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できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

いろんな観点から考えられるのかも?

2006-10-31 17:29:49 | 新たな検討課題

このところ、青少年会館の存続問題だけにとどまらず、今の大阪市の市政改革のあり方を考えるために、新書本サイズのものばかりですが、経営学関係の本を読むことが増えました。そのなかの一つ、三品和広『経営戦略を問いなおす』(ちくま新書)を読んだときに、「ハッ」とさせられた点がいくつかありました。「そうだ、市政改革に企業的な経営の視点を導入するといっても、その経営の視点はいろいろありうるのではないか?」ということに気づかされたのです。以下、同書から思いつくままに、面白かった点を挙げてみましょう。

まず、経営戦略の「コンテクスト依存性」(p.53)という点、これがまず面白かった。つまり、「経済や社会の状況、技術やインフラ、人口構成や法体系、そういう外部要因」(p.53)に囲まれて存在する以上、企業はこのような外部要因(これがコンテクスト)にさまざまな制約を受ける、ということ。だから、ある企業でうまくいった手法が、そのコンテクストの異なる別の企業で通用するかどうかはわからない、ということになりますね。これを市政運営にスライドさせれば、「他の政令指定都市でうまくいった改革手法を大阪市にもってきたからといって、本当にうまくいくかどうか?」ということになりますね。

それから、経営戦略は「アナリシス(分析)の発想」(p.60)とは相容れない、ということ。これも面白かった。というのも、著者の主張を私なりにまとめると、経営にかかわる個別の要素をどう統合して方針を提示するかが「経営戦略」であり、予算や決算の分析という視点とは異なるからだ、ということですね。となると、財政上の諸問題を解決するために大阪市の予算・決算関係の書類を見ることは一定必要でしょうが、問題は「それを見て、どういう方針を決定するのか?」という次元にある、ということになりますね。

また、経営戦略がどこにあるかといえば、「経営者の頭の中です。組織や文書に戦略が宿るということなど、ありえません」(p.132)とか、「大企業ともなれば、どこにも『経営企画』を名乗る部署があります。そこが立派な資料を作成して、戦略の全社的な共有を図ります。(中略)これらを、戦略と勘違いしてはいけません。そこにあるのは、戦略の入り口にある分析だけです」(p.132)という著者のコメントも、なかなか面白かった。これを読んだら、「市政改革マニュフェスト」や各種の帳票づくりに一生懸命励んでいる大阪市職員は、どう思うでしょうか? この本の著者の論理からすると、書類ばかり増えても、改革がうまくいくとは限らない、その書類を読んで市長以下の上層部がどういう方針を打ち出すかが大事だ、ということになりますよね。

さらには、この本の著者は、経営戦略について、「ある時点で誰かに『つくる』という作業を委託すれば、それは走る列車から途中下車するに等しいため、どんなアウトプットも『作文』に終わることを避けられません。タマが飛んでくるところでしか、戦略はできないのです」(p.135)ともいいますね。となれば、大阪市長は批判や非難の声が矢のように飛んでくるところでしか、市政の経営戦略は練られないはずで、それを外部委員に頼んでいるようじゃダメだわ、ということにもなりかねませんよね。

ついでに、この本の著者は、経営戦略は「世界観」や「人間観」「歴史観」などの「観」にもとづくもので、その土台が「教養」と「経験」ということも言います。となってくると、市長以下の市政の上層部が、どういう「教養」と「経験」にもとづいて、今の大阪市政の状況をみて、どんな方針を立てるかが大事だ、ということになりますね。

そして、この本の著者は、「最近は、リエンジニアリングだの、アウトソースだの、ビジネス・モデルだの、テクニカルな手法の流行が目立ちます。(中略)その程度の手法や仕組みや仕掛けで、会社が本当に変わると思いますか。変わるはずなどないでしょう」(p.211)ということもいいますね。また、「創業の理念」とか「社員の気風」といった、企業で働く人々の持つ「知的精神文化遺産」(p.212)に注目することの大事さも説いています。となってくると、実は「今の大阪市政の改革においても、最も大事にすべきなのは市職員の間で蓄積されている各種のノウハウだ」という見方だってできなくもないですよね。

これまでもどこかでいったかもしれませんが、基本的に「企業経営と市政運営は別物」と考えてきたのが、私の立場です。ただそれでも、「企業経営の論理を大阪市の市政運営に導入する」という形で今の市政改革を推進するのであれば、その「企業経営の論理だって、実はひとつではなく、いろんな筋道があるのではないか」と言いたくなりますね。そして、この本の著者のいうような「経営戦略」に対する考え方であれば、市政運営に多少なりとも反映できる部分はあるように感じましたね。


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抗議・批判の動きは今も続いている。

2006-10-31 10:44:04 | ニュース

私の印象でしかありませんが、最近、大阪市の青少年会館(以後「青館」と略)存続問題について、マスメディアが報道することがほとんどなくなりました。これはいい傾向の面と、悪い傾向の面と両面があります。

まず「悪い傾向の面」からいうと、「この問題への世間の注目がそれだけ薄れてきた」ということと、「結局、マスメディアは市長方針案の提示の10月10日前後、この時期の青館廃止反対・存続希望派と市長側とのせめぎあいのように、絵になるというか、そんな場面しか興味関心はなかったのか」ということ。そして、「このまま世間の注目が薄れてしまえば、いったい、どうなることか」「もう『あきらめ』ムードが漂っているのか?」と思われる面もあります。

