できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

少し視点を変えて、ブログ継続

2008-10-31 11:10:59 | いま・むかし

ちょうど10日ぶりくらいの更新になります。

この間も橋下大阪府知事が府民との教育討論会があったとか、そこで辞めた中山前国交相の日教組批判を支持する発言とか、「体罰」容認発言をしたとか。あるいは、橋下知事が大阪府下の高校生との討論の場で、「私学助成金を削減するな」という要望を出した高校生を泣かせたとか、いろんな出来事があったようです。また、今朝あたりは中国出張から帰国して、さっそく橋下知事は、文部科学省の学力テスト結果公開に対する対応にかみついているようです。「あいかわらず、ようやるわ・・・・」と、正直、「あきれてしまう」というのが、率直なところです。

ですが、これに関する新聞各紙のネット配信記事をひとつひとつとりあげ、論評することは、今後はあえて、避けます。

というのも、どの配信記事についてコメントしようとしても、結論は今まで書いてきたのと同じで、「もう、テレビに出てくるタレント弁護士時代のやり口というか、こういうパフォーマンスの政治はうんざり」だし、「橋下知事サイドから出ている提案では、学校教育や子どもの福祉、子育て中の家庭の生活支援などには、何にもつながらないだろう」ということ。そして、「それどころか、今まで厳しい財政状況のなかで、2つの事業を1つに統合したり、1事業あたりの予算を削減したりして、なんとか資金をやりくりしながら、大阪府や大阪府教委、府下各自治体の行政当局がいい事業を残そうとしてきたものまで、この橋下知事サイドから出てくる提案はぶちこわし、めちゃくちゃにしてしまう」ということ。

今、橋下知事サイドから出てくる教育施策について私がコメントすると、どの記事に対しても、コメントはその3点くらいにつきてしまう。要するに、「あきれてだんだん、ものを言う気もなくす」というのが、正直な気持ちからです。そんなムダなことに、このブログを書く時間を費やしたくはないですね。せっかくおおぜいの方が、更新が途切れたこのブログにもアクセスしてくださっているわけですからね。

それよりはむしろ今後は、橋下知事の行財政改革プランだとか、あるいは、これまで論じてきた大阪市の青少年会館条例廃止問題、条例廃止以後の大阪市の子ども(青少年)施策の問題などについて、「私がどういうことを手がかりにして、『これはおかしい』とか、『これではうまくいかない。かえって、今までやってきたことをダメにしてしまう』と言っているのか?」というあたりを、ボチボチと書いていこうと思います。

もちろん、気になる新聞各紙のネット配信記事については、「こんな記事がありましたよ」というくらいのことは書くでしょう。また、そのときに、「またこんなことを言って・・・・」という、ごく簡単な批判程度のことも、きっと書くでしょう(というか、言わずに居られなくなるので)。

しかし、今後はどちらかというと、そのネット配信記事を読む上で参考にしたほうがいい本の紹介とか、各地で取り組まれているユニークな子ども施策の事例、NPOや学校などによる実践的な事例などの紹介を、できるだけ、このブログでは重点的にやってみたいと思います。

きっと、これまでの子どもの教育や福祉、子ども施策などに関する理論的な研究の動向とか、他地域での事例をふまえて考えれば、私以外のこのブログを見ている人たちのなかにも、「やっぱり、大阪市のこの間の子ども施策は充実から遠ざかっている」とか、「橋下知事が何か言っているけど、あれって、大騒ぎするわりにはたいして効果がないのではないか?」ということが、少しずつでもわかっていただけるのではないかな・・・・と思います。

行政が熱い 大阪は教育をどう変えようとしているのか 行政が熱い 大阪は教育をどう変えようとしているのか
価格:¥ 1,953(税込)
発売日:2005-02

たとえば、まだ手にしただけで、これからじっくり読む予定なのですが、『行政が熱い 大阪は教育をどう変えようとしているのか』(大阪府教育委員会事務局スタッフ編、明治図書、2005年)という本があります。この本は3年前に、これからの大阪府の教育改革のあり方について、府教委事務局のスタッフたちが分担執筆して書いた本です。

実はこの本の32ページ以降のところにも、「学力等実態調査と家庭学習支援」の話がでてきます。ここで「府内公立小学校6年生と中学校3年生の約10%(7000人)」の抽出調査をもとに、大阪府教委が子どもたちの学力と生活実態の調査をおこなった結果(概要)と、それをふまえた学校での教育改革プランの概要などが述べられています。

この本のなかでも、子どもたちの「朝食を食べる」等の生活習慣とか、宿題を「いつもする」といった家庭学習の習慣と、学校での学力・学習意欲などとの関係について、調査結果をふまえる形で論じられているわけです。ですから、今さら橋下知事がテレビや新聞などを前にして、わざわざたいそうに「早寝早起き朝ごはん」で「学力向上」とかいわなくても、府教委や府下各自治体教委、さらには府下の各公立学校の教職員であれば、「そんなこと、わかっている! わかっていても、それができない子どもや家庭がたくさんあるから、現場は困ってるんだ!」というだけの話です。

しかも、学力の問題については、「抽出調査」だけでもこの程度のことがわかるわけですし、どこの市町村・学校かを明らかにしなくても、こうした話はできるわけです。だから、わざわざ全国学力テストで「悉皆調査」をして、すべての子どもの生活実態と学力等の状況を把握し、そのデータを公開しなくても、「学力向上」のための各自治体教委ごとの教育改革プランくらいは、「つくろうとおもえば、つくれる」わけです。とすれば、「そもそもデータの公開・非公開を論じる以前に、全国学力テスト自体が本当に必要なものだったのかどうか、という次元から論じたほうがよい。その学力テストの実施それ自体につぎ込む税金を、別の子ども施策につぎこんだほうが有効ではないのか?」という思いを私は抱くわけですね。

