前々からツイッターやフェイスブックなどで、簡単なお知らせだけはしておりましたが…。
第3回の「おとなのための社会科教室」の案内ができました。
7月27日(日)の朝10時~12時、西宮市立勤労会館の第3会議室にて行います。
今回は中学校社会科歴史的分野の教科書から、「第二次世界大戦と日本」の部分を読んでみます。
もうすぐ8月、80年目の「敗戦の日」が近いですからね。
ということで、みなさんのご参加、お待ちしております。
前々からツイッターやフェイスブックなどで、簡単なお知らせだけはしておりましたが…。
第3回の「おとなのための社会科教室」の案内ができました。
7月27日(日)の朝10時~12時、西宮市立勤労会館の第3会議室にて行います。
今回は中学校社会科歴史的分野の教科書から、「第二次世界大戦と日本」の部分を読んでみます。
もうすぐ8月、80年目の「敗戦の日」が近いですからね。
ということで、みなさんのご参加、お待ちしております。
気づけば今日は6月30日(月)。今年も半年おわってしまいました。
おまけに、今年は例年になく梅雨明けが早くて、もう夏真っ盛りの状態ですね。お天気がいいのはありがたいのですが、この暑さには心身ともに早く参りそうです。
それにしても、今年は次から次へと原稿や講演・研修の依頼が来るし、学会での研究発表や分科会などの司会・登壇も入ってくるし…。通常の大学での仕事に加えてこの状態なんで、ここへきて少々、心身ともにバテ気味です。
ただ幸いにして、もうすぐ大学の前期(1Q2Q)の授業期間がおわるので、授業準備などから解放されて、若干、時間的に余裕ができるところでしょうか。
さて、すでに告知も行われていますが、このブログはそろそろ「引っ越し」をしないといけなくなりました。なにしろブログサービスを提供しているgoo自体が、そのサービスを今年10月末には終わるようなので。
ということで、私のこのブログも、どこかに「お引越し」しなくちゃいけません。ひとまず7月中はこのブログを運営しますが、8月中、つまり夏休み中には、新しいブログサービスを見つけて、そちらに移転しようと思います。
よく考えると、私がブログを書き始めたのは、うちの娘が生まれる直前の2004年8月のこと。そこからもう21年目になりますね。娘も今や大学3年生。娘の在籍する大学では、3年生に教育実習へ行かせるので…。ただいま娘は母校で、中学校音楽の教育実習中です。「そのくらいの月日、ブログを書き綴っていたんだな~」と。なんだか感慨もひとしおです。
とはいえ、お引越しの作業にもなにかと時間がかかりますので…。ある程度の暇な日が確保できないと、作業は無理。ということで、夏休み中(特に8月)のどこか一日をつかって、作業をさせていただきます。
以上、ひとまず近況報告も兼ねて、ブログ移転予定のお知らせでした。
ひとまず、集会の告知だけ、今日はブログで書いておきます。
次の土日=5月31日(土)・6月1日(日)の2日間、神戸にて、全国学校事故・事件を語る会の大集会が開催されます。
私は1日目夕方からの懇親会と2日目のシンポジウムに、一参加者として出席します(今年は報告や講演などは行いません)。
お店への予約との関係で、おそらく今からだと懇親会の参加はむずかしいかもしれませんが…。でも、2日目のシンポジウムへの参加は、当日も「あり」だと思います。
ご都合のつく方、下記の画像を参考にして、ぜひぜひ、ご参加ください。
昨日は2月1日(土)。画像のとおり、長年使ってきたガラケーを、思い切ってスマホに機種変更しました。これからはスマホユーザーですね。
実は昨日の朝からガラケーの電池の減り具合がなにかおかしくて(急に一気に電池が減ったりする)「もう寿命かな?」と思いました。また、前々から「このガラケーが使えなくなったら、スマホに切り替え」と考えていました。なので、昨日の夕方、近所のお店でスマホに切り替えた次第です。
でも、まだまだスマホの使い方がよくわからなくて、娘や妻に聴いたり、お店の人に教えてもらったりしながら使うしかないのですが。正直なところ、慣れ親しんだものを使いこなすほうが、何かと楽ですね。
