できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

最近読んだ本から(1)

2007-11-25 20:38:06 | 国際・政治

もうひとつのブログのほうにも書いたとおり、今、本業の大学での仕事(例えばゼミ学生の卒論指導や授業準備など)に追われていて、こちらのブログ更新のほうにまで手が回らない状態です。

ですから、市長選挙で新市長が誕生したあと、今後の大阪市の子ども施策・青少年施策などについてはいろいろ言いたいことがあるのですが、とりあえず、まとまったコメントは卒論提出期限が終わってから、ということにします。

しかし、授業準備などで参考にしているような文献を読んでいて気づくこともありますし、面白かった文章などを紹介したいな、と思うこともあります。しばらくの間は、読んでて面白かった文献からの引用・参照だけで更新を続けることにします。

その第一弾として、今日は湯浅誠『貧困襲来』(発行:山吹書店、発売:JRC、2007年)のなかから、まずはいくつか、引用をしておきます。カッコ内はこの本のページ数です。

 まずは一部をしめつける。次にそれを根拠に他の部分もしめつける。それを「不公平感の解消」「格差解消」と言ってみせる。低いほうに合わせる「低位平準」は、この間の政府の常套手段だ。(中略)底のほうでのわずかな違い(格差!)にだけ注目させて「あいつらはずるい」「もらいすぎ」と言わせ、上層との格差拡大から目を背けさせる。上層の話になると、とたんに「上がちゃんと成長しないと下も大変なんですよ」と脅しにかかる。ほとんどサギだ。(p.109)

 そもそも、財源論自体にアヤシイところがある。社会保障全体のパイ(予算)を決めるのは政治家と官僚たちだ。社会保障給付の費用はこうやって調達する、財源はここからは持ってこない、と自分たちで決めておいて、そして「足りない」という。おかしな話だ。(p.118)

 財源論は、強い者がお金を使うときには出てこない。弱い者が使うときだけ「そんなお金、どこにあるんだ」と出てくる。これは、身勝手な父親が子どものまっとうな要求を退けるときに使う手だ。子どもにガマンさせといて、父親は酒にパチンコに好き放題。二言目には「誰が稼いできてると思ってんだ」「おれがいっぱい稼げば、おまえの暮らしも楽になるんだぞ」と脅したりなだめたり。これをダメ父親的財源論と言う。(p.118~119)

 財源論は、お金の計算だから客観的に見える。どこかで出そうとすれば、その分どこからか持ってこないといけない。その理屈は出し渋りのためにはいつも格好の材料を提供する。(中略)/逆から言えば、財源論が出てくるときは、それ以外にまともな反対理由がない、ということである。まともに反対できないとき、何とかの一つ覚えのように財源論が持ち出される。だから、財源論が持ち出されたときは、私たちは「ああ、まともな反対理由がないんだな」と解釈すべきなのである。(p.122。原文は/のところで段落変更)

ひとまず、今日のところは、このへんで。

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誰が市長になるにせよ(2)

2007-11-18 23:40:33 | ニュース

今日(2007年11月18日)の大阪市長選挙は、自民党・公明党推薦の現職市長が落選、民主党・国民新党推薦で社民党支持の元民放アナウンサーが当選、という結果に終わりました。

しかしながら、私は前からこのブログで伝えているとおり、「市長選挙の結果がどうなるにせよ、やらねばならないことは変わりない」という理解に立っています。特に、大阪市の青少年施策・子ども施策、あるいは人権施策や、子どもの人権関連の運動、解放教育・人権教育関係の運動のあり方については、過去の歴史的な検証と今の冷静な情勢分析にもとづいて、きちんとした議論を積み重ねていく必要があると思っています。

なにしろ、たとえ市長が交代したとしても、大阪市が抱えている財政赤字が急になくなるわけではありません。新市長だって、どこから財政再建に取組むのかという方針・方法などが今までの市長と異なるだけで、何らかの手を打たなければいけないのはまちがいないわけです。

あるいは、新市長は「徹底した情報公開」ということを言う以上、子ども施策であっても、人権施策であっても、多くの人々が「これならば必要だ」と納得できるような理屈を立て、オープンな議論を積み重ね、実現に向けて歩んでいく必要があるわけです。この点については、この2~3年の市政改革の動向とそう大きく変わるとは思えません。そういった点では、たとえ市長が交代したとしても、今の大阪市の状況を考えた場合、解放運動を含む人権関係の運動体の側にも、今までとは異なる発想にもとづく取り組みが求められていると私は思っています。

そして何よりも、この間、大阪市内の旧青少年会館(以後「旧会館」)で活動中の人々などと接していて感じるのは、旧会館所在の各地区における地道な教育・子育て関連の運動のとりくみ、これをどう活性化させるかという課題の大きさです。

旧会館が自主サークル等の利用場所として使える現状で、はたしてどれだけ地区住民において有効活用できているのか。そのことを考えると、旧会館所在の各地区において、子どもだけでなく高齢者層まで視野に入れた地区住民の社会教育・生涯学習関連の取り組みや、青少年の学校外の活動などの活性化という、ほんとうに地道な課題に、こつこつ、実践を積み上げていく必要があることを痛感します。

また、うまく各地区住民が旧会館を利用できないとしたら、その背景にどんな生活環境・文化的な環境面での諸課題や、あるいは、当事者の側の意識面での諸課題があるのか。それをきちんと検証し、その諸課題を克服する方策について議論を積み重ねていく必要があるはずです。

