できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

大丈夫なんだろうか?

2008-09-27 17:56:28 | ニュース

久しぶりの更新になります。まだ本業の重要な仕事が片付いていないのですが、出席予定だった研究会を2つキャンセルして時間を確保したのと、いま、ひとつ大事な仕事を終えたので、その分、気持ちに少し余裕ができました。ですから、最近の情勢について、何か書いておきます。

さて、今日はまず、この記事から。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080927-00000004-maip-pol (中山国交相 与党内に更迭論強まる 解散日程にも影響か=毎日新聞のネット配信記事、ヤフーから)

麻生政権発足時にたぶん、国政与党は組閣にあたって、いわゆる「身体検査」というのを入閣予定者に対してやったのではないか・・・・、と思うのです。でも、例えば事務所経費問題とか政治資金の問題などでのチェックはしたかもしれないけど、おそらく、失言の問題だとか、歴史認識だとか、政治情勢に対する判断の問題といったことは、やっていなかったのではないでしょうか。もしくは、政権の中枢に位置する人たちは、この大臣と同じような価値観の持ち主なのか。そのどちらかでしょう。いずれにせよ、「大丈夫かな、この人たち?」と思ってしまいました。

なおかつ、次の記事になるわけですが。

http://www.asahi.com/politics/update/0927/TKY200809260383.html (「日教組強いと学力低い」中山説、調べてみれば相関なし=朝日新聞のネット配信記事)

この朝日新聞の記事を見ると、ますます、「大丈夫なの、この人を大臣にしていて?」と思ってしまいました。この間、事実をきちんと調べたことすらなかったのかな・・・・、と思いますね。

おまけにこの人、自分が文部科学大臣のときに導入しようとした全国学力テストを、この記事によると、<中山氏はインタビューで、自説が確認できたとして「学力テストを実施する役目は終わった」とも話した>とのことだから、「もう、全国学力テストなんて、やめていい」ってことを、導入した側にいる人自体が認めているわけですよね。ほんと、「大丈夫なの、こんなこと言っていて・・・・?」と思いますが。

そして、こういう大臣の発言を前にして、いよいよ、この人の話です。

http://www.asahi.com/politics/update/0927/TKY200809260374.html (国交相発言「本質ついてる」 橋下知事は擁護論=朝日新聞のネット配信記事)

国政与党のなかからも更迭論が出たり、「大丈夫なの、この人?」と思われているかのようなあの大臣を、一生懸命、擁護しようとしているんですね、橋下知事は。要するに、「自分に反対する勢力はうっとおしい、その気持ちはわかる」という次元での擁護論なのでしょうか?

おまけに、橋下知事はこういう議会答弁もしているようです。

http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200809260061.html (橋下知事、隠し撮りは「府民から喜ばれている」=朝日新聞のネット配信記事)

http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200809260025.html?ref=recc (小泉元首相引退に橋下知事「僕の改革なんてハナクソ」=朝日新聞のネット配信記事)

この2つの記事を読んで、私は正直、「大丈夫なの、この人?」と思いました。だいたい、この記事だと「府によると、隠し撮りが発覚した今月6日以降、府民らからの関連メールは61件で、うち44件が批判的だった」とのこと。ということは、橋下知事には批判的な意見が多く寄せられているのに、どこで「府民から喜ばれている」と判断したんでしょうか? これだと、「自分に都合のいい話を、都合のいい形でまげて理解する人だ」といわれかねません。そういう理解をされると、橋下知事自身が損すると思うのですが・・・・。

そして、橋下知事就任以来のこの数ヶ月間行われたように、大阪府政改革に関して、マスメディアで過激な言葉を使ったり、反対勢力とのバトルなどの派手なパフォーマンスをして、世論を自分にひきつける手法。それは、彼が大絶賛する小泉元首相の手法とも似ているかもしれません。しかし、その大絶賛する小泉元首相も、つい先日、政界からの引退表明をしました。また、この何年かたち現れている政治・行政上の諸課題は、小泉政権期の改革が生み出した矛盾とか、改革手法の限界とかを示しているのではないでしょうか。

特に、マスメディアを使って世論をひきつける手法の矛盾や限界は、今や、国政与党や政権内部に逆風がむかう形で噴出しているのではないでしょうか。だからこそ、テレビや新聞などが注目しているところで出た一閣僚の不用意な発言、思慮に欠く対応などが、あっというまに「失言」として報道され、各界からの閣僚更迭意見や新政権への批判としてやってくるわけです。

本当に政治情勢が見える人であれば、今や、過激な言動で人目を引いたり、派手なパフォーマンスにものを言わせて世論を動かそうとするようなことも、もはやしないだろうと思います。また、人目を引くパフォーマンス頼みで政治をやっている限り、逆にひきつけたその人目が自分を監視し、批判し、非難し、罵倒する方向にいく危険性も覚悟していないといけません。あまりつまらない発言をくりかえしたり、支持すべきでない人を支持したりしていると、かえって、見ている人が「引く」ということも考えていないといけないでしょうね。そうなると、パフォーマンス頼みの政治家は、かえって支持を失うことになるでしょう。

そして、私としては、本当に今の政治情勢の見える人であれば、そういうパフォーマンスに頼るのではなく、行政や学校の現場で働く人びとや、住民とのきちんとした対話にもとづいて、あるいは各政党の議員間の意見交換などを通じて、自らの所信をきちんと説明し、きちんと人の意見を聴いて対応するのではないか、と思います。また、改革プランの問題点を洗い出し、直すべきものをなおし、場合によれば引っ込める決断ができる人も、本当にその時々の政治情勢が見える人なのではないか、と思います。

ですから、私としてはぜひ、この際、橋下知事には、下記のような意見に耳を傾け、自分の方針をあらためるような見識を持ってほしいと思います。

http://mainichi.jp/area/osaka/archive/news/2008/09/25/20080925ddlk27100498000c.html(全国学力テスト:府教職員組合の新居委員長に聞く 総合的施策で格差解消を/大阪=毎日新聞のネット配信記事)

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これも「教育の地方分権」のかたち

2008-09-19 12:45:10 | 受験・学校
全国学力テスト、参加しません。―犬山市教育委員会の選択 全国学力テスト、参加しません。―犬山市教育委員会の選択
価格:¥ 1,260(税込)
発売日:2007-03

 橋下知事がマスメディアでさかんにあれこれいうように、まずは府教委や府知事の側から府下の各自治体教育委員会に、全国学力テストの結果の市町村別結果公表を迫っているのが、今の大阪府下ですすめられようとしている教育改革の取り組みです。また、昨今のマスメディアの伝えるところでは、これから先、大阪府下の学校改革のプランとして、学校選択制の導入などもあがってきたようです。そして、大阪府下のいくつかの自治体教委からは、橋下知事や大阪府教委の要請に答えて、学力テスト結果の公開に踏み切ろうとしているところもでてきたようです。

