できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

「共に悩み、苦しむ」作業の持つ意味

2009-11-14 16:52:06 | いま・むかし

林竹二著作集〈3〉田中正造 (1985年)
発売日:1985-01

彼は議会入り早々鉱毒問題に出会った。彼は被害民が鉱毒のために亡びるのを救うために、ひとすじに鉱業停止を求めて戦った。十年そのために議会で奮闘した。だが無駄だったのは、それが鉱毒問題を通して正面から明治国家に対決する行為であったからである。彼は議会を捨てて直訴という非常の手段に訴えたのち、政府が鉱毒問題の埋葬地に選んで、手段を選ばず抹殺しようとしている谷中村に入った。人民を代表して議会で戦って、人民を守ることができなかった田中正造は、直接人民の中に入って、人民と共に戦おうとしたのである。

だが谷中に入ることと、谷中の人民の中に入る―その一人になるということとは全く別の事であった。

谷中の苦学は、その核心において、田中正造が谷中の人民と成るための自己との戦いであった。正造は九年にわたる谷中の苦学に堪えて、谷中人民の一人になった。それのみでない。彼は谷中残留民の一人にさえなったのである。

この事によって、彼ははじめて谷中人民の戦いに参加することができた。

谷中の戦いの核心は、残留という事実の中にある。谷中住民は、この行為によって、その実行において明治国家と全面的に、きびしく対決した。この戦いは、谷中人民によって始められていた。田中正造は谷中人民が先に立って歩き始めていた道を人民のあとについて歩みはじめた。彼の前に、一切の戦う手段も方法もつきたところで可能な戦いの道が開けた。(中略)

残留民が示した人民の不屈な自治への意志を抜きにしては、日本を根底から再組織する事業は望むべくもない。したがって、国の再生も、人間の再生もない。―これが田中正造が、さいごにたどりついた核心であった。

(以上、『林竹二著作集3 田中正造 その生涯と思想』筑摩書房、1985年、6~7ページ)

私が大阪市内のもと青少年会館で活動している人々のことを見聞きするたび、思い出すのがこの本。

2007年3月末の条例廃止以後も、例えば子ども会やその保護者会、中学生たちの学習会、識字教室、若者たちのギターや和太鼓などのサークルや、あるいは地元住民のスポーツ活動等々、もと青少年会館をさまざまな形で利用し続けている人たちの存在は、まさに、ここで林竹二のいう「谷中村の残留」のように思えてならないのです。

2006年から2007年にかけてすすめられた一連の「施策見直し」のあと、それでもなお、もと青少年会館を含む各地区の拠点施設にふみとどまり、さまざまな地域での学習・文化活動を続けていくということ。また、その活動を、これから予定されている市民交流センターへの施設統廃合以後も継続しようということ。そして、それがたとえ少人数からの出発であっても、自分たちだけになってもやりぬこうということ。

そこに、各地区で活動している人々の「不屈の意志」を見るのは、私だけでしょうか?

各地区で細々とではあっても、何らかの形で自前の活動し続けている人々の「不屈の意志」、「どんなことがあっても、許される限り、地元の施設を使い続けよう」とする人々の意志。

ここをふまえないで、はたして今後、ほんとうに私たちの人権を守り抜くための運動や、それを担う人が育つ教育や学習の取り組みがなりたつのだろうか・・・・。

いろんな人権関係の国際条約・宣言や日本国内の法令(自治体条例含む)も、あるいは、さまざまな人権施策を裏付ける各種の審議会答申や行政計画なども、こうした「どんなことがあっても、自分たちにとって大事な営みは、自分たちの力で守り抜こう」とする「不屈の意志」をもった人々の、地道な、粘り強い取り組みにささえられて、はじめて効果を発揮するのではないでしょうか。そして、行政当局の政策立案担当者の中にも、現場最前線の行政職員の中にも、きっと、さまざまな人権関連の施策が打ち切り、縮小にあうなかで、それでも粘り強い取り組みをしている方がいることでしょう。

この「粘り強く活動を続けている人々」に、どれだけ今、どこからか借りてきた言葉ではなく、自らの経験をくぐらせた言葉で語ることができるのだろうか・・・・。

私は今、そんなことをしばしば、思います。また、その問いかけのなかに、自分の思想やこれまで学んできたこと、これから学ぼうとすることがすべて、集約的に現れてくるのではないか、とすら思っています。そして、人権教育といおうが、解放教育といおうが、言葉はどちらでもかまわないのですが、その営みの「根っこ」には、こうした「粘り強く活動を続けている人々」と共に苦しむ、悩む「共苦」ともいうべき作業が必要なのではないでしょうか。

