できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

地方自治と子ども施策全国自治体シンポジウムin目黒

2012-09-30 22:59:04 | 受験・学校
久しぶりの更新になります。この間、腰の具合が悪かったことや、大学の後期の授業がはじまったことなどもあって、なかなかパソコンに向かってゆっくりと何か、ブログに書くことができませんでした。申し訳ないです。
さて、下記の内容は、フェイスブックに書いたことの転載です。昨日、今日と、東京都目黒区で開催された地方自治と子ども施策全国自治体シンポジウムに参加しています。そのことを書いたものです。

<以下、フェイスブックからの転載>
今日は朝から東京都目黒区の区民センターで、地方自治と子ども施策全国シンポジウム。2日目の今日は分科会の日で、私は前から書いていたとおり、第4分科会「子どもの参加」のコーディネーター。ただ、午後からは台風接近中ということで、本来の予定を早めに切り上げ、3時前には分科会を閉じることになりました。まあ、そのおかげで、大雨と暴風に見舞われることなく、東京・渋谷の宿に戻ってくることができたのですが。
それにしても、今日は自治体職員側から、川崎市・東京都世田谷区・神奈川県の3つの「子ども参加」の取り組みの報告がありました。また、川崎市の子ども会議や世田谷区のユースミーティング、神奈川県の特命子ども委員などの経験者の話も聞きました。要するに、小中学生や高校生で子ども会議のメンバーである、あるいは特命子ども委員という人や、大学生などでユースミーティングのサポーターやってる人の話を聞いたわけですね。
ちなみに特命子ども委員というのは、神奈川県の青少年問題審議会が「子どもの社会参加」をテーマに議論をするのにあたって、「テーマがテーマなのに、審議会に子どもの委員がいないのは変だ」という観点から、あらためて公募をして8人、中高生が入って議論に参加するというもの。今はもう終わっている取り組みのようですが、今度は「特命子ども地域アクター」という活動がはじまって、26人の子ども(おもに中高生)が、NPOや企業とともに、まちづくり活動のプランづくりなどに参加しているようです。
世田谷区のユースミーティングは、中高生の居場所づくりとか世田谷区のまちづくりなどについて、月2回くらい、21人の中高生が集まって議論を重ねているもの。こちらも区の青少年問題審議会の小委員会の位置づけで、審議会経由で子どもの意見が区長に届くというしくみ。ここに、大学生たちのサポーターがついています。
あと、川崎市の子ども会議は子どもの権利条例にもとづいて設置・運営されているもので、もう10年くらい活動を続けているもの。こっちも子どもたちが議論を積み重ねて、市長に対して市政のあり方に提案・要望を出す活動を続けています。こちらはもう10年ほど活動を続けているので、かつて子ども委員だった人が今、大学生などになって、サポーターをやっているようです。
もちろん、この3つの自治体の取り組みとも、たとえば、塾通いや部活で子どもたちがなかなか集まらないとか、行政への提案をまとめてもそれがどう子ども施策に反映するかがよく見えないとか、いろんな課題があります。
とはいうものの、自治体の職員が地元の子ども・若者や、子ども・若者のサポートをする住民・NPOなどとともに、いろんなまちづくりの課題に取り組んでいるというのは、なかなか「ええこっちゃな」と思います。「市民協働」って本来、こんな感じの取り組みですよね。で、きっと、大阪府や大阪市の職員、大阪府内の各自治体職員のなかに、子どもや若者とともに、こうした取り組みをやりたいと思う方は、それ相応にいるんじゃないかと思っています。
とりわけ、橋下市長当選以後の大阪市政を見ておりますと、神奈川県や川崎市、世田谷区のような取り組みが可能な方向に舵を切り替えるまで、これからどれだけの時間と手間が必要なのか・・・・とすら思えてしまいます。


亡くなった子どものご冥福をお祈りします。と同時に、まず今、できることをしてほしい。

2012-09-16 07:05:45 | ニュース

起きてほしくはないことだが、あとに紹介する記事のとおり、子どもの人権オンブズパーソン制度のある兵庫県川西市で、「いじめ」と「自殺」が関連すると疑われる高校生のケースが起きてしまった。
亡くなった子どものご冥福をお祈りします。その上で、以下のことを述べておきます。

