できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

まだ間に合うなら、緊急署名へのご協力を

2011-04-25 18:43:11 | ニュース

もしもまだ間に合うのであれば、下記の緊急署名へのご協力をお願いします。

4/25が集約日となっているネット署名のお願いです。

文科省が4月19日に下した決定の撤回を求める署名です。

http://e-shift.org/?p=166#more-166 (どちらも同じ署名サイトにつながります。)
なお、この緊急署名の要請は、私の勤務校・京都精華大学教員の細川弘明さんから電子メールで今朝寄せられたものです。細川さんのメールには、下記のような説明がありました。それを次のとおり転載しておきます。細川さんから「転送・転載、どうぞご随意に。」との連絡も受けていますので。
<以下、細川さんからのメールの転載>
日本では一般人の放射線被曝の限度(線量限度 dose limit)は、国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告にもとづき、3ヶ月間に累積250マイクロシーベルト(uSv)と定められています。これは、年間 1ミリシーベルト( mSv/pa )、1時間あたりで換算すると約0.114マイクロシーベルト( uSv/h )に相当します。(自然放射線および医療機器による被曝をのぞく)
これらの数字は、「ここまでは浴びてもよい、大丈夫」という意味ではなく、人為的な放射線被曝はできるだけさけるという国際的に合意された原則のもと、もしこの線量を超えるような場合は何らかの対策(軽減措置)をとる必要がある、という意味のものです。
ところが、東電原発事故による福島県内各地の小中学校・幼稚園・保育所・託児所の放射能汚染という緊急事態をうけて、文科省は4月19日、この線量限度を 20 mSv/pa まで繰り上げること(20倍アップ!)を決定しました。また、年間でこの限度をこえると予想される学校施設については、屋外活動を制限するなどの措置をとるとしています。
一方、内閣(原子力防災対策本部)は、年間累積 20 mSv を超えることが予測される市町村を「計画的避難区域」に指定し、1ヶ月以内をめどに避難を求めています。つまり、上記の決定は、本来、避難を求められるほどの危険なレベルの放射線環境において、子どもたちを通学させ続けるという大変な矛盾をはらんでいます。
そもそも、年間 20 mSv とは、放射線管理区域(それも特に厳重な管理が法律上義務づけられている個別管理区域)をはるかに超える高い被曝環境を意味します。放射線管理区域では18歳未満の労働者の作業が禁じられています。そのようなところで小中学生の通学を強いるとは、一体なんということでしょうか。実際、20 mSv/pa というのは成人の原発労働者の線量限度とされている数字なのです。
東電事故による放射能汚染で、福島県内の小中学校の実に76%以上が、放射線管理区域( 0.6 uSv/h 相当)に該当するほどの汚染レベルになっているという現実があります。
いったん休校にして、施設内の線量測定を正確におこない(とくに水路周辺や草むらのホットスポットを特定し)、可能な限り除染対策をとること、それが困難な場合は学童疎開を計画的に実施すべき状況です。
文科省は、今回の 20 mSv への引き上げに際し、原子力安全委員会の助言をえたとしていますが、先日、細川も参加した参議院議員会館での政府交渉(4月21日)で明らかになったのは、次のような驚くべき事実でした。
・安全委への助言要請からわずか2時間で決定されている。
・そのあいだ安全委員会は開催されず、どの委員からどのような助言があったのかも記録されていない。
・文科省の担当者も安全委の事務局の担当者も「放射線管理区域」について認識していない。
・国際放射線防護委員会の基準について、平常時のそれと緊急時のそれ、また、事故終息期のそれとの区別が認識されていない。
・ホットスポットの存在とその危険性についても認識されていない。
・外部線量だけが考慮され、内部被曝を考慮していない。
・成人の被曝と小児の被曝のリスク係数の大きな差異がまったく考慮されていない。
※交渉の録画は↓こちらで御覧いただけます。
そもそも、文科省は小中学校などの構内の汚染状況を当初はまったく把握しようという姿勢がありませんでした。
不安をおぼえた市民グループによる暫定測定の結果、福島市内・川俣町内の7つの小中学校で、高い汚染数値が確認されました。同じ学校の構内でも場所により100 uSv/h をこえるホットスポットの存在が確認されました。
これを受けて、福島県の災害対策本部が急遽、福島県内1638の小中学校・幼稚園・保育所・託児所で放射線測定をおこなった結果、上記のような高い汚染状況が明らかとなったのです。
(県による調査は、わずか20台のガイガーカウンターで3日間で1638施設を測定したものですから、非常に粗いサーベイで、ホットスポットの特定などはできていません。)
このような状況で「安全だ、大丈夫だ」と強引に子どもたちを大きなリスクにさらすことは、違法であり、倫理的にも許されることではありません。
(参考1)日弁連会長声明
(参考2)相原亮一氏のブログ記事
(参考3)竹村英明氏のブログ記事
(参考4)福島老朽原発を考える会(フクロウの会)ブログ
----------------------------------------------
(参考5)
 事故にともなう被曝防護の問題、避難の範囲とその考え方などについて、3月に何回かのラジオ出演でお話する機会がありました。お聴きくだされば幸いです。(放送日がしばらく以前ですので、その時点での状況をふまえて述べていることにご注意ください。)
京都三条ラジオカフェ 原発震災特番 
(3月14日放送回) http://bit.ly/radio314a ── 前半は小出裕章さん、後半に細川
(3月15日放送回) http://bit.ly/radio315 ── 前半は小出裕章さん、後半に細川
(3月25日放送回) http://bit.ly/radio325
(3月28日放送回) http://bit.ly/radio328
----------------------------------------------
(参考6)
今回の事故の放射能汚染による福島市の小中学生のガン死リスク(試算)

