できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

この秋はアニメ見るのに忙しいです・・・。

2017-10-15 09:49:47 | アート・文化

最近はアニメを見るのに忙しくて・・・。

なにしろ、いつものプリキュアに加えて、ラブライブ!サンシャイン!!と3月のライオンの2期が放送開始ですからねぇ。これに月末、劇場版のキラキラプリキュアアラモードが上映予定ですし、昨日からは宇宙戦艦ヤマト2202の第3章が上映されてますし・・・。

「そんなことより仕事しろ! 原稿書け! 授業準備しろ!」と言われそうですが、「アニメ見るのも大事な仕事のうち」と思ってます、はい。

さて、昨夜のラブライブ!サンシャイン!!2期は、入学説明会とラブライブの予選の両方に必要な曲が「ぜんぜん、書けない~」というアクアのメンバーのドタバタ、笑い話満載の回でしたね。

まあ、アクアのメンバー(高3)でなぜか理事長のマリさんが、お父さん(=浦の星女学院高校のオーナー)と交渉して、とりあえず100人、入学希望者が集まったら、浦の星女学院高校は存続するようです。

その分、前回のような「もう、学校つぶれそう・・・」という悲壮感ただよう雰囲気はなくなったわけですが(今のところ入学希望者は10人だそうなので、あと90人ってことですね)。

一方、3月のライオン2期の初回は、主人公・桐山くん(高校生のプロ棋士)が将科部(=将棋部&科学部)で活動をするというネタが中心の回でした。静かな2期の始まりって回でしたねえ。まあ、いいんでないですか?

ただ、私としては3月のライオン、個人的にはあの和菓子屋の三姉妹のいちばん上のお姉さん、あかりさんが好きなんで、早く次回以降、お姉さんが見たいです・・・(笑)

ということで、昨夜のアニメのご報告でした。


「共生社会の実現に向けて一歩を踏み出す展覧会」の開催です。

2017-10-11 11:01:50 | アート・文化

11月15日(水)~23日(木)のあいだ(土日は休みですが)の12~18時、京都精華大学ギャラリーフロールにて、「共生社会の実現に向けて一歩を踏み出す展覧会」が開催されます。

この展覧会は、「障害のある人とない人の作品を交互に転じすることによって、共生社会の大切さを訴え、小さな一歩を踏み出したい」という趣旨で行うものです。

また、主催は京都精華大学で美術科教育法を担当する北波さんの研究室です。

詳しいことは、下記の画像でご確認ください。


ラブライブ!サンシャイン!!2期の放送もはじまりましたね。

2017-10-09 16:19:33 | アート・文化

そうそう、アニメネタといえば、土曜日(10月7日)から、ラブライブ!サンシャイン!!2期の放送がはじまりましたね。

これも千葉市内の宿で見ましたし、いま、無料でバンダイチャンネルから動画配信されているので、もう一度見ましたが・・・。

いや~初回からラブライブ!サンシャイン!!2期やってくれますねえ。

見ていて、涙でてきましたわ~。

あれだけ1期、ちかちゃんたちスクールアイドル活動がんばってきたのに、やっぱり浦の星女学院は募集停止ですか…。

でも、学校存続に向けて、自分たちにできることあるなら、最後まであきらめない。

ちかちゃんたちアクアのみんな、またまたスクールアイドル活動やるんですね~。

なんか、そのけなげさに、涙でます。

そして、アニメのなかとはいえ、生徒が集まらなくて募集停止、統廃合目前の浦の星女学院高校。

こんなにも生徒たちに愛されて、しあわせやなあ。

私もあきらめへんで~浦の星女学院が存続するまでって思いました(笑)

次週以降、プリキュアの話とあわせて、ラブライブ!サンシャイン!!2期の話も書いていきますね。



担当大臣なら博物館法第1条・第2条くらい読んでから発言してほしいです。

2017-04-16 20:28:06 | アート・文化

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170416-00000088-jij-pol

(「学芸員はがん」=山本担当相が発言 時事通信 4/16(日) 19:19配信)

この記事の文中にでてきますが、この地方創生担当大臣さん、「「一番のがんは文化学芸員と言われる人たちだ。観光マインドが全くない。一掃しなければ駄目だ」と述べ、博物館などで働く専門職員である学芸員を批判した」といったようですね。

あのですね・・・。

担当大臣なんですから、次の博物館法第1条・第2条くらいは読んで、ものを言ってほしいです。

<博物館法第1条> 

この法律は、社会教育法(昭和24年法律第207号)の精神に基き、博物館の設置及び運営に関して必要な事項を定め、その健全な発達を図り、もって国民の教育、学術及び文化の発展に寄与することを目的とする。