きっと、こうしたマスメディアではあまり取り上げないけど、たとえば子どもの教育や福祉関係の文献ではすでに知られていることや、あるいは、目立たないけど地道に成果をあげてきた取り組みなどを紹介して、それを知っていただくことによって、橋下知事の改革や、大阪市の子ども施策などがかなりちがった目で見ることができるのではないか、と思っています。

そんなわけで、今後も不定期更新のスタイルになりますが、少し切り口をかえて、ブログを継続していきたいと思います。

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「批判してもらってかまわない」らしいです。

2008-10-20 08:57:59 | ニュース

今日もまた、橋下府知事関連の新聞記事から。

http://www.sankei-kansai.com/2008/10/20/20081020-003138.html (「朝日新聞は大人げない」 橋下知事が社説に反論=2008年10月20日付け産経関西ネット配信記事)

この産経新聞の記事では詳しいことは書かれていませんが、朝日新聞の朝刊(2008年10月20日付け)紙面によると、「僕は権力者だから批判してもらってもかまわない」という前置きをしたうえで、「一線を越えた批判や、からかい半分の批判には徹底して対抗しないといけない。僕にも家族はあるし事務職員も抱えている。弁護士資格を返上したら従業員はどうなるのか」といったとか。

「そんなに自分の弁護士事務所や家族が大事なら、あとあとのことも考えて発言すべきであって、調子にのって、そのときの思いつきで、マスコミなどで過激な発言するほうがおかしいのでは?」というのが、この府知事のコメントへの率直な感想。「あなたもたいがい、タレント弁護士時代、テレビなどで一線を越える発言などをくりかえしてきたのではないですか? 今もなお、府知事として、かなり言ってはならない発言をしているのではないですか?」とも言いたいです。

そもそもタレント弁護士時代の橋下氏が、家族や事務員がいるにもかかわらず、何か「勝算あり」と考え、光市母子殺害事件での弁護団への懲戒請求を、マスメディアを通じてアピールしたわけでしょう。しかし、そのことで逆に弁護団側から訴えられ、橋下氏側が訴訟で敗れたわけですよね。それは弁護士としての橋下氏のその時点における法解釈とか、情勢判断が何らかの形で問題があったことを示すものではないのでしょうか。そうしたら当然、この敗訴という事実をうけて、こういう法解釈や情勢判断で動いた弁護士としての橋下氏に、「この人で本当に大丈夫か?」と、「逆風」が向かってくることだってありうるわけです。それがたまたま、朝日新聞の社説という形で表面化しただけではないでしょうか。

それに、そもそも橋下氏には失敗したら自らに「逆風」が来るという、その覚悟があってあのときに懲戒請求のアピールをしたのでしょうか? 私などは朝日新聞の記事がどうこうというより、そもそも、そこが橋下氏に問われると思うのですが。

本当に「大人げない」のはどっちなのか? 弁護士であれば、法廷での争いで当然、自らが敗れることも覚悟して事案に取り組むのがスジで、「負けたときの対応」すらアタマに入れて動くのではないのでしょうか? 仲間の弁護士さんたちから、今回のこういった発言や対応がどう見られているのか、というところまで考えているのかな・・・・? 率直に、そう思ってしまいました。

それから、下記の記事ですが。

http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200810170026.html (橋下知事「園児の涙を利用、卑劣な行為」 第2京阪=2008年10月17日付け朝日新聞ネット配信記事)

この記事で展開されている知事側の理屈は、昨日、このブログで書いたテレビ番組「サンデージャポン」でのコメンテーターたちの発言内容とほとんど同じ。ここでも、「自分のしていることが相手側から見てどうなのか?」という目線は弱いですし、「自分は常に正しく、まちがっていたり、悪いのは向こうである」という理屈の立て方ですよね。

「僕は権力者だから批判してもらってもかまわない」とのことですから、今後は「お友だち」感覚で橋下府知事へのコメントをするのではなく、マスメディアはどんどん、彼の施策などにたいして批判すべきだと思いますね。そして、「批判してもらってかまわない」といった以上は、それがいくら厳しくても、「あんな○○新聞や○○テレビのような人にはなるな」と、二度と言ってほしくはないですね。それこそ、「大人げない」ですから。

ちなみに、こういうことを橋下知事が言い始めたところを見ると、そろそろ、マスメディアで彼のパフォーマンスを駆使して、「改革をすすめる橋下知事VS抵抗勢力」という図式が通用しなくなってきたのかな、とも思います。橋下知事が導入しようとするその改革の内実が、実は府民にとって生活向上につながるものどころか、かえって「子どもを泣かす」ものだということが見えてきたり、あるいは、過激な発言、強気の言動の裏が実に危ないものであったり、そういうこともだんだん、表面化してきたのだろうと思います。だからこそ、彼のなかで「あせり」がではじめて、自らに対する批判的意見をマスメディアに書かれ始めると、いらだちが隠せなくなってきたのではないかな、と思いますね。

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誰に向けて、何を語るのか?

