例の普天間基地問題への対応で、鳩山連立政権がとうとう、福島社民党党首・少子化担当大臣を「罷免」という形で切りました。
今日あたりのインターネット上のニュースなどによると、それでも鳩山政権側は社民党に「連立維持」を呼びかけているのですが、それに社民党が応じる可能性はほとんど起きないでしょう。このような仕打ちをしてもなお、社民党に「連立維持を」と呼びかける側のほうが、正直なところ、私にしてみれば「どうかしてるんじゃない?」としか思えないですが・・・・。
このところの一連の普天間基地問題について言うならば、それが実現する可能性がどの程度あるかという問題は別として、「米軍基地を県外に出してくれ」という沖縄県民の願いをふまえての社民党の動きには一応、スジが通っています。
これからの日本の政界には、選挙目当てや政権維持目当てで自らの主張をそのときの情勢次第で変えるのではなく、たとえ議席数は少数でも、一貫して「ある立場の人々の側に立ってものをいう」という政党がひとつやふたつ、あってしかるべきだろうと思います。
今後も徹底して沖縄県民の声など、国会内で忘れ去られたり無視されたりしている人々の声を届ける政党として社民党が動けるかどうかが問われるでしょうし、私はそこに今後の社民党の可能性を見たいと思っています。もちろん、そのためには、時には今回の普天間基地問題のように、あれこれ住民サイドにたって汗をかいて動くがゆえの挫折や、「泥をかぶる」「地をはう」ような苦労をすることも出てくるのでしょうけど・・・・。
また、いっそこの際、「人権」と「平和」を大事にすることをかかげて国会に議席を持っている各政党の方、社民党に移籍したらどうでしょうか? そうしたほうが、よほど政界内での論点整理がやりやすくなる面もあるのではないでしょうか?
あるいは、ツイッターあたりから入ってくる情報によると、民主党内にも、在沖米軍のマリアナ諸島(グアム・サイパン)への移転を検討した人々がいたようです。こういった人々の動きを見ていると、「できれば国外・最低でも県外」といい続けてきた鳩山政権の対応の迷走ぶりが、やっぱり際立ってしまいます。せめて民主党、特に鳩山首相の側が「海兵隊はいったん、マリアナ諸島へ帰ってくれ」という話を自らの「腹案」として、一度でもオープンに語っていれば、もうちょっと、今の議論の流れは変わっていたかもしれません。
それと、どうしてこの際、鳩山首相は「5月末決着」という目標時期設定自体が間違っていたことのほうを陳謝して、「あらためて長期間、本腰入れてアメリカ政府側と交渉して、なんとか移転先を最低県外、できれば国外に持っていくようにしたい」といわなかったのでしょうか・・・・。これだと、連立政権が当面維持できるでしょうし、ひとまず相手側と議論を継続いる間に、移転先や負担軽減策について、いろんな方向性を模索することも可能だったのではないでしょうか? たぶん、今後、社民党が連立政権に復帰するのは、こういう道を民主党がのんだときだけだろうと思います。
ちなみにこの間、共産党や公明党は、どこで何をしていたのでしょうか? 国民新党も、ある時期まではこの普天間基地問題で幹部が動いていた様子が見えましたが、途中から何か、動きが見えなくなりましたね。この3党、何がしたかったんでしょうね? 特に共産党と公明党には、「本気で平和の実現に取り組む気あるなら、こういうときに社民党みたいに汗かけよ、泥かぶれよ」「そういう本気で動いている姿、見せろよ」といいたくなります。
それと、自民党から分裂して出て行った人たちだとか、目立ちたがりの自治体首長らのつくったミニ新党も、この問題については目立ちませんでしたね。いったい、この人たちも何がしたかったんでしょうね? 「公務員削減」だけしか目立った政策的な主張がないのなら、今の鳩山政権だってそれ、やろうとしているわけですから、「そんなミニ新党、いらない」といわれるのがオチです。
あと自民党。これから民主党に、自民党の主だった政治家がマスメディアに出て、「それ見たことか」とばかりの批判をするのでしょう。だけど、「では自民党は、政権が続いている間にどれだけの負担軽減策を打ち出せたのか?」「自民党はどれだけこの間、県外移設に向けて、沖縄県民の声を聴いて、汗かいたの? 泥かぶったの?」と問われたときに、どう応答するのでしょうか?
そんなわけで、個人的にはこの普天間基地問題に関して、社民党に対しても民主党に対しても、それ以外のどの政党の立場からも、きちんとした批判はできないだろうと思っています。なにしろ、結果的にここでいろんな情勢を踏まえ、従来案に「妥協」する結果になったけど、民主党も一応、沖縄県民の声を聴いて基地問題をなんとかしようという「努力」はしたわけですからね。そういう意味では、社民党とは別の形で、民主党も「泥をかぶる」努力はしたのですから。ただ、「どうせやるなら、もっと徹底的にやれ!」といいたいわけですが・・・・。
このようなことから、私としては、それぞれの各地域の住民の声を聴いて、その願いの実現のために汗をかき、泥にまみれ、地をはうような努力をしている政党。また、たとえ国政や地方政界で一時的に争いに敗れるようなことがあったとしても、そのたたかい方に潔さがあったり、自らの主義・主張を貫いて、「いい負けっぷりのできる」政党。それが今は一番、私にとっては信頼できるように思います。
そして、これからの日本社会に必要なのは、ほんとうに国民の生活向上、国民の幸福実現のために、「泥をかぶる」覚悟のある政治家で構成された政党。別に二世でもタレント出身でも元議員秘書でもいいけれども、テレビなどでのいさましいパフォーマンスに長けたり、評論家的に高みにたって社会や行政を批判してものを言う政治家ではなく、自分の支持者との「信義」「信頼関係」を大事にして、地味な活動でもこつこつ動くことのできる政治家で構成された政党。そして、自らの手柄や成功話ばかりするのではなく、たとえば何かあたらな政策実現に失敗した場合は、その挫折の経過もきちんと国民に説明できる誠実さを持った政治家で構成された政党。
そういう政党が、今後の選挙の結果を通じて形成されることを、私としては願っています。
ちなみに、子どもの人権に関することも、人権教育に関することも、こういう政治のあり方の転換と深く結びつけながら議論するのでないと、あまり大きな力にはならないような気がしています。本気で「子どもの人権」を大事にする社会の実現を目指したり、人権教育を大事にする学校などを創ろうとするのであれば、わが身を安全地帯において研究だけしていればいい、なんて話にはならないだろうと思うので。
それこそ、大阪市内の青少年会館条例が廃止されようとするときに、関西圏の「子どもの人権」や「人権教育」に関する研究をしている人たちで、いったい、どのくらいの数が発言したのか。あるいは、橋下知事が就任して以来の一連の「改革」という名の人権施策や子ども施策の「リストラ」のなかで、どのくらいの研究者が発言したのか。その数を思うとき、あらためて「みんな、もっと泥をかぶれよ。こういうときのために、学問の自由や思想・良心の自由、言論の自由はあるんじゃないか?」と、私などは思ってしまいます。
<script type="text/javascript"></script> <script src="http://j1.ax.xrea.com/l.j?id=100541685" type="text/javascript"></script> <noscript>