 ところが、日本全国で唯一、犬山市教育委員会は、全国学力テストそのものへの参加を拒否しました。また、その上で、これまで数年かけてきた自分たち独自の教育改革を、たとえば「自ら学ぶ力、学びあい、習熟度別ではない少人数授業、副読本作成、学校裁量による授業づくり・学級づくり、教師の自己改革と学校の自立、教育の地方自治」(以上は『全国学力テスト、参加しません。』のオビに書いていたことば)といった観点からすすめています。

 ちなみに、上に紹介した犬山市教育委員会編『全国学力テスト、参加しません。』(明石書店)は、全国学力テスト参加を拒否した理由を説明した本なのですが、そのなかには、次のような文章がありました(同書、40~42ページ)。犬山市教委の立場がどういうものであるのか、ここから伝わってくると思うので、引用しておきます。

「2005年12月、犬山市の教育委員会と校長会は、『2006年度の学びの学校づくりプラン』の作成を始めました。そのなかで私たちは、人格の完成をめざし、自ら学ぶ力を人格形成の重要な要素と位置づけたこれまでのとりくみをさらに推し進めていくことを確認し合いました。

 他方、2006年1月、文科省の『全国的な学力調査の実施方法等に関する専門家検討会議』は、『全国的な学力調査の具体的な実施方法等について(中間まとめ案)』を公表しました。この中間まとめ案では、結果の公表は競争激化・序列化を招くおそれがあると書かれているものの、『競争による教育改革』をすすめようとする政府の考えへの疑問と不安を払拭するものではありませんでした。教育の場に競争原理を導入して失敗した例は、これまで国内・国外を問わず報告されています。この競争原理は、犬山市教育委員会の教育観とは大きく異なるため、私たちは国(文部科学省)はすすめようとしている教育施策に強い危機感を抱きました。

 犬山の教育改革は、教育特区(特定の地域にだけ全国一律の規制を緩和・撤廃し特別な教育制度を認めるしくみ)でなければ実施できないという特別なものではなく、あくまでも現在の義務教育制度に則り、どこの地方でも実施できる教育改革であり、義務教育のあるべき姿を示そうとするものだったからです。画一的な全国学力テストや教員評価は、私たちの教育観と大きく異なり、これまで私たちがすすめてきた教育改革に逆行すると判断しました。このままでは、全国各地の学校教育が全国学力テストの結果にふりまわされ、日本の教育がとんでもない方向にすすんでしまうのではないかということを危惧したのです。」

 「教育の地方分権」の掛け声のもとで、大阪府下の各自治体教委が、何事も府知事や府教委の要請にこたえるのもひとつの道。でも、もう一方で、全国学力テストに関して、犬山市教委のように、自らの見識と取り組みに自信をもって、文部科学省の施策への協力を拒んだ自治体教委もある。そのことを、やっぱり、忘れないでほしいと思います。

 ところで、どうしても府庁記者クラブあたりで発表している情報を中心的に流しているのか、マスメディアでは橋下知事や大阪府教委サイド、あるいは、橋下知事や府教委の要請にこたえた自治体教委などの動きが中心的に伝えられる傾向にあるようです。

 しかし、例外的であることはまちがいないにせよ、日本全国の自治体のなかには、「そもそも全国学力テスト自体に参加しない」ことを決め、その学力テスト実施にともなう諸問題について、本を一冊書き上げてしまうような、そんな教育委員会があります。(実際、この本の随所に、そもそも全国学力テスト実施がなぜ問題かについて、個人情報保護や調査の趣旨、他の方法の可能性等も含め、あくまでも犬山市教委の立場からですが、いろんな角度からの見解が述べられています。)そのこともぜひ、橋下知事からの教育改革の提案に関連して、マスメディアで伝えてほしいと思います。

 今日の最後にひとつ、疑問です。今度就任される新しい大阪府の教育委員の方は、この本、読んでおられるのでしょうか・・・・?

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教育委員会制度をめぐって

2008-09-15 11:34:17 | ニュース

 我が家にある『現代教育史事典』(久保義三ほか編著、東京書籍)で「教育委員会法」という項目を見ると、次のような文章が出てくる。

「1948年7月公布、施行。「教育基本法」第10条を受け、「公正な民意により、地方の実情に即した教育行政を行うため」(第1条)、公選制の教育委員会を都道府県・市町村などに設置。アメリカ教育使節団報告書(第1次)の勧告及び教育刷新委員会の建議に基づき制定された。「文部省設置法」とともに、中央集権的な戦前の教育行政のあり方を、民衆統制・地方分権・一般行政からの独立を原理とする教育行政に転換しようとしたものである。56年6月、地方教育行政の組織及び運営に関する法律により廃止。(以後略)」

 また、同じく『現代教育史事典』で「地方教育行政法」(地方教育行政の組織及び運営に関する法律)の項目を見ると、次のような文章がでてくる。

「廃止された教育委員会法に依る委員会との最大の相違点は、委員の専任の仕方である。教育委員会法は公選制を、地方教育行政法は任命制を規定した。公選制の廃止にあたっては、教育基本法第10条の直接責任や公正な民意の反映という原理を歪めるものとして強く批判された。また地方教育行政法は、都道府県委員会の教育長が文部大臣の、市町村教育長が都道府県委員会の承認を得て任命されるという権限関係を設定し、文部大臣には都道府県委員会に対する、都道府県委員会には市町村委員会に対する「指導」「助言」「援助」を義務づけ、さらには文部大臣には地方公共団体の長や委員会に対する措置請求権(教育に関する事務についての是正や改善のための措置を求める権限)まで与えた。この仕組みによって、教育委員会は地域住民との関係を希薄化させつつ、文部省―都道府県委員会―市町村委員会という縦の権限関係を強めた。教育委員会が各地域の教育全般、とりわけ学校教育や教職員の人事などについて広範な権限をもっていることから、この縦の権限関係は末端において「管理教育」と言われる諸現象を引き起こしたと説明されることが多い。

 なお、政府全体の地方分権化推進の一環で99年に大きな改正が行われ、上記の教育長の任命承認制は廃止され、「指導」「助言」「援助」は行うことができると変更され、措置要求権も撤廃され、都道府県委員会の事務の一部を市町村委員会に移管することも可能になるなど、全体として上下の権限関係が緩和された。」

 この記述からわかるのは、そもそも発足当初の教育委員会制度は、地方分権と「教育委員の公選制」による民意の反映を前提にしてつくられたものであって、都道府県知事や市町村長、あるいは都道府県・市町村議会の意向を反映させる形で作られたものではない、ということである。それを、戦後日本の政治情勢のなかで(特に冷戦まっさかりの、1950年代の保守・革新の対立の構図のなかで)、当時の政権(=当然、保守系政権)側がさまざまな批判・反対を押し切る形で、「当該地方公共団体の長(=都道府県知事・市町村長)」が「議会の同意を得て」任命するという、現行の任命制教育委員会制度に切りかえたわけである。そして、文部省(当時)―都道府県教委―市町村教委という「縦」の権限関係を強化し、政府レベルでの教育政策が地方自治体レベルにまで広く浸透するという構造ができあがった、ということである。