<同第2条>

この法律において「博物館」とは、歴史、芸術、民俗、産業、自然科学等に関する資料を収集し、保管(育成を含む。以下同じ。)し、展示して教育的配慮の下に一般公衆の利用に供し、その教養、調査研究、レクリエーション等に資するために必要な事業を行ない、あわせてこれらの資料に関する調査研究を行うことを目的とする機関のうち、地方公共団体、一般社団法人、若しくは一般財団法人、宗教法人又は政令で定める法人が設置するもので、次章の規定による登録を受けたものをいう。(一部略)

そもそも、今の博物館法第1条・第2条のどこに「観光のための集客施設だ」なんてことば、あるんですか?

いったい、何を考えているんですかね、この担当大臣?

ついでにいうと、第3条の「博物館の事業」にも「観光」ということばは入っていないですからね。

せいぜい、第2条の「教養」「レクリエーション等」の範囲を拡大解釈して、「博物館を見て、勉強して、面白いって思って帰ってくださいね」というくらいじゃないですか?



ボブ・ディラン、関西フォーク、そして京都精華大学

2016-10-14 10:07:03 | アート・文化

昨日の仕事の帰り道、ケータイを見ていたら、ボブ・ディランがノーベル文学賞をとったとかいうニュースが出ていました。

そこで、まずはこちら、ある古本屋サイトでのボブ・ディランの詩集の画像をURLでアップします。

https://nostos.jp/archives/97760

この詩集なのですが、その和訳をした人の名前に「片桐ユズル・中山容」とあります。

このおふたりとも、実はうちの大学、つまり京都精華大学と深い深い関係のある方。

なんとなんと、このおふたり、ある時期、うちの大学の英語・英文学の教員だった方なんですよね。

おまけに、このおふたり+片桐ユズルさんの弟・中尾ハジメさん(元・うちの大学の学長)が、京都の喫茶店「ほんやら洞」で、1970年代の初めごろ、フォークソング系の歌い手さんたちとかかわっていたのだとか。

いわゆる「関西フォーク」と呼ばれる人々ですねえ。

ご参考までに、ウィキペディアで。

片桐ユズル:

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%87%E6%A1%90%E3%83%A6%E3%82%BA%E3%83%AB

中山容:

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B1%B1%E5%AE%B9

ということで、私のお友だちのなかのある世代の方に、きっと、こういうお話が好きな方が居られると思うので、お知らせでした。

そして、こういう「昔話」を、うちの大学の教員(特に人文学部と、ポピュラーカルチャー学部の音楽コース)はどんどん、していかないといけないよなあ・・・。

ただ、私が15年前にうちの大学に来た頃には、もう片桐ユズルさんは定年を迎える直前か迎えた直後くらいだし・・・。

残念ながら、私自身もこういうネット情報くらいしか、詳しいことはわかりません。


今日の夕方、京都精華大学で名越康文講演会があります。

2014-03-28 00:16:52 | アート・文化
当日の告知になってしまって、申し訳ありません。
下記のとおり、今日の夕方5時半から京都精華大学にて、名越康文さん(人文学部客員教授・精神科医)の講演会があります。
司会進行は私、住友がつとめます。学外者の参加OKです。

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※こちらのリンク先で、詳しいことを知ることができます。

http://jb.kyoto-seika.ac.jp/news/20140307_3285.html



特定秘密保護法に反対します(特定秘密保護法に反対する研究者と教職員の会)

2013-12-06 14:01:48 | アート・文化

こちらも掲載します。私も名前を連ねることにしました。

特定秘密保護法に反対します

教育は、真理の追究なくして成り立たない。正しい情報がなければ真理はくもり、ときの権力者に都合のよい情報だけが社会を覆い、子どもたちの未来を損なっていく。
憲法には、国家権力の暴走に歯止めをかける役割があるが、国家が何をしようとしているのかがわからなければ、国家権力の暴走を事前に予見して歯止めをかけることもできなくなる。特定秘密保護法は、憲法の存立にとっても脅威となる。
法案によれば、「安全保障上」秘密保持が必要なものを「特定秘密」として指定し、それを漏えいした者と「特定秘密」を取得した者には厳罰が科せられる。し かも、「特定秘密」の対象は、抽象的かつ広範に及び、拡大解釈される危険性もはらんでおり、防衛省や外務省の所管する情報だけではなく、原発事故への対応 や歴史問題へ
の対応など、文部科学省が所管する情報にも拡がってくる。その取り扱い基準の公表も義務づけられてはおらず、「何が秘密かは秘密」の法案である。
戦前日本の教育界では、真理の追求が制約され、研究者と教員による戦争への協力が行われた。子どもたちは侵略戦争の先兵として戦場に送り出されていった。こうした過ちを、二度と繰り返してはならない。
私たちは、ここに、特定秘密保護法に強く反対するものである。
  