まず、本当はこういうケースに対して「なにがあったのか?」を調査し、「今後どうしていくのか?」を検討していくために、子どもの人権オンブズパーソン制度があります。
だが、亡くなった子どもは川西市の子どもで、川西市の条例の対象者なのですが、亡くなった子どもの通っている学校は県立高校。市の条例が県の機関たる県立高校に適用できるのかどうか?? ここでひとつ、制度上の壁がでてきます。
ただそれでも、これは私の願いでしかないのだけど、制度上の壁をなかなか突破することはむずかしいかもしれないけど、川西市の子どもに起きた悲しい出来事ということをふまえて、とにかく、まずはオンブズパーソンとして動けることを見つけてほしい、と思っています。
少なくとも、亡くなった子どもの遺族からの相談に応じながら、遺族がこの県立高校とどうわたりあっていけばいいか。このあたりで、いろんな支援をすることは可能かと。遺族とうまくつながれるといいと思っています。
あとは、川西市の市立学校に対して、もう一度、オンブズパーソンとして、子どもたちへの対応を見直すように働きかけをすることがあるかと思います。「いじめ」防止及び「自殺」防止に対して、川西市教委と市立学校においていま、どんな取り組みをしているのか。何が足りないのか。条件整備はどうなのか、等々。条例の趣旨から見ても、オンブズパーソンとして具体的にチェックすることは可能ではないかと思います。
なにしろ、この亡くなった子も、いじめていた高校生も、もとをただせば市内の学校に通っていたはずだから(高校から市内に転入ってこともあるだろうけど)。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120915-00000555-yom-soci


大阪府の学校教育審議会はこの何年か開催されていない??

2012-09-12 22:06:07 | ニュース

以下の文章は、新居晴幸さん(大阪府教育文化総合研究所)が今日、フェイスブックに書いておられたものです。新居さんに直接お願いして、転載を認めていただきました。

<以下、新居さんの文章の転載>
橋下が条例に基づかない審議会を休止する。法違反であるとして。<wbr></wbr>しかし、条例に基づいて設置された審議会でも2008年以降、一<wbr></wbr>切開催されていない審議会がある。つまり、橋下が知事になった年<wbr></wbr>だ。それは何か?それは国で言えば「中央教育審議会」いわゆる「<wbr></wbr>中教審」にあたる「大阪府学校教育審議会(学教審)」だ。この学<wbr></wbr>校教育審議会は大阪府の中長期的な教育政策について教育委員会が<wbr></wbr>諮問し、経済界、労働、学識、マスコミ、保護者など各界が推薦し<wbr></wbr>た委員で構成する。私も過去3度ほど審議委員や専門委員となった<wbr></wbr>。しかし、2008年の開催以降、7月に新たに私も含めた審議委<wbr></wbr>員が委嘱されたが一切、審議会は開かれていない。教育は100年<wbr></wbr>の計と言われるようにその施策の変更は慎重に時間をかけなければ<wbr></wbr>ならない。そのために、学校教育審議会は、各界各層の意見を聞き<wbr></wbr>ながら論議し、答申する。それらの経過等を経て教育委員会事務局<wbr></wbr>が具体に政策案化し、知事が予算をつけ府議会で最終審議する。例えば、全国から高い評価を得ている「知的障がい生徒」の府立高校での受け入れ制度も、学校教育審議会で4年間の審議と研究校での先行実施研究を経て今日の制度化に至っている。過去、入試選抜制度にあっても、また、学校選択制についても慎重審議し、各答申を行ってきた。しかし、橋下が登場して以降は、「迅速性」や「効率化」の名の下に全てが短兵急に決められている。「学区制の撤廃」や「入試選抜制度の改変・絶対評価の導入」がそれだ。本来、学校教育審議会に諮問し、丁寧な調査、論議、時間をかけての課題である。橋下市長、松井知事は、条例中心主義を言うならば学校教育審議会を開催すべきなんだ。とにかく、その委員としての私の任期は切れているが、任期中、委嘱だけされて、一切審議会が開かれなかったなんて前代未聞だ。記者諸君、こういうことを突っ込むべし !
<転載は以上でおわり>

いかがですか??
この何年かの大阪府の教育改革、それは従来の審議会等での議論の手続きをすっ飛ばして行われてきたわけですね。ということは当然、審議会などで十分に議論・検討されることのないまま、この数年間、府知事や府教委の上層部の判断だけで重要な大阪府の教育施策が実施され、その失敗や矛盾のしわよせをすべて、現場教職員や子ども、保護者、住民がかぶっている、ということになります。
こういう教育施策の運営、確かに意思決定のスピードはあがるかもしれませんが、むちゃくちゃな改革もその分スピードを上げて実施されるわけです。
これでほんとうにいいんでしょうか??
大阪府の次は大阪市が、そして、大阪府・市の改革の手法が全国的に展開するということは、こういう教育施策の運営方法、意思決定のあり方が全国展開する、ということです。
これでも、「日本維新の会」なるものに期待を寄せますか??