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いつかどこかで見たような・・・・。

2009-11-13 19:06:13 | いま・むかし

このところマスメディアが伝えているように、民主党・社民党・国民新党の連立政権が、「事業仕分け」なることを進めています。これはマスメディアの伝えるところを見る限りでは、国のさまざまな施策のなかから、廃止すべきもの、予算を大幅に削減すべきもの、地方自治体の施策へ移行すべきものを選び出す作業のようです。

ですが、「廃止・予算の大幅削減・地方自治体の施策へ移行」という3つの選択肢しかないことからもわかるように、「そもそも、仕分けの対象にのせる・のせない」の段階で、何か行政当局内でいろんな駆け引きがあるんじゃないか・・・・と思われてならないのですが。

つまり、各省庁にとっては「仕分け」され、「廃止・予算の大幅削減・地方自治体の施策へ移行」のどの結果になっても、「さほど、本体部分には大きな影響がでそうではないもの」が、今回の「仕分け対象」のなかにいくつか含まれているのではないか、ということです。「枝葉を切り落とされるかわりに、幹が守られたらそれでいい」ということでしょうか。

しかし、そういうときに、例えば文部科学省関連では青少年教育施設だとか女性教育会館のような施設、子どもの読書活動に取り組むNPOへの支援のための補助金といった、社会教育・生涯学習領域での子どもの取り組みや、人権関連の取り組みのことが、まず真っ先に取り上げられるのは、なぜなのでしょうか?

しかも、その事業の「仕分け」の様子は、インターネットなどを通じて公開されるとともに、マスメディアにもくりかえし情報発信される。また、マスメディアなどでは、各省庁などからの担当者の最初の説明の風景のほか、たとえば事業の費用対効果や数値目標の達成度などを各省庁側に問い合わせる民間からの「仕分け人」や、それにうまく答えられない各省庁担当者の様子、そして、その議論を受けて「廃止」等々の結論を粛々と伝えていく民主党系国会議員の「仕分け人」の様子が伝えられる。

そんなところから、私の印象では、こうしたマスメディア、特にテレビその他映像で流れる事業「仕分け」の様子は、まるで「劇場」的な政治の手法。つまり、「官のよくない部分を、政と民とでたたききっていますよ」という「スペクタクル」を映像を通じて見せることに、最大の目的があるような印象を持ってしまいます。と同時に、一大「スペクタクル」を見せることによって国民の目をひきつけている間に、何か別のことが隠されているのではないか・・・・。そんな風に思ってしまいます。

・・・・ところで、この「事業仕分け」の様子って、いつか、どこかで見たあの風景に似ていませんか? 私には、あの橋下知事就任後しばらくの間、大阪国際児童文学館や大阪府立青少年会館などの一連の施設の存続が問題になった、あの時期の風景に、どこか似ているように思うんですよね。

ちなみに、あれだけ「府の財政は倒産寸前の会社みたいなもの」と言ってきたわりには、大阪市のWTCセンタービルを買うとか、私立高校に通う低所得家庭の子どもへの授業料補助をだすとか(もちろん、後者の施策は大歓迎です)、今頃になって、橋下知事からこんな話が出てくるんですよね。ということは、「もともとさほど、大阪府は財政的には困っていない」か、もしくは「大阪府には近々、国からの補助金か何かがまわってくるから、心配ない」ということなのでしょうか?

そして、そんなことから考えると、「大阪市内や大阪府内の青少年会館等、子どもに関する公的施設への補助金なんて、今までの国の予算や大阪市・大阪府の財政規模から考えると、あんまりたいしたことなかったのでは?」とか、「それをあえて打ち切る等というのは、財政再建路線を人々に印象づけるためのパフォーマンスなのでは?」とか、そんなうがった見方すらしてしまいます。

しかし、国や地方自治体の長、あるいは国会議員や地方議員、そしてそのブレーンになっている民間の人々は、そうやって「財政再建」に向けての「パフォーマンス」をしていれば、一定の支持が得られていいのかもしれない。マスメディアを通じて、そんな「パフォーマンス」で支持を呼びかけていれば、自分たちのポジションは安泰なのかもしれない。

でも、こういう人たちにはぜひ、自分たちのその「パフォーマンス」によって施策が打ち切られた後、それぞれの住民の生活が、あるいは、かつてその施策を担当してきた職員の暮らしがどうなっているのかまで、しっかり見守り続けてほしい。たとえその人たちになじられ、罵声を浴びせられても、自分らの「パフォーマンス」によって人々の生活にどんな「痛み」が出ているのかを、その人たちの暮らす場まで降りてきて、きちんと見てほしい。