          2013126

特定秘密保護法に反対する研究者と教職員の会
池田賢市(中央大学教授)
大森直樹(東京学芸大学准教授)
一木玲子(筑波技術大学准教授)
住友 剛(京都精華大学准教授)


特定秘密保護法案の撤回を求める公教育計画学会理事会の声明

2013-12-06 13:36:23 | アート・文化

特定秘密保護法案を撤回せよ

       公教育計画学会理事会

 

国民主権を原理とする憲法の改悪を先取りし、国家権力の思うがままの国づくりをすすめるため不都合な情報を隠ぺいすることを目的として、国会での強行採決によって成立させようとしている特定秘密保護法は、到底認められるものではない。ここに同法の即時撤回を強く求めるものである。

この法律案では、「安全保障上」秘密保持が必要なものを「特定秘密」として指定し、それを漏えいした者、そして特定秘密を取得した者には厳罰が科せられることになる。しかも、その「特定秘密」の対象は抽象的かつ広範に及び、またつねに拡大の危険性もはらんでいる。国家安全に直接にかかわる防衛省や外務省が関係することばかりではなく、文部科学省も関係する事項にまで広がってくる。その取り扱い基準の公表も義務づけられておらず、まさに「何が秘密かは秘密」の法律案である。

同法成立をしゃにむに突き進んできた現安倍政権では、戦後教育の理念と制度を根本的に否定する教育政策が進められようとしている。同法が成立した状況においては、こうした教育政策を秘密裏に策定することが容易に可能になる。その一方で、公教育の理念に則して政策批判をする立場から情報を収集することには大きな制約がかけられる。

正しい情報が開示されず、それを知る権利を奪い、また政策のあり方について批判的な声をあげることを押しつぶすこの法律案の先には、国家権力が独走した第二次世界大戦前の社会の姿が見えてくる。

市民生活を委縮させ、市民を思うがままにコントロールすることを可能にする、この特定秘密保護法案を撤回するよう、再度、強く、強く求める。

 

201312月6日


公教育計画学会第4回大会のご案内

2012-06-12 09:21:32 | アート・文化

http://koukyouiku.la.coocan.jp/

今日は公教育計画学会第4回大会のご案内をさせていただきます。

今週末、16日(土)・17日(日)の2日間、関西大学百周年記念会館を会場にして、公教育計画学会第4回大会が開催されます。詳細は上記の学会ホームページをご覧ください。また、上記のホームページから大会プログラムのPDFファイルを見ることもできます。

今回の公教育計画学会、1日目の特別ラウンドテーブルでは「『大阪維新の会』の教育政策を検討する」、2日目の公開シンポジウムでは「2010年代の教育計画と学校経営・学校財政」がテーマになっています。また、2日目の自由研究発表の分科会では、新自由主義的な教育改革の動向やインクルーシブ教育などがテーマになった発表が行われます。

急な告知で大変申し訳ありません。ご参加、よろしくお願いします。


どこが新しい施策なの?-「教育基本条例案」への一日一言(14)-

2011-12-18 19:42:05 | アート・文化

http://mainichi.jp/select/wadai/news/20111218k0000e040145000c.html (橋下新市長:近代美術館計画を白紙に「しょぼいのいらん」:毎日新聞ネット配信記事2011年12月18日付け)

そうですか、建設予定中の美術館の計画が「しょぼい」と判断されるなら、一から練り直しになるわけですね。だとしたら、「教育基本条例案」についても、多くの市民から批判を招いているわけですから、「こんなしょぼい条例案はいらん」とか言って、一から練り直していただきたいものです。

それから、この記事ですが、「もうちょっと、マスメディアで取材されてる方、勉強したら?」と思いました。

http://mainichi.jp/select/seiji/news/20111218ddm002010074000c.html (橋下氏:就任前から改革案続々、19日大阪市長に:毎日新聞ネット配信記事2011年12月18日付け)