2008-10-19 21:28:55 | ニュース

今日は朝からテレビを見ていて、ほんと、不愉快な気分になった。例の門真市の民間保育園がつくっていたイモ畑に関する橋下大阪府知事の代執行の話で、TBS系(大阪近辺だと毎日放送系)の「サンデージャポン」を見ていてのことである。

もともと橋下知事が出ていた番組だから、橋下シンパのタレントがコメンテーターとしてでているであろうことは、容易に察しがつく。しかし、大物俳優だとか、最近売れっ子になってきた女性タレントなどが、ことごとく「保育園が子どもをつかって反対をしてる」とか、「動員された子どもがかわいそう」とか、「もっと前にイモほりさせたらいいだろう」とか、「これで橋下知事の評判がさがる」とか。なにしろ、「法的には問題がない以上、お上である橋下知事が決めたことには従え。それに逆らうからこうなるんだ」「民間保育園は、何か橋下知事のイメージを悪くしたいからそうしてるんでしょ」というようなレベルの話で終わって、次の話題に移ったような印象だった。

要するに、冷静に法的にはどうかを説明したタレント弁護士を除き、そのときのコメンテーターの発言の要点を私なりにまとめると、「法的手続きには一応、問題がない以上、代執行をした橋下知事を責めるな」「民間保育園の対応が悪いのだ」という論調なのである。

そこには、たとえ代執行を今の時期に行うことが法的に問題がなくても、道義的にはどうなのかという疑いを出す余地もなければ、「2週間、執行を待つこと」の是非や「裁判所に係争中の案件の決着を待つことの妥当性を検討する」という、マスメディアとして別の視点を出すという、そんな目線は、このときのこの番組の内容から感じられなかったのである。

そんな番組づくりで、本当にいいのか? いくらかつての番組出演の仲間であっても、時と場合によっては、テレビ番組のなかでは、厳しいことをコメンテーターとして言わなければならないのではないだろうか。それは、その番組出演の仲間が国会議員や大臣になっても、都道府県知事や市町村長、各地方議会の議員になった場合、余計にその姿勢が求められるのではないか。こういった人びとは、たとえ過去にタレント業をやっていても、今は自治体の首長や国会議員など政治家である以上、他の政治家たちと同じように、問題点があれば追及すべきところは追及し、批判すべきところは批判しなければ、「公平性を欠く」といってもおかしくないだろう。

また、「この番組づくりでいけば、視聴者が批判的に見るまなざしをもたなければ、コメンテーターの言葉をてがかりに、自分の目線を橋下知事と同じところに置くのではないか?」という危険性を感じる。要するに、「橋下知事の施策で困る側、不利益をうける側から見て、橋下知事の施策はどうなのか?」ということを検証しようという姿勢が弱く、逆に「橋下知事がんばれ」もしくは「そんなに悪く言っては、橋下知事かわいそう」という、そんな方向性でタレントたちが次々にコメントをするわけだから。

それこそ、この番組に出ていたコメンテーターたちよ、「子どもたちがかわいそう」と本気で思うのであれば、「一度、この代執行でイモ畑をあらされてしまった民間保育園へ行ってみろ!」といいたい。そもそも、今、急いで道路建設を強行しなければいけない理由が、本当にあったのかどうか。今回の事態が、その民間保育園の側から見てどうなのか。コメンテーター自身が、あるいは、この番組を作っているスタッフ自身が、一度、民間保育園のところへ行って、話を聴いてきてほしい。

「あなたたちが、誰に向けて、何を語るのか?」ということが、今、すごく重要なのだ、とてもその発言の意味が重いのだということを、実際に現場に出てみて、肌で感じてほしい。私は今日の不愉快な番組内容を見て、そう思ってしまった。

ちなみに、これと同じようなマスメディア側のあり方の問題については、2006年夏以来の一連の大阪市の青少年会館条例廃止等をめぐる諸問題にもいえることなのだが。

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こういう記事と写真は二度と見たくない。

2008-10-16 14:41:06 | ニュース

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081016-00000542-san-soci 

(野菜刈り取られ・・・涙ぐむ園児 保育園の畑を大阪府が行政代執行。=10月16日付けYAHOO!ニュース配信記事

http://www.sankei-kansai.com/2008/10/16/20081016-003060.html (イモ掘り無残 道路予定地の野菜畑 大阪府が行政代執行。=10月16日付け産経新聞ネット配信記事)

これぞまさしく、今、実施されようとしている橋下知事の施策の本質を突くような事例ではないかと思います。

「子どもが笑う大阪」をつくることや、「子育て支援の充実」が、彼の知事選での公約ではなかったのでしょうか。その公約を、見事にこのような対応は裏切っているとしか、私には思えないのですが。

高速道路建設と、着工の遅れによる数億円の損失を前に、保育園の野菜畑撤去の行政代執行に踏み切ったそうですが、なぜ子どもたちの楽しみにしていたイモ掘りを待てなかったのでしょうか? 橋下知事のコメントとして、さっさとイモ掘りをしなかった保育園側の責任だ、というようなことを産経新聞の記事では書いていますが、「それは順序が逆だろう」と思います。というか、「責任は向こうにあって、私にはない」という「逆ギレ」の理屈のようにしか思えません。

なぜ急いで今、代執行を行わなければならないのか。逆に代執行の時期を1ヶ月程度遅らせても、ほかの後の工事のスピードアップをすることだって可能だったかもしれないし、他にも代執行すべき用地があったとするならば、ここを後回しにすることだってできたかもしれない。もっと他に、府庁側の動き方はあったはずではないでしょうか。そういうことについて、彼はどう考えるのでしょうか? 府庁の関係者は、どう答えるのでしょうか?

この産経新聞のネット配信記事に添付されている写真を見ればわかるように、子どもや関係するおとなたちがおびえたり、泣いたりする、そういう施策を実施するために、彼は府知事になったのでしょうか。また、府民は彼にそういうことをしてほしくて、府知事に選んだのでしょうか?