「それが、事業仕分けや施策打ち切りを決定した、あなたたちの責任でしょ? 責任という文字は、誰かに『責められる』仕事を『任される』と書くのだから」 少なくとも私は、そう思います。

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粘り強い活動を続けている人たち

2009-11-08 17:04:00 | いま・むかし

昨日はある会合で、大阪市内のもと青少年会館を使って子ども会活動を続けたり、これから教育NPOを立ち上げようとしている人たちの話を聞きました。

青少年会館条例廃止から今年で3年目。いよいよ大阪市内の各地区では、もと青少年会館と人権文化センター等の統廃合を行い、来年から市民交流センターを開設するべく、いろんな動きが出てきているようです。

ですが、たとえばある地区では、青少年会館のスポーツ施設部分を市民交流センター移行後も使わせてほしいと、利用者たちが行政に向けて声をあげはじめたと聞きます。しかもその声は、地区外の利用者からおき始めているそうです。

あるいは、青少年会館条例廃止からこの3年目、各地区で必死になって子ども会活動を守り続けてきた人たちがいます。そのなかには仕事との両立に悩んでいる人、活動の資金集めに悩んでいる人などなど、いろいろいます。

ですが、この3年近くの粘り強い活動があったからこそ、守られていることも多々あるように思います。なにしろ行政サイドには、青少年会館条例廃止からまず入って、長期的には地区内施設を全部なくしたいという思惑があるのではないか、そんなことすら、私は感じた時期がありますから。

それを思うと、識字教室や若者の太鼓やギターのサークル、中学生の勉強会、小学生の子ども会や保護者会、その他私らのような単発な研究会の利用者、スポーツ施設部分の利用者など、さまざまな形でもと青少年会館や人権文化センター等の地区内施設を使い続けてきた人の力は、行政としても無視できない。

この人たちの「ここを使わせろ!」「ここを使い続けたい!」という願いと、それを裏付ける日々の地道な営みの蓄積が、さらなる施設統廃合やそれに伴う地域コミュニティの崩壊をなんとか食い止めている。そういう面もあるように思います。

だから、きっとこれから先も、同じ団体が似たようなことを何年もやりぬくことが、きっと各地区で大事な何かを守り続けると思います。

そして、この厳しい状況に対応して守りを固めている間に、新たな知恵を取り入れて教育・子育て運動としての力を蓄え、人を育て、組織を鍛え直して、5年先、10年先に、何かを花開かせましょう。いっしょに今後も、がんばっていきましょう。

※今日もケータイからの投稿です。後日必要な修正をします。

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全力でぶち当たったからこそ、次が描けるのでは?

2009-11-04 08:50:00 | いま・むかし

先ほどの投稿に引き続き、ケータイから連続で書きます。さっきの文章の続きで言いたいことが出てきたので。

2007年3月末に大阪市の青少年会館条例が廃止され、もうすぐ3年になります。また、来年春には、さっきも書いたように、人権文化センターともと青少年会館その他の地区内施設が統廃合され、新たに「市民交流センター」が発足します。

で、私や仲間の研究者たちの何人かは、この間、もと青少年会館を使って活動中の地元の人たちや、元青少年会館職員の人たちなどとかかわり、現状を把握する活動にとりくんできました。

また、個人的にも、いろいろ今までやってきた研究会(学習会)を、あえて大阪市内の人権文化センターでやることにするなど、思い付く限りのことをやってみました。

でも、いまあらためて思うと、まだまだ自分の努力は足りなかったのかなあ、もっと動ける余地や言えることはあったのかなあ、とか。

あるいは、もっと自分に知恵があればなあとか、気力体力があればとか。

そんな風にいま、思うことがしばしばあります。

あらためて、今の情勢を見極めながら、これまでのとりくみを反省すること。また、それをふまえて、地元で活動中のみなさんや仲間の研究者にお世話になりながら、研究者としての自分の力を高めていくしかない。そう思う今日この頃てす。

今の情勢を切り開いていくのには、まだまだ、自分には知恵も力も足りないなあ、って思うからです。

ただ、これは自分なりにそのとき、できることを見つける形で、全力でこの何年か、大阪市内の青少年会館のことにぶち当たってきたからこそ、言える話かなあって思います。

だって「あのとき、ああすればよかった」みたいな悔いとか、心残りみたいなものは、ほんとうに少ないですから。

それよりむしろ、例えば地区の子どもや親たち、もと青少年会館で活動してる人たちなどを飲み込み、押し流そうとするくらい、圧倒的な力をもった社会の変化を前に、私たちが地元で暮らす人たちとともに、どんな思想(あるいは人間観や世界観)をもって、どのような理論と実践・運動でもって対峙するのか。どのような政策提案をもって、その流れに抵抗していくのか。

