できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

困ったときのいつもの手口では??

2012-06-25 20:36:20 | いま・むかし
結局、あれですね。いつもの「手口」ではないかと思います。
橋下市長サイドとしては、自分たちへの支持が動員できなくなるとか、世論の風当たりが自分たちに批判的になってくると、何かの話題を見つけて、世の中に根強く残る偏見や差別意識などをマスメディアを通じてあおって、そこで対立構造つくってすり抜けようとするのではないかと。もちろん、こういう手口が可能になるのは、彼らがこのような情報発信をすれば、マスメディアがすぐに中身への批判もなく飛びつくとか、あるいは、そのマスメディアの報道を見てすぐに対立構造にのりかかって橋下市長サイドを支持してしまうような、そのような市民側の意識のあり方にも問題があるわけですが。また、市民交流センターがいま、どのような状況にあるのか、情報発信が今一つであるということも、このような意識のありようを成り立たせてしまっている背景要因にあると思います。
 
ちなみに、私の知る限りのことを言えば、この数年の市民交流センターへの移行のプロセスで、地元外の人たちの施設利用の状況は伸びつつあるはず。土日や休日、夜間などで場所とりを市民交流センターでやろうとしたら、けっこう苦労することもあります。特に交通機関の利用がしやすいところに立地する市民交流センターだったら、早めに場所をおさえないと土日や休日、なかなか予約がとれない。・・・・というようなことが言えるのも、地元外からよく研究会などで市民交流センターを私が利用しているから。 来月1日も自分たちの学習会である館を使う予定ですしね。
ついでにいうと、市民交流センター以外にもたとえば生涯学習センター・市民学習センターとか、クレオ大阪とか区民センター、いろんな社会教育・生涯学習施 設や市民利用施設の「廃止」や「民間委託」方針が、例の「市政改革プラン(素案)」で出ていたはずです。たとえ市民交流センターを全廃して他の施設が残ったとしても、その残った他の施設が今度は土日や休日、満杯になって、使い勝手が悪くなるのは目に見えてるのですが。だから、本当に市民の利用する施設を大事に考えるなら、「市民交流センター全廃」ということが何をもたらすのかまで視野に入れて、反対の意見表明をしていかなければいけませんね。
そして、だいたい「市民交流センター」を設置した時点でさ、かつての解放運動の拠点という位置づけはもう「終わってる」わけではなかったのですか、大阪市の施策としては?あるいは、その前身の「人権文化センター」のころでもそういえるのだろうけど。そういう歴史的な経過を知らないのか、不勉強だなぁ、といわれ てもしょうがないと思うのです、この市長のコメント。きっとおそらく、今日の夕方のテレビ番組などで、識字・日本語教室を含む市民交流センターの「廃止」方針に「最低だ」とかいうコメントが出たことにたいして、こんな形で反撃しようと試みているのでしょうけどね、市長サイドは。それにしても、手口があいかわらず「下品」です。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/120625/waf12062512430006-n1.htm

(別のところで書いたものを転載しているので、文字サイズなどが通常と異なっています。申し訳ありません)


子ども支援学研究会で報告しました。

2012-06-25 19:21:12 | いま・むかし

この間、本業がほんとうに忙しくて、なかなかブログの更新にまで手が回りませんでした。

その間にも、大阪では市政改革プラン(素案)に集められた2万数千件のパブリック・コメント、しかも「こういう改革案はおかしい」とか「撤回しろ」という意見ばかりのパブリック・コメントに対して、橋下市長が「統計学的に意味なし」みたいな、「その発言のほうが意味ないだろ?」というしかないコメントを出したとか。あるいは、大阪市の職員の政治的な活動を規制するための新たな条例案をつくろうとしているとか。まったくもって、「どっち向いて改革しているの?」というしかないような、そんな状況が展開しつつあります。

その一方で、今夜も中之島公会堂で公務員労組攻撃に対して抗議の意思表明をする大規模な集会が行われていると聞きます。あるいは来月には、学校選択制のあり方を問う熟議イベントを、保護者を中心として市民レベルで企画しているとも聞いています。さらに、先ほどツイッターを見ていたら、夕方のニュース番組などで、大阪市の市民交流センター及びそこでの識字教室・日本語教室事業の廃止に関する報道があって、コメンテーターが「これはおかしい、最低だ」と言ったという情報もこちらに伝わってきています。こういうことから、私はいよいよ、橋下改革、特に子ども施策や教育改革、あるいは人権や文化、生涯学習、福祉などに関する改革の内実が表に現れてきて、ごまかしようのないところまで来たのではないか、と感じています。ここらでさらにいっそう、橋下市長や大阪維新の会などのくりだす諸改革の内実について、「ごまかしようのない姿」を、いろんな立場からあらわにする作業が必要ではないかと思います。