もう一度、今年はじめに彼を選んだことの意味を、彼自身も、府民も、問い直さなければならない時期が来たように思います。そして、この記事に添付された写真のような場面を、少なくとも今後、私は見たくありません。

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きちんとチェックをかけていくこと。

2008-10-15 09:46:37 | ニュース

今日もまた、気になる新聞記事からです。

http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200810140126.html (『大阪市は裕福』は、橋下知事の誤解、議論にならない=朝日新聞10月14日付けネット配信記事)

http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200810140125.html?ref=recc (「地方自治の蹂躙だ」非公表の吹田市長、橋下知事を批判=朝日新聞10月14日付けネット配信記事)

http://www.sankei-kansai.com/2008/10/15/20081015-003014.html (吹田市長「学力テスト公開なら抗議」=産経関西10月15日付けネット配信記事)

http://osaka.yomiuri.co.jp/tokusyu/h_osaka/ho81001a.htm (私立101幼稚園値上げ「橋下改革」が直撃=読売新聞(関西発)10月1日付けネット配信記事)

http://sankei.jp.msn.com/politics/local/081015/lcl0810150016001-n1.htm (府庁舎問題3案で橋下知事“迷走”=MSN産経ニュース10月15日付けネット配信記事)

http://mytown.asahi.com/osaka/news.php?k_id=28000000810030002 (「児童文学館、当面存続」請願 府議会=朝日新聞10月3日付けネット配信記事)

とにかく、ここ最近の新聞各紙のネット配信記事を見ていて、目に付くものを拾い出してみたのですが、だんだん橋下知事の打ち出した施策の「アラ」が見えてきたような印象ですね。あるいは、橋下知事の打ち出した施策に対して、例えば府下自治体からの反論・批判や、府議会での「迷走」状況を前にして、ようやく、マスメディアが冷静に検証しはじめたという印象でしょうか。

例えば、「子どもが笑う大阪」とか「子育て支援の充実」をかかげて当選したわりには、私学助成を削る方向での「財政再建」を橋下知事が打ち出したことで、私立幼稚園が保育料を値上げせざるをえない状況に追い込まれていく。

また、学力テストの結果公開問題に見るとおり、文部科学省などの国の行政に対しては「地方分権」を強調するわりには、吹田市長の抗議にあるように、まるで府下の各自治体には分権を認めないかのように、「しめつけ」を強化する。

おまけに、府庁のWTCへの移転案については、産経新聞がいうように方針が「迷走」しているようですし、府と市の関係については、平松大阪市長からも批判が出る。

そして、「隠し撮り」問題まで引き起こした国際児童文学館の「廃止」方針に対して、府議会からも「当面存続」という声があがる。しかも、「当面存続」を求める請願に対して、府議会は与野党あわせて採択の方針だとか。

こんな風に、橋下知事の打ち出す施策について、府議会や府下自治体からもさまざまな批判や反論、問題点の指摘が出てきています。また、マスメディアからも、まだまだ扱いは小さいものの、こうした府議会や府下自治体の動きを受けて、橋下知事の打ち出す施策に対して、さまざまな形で批判や問題点の指摘が出てきました。

このような状況下では、橋下知事が一時期のような、マスメディアを通じての「強気」発言をくりかえすことは、そう簡単にはできない雰囲気ができつつあります。また、これはとてもいいことだと思います。

というよりも、そもそもタレント弁護士としてマスメディアで発言することと、府知事として発言することは、同じような意味を持つわけではありません。少なくとも府知事としての発言には、マスメディアを通じての市民のチェックや、府議会での追及・批判等が伴います。タレント弁護士時代のような威勢のいい、強気発言を、府知事として繰り返していると、あとあと、府知事としての自分の立場を危うくするかもしれないのです。

と同時に、橋下府知事の政治的「武器」が、このタレント弁護士時代につちかった「パフォーマンス力」だとすると、マスメディアが一時期のブームから冷めて、おちついて府知事としての彼の発言を検証し始めたり、批判的な府下自治体や府議会からのコメントも報道し始めたりすれば、その「武器」もだんだん、使いづらくなるはずです。まさに、その高い「パフォーマンス力」が、府知事としての命取りになるかもしれないからです。

そして、橋下府知事のブレーンとして、この間、大阪市政改革などを推進してきた人々がバックに控えているようですが、彼の高い「パフォーマンス力」を使いながら、「抵抗勢力を言葉で攻撃して封じ込める」という手法で府政改革を推進しようという思惑は、こうして彼の「パフォーマンス」の内実が明らかになればなるほど、使えなくなるはずです。

大阪市政改革に際しても、職員の不祥事など数々の問題点をマスメディアで取り上げ、そこで盛り上げた改革への世論や行政へのバッシングを追い風にして、ブレーン層と市政トップ層が練り上げた改革案を、行政末端に「無理強いする」という形で進んできました。ある意味、マスメディアがうまく、市政トップ層やブレーン層に「乗せられた」あるいは「使われた」という面があるのではないでしょうか。

そこから考えると、逆になぜ、大阪市政改革のときには、関西のマスメディアはあんなに簡単に市政トップ層やブレーン層の思惑に「乗せられた」のか? そこが疑問に思えてきますね。関・前市長期のマスメディア報道の検証というのを、一度、研究者とメディア側の両方が協力して、きちんとやったほうがいいですね。

ただ、いずれにせよ、これから先、大阪府議会や大阪市議会、府下各自治体議会で、きちんとした橋下知事の打ち出した方針に対して、事実の検証、批判的意見の提示を行っていくこと。それを大阪府政にも大阪市政にも、そして、府下各自治体の行政施策にも反映させていくこと。市民レベルも、府知事だけでなく、各自治体首長の「パフォーマンス」にまどわされるのではなく、きちんとした事実の検証と批判的な議論の積み上げの上で、自らの判断を行うこと。そのために、マスメディアが引き続き、冷静に状況を伝えることが今、もとめられていると思います。

