できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

アクセスありがとうございます。

2011-10-29 17:58:30 | 受験・学校

昨日、今日と、このブログにはたくさんの方がアクセスしてくださっています。

特に先週土曜日に行われた「異議あり!「大阪府教育基本条例案」100人委員会のシンポジウム」という題名での記事、ここにアクセスが集中しています。

それには理由があって、ツイッターである方にご教示していただいてわかったのですが、どうやら大阪府内のある教職員組合の方のあいだで、このブログの記事についての情報が流されたのだとか。(ちなみに、教職員組合=日教組というご理解の方、それはまちがいです。教職員組合といっても、大きいところでは日教組、全教ですが、それ以外に小さな組合がいくつかあるのです。)

また、ツイッター上でも、ブログのこの記事について、リツイートという形で、いろんな方にこの記事を見るよう伝える動きが起こっています。

ほんとうにありがたいことだな・・・・と思います。この場をお借りして、ひとことお礼申し上げます。


何かおかしい気がするのだが、なぜだろう?

2011-10-24 21:43:59 | ニュース

昨日の夕方から続いていたブログの不具合(というか、OCNのホームページにログインできない状態)がようやく解消され、ブログも復旧しました。そこでひとつ、今日も何か書いておこうと思います。

今日、まずは指摘しておきたいのは、下記の記事に関してです。

http://mainichi.jp/select/seiji/news/20111024k0000e010064000c.html (生活保護家庭:貧困連鎖防止へ学習支援 来年度から補助金:毎日新聞のネット配信記事、2011年10月24日)

この記事によりますと、厚生労働省が生活保護世帯の子どもの学習支援活動に対して、次年度から自治体による取り組みなどに対する補助金を増額するそうです。まずは、そのこと自体に対しては、率直に「よかったね」というしかないかな、と私も思うのです。ですが・・・・。

ですが、ここでひっかかるんですよね。

そもそも、これ、厚生労働省が行うべき事業なんですかね? 文部科学省(文科省)が学校外の学習活動支援として取り組んでもよさそうな気がするんですが・・・・。

また、文部科学省として、生活困難な状況にある家庭の子どもたちの学習活動をどう支援しようと考えているのか、あまりそこが見えてこないのですが・・・・。

というのも、今日、たまたま授業準備を兼ねて、国際人権法政策研究所編『註釈・子どもの権利条約28条:教育についての権利』(現代人文社、2007年)を読んでいました。この本は、ベルギー人の子どもの人権論の研究者、ミーク・ベルバイドさんのまとめた子どもの権利条約28条に関する解説をもとに、国際人権法政策研究所のみなさんの補足説明、事例研究などを載せたものです。

それで、この本を読んでいると、たとえば義務教育の無償制に関する各国政府の積極的義務のなかには、「交通手段や栄養補給のような、通学を促進するための代替的戦略」(p.36)をとる必要があることが指摘されています。また、各国政府が担う無償の初等教育を提供する義務のなかには、「少なくとも貧困家庭の子どもに対して制服・教科書購入費用を援助する義務も含まれる」とか、「親からの強制的徴収や、相対的に高価な制服の着用義務のようなその他の直接的・間接的費用も、撤廃されなければならない」といった指摘もあります(p.32)。

さらには、日本政府が国際人権規約のうちいわゆる「社会権規約」において、第13条「教育への権利」の2項(b)(c)に留保をつけていること。つまり、さまざまな形態の中等教育や高等教育に対する「無償教育の漸進的な導入」によって、教育の機会均等実現に向けての措置を実施することに対して、日本政府が留保をつけていること。このことにたいして、『註釈・子どもの権利条約28条:教育についての権利』では、さまざまな形で批判が行われています。

このようなことを知ると、厚生労働省が生活保護世帯の子どもの学習支援に取り組む自治体に対して補助金を拡大することは、一見「好ましい」ことのように見えるのですが、「その前に、子どもの権利保障の観点に立って、そもそも文部科学省において、貧困世帯の子どもの就学・進学を困難にしている教育環境、特に学校教育にお金がかかる構造をなんとか改善すべきではないのか?」と言いたくなってしまいます。

なお、文科省の動きについて調べてみると、過去にはこんな記事もありました。

http://mainichi.jp/life/edu/news/20110928ddm012100063000c.html (給付型奨学金:高校生向けに創設、文科省方針 経済的困窮の大学生向けも:毎日新聞のネット配信記事、2011年9月28日)