でも、「いい傾向の面」もあります。それは、「人のうわさも75日」ということわざもあるとおり、これから「青館廃止反対・存続希望派」の側が、過去にマスメディア経由で流布されたいいイメージ・悪いイメージにとらわれず、自由に活動できる、ということです。

実際、マスメディアの注目度は薄いですが、今もなお、青館廃止反対・存続希望を訴えて、いろんな団体・個人が動いています。また、今まで加わらなかった層の人々も、この動きに入ってきています。そして、例えば毎日新聞(関西)の10月27日・28日のネット配信記事のように、市長側との交渉場面で、解放同盟大阪府連は青館のことだけでなく、一連の市長側から出された「」施策見直し方針について、あらためて反対の意見などを表明しています。

私としては、青館廃止反対・存続希望を訴える人であれば、どのような立場の人であれ、マスメディアが注目しようがどうしようが、積極的に行動を続けてほしいと思います。また、そういう人々の動きをこのブログで紹介することが役立つのであれば、私としてはここでどんどん書いていきたいと思いますね。

そして、その小さな動きをこのブログで拾っていくことを通じて、いかにマスメディアがこの問題を追いきれていないか、市長側の動きとこれに反対する人々の動きのなかで、「とにかく見出しになるような、大きな動き」だけしか見ていないかということがわかってきます。このような形で、このブログで、マスメディアも注目しないような小さな動きを取り上げていくことが、在阪マスメディア各紙・各局の報道のあり方を問うことにもつながっていくことになるのではないか、と思っています。


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質問再開

2006-10-29 13:08:07 | ニュース

しばらく休むことにしていた「市民の声」からの質問・意見ですが、大阪市役所に対して、今日は下記の内容で質問を送りました。とりあえず、この「市民の声」からの質問等の再開は、「今はこれだけとにかく言っておきたい」という、必要最小限の範囲だけにとどめようとは思っていますが。だから、これを送ったら、しばらくは休みます。

この間、大阪市の行政に対する労組や一部解放運動団体との関係がいろいろ取りざたされてきましたが、それと同じくらい、本当は大阪市の幹部級職員と特定政党の国会議員との関係も問題にされてしかるべきでしょうね。

さて、今、大阪市の行政において「コンプライアンス」ということを徹底するのであれば、なおさらその観点から下記のことは問題にされてしかるべきでしょう。つまり、法の抜け道を利用したり、法の強引な解釈によって、行政当局者、特に上層部が自らの行為を正当化することが、はたして「市民」として許せるのかどうか、ということですね。そのことは、青少年会館条例の「廃止」問題についても、先日発表された「脱法的」ともいえるような市教委からゆとりとみどり振興局への博物館等の移管問題についてもいえます。末端市職員や住民などには「コンプライアンス」を要求していながら、自分たちは法の抜け道を利用するような行為をしていては、市の上層部に対する信頼は失われますね。

そして、ぜひともこのパーティー券購入問題については、外部委員を導入しての適切な調査が行われることを希望します。できれば、大阪市に「市政オンブズマン制度」をこの際、導入してはどうか、と思われますが・・・・。

<以下、「市民の声」で送った質問事項>

前略、いつも私の「市民の声」からの質問・意見に対しまして、各部局からごていねいなお返事をいただき、誠にありがとうございます。
 さて、先日も市長室からお返事をいただいた件ですが、例の国会議員のパーティー券購入問題で、再度、ご質問をさせていただきます。
 昨日づけの朝日新聞や読売新聞のインターネット配信記事によりますと、以前報道された衆院議員のほかに、新たに参院議員のパーティー券購入についても、市幹部級職員の購入問題が取りざたされております。
 特に朝日新聞のネット配信記事では、「民間人の元幹部職員を介在させて違法性を回避しつつ、OBと現役との密接な関係を利用してパーティー券を大量販売していたことになう。政治的な中立が求められる公務員を政治資金集めに巻き込む手法は、論議を呼びそうだ」と述べられています。
 これがもしも事実であったとすれば、「コンプライアンス」の趣旨から見てどうなのか、という問題もあろうことかと思います。
 そこでお聞きしたいのは、前回の衆院議員のケースと同様に、この参院議員のケースについても、大阪市として適切に調査をされるのかどうか。また、同様のケースが続いている以上、外部委員を交えた調査委員会を設置したほうがいいのではないかと思われますが、それについての市側の見解はいかがか、ということ。この2点です。
 お忙しいところ誠に恐れ入りますが、この2点についてのご回答よろしくお願いいたします。 草々


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どっちもどっち?

2006-10-29 00:46:08 | 新たな検討課題

「市民は、市議会や県議会の議員発言を監視しよう。議事録はHPで公開される。不当な言いがかり、嫌がらせ、言葉の暴力などを見つけたらすぐにプレスに指摘、そして時期を見計らって訴訟と落選運動をする。」

これは、大阪市の市政改革本部で、今は外部委員として中心的な役割を担っているある人のブログに出ていた言葉です。これはもちろん、個人的なコメントとして書いているのだろうと思います。

でも、たとえ外部委員であるとはいえ、市政改革本部のメンバーから「市議会の議員発言を監視する」とか、「落選運動をする」という話が出るというのは、聞き捨てならないですねぇ。そんなこと、軽々しく言っていいのでしょうか? 市議会とこの人、ケンカしたいのでしょうかね?