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「府知事集権」体制づくり

2008-10-13 13:52:29 | ニュース

今日もまた、気になる新聞各紙のネット配信記事から。

http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200810100133.html (橋下知事、学力向上の市町村支援に30億円基金創設へ=朝日新聞10月11日づけネット配信記事)

http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200810110066.html (全国学力調査の結果、大阪府内市町村の8割が公表へ=朝日新聞10月11日づけネット配信記事)

この2つの記事を見ればわかるように、大阪府下では「地方分権」とは逆に、「府知事集権」の体制づくりが、主に学校教育の分野から進んでいます。

すなわち、府知事に「クソ教育委員会」とマスコミで呼ばれたくない、また、補助金の削減等によってで兵糧攻めにあいたくない自治体は、学力テストの市町村別結果公開に何らかの形で応じる。一方、府知事の意向に対して、吹田市のように真正面から反論した自治体に対しては、橋下知事は次のようなことを言うわけですね。

http://www.asahi.com/politics/update/0924/OSK200809240117.html?ref=reca  (橋下知事「吹田の子どもかわいそう」学力調査非公表で=朝日新聞2008年9月24日付けネット配信記事)

まぁ、こうやって、マスコミも上手につかいながら、まるで「アメとムチ」をちらつかせて、府知事が学校教育に対して発言力を握っていく。いわば、「府知事集権」の体制づくりが進んでしまったわけです。

しかし、この間、橋下知事サイドからの話を聴く限り、「そもそも、学力テストの市町村別公開の結果が、どのように子どもの学校教育のありようを変えるのか?」ということについて、何か具体的な説明があったような記憶がありません。むしろ、議論は常に「公開するのか、しないのか?」を府知事から各市町村に迫るような、そういう話ばかりに推移しているように思います。

しかも、すでに結果公開をしている自治体も、大阪府のお隣・兵庫県ではいくつかありますが、その自治体教委のホームページを見ている限り、そこで何か、結果をオープンにしたからといって、具体的に目新しい学校改革の動きがおきているかといえば、そんな印象をあまり受けません。

むしろ、私が見たところ、「結果を公開しようが、しないでいようが、そんなことは、子どもの学力向上に向けての地道な学校・地方教育行政レベルでの取り組みとは、あまりたいして関係ない」という印象のほうが強いのです。(だったら、「結果公開など、全くやる必要なし」というのが私の結論なのですが。)

そういうことから考えると、今回の橋下知事の学力テストの結果公開をめぐる一連の動きのなかで本当に実現したかったことは、市町村への予算配分を「アメとムチ」につかって、府知事サイドの意向で市町村を動かせるかどうか、しかも、「一般行政からの独立」というタテマエをとる府教委と各自治体教委を動かせるかどうか、というテストをした、ということではないでしょうか。

要するに、「中央集権」ならぬ「府知事集権」の体制を作り上げるために、今回、学力テストの結果公開を口実にした、というのが実情ではないのか、という気がするのです。そして、見事に一部自治体を除いて、自ら積極的に「府知事集権」の体制づくりに、各自治体の首長が協力し、各自治体の教委が引っ込まざるをえなかった、ということではないでしょうか。

ちなみに、橋下知事は何かと「地方分権」を持ち出すわけですが、市町村への補助金配分をてこにして知事の意向に市町村を向かせるという手法は、かつて中央集権的な国の行政施策で地方を従わせてきた手法と、どこがちがうんでしょうか? 本当に市町村の自治や地方分権を尊重するのであれば、こういった手法を使うというのは道義的にいかがなものかと思われるのですが。

と同時に、こうやって「府知事集権」の体制ができあがった以上、ここから先、校教育に関して府の行政施策上、何か問題がおきたとしたら、それは府知事の指示との関係を追及することが可能になります。結局「集権」というのはそういうことで、今後は何か自分の思うように教育施策が動かなくても、「くそ教育委員会」とか、教職員組合が悪いとか、そういう説明で逃げることはできない、ということになりますけど、それでいいんでしょうかね?

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少し違う視点で新聞記事を読む

2008-10-11 10:48:45 | ニュース

今日はまず、以前、このブログにも掲載したこの記事から。

http://www.asahi.com/politics/update/0927/TKY200809260383.html (「日教組強いと学力低い」中山説、調べてみれば相関なし=朝日新聞2008年9月27日ネット配信記事)

この記事が出たあと、先日、こんな記事が別の新聞から出ました。

http://sankei.jp.msn.com/life/education/081008/edc0810080731000-n1.htm (組合と学力に関連性はあるか? 低学力地域は日教組票多く=MSN産経ニュース2008年10月8日配信記事)

この2つの記事を比べてみると、なんとなく、「ああ、こういうことで今、学力テストの問題が報道されてるんだ」と察しがつく方もいらっしゃるのではないでしょうか?