貧困世帯の子どもの学習への支援ということでいえば、このような方向性をもっと、本来であれば文科省の施策として拡充すべきではないのでしょうか。

また、「そもそも、給付奨学金を出すことにあわせて、高校や大学の授業料をできるだけ安く、だんだん下げて、将来的には無償に近づける施策をするべきではないのか?」ということが、子どもの権利条約や社会権規約の趣旨であるはずだと、私などは『註釈・子どもの権利条約28条:教育についての権利』を読んで、あらためてそう思った次第です。

ちなみに、元・文科省の官僚で今は京都造形芸術大学の教員である寺脇研さんなどが、最近、ツイッターなどを見ていると、この給付奨学金の導入について、かなり積極的に評価をしているようです。

ですが、それはそれとして歓迎したいと思うものの、「だったらなぜ、あなたは文科省の官僚時代に、このような施策を導入する方向では動かなかったの?」と、つい一言いいたくなってしまいますね、私。

あと、「学校教育に個人や家庭の負担という形で、何かとお金がかかる構造を改善するということ。こういうことをほんとうは、子どもの人権保障や人権教育に熱心にとりくむ団体だとか、研究者の側から、もっと積極的に言っていかなければいけなかったのではないか?」と、わが身への反省、自己批判も込めて、ここで書いておきます。

ということで、今日のところはこのあたりでとどめます。


ケータイからの投稿ならできますが。

2011-10-24 10:12:35 | 雑感

今日はひとまず、お知らせだけをケータイから。
現在、このブログのプロバイダ・OCNのホームページへのログインが、パソコンからはできない状態です。この状態は昨日の夕方から続いていて、パソコンからのブログの更新ができません。
復旧したらまたお知らせしますが、しばらくこんな調子ですので、ご理解をお願いします。

<追記> 10月24日(月)の朝11時過ぎに、無事復旧したようです。この「追記」はパソコンから書いています。


異議あり!「大阪府教育基本条例案」100人委員会のシンポジウム

2011-10-23 00:43:34 | ニュース

日付が変わって昨日になりましたが、10月22日(土)午後、大阪市立西区民センターで行われたシンポジウム<「大阪府教育基本条例」で大阪の教育は良くなるのでしょうか?>に私、行ってきました。

ちなみに、この会の主催は、異議あり!「大阪府教育基本条例案」100人委員会。呼びかけ人は井村雅代さん(元シンクロナイズドスイミング日本代表監督、元大阪府教育委員)、内田樹さん(神戸女学院大学名誉教授)、梶田叡一さん(環太平洋大学学長)、志水宏吉さん(大阪大学大学院教授)、津村明子さん(初代ドーンセンター館長)、米川英樹さん(大阪教育大学教授)です。

また、この100人委員会の賛同者には、10月21日現在で147人が名を連ねていて、そのなかには寺脇研さん(京都造形芸術大学、元文科省)、平田オリザさん(劇作家)、中島岳志さん(北海道大学)、堤未果さん(ジャーナリスト)、斎藤貴男さん(ジャーナリスト)、野田正彰さん(関西学院大学)といった人たちが入っています。また、大阪の人権教育で名前のよく出る人たち(桂正孝さん、高田一宏さん、森実さんなどなど)や、そして、私自身もこの147人のなかのひとりです。なお、新聞の意見広告の形で、毎日新聞大阪版には10月21日、私たちの名前が載っています。「ようやく、大阪の人権教育関係者も、本格的に動き始めたな」というところでしょうか。

さて、昨日のシンポジウムですが、司会が志水宏吉さん、壇上には梶田叡一さん、米川英樹さんに、元府立高校校長で現在、芦屋大学教授の吉村和彦さん、元大阪府PTA協議会会長の坂口一美さんの4人の方があがって、大阪維新の会の出した教育基本条例案に対して、批判的な立場からの意見交換を行いました。(ちなみに坂口さん、吉村さんも、147人のなかに入っています)

それで、このシンポジウムのおおまかな議論の流れなのですが、私の印象では、教育改革としてやりたいことは理解できるが、橋下府知事(もうすぐ辞めますが)や大阪維新の会のこの間の政治手法が「ファシズム的」であるからダメだという梶田叡一さんと、それ以外の3人プラス司会の志水さんの立場のちがいがはっきりでたな、というところでしょうか。

今回のシンポジウムでは、吉村さん・坂口さん・米川さん・志水さんがともに、大阪の教育の「よさ」として、地域に根差して、どんな子どもも地元の学校で教員とともに育つという点を挙げていました。また、米川さんははっきりと、サッチャー政権期のイギリスをモデルにして行っている教育改革は、その当のイギリスでも最近見直しがおこなわれていて、学力テストもやめようという動きが起きていることや、そのサッチャー政権期の教育改革をモデルにした大阪維新の会の条例案には問題が多いことも指摘していました。