ただ、2024年度の授業がすべて終了して、これからしばらく会議や他の仕事でもない限り大学に行かないこの春休みの時期に切り替えるのが、いちばん混乱が少なそうだと思ったので。たぶん使い方に慣れる頃には3月の卒業式、4月の新学期になりそうですしね。
ということで、当分のあいだスマホの使い方がわからず、なかなか連絡がつかないかもしれません。むしろ電子メールでパソコン経由の方が早いかもしれません。みなさんにはしばらくご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします。
おはようございます。今日は2024年の大みそかです。今は朝の9時前なので、あと15時間ほどで2025年を迎えますね。
さて、おかげさまで12月24日(火)、うちの娘は二十歳の誕生日を迎えました。
私がブログを書き始めたのは、娘が生まれる直前、2004年の夏ごろのことだったかと。そこからもう20年たったわけですねえ。
20年前のクリスマスイブ、生まれたての我が子はほんとうに小さくて…。でも、ず~っと抱っこしていたいような、そんな気持ちでした。なにをしていても、泣いていても、とにかく「かわいい、かわいい」でしたね。
今も時々、娘が生まれた頃、赤ちゃんや幼児だった頃、小学生だった頃のことを思い出すのですが、なにか思い出すだけで幸せな気持ちになりますね。
そして、気づけばもう大学2年生、二十歳です。中学校の音楽の教員になりたくて、毎日大学で学びつつ、合唱サークルの活動とアルバイトに明け暮れる毎日。この頃は友達とのつきあいとアルバイトが忙しくて、家に帰ってくるのも遅い日が多いですね。でも、とにかく一生懸命、毎日を過ごしている様子が娘からは伝わります。今は父親として、遠くから娘のがんばる姿を見守るのみです。
ということで…。娘の画像そのものはアップしないでおきますが、そのかわりに誕生日のケーキや、二十歳の誕生日のプレゼントの画像をアップしておきます。「もうそろそろ、おとなっぽいもの渡さないとな~」と思って、今年の誕生日プレゼントは「お値段の高そうなシステム手帳」にしました。
またまた、数日前のことを書きますが…。
12月27日(金)の年内最後の授業の日=「仕事納めの日」ですが、久々に卒業生たちに会って、京都の四条木屋町でいっしょに「豚しゃぶ鍋」などを食べました。
実は今年(2024年)3月に卒業した人文学部教職組の人たちと、「夏休み」と「年末」に、京都に集まって「同窓会」みたいな集まりをしようと約束していたのですが…。「夏休み」の分は私の新型コロナ感染・自宅療養で、開催がむずかしくなりました。
なので「年末」の分だけはどうしてもやりたくて…。沖縄の私立通信制高校の教員になった人がこちらに戻ってくるのにあわせて、京都に集まることのできるメンバーだけで、ひとまず2024年3月の卒業生たちの「同窓会」を開いたのでした。
この学年の教職組は、高校や支援学校で常勤の教員になった人、非常勤講師として仕事をしている人、高齢者福祉の現場で働く人、大学院に進学した人など、みんなそれぞれに自分なりの進路を切り拓いています。
他方で、大学卒業後3年くらいは「みんな、大丈夫かな? 新しい環境にうまくなじめてるかな?」と、いつも私の方では気にかけています。なので「近況を知る」機会も兼ねて、定期的にこういう「同窓会」みたいな集まりが持てたらなあって思ってきた次第です。
ひとまず今回集まったメンバーはみんな、それぞれに就職先でいろいろ苦労しているようではありますが、でも、仕事にはやりがいを感じている様子。また、高校や支援学校で働く人は高齢者福祉の話が、高齢者福祉の現場で働く人は学校現場の話が、それぞれお互いにヒントになったようで、とてもよかったです。「四条木屋町の夜桜もきれいだから、次は桜の咲く時期に集まりたい」「今度は旅行みたいなかたちがいい」なんて声もでていましたね。
あと、今回集まったメンバーは、学校でいま、働いている人はもちろんのこと、福祉の現場で働く人も「この大学の教職課程で学べてよかった」とか、「住友さんの研究室に出入りできてよかった」とか言ってました。「人とかかわる仕事の基本」みたいなことが、本学の教職課程、さらには私の研究室に出入りするなかでよく学べたようです。