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「土壌」から作り直すしかない。

2011-04-14 19:19:49 | いま・むかし

ようやく久しぶりに時間が取れたので、まずはこちらのブログから更新します。

正直なところ、このたびの統一地方選挙の結果には、個人的には「ああやっぱりね」と思うとともに、「期待していた方の当選がなく、がっかりした」とも思っています。

東京のほうでは、どう考えても私などの感覚にはあわないような主張を掲げた方が首長として当選されたとか。

あるいは、大阪維新の会のように、言いたい放題マスメディアで言うような強烈な個性の持ち主を地域政党の党首に掲げ、それにぶらさがっている候補が当選したり・・・・。

こういう状況を見ていると、「なんで、こんなんやねん?」と、正直、思ってしまうところがあります。

ただ、この状況を変えていくためには、やはりこの日本社会の「土壌」から地道に変えていくしかないのではないか、と思います。

たとえば、強烈な個性を持った首長の言うことをうのみにしない住民を、子どもの頃からきっちりと育てていくとか。

あるいは、日ごろは政治や行政に対して鋭い批判をしながらも、何かことが起きて立ち上がらなければいけないような、そんな肝心なときに日和見を決め込み、腰砕けになるような知識人層にもいかにして「監視」を強めていくかとか。

他にも、強烈な個性を持った首長の後を追っかけ、その広報宣伝係のようになりさがってるようなマスメディアに対して、いかに批判的な目を向けていくかとか。

いずれにせよ、もう一度、私たちが政治や行政に対する「批判」意識を覚醒させ、「おかしいことはおかしい」ときっちりと言いうるような、そんな人に育っていけるよう、社会の「土壌」から作り直す以外には、このような政治や社会の状況は変わらないのではないか・・・・と思っています。

これはきっと、このたびの東日本大震災の復旧作業がなかなか進まない現状や、東京電力福島原発の事故をめぐるさまざまな問題などにも、どこかできっと、つながっていく課題のようにも思います。