ですが、梶田さんは一方で橋下府政を「ファシズム的手法だ」と批判しつつも、最後には、PISA調査で日本がアジア近隣地域(韓国や上海など)に追い上げられている現状のなかで、日本の経済発展のためには「学力向上」が必要という話をしていました。こういう風に言えば、確かに、基本的なところでは、梶田さんの発想は大阪維新の会の条例案を作った人たちと重なってしまいますよね。もっとも、今回のシンポジウムでは、このあたりの路線のちがいが見えたところで時間切れ。ここから先が深まらずに終わったのですが。

ついでにいうと、梶田さんはこの何年かずっと中央教育審議会に委員としてかかわってこられたわけですし、文科省の最近の教育政策づくりに一定のかかわりを持ってこられた方です。ですから、私などは「ああ、やっぱりね」と思ってしまいました。私は前々から、大阪維新の会の教育基本条例案は、中教審や文科省のいま、推し進めようとしている教育政策を「グロテスクな形」で表現したものではないのか、という気がしていました。だから梶田さんの話を聴いて、「やっぱり、そうだったのね」と妙に納得した気もしています。

私としては、やはり、これからの大阪の教育、特に公立学校の教育については、たとえば地域社会で子どもや子育て中の家庭の暮らしをささえるコミュニティ形成の側面や、あるいは、各学校の校区で暮らす人々の生活を下支えするセーフティネットの機能を果たしていく、そういう側面を重視していくべきではないのか、と思っています。また、そういう機能を学校、特に公立学校の教育がしっかりと果たすことができて、はじめて、そこから多様な可能性をもった人々が育ってくるのではないのか、と思っています。「学力」形成もおそらく、こうした機能をもった学校があって、はじめて全体の底上げがなされてくるのではないでしょうか。

このように考えると、私などは、橋下府知事や大阪維新の会のとる政治手法への批判の部分では梶田さんの批判もわかるものの、基本的な教育観や学校観の部分では、やはり少し「それはちがうのではないか?」と思ってしまいます。そして、今、大阪維新の会の教育基本条例案に対して私たちが言うべきことは、それを導入しようとする政治手法の部分はもちろんのこと、その条例案を支えている教育観や学校観、さらには人間観への「ノー」であり、批判だと思いました。

なお、梶田さんは今日、シンポジウムの場で「教育行政がもっと学校現場にお金をかけなければ」という発言をしておられました。そのことには全く同感です。でも、同時にこの発言は、大阪府知事や大阪府教委に対してだけでなく、中教審の委員として、文科省やいまの政権与党、さらには、それまで政権与党の座にあった各政党に対して言うべきことでもありますよね。また、その政権与党や文科省の施策づくりに、中教審委員という立場で何らかの協力をしてきた(なかには不本意な施策もあったでしょうけど)ご自身の立場にも、この言葉がささってきますよ、と、私などはその場にいて思ってしまいました。

ただ、このような立場にある梶田さんですら、今は橋下府知事や大阪維新の会の動きに対して「ノー」と言わざるを得ないということは、よほど、教育基本条例案をめぐる彼らの動きが「目に余るものだ」ということなのでしょうね。


事実を正確に伝えることから

2011-10-22 09:46:43 | ニュース

http://www.pref.osaka.jp/gikai_giji/2309gian/231005.html

大阪府議会に正式に「教育基本条例案」「職員基本条例案」が提出されたのは、10月5日(水)のことなんですね。いま、上の大阪府議会のホームページを見て確認をしました。

また、そのあと、大阪府議会でこの議案がまわってきた常任委員会では、いまどんな議論が展開されているんですかね? マスメディアはここをあまり伝えないので、誰かがきちんと傍聴して、議論の動向を紹介していただけるとありがたいのですが・・・・。

さて、いよいよ橋下知事が辞任をして、大阪市長選挙に鞍替えで立候補するとか。大阪都構想や2つの条例案などに対する批判・非難、さらには大阪府立稲スポーツセンターの廃止提案や成人病センターの移転問題、咲洲庁舎(WTCビル)問題に関する批判や、さかんに宣伝するほどには府の財政再建が効果を上げていなかった(むしろ債務は増えている)こと等々、ここへ来て橋下府政に対する批判・非難が相次いでいます。そんななかでの鞍替え立候補ですから、「失敗した府政の投げ出し」と言われてもしかたがないでしょうし、逆風が吹く中の「無謀」な立候補と言われてもしょうがないような気もします。

こういう状況のなかでは、まずは、橋下府政のこれまでと、彼が市長になって何をしたいと考えているのかについて、マスメディアが事実を正確に伝えることが大事なのではないか、と思います。また、そのマスメディアが事実を正確に伝えていることを前提として、これに対して、さらに批判的に私たちが検討してみることが大事ではないかと思います。