 ついでにいうと、この任命制教育委員会がその後、全国各地で「教師の勤務評定」や「全国学力調査(学テ)」を実施し、当時の日教組ほかさまざまな教育運動と対立することになった。また、「学テ」はテストの点数を過剰に競う風潮や、テスト対策のための準備学習が最優先される教育の状況、テストに際してのさまざまな不正を行ったケース、そして、テスト最優先の体制からこぼれた子どもたちの「荒れ」のたち現れなどを引き起こした。こういう状況を受けて、全国各地から「学テ」の実施に反対する世論や教育運動が巻き起こり、1965年以降は悉皆調査を取りやめることになった。(このことについては、国民教育研究所『勤評・学テ体制下の学校』明治図書、1967年を参照)

 このことを前提にして、以下の朝日新聞のネット配信記事を読んでほしい。

http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200809140081.html (橋下知事、テレビ番組で「教育委員会は関東軍みたい」 朝日新聞関西版ネット配信記事、9月15日)

http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200809130118.html (「橋下知事は独裁的で危うい」退任の府教育委員が語る 橋下新聞関西版ネット配信記事、9月14日)

 まず、そもそも現行の教育委員会制度においては、都道府県教委ですら、知事の指揮監督下にあるわけでない。ましてや、市町村教委に対しては、知事がなんら指揮監督できるわけではない。府知事として府教委及び府下市町村教委に対して、現行制度下でできるのはどこまでいっても「お願い」であって、それをどう受け止めるかは、各教育委員会側の「主体的」な判断である。

 というよりも、まずは教育行政の「地方分権」や「一般行政からの独立」のタテマエからすると、たとえ府知事の要請を断ったとしても、「全国学力テストの結果公開」に否定的な府下市町村教委の自主的な決定を府教委はまず尊重すべきだし、そのような府教委の姿勢を府知事としては尊重しなければならない、ということになる。これは、市町村教委や府教委が問題なのではなくて、現行法に定める日本の教育行政システムがこういった原則で動いているからである。

 だからこそ今、「全国学力テスト結果の市町村ごとの公表」に向けて、橋下知事は世論をマスメディアを通じてあおってみたり、予算編成権をちらつかせたりして、知事の意向に府教委や府下市町村教委を従わせようとしているのだろう。だが、これもまた、今の制度のタテマエからすると、やはり問題が多い。

 そもそも、今回、橋下府知事がやったように、自分の出演した一民放テレビ番組のなかで行った調査の結果でもって、府下各市町村教委や府教委の対応を批判するという方法そのものが、はたして本当に許されることなのかどうか。こういう対応こそ、府議会や市町村議会、府教委、市町村教委などに対して「権限の侵害」にあたらないのかどうか。こういうやり方をとる橋下府知事に対するチェック機能は、どこがかけるのか・・・・。そこが今、問われているように思われてならない。マスメディアを使って世論をあおって、それを「民意」といって、自分の要求を通そうとする、こういう橋下府知事の政治手法そのものへの嫌悪感も、各市町村教委の関係者の側にそろそろ芽生えてきてもおかしくはない。 ちなみに、現行の教育委員会制度においても、タテマエ上は選挙で選ばれた「地方公共団体の長」が、同じく選挙で選ばれた議員たちで構成される「議会の同意」を得て、地方教育委員会の委員の任命を行うということになっている。つまり、制度上は「任命制」であっても、何らかの形で教育行政に対して「民意が反映する」というタテマエをとっているわけである。そうやって理屈をつけて、今から約50年前に公選制教委を任命制教委に切りかえたわけであるから、今の教育委員会が「民意を反映していない」という話は、「府知事としての自分の言うことを聴いてくれない」というグチとしてならさておき、話のスジとしては通らない。

 また、都道府県議会や市町村議会の議事録を読めばすぐわかるが、各地方自治体の議会には、教育予算の審議等との関係で「文教」に関する委員会が設置されており、そこでは市町村・都道府県教委の施策や予算について、毎年の議会で、各議員と教育行政側の担当者との間で、丁々発止のやりとりが繰り広げられている。もちろん、その議論の中身のすべてが反映されているわけではない(中身的に優れた意見・議論もあるのだが、「反映しないほうがいい」というレベルの意見や議論も、もちろんある)。しかし、予算審議との関係上、市町村・都道府県議会の「文教」関係の委員会での議論の動向は、何らかの形で、市町村・都道府県教委の施策に関係していると見てよい。したがって、府知事のいう「教育の中立性」というタテマエがあるにしても、現行の教育委員会制度下においても、市町村・都道府県教委の側は、いろんな形で地方自治体議会及び地方自治体の長の意向を、いろんな形で考慮しながら動いているものである。そのことを、府知事はどう考えているのだろうか?

 それにしても、そもそも「なぜ、全国学力テストの結果を、市町村レベルで公開しなければならない」とするのか。そのことによって、市町村レベルでの教育改革にどのようなプラスの影響があって、学校現場や保護者、地域住民の意識がどのように変わって、教育がよくなっていくのか。そういう議論をそろそろ、きちんと聞きたいものである。

 逆にいうと、そういうきちんとした教育改革構想とか、教育論としての議論がないままに、今は「公開する・しない」の話ばかりに集約されているようにしか見えない。しかし、前にも書いたとおり、それだと「府知事や府教委の意向に従うか、従わないか」という「踏み絵」を各市町村教委に踏ませているだけの話にしかならない。

 そういう上から下の者に「踏み絵をふませる」ようなやり方こそ、今の教育委員会制度のタテマエに最もなじまない方法であろうし、あの文部科学省ですら渋い顔をする方法ではないのか。それこそ、こういう「踏み絵をふませる」やり方というのは、「地方分権」の流れの中で、「府知事集権体制」をつくろうとするような、そんな手法なのだから。だからこそ、各市町村教委は府知事の方針に「抵抗」するのではなかろうか。これに加えて、なにしろ教育界には、現場教員側にも、教育行政側にも、1960年代「学テ」導入についての痛い教訓があるわけだから、もうちょっと、そこに配慮をした方法を考えるべきであろう。

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前市長期の大阪市政改革の検証作業を

2008-09-12 17:21:09 | ニュース

http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200809120031.html (「橋下知事ブレーン役、北川正恭氏や本間正明氏らと初会合」 朝日新聞関西版配信記事、2009年9月12日)

 橋下府知事が、大阪府政改革の特別顧問として招いた人たちと会談したというこの記事ですが、「やはり、そうでしたか」というような内容ですね。

 どこで「やはり、そうでしたか」というと、この記事の文中にある「職員厚遇問題の発覚をきっかけにした大阪市の市政改革に携わったメンバーだ。この日は橋下改革を評価する声が相次いだという」というところ。