このところ、青少年会館関連の内容について、市議会議事録も過去にさかのぼって検索してみていますが、少なくとも「監視」まではいいとしても、「落選運動」までいう気は私にはないですよ。

そこで、これを聞いた市会議員のみなさんは、どのように考えられるのでしょうか? ぜひ、市議のみなさんから、この市政改革本部の外部委員の方に対して、いろんな意見を述べられたらいいと思いますよ。次の市議会で、ぜひとも追及していただけるといいですね、この発言の主と、この発言の主を呼んできた市役所上層部の見解を。

ちなみに、この市政改革本部の外部委員、ご自分のブログで以前、「労組、そして一部の団体」に対して、「今までこの二者は多くの職員にとってKGBや秘密警察のような存在だった」と書いていました。これも、かなりひどい発言ですよね。いったい、どういう事実に基づいてそういっているのか、労組や「一部の団体」の方から、この方に問い合わせてもいいかもしれませんね。

ちなみに、この件について、「大阪市当局はこの方と同じ認識に立っているのか?」と「市民の声」から極秘で質問をさせていただいたところ、市役所の総務局から、あくまでもこの外部委員の方の「個人的な見解であると認識している」との文書回答を得ています。だからこの方、大阪市役所の関係者や労組、一部「団体」に対して、市役所ですら「あれはあの人の個人的見解」と断らざるをえないようなことを、インターネット上で発言している、と私は理解しています。

だから、市会議員の議会発言も問題かもしれませんが、「個人的見解」と断った上での市政改革本部の外部委員のインターネット上等での発言も「かなり問題」があるのではないでしょうかね。私なら、「どっちに対しても監視が必要」といいますが。


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『企業コンプライアンス』(文春新書)から

2006-10-28 23:48:11 | インポート

この間、私は、例えば企業コンプライアンス(法令遵守)論関係の本や、企業の経営戦略論の本、さらにはこの間の行財政改革の結果、労働の現場がどう変わったかを扱った本、地方自治体の行財政改革で用いられる各種の手法を批判的に検証している本などを読んでいる。

言うまでもなく、いま、大阪市の行財政改革を推進している人々は「官から民へ」と「コンプライアンス」を強調するわけだから、そのことに対するオルタナティブな発想を出すためには、こういう文献を読む必要があると考えている。

そんななかで、先日読んだ後藤啓二『企業コンプライアンス』(文春新書)を読んでいると、いろいろ気づかされることがあった。大阪市の今の行財政改革、特に青少年会館条例「廃止」方針のことや、社会教育部門の「解体」というしかない今の動向について、「コンプライアンス」論ははたしてそこまで容認しているのだろうか。この本を読んでいると、そのことがだんだん気になってきたのである。以下、特に大事な論点だと思ったところを引用(黒字)しながら、私のコメント(青字)で書いておきたい。

○まず「耐震強度偽装事件」に関して、同書p.83には次の記述がある。

「再発防止のためには、規制緩和が進み、今後益々競争が激化していくという流れのなかで、関係業界が度を越したコスト削減、あるいは違法の容認により利益を獲得していくという方針がとられないよう、制度的な対策を講じる必要がある。官と民の役割分担についても、その業務の性質に応じ、合理的に決定する必要がある。何でもかんでも民間に行わせることがよいわけではないのである。」(傍線部は引用者、以下同じ)

この引用のとおり、「コンプライアンス」論は、「民間」が「すべてよい」とは考えていない。法令違反を繰り返す、法の網の目をくぐって道義上問題のある行為を行う「民間」については、「官」が規制をすべきだと考えるのである。この点、大阪市当局はどう考えるのか?

○次に、p.128には、こんな記述がある。

「コンプライアンスについて、法令に違反しないということのみならず、企業が自主的に定めた倫理に従って行動すること、あるいは法令の趣旨・目的を理解して、それに沿って活動すること、さらに広くは、企業の道義的・社会的責任を果たしていくという活動というように法令の遵守にとどまらないもの解釈しなければならない。」

今日、出張から自宅に戻ってきて毎日新聞夕刊を見たら、社会教育施設として法的には大阪市教委所管の博物館等を、市長部局である「ゆとりとみどり振興局」に移すことを大阪市が検討中という記事が出ていて、なおかつ、毎日新聞には「脱法」という言葉まで使われていた。このような行為は、たとえ法解釈上いろんなつじつまは合わせうるとしても、上記引用部分にある「コンプライアンス」の基本精神とは大きく異なるのではないか。大阪市当局は、社会教育関係の諸法令の理念や、社会教育に対する大阪市としての道義的・社会的責任をどう考えているのであろうか。これについては、同様のことが青少年会館条例「廃止」方針についてもいえるが。

○それから、CSR(企業の社会的責任・貢献)について、p.143では次のことも言われている。

「CSRは、現在、一種のブームのような捉え方をされているが、CSRの取組みに当たっては、事業の選定と実施方法について慎重な判断が必要である。一度はじめた社会貢献活動について、業績の悪化、経営者の交代等により、途中で止めることは企業の誠実性に関わることとなり、それほど容易でない。