実はこのネット配信記事には添付されていないのですが、我が家に届いた毎日新聞本紙のこの記事を見ると、こども青少年局関連の橋下氏の改革案として、保育・子育て支援関連の「待機児童の解消(ゼロ化)」と「児童虐待防止対策の強化」をあげていました。また、教育委員会関連の改革案としては、「学校選択制の導入」と「中学校給食の実施」をあげていました。

しかし、私に言わせると、「どこが新しい施策なの?」「こんなの、前の市長期からの継続か、前より悪くなる施策じゃないの?」という感じ。そのことは、ちょっと保育や子育て支援、教育について勉強すれば、すぐにわかります。

たとえば、鳴り物入りの施策になりそうな「学校選択制」については、東京都品川区がすでに導入していますが、いろいろと問題点も浮上しています。そのことは、佐貫浩『品川の学校で何が起こっているのか』(花伝社)や嶺井正也(編著)『転換点にきた学校選択制』(八月書館)などでも指摘されているところです。

あるいは、「中学校給食の実施」については、いままでもさんざんこのブログで指摘してきましたが、「そもそも、大阪で今までやってこなかったほうが、全国的に見たら問題」という側面があります。また、今から4~5年前、一連の施策見直しのプロセスで、大阪市内の公立中学校で実施してきた給食を廃止してきたのは、いったい誰だったのか。あるいは、そのときに大阪の市議のなかには、「弁当をつくってくるのは親の愛」みたいな発言をした方もいるとききます。そのような状況のなかで、平松市長期に公立中学校での昼食の配達サービスみたいな事業をはじめたのではなかったのでしょうか。今までの二転、三転するような、学校給食に関する大阪市の施策の点検、反省抜きにして、こんな施策を安易に提案してほしくないですね。

さらに、いまどきどこの自治体首長でも、保育や子育て支援施策に関しては、まずは保育サービスの拡充による「待機児童の解消」くらい、誰だっていいます。それがなかなかうまくいかないのを、どのように行うのか、そこが首長のリーダーシップ、政策提案でしょう。役所の担当者に「待機児童ゼロの方法を考えてくれ」というだけなら、「誰だって言える」程度のことです。

そして、「児童虐待防止対策」。実は大阪市や大阪府というのは、今までだって、全国に先駆けて虐待防止の取組に全力を挙げてきたこと、この記事の書き手はおそらく知らないのでしょう。たぶん、今の「介入型」とよばれるケースワークの方法などは、大阪市や大阪府の児童相談所のみなさんが、90年代以来、いろんな苦労のなかで積み上げてきたものです。

また、大阪市は去年の今頃、「大阪市児童を虐待から守り子育てを支援する条例」を定めました。詳しくは下記を見てください。これ、平松市長期の実績の一つです。

http://www.city.osaka.lg.jp/kodomo/page/0000106580.html

このような子どもの虐待防止や子育て支援を積極的に行う条例を持つ自治体である以上、大阪市は誰が市長になろうが、子どもの虐待防止の取組を積極的にやらなければいけないのであって、逆に「さぼっていれば、市民が市長を批判しなければならない」のです。

だから、私などは、「こんな記事書いていていいのか?」とも思いますし、「これのどこが新しい施策なの?」と思うわけです。もうちょっと、マスメディアの関係者はきちんと勉強して、橋下新市長の繰り出す施策を批判的に論じてほしいな、と思いました。


「つづりかたきょうしつ」その3

2011-03-02 21:14:24 | アート・文化

いきなりタイトルが「その3」になっていて、不思議と感じた方もおられるかと思います。ただこのテーマ、すでに過去2回、このブログの「追記」の形で書いていたので、その続きということで「その3」とさせていただき、独立してこれからも時々、書いておこうと思います。

過去2回「追記」で書いたときもそうだったのですが、このブログをよく見ておられるある方が、この「つづりかたきょうしつ」というテーマで書いている文章を、けっこう喜んで読んでおられるようです。これはたいへん、ありがたいことですね。

それで、前々からこれは思っていたことなのですが、各地で子どもの人権関連の市民運動ですとか、あるいは識字教室や子ども会、若者のサークル活動等々、学校の外での人権教育系の取り組みに関わっている人たち。こうした人たちを主な対象として、人権教育や子どもの人権関連の文献ですとか、人権関係の法や国際条約などをきちんと読み、それをふまえて自分たちの日々の活動や運動を位置づけなおすような文章を書く。あるいは、過去の活動や運動の記録・報告集などをきちんと読んで、それを参考にして、自分たちの今の活動の記録や報告を書いてみる。そんな感じで、「運動」に関わる人たちのための「読み書き教室」のような取り組みが、今、必要とされているのではないか・・・・。そんなことをこのところ、強く感じるようになっています。

