https://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyoiku/news/20230325-OYT1T50207/
「教育学部の教授に小中高教員経験者、起用を義務化」というこの読売新聞の記事に対して、いま本学で教職課程運営に責任を負ってる立場から、いくつか連続でツイートしました。そのまとめをブログにつくりました。ただし、ツイート部分も含め、言葉づかいをていねいに直しています。
正直なところ最近の文科省の教員関連の施策は、いい意味でも悪い意味でも一貫性も、節操もない。実に「くだらない思い付き」レベルで何か打ち上げる。それで大学の教員養成の現場も、各教委も、学校現場も迷惑被っている。「たいがいにしてほしい」と文科省の役人(ベテランも、若手も)には言いたい。「一年間くらい、私の<かばんもち>でもして、現場で何がおきているのか、実際に見て修行してほしい」とかいいたいですね。
ついでに、退職して今はすっかりリベラルな雰囲気ただよわせて、あちこちで好き勝手なこと言うてる元文部官僚のおふたり。あえて名前出しませんが。あちこちでチヤホヤされてるようですけど(ついでに、チヤホヤしてる人々も「たいがいにしたら?」と思いますけど)、「おふたりの後輩がしでかしてること、きっちり批判しろよ」「こんな後輩たちを育てたの、おふたりでは?」といいたいです。
※以下、〇印1個がツイート1個です。ことばづかいもていねいに直しています。
〇実際に使えない現職経験者はいらない。ちゃんと研究業績や実務経験の経歴、やってきた仕事の内容とかを、採用する大学として審査させていただきます。
〇ついでにいうと、いまも多くの大学の教職課程担当教員に現職経験者が就いているのですが。その人たちが実際にどんなことを各大学で担っているのか、その結果どんな教員志望者が送り出されているのか。その前に現職時代に何をしてきた人なのか? 文科省はきちんと検証してるのかな?
〇もう一つ。今は教職課程設置申請に際して、教職科目担当予定の現職経験者にも活字業績求めてますが。あれは研究熱心な現職経験者を採用するのに、大学としてもとってもいいことです。でも、今後は現職経験ありなら活字業績なくてもいいことにしますか? それをすると、かえって大学教員の質落ちますけど。
〇このことを含めてもそうですが…。大学の教職課程運営の実務をあまりよく知らない人々が、文科省あたりで「教員が足りない、どうしよう」と大騒ぎして、あまり役に立たないような改革提案をするのは、ほんとうにやめてほしい。今でも現職経験者でよく動いてくださる方、各大学に居るのに。それでこの現状なんですよ。
〇それこそ…。いま小中高の現場で教員として仕事しながら、自分のテーマもって研究論文書いたり実践報告まとめたりする。そういう余裕ある職場環境のなかで育った人が、教職課程科目の担当教員として各大学に行く。そういう風にしないと、この文科省のプランは「絵に描いた餅」でしかないでしょう。(そんな勤務環境、小中高の教員に文科省は用意できているのかしら?)
〇あ、そうそう。現職経験者が自分の経験ふまえて、たとえば「〇〇だけは勤務条件悪いから行くのはやめましょう。他府県で採用試験受けたらどうですか?」とかいう可能性(危険性)は、文科省は想定していないなあ。実際、そういうケースが多々あるんだけどなあ。これ、教員志望者増やしたいのと逆になる恐れあるけど。
<以上で連続ツイートおわり>
※追記:実際にたとえば「大阪の教育改革はひどいし、教員が現場でしんどい思いをしそうやから、大阪で採用試験受けるのはやめとけ」みたいなことを教職の学生に言うてるような人、関西圏の大学の教職課程担当教員の一部にはいるようです。そういう話を、私は聞いたことがあります。
でも、こんな人は、私とは逆の道ですね。
「劣悪かもしれない大阪の現場に入って、そこでもう一度学校の再生の道を模索するような教員育てなくて、どうするの? そういう若い子といっしょにしんどいことを教員養成系大学や教職課程担当の教員が引き受けなかったら、誰がこの大阪の公教育の再生という難題、引き受けるの? そろそろ覚悟決めて仕事しようよ、各大学教職課程の担当教員。いまのままじゃだめだよ!」としか思ってないから。
そういうことも含めて、文科省はこの小中高の現場経験のある教員の教員養成系大学への採用を考えてるのか? 真剣にもの考えてるのか? そういう風にしか思えません。