「コンプライアンス」論の趣旨から考えても、たとえ大阪市が財政難にあるとかいっても、「一度はじめた事業」を「途中で止めること」には、「市の行政当局としての誠実性」が問われることになりはしないのだろうか。そして、青少年会館条例「廃止」方針というのは、「コンプライアンス」論の趣旨から見ても問題が多いのではないか。

まぁ、こんな具合である。それこそ、今、大阪市の行財政改革を進めている人々は、市職員に対して「コンプライアンス」を求めているが、最もそれが必要なのは上層部であったり、あるいは、その上層部にアドバイスをしている人々ではないのか、といいたくなるのである。


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ようやく返事が来ました。

2006-10-26 19:41:48 | 大阪市役所への質問(再開後)

ようやく、この前書いた「コンプライアンス」論のことについて、下記のとおり返答を得ました。約1ヶ月かかっての返答ですが、私としてはある程度納得のいく回答です。総務局のみなさん、お忙しいところありがとうございました。

さて、今後、大阪市職員のみなさんは、下記の総務局見解のとおり、上司が「違法な指示」をした場合は、「部下は意見を述べ、上司の再考を促す」という道を選んでください。それが「コンプライアンス」論のスジです。

もっというと、先日読んだ『主君「押込」の構造』(講談社学術文庫)という本では、江戸時代のいくつかの藩において、主君である藩主の失政などをとがめたりするために、家老職などの重職にある家臣たちが結束し、主君の親戚筋の他大名や幕府要人などの了解を取り付けた上で、諫言をして、「押込」からさらに「隠居」をせまることがあったそうです。しかも、この行為は当時においてですら、ある種の「正当性」を幕府などから認定されていたとのこと。

ですから、江戸幕藩体制下においても藩主の失政を家老職などの側から諫言してやめさせる道もあったのですから、今の憲法体制下においても当然、大阪市の重職にある方の「失政」ともいうべき施策については、部下の立場から「諫言」してしかるべきだ、それが「コンプライアンス」の道だ、ということになりますね。

<以下、大阪市総務局からの回答>

 違法な職務命令については、当該職務命令に重大かつ明白な瑕疵がある場合には従う義務がないと考えております。もし、上司が違法な指示をしたときには、部下は意見を述べ上司の再考を促すことができます。しかしながら、通常の業務遂行においては、そのような事態は少ないと思われます。
 本市では、コンプライアンスの観点から、違法な命令が発せられるといった事態に陥らないよう、普段からコンプライアンス意識を養い、法令の知識を習得し、また、いつでも上司と部下が相談できる風通しの良い職場づくりを心がけるなどの日常の取り組みが大切と考えております。
 そこで、本市では本年9月から、職員のコンプライアンス意識の向上等を目指して「コンプライアンス研修」を実施しています。
<以上で引用おわり>


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まだ返事の戻ってこない質問

2006-10-23 10:46:06 | 大阪市役所への質問(再開後)

先月から今月にかけて、このブログでも公開してきたとおり、私は大阪市役所ホームページ「市民の声」から何度も青少年会館「廃止」をめぐる諸問題や、あるいは、大阪市の市政改革をめぐる諸問題について、質問・意見を述べるという活動をしてきました。

そして、その活動については、基本的にこれは市役所・市教委各部署の現場担当者を困らせる意図でやっているものではなく、市政上層部の考えていることを問い合わせたいという趣旨でやってきたもの。したがって、「ちょっとこれ以上突っ込んでも、市役所・市教委各部署の担当者レベルでは答えづらい質問・意見ばかりになってきたのかな?」という感触を先週・先々週あたりから得てきたので、「これ以上は控えよう」という判断をした次第です。

でも、その後も、例えばパーティー券問題について「きちんと市長室で調査をする」という回答が届いたり、他の件でも、青少年会館を廃止しないでという子どもからの要望について市教委などで対処していること、「子ども青少年局(仮称)」について内部調整を今、積極的に進めていることなど、各部署からのごていねいなお返事を電子メールや文書でいただいています。

まずはこの点について、この場でひとこと、お礼申し上げます。もちろん、回答の内容については、まだまだ問い合わせたいこともありますが、それについてはひとまずおきます。本当に忙しい中、なんとか回答しなければならないと思って、事務の担当者の人がいっしょうけんめい動かれたのだなぁということがよくわかりますので。

ただ、忘れてはならないのは、9月27日に「コンプライアンス(法令順守)」のあり方について質問した件について、未だにお返事がないこと。もうすぐ、質問から一ヶ月くらいになりますが・・・・。もしかしたら、今日は自宅にいるので、次に大学に出向いたときに文書でこのときの回答が届いているのかもしれません。