そして、このような大阪市内の旧会館所在地区の状況をふまえた子ども施策・青少年施策・人権施策の提案や、あるいは、青少年会館条例廃止後の大阪市の社会教育・生涯学習施策のあり方をどうするかという課題は、市長が誰になるにせよ、ここらへんで腰をすえ、方向性が見えるまで数年間かけて議論をしていく必要があると思います。また、大阪市の次世代育成支援行動計画のなかに、旧青少年会館だけでなく、同じく条例廃止を迎えたトモノス(旧勤労青少年ホーム)や児童館があったのならば、こういう拠点施設を無くした後の次世代育成支援のあり方を考える必要もあるでしょう。

このように、もう何度もくり返し述べてきたことですが、市長が誰になるにせよ、数年間、じっくりと腰を落ち着けて検討しなければならない課題が、子ども施策や青少年施策、人権施策、社会教育・生涯学習施策の各領域において、大阪市では多々山積しているように思います。また、それは行政関係者の側だけが考えればいいものでもなく、市民ももちろん、いろいろ考えなければいけないでしょうし、教育や人権などに関する運動体関係者も考えるべきものが多々あると思います。

だからこそ、私は「選挙結果がどうなるにせよ」ということで、こういうことを考えるべきだと思っています。今後も私、大きな情勢の変化もしくは私自身の状況の変化がない限り、当分はこの姿勢、変わることはないように思います。

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もうすぐアクセス8000回

2007-11-15 23:14:40 | ニュース

いま、この記事を書き込む前に確かめたら、このブログ開設以来のアクセス数は7992回。あともう8回で、アクセス回数が8000回に達します。

この間、くり返し何度もこのブログにアクセスしていただいたみなさんに、感謝いたします。また、今回はじめてアクセスされた方、今後ともどうぞよろしくおつきあいください。

なお、前回11月3日に記事を書いたとおり、あと3日後にせまった大阪市長選挙に対して、何かこのブログ上でコメントをすることは、選挙終了まで差し控えたいと思います。

また、すでにご存知の方もいるかと思いますが、先週9日付けの毎日新聞夕刊に、大阪市内の青少年会館の現状に関する新聞記事が出ておりますし、その記事のなかにごく短いですが、この間の大阪市の青少年施策に関する私のコメントがでております。何かのご参考にしていただければと思います。

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誰が市長になるにせよ

2007-11-03 14:37:17 | ニュース

いよいよ明日から大阪市長選挙。4人の有力候補者が出揃って、各政党市議団の推薦・支持なども具体的になってきました。また、この選挙戦期間中に、もしかしたらどこかの新聞で、大阪市長選挙に関する私のコメントが出るかもしれません。

でも、私は今のところ、大阪市長選挙のことがどうとか、結果がどうなればいいとか、あんまり言いたくないです。それはそっちで議論したい人にお任せして、私は今はもっとじっくりと、時間をかけて取り組まなければいけない作業に専念したい、と考えています。

例えば、この間取り組んできたように、青少年会館条例廃止・事業「解体」後の大阪市内各地区の状況を把握し、きちっと現状に関する情報発信を続けていくこと。また、この事態を招くに至った解放教育や人権教育、子どもの人権などに関する理論・施策・実践の問題点を検討し、それを是正する方策を検討すること。さらには、過去の差別の問題その他の人権問題に関する理論・施策・実践のあり方について、その成果と問題点、課題、教訓などを引き出すために、地道な検証作業をすること。あるいは、大阪市の児童館やトモノス(旧・勤労青少年ホーム)、放課後いきいき事業など、その他の子ども施策・青少年施策に関する取り組みに関する地道な検証作業。こういうことにできる限り、エネルギーを注いでいきたい、と思っています。

大阪市長が誰になるにせよ、青少年会館条例廃止・事業「解体」、あるいは、児童館・トモノス廃止という現実は変わらない。また、その現実を引き受けて、過去を検証し、これからの大阪市の子ども施策・青少年施策や人権施策のあり方を考え、提案していくという作業は、誰が市長になったって、私やその仲間の手でやっていかなければいけない。そんな風に私は考えるわけです。

と同時に、中央政界の「政局」がらみで、今回の大阪市長選挙についても、いろいろ市議会各政党も動いているようですが、「中央政界の政局含みの動きが、大阪市の子ども施策や青少年施策、人権施策のあり方を考える上で、どんな関係があるのか?」という風にも思いますね。むしろ、今回の市長選挙で誰か候補者を推薦・支持している大阪市議会の「どの政党」に対しても、これまでの市議会運営のなかで、例えば子ども施策や青少年施策、人権施策などについて、どういう議論を行い、何を実現してきたのかを問いたい、という風に思いますが。また、政党の支持・推薦なしで立候補した市長候補についても、例えば子ども施策や青少年施策、人権施策について、今までの市議会での議論や過去の市長の市政運営のあり方のどこに課題があると思っているのか。それを打ち出してほしいと思いますね。

というような次第で、大阪市長選挙を前にして私が何かをいうのは、今回のブログの記事と、どこかの新聞記事で出そうな話、このくらいで一応「打ち止め」ということにします。選挙戦が終わったら、その結果について、また何か言うかもしれませんが。

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