そして、1軒目だけでは物足りない人たちをつれて、2軒目へ…。こうなることも想定して、終電を気にせずつきあえるように、この12月27日は京都市内に宿をとって、私も一泊することにしたのでした。
ということで、顔出しはできないので、当日の画像を何枚かアップしておきます。最初の3枚が1軒目の四条木屋町の居酒屋さん(高瀬川沿いで、豚しゃぶ鍋を食べたお店)。最後の1枚が2軒目の小さな居酒屋さんのものです。
今日は9月1日。2001年9月1日付で京都精華大学に教員として着任したので、ちょうど満23年たちました。これから大学教員生活も24年目に入ります。
とはいえ…。本来8月中に終わらせておかないといけない原稿執筆の仕事が、現在文字通りの「山積み」状態。おまけに9月初めにはある教育委員会のいじめ防止の研修(複数)、北海道への2泊3日の出張、児童養護施設で暮らす子どもたちの生活課題に関する研究会等々があります。ほんと「なんでこんなに仕事あるのか?」という状態で、正直まいりそうです。
ただ、おかげさまで台風接近中で「どうなるか?」と心配していた集中授業も、なんとか1日目(8月26日)、2日目(8月30日)をこなし、残るは3日目(9月2日)を残すだけになりました。まあ、それでもあと1日5コマ分、授業をやらなくちゃいけないわけですが。
このような次第で、24年目の大学教員生活も「やること山積み」状態からの出発です。いったいいつになったら楽になるのやら…とか、「これは定年退職するまでこんな調子かな?」と。そんなことを考えている今日この頃です。
※8月25日分と今日9月1日分のプリキュアの話は、また後日、予約投稿かなにかで書きます。
気づけば今日は1月7日。年明け最初の日曜日、早いもので、2024年になってから1週間たちました。やっと「2024年に取り組んでみたいこと」を書く気分になりました。いわゆる「新年の抱負」ということですね。
とはいえ…。能登半島の地震・津波。大きな被害がでていますね。被災した人たちに一日も早く、支援の手が届きますように。また、いまもなお救出を待っている方がいると聞きます。今夜から寒波がやってきて、北陸方面も大雪になりそうだとか。どうかみなさま、ご無事でありますように。そして地元の行政や学校関係者のみなさん、警察や消防、自衛隊の方、地元の土木業者や医療・福祉でお仕事をされている方、生存者の確認・救出や被災した人々の支援や復旧作業等々で、さぞかしたいへんかと思います。また、被災されている方々の支援や復旧作業に当たっている方のなかにも、ご自身が被災された方もいると思います。言葉もない状況で、なんとお声かけしていいのかわからないところです。ただ、どうかご無理のないように願います。
さて、本題にもどります。この「2024年に取り組んでみたいこと」ですが…。
「片付け・整理」と「学び」そして「50年先まで残る<ことば>にこだわる」
この3点にまとめることができます。
最初の「片付け・整理」というのは、文字通りです。家のなかに古い本や資料などがだいぶんたまってきていて、これをそろそろ片付けないといけないということ。これをやらないと、新しい本を買ったり資料を手に入れても、だんだん置く場所がなくなってきました。やはり新しい「学び」に向かうためには、いったん古いものを片付けて整理する必要がありますね。
また、学内での仕事や学外の諸活動にいろいろ手広くかかわってきていますが、それをだんだん整理していって、これから年々年老いていく自分の手に負える範囲にまで縮小していくこと。そのことも「片付け・整理」に入っています。50代に入って以来のこの何年かで、自分の気力体力がやはり40代の頃のようではないことを実感します。40代の頃のような感覚で、あの仕事もこの活動も…と引き受けていくと、わが身が持たない感じです。なので、この2024年からは「断れるものは断って、他の人に任せることは任せて」いくかたちにしていきたいと思います。