でも、もう一度、9月27日に「コンプライアンス」に関連してどういう質問をしたのか、ここで重要な部分だけ、あらためて引用しておきます。

「さて、私の手元にある『解説教育六法(2006年版)』(三省堂)では、地方公務員法第32条で、「法令等及び上司の職務上の命令に従う義務」が定められています。これがいわゆる「コンプライアンス」の地方公務員法上の根拠になるものと思われます。
 と同時に、この条文を読んでいて、ふと疑問に思ったことがあります。
 それは、もしも上司が、地方公務員法第32条にいう「法令・条例・地方公共団体の規則及び地方公共団体の機関の定める規程」を「逸脱」あるいは「無視」する職務命令を出した場合、はたして、大阪市職員に「上司の命令に従う義務」は生じるのかどうか、というところです。
 地方公務員法の建前からすると「上司の命令」に従う必要はあるが、その「上司の命令」がそもそも「法令等の趣旨を逸脱あるいは無視している場合」はどうなるかという問題は、かなりコンプライアンス論の根幹にかかわる問題だとは思います。」

実はこの問題、市役所側としてそう簡単に答えが出せないことは、私としては前々からわかっていたものです。

ちなみに、法令解釈上のスジで考えたら、「もしも上司の命令それ自体が法令等に違反しているということであれば、そもそもその上司の命令自体が違法で、上司の責任がまず問われるべきなのだから、部下にはその上司の命令に従う義務がない」という風に、私は考えます。

しかし、市役所として私の考えを認めてしまったら、今、一生懸命、何事も「法令と上司の命令に従え」と言って、市政改革をすすめようとしている「コンプライアンス」論の枠組みが崩れますね。なぜなら、今後、上司の命令のなかに「違法」な部分があることを認めたら、部下はそれを根拠に「この命令には従えない」と、反撃を食らわすことができるわけですからね。少なくとも今後、私のような考えを市役所が認めた場合、上司は自分のやろうとしていることが「法令違反にはあたらない」と常に理論武装していないと、部下に対して指示・命令を出すことができなくなりますよ。

でも、だからといって、「コンプライアンス」論を積極的に主張する以上は、こういう私からの質問・意見に対しても、きちんと答えられるようなものでないといけませんよね。すなわち、「上司の指示・命令は法令解釈上無謬であり、常に従わなければならない」ということを、私の意見に対して説得力ある形で市役所としてきちんと位置づけなければ、私の意見のほうが通ってしまうからです。

しかし、「常識的に考えて、すべての上司の指示が、法令解釈上常に無謬でありうるなど、そんなことありえないでしょう。たとえ数は少なくても、解釈のまちがいや誤解などが生じる余地がありうる。したがって、法令違反の上司の指示等が生じる危険性が常に存在する」というのは、すぐわかると思います。そうすると、そういう上司の指示等のまちがいに対して、はたして部下は従う必要があるのか、という私の問いから、市役所側は逃げられないわけですよね。

そんなわけで、まだ返事の戻ってこないこの質問に対して、大阪市役所側が答えづらいこと、なかなか回答ができない事情もよくわかります。しかし、私はこれにどう回答してくるのか、とても楽しみに待っています。


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1881年「開拓使官有物払下げ」事件

2006-10-22 18:54:10 | いま・むかし

今日は青少年会館条例「廃止」の問題を少し離れた話題を先に2つ書き込みましたが、これも同じです。ただし、大阪市の市政改革にかかわるテーマであることは、先の2つと同じです。

さて、大阪市の市政改革のキーパーソンともいえるある人が、その市政改革プランに関連して「平成の払い下げ」という言葉を連呼しています。これはおそらく、先の「タケノコ生活」の話ではありませんが、例えば大阪市が持っている財産のうちで民間に売却できるものを売ったり、あるいは、大阪市の行っている事業のなかで民間(これはたぶん、企業もしくはNPOなどだと思いますが)にゆだねることが適当なものはそっちにゆだねる、ということを考えているのでしょう。

ですが、「払い下げ」という言葉を聞いて、「そういえば、こんなこともあったな~」と、高校日本史のある授業の内容を思い出しました。1881(明治14)年におきた、北海道開拓使の「官有物払い下げ事件」です。以下、私の手元にある『角川日本史辞典(第二版)』(角川書店、1974年)から、「開拓使官有物払下げ事件」の項目を引用しておきます。

<以下、『角川日本史辞典(第二版)』からの引用>

かいたくしかんゆうぶつはらいさげじけん 開拓使官有物払下げ事件

 1881(明治14)北海道開拓使がその官有物を民間に払下げようとした時に、世論の反対を受けて取りやめた事件。明治維新後、政府は北海道開拓に1400万円を投じたが、10年計画の満期にあたって、開拓長官黒田清隆は、これを38万円余で、同郷(薩摩)の五代友厚らの関西貿易商会に無利息30か年賦で払い下げようとした。これに対して、参議大隈重信や民間の自由民権派から激しい抗議がおこり、伊藤博文ら政府首脳は払下げを取り消すと同時に、自由民権はを孤立させ弾圧すべく、大隈ら政府部内の反対派を罷免する明治14年の政変を断行、同時に国会開設詔勅を発布した。

<引用おわり>

これを読んで、どう思いますか? 私などは「いわゆる官有物件等の払い下げって、過去の歴史上、自分たちの有力支持者への新たな利権誘導の方法だったのかな」なんてことを思ってしまいますね。たぶん、そうならないように、今の市政改革を推進している人々は、「平成の払い下げ」は「入札制度」などルールに則って、ということを考えているのかもしれませんがね。しかし、過去の公共事業の「入札」にだって「談合」などもあったわけですから、はたして、改革推進派の思っているとおりにいくのかどうか・・・・?