学校協議会で本当に対応できるの?

2012-09-11 18:52:12 | ニュース

http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20120911-OYO1T00759.htm?from=main2(いじめ調査に弁護士費用計上、橋下市長が方針:読売新聞ネット配信記事2012年9月11日付け)

この記事を読んで率直に思ったことを、以下のとおり、このたび制定された大阪市立学校協議会運営規則(以下「運営規則」と略)に即して述べておきます。なお、運営規則については、次のページを参照してください。

http://osaka-shikyo.sub.jp/wordpress/wp-content/uploads/4ba67e99dbbd7d3a8cd63ced286a2f89.pdf

(1)まず、大阪市学校協議会運営規則によると、学校協議会の委員には、「当該校在籍の子どもの保護者」「当該校の所在地域の住民」「当該校の教育活動を支援する個人・団体の構成員」「当該校に関係する学校の教職員」「学識経験者」「その他教委が適当と認める者」が選ばれます。また、学校協議会の委員は、教委が当該校の校長とその学校のある区の区長の意見を聴いて任命します。この時点で、学校協議会そのものが、当該校及び教委にとって、その意向に沿いやすい人たちで構成される危険性が生じます。そして、この学校協議会のメンバーが、学校協議会の場で、その当該校の運営に関してさまざまな意見を述べたりするわけですし、その意見に沿って学校運営が行われるわけですよね。とすれば、そもそも学校協議会は、学校で子どもが亡くなる事案が生じたときには、校長以下の当該校の教職員と同じく、実は「今までの取り組みで本当によかったのか?」と、これまでの対応が問われる立場にもある。つまり、学校で子どもが亡くなる事案が生じたときに、学校協議会はそもそも亡くなった子どもの遺族から見て、「中立的」な「第三者」とはいえないわけです。とすれば、「ほんとうに学校協議会は、子どもが亡くなる事案が学校で生じたときに、遺族側の意向に配慮した動き方をするのだろうか?」「むしろ、自分たちの都合に沿った動き方をするのではないのか?」といった疑念が生じます。

(2)続いて、学校協議会はこの運営規則第9条によって、会長が「必要と認めるとき」に、「校長の同意を得て」当該校の子どもの意見を聴取することができる、と定められています。また、その当該校の子どもの意見聴取にあたって、保護者の同意を得るなどの配慮も求められています。ということは、
例えば学校で子どもが亡くなる事案が生じたときに、学校協議会の会長が「必要」と認めなければ、当該校の子どもの意見聴取は行われない。また、会長が必要と認めても、「校長の同意」が得られなければ、意見聴取はやはり行われない。そして、会長が必要と認め、校長が同意しても、当該の子どもの保護者が同意しなければ、やはり意見聴取は行われないということになるわけです。だから、遺族が徹底的に亡くなった子どもの背景に何があったのかを調べてほしいといっても、このシステムからすれば、当該校の学校協議会の会長、校長と、その亡くなった子どもに関わりのあった保護者が同意しなければ、何も調査がすすまないでしょうね。むしろ、亡くなった子どもの遺族側の事情に配慮するのではなくて、学校側の都合に沿って会長・校長らが動く危険性があります。

(3)ちなみに、運営規則の第9条には「会議の案件に係る専門的事項に関し学識経験を有する者その他関係者の意見を聴き、又は資料の提供を受けることができる」とあります。これによって、学校で子どもが亡くなる事案等が発生したときに弁護士を呼ぶなどの対応を可能にしようということなのでしょう。ですが、ここにも「会長は、必要と認めるときは」と書いています。つまり、学校で子どもが亡くなる事案が発生したときに、学校協議会が弁護士を呼んで対応を依頼するかどうかも、会長の判断次第ということになるわけです。ここでも、先ほど(2)で述べたのと同様、学校協議会の会長が亡くなった子どもの遺族の心情や立場に配慮せず、自分たちの都合で動く危険性があります。また、たとえ会長が弁護士を入れるとしても、その弁護士が学校側の事情を遺族側の意向よりも優先する危険性が残ります。

(4)そして、運営規則第12条には、教委が協議会の「適正な運営」のために、「その運営に関する状況について報告を求め、調査し、指導及び助言を行う」ということも書いてあります。とすれば、学校で子どもが亡くなる事案が発生したとき、学校協議会の対応について、教委がさまざまな形で裏から「指導・助言」するケースもある
ということですね。ここでも、教委がこれまで何か学校で子どもが亡くなる事案が生じたときに、学校現場に対してどのような「指導・助言」をしてきたのかを考えれば、はたして亡くなった子どもの遺族の意向に沿った動き方をするかどうかは怪しいところです。

以上のことから考えると、弁護士費用を予算としてつけようがどうしようが、「この学校協議会では、学校で亡くなるような深刻な事案が発生したときには、亡くなった子どもの遺族の側から見ると、おそらく、従来の学校・教育行政がとってきた対応以上のことは何もできないだろう」ということ。むしろ、「あれは学校協議会の対応すべき課題だから」ということで、学校協議会が首長や教委の巧妙な「責任逃れ」に使われる危険性のほうが高いのではないでしょうか??