研究者が研究者のために文献を読み、文章を書くトレーニングをする。そういう場は大学や学会などを中心に、いろいろあるでしょう。でも、たとえば市民運動の担い手の人たちが、自分たちの運動をよりよくするための「読み・書きの力」を磨く場というのは、案外「ある」ようで「ない」のかもしれません。

なにしろ、そういう運動のための「読み・書きの力」というのは、研究者にとって必要な「読み・書きの力」と重なる部分もありますが、やはりどこか「ずれ」があるのではないかな、と思ってしまうのです。たとえば国や自治体の行政だとか、国会や自治体の議会に対して、何か自分たちの運動の主張を訴えかけるような文章は、研究者が学会で自らの主張を展開するための文章と、どこか文章のスタイル、つまり「文体」が異なってくると思うのです。

おそらくそういう文体のちがいは、ひとつは「誰に自分の意見を伝え、わかるように書くのか?」という、「想定する読者のちがい」によって生まれてくるのではないかと思います。研究者相手に書くのか、行政職員や自治体議員を相手に書くのか、地元住民や支援者を相手に書くのか、自らの主張に反対する運動体にものを言うのか・・・・。それによって、文章の書き方は微妙に違ってくるでしょう。

また、それぞれの運動体の内部で、どういう議論を積み重ねていくのかによって、論理の構成や選ばれる言葉もちがってくるのではないでしょうか。それこそ、同じ団体のなかにもいろんなグループがあって、そのなかでの意見のすりあわせなどによって、ことばの使い方が変わってくることもあるでしょう。また、何か原案を検討する委員会などができた場合は、そこで意見をとりまとめする役の人と、そうでない人との間で、ある文書ができあがるまでにいろんなせめぎあいがあるでしょうしね。

あるいは、運動体の側から出す文章には、そこに当事者の熱意だとか願いだとかが強くこもっていて、そういう感情的なものを抑えて書く文章とはちがう何かが文体にもでるでしょう。そして、その運動体が出す文章には、その運動体を取り巻く社会情勢だとか、その運動体が背負ってきた歴史的な経過がいろんな形で詰まっているでしょうし・・・・。

このように考えていくならば、「研究者として文献を読み、書く」というのとは別に、子どもの人権や人権教育に関わる「運動」のメンバーとして文献を読み、書くというトレーニング。そういうことが、まさに「おとなのための学びの場」、運動にかかわるおとなのための「読み書き教室」として形成されることがあってもいいのかな・・・・。そんなことを今日、あらためて思いました。

もっとも、研究者が研究者を相手に読み、書く文章も、研究者間のいろんなせめぎあいのなかで生まれてくるものですし、行政の審議会や調査研究協力者会議などの文章も、それが出てくるまでのプロセスで、きっと内部でのさまざまなせめぎあいがあるのではないでしょうか。

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子どもの権利条約第31条(その2)

2011-01-31 16:08:26 | アート・文化

久しぶりの更新になります。

ついこの前正月だと思ったのに、来月からもう2月ですか。月日がたつのは早いものです。来月からまた再び、こちらのブログも更新をこまめにしていこうと思います。今日はまず、その予告です。

それとともに、最近のアクセス解析をみていると、子どもの権利条約第31条(休息・余暇、遊び、文化的芸術的生活への参加)の話のところに、かなりひんぱんにアクセスがあるようです。これはたいへん、ありがたい話です。

最近の私は、学校教育における子どもの権利保障もさることながら、この子どもの権利条約第31条を手掛かりにして、学校外の生活における子どもの権利保障にも目を向けていくことの重要性を、いろんな場を通じて訴えかけていくように意識しています。

先週の金曜日夜も、大阪市西成区で障害のある子どもたちの職業体験活動に取り組む人たちの集まりで、子どもの権利条約の話をしてきました。その話をした場所が元青少年会館、今の市民交流センターです。

で、当然ですが、「放課後に子どもたちがさまざまな体験活動をする場」の重要性だとか、カルチャーセンターやスポーツクラブなどが運営する子どものピアノ教室や体操教室への参加に月謝がかかることから、家庭の経済力が放課後の子どもの暮らしを左右していること。その家庭の経済力のあるなしにかかわらず、子どもにさまざまな体験活動をする機会を保障しようとすれば、かつての青少年会館のような場が大事だとか。それなのに、なぜ大阪市はこんな大事な施設を廃止してしまったのか、等々。