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ここをどう考えるのか?

2006-10-22 17:51:25 | ニュース

続いて、もうひとつ、青少年会館条例「廃止」に関連する問題とは別に、大阪市の市政改革全般に関するニュースから。

これも昨日か今日かの新聞記事あたりで、市政改革推進会議のメンバーが市職員の削減数をさらに上乗せして、どこかの市と同水準にまで持っていくよう提案したとか言ってますね。

これについても、私などは「こういう提案をする人たちって、例えば正規の市職員を削ったあとに、有期雇用契約の嘱託や非常勤の職員を入れなければまわらないような、そんな市政の現場だってあるはず」ということを言いたいです。

大阪市役所として、住民に対してある一定水準のサービスを提供する責任を法的に負っているのであれば、その責任を果たすために、一定数の職員配置は必要不可欠です。したがって、人員削減を乱暴にやりすぎてしまえば、住民に対する一定水準のサービス保障に職員数の面から穴が出てきますし、その穴を埋めるためには、別の雇用形態で不足する職員を補充しなければまわらなくなります。

逆にいえば、一定水準のサービス保障を最優先して職員数をキープしつつ、別のところでの財政削減を行うという、そういう行財政改革案が可能なはずです。要するに、行財政改革というのは、「ただ市職員のアタマ数だけ減らせばいいってものでもない」ということではないのか、ということです。

もっと具体的にいえば、「こういう職員数であれば、こういう施策を実施し、こんなところまで住民サービス保障ができます。しかし、経費がこのぐらいかかって、そのうちの何割を住民税で負担しなければできません」ということを、大阪市民にきっちり説明して、それでも住民側が「高サービス・高負担をとる」というのであれば、それもひとつの住民の選択だ、ということです。自分たちの生活の快適さや便利さのために、一定額の税金を支出するのだということであれば、それなりに納得もできるでしょう。

しかしながら、今の市政改革は、やたらと手法の部分と帳簿上の数字のことばかり議論をしていて、「その結果、住民サービスは具体的にどうなるのか?」ということに対する説明が、あまり十分にできていないような気がしています。このへんについて、私は大変、今の市政改革の進め方について疑問を感じますね。マスメディアはぜひ、ここをつついてほしいです。


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タケノコ生活か、「焼け石に水」か

2006-10-22 17:35:40 | いま・むかし

少し青少年会館条例の「廃止」方針問題を離れて、今の大阪市政改革全般にかかわる話を。

先日、読売新聞の記事かなにかで、大阪市が外郭団体などに委託している駐車場の管理を、今度から民間に委託する形で入札をしたら、今までの数倍の月額賃料で入札があいついだとか。どちらかというと、新聞記事は好意的な書きかたで、「だから官から民への移管が大事なんだ」というような論調でしたね。

でも私は、「ふ~ん、だからどうした?」と思います。というのも、これって結局、大阪市の財政破綻回避策として導入されようとしているのだ、という観点から見れば、「あ~、とうとうタケノコ生活をはじめたか」「いや、今となってはこれで多少収益があがったところで、財政状況の好転にどの程度つながるのだろう? もはや焼け石に水では?」と思ってしまうわけです。

よく考えてください。こうやって「官から民へ」と、特に「民」が一定、収益をあげそうな物件などを次々に大阪市の財産から切り売りしていく。名義上は市がもったままの貸し出しならまだしも、切り売りしたら、結果的に「市民の税金で手に入れた財産」を、どんどん「民間のフトコロにまわす」わけですよね。これって「バラマキ型政治」の新たな手法、という見方だってできますし、売ってしまったら結局、「官がますますやせ、民がますます太る」わけですよ。しかもその「民」というのは、個々の市民ではなくて、「民間企業」の「民」ですよ。

そして、この「タケノコ生活」、「民間企業」の「民」が引き取ってくれそうな、売れるものがあるうちはいいですが、売れないものしかもう残っていないということになれば、そこで終わりですね。だからこそ、「これって、もはや焼け石に水では?」と思うわけです。

ついでにいうと、どうもこの間の青少年会館条例の「廃止」問題についても、この「タケノコ生活」の延長を考えているような気がしてなりませんね。跡地の多目的スポーツ施設化とか、そのスポーツ施設の管理運営への公募による指定管理者制度導入とか、いろいろ言っていますが・・・・。


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みんな忘れていませんか?

2006-10-21 10:56:15 | いま・むかし

大阪市立青少年会館の設置を定めた「地区青少年会館条例」が、大阪市議会での条例改正を経て、「青少年会館条例」になったのが、1999年のこと。それ以後、法令上、大阪市立青少年会館は、基本的人権尊重の精神に基づき、青少年の健全育成をめざす「一般施策」の事業展開を行う社会教育・生涯学習施設に位置づいているはずです。

とすれば、「施策の見なおし」という昨今の大阪市の動きのなかで、青少年会館の「廃止」と市長側がいうのは、そもそもがいったい、どういう法的根拠にもとづいて行っていることなのか、たいへんあやしいことになります。というのも、もうすでに99年に「一般施策化」したと、市議会でも条例改正して認めた施策を、今頃になって大阪市長は「あれは施策の名残だ」といって蒸し返して、「条例廃止」を提案しているわけですから。しかも、青少年会館は大阪市教委の設置する社会教育・生涯学習施設、つまり「教育機関」で、その設置・管理などは、市教委の権限下にあるはずです。

