できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

この社説を書いた人と、文科省に伝えたいこと。

2012-12-30 13:29:20 | ニュース

「教育政策:高校無償化の見直しは妥当だ」(読売新聞2012年12月30日付け社説)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20121229-OYT1T00960.htm?from=blist

この社説を書いた人に、次のように伝えたい。
「相手を思いやる気持ちの欠如がいじめを生んでいる」のだと考えるのならば、あなた自身はどうなのでしょうか。
それこそ、今、朝鮮学校に通っている子どもやその保護者、長年、朝鮮学校の存続に向けてさまざまな支援を行ってきた在日の人々、日本人たち。こうした人たちを思いやる気持ちは、この社説を書いた人にありますか?
このたびの新政権の方針を受けて、日本人のなかにも、私を含め、数多くの「この朝鮮学校への対応はひどすぎる」と思う人たちがいることへの思いは、この社説を書いた人にはありますか?
そういう思いがあれば、きっと、このような社説の文章にはならなかったのではないかと。
少なくとも、私はそのように感じました。
とするならば、「相手を思いやる気持ちの欠如がいじめを生んでいる」という言葉は、そっくりそのまま、この社説を書いた方に、「よくご自分の胸に手をあてて、冷静になってください」という言葉を添えて、お返ししておきたいと思います。

それから、文部科学省ですが。
http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=185000617

長い名称で、「公立高等学校に係る授業料不徴収及び高等学校等就学支援金の支給に関する法律施行規則をの一部を改正する省令案」に関するパブリックコメント募集をいま、文部科学省が行っています。
ですが、上記のサイトから関連するPDFファイルを見ていただければわかるとおり、これは高等学校等就学支援金の支給先を限定するための省令改正案。つまり、朝鮮学校を支給対象から除外することを容認する省令をつくるためのものです。
パブリックコメント募集のタイトルだけを見ていると何をしているのかよくわかりませんが、具体的にPDFファイルを見ていけば、「大使館を通じて」日本の高等学校に相当する課程であることが確認できる民族系の学校と、インターナショナルスクール、この2つに対象を限定することがわかります。つまり、日本に大使館を置いていない=国交成立していない国の民族系の学校は、支給対象から除外されるわけです。
また、「文部科学大臣の定めるところにより」という形で、インターナショナルスクールや「大使館」を通じて高等学校に相当することが確認できる民族系学校「以外」にも、支給を認めることができたわけですが、このたびの省令改正でそれが閉じられます。とすれば、朝鮮学校の他にも上記「以外」の学校があれば、そこへの高等学校等就学支援金の支給が停止されることにもなりかねません。
これって明らかに、日本に暮らすマイノリティ、特に外国にルーツのある子どもたちへの差別的な施策ですよね??
こういう施策とって、外国にルーツのある子どもたちをますます暮らしづらい環境に置いておきながら、一方で先の社説にあるように「いじめ防止法案」ですか。「だったらまずは、外国にルーツのある子どもたちの暮らしやすい環境をつくろうよ」と言いたくなります。
それこそ、先の社説を書いた人のいうように、「相手を思いやる気持ちの欠如がいじめを生んでいる」というのなら、文科省にも「あなたたちの施策でどんどん暮らしづらくなる人たちがいるという、そういう思いやりの欠如」を問いたくなりますね。
そして、本来、新聞などのマスメディアって、こういう文科省の施策に対して、今、私がここで書いているようなことを社説で書いて、クギをさしていくためにあるんじゃないですかね??

<追記>

年末年始で人々の政策への関心が薄い時期をねらって、こういう施策を打ち出す文科省、政権与党ってなんなんですかね?