あるいは、障害のある子どもたちの地域生活への参加促進、インクルージョンの進展ということを考えると、子どもの権利条約にのっとって学校でのインクルーシブ教育の推進も大事であることはまちがいない。だけど、放課後や長期休暇中に、障害のある子どもたちが地域社会に参加していくことのできる場づくりも大事。そのときに、職業体験や自然体験、アートや音楽に触れる体験等々、子どもの権利条約第31条にのっとった取り組みも大事だということ(だから、西成区で今、みなさんが取り組んでいるような障害のある子の職場体験活動は、子どもの権利条約の理念に沿ったとりくみなんですよ、ということ)。

とにかく、なにかと子どもの権利条約第31条にひっかけて、このような感じで、好き放題、話をしてきました。

でも、あらためて考えてみると、上で述べたような視点って、大事ですよね。子どもは学校という場のなかだけで育つのではなく、地域社会のさまざまな活動の場でも育っていく。そこでは遊びやアート、音楽、スポーツ等々、いろんな体験を積み重ねていく機会が用意されていることが望ましいだろうし、その機会の利用にあたってはお金はできるだけかからないことが重要だろうし・・・・。そして、そういう活動の場に参加する・しないという段階からその活動の運営の在り方に至るまで、子どもたちの意見が尊重されるような場であることも望ましいでしょうし・・・・。

このような形で、私としては今後も積極的に、子どもの権利条約第31条に関する話をしていきたいと思ったのでした。

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どうするのか空き施設?

2009-11-04 08:01:00 | アート・文化

昨日、先週土曜日と、比較的続く形で、大阪市内のある人権文化センターの会議室を借りて、仲間の研究者たちと研究(学習)会や今後の活動の打ち合わせなどをしました。

なかには青少年会館条例がなくなる前から、大阪市内の中央青年センターや、昨日とは別の人権文化センターを使って活動している研究会もあるのですが。だから、人権文化センターほか大阪市内の地区内拠点施設の問題では、私も仲間の研究者たちも、利用者のひとりです(笑)

さて、昨日使った人権文化センターには、エレベーターのなかに「市民交流センター」への移行にむけて、従来どおりの貸室予約手続きは3月末まで、それ以降はまだ未定という趣旨の貼り紙がしてありました。

また、そこの人権文化センターは新たに「市民交流センター」として、隣にあるもと青少年会館に移るという趣旨の説明も書いてありました。

ただ昨日、仲間の研究者と言っていたのは、「じゃあ、この人権文化センターの建物はどうするねん?」ということ。

「更地にして売るんか?」「この不景気に買い手あるんかいな?」「別目的の施設として利用するの?」「いや~、どうなるんかな~?」等々、いろいろ話をしたのですが。

なかなか、こうやって質問攻めにあうと、まるで自分がこの問題担当の大阪市役所の職員のような気分でした(苦笑)。

でも、昨日は九州や四国など他の府県から来ていた他大学の研究者もいたのですが、彼らから見れば、「なぜこういう話になるのか、理解できない」とのこと。

特に「市民交流センター」設置やそこへの分散した各施設の機能集約、指定管理者制度の適用、ここまではまだわかるとして、「余った施設の使い方や整理のしかた」について、全然方針すら見えないことが疑問だと言いますね。

そこはほんと、どうする気なんでしょうね?

余った施設の有効活用をぜひ、地元の人たちと行政との間で、おおいに論じてほしいものです。

ちなみに、土曜日や日曜日、祝日の利用者が多いその人権文化センターを、同じように土日や祝日の利用者が多いもと青少年会館とくっつけたら、市民の利便性という面から見ると、「使い勝手悪い」でしょうね。貸室が土日・祝日だととりあいになりますから。

私たち就労・就学中の者は、平日の昼間、職場や学校にいます。だから休暇でもとらない限り、平日の昼間に「市民交流センター」のようなところになかなか顔は出せません。逆に平日の夜とか、土曜日、日曜日、祝日の利用が、「使いたいときにすぐ部屋をおさえられる」みたいな感じで柔軟にできないと、ものすごく困ります。

だから、土曜日・日曜日や祝日の利用状況を前提にして、余裕をもった施設運営ができるようにすること。そうしておかないと、就労・就学中の人もたくさん関わって、本当に設置目的に沿って住民の活動が活性化しはじめたら、今の建物だけだと「市民交流センター」はきっとパンクすると思うんですけどね。

そのときにはぜひ、今は余ったと言われてる施設も活用できるようにしてほしいです。

まあ、もっとも、「余った施設も使わせろ!」というくらいに、今後、地区内外での住民の諸活動を活性化しなくちゃいけませんが。

※またケータイからの投稿です。あとで文章を適宜なおします。

※先ほど、パソコンから文章を直しました。やっぱりケータイからの入力だと、改行や句読点の打つ場所など、変なところがありますね(2009年11月4日、夜6時20分)。

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これってほんとうにいいの?