次の「学び」というのは…。ちょうどロシアとウクライナの戦争が始まった頃から、NHKラジオ第二のロシア語講座を毎日、聞くようになりました。まだまだ読み書きができる段階でもないし、ほとんどテキストみながら「聞き流している」状態に近いのですが。それでもラジオロシア語講座を聞き始めて以来、50代に入ってから新しいことを学びはじめるのも、それなりにいいものだという実感を持っています。ということで、何か次の新しいことを学んでみたいということですね。
では、新しく何を学びたいかということですが。これまでの自分の学外での活動にかかわって、私は、たとえばいじめの重大事態対応や生徒指導(生活指導)、学校事故・災害に関することなどについての本や資料をよく読んできました。でも、最近よく読むのは、日本史や世界史、地理、思想や宗教などに関連する新書本ですね。また、この領域で、いまの高校生が大学受験に際して読んでいる参考書なども、比較的よく読んでいます。そして地震や気象など、高校理科の「地学」の領域に関する本も、時々読んでいたりします。
要するに、教職課程の科目でいうと「生徒指導(生活指導)」や「学校安全」とその近接領域から、「社会科・地歴科・公民科」教育とその近接領域に、自分の読みたい本や資料の領域がシフトしているということですね。なので、こちらの「社会科・地歴科・公民科」教育とその近接領域の方向で、自分の学びたいことを見つけて、こちらでどんどん本を読んでいきたいなあって思っています。
そして最後、「50年先まで残る<ことば>にこだわる」ですが。これも「学び」にかかわることです。最近の教育学関係の本が時々「つまらない」と思う反面、古い本にあらためて発見があったり、自分のこころに響くことばを見つけたりすることがあります。教育学の「古典」というか、我が家に眠っている古い教育学関係の本を読みなおすことも、先ほどの「学び」に付け加えたいところです。
あるいは、自分が何か学内の仕事や学外の活動をしていても、若いころ(大学生や大学院生、研究者になりたての頃)に読んだ教育学の知識が、いまもなお自分の取り組みを支えていることに気付かされることが多々あります。そう考えると「いますぐには役立たなくても、30年、40年、50年…と、先の時代を見据えて何か自分の考えたこと、思ったことを書き記しておくって、大事なことだなあ」って思うわけです。
なにしろ私も今年で50代半ばになります。自分の父親や義父が亡くなった年齢を考えると、あと約20年くらいの人生というところでしょうか。そう考えると自分の命が尽きたそのあとも、教育について自分が書いたものを誰かが読んで、その先に何か実践や研究を続けていく。そういうものを残しておきたいという気持ちになってきました。なので「50年先まで残る<ことば>にこだわる」ということを思いついた次第です。
ちなみに、2023年の大みそか(といっても1週間ほど前ですけど)に紅白歌合戦を見ていて、「最近の歌はなにが言いたいのか、そもそも歌詞自体が聞き取れないし、理解が難しい歌が多い」のだけど、1970年代~80年代(つまり40~50年前)あたりからもっと昔の歌だと、その歌詞がなにを伝えようとしているのか、情景も心情も含めてよく理解できるってことに気付きました。それだけ自分が「年を取った」ということなのかもしれません。でも「40年、50年たっても、誰かに何かを訴えかける<ことば>があるし、そんな<ことば>をメロディーに乗せた人がいる」ということを、あらためて紅白歌合戦を見て気付いた次第です。
ということで…。この頃は「自分はひとりの教育学の研究者として、大学教員として、40年、50年先も残る<ことば>を、これからの残りの人生を使ってどうやって紡ぎだすか?」ということを考えています。
以上が、この「2024年に取り組んでみたいこと」の概要です。実際にどの程度できるかわかりませんし、どんな方法がいいのかもわかりません。でも、自分なりに手探りしながら、ぼちぼち、続けていきたいなあって思っています。本年もどうぞよろしくお願いします。
