できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

2222冊目:西日本新聞社会部『ルポ罪と更生』

2015-12-30 12:15:19 | 本と雑誌

2222冊目はこの本。

西日本新聞社会部『ルポ罪と更生』(法律文化社、2014年)

少年事件に限らずおとなの事件も含め、およそ昨今、重大事件については犯罪被害者の立場にたって「厳罰化」を求める世論が強い。

だが、その「厳罰」に処せられた受刑者たちの「出所後」の生活や、再犯防止に向けての刑務所での取り組みはいま、どのような状態になっているのか。

この本は西日本新聞社会部の連載記事をもとに、その後の取材などをふまえて、罪を犯して刑務所に服役した人々の「その後」をていねいに追っている。

結局のところいくら「厳罰化による抑止」を主張したところで、私たちの社会が「罪を犯した人々」を適切に受け止め、包摂する力を持たなければ、再犯・累犯は防げない、ということか。そのことを、ていねいな取材を通じてこの本が明らかにしていると思う。

ルポ・罪と更生


2221冊目:三上剛史『社会の思考』

2015-12-30 12:03:25 | 本と雑誌

2221冊目はこの本。

三上剛史『社会の思考―リスクと監視と個人化―』(学文社、2010年)

学校事故・事件・災害の問題について、最近の「リスク管理論」的な発想からの議論にはどうしてもなじめないものを感じるので、理論社会学系のリスク管理論や監視社会論への批判を知りたいと思って、この本を読んでみた。

これを読んでみて思うのは、やっぱり「リスク管理論」的な発想から学校事故・事件・災害を論じる議論って、「あぶないなあ」と思うこと。確かに事故・事件や災害の「リスク」は防げるのかもしれないが、他方で人々の不安感に訴えて、世論をバックに強力な国家体制をつくって、個人を政府が徹底的に監視するような社会を生み出しかねないという、別の「リスク」を抱えているように思えてならないわけだ。

社会の思考―リスクと監視と個人化


2220冊目:橋本健二『居酒屋の戦後史』

2015-12-30 11:44:57 | 本と雑誌

2220冊目はこの本。

橋本健二『居酒屋の戦後史』(祥伝社新書、2015年)

つい最近出た本なんですけど、主に東京近辺の飲み屋さんとお酒の消費を歴史的にふりかえることで、戦後日本社会論(特に格差社会の問題)を展開するという、まあ、なんとも見事な本ですね。

でも、よく考えたらわかるんですけど、たとえば、お酒の原料になっている米や麦などの穀物類が政府の配給の対象になっている時期とか、お酒にかかる税金の割合がどうなっているかとか。

あるいは、お酒のアテに出てくる食べ物(特に肉類)の需要と供給、流通ルートのあり方とか。

さらに、居酒屋などを含む駅前の盛り場を、戦後の区画整理事業や駅前再開発など都市計画のなかでどう位置づけるかとか。

そして、飲み屋さんに入り浸るお客さんたちの収入やその背景にある就労の状況、さらにお酒の好みや、それを受けての各酒造業者の酒造りの変化だとか。

いろんな場面で、「飲み屋さん」のありように日本社会の動きが現れるわけで・・・。

居酒屋の戦後史 (祥伝社新書)


2219冊目:若新雄純『創造的脱力』

2015-12-30 11:34:08 | 本と雑誌

2219冊目はこの本。

若新雄純『創造的脱力 かたい社会に変化をつくる、ゆるいコミュニケーション論』(光文社新書、2015年)

鯖江市JK課やニート株式会社など、今までの組織や働き方、考え方などの枠組みを少しゆるめてみることで、新しい人々のコミュニケーションの形が生まれ、新たな人々の営みが生まれててくるのではないか・・・というコンセプトで、さまざまな実践に取り組んできた人の本。

この本を読んで、「なるほどなあ」と思うことも確かにある。「まあ、ルールだとか先例とか、達成目標だとか成果だとか、固いこと言わないで、ちょっとこのあたりからゆる~く、少々失敗したり脱線してもいいから、やってみようよ」というすきま、余地がないと、なかなか創造的な営みって出てこないだろうし・・・。

創造的脱力 かたい社会に変化をつくる、ゆるいコミュニケーション論 (光文社新書)


2218冊目:伊東乾『「聴能力!」』

2015-12-30 11:27:49 | 本と雑誌

2218冊目はこの本。

伊東乾『「聴能力!」―場を読む力を、身につける。』(ちくま新書、2015年)

作曲家・交響楽団の指揮者であり、また、理科系(物理学)の研究者でもある著者が、人間の「聴く力」の大切さについて語った本。

「聴く力」や周囲の人々への思いやりや気配り、自分の置かれている場の状況を読み解く力ともつながっているんだな・・・ということを、あらためて理解できた一冊でもある。

「聴能力!」: 場を読む力を、身につける。 (ちくま新書)


2217冊目:池上正樹『大人のひきこもり』

2015-12-30 11:10:49 | 本と雑誌

2217冊目はこの本。

池上正樹『大人のひきこもり』(講談社現代新書、2014年)

この本の著者・池上さんとは、宮城県石巻市の大川小学校津波災害の遺族のことを通じて知り合った。池上さんは、学校事故・事件・災害の被害当事者の問題や、このおとなのひきこもり問題などを精力的に取材されているフリーのジャーナリストである。

この池上さん、いま各地でおとなのひきこもり当事者や支援者たちとともに、「ひきこもり大学」という取り組みを開始されている。先ほどの綾屋紗月・熊谷晋一郎の本とともに、この本も「ひきこもり」という面から「当事者研究」につながる一冊と言える。