 前々から橋下知事の行財政改革の進め方について、「この手法、どことなく、大阪市の市政改革と似てる・・・・」と感じていたのだが、外部からアドバイザー的に関わるメンバーがいっしょなら、「やっぱり、そうなるよね」と思ってしまった。

 要するに今後は、橋下府知事のパフォーマンスやキャラクターをうまく使って、マスメディアを通じて世論を誘導し、「大阪市の市政改革」のプロセスで「その有効性」が「実証済み」のような手法を使って、今後、大阪府の行財政改革をやろう、ということなのだろうか・・・・。

 だとすれば、前の関市長期の大阪市の行財政改革がどのように進められ、どのような点で成果を挙げたかもしれないが、それに伴うデメリットがどのように生じたのか、あるいは、マイナス面や問題点がどのように今、噴出しているのかについて、きちんと検証作業を行っておくこと。および、これら大阪市の市政改革に外部からアドバイスを送った人たちの理論やアイデアについても、そのプラス面とマイナス面を検証して指摘していくことは、当然ながら、今後の大阪府の行財政改革に対しても、一定の批判的な視点を構築するのに役立つはずである。

 ということで、早急にこういった作業を、自分なりにもすすめていきたいし、協力してくださる方がいれば、その方とも連絡を取り合っていきたい。

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一歩、引いたところで状況を見る

2008-09-12 09:59:40 | ニュース

http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200809110029.html (朝日新聞関西版、9月11日配信記事。「猛反発は「教員の代弁者」 橋下知事が教委事務局を酷評」)

http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200809100091.html  (朝日新聞関西版、9月11日配信記事。「橋下知事発「学力調査の結果、公表せよ」 揺れる教委」)

http://www.asahi.com/politics/update/0909/OSK200809090027.html (朝日新聞関西版、9月9日配信記事。「橋下知事の重なる過激発言、与党からも「行きすぎだ」」)

http://www.asahi.com/politics/update/0908/OSK200809080049.html (朝日新聞関西版、9月8日配信記事。「橋下知事「自主的に公表しないと予算つけぬ」 学力調査」)

 昨日、我が家に届いた電子メールのなかに、今日の夕方6時から寝屋川市で開かれるあるイベントの案内がありました。これは、大阪教組委員長で府労連委員長という方が、「橋下財政改革・教育改革に異議あり!」というテーマで講演をするというもの。

 この案内と、この数日の全国学力調査の結果をめぐって、「公表しないと予算つけぬ」という脅しをかけてまで、橋下大阪府知事がかなり強い口調で府教委や市町村教委に対して、調査結果の「公表」をせまってる流れとを、あえてつなげて考えてみます。参考までに、一連の新聞報道を、朝日新聞のネット配信記事から出しておきます。

 そうすると、どういうことが見えてくるのか。うがった見方かもしれませんが、「これって要するに、『子どもの学力をどう向上させるか?』という議論のようにみえて、実は、府知事が府教委・市町村教委に『知事にしたがうのか否か』という『踏み絵』をふませている」ということであり、「その先には、府知事の改革に対する『抵抗勢力』である、教職員組合への攻撃が意図されている」という姿が浮かび上がってきます。

 あるいは、「安上がりで、効率よい学力向上策」を、さまざまなプレッシャーをかけて府教委や市町村教委に作らせることや、「これを機会に、教育委員会や学校への財源カットをはかりたい」ということを意図しているのではないか、という見方もできます。一連の文化施設や青少年施設の統廃合という流れから見ても、「まずは社会教育・生涯学習部門から入って、目指すは教育委員会の縮小、解体かな?」ということを思う人がいても、おかしくありません。

 そして、「そもそも、なんのために学力調査の結果を公表しなければならないと考えるのか?」という、より本質的な議論がスポッと抜け落ちていて、「いますぐ公表するか、しないか」という二者択一の話になっているのは、なぜなんでしょうかね?

 また、もっというと、「なんのための全国学力調査なのか? 1960年代には全国的な廃止運動によっていったん取りやめたものなのに」とか、「ただ単に今のカリキュラムに対する子どもたちの理解度を調べ、今後のカリキュラム改革に役立てるのであれば、一部の学校を抜き出して、サンプル調査をするだけでは、どうしてダメなのか?」とか、そういう本質的な議論もできるんですけど・・・・。(そこをやりだすと、「そもそも、国の全国学力調査自体、予算と人員、時間のムダかもしれない」という話までいきつくかもしれませんが)

 要するに、この学力調査の結果公表をめぐる大阪府下の問題というのは、「改革派知事VS抵抗勢力」という図式を、府知事のタレント性というのか、パフォーマンスというのか、マスメディアを通じた過激な発言などを通じて描き出して、自らに対する府民や世論の支持を調達しようという動きなのかな、という風にしか、私には思えないんですよね。もちろん、うがった見方かもしれないのですが。

 しかし、「収入が他の世帯と比べて少ないとか、何らかの事情で生活困難な課題をかかえている家庭の子どもほど、学校での学習活動についていくのがしんどくなる傾向が見られる」というのが、これまで教育学や社会学などの研究で得られた知見です。

 とするならば、財政難等いろんな事情があるにせよ、今後大阪府や府下各市町村が教育予算や子ども家庭福祉に関する予算をカットすればするほど、生活困難な課題をかかえている家庭の子どもたちの学業不振傾向は強まるのではないでしょうか。逆に、ほんとうに学力向上を求めるのであれば、教育予算や子ども家庭福祉にかかる予算は、大阪府や府下各市町村は、他の部門の予算をカットしてでも、優先的にまわしてこなければいけません。

 また、有名な教育実践者・教育研究者を府の教育委員に登用して「学力向上」といっても、その人たちの立てたプランを実施することのできる予算と人員配置、それこそ現場教職員の「ゆとり」「柔軟性」が確保されていなければ、「計画倒れ」に終わるかもしれません。

 また、今、府知事が教育委員に呼びたいという人だとか、教育分野で特別顧問に招いた人が、これまでどんな取組みをしてきた人なのか。あるいは、その人たちの学校改革や授業改革の構想というのは、すでに大阪府下の各市町村教委や学校レベルで行われてきた取組みとどこで共通し、どこでちがっているのか。その検討作業も行わなければ、「本当にこの人たちのプランで、大阪の学校は変わるの?」という疑問に答えきれないように思うのですが。

 こんな風に、府知事がマスコミ等に対して過激な言葉をつかって、あるいは、有名人を教育委員に招くとかいって、教育や学校の問題について積極的に語っているからといって、それが本当に大阪府の教育や子ども施策の向上につながるのかどうかは、もう少し冷静に検討しなければいけないことのように思います。

 少なくともこれからは、一連の府知事のマスコミ等での過激発言について、それを面白がって喜んで見るのではなく、「これって、何かのためのパフォーマンスじゃないか?」と思って、「一歩、引いたところで検討してみる」ということが必要ではないかな、と思います。

 と同時に、府知事の発言やパフォーマンスを連日、ニュースや新聞などで流すことは大事なのですが、それをただ単に「こうでした」と流すのではなく、もう少し多面的に考察できるように工夫した報道を求めたいですね。新聞記事などを見ている限り、このところはわりと、その傾向が出てきているようには思いますが。

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これってほんとうにいいの?