ここへ来て、マスメディアがいろんな形で橋下府政の問題点を指摘したり、彼の府政へ批判的な意見を持つ人々を登場させて来たりするということは、「いままでは、橋下府政べったりの報道しかしてこなかった」ということの裏返しでしかない。私などはそう思えてなりません。そのことに多少なりともマスメディアが「やばさ」を感じているのであれば、今までの報道姿勢に対する自己点検の作業とともに、今後は「事実を正確に」伝えていく作業をしてほしいと思います。

また、マスメディアが「事実を正確に」伝えていくということは、橋下府知事や維新の会が発表することをただ「広報」のように伝えるということではなくて、これに対して批判的な意見の持ち主もいること、「これはあくまでも府知事・維新の会サイドの話でしかなくて、別の考え方・味方もある」ということを伝えることではないか、と思います。そういう作業をこの際、マスメディアにはきちんとやっていただければ、と願ってやみません。

そして、たとえば橋下府知事と仲の良いタレントやアナウンサーなどが、今もなおテレビ番組で彼や維新の会に都合のいいコメントばかりしているとしたら、そういう番組の内容は今後、「これってお仲間による宣伝番組じゃないの?」と疑ってかかってしかるべきでしょうね。

あと、今日のしめくくりとして、この動画を紹介します。

http://www.youtube.com/watch?v=lpzNzyQx9gA&feature=share


しばらく更新が途切れました。

2011-10-21 10:44:31 | ニュース

このブログの更新、しばらく更新が途切れました。書くべき内容がないわけではないのですが、書く時間がとれなかったことと、体調があまり思わしくなかったことが理由です。

さて、橋下大阪府知事と大阪維新の会が出した「教育基本条例案」については、ここへきて、いろんなところから批判・反対の声があがりはじめました。

たとえば、雑誌『新潮45』が2011年11月号で「『最も危険な政治家』橋下徹研究」という特集を組んだり、あるいは、大阪の地方自治を考える会が『「仮面の騎士」橋下徹』(講談社、2011年10月)を出版したりと、主に「紙」を使ったメディアが橋下知事批判の主張をしはじめています。

また、私のところに入った連絡では、あす10月22日(土)14~16時、大阪市立西区民センターで、異議あり!「大阪府教育基本条例案」100人委員会の主催で、「教育シンポジウム・『大阪府教育基本条例』で大阪の教育は良くなるのでしょうか?」が開催されるとのことです。

日本ペンクラブも9月26日付けで、「私たちは大阪府教育・職員基本条例案に反対します」という声明を出しました。

これらの動きが盛り上がってきたことは、きっと、先月の大阪府教委が教育基本条例案に反対の意思表示をしたり、あるいは、大東市で大阪維新の会の「君が代」条例に反対する集会が開かれたりしたことが、新聞記事やテレビなどで取り上げられはじめたこととも関係しているのでしょう。

そして、新聞やテレビ、雑誌等々、さまざまなメディアで橋下知事や大阪維新の会に対して批判的なコメントがではじめたということは、「メディア仕掛け」で世論の自分たちへの支持を集め、それをてこに諸改革を推し進めようとする橋下府政の手法が、徐々に通用しなくなってきた、ということの表れでもあるでしょう。

個人的には、いま、橋下大阪府政の下でのさまざまな教育改革構想について、さまざまな立場の人たちが疑問を感じたり、批判・反対の意思表示をしはじめていることを、とてもうれしく思います。

と同時に、「見るべきポイントをおさえていれば、もっと早く気づくこともできたかもしれないよ」「もっと早くから、これはおかしいと、言うことができたかもしれないよ」とも思います。そのこともあわせて、ここで書き添えておきます。

今の橋下府政の「メディア仕掛け」の手法が、かつて数年前、あの青少年会館条例を廃止したときの大阪市の「改革」の頃と似たような手法である。そのことに気づけば、「ほんとうはもっと早い時期から、これはおかしい、ということができたのではないか?」と、少なくとも私などは思ってしまうのです。


子どもの自殺防止策をめぐって(5)

2011-10-10 22:01:28 | ニュース

今日はいよいよ、文部科学省初等中等教育局長が今年6月1日付で各都道府県・政令指定都市教育委員会教育長などに出した通知「児童生徒の自殺が起きたときの背景調査の在り方について」の、最後の検討を行います。

以下の青字部分が、この通知の部分です。今回は通知のうちの「2 背景調査を行う際の留意事項」(4)~(7)の部分と、「3 学校及び教育委員会における平素の取組に関する留意事項」をとりあげます。