要するに、一連の報道を見ていると、表向きは何か子どもの教育問題を論じているようで、実は「次の総選挙を前に、日教組票及び日教組批判票の行方を、マスメディアを使って操作しよう」という意図があるのではないか、と私などは推測してしまうのです。もちろん、これが「推測のしすぎ」という可能性(危険性)も否定はしきれません。ただ、そのことは、新聞記事には書いていない別のデータなどを用いて、この新聞記事が書いていることを検討してみると、「やっぱりそうなのかな?」と思えてしまうのです。

例えば、産経新聞のこの記事で「日教組票が多い」のと「学力テストの結果が低い」と名指しされている北海道と大阪について、別のデータを出して見ます。それこそ、ある本によると、生活困難家庭への就学援助の率でいえば、北海道が19.27%、大阪が27.87%(全国トップ)と、他府県に比べると高い傾向にあります。逆に、「学力テストの結果が高い」とされる秋田県は7.47%、福井県は5.37%です。他の「学力テストの結果が高い」ベスト10圏内の都道府県を見ても、東京都がかなり高い(24.79%)ですが、他は富山県(5.61%)、石川県(9.07%)などのように、どちらかというと就学援助の率が低めの傾向にある自治体です。(以上の数字については、岩川直樹・伊田広行『貧困と学力』(明石書店、2007年)を参照)

ちなみに、就学援助の制度について保護者にどの程度の周知徹底を行うかは、かなり各自治体の意向が働いているとか(前出の『貧困と学力』を参照)。そう考えると、積極的に自治体が生活困難な家庭への教育面への支援に動いている結果、ともこの数字は見ることができます。しかし、「それだけ自らの地域内に生活困難な家庭がいることを、学校や教育行政当局が把握している」ということでもあるわけです。このような次第で、いずれにせよ、日教組のことがどうこうという前に、貧困世帯を含む「生活困難家庭の教育課題」をどう見るか、という観点から学力テストの結果を検討する観点もあるわけです。そして、学力と社会階層、社会的不平等と教育の機会均等、教育の条件整備と教育を受ける権利の保障との関係というのは、教育学の領域では、主に教育社会学や教育行政学(教育制度論、教育政策論)などの研究者たちが、これまで積極的に研究、発言をしてきたテーマのひとつです。

でも、こうしたことを、朝日新聞も産経新聞も触れませんよね。それって、なぜですかね? 単にこの記事を書いた新聞記者の方が、こうしたことをご存知なかっただけなのでしょうか…?

また、子どもの家庭学習などにどれだけエネルギーを注げるかは、その家庭の生活状態に左右される側面が大きいでしょう。そして、家庭学習の習慣などが学校で獲得される学力水準と何らかの関係を持つと考えるならば、こうした生活困難家庭の子どもの教育課題の問題に各自治体や文部科学省が対応しなければ、全体的な学力の水準はあがってこない、ということになりかねません。だからこそ、教育の機会均等の実現等に関して、これまで教育社会学や教育行政学の領域で、いろんな人たちが研究を積み重ね、発言を繰り返してきたわけですね。

もちろん、一部に生活困難な家庭があっても、全体的に生活が安定し、子どもの教育に積極的にエネルギーを注げる家庭があれば、平均点の水準はあがります。だから、今、結果がよかったと言われる自治体も、そういう構図であがっているケースがあるとは思います。しかし、生活の安定している層が平均的な学力水準の高さをひっぱっている地域では、逆に生活困難層との学力の「二極化」傾向を心配する必要があるわけですが。いずれにせよ、こうした問題を、朝日新聞も産経新聞も触れませんよね。それって、なぜですかね?

このように別のデータと照合してみると、「日教組票が多い・少ない」を論じる以前に、「生活困難な家庭の教育課題」に目を向けたほうが、学力テストの結果の問題を考えるときには必要なのではないか、と私などは思うわけです。そして、こういう視点から考えると、朝日新聞・産経新聞のどちらの記事に対しても、「これって総選挙前だから出しているわけ?」と思ってしまうわけですね。

そうそう、これももうひとつ、両者の記事への根本的な疑問ですが。なぜ教職員組合というと「日教組」なんでしょうか? ローカルレベルで活動中の組合は少し脇におくとしても、全国的に組織をもっている教職員組合には、共産党系の組合もあるはずです。こちらの組織率や選挙時の行動と学力テストの結果との関係はなぜ調べないのでしょうか? そんなことから考えても、「これって総選挙前だから?」と思ってしまうんですよね。

と同時に、日教組への風当たりがこうやって強くなっているときに、「あれは日教組の問題で、自分は関係ない」と共産党系の教職員組合が傍観しているようなら、ダメです。日教組への風当たりが強くなって、その結果、行政側からの教職員組合運動への対応として作られるであろう数々のシステムは、あとあと、共産党系の教職員組合をもしばることになります。「そのことがわかっているのか?」ということですね。

例えば、大阪市のこの間の市政改革でも、自治労系の市の職員組合がいろいろマスメディアなどでバッシングを受けてました。また、その後できあがった新しい大阪市と自治労系の職員組合の交渉等のルールによって、共産党系の市の職員組合も、いろんな制約を受けるようになっているはずです。

そう考えると、たとえ日ごろは何かと意見がちがうことがあったとしても、子どもや保護者のために、自分の働く学校のある地域社会のために、あるいは、自らの諸権利のために、「同じ公務員として」とか、「同じ公立学校教員として」という次元で、さまざまな形で複数の教職員組合、公務員組合などが協力して対応しなければならない課題が多々あるはずです。

だから、今のこの情勢下では、「自分らの組合関係のことだけ安泰であれば、他の組合はどうでも」みたいなことを考えてばかりいると、それは後々、自らの首をしめることにもなりかねないでしょう。もうそろそろ、そのことに気づくべき時期なのではないでしょうか?