「法令順守」「コンプライアンス」を連呼する今の大阪市の行政当局は、まず、この歴史的事実と法的位置づけを再確認すべきではないのでしょうか。でなければ、市議会で定めた条例や、国の教育関係法令の趣旨自体、大阪市の行政当局は無視するのか、ということになりますよ。

と同時に、市議会も過去に青少年会館の「一般施策化」を、条例改正ということによって認めた以上、今ここで「あれは施策だ」といって蒸し返すようなことをすることは、本来できないはず。どうしてもそれをしたいのであれば、過去の自分たちの議論を「自己批判」するのでなければ、簡単にウンとはいえないはずだと思うのですが・・・・。

どうも、こういうスジ論が今、忘れられているような気がしてならないのですが・・・・。


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アクセス数が急に増えましたね。

2006-10-20 17:25:33 | ネット上でのバッシング考

この三日間ほど本来の仕事のほうが忙しくて、ブログの更新が途絶えていましたが、その間もアクセス解析だけはしっかりと見ています。どうもこの数日の間に、急速にアクセス数が増えたようですね。

私は実際に見ていませんが、今週月曜日の夜にNHK総合テレビが「クローズアップ現代」で青少年会館の「廃止」方針のことも含めた、一連の大阪市の「」施策見なおしについての特集を放送していたようなので(実際は、10月6日に「関西クローズアップ」として放映されたものの再放送のようですが)、もしかしたら、その影響もあるのかもしれません。

この青少年会館「廃止」方針を大阪市が打ち出したことに対して、マスメディアの伝えるところを通じて、多くの人々が関心を持っていただけること、これはたいへんありがたいことだと思います。と同時に、その方針の提示のやり方・中身の両方が、いかに現在、青少年会館を利用している子どもや保護者、地域住民にとって理不尽なものであるか。そのことにも、ぜひとも気づいていただけるとありがたいと思います。そして、その理不尽さに気づかれた方から順に、大阪市に対してなんらかのアクションを起こしていただけると、私としては個人的に大変うれしく思います。

なお、あらためていうまでもないことですが、私及び関係者への誹謗中傷目的でのアクセスについては、今後、一切やめていただきたい。また、それとおぼしきアクセスがあった場合は、ここでくりかえし警告を発していきます。このことも、もしかしたら前にも書いたかもしれませんが、あらためてお断りしておきます。


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内閣府の「青少年育成施策大綱」

2006-10-17 18:50:52 | 学問

今日はちらちらと、大学での授業の必要もあって、内閣府政策統括官(共生社会政策担当)の出している「青少年育成施策大綱」(2003年12月)を、内閣府ホームページから読んでいた。そのなかに、次のような文章があった。

あとで書くように、国の青少年施策としても「人権尊重の精神」の育成、「特に困難を抱える青少年支援」が重点課題であるとされている。少なくとも、大阪市の社会教育・生涯学習分野、特に青少年会館でのこの数年間の諸実践は、この重点課題に沿った方向性で行ってきたことを、いったい、どのくらいの人が知っているのだろうか。

<以下、内閣府ホームページからの引用>

3 重点課題

 自立、責任、連帯、寛容などの人間性を涵養し、人権尊重の精神や他者と共生していく上で何が求められ何が許されないかという規範意識を身に付けることは、社会的存在としての人間が備えるべき基本である。成長の過程でこの基本が自ずと備わるよう、青少年育成施策は配慮されなければならない。本大綱においては、青少年育成施策を、おおむね30歳未満の者を対象として各年齢期に応じて推進するが、社会的自立の遅れと不適応の増加という今日的状況にかんがみ、全年齢期を通じて今後特に重点的に取り組む課題を次のとおり設定する。(中略)

(2)特に困難を抱える青少年の支援
 非行等の社会的不適応を起こしやすい状況にあるなど、特に困難を抱える青少年に対して、その環境や条件が改善されるよう、特別の支援を行うものとする。
 医療、福祉、教育の専門家による適切な助言指導を充実するとともに、低所得・ひとり親家庭への就労支援、社会保障給付等を行う。特に、青少年が教育を通じた職業への展望をもてるよう、条件や環境に恵まれない青少年も義務教育の間に基礎的学力を習得できるよう支援する。
 支援に当たっては、個人や個々の家庭への差別意識を生じさせないよう十分留意する。(後略)

こういうことが、国の「青少年育成施策大綱」で言われていることを、青少年会館「廃止」方針を決めた大阪市役所上層部はわかっているのだろうか? おそらく、市教委や市役所の実務担当者ほどには、上層部はわかっていないだろう。

もしも本当にわかっていたら、この国の重点課題でもある「特に困難を抱える青少年の支援」と「人権尊重の精神」の育成ということについて、それを先取りしたような取り組みをしていた公的機関のひとつが、市内12ヶ所の青少年会館であることにすぐに気づくからだ。

また、この「困難を抱える青少年支援」を今後、大阪市においてさらに一層拡充していくのであれば、青少年会館「廃止」というのは、その国の目指すべき青少年施策の方向性に「逆行」するというということ自体、すぐに気づくはずである。