(4)詳しい調査を行うに当たり、事実の分析評価等に高度な専門性を要する場合や、遺族が学校又は教育委員会が主体となる調査を望まない場合においては、具体的に調査を計画・実施する主体として、中立的な立場の医師や弁護士等の専門家を加えた調査委員会を早期に設置することが重要であること。なお、学校又は教育委員会が主体となる調査を行う場合においても、適切に専門家の助言や指摘を受けることが望ましいこと。

いままでも、いろんな子どもの自殺事案において、学校や教育行政とかかわりの深い人たちが中心になって「調査委員会」などが設置されたケースがあります。また、今も子どもの自殺などが起きた場合、学校や教育行政の側には、臨床心理士や弁護士などの緊急対応チームによる支援が入るケースがあります。

こういった過去の取り組みに関する成果と課題について、文部科学省側はどのように認識しているのでしょうか? それに関する検討抜きには、調査委員会が「中立的な立場」をとるために何が必要か、見えてこないように思うのですが。また、遺族側が望まなければ詳しい調査を行わないというのも、学校における子どもの自殺防止の観点から見て、「それでいいのか?」と思ってしまうのですが。

(5)詳しい調査を行うに当たり、調査の実施主体は、遺族に対して、調査の目的・目標、調査委員会設置の場合はその構成等、調査の概ねの期間や方法、入手した資料の取扱い、遺族に対する情報提供の在り方や調査結果の公表に関する方針など、調査の計画について説明し、できる限り、遺族と合意しておくことが重要であること。また、在校生及びその保護者に対しても、調査の計画について説明し、できる限り、その了解と協力を得つつ調査を行うことが重要であること。なお、詳しい調査の過程において、必要に応じて随時、遺族に対して、調査の状況について説明することが重要であること。

遺族側への説明や合意を得ることについては当然ですし、調査過程において遺族側に随時、その進行状況などについて説明をすることも当然でしょう。ただ、調査実施にあたって在校生とその保護者に説明をすることは必要としても、その調査への協力は、調査する側がどのような姿勢で説明するかによって、ずいぶん変わってくると思います。「二度とこういう悲しい出来事が起こらないように、正直に知っていることを話してほしい」という姿勢で調査に臨むのか、それとも、「ややこしい話になりそうだから・・・・」というような姿勢で臨むのか。それによって、他の保護者や子どもたちの協力の様子も変わるのではないでしょうか。その点について、文部科学省はどう考えているのでしょうか?

(6)背景調査においては、自殺等事案が起きた後の時間の経過等に伴う制約のもとで、できる限り、偏りのない資料や情報を多く収集し、それらの信頼性の吟味を含めて、客観的に、また、特定の資料や情報のみに依拠することなく総合的に分析評価を行うよう努める必要があること。したがって、調査で入手した個々の資料や情報は慎重に取り扱い、調査の実施主体からの外部への安易な提供や公表は避けるべきであるとともに、外部に提供又は公表する方針がある場合には、調査の実施に先立ち、調査対象となる在校生やその保護者に説明し、できる限り了解を得ることが重要であること。

これ、ここでいう「外部」とは誰にとっての、何を指しているのでしょうか。「調査委員会」にとっては、遺族側もマスコミも、他の子どもや保護者、学校・教育行政の側も「外部」ではないのでしょうか? そういう扱いにしておかなければ、少なくとも「調査委員会」の独立性・中立性は保てません。

また、背景調査については、「最初から調査結果については、必要に応じて外部にその内容を部分的にであれ、公開をすることが前提」で、「調査委員会」を立ち上げ、調査を実施することを原則にすべきではないのでしょうか? でなければ、子どもの自殺事案の検証をふまえた自殺防止に関する意識啓発活動、再発防止の取り組み等、なにも動かないように思うのですが。逆に言えば、他の子どもや保護者から「必要な協力が得られなかった」という理由で、「調査委員会」が立ち往生してもいい、と文部科学省は考えているのでしょうか?