※追記 今日は日曜日なのでプリキュアと仮面ライダーを見るはずなのですが…。朝、起きられなくて、どちらもまだ見ていません。両方とも動画配信を見終わったら、ひとまず1月7日のプリキュアのことだけ、ブログに書きます。
新しい年を迎えました。本年もどうぞよろしくお願いします。
それから、能登半島での地震・津波で被災されたみなさん。しばらくたいへんな日々が続くかと思います。どうぞおからだを大切になさってください。一日も早く、安心して過ごせる日が来ることを願っています。
それにしても、元旦から能登半島で大きな地震・津波。翌日2日は羽田空港での航空機事故。年明け早々にいろいろありすぎて、心身ともにつらいですね。なので、心身へのダメージを減らすためにも、マスコミやSNS経由で流れてくる事故や災害のニュースは、ある程度遮断しないといけないなあって思っています。
その一方で、たとえばいま、大学での仕事とは別にかかわっている「いじめの重大事態」対応に関すること。この対応に関することは、メールで次々に情報が入ってきます。これだけは避けられないですね。でも、このようなメールも、ひとつひとつの対応に細やかな気配りが必要になるので、心身の負荷があります。せめて1件1件、ていねいに解決して、うまくいくように…と。そのことを考えて対応しています。いい方向に事案が動きはじめれば、私の心身にかかる負荷は軽くなりますので。
ところで今日は1月5日。年明けの大学での仕事再開の日です。これから出かける準備をして、出勤します。ただ、例年学生たちには伝えていますが、私としては我が娘の誕生日&クリスマスイブから、地元・西宮の十日えびすのお祭りがおわるまでは、「年末年始の休み」みたいな気分です。なので来週も仕事に行きますが、ゆるゆると過ごすつもりです。
あと、例年書いている「新年の抱負」みたいなものですが、いましばらくお待ちください。でも「成人の日」(1月8日)くらいには、なにかブログに書いておこうと思います。
気づけば今日は2023年の大みそか。みなさん、よいお年をお迎えください。
この2023年は私にとって、いろんな意味で自分の心境や心身の状態の変化を感じる年になりました。要するに「もう若くないな~。無理はきかないな~。だんだん休む時間を確保しながらでないと大学の仕事も研究も、学外の活動も続けられないな~」ということを、いろんな場面で実感した1年ということです。
あしたからもう新しい年、2024年になりますが…。2024年以降は徐々に数年かけて、いままで引き受けてきた仕事や研究、学外の活動を整理して、「ほんとうにこの先も続けたいこと」と「ここからは撤退・活動範囲を縮小」とすることとに線引きをしていくつもりです。
特に大学での仕事と研究面に力を入れたいので、学外の諸活動は徐々に撤退、活動範囲を縮小、新規依頼を断る方向で動こうと思っています。とはいえ、もうすでに入っている仕事もあるので、そこだけは続けないといけないわけですけど…。
あとは、この仕事や研究、学外の活動の範囲の縮小などにともなって、我が家の本や資料もたまる一方なので、徐々に整理していこうかと。古本屋に売る本、研究室にもっていって学生に読ませる本、卒業生などにあげる本とか。あるいは、家に残しておきたい資料、もう捨てていい資料とか。そんな風に、時間をどこかで割いて、たまる一方の本や資料も整理していきたいと思います。
ということで、ひとまず2023年の「まとめ」でした。
〇下記の内容は、今日、フェイスブックに書いたことを手直ししたものです。自分のブログにも加筆修正して転載しておきます。
ずっとこの間、例の芸能事務所の性加害と被害者救済の問題で、不思議に思っていること。それは「どのようなかたちで被害者救済を実施していくのか? また、そのための一つ一つの課題を、だれがどのように責任をもって解決していくのか?」という、被害者救済と課題解決の枠組み(スキーム)が、ちっとも見えてこないなあ…ということ。
私としては今後の学校事故・事件関係の仕事との絡みで、この課題解決の枠組みこそがいちばん知りたいことなんですけどねぇ…。私の知りたいことなんて、いまはまだ、どこの報道機関も取材して伝えてないような気がするんですけど…(もしかしたらすでに記事などがでていて、私が知らないだけかもしれませんが)。