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こういう教育をしてほしいのですが

2008-10-05 20:29:32 | 受験・学校

前にも書いたとおり、自宅のパソコンが現在修理中で、古いノートパソコンを持ち出して今は仕事をしています。今回はその古いノートパソコンから、このブログが更新可能かどうかのテストのような意味で、最近、大阪市や大阪府の教育改革について私が感じていることを書きます。

さて、大阪府の教育改革のプランがどのようなものか、まだ府教委のホームページから確認していないのでなんともいえないのですが、少なくとも新しい教育委員が任命されても、府の特別顧問に名物民間人校長経験者を任命しても、私は「いままでやってきたことの大枠をあまり越えられないのでは?」と思っています。

橋下知事や新しい教育委員、教育面での府の特別顧問の方がご存知かどうかはわかりませんが、もともと大阪府教委は私の見たところ、かなり学校現場での諸課題について、他の都道府県ではやってこなかったような取り組みを意欲的にやってきた教育委員会のように思います。また、その点でいえば、大阪市教委もそうですし、その他、府下の自治体教委レベルでみても、意欲的な取り組みを実施してきたところが多々あります。

例えば、今年から文部科学省が実験的な試みとしてスクールソーシャルワーカーの派遣事業をはじめましたが、その試みはもう3年くらい前から、大阪府教委と府下のいくつかの自治体教委で、研究者などの応援を得ながら行ってきたことです。あるいは、障害のある子どもの地元学校への就学についても、大阪府下の一部の自治体レベルでは、たぶん全国に先駆けて行っていることが多々あるはずです。これなども、インクルーシブ教育などの世界的潮流にかなり近いことをやってきているように思います。そして、「学力向上」の取り組みについても、府下のいくつかの学校で研究者が調査に入り、その結果をもとに学校・家庭・地域社会の連携によってプランをつくり、なんとかして「底上げ」を図る方向で努力してきた経過があります。また、小学校区あるいは中学校区レベルで、学校と地域社会の人々の連携をはかるような「教育協議会」的な組織をつくってみようと、いろんな地域で努力してきた経過があります。「よのなか科」的な取り組みにしたって、例えばホームレス問題を含む人権やマイノリティの諸課題についてであれば、府下の各学校で「総合的学習の時間」などを使いながら、人権学習の枠内でいろいろやっているんじゃないでしょうか。

こういったことを見ていると、もちろん、何もかもすべてがうまくいっているわけではないということはあるにせよ、私はこれまでの大阪府教委や大阪市教委、府下各自治体教委の取り組みが、必ずしもすべてダメだとは思わないのです。

むしろ、これまで大阪府教委・大阪市教委、府下各自治体教委レベルで取り組んできたことの成果と課題をきちんと整理して、その問題点を打開するような地道な取り組みをしたり、今まで成果をあげていることをきちんと継続できるような教育財政面でのサポートをしたり、というような取り組みこそ、これからの教育改革に求められていることのように思うわけです。

うがった見方をすれば、今、橋下知事がマスメディアレベルで伝えていることを見る限りでいえば、例えば「教育財政面での府から各自治体教委へのサポートをはずすために、全国学力テストの結果公開を迫っているのか?」とか、「各学校や自治体教委レベルでの地道な授業改革やカリキュラム点検の試みを阻害することが狙いなの?」とすら、私などは思ってしまうのです。

さらに、今、私などが大阪市や大阪府、さらに府下各自治体の教育改革の動きを見ていて、「もっと、こういうことをやってほしい」と思うのは、ある種の市民性育成の教育とメディア・リテラシー教育の充実のように思います。

それこそ、例えば、テレビや新聞などのマスメディアが繰り返し流す大阪府の行財政改革の動向に対して、子どもや若者の立場からどうそれを批判的にとらえ、府や自らの暮らす自治体の調査などを通じて事実を検証し、なかまや教師との議論をふまえて、行政当局側が出すのとは異なる案をつくることができるかどうか。こうしたことは、ある種のメディア・リテラシー教育でもあるし、「平和的な国家・社会の形成者」として必要な「公民的資質」を養うという、現行学習指導要領でいうと社会科や公民科の目標にも沿った教育のようにも思うわけです。

こういったことをまとめて、良識ある「市民性」の形成といえばいいのでしょうか。また、日本国憲法や国際人権条約類を含め、法や権利(義務)について学ぶ教育や「参加型」の学習方法も、こうした「市民性」の形成とつなげて、自らの暮らす地域社会をよりよくするための教育として行う必要があると思います。

あるいは、異文化理解や多文化共生の試みなど、日本社会に暮らす多様な人々のことへの想像力を高める教育とか。たとえテストで評価できる学力が高くて、有名大学に進学したり、あるいは高級官僚や大臣クラスの政治家になるような力があっても、例えば日本に暮らす外国籍の人々や、アイヌの人たちなどへの配慮に欠くような発言をするような、そんなことでは、やはりその人の知性や教養を疑ってしまいます。

「ほんものの知性・教養」というのは、ただ単にテストで評価できる学力が高いか低いか、という話ではなく、「この社会で私たちはどういう人たちと共に暮らしていくのか?」ということについて深く考え、発言・行動する力と結びついていくものではないのでしょうか。

そして、こうした「市民性」の形成や「ほんものの知性・教養」を磨く試みというのは、義務教育段階や高校教育段階で終わるものではなく、大学や短大、専門学校といったいわゆる高等教育段階でも必要ですし、さらに「その後」、つまり社会教育・生涯学習における成人分野での取り組みにおいても必要なことのように思います。

この点でいえば、義務教育や高校教育の改革だけでなく、大阪府教委や大阪市教委、府下各自治体教委が、成人分野を含む社会教育・生涯学習の領域をどのように位置付け、活性化するのかということも、教育改革の重要な課題であるように思います。また、そこから考えれば、社会教育・生涯学習関連の施設や各種文化施設の整理(統廃合)をすすめる一方で、教育改革プラン=学校教育改革プランにしてしまうということが、いかに府民及び各自治体住民にとってマイナスかということもわかります。