(7)上記のほか、背景調査における資料や情報の収集、調査結果の外部に対する説明や公表等に当たり、調査の実施主体は、当該児童生徒、遺族、在校生及びその保護者など関係者のプライバシーや心情にできる限り配慮するよう努める必要があること。ただし、資料や情報の収集、調査結果の適切な説明等に支障が生じないように努める必要があること。

いったい文部科学省は、子どもの自殺事案発生時に、「調査委員会」などによる背景調査を積極的にすすめたいのでしょうか? それとも、それにブレーキをかけたいのでしょうか? この文章の前半を読んでいると、文部科学省は在校生や保護者などのプライバシー、心情などへの配慮を口実にして、調査実施やその結果の公表にブレーキをかけようとしているようにも読み取れてしまいます。しかし、後半は調査実施や説明等に支障が生じないように、ともいう。もしも後半部分のほうが大事なのだとしたら、「調査委員会」には適切な守秘義務だけ課して、それ以外の制約を課すような前半部分の文章は削除したほうが、よっぽどいいでしょう。

3 学校及び教育委員会における平素の取組に関する留意事項

(1)学校及び市区町村教育委員会は、万が一自殺等事案が起きたときに備え、本報告書や別添1を参考としつつ、これらの資料を活用して研修を行うなど、平素から、背景調査を適切に行うことができるように取り組む必要があること。

「ほう、ほんとうにこれ、やるんですよね?」「これ、ほんとうにやる覚悟のある学校、市区町村教育委員会なら、私、全面的に協力しますよ」というのが、率直な意見です。

ただし、その場合は条件があります。文部科学省が実はこの通知に添付する形で、「児童生徒の自殺予防に関する調査研究協力者会議」の報告書や、この会議をふまえた各種の手引書などをあわせて送っているようです。まずは、その報告書や手引書の内容が、子どもの自殺に直面した遺族の側からどう見えるか、その話をさせていただきたい。

次に、子どもの自殺に直面した遺族がどんな心理状態におかれ、どんな形で今まで学校・教育行政の事後対応に直面して、二重三重の苦しみを負ってきたのか。その話も、この研修場面においてさせていただきたい。 この2つの条件をのんでいただけるのであれば、私はこの3(1)でいう研修などに、積極的に協力してもいいと思っています。結局、本気で子どもの自殺事案に向き合い、遺族へも真摯に対応しようと学校や教育行政が取り組もうと思うのであれば、ここまでやらなければダメでしょう。

(2)都道府県教育委員会は、自殺予防に関する普及・啓発など自殺予防対策を推進するとともに、背景調査に関し、担当者を設けるなど体制整備及び専門性向上に関する取組、調査委員会の委員の候補となる人材に関するリストの作成、本報告書の内容を踏まえた各都道府県ごとの背景調査の具体的な手順の検討、域内の学校関係者又は教育委員会関係者に対する研修の実施など、児童生徒の自殺等事案が起きたときに域内の学校又は教育委員会を適切に支援することができるように不断の取組を着実に推進する必要があること。

ここも(1)と同じです。本気で各都道府県教委が子どもの自殺事案発生時の背景調査に積極的に取り組み、その調査結果をふまえた再発防止策の確立や意識啓発活動の実施等に取り組むのであれば、「すでに起きた子どもの自殺事案に学ぶ」作業が必要不可欠です。

また、その作業の重要なパートナーとして、自殺した子どもの遺族からの話を聴き取る作業と、過去の事案の検証作業を行うことは、まず早急に手をつけるべき作業ではないでしょうか。

そして、その検証作業や遺族からの話を聴く作業に携わった学校・教育行政の関係者と、教育・心理・医療・法律などの専門家を核にして、調査委員会の委員候補者をつくっていくことが必要なのではないでしょうか。

私としては、この文部科学省の通知を読んで、このようなことを感じました。ひとまず、このシリーズに関する投稿は、いったん、ここで終わります。

 


学校で安全徹底が必要な活動は柔道以外にもある。

2011-10-09 10:23:09 | ニュース

昨日は午後から神戸に行き、全国学校事故・事件を語る会の例会に出ていました。だいたい偶数月の第1か第2土曜日に定例の会(語る会では「小集会」と呼んでいます)が神戸で開かれるのですが、昨日も地元の兵庫や近隣の大阪の方だけでなく、関東から、広島のほうからと、毎回、遠いところからやってこられる方がいます。

さて、今朝の毎日新聞を見ていると、次のような社説がでていました。

http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20111009k0000m070149000c.html(社説:柔道死亡事故、「必修化」前に安全徹底を。毎日新聞のネット配信記事、2011年10月9日)

この社説には、この間、柔道事故の被害者の方々があちこちで訴えてこられたことが、比較的うまくまとめられているように思います。基本的には私、この社説で述べていることに賛成です。と同時に、もっと踏み込んでいうならば、「はたして、学校体育に柔道など武道の必修化がほんとうに必要なのか?」ということから検討したほうがいいのではないか? なぜ武道を学校外のスポーツ活動(いわゆる「社会体育」)でやろうとしないのか? という疑問が私にはあるので、そこから論じていただきたいと思うのですが。