2008-09-07 12:01:20 | アート・文化

昨日あたりから新聞各紙が伝えているので、すでにご存知の方も多いかと思うのだが、大阪府の国際児童文学館の職員の仕事ぶりなどを調べるために、橋下大阪府知事が私設秘書にビデオカメラをもたせて、「隠し撮り」をさせていたとか。

そのことは、たとえば今朝の朝日新聞大阪版のネット配信記事は「そこまでするか」という見出しをつけて報じていたし、産経新聞関西のネット配信記事ははっきりと「盗撮」と見出しに書いています。他にも、読売新聞(関西)のネット配信記事は「隠し撮り」、毎日新聞(大阪)のネット配信記事も「隠し撮り」と出ています。

それで、このニュースを見て思ったのは、「児童文学館職員もこんなことまでされたら、たまらんやろうなぁ。統廃合がとりざたされるだけでも、相当ショックが大きいのに」ということ。また、「私設秘書を使って」というあたりで、橋下知事は「幹部級職員を含めて府職員を信用していないのかな?」とも思うし(本当に信頼しているのなら、府職員の誰かを視察に行かせればいいわけだし)、「予算の執行状況や職員の勤務状況がそれほどまで気になるのなら、どうして自分が休みの日にお子さんをつれてふらっと見てくるとか、知事として抜き打ち視察をするとか、そういう方法を使わないのだろうか?」と思ってしまいます。(ちなみに、府知事とは立場がちがうのでいっしょにはできませんが、私も気になる子どもの公共施設があれば、自分の娘を連れて行くことがありますし、そこでのイベントや活動に娘とともに参加することで、そこでの取り組みの良し悪しを実感してくることもしばしばあります。)

また、これらの記事を読む限り、橋下知事は「来館した子どもがマンガばっかり読んでる」ことをさも悪いようにいいますが、実は京都市内には「国際マンガミュージアム」という、マンガ専門の博物館があります(ご存知のとおり、ここは京都市とうちの大学の共同運営施設です)。ここに行ったら、来館者は朝から夜まで、入館料を払った上で、時には芝生に寝そべったりしながら、自由にマンガを読んでますけど。来館者が自由に児童文学館においてあるマンガを読む、このことに何か、問題はあるんでしょうかね? いっそ、児童文学館を「大阪国際マンガミュージアム」にして、華々しく広報活動をして、来客者を増やすくらいのこと、府知事として訴えてみたらどうなんでしょうか? (廃止や統廃合の方針をぶちあげるよりも、まだそういう提案をしたほうが、きっと、児童文学館職員も「やる気」になって、何か、新しい取り組みを考えるかもしれません。)

他にも、誰とはいいませんが、アキハバラに集まるアニメファンに人気の政治家とか、マンガやアニメといった日本の文化を世界に向けて情報発信するような、そんな構想をぶちあげているような政治家だっているでしょう。マンガ学部やアニメーション学科のようなコースが日本の大学に設置されるような状況下で、「子どもらがおちついてマンガ文化に触れることのできる、そんな公共文化施設」を大阪府が設置・維持するというのは、けっして悪いものだとは思わないのですが。(まぁ、千里・万博公園内という立地条件の問題で、国際児童文学館にいくらマンガをおいても、平日だとそう簡単に大阪府下の子どもがアクセスできないところが難点ですが・・・・。)

さらに、もう一度「隠し撮り」をいう手法にもどりますが、これって、児童文学館職員の働きぶりを撮影しただけでなく、文学館でマンガを読んでる子どもたちの様子も「隠し撮り」したんですよね? だからこそ、橋下知事はそのビデオを見て、「子どもらがマンガばっかり読んでる」といって、児童文学館の対応を批判するわけですよね? 

でも、よく考えてみたら、「隠し撮り」で撮影された子どもたちって、橋下知事の私設秘書なる人が誰かわからないし、その人がどんな形で撮影していたのかも知らないわけでしょ? それってやっぱり、問題が多いんじゃないでしょうか? こういう手法って、撮られた子どものプライバシーの侵害にならないのでしょうか? 少なくとも私が児童文学館の利用者であったり、あるいは、そこに娘を通わせて本やマンガに触れさせている保護者であれば、「その撮影されたビデオがなんに使われるかわからないし、とっても不愉快だ」といいたくなります。

ちょっとここで考えてほしいのですが、もしも見ず知らずの誰かが、かばんの中に隠し持ったビデオカメラで、駅や学校、公共施設などで、撮られる側にないしょで、気に入った誰かの映像を取りまくってたら、不愉快な気分になりますよね。だいたい、防犯目的で各地に設置されている監視カメラに対してですら、「個人のプライバシー侵害だ」という批判があるくらいです。ビデオ撮りには、撮られる側への説明とか、公開に際しての配慮とか、そういったことが必要不可欠ではないのでしょうか?

そう考えると、やっぱり、府知事が私設秘書を使って、廃止対象施設の様子をビデオで隠し撮りしてくる・・・・って、こんな対応って、まずはその施設職員に対してというより、利用者である府民に対して、まずいでしょう。そして、この撮影したビデオを府議会での予算審議に出すとか出さないとか、橋下知事は新聞記事によると言っているようですが、撮られた子どものプライバシー侵害の危険性も高いようなビデオを府議会に出すこと自体、「どうなんでしょ?」といいたくなりますね。今後の大阪府議会やマスメディア、そして、府民のみなさんの見識に期待したいところです。

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「経費削減の取組について(素案)」への意見募集

2008-09-06 09:40:05 | ニュース

http://www.city.osaka.jp/shiseikaikakushitsu/gyokaku/iken_bosyu/keihi_sakugen.html

テレビや新聞の報道では、大阪市職員の給与削減のことがクローズアップされているような印象ですが(もちろん、そのこと自体は重要な問題なので、どんどん議論してほしいのですが)、この「経費削減の取組について(素案)」のなかで、「もと青少年会館」の今後についての提案も出されています。私にとっては、このブログの趣旨から見て、こちらの提案をどう見るかということもまた、きわめて重要な問題です。

ちなみに、上記のホームページから「もと青少年会館」の今後についての提案をみると、「資料3 受益と負担の適正化、施設・制度の効果的効率的な運営を図るもの」に次のようなことが書かれています。