情報化や国際化など、社会の変化のスピードがはげしい社会のなかで、人々がよりよく暮らしていくためには、義務教育段階や高校教育段階での学習だけで対応できないのではないか、という情勢認識(というか危機意識)は、少なくとも1980年代~90年代の日本政府レベルでの教育改革のなかで共有されていたことではないでしょうか。そのようなことに触れた文章は、繰り返し、臨時教育審議会(臨教審)や中央教育審議会の当時の答申を読めば出てくるはずです。そういうことから考えても、社会教育・生涯学習領域の取り組みの充実、活性化は、大阪府・大阪市や各自治体の教育改革で、無視することのできない領域のはずなのですが。

このような次第で、私は大阪府教委や大阪市教委、府下各自治体教委にはぜひ、今まで述べたような観点からの教育改革を、学力テストの結果公開や学力向上策の充実以上に行っていただきたい、と思っています。

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ひさびさの更新です。

2008-10-03 17:35:30 | ニュース

今日はひさびさの更新です。自宅のパソコンの修理の関係で、しばらく更新が途切れるかもしれません。それでもいくつか、最近のネット配信ニュースから気づいたことを書いておきます。

まずは、学校選択制導入をめぐるこの記事から。

http://www.asahi.com:80/national/update/0926/TKY200809260187.html?ref=goo(江東区が小学校「選択制」見直し 「地域の連帯薄れる」=2008年9月26日、朝日新聞ネット配信記事)

http://sankei.jp.msn.com:80/region/kanto/gunma/080928/gnm0809280207000-n1.htm学校選択制を小中とも廃止、生徒数極端な偏り 23年度から 前橋市=2008年9月28日、産経新聞ネット配信記事)

もしも今、大阪府下ですすめられようとしている各市町村単位での全国学力テストの結果公開の動きが、将来的に公立学校の選択制の導入への布石だというのであれば、上の新聞記事に見るとおり、学校選択制をやめようという地方自治体の動向にも注意を払う必要があります。すなわち、地域社会の連帯の薄れなど、学校選択制は学校の活性化よりもマイナス面が多いかもしれない。そのことをよく考えた上で議論しなければならない、ということです。

特に「家庭・地域社会との連携」を目指した教育改革を行おうと、大阪府教委が本気で考えるのであれば、「学校選択制」の導入につながるような取り組みは、その目指す方向性をかえってそこなうということに注意が必要です。そのことは、上で述べた江東区や前橋市の例でも明らかだからです。

次に、いよいよ大阪府教委の新しい教育委員が任命されたり、府知事特別顧問の方が府立高校でホームレス問題の授業をされたりしています。ですが、私としては、こうした動きのなかから何か、目新しい教育改革の動きが出てくるとか、学力向上策の具体案がでてくるとはあまり思えません。

それこそ「早寝早起き朝ごはん」の生活習慣の確立に、「百マス計算」に代表されるような反復練習を積極的に学習活動のなかに位置づけるような、そんな「学力向上」の具体策であれば、すでに大阪府下のいくつかの義務教育段階の学校で取り組まれてきたのではないか、と思われるのです。また、大阪府下のいくつかの義務教育段階の学校では、学力テストと子どもたちの生活実態調査とをかけあわせて、経済面などで生活の苦しい層の子どもほど学業面でも不利益が生じやすいことを、教育社会学系の研究者たちが明らかにしてきましたし、その成果を手がかりにして、すでに学力向上に向けて府教委や学校でいろんな取り組みをやってきたように思うのです。もしも何か新しい取り組みを出すのであれば、こうした既存の取り組みの何が問題かという次元から議論しなければいけないのではないでしょうか。

あるいは、府立高校でホームレス問題の授業を「よのなか科」と称して行うのも、これもすでに、どこかの高校で、熱心な教員の手によって、「総合的学習の時間」のひとつとしてやっていそうな気がしますし。また、「学校支援地域本部」の話にしても、大阪ではこの何年か「地域教育協議会」とか、小学校区の「はぐくみネット」のように、学校と地域社会の人々を「つなぐ」しかけをつくろうとしてきた経過があります。それと今からはじめようとする取り組みとが、どこでどうちがっているのか。そのあたりの検証をする冷静な議論も、マスメディアの伝えるところを見る限り、あまりないように思います。

やはり、目先にマスメディア向けの府知事のアピールなどに惑わされずに、大阪府下で今まで取り組まれてきた教育改革の取り組みと、今、府知事サイドからの働きかけで導入されようとしている教育改革のプランとを、具体的に比較・検証される必要が今、あるのではないでしょうか。その検証のなかで、両者にあまり大きな違いがないとするならば、「だったら、大阪府教委に任せてしまえばいいのではないか?」という声を大きく発することもできるのではないかと思います。そして、こういうところから、「なんのための大阪府の教育改革か?」と、その改革の趣旨の内実を捉え返すこともできるように思ったのでした。

なお、昨日のこの記事。この一件で、大阪府知事としてはさておき、弁護士としての彼の立場というのは、かなり傷ついたのではないでしょうか。また、タレント時代に、マスメディアに登場しての彼の発言のいくつかは、本業としての弁護士活動にも支障をきたすようなものがいくつか含まれていた、ということも、こうした記事からわかります。

http://www.asahi.com/national/update/1002/OSK200810020015.html(橋下知事に賠償命令 母子殺害事件巡る発言で 広島地裁=2008年10月2日、朝日新聞ネット配信記事)

http://www.asahi.com/special/08002/OSK200810020032.html(橋下知事「判決が不当とは思わないが…」控訴の意向=2008年10月2日、朝日新聞ネット配信記事)

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