今後、大阪市の学校協議会にかかわるみなさんは、こういう立場に置かれることを十分に理解された上で、協議会の活動に従事してくださいね。みなさんは、首長や教委の「弾除け」に使われるかもしれない、ということですから。







もう一度、原点に立ち返る必要性

2012-09-11 17:49:05 | いま・むかし

http://mainichi.jp/select/news/20120911k0000e040233000c.html (兵庫の中学:同級生から集団暴行受け中3肋骨骨折:毎日新聞2012年9月11日付けネット配信記事)
この記事ですが、よく読めばわかるように、兵庫県川西市の公立中学校で起きたケースです。
兵庫県川西市には、市の条例にもとづく子どもの人権オンブズパーソン制度があって、それが私の前の職場であることは、このブログでも何度も書いてきました。
川西市子どもの人権オンブズパーソン制度の出発点は、90年代半ばに相次いだ子どものいじめ自殺などの問題に対して、「他市で起こりうることは自分の街でも起こりうること」という前提に立って、子どもの人権を尊重する教育を学校・地域社会・家庭で実現していこうという意識を高め、その方向でさまざまな取り組みを実施していくということ。そのことを、まずは教育委員会関係者が持ったことにありました。
また、市を挙げての子どもの人権を尊重する取り組みのなかで、学校や行政の対応の不十分な点を是正したり、実際にいじめの被害などで悩んでいる子どもへの相談・救済活動を行うシステムとして、この川西市の子どもの人権オンブズパーソン制度ができたのでした。
一方、実際に市議会で条例が出来たのが98年12月、実際に制度の運営が始まったのが99年4月、相談の受付開始が99年6月。本格的にこの川西市の制度が動きはじめて、13年が経過しました。そして、川西市の子どもの人権オンブズパーソン自体は、この13年、まさにフル稼働といってもいいくらい、熱心に仕事をしてきたと私自身は理解しています。
ですが、その13年間、オンブズはフル稼働していたとしても、当初の「子どもの人権を尊重する教育を学校・地域社会・家庭で実現していこうという意識」を高める取り組みを、川西市及び川西市教委、その下にある市立学校園は、いったい、どのくらい取り組んできたのでしょうか?? 
どうもこの新聞記事での川西市教委のコメントを見る限り、当該校や市教委は、被害を受けた子どもが当初、「からかい」を受けいていたことへの認識が甘かったのではないか、と思われてなりません。その段階ですでに何か対応しておけば、この暴行にまで至らずに、もっとちがった子どもどうしの関係が作れていたのではないか、とも思われてなりません。
また、この暴行が起きた背景に部活のあり方があるのだとすれば、99年7月に起きた故・宮脇健斗くんの市立中学校ラグビー部での熱中症死亡事故以後、川西市教委及び市立中学校はどんな部活改革をしてきたのかということが問われます。その時、死亡事故をふまえて原因究明の調査などに携わった私としては、あらためて、2000年当時の勧告・意見表明の中身に立ち返って、部活のあり方を見直してほしいと言いたくなります。
いずれにせよ、あらためて川西市、川西市教委及び市立学校園として、この暴行事件に関する報道を重く受け止め、自分たちが90年代後半に議論してきたことに立ち返って、もう一度、子どもの人権を尊重する学校・地域社会・家庭のあり方をどのように実現するのか、徹底的に検証・議論を行っていただきたい。また、そのために、子どもの人権オンブズパーソンとして、積極的に意見表明等、できる限りの対応をしていただきたい。
「もう一度、原点に立ち返って、みんなきっちり、やるべきことをやろうじゃないか」
あらためて、川西市、川西市教委、市立学校園、そしてオンブズの関係者に、このことを伝えておきたいと思います。




