勢のなかで、きちんと対抗軸や抵抗の動きを創出するために、子どもの人権論や人権教育、部落解放教育、同和教育に関するこれまでの議論のなかには、何が十分にあって、何が足りないのか?」を見極めていく。そんな作業をしたいのです。

「この社会情勢のなかにすきまを見つけたり、何かくさびをうちこんで、子どもや若者が暮らしやすい環境を整えていく方向で、何かを少しずつでも変えていく。そんなことに取り組んでいくためには、自分たちにできることを、できる人が、できるかたちで、少しずつはじめていくしかない。」

そのことを、あらためて痛感するがゆえに、「今までどおりの研究のあり方で、ほんとうにいいのだろうか?」と思って、こんなことをはじめてみたいと考えた次第です。

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