・もと青少年会館 ▲329百万円【教育委員会事務局】 P42
22年度 他の施設との統廃合を視野に入れ見直しを進めるが、利用者への影響が小さくなるよう検討する。

この一文を、私たちとしてどう見るか。そこが、大阪市内各地区で「もと青少年会館」を利用しつつ、子ども会や識字教室、中学生・高校生の学習会、その他学習・文化活動を行ってきた人びとの今後の動き方を左右することになります。

私としては、まず、今の利用者が「もと青少年会館」を使って、どんな活動を行い、どんな成果をあげているのか。また、その取り組みのなかでの課題はなんなのか。大阪市の行政当局として、利用者側の意見をきちんと聴く機会を設け、今後の検討に役立てること。これが先決だと思います。

それも「話を聞く機会を持ちました」というアリバイづくりのための意見聴取ではなく、きちんと、「各地区での拠点施設をどう維持(整理)するのか?」について、原案づくりの段階から、そこに暮らす住民や利用者が参加し、検討を積み重ね、今後の施策に反映させていくような、そんな取り組みを希望します。青少年会館条例廃止・事業「解体」ということを前にして、まだ活動中の青少年会館で実施された説明会の様子を聴く限り、地元住民や利用者との信頼関係構築にあたって、「前みたいなアリバイづくりのための意見聴取はやめろよ」といわざるをえません。

ちなみに、実際に利用する側には、たとえば「あの調理室、カギ開けてくれたら、子ども会や識字教室で有効活用する」とか、「あのプール、地元住民の団体で管理することができるようにしてくれたら、夏休み中に地元の子どもたちに提供できるのに」とか、「せっかく工作室があるし、あそこには陶芸のいい釜があるのだから、あれを使わせてくれたら、子どもたちの体験活動が充実できるのに」等々、今の「もと青少年会館」を「もっと有効活用する」アイデアを持つ人もいます。そういう人びとの意見などを、もっと大阪市当局は聴いてほしいところです。

実際に今「もと青少年会館」を使って活動している人の状況から考えると、「ここを閉鎖して、他の施設と整理する」というのは、「とんでもない話だなぁ」と思います。むしろ、「もっと、もと青少年会館を自由に使わせてくれたら、自分らが有効活用するのに」「あそこの建物や部屋にカギかけて、眠らせているのはもったいない」という声すら、利用者の間から出ているのです。

また、行政当局側が「実際の各館の利用率が・・・・」というのなら、「子どももおとなも学校や会社で活動中の、平日の昼間の部屋の稼働率をカウントしてたら、そりゃ低くなるぜ」とか、「子どもや若者がふらっと立ち寄り、あそんだり、勉強したりする活動を各館で実施するなら、平日の午後~夜間の来館者はもっと増えるぜ」と言いたくなります。場合によれば、「もと青少年会館の建物の管理人くらいなら、私らがボランティアでやってもええ」という地元の団体とか、個人とかも、探せばでてくるかもしれません。そういう人に管理人をお願いしたら、人件費もある程度、浮きますよね?

要するに、数値データの取り方も含め、「もと青少年会館」について、将来的には「閉鎖する」ことや、「他の施設との統廃合」を前提にして行政サイドから取り組まれていることを、「ほんまにそれでええんか?」と問い直し、利用者や住民の側にとってほんとうにいい地区内拠点施設をつくる方向で検討しなおす。そのことができるように、利用者や住民側からきちんと声をあげ、その声を行政施策に反映させるルートをつくること。行政サイドも、利用者や住民側の意向をきちんと把握して、今までの施策の方向性がまちがっているのならそれを是正すること。その際に、今の形態でも年間、どの程度の経費がかかっているのかということを行政サイドから情報公開するとともに、経費削減に向けて、地元住民や利用者側からも協力できる案はないか、いっしょに考えてみるということ。

こういったことを、今から1~2年かけて、大阪市内の各地区で「もと青少年会館」の今後に向けて、行政と住民・利用者側とで歩み寄って、やっていくべきではないのかな、と思います。そろそろ、この2年か3年くらいの手法を転換する時期ではないのでしょうか・・・・。

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大阪市教委「重点行動プラン」への意見(3)

2008-09-06 09:06:20 | 受験・学校

http://www.city.osaka.jp/kyouiku/press/h20/press080731.html

さっき(1)(2)を掲載した、「大阪市教育改革プログラム・重点行動プラン2008-2011(案)」(以下「重点行動プラン案」)への意見の続きです。これで3回目で、一応、このテーマに関する記事は今回の分でおわりです。(前回と同様、誤字なども適宜あるかと思うのですが、そのまま、引用しておきます。また、目立つように、意見募集で書いたことは黒字にしておきます。)

くり返しになるのですが、私はこの「重点行動プラン案」を読んで率直に思ったのは、「これを書くように指示された大阪市教委のスタッフは、かわいそう」ということ。

これは推測でしかないのですが、政府レベルの教育改革と、大阪市の行財政改革の枠組みに大きく制約されて、市教委として独自の施策を打ち出そうと思っても、「できることには限界がある」というのが、たぶん、これを書いたスタッフの率直な気持ちではないのかな? 

あるいは、これを書いたスタッフ自身が、ホンネのレベルでは、「教育が大事だの、学力向上が必要だの、徳育の充実だの、いろんな人たちがいろんなこと言って、大阪市教委レベルの制度や施策を変えるのはいい。だが、それがどんな結果を招いているのか。今までいろんな改革をした結果、学校や家庭、地域社会がどうなっているのか、自分らの目で一度、確かめてみろよ」と、書くように指示した側に言いたかったのではないか。(ついでにいうと、これと同じことはあの「教育非常事態宣言」を出した大阪府知事と、その意向を受けて、教育改革の担い手として、大阪府の行政や大阪府教委に送り込まれる人びとにも、私なら言いたいことですが。)

そんなことをふと、「重点行動プラン案」を読みながら、私は思ってしまいました。そして、この「重点行動プラン案」が実施されたあとの学校の教員や保護者、子どもたち、住民のみなさんはどうなるのだろう・・・・と、いろいろ、心配になってきました

<以下、前回、前々回の続き>

(12)「キャリア教育の推進」についても、これが職場体験・見学や、企業派遣の外部講師による講演程度で終わるのであれば、今までやってきたのとほぼ同じであり、これ以上、あまり効果は期待できないように思う。

 むしろ今、職業観や勤労観の育成にとってほんとうに必要なのは、働く人々の持つ諸権利についての学習であったり、就労に関する法的手続き等に関する学習ではないのだろうか。

 そのことは社会保障に関する権利学習や、政治・経済のしくみに関する学習、つまり、社会科や公民科(高校)の学習、総合的学習の充実ということともつながるものであると思うのだが。

(13)「高等学校の特色化」であるが、これは大阪府立高校の改革とも関連付けながら論じなければならないはずである。公立高校に進学を希望する大阪市内の中学校卒業者が、すべて大阪市立の高校に進学するとは限らないからである。