意見広告への協力を呼び掛けておられる方がいます。

2012-09-10 05:49:32 | ニュース

http://homepage2.nifty.com/tamar/index.html
今日はごく簡単に、ホームページの紹介だけでおわります。
上記のホームページは、大阪国際児童文学館の廃止・移転問題について取り上げているページですが、ここに、「橋下行政に異議あり!」という意見広告を新聞に出そうという呼びかけがでています。こちら、協力者を募っておられますので、みなさんにホームページを紹介する形で、私も協力させていただきます。
昨日は大阪維新の会の国政進出を前に、国政選挙での立候補予定者や現職国会議員で維新の会に合流予定の人の討論会があったとか。大阪維新の会が「日本維新の会」を名乗り、国政進出を遂げていくということ、そして政権につながるということは、いま、大阪市内・大阪府内で起きている諸改革の矛盾を、全国にまきちらして、日本全体をさらなる混乱に陥れるだけです。これまでもこのブログでいろいろと、子ども施策や教育改革などに関する批判という形で、大阪市・大阪府の最近の改革動向を批判してきましたが、大阪維新の会が「日本維新の会」に発展して国政進出、さらに政権を取るということは、あのような問題点だらけの施策・改革が日本各地にまきちらされるということです。
「グレートリセット」とか「この国の形を変える」とか、威勢のいい言葉にまどわされずに、実際に彼らが大阪で展開した改革の現実を見ましょう。それが、彼らのやろうとしていることの本質を表していますから。ということで、この意見広告への協力者募集、私からもお知らせします。


申し訳ないです、しばらく更新が途切れがちになります。

2012-09-08 20:47:30 | 学問

大変申し訳ありません。ここ最近もそうですが、これからしばらくの間、本業の大学での仕事が落ち着くまでの間、更新が途切れがちになります。
ほんとうは大阪の子ども施策、教育や福祉、人権に関する施策の動向だとか、あるいは大津市の中学生自殺や文科省の子どもの自殺対策に関すること、その他、子どもの人権に関する動きについて、いろいろとここでコメントしたいことがあります。
ですが、本業のほうで早急に対処しなくちゃいけないことが多くて、なかなかブログの更新にまで手がまわらない状況です。
このような次第で、申し訳ありませんが、状況が落ち着くまで今しばらくお待ちください。


「やめろ」コールまで震災がれき説明会で出たそうです。

2012-09-01 10:38:30 | ニュース

しばらく更新が途切れましたが、今日はまず、おとといの大阪市での震災がれきの受け入れに関する説明会のことから。下記のブログで参加された方からていねいに状況が報告されています。3つのパートに分かれているので、1~3の順に読んでいただければ幸いです。
http://ameblo.jp/yakumo381/entry-11342615224.html
また、毎日放送の8月30日(木)深夜のニュースで、この説明会が紛糾したこと、橋下市長に対して「やめろ」コールが起きたことなども流れました。そのことは下記の動画配信記事でわかります。
http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE120830230500605353.shtml
こうしたニュースやブログ類を、今後も注意深く追いかけて、私のほうからも知らせていくことができれば、と思っています。「堺からのアピール」ブログのように、私も継続して情報発信できればいいかな・・・と思います。
ただ、大阪維新の会や橋下市長・松井知事らの動きは、ほんと連日何かがあるので、常に注意を払っておかないと、情報についていくだけでもなかなか大変です。
精神科医の斎藤環さんが書かれた『世界が土曜の夜の夢なら ヤンキーと精神分析』(角川書店、2012年)によりますと、橋下市長にはいわゆるヤンキー的な特徴がいくつか見られるとか。この本での橋下評を私なりにまとめますと、ほかの政治家よりも目立つことを優先する「キャラ立ち」と、反知性主義、実学志向が、斎藤さんの見た政治家・橋下氏の特徴だということですね。その見方がまちがっていないとするならば、斎藤さんは「橋下の限界は、彼独自の理念や理想を語り得ない」(p.244)といいます。
その傾向は、私にもなんとなく、わかります。橋下氏の政治家としての主張の多くは、すでにどこかで誰かが言ってきたことばかりかと。ただそれを、より強烈に、橋下氏自身の主張として印象付けようとしている点に特徴があるのではないかと。だから、マスメディアを引き付けようとしたり、ツイッターなどを駆使して自分に注目を集めようとしているのではないか。そのように、斎藤さんの本から感じました。
だとすれば、彼が次々に強烈なことを言い続けても、「しょせんは誰かの二番煎じで、目立ちたいだけでしょ、自分が」「要するに誰かの御先棒担ぎで、自分の考えなんてないんでしょ」と、冷静に対応をくりかえすこと。と同時に、「彼のパフォーマンスの言葉よりも、彼が参照・参考にしている誰かの意見、誰かの考えのほうを、きちんとたたいて、批判しておく」ということが大事なのではないか、と思いました。
ひとまず、今日のところは、このあたりで失礼します。