それとともに、「学校で安全徹底が必要な活動は、柔道以外にもある」ということ。たとえば昨日の全国学校事故・事件を語る会には、学校でのスポーツ部活動中で起きた熱中症死亡事故でお子さんを亡くされた方や、夏場の海での遠泳中にお子さんを亡くされた方が来ておられました。あるいは、この間、このブログで何度も取り上げて書いてきたような子どもの自殺の問題についても、自殺の背景には学校での諸問題に起因すると思われるケースが多々あります。さらには、子どもが亡くなるに至らなくとも、重い後遺症を心身に残しているケースは、亡くなったケース以上に多々あるはずです。

従前の学校保健法を改正する形で、2008年には「学校保健安全法」が制定され、2009年から施行されました。この「学校保健安全法」の第3条には、次のような条文があります。『解説教育六法(2011年版)』(三省堂)から、色を変えて引用しておきます。

国及び地方公共団体は、相互に連携を図り、各学校において保健及び安全に係る取組が確実かつ効果的に実施されるようにするため、学校における保健及び安全に関する最新の知見及び事例を踏まえつつ、財政上の措置その他の必要な施策を講ずるものとする。

2 国は、各学校における安全に係る取組を総合的かつ効果的に推進するため、学校安全の推進に関する計画の策定その他所要の措置を講ずるものとする。

3 地方公共団体は、国が講ずる前項の措置に準じた措置を講ずるように努めなければならない。

この法律があらためて施行されてから2年になりますが、何か国や地方公共団体(=自治体)において、具体的な子どもたちの学校での安全に関して、何か計画が策定されたり、必要な措置が講じられたりしたのでしょうか? 少なくとも私、聴いたことがないのですが・・・・。

ですから、毎日新聞の社説の紹介に加えて、学校で安全徹底が必要な活動は柔道以外にもいくつかありますし、また、国や自治体レベルで子どもの学校での安全確保に向けて取り組むべきことも多々ある。そのことを、あえて今日は指摘しておきたいと思います。

なお、子どもの自殺防止策に関することは、あともう1回、あすくらいにこのブログで書いて、いったん終わることにします。


子どもの自殺防止策をめぐって(4)

2011-10-03 21:40:06 | 受験・学校

前回は告知だけで終わりましたが、今回は子どもの自殺防止策について、以前書いた文部科学省の通知「児童生徒の自殺が起きたときの背景調査の在り方について(通知)」の話の続きを書きます。

ちなみに、この通知の「1 基本的な考え方」の部分については、このブログで、9月10日に書きました。今回は「2 背景調査を行う際の留意事項」の(1)~(3)についてコメントをします。残りについては、また今後、続けて書きます。

さて、この(1)~(3)の内容は、次のとおりです。色を変えて紹介します。

(1)万が一自殺等事案が起きたときは、学校又は教育委員会は、速やかに遺族と連絡を取り、できる限り遺族の要望・意見を聴取するとともに、その後の学校の対応方針等について説明をすることが重要であること。また、当該児童生徒が置かれていた状況について、できる限り全ての教員から迅速に聴き取り調査を行うとともに、当該児童生徒と関わりの深い在校生からも迅速に、かつ、慎重に聴き取り調査を行う必要があること。なお、在校生からの聴き取り調査については、遺族の要望や心情、当該在校生の心情、聴き取り調査について他の在校生等に知られないようにする必要性等に配慮し、場所、方法等を工夫し、必要に応じ後日の実施とすることも検討することが必要であること。

あえて2色に分けて表記してみました。この上記の内容のうち、青字部分については、これまで我が子の自殺に直面した遺族の側からの要望などが汲み取られており、一定、評価すべきところではないかと思われます。

しかし、上記のピンク色の字の部分については、場所、方法の工夫などは必要かと思いますが、なぜ「後日の実施」の検討が必要なのかがよくわかりません。文科省としてはこの「後日の実施」が必要なケースとして、どういうケースを想定しているのでしょうか? これだと、青字部分にある「迅速に、かつ、慎重に」行うべきとした在校生への聞き取りが、さまざまな理由をつけて後回しにされる危険性が残ります。

(2)学校又は教育委員会は、2(1)の全ての教員や関わりの深い在校生からの迅速な聴き取り調査(以下「初期調査」という。)の実施後、できるだけ速やかに、その経過について、遺族に対して説明する必要があること。なお、その際、予断のない説明に努める必要があること。

ここでいう「予断のない説明」とは、どういうものなのでしょうか? 前半の青字部分のほうは、遺族側の要望している点でもあって妥当と思われるのですが、このピンク色の字の部分がどういう意味なのか、よくわかりません。「初期調査」の結果わかったことを、学校・教育行政側がきちんと遺族に伝える。そのことをきちんと表記するだけで、なぜこの文章は終われないのでしょうか?