2008-09-07 12:01:20 | アート・文化

昨日あたりから新聞各紙が伝えているので、すでにご存知の方も多いかと思うのだが、大阪府の国際児童文学館の職員の仕事ぶりなどを調べるために、橋下大阪府知事が私設秘書にビデオカメラをもたせて、「隠し撮り」をさせていたとか。

そのことは、たとえば今朝の朝日新聞大阪版のネット配信記事は「そこまでするか」という見出しをつけて報じていたし、産経新聞関西のネット配信記事ははっきりと「盗撮」と見出しに書いています。他にも、読売新聞(関西)のネット配信記事は「隠し撮り」、毎日新聞(大阪)のネット配信記事も「隠し撮り」と出ています。

それで、このニュースを見て思ったのは、「児童文学館職員もこんなことまでされたら、たまらんやろうなぁ。統廃合がとりざたされるだけでも、相当ショックが大きいのに」ということ。また、「私設秘書を使って」というあたりで、橋下知事は「幹部級職員を含めて府職員を信用していないのかな?」とも思うし(本当に信頼しているのなら、府職員の誰かを視察に行かせればいいわけだし)、「予算の執行状況や職員の勤務状況がそれほどまで気になるのなら、どうして自分が休みの日にお子さんをつれてふらっと見てくるとか、知事として抜き打ち視察をするとか、そういう方法を使わないのだろうか?」と思ってしまいます。(ちなみに、府知事とは立場がちがうのでいっしょにはできませんが、私も気になる子どもの公共施設があれば、自分の娘を連れて行くことがありますし、そこでのイベントや活動に娘とともに参加することで、そこでの取り組みの良し悪しを実感してくることもしばしばあります。)

また、これらの記事を読む限り、橋下知事は「来館した子どもがマンガばっかり読んでる」ことをさも悪いようにいいますが、実は京都市内には「国際マンガミュージアム」という、マンガ専門の博物館があります(ご存知のとおり、ここは京都市とうちの大学の共同運営施設です)。ここに行ったら、来館者は朝から夜まで、入館料を払った上で、時には芝生に寝そべったりしながら、自由にマンガを読んでますけど。来館者が自由に児童文学館においてあるマンガを読む、このことに何か、問題はあるんでしょうかね? いっそ、児童文学館を「大阪国際マンガミュージアム」にして、華々しく広報活動をして、来客者を増やすくらいのこと、府知事として訴えてみたらどうなんでしょうか? (廃止や統廃合の方針をぶちあげるよりも、まだそういう提案をしたほうが、きっと、児童文学館職員も「やる気」になって、何か、新しい取り組みを考えるかもしれません。)

他にも、誰とはいいませんが、アキハバラに集まるアニメファンに人気の政治家とか、マンガやアニメといった日本の文化を世界に向けて情報発信するような、そんな構想をぶちあげているような政治家だっているでしょう。マンガ学部やアニメーション学科のようなコースが日本の大学に設置されるような状況下で、「子どもらがおちついてマンガ文化に触れることのできる、そんな公共文化施設」を大阪府が設置・維持するというのは、けっして悪いものだとは思わないのですが。(まぁ、千里・万博公園内という立地条件の問題で、国際児童文学館にいくらマンガをおいても、平日だとそう簡単に大阪府下の子どもがアクセスできないところが難点ですが・・・・。)

さらに、もう一度「隠し撮り」をいう手法にもどりますが、これって、児童文学館職員の働きぶりを撮影しただけでなく、文学館でマンガを読んでる子どもたちの様子も「隠し撮り」したんですよね? だからこそ、橋下知事はそのビデオを見て、「子どもらがマンガばっかり読んでる」といって、児童文学館の対応を批判するわけですよね? 