そんななか、先週の土曜日(6月23日)の午後、大阪市内で開かれた子ども支援学研究会に呼ばれて、この数年の大阪市・大阪府の子ども施策の動向について話をする機会を得ました。私としては、このブログを立ち上げた2006年秋から今までの約6年弱の間、大阪府・大阪市がどのように教育改革や子ども施策の改革を進めてきたのかについて、年表風にまとめたものを出して報告をしました。今後、この報告内容をどうにかこうにかして、活字に載せることができるように(年表をそのまま載せるかどうかは別として)作業を進めようと思っています。
そのようなわけで、あまりここで詳しいことは書きませんが、報告の要点や報告後思いついたことをまとめてみれば、だいたい、次のとおりです。「こんな教育改革や子ども施策が今後も大阪では続く見込みですけど、それでも、橋下市長や大阪維新の会、支持できますか???」と私などは思いますし、「府知事時代の彼らの動きを見れば、去年の秋の市長・府知事のダブル選挙の前から、彼らが子ども施策や教育改革においてはこんなことしかしないだろうということは、おおよそ、予想できたと思うんですけど・・・?」と私は言いたいです。

  1. 子ども施策についていえば、とりわけ子どもの利用する施設(国際児童文学館や府立青少年会館、あるいは大阪市の青少年会館や児童館、トモノス)の廃止や、金額的にはわずかだけど府・市の持ち出しでやっているさまざまな事業を打ち切るところから、大阪府・大阪市のここ数年の改革が始まっているということ。
  2. しかもその府・市の持ち出しでやっている事業のなかには、子どもを含む生活困難な課題のある人々を支えるためにやっているような事業が多いこと(たとえば夜間中学への補助金とか、渡日生徒支援の事業とか、あるいは、大阪市の子どもの家事業とか、識字教室・日本語教室の事業とか。さらにはこども相談センターのサテライト=かつてのほっとスペース事業なども・・・・)
  3. そういう事業を打ち切り、施設を統廃合したあとに来るのは、より一層の「能力主義・競争主義」的な教育改革。たとえば「学力向上」に向けての「統一テストの結果の公開」であるとか、「学校選択制の導入」であるとか「府立高校の学区撤廃」であるとか。要するに、子どもや家庭の生活の下支えや、学校への手厚い支援などなしに、「競争をてこにして、もっと学校現場と家庭ががんばれとムチを打つ」だけの改革提案しかない、ということ。
  4. おそらく教育行政基本条例も学校活性化条例(大阪市)・学校基本条例(大阪府)も、職員基本条例も、そしていったんは撤回された「家庭教育支援条例案」も、美しい文言はいっぱいちりばめたとしても、こうした構造を強化し、そのなかで「もっと学校現場と家庭ががんばれ」とムチを打つことをますます加速させる効果を発揮するのではないか、と思われてならないということ。

公教育計画学会第4回大会のご案内

2012-06-12 09:21:32 | アート・文化

http://koukyouiku.la.coocan.jp/

今日は公教育計画学会第4回大会のご案内をさせていただきます。

今週末、16日(土)・17日(日)の2日間、関西大学百周年記念会館を会場にして、公教育計画学会第4回大会が開催されます。詳細は上記の学会ホームページをご覧ください。また、上記のホームページから大会プログラムのPDFファイルを見ることもできます。

今回の公教育計画学会、1日目の特別ラウンドテーブルでは「『大阪維新の会』の教育政策を検討する」、2日目の公開シンポジウムでは「2010年代の教育計画と学校経営・学校財政」がテーマになっています。また、2日目の自由研究発表の分科会では、新自由主義的な教育改革の動向やインクルーシブ教育などがテーマになった発表が行われます。