そして、このような社会のなかの批判精神の「土壌」をたがやす作業に、これからの「人権教育」や「子どもの人権」をめぐる諸議論がどこまでからんでいけるのか。そこもまた、問われているような気がしてなりません。

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こういうときに「児童憲章」と「子どもの権利条約」を読む

2011-04-09 18:46:13 | いま・むかし

敗戦後の混乱期にあった日本が制定した「児童憲章」(1951年)の条文のなかに、次のようなものがある。

「三 すべての児童は、適当な栄養と住居と被服が与えられ、また、疾病と災害からまもられる」

今、東日本大震災で被災した子どもたちの暮らしを前にして、もう一度、この「児童憲章」の条文は思い出されるべきだろう。

また、「児童憲章」全体を読み直して、教育・保育・福祉・心理・医療等々、被災した子どもたちを支援するあらゆる活動の原則として、関係者の間で確認しなおす作業が重要ではないかと思う。

一方、子どもの権利条約(児童の権利に関する条約)もまた、このたびの東日本大震災を前にして、あらためて被災した子どもたちの今後の暮らしを考えていく上で、教育・保育・福祉・心理・医療・法律・行政など、あらゆる場面において対応上の「基本原則」として再確認していく作業が必要なのではないだろうか。

それこそ、たとえばこのたびの大震災で親(保護者)を亡くした子どもたちについては、子どもの権利条約20条の次の原則が適用されるべきであろう。

子どもの権利条約第20条(家庭環境を奪われた児童の養護)

1 一時的若しくは恒久的にその家庭環境が奪われた児童又は児童の最善の利益にかんがえみその家庭環境にとどまることが認められない児童は、国が与える特別の保護及び援助を受ける権利を有する。

2 締約国は、自国の国内法に従い、1の児童のための代替的な監護を確保する。

3 (省略)

あるいは、子どもの権利条約27条(生活水準への権利)についても、このたびの大震災に際しては、被災した子どもたちの状況に応じて、柔軟に読みこなしていくべきではないだろうか。

子どもの権利条約第27条(生活水準への権利)

1 締約国は、児童の身体的、精神的、道徳的及び社会的な発達のための相当な生活水準についてのすべての児童の権利を認める。

2 父母又は児童について責任を有する他の者は、自己の能力及び資力の範囲内で、児童の発達に必要な生活条件を確保することについての第一義的な責任を有する。

3 締約国は、国内事情に従い、かつ、その能力の範囲内で、1の権利の実現のため、父母及び児童について責任を有する他の者を援助するための適当な措置をとるものとし、また、必要な場合には、特に栄養、衣類及び住居に関して、物的援助及び支援計画を提供する。

4 (省略)

この27条の原則からするならば、子どもの保護者がこのたびの大震災で被災し、住居を失うだけでなく仕事も失ってしまった場合などは、子どもとともに優先的に仮設住宅や公営住宅などの提供が受けられるべきだろうし、また、物的・金銭的にも当面の生活保障が受けられるべきであり、その先の就労支援についてもなんらかのプランづくりが行われるべきだろう。

このように、「子どもの権利条約」や「児童憲章」は、東日本大震災から1ヶ月目を迎えようとする今こそ、被災した子どもたちの支援を充実させるためにも、きっちりと教育や保育、福祉、医療、心理、法律、行政などの関係者において、読み直されるべきものだと思う。

と同時に、「こんなときこそ、<子どもの権利保障という観点から見て、何が一番大事なのか?>ということを、子どもの人権論にとりくんできた研究者だとか、子どもの人権保障の充実に向けてとりくんできた市民活動の担い手たちが、積極的にものを言わなければいけないのではないか? 今だまっていて、いつものを言うのだ?」とも思う。

正直なところ新学期に入って仕事は忙しいし、家事・育児・介護とやるべきこともあるし、依頼された原稿は遅々として進まないし、授業準備も思うように出来ないうえに、ここへ来て右腕の具合もよかったり悪かったりの繰り返し。私もほんと、やりたいことがなかなかできなくて、苦しいところもある。