文科省のあるパブリック・コメント募集について

2012-12-29 00:32:22 | 受験・学校
公立高等学校に係る授業料の不徴収及び高等学校等就学支援金の支給に関する法律施行規則の一部を改正する省令案に関するパブリックコメント(意見公募手続)について

http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=185000617

長々とタイトルが書いてあるので、「なんだろう?」と思うのですが、このパブリックコメント募集のページにある「省令案の概要」のPDFファイルを見てください。

(イ)大使館を通じて日本の高等学校の課程に相当する課程であることが確認できるもの(民族系外国人学校)
(ロ)国際的に実績のある学校評価団体の認証を受けていることが確認できるもの(インターナショナル・スクール)
(ハ)イ、ロのほか、文部科学大臣が定めるところにより、高等学校の課程に類する課程を置くものと認められるものとして、文部科学大臣が指定したもの

この3つに限定されていた「高等学校等就学支援金制度(以下「就学支援金制度」という。)の対象となる外国人学校(各種学校であって、我が国に居住する外国人を専ら対象とするもの)」を、今後(イ)か(ロ)にする、と言う案が、この省令改正案。
つまり、いわゆる朝鮮学校についての対象除外を可能にしようという、そういう趣旨での省令改正案のようです。

ご意見のある方はお早めに、上記のサイトへ。
ちなみに私はもう、「この案自体が子どもの権利条約等の趣旨に反している」「新しい文部科学大臣及び文科省の見識を疑う」などの意見を書いて、パブリックコメントをおくりました。




土田光子『子どもを見る眼』から

2012-12-24 20:25:36 | インポート

昨日、所用のために、明石へ出かけました。その往復の電車のなかで、土田光子『子どもを見る眼』(解放出版社)を読みました。その中にでてきた次の一節が印象的。次年度の「生徒指導論」の参考文献にこの本、入れることにしました。どこかの一節を取り上げて、受講生に読ませようと思います。

◎学校で二度子どもを傷つけないために

例えば、いじめという事象と向き合うとき、いじめられる側にも問題があると考えるのは、自分なら跳ね返せるという立ち位置からものを考えるからだろう。しかしそういう位置にいる子どもは、いじめられないものだ。 いいか悪いかではない。事実として、死にたくなるほどの深い悲しみを抱えながら、思いを口に出すこともできず、じっと一人で耐えている子どもがあなたの目 の前にいるのだ。その哀しみに思いを馳せ、傍らに寄り添い、ともに涙を流し、しかしはっきりと、「あなたは決して悪くない」と、「あなたが悪いからいじめられたんじゃない」と、そう言い切ることもせず、被害者である子どもの発想や考え方を正そうとしたとき、子どもは、いじめを受けた傷以上の深い傷を負うことになる。

助けてくれるべき人から受けた、無理解という肩すかしや、「君にも非がある」という逆攻撃は、子どもを二度傷つけ、自尊感情を木っ端みじんに打ち砕く。

だからこそ、チームがある。教員同士が互いの個性を活かし合いながら、自分とは違う感覚をもった同僚たちと手を携えて、かけがえのない子どもたちと、丁寧に向き合いたいものだ。自分の自分らしさを武器に、しかしそれが独断と偏見に結びつくことがないよう、多様な角度から子どもたちを見つめながら、チームのなかで情報を交換し合い、ともに「子どもを見る眼」を鍛えあっていくことが求められている。

安心と協働の場である学校で、友人関係に傷ついた子どもが、教員によって二次被害を受けることだけは、細心の注意を払って食い止めなければならない。(p.137138

子どもを見る眼: 先生たちへの応援歌 子どもを見る眼: 先生たちへの応援歌
価格:¥ 1,575(税込)
発売日:2012-12-03


ただ素直に、うつむかず、生きていくために

2012-12-16 23:28:18 | 受験・学校

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YouTube: ayumi hamasaki SEVEN DAYS WAR (TK Acoustic Piano version)