でも、よく考えてみたら、「隠し撮り」で撮影された子どもたちって、橋下知事の私設秘書なる人が誰かわからないし、その人がどんな形で撮影していたのかも知らないわけでしょ? それってやっぱり、問題が多いんじゃないでしょうか? こういう手法って、撮られた子どものプライバシーの侵害にならないのでしょうか? 少なくとも私が児童文学館の利用者であったり、あるいは、そこに娘を通わせて本やマンガに触れさせている保護者であれば、「その撮影されたビデオがなんに使われるかわからないし、とっても不愉快だ」といいたくなります。

ちょっとここで考えてほしいのですが、もしも見ず知らずの誰かが、かばんの中に隠し持ったビデオカメラで、駅や学校、公共施設などで、撮られる側にないしょで、気に入った誰かの映像を取りまくってたら、不愉快な気分になりますよね。だいたい、防犯目的で各地に設置されている監視カメラに対してですら、「個人のプライバシー侵害だ」という批判があるくらいです。ビデオ撮りには、撮られる側への説明とか、公開に際しての配慮とか、そういったことが必要不可欠ではないのでしょうか?

そう考えると、やっぱり、府知事が私設秘書を使って、廃止対象施設の様子をビデオで隠し撮りしてくる・・・・って、こんな対応って、まずはその施設職員に対してというより、利用者である府民に対して、まずいでしょう。そして、この撮影したビデオを府議会での予算審議に出すとか出さないとか、橋下知事は新聞記事によると言っているようですが、撮られた子どものプライバシー侵害の危険性も高いようなビデオを府議会に出すこと自体、「どうなんでしょ?」といいたくなりますね。今後の大阪府議会やマスメディア、そして、府民のみなさんの見識に期待したいところです。

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地道に各地の取り組みを追う必要性

2008-07-27 11:06:09 | アート・文化

昨日、ある会合で、大阪市内の旧青少年会館を使って、地元の小学生の子どもたちを集めて子ども会活動をしている方の話を聴きました。その地区では、高校生や地元の若者たちの支援を得て、この夏休み期間中、ほぼ毎日、子ども会活動をやろうとがんばっているとのこと。また、去年の夏休みもほぼ毎日、子ども会活動をやりきったとか。学期中にも旧青館内にうまく場所をキープして、何らかの形で活動を続けてきたそうです。こういう話を聞くと、なんだかうれしくなってきますね。

また、最近定年退職された元青館指導員の話によると、今、その子ども会が取り組んでいる活動の様子は、青館事業が始まる前の「解放子ども会」の取り組みととてもよく似ているとか。そんなところから、「過去の歴史に学ぶ」ことの重要性を感じます。もしかしたら、30年くらい昔の取り組みのなかに、今後の子ども会活動のあり方を考えるヒントが詰まっているかもしれないからです。

それから昨日、大阪人権博物館のホールで開催された和太鼓コンサートを見てきました。なかなか、面白かったです。太鼓のリズムを聞いているこちらも感じることができたとともに、太鼓をリズミカルにたたく若者たちの体の動きが、まるで創作ダンスか何かのような、身体表現のパフォーマンスでも見ている感じになりました。演じている若者たちのものすごくエネルギーが伝わってきたことと、この和太鼓コンサートに向けて、相当、若者たちが厳しいトレーニングを積んできたんだろうな・・・・ということも伝わってきました。

それこそ大阪市などの行政当局が今、「文化を基盤としたまちづくり」だの「創造都市戦略」というのであれば、和太鼓コンサートのような若者たちの文化活動はもっと積極的に位置付けられていいだろうし、そのための練習場所として旧青館のような施設がもっと積極的に活用されてしかるべきだし、こうした若者たちの文化活動に小学生たちの子ども会などが触れる機会がたくさんあってしかるべきだろうし・・・・。

そして、「人権文化のまちづくり」とか「人権文化の構築」とか、私ら(子どもの)人権論の研究者がいうのであれば、和太鼓サークルや子ども会活動など、もっと、こうした地道な取り組みを地域で続けている人びとと交流して、こうした活動が活性化するための条件整備に向けての政策提言づくりだとか、実践的なノウハウに資するような情報提供とか、そういったことにもかかわっていく必要があるのではないか、と感じました。

しかし、なんか旧青館での地元の人たちの取り組みにかかわればかかわるほど、次々に教育(学校教育、社会教育・生涯学習の両方)、福祉(主に児童福祉だけど)、まちづくり・文化振興など、いろんな課題が見えてきて、なかなかたいへんだけど、面白いです。かかわればかかわるほど、これまでの(子どもの)人権論の「弱い」部分がわかるような、そして、その「弱い」部分を、地元の人たちと私らがいっしょに変えていこうとしているような、そんな感触を抱いています。

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