 だから、ここで述べられている高校改革の内容は、ある種うがった見方でもあるのだが、大阪市立高校、特に職業系高校や定時制高校の「再編・合理化」計画のように見えてしまう。

(14)「さまざまな社会教育資源の活用」であるが、これは先に(9)や(10)でも述べたとおり、「図書館、美術館・博物館、青少年施設等、数多くの社会教育・生涯学習施設を有しており、本誌は豊かな人的・物的資源に恵まれたまち」だという、大阪市教委の現状認識自体が問題ではないのか。

 青年センターや野外教育施設の整理・統廃合案が出されたり、青少年会館・児童館・トモノスが廃止されたりする状況のなかで、「よく言うよ」と思うのは私だけだろうか。

(15)「家庭・地域の教育力向上」についてであるが、「家庭教育に関する学習機会の充実」等については、こども青少年局所管の事業との連携・調整が必要ではないのだろうか。

 また、現在、市教委のどの部局が、どのような形で、家庭教育充実に向けての諸施策を責任もって担当するのだろうか。

 ちなみに、いまもなお社会教育法上、学校と家庭・地域の連携に向けての取り組みをおこなうのは、社会教育に関する国・地方公共団体の仕事である、と理解することが可能である(第3条)。

 さらに、「家庭学習の教材の開発・活用」とか「家庭学習の習慣化」以前に、子どもの養育にさまざまな課題を抱える家庭への支援施策の充実が必要ではないのだろうか。

 そのことは、「子どもをとりまく様々な課題への対応」というところで、「児童虐待の防止」という取り組みが挙げられていることにもかかわる。

 虐待のように、起きてしまった悲しい出来事の「早期発見・早期対応」の前に、子どもの養育にさまざまな課題を抱える家庭に対して、たとえば、スクールソーシャルワーカー活用事業の利用による家庭支援とか、保育所の取り組みや各種の子育て支援施策など、こども青少年局の事業からの積極的な支援が行われる必要があるとも思うのだが。

(16)「学校・家庭・地域が一体となった教育コミュニティづくり」であるが、はたして「はぐくみネット」がどこまで有効に機能しているのだろうか。

 すでに平成14年度から先行的に実施してきた小学校区があるのなら、そろそろ先行実施の事例などをターゲットにして、その成果と課題を検証すべき時期にさしかかっているのではないか。

 それ抜きに、全市的に「機能充実」といったところで、あまり説得力がないように思う。

 また、そういうことをこの「重点行動プラン」づくりに先立って行うことが、市教委がくりかえしこの文書でつかう「PDCA」のサイクルの出発点にあるべき取り組みではないのか。

(17)この「重点行動プラン」には、ところどころに、すでに先行的に他自治体で取り組まれているような教育改革の事例(たとえば大学生等対象の教員養成講座など)が盛り込まれているように見受けられる。

 だが、その参考にした他自治体での取り組みの成果と課題について、大阪市教委として独自の視点からの検証・検討を行ったのであろうか。あるいは、他自治体での先行的な取り組みに対して、批判的な意見や問題提起などは出ていないのであろうか。

 そういった点を十分に精査してこの「重点プラン」を作っているであろうことを、私としては切に願う。

(18)最後に、この「重点行動プラン」は、どう読んでもせいぜい「学校改革と、これをささえる家庭・地域社会、教育行政の改革プラン」にしか見えない。

 教育行政の仕事のなかには、社会教育・生涯学習や文化振興という仕事もあるはずなのだが、そこの部分では、大阪市教委はどのような改革を行い、どのような「重点プラン」をつくろうとしているのであろうか。

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大阪市教委「重点行動プラン」への意見(2)

2008-09-06 08:48:05 | 受験・学校

http://www.city.osaka.jp/kyouiku/press/h20/press080731.html

さっき(1)を掲載した、「大阪市教育改革プログラム・重点行動プラン2008-2011(案)」(以下「重点行動プラン案」)への意見の続きです。(前回と同様、誤字なども適宜あるかと思うのですが、そのまま、引用しておきます。また、目立つように、意見募集で書いたことは黒字にしておきます。)

このブログによくアクセスしてくださってる方にとっては、あらためていうまでもないことですが、下記(9)の項目は、「子どもの体験活動機会の充実と、その分野での青少年活動施設・団体など社会教育関係の取り組みとの連携の充実。これを市教委の重点行動プラン案に入れるのなら、市教委は今、すすめられている野外活動施設の縮小とか、青少年活動施設の整理・統廃合といった、大阪市の行財政改革の動向に対して、『それはおかしい』といわなければいけない」ということです。

また、今はこども青少年局の事業に、かつて大阪市教委が担当していた青少年社会教育の多くの取り組みを移しているのであれば、この「重点行動プラン案」をつくるにあたっても、市教委とこども青少年局との内部調整が必要だったのではないか、それがどの程度おこなわれたのだろうか・・・・、ということも感じます。

<以下、前回掲載した意見の続き>

(5)(4)までは基本的な「重点プラン」の骨組みに関する疑問だし、これだけでも大きな課題なのだが、それ以外に、個々の内容に関わっても、いくつかの疑問がある。

(6)まず、「全教科において言語力を育成する観点」というのであれば、「理科教育の充実」ということに関しても、「外部人材の活用」「教員の理科指導力向上」とともに、「理科・科学に親しむ読み物教材の開発」という項目があってしかるべきではないのか?

 また、小学校教員には「理科の専門性」よりも前に、「理科・科学の世界に対する子どもたちの興味・関心を高める工夫」が求められるのではないか?

 理科に関する教員の「指導力向上」の内容をもう少し、検討してほしい。

(7)次に「即戦力となる優秀な人材の確保」=「大学生」対象の教師養成講座という、短絡的な発想はやめていただきたい。

 要は教員の年齢構成のアンバランスを改善したい、そのために「即戦力を」ということ「だけ」がねらいであれば、むしろ現在30代~40代くらいの、社会人経験者で教員にふさわしい人材をリクルートしてきたほうがよい。そのほうが学校が活性化するのではないか。

 たとえば(6)で書いた「理科の専門性」を高めたいのであれば、中途半端に外部人材を活用するより、すでに民間企業や大学等の研究機関で活躍中の理系の研究者に、さまざまな形態で学校現場の教員になってもらうことを考える道だってあるはず。

 あるいは、教員が幅広い視野で現代社会・文化の動向をとらえ、多様な保護者・子どものニーズにこたえたり、地域社会の多様な人々と交流しながら教育活動を進められるようになるためには、若い頃から学校の枠を離れて、いろんな社会・文化的活動の場に顔を出し、多様な人々と交流したほうがいいだろう。そう考えると、「大学生」の頃から教員志望者を囲いこむような発想は、それと全く逆を向くものでしかない。