でも、それでも、「できるときに、できることを」の発想で、今日もこうして東日本大震災で被災した子どもたちに関して、子どもの人権保障の充実という観点から、何か言っておこうと思った。これからも同じことを続けたい。

なお、各地で今、地方自治体の議員や首長選挙が行われている時期だが、その公約・マニュフェストなどに「子どもの人権保障」の観点のない候補者は、おそらく、大災害発生時における対応も、被災した人たちに冷たいことをやりかねない人たちだと思う。目立ちたいだけで自分の名前を連呼したり、テレビに出てくる有名な人にぶらさがって当選を狙ったりするような候補者には、少なくとも私は票を入れたくない。ましてや、津波が来るかもしれないのに、関西の臨海部に都市機能を集中させようという、そんなことを言う方は論外である。

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新しい年度を迎えるにあたって

2011-04-01 14:31:27 | 受験・学校

今日は4月1日(金)。新しい年度、2011年度がスタートしました。

今は長時間パソコンを打つとなぜか右腕が冷たくなってきて、指先の感覚がなくなってきたりしていますので、短い文章になりますが、新年度を迎えて今、思うことを書いておきます。

さて、3月11日に起きた東日本の大震災から、今日でちょうど3週間がたちました。この間、本来であれば青森県・岩手県・宮城県・福島県・茨城県・千葉県といった、主に東日本の太平洋沿岸の各県で、積極的な被災者支援の取り組みや、行方不明者の捜索、遺体の収容作業などが行われていなければならなかったはずです。

その一方で、ご承知のとおり、大震災のあとに起きた東京電力の福島県内の原子力発電所の事故によって、地震や津波の被害にくわえ、原発事故の被害を受け、さらなる避難を余儀なくされた方も多数おられます。また、計画停電や農作物の風評被害等の形で、原発事故にともなうさらなる被害を受けている方も、たくさんおられることかと思います。そして、東日本の大震災からの復旧・復興の取り組みや、被災者救援の取り組みにも、この原発事故の発生がさまざまな影響を与えているのではないかと推測されます。

これだけ大きな地震・津波、そして今後もどうなるかわからない原発事故と続きますと、正直なところ関西圏にいても、私などはなかなか気持ちが沈みがちです。学生や卒業生のなかにも、東日本の被災地域出身の人もいるわけですし、いろいろと気がかりなことも多々あります。

でも、こういうときこそ、被災地域にいる人たちの声に耳を傾けながら、関西にいる私たちは、「できることを、できる人が、できるかたちで」動く時期なのかな、とも思います。

そんなわけで私は募金活動もさることながら、たとえば福島県内の大学にいるある教育学研究者とメールで連絡をとりあって、阪神淡路大震災のときに学校がどう再開されたか、そのとき教職員はどう動いたか、といったことがわかるような文献・資料を紹介してみたり、必要なものはコピーして送ったり、ということに取り組みました。先日このブログで紹介した本3冊は、そのために読んだものですね。

今後もおそらく、被災地域の子どもの状況によって、向こうからいろんな情報提供を求める声が私などのところにも飛び込んでくると思います。それに対して、阪神淡路の震災時の経験をつづった文献などをこちらであたって、紹介していくこと。これも大事な支援になるのかな、と思っています。私自身がまずは、東日本の大震災に関して、これからの新しい年度の間、「できることを、できるかたちで」取り組んでみたいと思います。

最後に、関西圏ではこれから統一地方選挙がはじまります。地震や津波といった災害への対策という観点からみた場合、「大阪都構想」が本当にいいのかどうか。あるいは、この3週間の被災地支援の取り組みについて、大阪府内や大阪市を含む関西圏の各自治体の長、自治体の議会関係者が、どんなことを発言し、どう行動したのか。そのあたりをよく見極めて、みなさん、投票をしていただければと思います。

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