もちろん、約500人近い被害者救済なんて「ちょっとやそっとではできっこないタスク」だし、また、例の芸能事務所および死んだ社長の「悪事」がそれだけ深刻で、「そう簡単に枠組みなんて作れないよ」ってことでもあるわけですが。そして、この「ちょっとやそっとではできないタスク」を今後、責任をもって担う人として、はたして「タレントあがりの社長や副社長がほんまにふさわしいのか?」ということもありますが。
でも、「誰かが責任をもって被害者救済や課題解決の枠組みをつくり、その方向性でまずは動き始めて、課題が生じたらそれを修正して…」をくりかえして、「よりちょっとでもマシな被害者救済の枠組みを、時間をかけてつくっていく」こと。それしか今、この日本社会でできることってないように思うんですよね。
それこそ…。「あの芸能事務所からある程度の独立性を保ったかたちで、たとえば弁護士や医師、心理職、福祉職などの混成チームで、どのように被害にあった人たちからの救済申し立てを受け付け、被害を認定し、今出せる資金からどのように賠償・補償を行うのか? その救済手続きを何年くらいかけてやるのか?」という枠組みづくりが、今、早急に必要なことだと思うんですが。こういう議論って、まだまだ、ほとんどできていないように思うんですよね。ついでにいうと、金銭的な補償・賠償(弁護士)、心理的・身体的な被害とこれに対するケア(心理職・医師)、衣食住や仕事など具体的な生活面での諸課題への対応(福祉職)など、多様な専門職の被害者救済場面での「協働」が必要になると思いますねえ、この件。
また、その枠組みづくりを誰が責任もってやるのか? その枠組みづくりにあたって、被害者の会からの要望や意見などはどのように取り入れられるのでしょうか? それこそ、被害者の会からこういう実務的な枠組みについて、どの程度要望や意見がでているのでしょうか? そこは誰かがきっちり取材しているんでしょうか…?? もしも被害者の会から、こういう枠組みづくりに対する意見や要望など自体がでていないなら、「それ、早急につくらないといけないのでは? でないと例の芸能事務所にとっていいようにあしらわれるのでは?」とか思ったりもします。
実は、このあたりの話は、学校事故・事件の被害者・遺族救済の課題とも共通する面があると思っています。だからこそ、私は「実務的に考えたら、どうなるのか?」と。日ごろの学校事故・事件関係の取り組みを参照しながらいうわけですが。
これに加えて、あの芸能事務所それ自体と死んだ社長の家族は、どのくらい被害者救済にお金出す用意があるのか? 実際に出せるお金がどの程度あるのかわからないと、賠償・補償の範囲が組めない。もしも「足りない」のなら、いままであの芸能事務所とかかわりの深かったマスコミや企業などにお金を積ませないと…。
また、あの芸能事務所には、たとえば過去のタレントの在籍記録や番組出演、あるいはステージ出演のスケジュール、合宿所に入っていた期間のわかる名簿等々、訴えられた「被害」を直接・間接に裏付ける文書類がどの程度残っているのか? これがないと、そもそも救済の対象者は誰かもわからないし、被害の裏付けも撮れないから、被害者救済の実務はすすまないと思うんですが…。
さらに、「あの芸能事務所は何するか信用できない」という人々は、今すぐにでもあの芸能事務所の持っている文書類を「資料館」か何かに移して、改ざんや隠ぺいなどできないようにしなくちゃいけないんじゃないですかね? だからこそ「そう簡単にあの芸能事務所つぶすとか、そんな話したらいけないのとちがいますか?」と思うわけです。
あ、そうそう。この被害者救済の課題に加えて、今後の性暴力防止に関する社会的な取り組みについては、具体的にだれがどのような枠組みですすめていくのでしょうか? これについても、いままで例の芸能事務所およびそことかかわりの深い企業やマスコミに、資金・人・モノ等々の資源を供出させて、なんらかの課題解決のスキームつくって動かしていかないといけませんね。これはいったい、だれが責任もって担っていくのでしょうか?