急な告知で大変申し訳ありません。ご参加、よろしくお願いします。


パブリック・コメントの圧倒的大多数がNOと言った大阪市の市政改革プラン素案

2012-06-10 11:25:33 | ニュース

http://www.city.osaka.lg.jp/shiseikaikakushitsu/page/0000171805.html

大阪市の「市政改革プラン(素案)」に対するパブリック・コメントの集計結果が出たようです。上記のところでその概要を見ることができます。(下記の表も参照してください。上記の集計結果のPDFファイルにある表です)

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28399通の意見のうち、この素案に何らかの形で反対という立場で意見を寄せているものが、26763通。もう、パブリック・コメントを寄せた人たちの圧倒的大多数が、この素案に「反対」の意思を表明したといってよいでしょう。少なくとも、パブリック・コメントを寄せた人からは「総スカン」を食っている、誰も評価していないのが、この素案だといってよいでしょう。

今回はとりわけ、パブリック・コメント受付の方法のひどさ、たとえば受付期間の短さ、ネット上で素案をアップして「見ろ」というような対応、障害のある方々への告知のしかたなどの問題があったわけですし、大阪市議会からも意見募集の方法に苦言が呈されていたはずです。そんななかでも、いろんな立場から、この素案に対してこれだけの「反対」意見が集まったということ。そのことは、いかにこの素案がひどい内容であったか示していると思います。

なお、橋下市長は特に反対の声が大きかった「子どもの家事業」の件について、次のとおり、自分たちの素案での提案内容は、子どもの家事業を廃止するというのではなくて、施策を留守家庭児童対策事業に一本化するものだと釈明しています。

http://www.city.osaka.lg.jp/kodomo/page/0000171636.html

しかしながら、その留守家庭児童対策事業への一本化で、従来行ってきた子どもの家事業の「よさ」がなくなってしまったり、子どもの家を営んでいる各団体の存続が危ぶまれるとか、そういう危険性については、市長サイドは全く考慮していません。要はどれだけ批判や反対の声があろうとも、今後も自分たちにとって都合のいい形で「施策の選択と集中」をやりたいだけ、そういう文章にしか、これは読めません。

もしも本当に「子どもの家をなくすつもりがない」と思っているのであれば、まずは素案でのこの部分は撤回すべきでしょう。また、どうしても「施策の選択と集中」をやりたいのであれば、留守家庭児童対策事業での学童保育や子どもの家などへの補助、支援の水準自体を向上させ、従来どおりの取り組みが継続できるようにするべきでしょう。そういうことが今のところ、市長サイドからの動きに見られない以上は、どのような言い訳をしても、やはり最終的に「なくなってもいい」と思ってこの素案のような提案をしたのだと言われても仕方がありません。今後も引き続き、批判や反対の声が寄せられても、しかたがないのではありませんか。

http://www.ourplanet-tv.org/?q=node%2F1372

それこそ、大阪市の子どもの家事業がどのようなことにとりくんできたのか。そのことは、上記の動画を見れば一目瞭然です。学童保育とはかなり趣旨の異なる取組をしています。それをこの素案では無理やり、子どもの家ををつぶすつもりはないとかいいながら、一本化しようとしているわけです。もしもこの素案のとおりの改革を実施することによって、既存の子どもの家が存続できないかもしれないとしたら、やっぱり、この素案自体がおかしいのではないですか。

もっとも、私が容認しうる留守家庭児童対策事業への子どもの家事業の統合の形が、ひとつだけあります。それはなにか。大阪市内のすべての学童保育(=留守家庭児童対策の取り組み)を、子どもの家にしてしまうこと。具体的にいうと、今ある子どもの家の取り組みにならって、どの学童保育においても、何らかの事情で子育て困難な状況にある家庭への支援を行ったり、さまざまな悩みを抱えている子どもたちの「かけこみ寺」的機能を持つことができるように、職員の増員等が可能となるよう補助金を大幅に増額すること。このような統合の形であれば、私は容認します。

でも、今の橋下市長には、そういう発想はないんでしょうね。

経費を削る方向での施策の「選択と集中」はあっても、今後の子どもの権利保障や、自治体としての子ども施策をより強力に実施するための「選択と集中」という発想は、今の大阪市政を動かしている人々のアタマの中にはないようです。