(3)学校又は教育委員会は、遺族に初期調査の経過を説明した後、次の場合は、より詳しい調査の実施について遺族と協議を行う必要があること。

ア 当該児童生徒が置かれていた状況として、学校における出来事などの学校に関わる背景がある可能性がある場合

イ 遺族から更なる調査の要望がある場合

ウ その他、更なる調査が必要と考えられる場合

アの場合、学校又は教育委員会は、在校生へのアンケート調査や一斉聴き取り調査を含む詳しい調査(以下「詳しい調査」という。)の実施を遺族に対して主体的に提案することが重要であること。

ここはすべて、ピンク色の字にしました。この文章でいけば、遺族側から特に要望がでるか、もしくは学校・教育行政側が「何か学校に背景要因がある」と思わなければ、「詳しい調査」を行わないことになってしまいます。また、私がこれまでの事例を見る限り、子どもの自殺事案について、学校・教育行政側が自ら主体的に、学校の側に背景要因があることを認めて調査をしたことは、きわめて稀なケースのように思います。とすれば、これは事実上、遺族側が強く求めなければ、背景要因に関する「詳しい調査」を「しない」というのに等しい、とも解釈できます。

「詳しい調査」実施に遺族側の意向を反映させようという点では、教育行政側の従来との姿勢の転換をうかがわせるとしても、しかし、「これではだめなのでは?」というのが、率直な私の意見です。

本来は、どのような事例であっても、遺族側が「もう調査しないでほしい」と申し出ない限りは、学校・教育行政が責任を持って、子どもがなぜ死を選んだのか、自らの責務として詳しく調査すべきでしょう。学校・教育行政が、本気でひとりひとりの子どもの「いのちを守る」という立場に立つのならば、どのような自殺のケースであれ、「なぜその子どもが死を選んだのか?」をきちんと調査し、検証したうえで、今後の教育活動にその教訓を反映させる道を選ぶべきでしょう。でなければ、ほんとうに実のある自殺防止の取り組みなど、できないのではないでしょうか。

今日のところは、ひとまず、ここでいったん話を終えます。次は「2 背景調査を行う際の留意事項」の(4)~(7)についてコメントをします。そのあと、「3 学校及び教育委員会における平素の取組に関する留意事項」について述べることにしたいと思います。おそらくあす以降、この話は最低2回、ブログで何かコメントすることになるかと思います。どうぞよろしくお願いします。


子どもの自殺防止策をめぐって(3)

2011-10-01 23:42:18 | 受験・学校

「子どもの自殺防止策をめぐって(3)」と書いていますが、今日のところはイベントの告知だけになります。このテーマも続きを書くといっておきながら、このところ大阪維新の会の教育基本条例案の問題ばかり書いていました。ですから、「このテーマ、忘れているわけではないよ」という意味も込めて、イベントの告知をしておきます。

NPO法人ジェントルハートプロジェクト主催 

第6回「親の知る権利を求めるシンポジウム」

今の日本では、学校関連の自死や事件事故に遭遇した家族にとって、事実を知るという事が非常に困難な状況にあります。この現状に対し、当法人は子どもたちを守るという視点から、事実の究明と検証が必要不可欠であると考えます。

今回のシンポジウムでは最近の事件で、新たに被害者となられた御遺族や存命被害者の方にお話を伺い、専門家の意見も交えながら、「親の知る権利」の確立に向けた議論を深めていきたいと考えています。

開催日: 2011年11月19日(土)

時 間: 午後 1:00~4:00 (12:30開場)

場 所: (財)人権教育啓発推進センター

〒105-0012 東京都港区芝大門2-10-12 KDX芝大門ビル4階

※入場無料 事前申込み不要 定員80名 (先着順)

ひとまず、ここまでの話はすでに確定しているので、告知しても大丈夫とこちらで判断しました。

それで、ここが重要。このシンポジウムでの「基調報告」、今年は私がやることになりました。

依頼の趣旨としては、私がこのところ全国学校事故・事件を語る会での活動など、学校事故・事件の被害者・遺族への支援の問題によくかかわっているので、その立場から事故・事件発生後の事実究明や被害者・遺族対応の在り方(=事後対応といいますが)について話してほしい、とのことでした。また、今年春先に京都精華大学紀要に書いた論文(下記のページで見ることができます)の内容についても、この基調報告で話すことになると思います。

http://www.kyoto-seika.ac.jp/event/kiyo/page/kiyo-38.html

この問題に関心のある方、お近くの方は、ぜひ、ご参加いただければと思います。どうぞよろしくお願いします。