以上のとおり、私にしてみると…。あの芸能事務所側のこの間の動きにも疑問は多々ありますが、同時に、あの芸能事務所の対応を批判的に論じている人々の側にも、「もっと実務的な話を軸に議論しないと、被害者救済の課題という本筋の話そっちのけで、ご自分の不信感や疑念をぶつけているだけに終わってしまう」と、いろんな危惧を抱きます。
ただ、こんな風に思うのは…。やっぱり私が実務的な課題解決を重視するかたちでものを考えるクセがついているからかと。一日も早く、あの芸能事務所の問題も、こうした実務的な観点から議論が進むことを願います。
ちなみに、記者会見の指名NGメモの話は、批判を言いたくなる人々の気分はわかるんですけど、「その批判をこの先も続けていても、この被害者救済の枠組みづくりにつながるのか?」「きっと記者会見の指名NGメモをなくしたとしても、司会する人、さらには会見を設定する側は目配せとか、いろんなかたちで<やっかいな記者を排除する>のではないかな、これからも」と思ったりもします。
また、「そんな記者会見を設定するあの芸能事務所は信用できない」と、さらなる不信感を抱く人々の気持ちもわからなくはないのですが…。でも「だとしたら、あの芸能事務所に今後、どういう被害者救済のスキームをつくらせて、それをどうやって信用できる人々で動かしていくのか?」を論じて、誰かに責任もって実施させていかないと、事態は「なにもかわらない」と思います。
7月16日(日)午後、子ども情報研究センターの学習会(シンポジウム)で基調講演をします。
昨日の子ども情報研究センターの市民研究部会の学習会(シンポジウム)では、ご参加いただいたみなさま(会場参加・ネット参加の両方含む)、ほかの登壇者のみなさま、そして準備いただいた部会のメンバー+子ども情報研究センター事務局スタッフのみなさまに、心からお礼申し上げます。
考えてみれば、この前、あの弁天町の会場で私が話したのは、新型コロナ禍の臨時休校の真っ最中、2020年3月。それこそ『「いじめ防止対策」と子どもの権利』を、かもがわ出版から出して間もない頃でした。それから3年と数か月、まったく弁天町のあの会場には、足を運んでこなかったわけですが…。久々にみなさんにお目にかかれて、よかったです。
また、大学生の頃に社会科教育の授業でお世話になった先生や、定時制高校の講師&野球部監督時代にたいへんお世話になった先生に、何年かぶりにお目にかかることもできました。その定時制高校の講師時代にお世話になった先生からは「住友くんが出ると聞いたから、来たぞ!」というお声かけもいただきました。ありがたい話です。その定時制高校時代にお世話になった先生が、久保敬さん(=市民研究部会のメンバーでもあります)と先日お目にかかって、今日の学習会の話を聞いたとのことでした。
そんな感じで、私にとって今日は、大学生・大学院生の頃からの約30年近く、乳幼児発達研究所から子ども情報研究センターへ名前を変える頃からの自分の歩みをふりかえるいい機会になりました。
思えば、私の川西市の子どもオンブズの取り組みのような子どもの人権救済・擁護、子どものアドボカシーの話も、チャイルドラインでの取り組みも。みんな、この子ども情報研究センターでのいろんな人とのつながりあってのこと。また、そのつながりがあってはじめて、私がこの十数年、大阪市の子ども施策や教育施策に「身を切る改革」が持ち込まれた十数年を見守りつづけたこともできた。さらに、「あきらめない、まけない」と、いつもプリキュアのことばを支えにしながら、この十数年、大阪で切り刻まれた子ども施策・教育施策をどうやって「再建」に向けてもっていくのかを考えることもできた。
そして、今日は兵庫県というか、地元・西宮からも「お仲間」が来てくれてましたが…。そういう兵庫での教組つながりも、実はここ、この子ども情報研究センターでのつながりからさらに発展的につながっている…というところでしょうか。
あと、私のあとに登壇された方々も、「校則を変える取り組みをやろうとした公立中学校教員」「主権者教育で、あえて政治的な論争課題にふみこんだ取り組みをした公立高校教員」「学校統廃合の問題や、さまざまな課題に直面する子どもたちの課題に、保護者の立場からかかわろうとした方」と、大阪のそれぞれの学校で、面白い取り組みをされている方々ばかりでした。「この話、全部、これからの本学教職課程の授業で使えるなー」と。私の方が「得した気分」になりました。
その後、会場に居られた方々からも発言は多々ありましたし、ネット参加の方もチャットでいろいろと意見を述べたりしておられました。
終わったあとの懇親会も、けっこう中身の濃い話ができました。
久々に充実した学習会になって、ほんとうによかったと思います。
あとは、今日お伝えした「おとなのための<社会科>」を、どこで、どうやって始めるか。選挙に投票に行くおとなを増やすためにも、日々の生活の場面で、社会や政治・行政の在り方について、おとな自身が学べる場づくりを。そういう趣旨で「おとなのための<社会科>」という話をしたのですが…。すでに「生野区で!」という話と「西宮で!」という話がありますが、他にも出てくるだろうな…。そうなると、ちょっと日程調整を考えないといけませんね。忙しくなってもいいように、ほかの仕事を上手に片付けて、身動き取れる余地をつくらないと。ということで、今日のご報告でした。
あ、そうそう。今日の会場の後ろの方の席に、ケバイ黄緑陣営の某市議が座っていたようですが…。私からの嫌味の連発に、耐えられたかな?