そういう大きな研究上及び実践・運動論上の課題として、今の情勢をきちんと受けとめていきたい気持ちが強くなっています。

これもまた、今まで自分なりにそのとき、そのときにできる精一杯のことをして、現実に立ち向かってきたからわかったことかな、と思います。

そんなわけでこのところ思うのは、目の前の困難な課題に全力でぶち当たったからこそ、次の課題がなんなのかが見えてくるし、次の展望もクリアに描けるのではないかな、ということです。

徹底的に壁にぶち当たって、それを突き破れなければ、例えば自分の力で突き破れそうなところ見つけるとか、新たな道具つくるとか、その壁をすりぬける別の道を見つけるとか、ひきかえしてあきらめるとか、壁の下にトンネル掘って向こうに行けるか試すとか、いろいろこちらも工夫しなくちゃいけませんね。

※ケータイから投稿したものを、改行等、適宜気づいたところを修正しました(2009年11月4日、夜6時26分)

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どうするのか空き施設?

2009-11-04 08:01:00 | アート・文化

昨日、先週土曜日と、比較的続く形で、大阪市内のある人権文化センターの会議室を借りて、仲間の研究者たちと研究(学習)会や今後の活動の打ち合わせなどをしました。

なかには青少年会館条例がなくなる前から、大阪市内の中央青年センターや、昨日とは別の人権文化センターを使って活動している研究会もあるのですが。だから、人権文化センターほか大阪市内の地区内拠点施設の問題では、私も仲間の研究者たちも、利用者のひとりです(笑)

さて、昨日使った人権文化センターには、エレベーターのなかに「市民交流センター」への移行にむけて、従来どおりの貸室予約手続きは3月末まで、それ以降はまだ未定という趣旨の貼り紙がしてありました。

また、そこの人権文化センターは新たに「市民交流センター」として、隣にあるもと青少年会館に移るという趣旨の説明も書いてありました。

ただ昨日、仲間の研究者と言っていたのは、「じゃあ、この人権文化センターの建物はどうするねん?」ということ。

「更地にして売るんか?」「この不景気に買い手あるんかいな?」「別目的の施設として利用するの?」「いや~、どうなるんかな~?」等々、いろいろ話をしたのですが。

なかなか、こうやって質問攻めにあうと、まるで自分がこの問題担当の大阪市役所の職員のような気分でした(苦笑)。

でも、昨日は九州や四国など他の府県から来ていた他大学の研究者もいたのですが、彼らから見れば、「なぜこういう話になるのか、理解できない」とのこと。

特に「市民交流センター」設置やそこへの分散した各施設の機能集約、指定管理者制度の適用、ここまではまだわかるとして、「余った施設の使い方や整理のしかた」について、全然方針すら見えないことが疑問だと言いますね。

そこはほんと、どうする気なんでしょうね?

余った施設の有効活用をぜひ、地元の人たちと行政との間で、おおいに論じてほしいものです。

ちなみに、土曜日や日曜日、祝日の利用者が多いその人権文化センターを、同じように土日や祝日の利用者が多いもと青少年会館とくっつけたら、市民の利便性という面から見ると、「使い勝手悪い」でしょうね。貸室が土日・祝日だととりあいになりますから。

私たち就労・就学中の者は、平日の昼間、職場や学校にいます。だから休暇でもとらない限り、平日の昼間に「市民交流センター」のようなところになかなか顔は出せません。逆に平日の夜とか、土曜日、日曜日、祝日の利用が、「使いたいときにすぐ部屋をおさえられる」みたいな感じで柔軟にできないと、ものすごく困ります。

だから、土曜日・日曜日や祝日の利用状況を前提にして、余裕をもった施設運営ができるようにすること。そうしておかないと、就労・就学中の人もたくさん関わって、本当に設置目的に沿って住民の活動が活性化しはじめたら、今の建物だけだと「市民交流センター」はきっとパンクすると思うんですけどね。

そのときにはぜひ、今は余ったと言われてる施設も活用できるようにしてほしいです。

まあ、もっとも、「余った施設も使わせろ!」というくらいに、今後、地区内外での住民の諸活動を活性化しなくちゃいけませんが。

※またケータイからの投稿です。あとで文章を適宜なおします。

※先ほど、パソコンから文章を直しました。やっぱりケータイからの入力だと、改行や句読点の打つ場所など、変なところがありますね(2009年11月4日、夜6時20分)。

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