あと、フェイスブック上で、次のような記事を見つけました。

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この記事について思うことは、「子どもが笑う」といって当選した当時の橋下知事が、就任後、たとえば国際児童文学館を中央図書館に統合してなくすとか、子ども施策関連の予算をいくつか切ってきたとか、そういうことをマスメディアはちゃんと伝えてきたのか、ということ。そのことをきちんと伝えてきたのであれば、きっと彼が大阪市長になったとき、どんなことから手始めにやるのか、それも選挙前に伝えられたのではないか、ということ。そういう大阪の政治情勢に対して、これまでのマスメディアとしての取り組みがどうだったかという反省が今、必要とされているのではないか、ということです。

「子どもの家」に関してこのような記事が出ることはたへんありがたいことですが、と同時に、「今までなんでこういうことを取り上げなかったの?」という思いが、マスメディアに対してはぬぐえません。実際、いろんな批判などにもめげずに、がんばって橋下府政(当時)や橋下市政(いま)の子ども施策などに関する諸問題を取り上げてきたマスメディア関係者もいるわけですからね。


悲しい出来事に向き合う知的な誠実さが、いま大事なのでは?

2012-06-02 10:54:20 | いま・むかし

下記の新聞のネット配信記事にもあるように、例の大阪市の市政改革プラン素案へのパブリックコメント、1万9千件以上の意見・要望などが来たようですね。しかもその大半がこの素案の中身に反対、あるいは現状維持を求めるものだとか。

いかにこの数か月の大阪市政が、市長選挙の投票結果に反映された「民意」「だけ」は尊重していても、それ以外の「民意」を無視してきたかがわかりますね。

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120601-OYT1T00157.htm

さて、話は変わりますが。今年の1月に行われた教育基本条例制定反対の集会でお目にかかった前田佐知子さん(宇宙科学研究者、元京都女子大学教授)から、下記2つのブログ記事をご紹介いただきました。こちらであらためて、紹介させていただきます。

http://peacephilosophy.blogspot.ca/2012/05/part-ii.html

http://peacephilosophy.blogspot.ca/2011/09/blog-post_16.html

どちらも、沖縄・八重山地区の教科書採択をめぐる諸問題について書かれたものです。(前田さん、2つの記事、ご紹介いただきありがとうございました。)

ここにある教科書採択の動きは、今後、大阪市内でも起きてくるかもしれない問題です。また、すでに東大阪市では、下記の新聞のネット配信記事にあるように、育鵬社の中学校公民教科書が採択されています。

http://sankei.jp.msn.com/life/news/110727/edc11072716000004-n1.htm

人権博物館やピースおおさかの展示などへの橋下市長らの批判、補助金カット、あるいは新しい博物館建設の動きなどにもみられるように、これまでの日本近現代史の事実認識や人権理解などに対する攻撃が、この大阪でも強まってきています。

そういう動きはもしかしたら、政府の動きに対して「もの言わぬ国民」をもっと増やしたい、政府が国民に対してどんな理不尽な改革を行っても「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍ぶ」ことを求めたい、そういう発想から生まれてきているのではないか。

あるいは、過去の自分達の失敗、過ちを隠蔽し、いかにも自分たちが常に正しいことだけをしてきたかのように装いたい。そういう発想から芽生えてきているのではないのか。

そんなことを、前田さんの書かれたものを読んで、大阪のここ最近の様子と関連づけて、私は思いました。

そういえば、「過去の自分達の失敗を隠蔽し」ということでいえば、多くの子どもの事故・事件発生に際しての学校・教育行政の対応にもあてはまること。今日・あすと神戸で全国学校事故・事件を語る会の大集会(全国集会)があって、今年もまた私は出席します(詳しくは下記参照)。

http://tsuyokun.blog.ocn.ne.jp/gakkoujikojiken/2012/05/post_e0a2.html

起きてしまった悲しい事件・事故、不幸な出来事に対して、いかにその事実に誠実に向き合い、きちんとした検証を行って、被害を受けた方への補償や今後の再発防止などに全力を挙げていくのか。

また、起きてしまった悲しい事件・事故や不幸な出来事を「隠す」「なかったことにする」のではなくて、その事実を認めたうえで「次」をどうつくるのか。

こういった形での「知的な誠実さ」が今、さまざまな分野で求められているのではないか。

私はこの頃、そのように感じています。そして当然ですが、このことは去年の東京電力福島第一原発の事故に関しても、東日本大震災に関しても言えることだと思うのですが。