多くの人が、マスメディアの伝える「」施策見なおしということにばかり目を向けて気づかないが、今、青少年会館に対して出している「廃止」方針というのは、「」施策見直しのレベルを越えて、こういう国の施策にすら「逆行」する営みなのである。

まずは、一度<「」施策見なおし>という、すでにできあがった枠組みを抜け出して、こういう「青少年施策」という観点から、今回の市長の打ち出した方針を見つめなおす、そういう時期にきているのではなかろうか。


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プラカード事件

2006-10-17 04:16:36 | いま・むかし

最近起こった学校での「いじめ」事件に教員がかかわっていたとか、いなかったとか。そんなことがマスメディアで取り上げられています。

ですが、大阪市内の公立小学校でも敗戦後のある時期まで、被差別出身の子どもに対して、今でいえば「教員による子どもいじめ」に近いようなことが行われていたこと。このことは、いわゆる解放教育にかかわる人々や、子どもの人権擁護活動にかかわる人々ですら、だんだん記憶が「風化」してきているのではないでしょうか。

それこそ、学校で「給食代を忘れた子」「宿題を忘れた子」「PTA会費を忘れた子」など、大きな板のプラカードをつくって、朝から一日、それを忘れた子の首にぶら下げて生活させることが、一時期、大阪市内のある小学校で「みせしめ」のように行われていました。

当時は給食代やPTA会費も払えないほどの生活苦のなかで、家に帰っても勉強もできるような状態ではない、という子どもたちが、被差別には多数いました。そんななかで、学校の教員たちも一握りの良心的な人々を除き、多くの人々の傾向として、学校外での子どもの生活実態を把握し、そこから子どもたちの学校現場での様子を理解しようとはしなかったようです。こういう状況のなかで、ある学校の一部の教員たちの間から、ただ目の前の忘れ物等の状況のひどさだけを取り上げ、プラカードをぶらさげて生活させたりする人々も出てきたのではないでしょうか。

そして、そのような子どもに対する理不尽な取り組みをやめさせるよう、くりかえし大阪市内の各学校や大阪市教育委員会、大阪市役所に働きかけていったのが、当時の大阪市内の解放同盟と、その子どもの保護者たちだったのです。

そういうかつて被差別の子どもたちに学校がしてきたことを、今、学校における「いじめ」問題、「教員による子どもへの理不尽なしうち」等、いわゆる「子どもの人権」問題に関心のある人々は、もっと知っていく必要があるのではないでしょうか。

そして、そういう過去の学校関係者の過ちを含めて、事実をきちんと伝える責任が、解放教育や人権教育の関係者、子どもの人権擁護にかかわる活動の関係者にあることは、あらためていうまでもありません。


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今後は市議会にも監視の目を

2006-10-15 21:45:04 | 国際・政治

この前の金曜日(10月13日)、旧芦原病院の債権放棄問題をめぐって、大阪市長の提案を市議会本会議が否決したとのことですね。それが、なにやら「異例」のことで、少なくともいわゆる敗戦後はほとんどなかったというような報道すらありました。

そこから考えて思うのは、まず第一に、基本的に大阪市議会は、市長以下大阪市行政当局に対するチェック機能を、この何年かはたして発揮してきたのかどうか、という疑問。例えば旧芦原病院に限らず、オリンピック招致の失敗にかかる問題、フェスティバルゲートほかのムダに終わった施設の問題など、いろんな財政上の失敗がありましたが、ああいったことは、よく考えてみればこの間、市議会がきちんとチェックしてくればもう少しマシだったのではないか、と思ったりもするのですが。その点で、今回、市長提案に対して市議会の拒否ができるのであれば、これまで「おかしい」と思う施策に対して、なぜその拒否を突きつけなかったのかという点で、市議会のあり方が問われるようにも思っています。

第二に、今後も大阪市議会が市長提案に対してノーを突きつけることができるのであれば、当然ながら、近々市議会に提案されるであろう「青少年会館条例」の廃止案についても、ノーを突きつけることができるかどうかが問われます。つまり、大阪市の青少年社会教育や、社会教育以外の領域での子ども施策・若者施策に対して、市議会内の各会派がどれだけの理解力があるのか、そこが問われるわけです。

先に言っておきますが、そこでまともな質問もせず、市長提案にすぐ賛成するような会派があったとすれば、その会派の市会議員については、今後厳しい目で見てもいいでしょう。また、日ごろ子ども施策の充実、児童福祉や少子化対策の充実などを自分たちの政策の売り物にしている会派が、「青少年会館条例」廃止の提案にすぐ賛成にまわったら、その会派の市会議員の主張も「しょせん、その程度のもの」と見るしかないですね。

したがって、青少年会館の廃止反対を求める人々、この間の大阪市政のあり方に疑問を抱く人々は、前回このブログで、私は「市政上層部・企画管理部門・外部委員の連合体」への監視強化を呼びかけましたが、今後はこれに加えて、大阪市議会への監視も強める必要があります。そして、次の議会までに市会議員に対する要望を出したり、あまりにもおかしい意見を述べる市会議員には次の選挙でどうつきあうか考えるなど、可能な方法を考えてみることをお勧めします。


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