(8)「学校の教育力向上」という観点から教員の「研究活動への支援」というのであれば、「まずは教員をしっかり休ませること」「研修時間の確保」が必要。

 と同時に、「教員をしっかり休ませること」「研修時間の確保」ということは、「学校の現場支援」という観点から見ても重要で、そのことによって何人かの教員のメンタルヘルス向上につながるはずである。

 逆にいうと、この何年かの間で教員の勤務条件が過重になっているのであれば(「学校の現場支援」で書かれている「現状と課題」は、そういう内容である)、その条件改善こそ教育行政が真っ先に取り組むべき課題であろう。

(9)「多様な体験活動の充実」というところで、市教委「重点プラン」は、「青少年施設や美術館・博物館等の社会教育施設、地域での子ども会活動など、社会教育施設・団体等と連携し体験活動の充実を図る」と書く。

 だとしたら、現在、市長が提案している「経費削減の取組について(素案)」のなかで、青年センターや野外活動施設、さらに「もと青少年会館」が整理・統廃合されようとしていることをどう考えるのか。

 また、前市長期以来の児童館・トモノスの廃止、青少年会館事業の解体などの動向については、市教委としてはどのように考えるのか。

 さらに、大阪市としての学校外における子どもの体験活動の提供が、こども青少年局から実施の「こども体験プログラムデリバリー事業」だけでは不十分なのではないか。

 そして、現在、大阪市内で活動中の民間学童保育や地域子ども会等の取り組みに対して、大阪市としてはどのような施策を通じて支援を行うのか。

(10)「伝統や文化に関する教育の充実」を本当に学校において活性化するには、まずは学校の教員が、自分の勤務校の周辺地域の伝統や文化などについて、積極的に学ぶ機会を確保することが必要ではないのだろうか。そのためにも、研修のための時間確保等、何らかの取り組みが必要だと思うのだが。博物館や美術館の所蔵品と、これをもとにした副読本だけが「大阪らしさ」を学ぶ題材ではないだろう。

(11)「食に関する指導の充実」や「中学校昼食事業」も、よく読めば「家庭での弁当づくり」に向けての啓発・支援と、「民間業者による昼食提供」の話で終わるのか。

 それだったら、市内の一部中学校で実施してきた学校給食を全校実施し、栄養教諭等による指導が行える体制にしたほうが、よりすっきりする。

<次回に続く>

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大阪市教委「重点行動プラン」への意見(1)

2008-09-06 08:27:19 | 受験・学校

http://www.city.osaka.jp/kyouiku/press/h20/press080731.html

「大阪市教育改革プログラム・重点行動プラン2008-2011(案)」(以下、「重点行動プラン案」に対する意見募集が、昨日の時点で締め切られました。ぎりぎりになってしまいましたが、なんとか昨日夕方5時前に、電子メールでこの「重点行動プラン案」に対する私の意見を送りました。

この「重点行動プラン案」を読んでいて率直に思ったのは、「この原案を書かされた市教委のスタッフがかわいそう。いったい、誰が彼らにこんな仕事をさせているのだろう?」ということ。

正直なところ、この案を読んだあと、「十分に市教委内で調整をして、文案をもっと検討して出してくれば、私のつけたコメントくらいのことは、事前にスタッフでも気づいたのでは?」とも思いましたし、「政府レベルでの教育改革と、大阪市の行財政改革の枠組みに制約されているので、市教委独自の施策を打ち出すのがかえってむずかしくなってるのでは?」とも思いました。

また、「いま、各地の自治体で行われている教育施策のいくつかが大阪市の重点行動プランにも取り入れられているけど、その成果と課題について、大阪市教委として検証する時間と手間がかけられたのかな?」と思うようなところもあります。

いずれにせよ、「何か、大阪市の教育を変えるために、案を出せ」と誰かにせかされて、市教委のスタッフが「とにかく、大急ぎで何か、まとめられるものをまとめた」という印象が強いんですよね、この「重点行動プラン案」。だからこそ、「市教委のスタッフはかわいそう・・・・」と思ったのです。

以下、昨日「重点行動プラン案」に対する「意見募集」でメールに書いたことを3回に分けて、掲載しておきます。(誤字なども適宜あるかと思うのですが、そのまま、引用しておきます。また、目立つように、意見募集で書いたことは黒字にしておきます。)

(1)まず、そもそも、なぜ「おおさかでまなぶ」「おおさかでそだつ」「おおさかではぐくむ」という、3つの視点から「重点行動プラン」をとりまとめたのか?

 その理由と、それを裏打ちする大阪市の教育改革を支える基本理念、これがこの「重点行動プラン」からはまったくわからない。

 たとえば私がこのプランをまとめるならば、今と全く同じ内容で項目間を整理すれば、「学力向上を目指す学校教育の改革」「子どもを育む家庭・地域・学校の連携」「学校・家庭・地域の教育活動をささえる行政の改革」という、3つの観点から「重点行動プラン」をとりまとめようと思う。

 この私のいう3つの観点は、学校教育の領域での改革、社会教育(生涯学習)の領域での改革と、その両者を支える教育行政のあり方という枠組みで、主に「学校教育」を軸にして、今の教育課題を整理しなおそうとして出てきたものである。

 しかし、「おおさかでまなぶ・そだつ・はぐくむ」という視点からは、いったい大阪市の抱えている教育課題をどのように教育行政として把握し、それを整理し、どう解決しようとしているのか?

 そこがよくわからない、少しも見えないのである。

 結局、この「3つの視点」がどういう現状認識や課題把握に基づいてでてくるのか。そこがはっきりしないので、大阪市教委としての課題整理がうまくいってないように思われる。

 特に、仮に「まなぶ・そだつ・はぐくむ」を前提にしても、どこにどの内容を書くべきかの整理がうまくいってないので、「重点行動プラン」には「ここにこの項目を入れるべきではない」という内容がいくつか見られるのである。

(2)たとえば、「確かな学力向上」の項目に「小中連携」を入れているが、「小中連携」は生徒指導面なども含めて考えるべき項目であって、この項目で書くのはおかしい。むしろ「おおさかでそだつ・はぐくむ」の項目に入れるべきことではないのか?

(3)次に、「ニーズに応じた教育の充実」に、「情報活用能力の育成」という項目を入れるのもおかしい。いまやパソコン、インターネットの活用というのは、あらたなリテラシーの一つと考え、「言語力の育成」とリンクさせて論じてもよい内容とも考えられる。

 また、「情報モラル」というのは、子どもの規範意識のあり方を考える上でも重要な課題であり、これを書くのは、「おおさかでそだつ」の項目であってもいいはずである。

(4)「キャリア教育の推進」についても、これを単に職場体験や職業観育成の取り組みだけに限定しても、企業や地域社会との連携という視点が必要不可欠になってくる。

 そうなってきた場合、はたして「おおさかでそだつ」の項目で書く、というのでいいのか。むしろ「おおさかではぐくむ」の項目の中に含めるべきではないのだろうか。

<次回の掲載につづく>

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