みなさん、今夜は浜崎あゆみバージョンで、静かにこの曲を聴いてください。

そして、あしたからもう一度、自分らに何ができるか、考えて、動いていきましょう。

子どもたちがただ素直に、うつむかずに生きていけるように。

また、子どもたちと同じように、私たちもまた、素直に、うつむかずに生きていくために。

そして、それを遮る壁を乗り越えていくために。


選挙の結果がどうであれ、批判し続けるのみ

2012-12-16 19:02:06 | ニュース

今日は12月16日(日)、衆議院選挙の投票日です。
今は夜の7時前、あと1時間ほどで、私の暮らす街の投票時間は終わります。
マスコミの選挙結果予想ではいろいろと言われているわけですが、私はもともと、「どの党が政権をとろうが、子どもの権利保障の観点から見て、おかしいことはおかしいと言い、ダメなものはダメという」というスタンスで来ています。
この半月間ほど、ブログの更新は本業の忙しさもあって控えてきましたが、明日から再び、更新をできるだけ続けていくつもりです。そこでやることは、新しい政権与党になるところの子ども施策や教育政策の批判ですし、政権を取れなかった政党についても同じことです。
ということで、ブログをやめているわけではありませんので、ご安心ください。

「今こそ、子どもの権利保障に関心のある市民が、何か文句を言い続けなければいけない時期はない」

少なくとも、私はそう思っていますので。

 


「×印」の数で見ていくしかないか。

2012-12-01 23:44:37 | ニュース

先月半ばに衆議院が解散され、総選挙が近いということで、いろんな政党が離合集散して新しい党が出来るとか、「第三極」がどうとか、マスメディアでは連日、政治関連の報道が続いています。総選挙が本格的にスタートするとこういうことも書きづらくなるので、今のうちにあえてはっきりと、自分の総選挙への思いを書いておきます。
正直なところ、私は子ども施策や教育政策に注目して各政党のこの間の主張などをマスメディアを通じて見ているのですが、「ここには票を入れたくない」と思う度合いの強い政党は多々あるものの、積極的に「ここを支持したい」と思う政党は、あまりでてきません。
これに憲法改正や再軍備、労働者の最低賃金見直しといった問題や、原発問題などへの対応、貧困問題への対応などに関する各政党のこの間の主張などへの評価を加えれば、ますます「ここには票を入れたくない」と思う度合いの強い政党がしぼられてきます。ですが逆に、「ここを支持したい」と思うところは、あまりでてきません。
ちなみに、この夏以来のいじめ自殺問題に関連させて教委廃止論をぶち上げているような政党や、あるいは、いじめ問題への対応にひっかけて「心の教育」とか「道徳教育」の充実とかいうような政党も、とても支持できるものではありません。前にも書いた「惨事便乗型教育改革」をやりたがっているような政党には、むしろ「お引き取りいただきたい」というのが率直な思い。
今、必要なのは、子どもたちが学校の内外で落ち着いて暮らせる生活環境をつくること。そのために、保護者や地域住民、学校の教職員や保育士、ソーシャルワーカーやカウンセラー、その他子どもに関わる仕事に従事する人々、そして子ども施策に携わる行政職員などが、落ち着いて過ごせる環境を整えること。そういう環境を整えた結果として、子どもとかかわるおとなたちが落ち着き、子どもとの豊かな応答的かかわりを取り戻すことによって、子どもが心身ともに豊かに育ち、おだやかな人間関係を取り結ぶ。そして、このような人間関係のなかで過ごすことを通じて、誰かをいじめたり、いじめられたりという関係から脱する道を、子どもたち自身がそこから見つけ出していくのではないでしょうか。
だから、子どもと、子どものまわりにいるおとなたち(この夏に見せていただいたドキュメンタリー映画のタイトルに沿って、「隣る人」といってもいいかもしれません)が落ち着いて過ごせる環境づくり、これにつながるような政策を提案している政党以外、私はとても支持する気にはなれません。あとは、それに逆行する政策を提案している政党に、どんどん×印をつけ、投票したくないという思いを増やしていくだけになるでしょう。
そして、たとえ今回の総選挙で投票した政党であっても、その後発足する政権与党になろうがなるまいが、上に書いたような方向性に逆行するようなことをするのであれば、やはり×印をつけていくだけ。ましてや、政権与党になり内閣を構成するようになったところには、その政策の具体的な中身を見て、やっぱり×印をつけていくことになるでしょうね。
以上、総選挙を前にして、今、私が思うことを書き記しておきます。