「いや~テレビによく出る政治家の〇〇さん。よくがんばってはるわ~」というけど、「大阪の公共施設を<身を切る改革>で切りまくることがんばってる」とか。
「大阪湾岸に南海トラフ地震の津波が来て、水没しそうな土地に税金つぎ込んでる」とか。
いっぱい嫌味言いまくったんですけどねえ。まあ、二度と私の前に顔を出すことないでしょう。神妙な顔して「謙虚に受け止めます」とだけ言って、帰っていきましたから…。ただ、この学習会を出たことをきっかけにして、この黄緑陣営の某市議。離党してちがう陣営に移ったら、それはそれで面白いな~。
※上記の内容は、昨夜、市民研究部会と懇親会の終了後帰宅して、すぐにフェイスブックに書いたことを加筆修正して転載したものです。
「久々に」になるのですが、子ども情報研究センターの<協働・自治>の文化をつくる市民研究部会(シンポジウム)で、7月16日(日)午後、基調講演をする予定です。詳しいことは下記の画像で確認してください。事前申し込みが必要ですが、会場参加とオンライン参加の2通りが可能だそうです。できるだけ多くの方に申し込みをしていただければと願っています。
ちなみに、子ども情報研究センターというと、私も長い間、子ども人権部会の座長を務めてきましたが…。この何年かは部会活動から遠ざかっていました。
ただ、現在は、子ども情報研究センターの研究部会活動を再編中。その一環として、ただ単に大阪の子どもの教育や保育、あるいは大阪の自治体の子ども施策を考える部会活動だけにとどまらず、もっと幅広く大阪の<協働・自治>の文化そのものを考えていこうという、新たな展開がはじまりました。その研究部会活動の新たな展開のはじまりにあたっての学習会(シンポジウム)が、この7月16日のイベントです。
なお、この7月16日のイベントのときには、拙著『新しい学校事故・事件学』や共著本『「いじめ防止対策」と子どもの権利』『足元からの 学校の安全保障』の3冊を会場にもちこんで、販売させていただこうと思っています。そのことも、あわせてお伝えしておきます。
昨日は本学の卒業式。もう卒論ゼミ担当を離れて6年目くらいになるのですが、でも、毎年4年生の教育実習を担当しているので…。教職課程の学生たちが無事に卒業できたかどうか、気になるので、卒業式には必ずでるようにしています。
とはいえ、卒論ゼミ担当の頃には、式典後の各ゼミ単位での学位記(卒業証書)の授与とか、ゼミ生とのお別れ会(=ほんと歴代ゼミ生、よく飲む・食う…)とか、いろいろありましたが…。いまは各卒論ゼミの学位記授与のお手伝いが済んだら、各ゼミの記念写真の「撮影係」みたいなことしてますねえ。
それでも、なんかお祝い気分を出したくて、研究室にはフラワーアレンジメントをこの時期、置くようにしています。あと、学内の桜も早咲きなのか、それともあったかいからなのか、けっこう咲いていますね。
ということで、卒業式に関連した画像とか、花の画像などをアップしておきます。