大人のひきこもり 本当は「外に出る理由」を探している人たち (講談社現代新書)


2216冊目:綾屋紗月・熊谷晋一郎『つながりの作法』

2015-12-30 10:53:39 | 本と雑誌

2216冊目はこの本。

綾屋紗月・熊谷晋一郎『つながりの作法』(NHK生活人新書、2010年)

この本も先ほど紹介した『オープンダイアローグとは何か』と同様、当事者どうしの「語り合い」や「つながり方」をテーマにした本。ただ、先ほどの『オープンダイアローグとは何か』が精神医療の専門家の手による本だとすれば、こちらは障害のある当事者の立場から書かれた本でもある(まあ、熊谷氏は車イスユーザーの小児科医でもあるのだが)。そのあたりで、同じ当事者どうしの「語り合い」についての本でも、見えていることはちがってきている。

この本で興味深かったのは、綾屋氏の書いた「仲間とのつながりとしがらみ」という章。最初は世の中で生きづらさを感じていた当事者たちが、当事者コミュニティを形成することで、いったん、その世の中を相対化して対峙できる場を形成できるようになること。また、その当事者コミュニティで最初世の中を相対化し、対峙できるようになるなかで、今度は当事者どうしの同調圧力と他の人と自分のちがいも見えてきて、その当事者コミュニティをも相対化しようとする自分が芽生えてくるということ。これって、多くの当事者運動やマイノリティの人権に関する運動のなかでも起きていることではないのかな、と思った。私のかかわっている学校事故・事件の被害当事者団体も同じく、である。

つながりの作法―同じでもなく 違うでもなく (生活人新書 335)


2215冊目:斎藤環(著・訳)『オープンダイアローグとは何か』

2015-12-30 10:39:31 | 本と雑誌

2215冊目はこの本。

斎藤環(著・訳)『オープンダイアローグとは何か』(医学書院、2015年)

今年読んだ精神医療系の本では、おそらく文句なしに一番面白かった本。

統合失調症などの「心病める人」がなんらかの症状を訴えるときに、その当事者を中心として、精神医療の専門家やその当事者の周囲にいる人々(家族等々)が、その当事者の語りに耳を傾け、語り合う場を設けていく。

すでにフィンランドの精神医療で取り組まれているこのような実践を中心に、その語り合いの場が生み出す「ケア」の力について理論的な考察を加えたのが、この本。

オープンダイアローグとは何か


2214冊目:對馬達雄『ヒトラーに抵抗した人々』

2015-12-30 00:05:05 | 本と雑誌

2214冊目はこの本。

對馬達雄『ヒトラーに抵抗した人々 反ナチ市民の勇気とは何か』(中公新書、2015年)

2015年に読んだ本のなかで最も印象深い一冊を選べと言われたら、確実に候補に入れたいと思うのがこの本。

ドイツ近現代教育史の研究者でもある著者が、ナチスドイツが政権を握るなかで、命がけでヒトラーの政治に抵抗したり、迫害を受けるユダヤ人の救援にあたったりした市民の姿を、さまざまな史料を使って描き出した一冊。

ごく少数ではあっても、戦時体制下においてナチスドイツの政治に命がけで抵抗した人々がいたこと。そのことによって、逆にナチスドイツの政治に自発的に隷従した人々の存在が浮かび上がってくる。

また、このような抵抗する人々の心の拠り所になったもの、それがキリスト教の精神にもとづく「良心」であり、これがまた戦後ドイツの保守政治の思想的(理念的)な基盤をなしていることも、この本からよく理解できた。

そういう思想的な基盤があるからこそ、保守系の政治家がナチスドイツの過去と真摯に向き合い、その道義的な責任を問い、周辺諸国との和解に向けての努力ができるのではないか・・・と思った次第である。

それに引き替え、あったことを「なかったこと」にしたがるような、日本のいまの自称「保守」の体たらくといえば・・・である。

ヒトラーに抵抗した人々 - 反ナチ市民の勇気とは何か (中公新書)


2213冊目:渡邊啓貴『フランス現代史』

2015-12-29 23:49:42 | 本と雑誌

2213冊目はこの本。

渡邊啓貴『フランス現代史―英雄の時代から保革共存へ』(中公新書、1998年)

2015年11月の大阪首長W選で敗北したあと、ずるずるとおおさか維新の政治になびいていくかのように見える大阪の自民党を見ていて、「ここには『徹底抗戦』を説くド・ゴールはいないのか?」と思ってしまった。そんな状況下で読んだのが、この本。

フランス現代史―英雄の時代から保革共存へ (中公新書)


2212冊目:桜井哲夫『占領下パリの思想家たち』

2015-12-29 23:43:54 | 本と雑誌

2212冊目はこの本。

桜井哲夫『占領下パリの思想家たち』(平凡社新書、2007年)

8年前に出た新書なんでちょっと古い本ですが、ひとまず「読みました」ということで。

橋下前市長が一応「政界引退」したとはいうものの、依然としておおさか維新の首長が府・市の行政を牛耳り、これを中央政界から安倍政権が後押ししているような状況下の大阪で、「いかにして抵抗することが可能か?」を考えようと思うと、どうしても「レジスタンス」に学ばないといけないかな・・・と思ったもので。

占領下パリの思想家たち―収容所と亡命の時代 (平凡社新書 356)


2211冊目:日本再建イニシアティブ『「戦後保守」は終わったのか』

2015-12-29 23:27:46 | 本と雑誌

2211冊目はこの本。

日本再建イニシアティブ『「戦後保守」は終わったのか 自民党政治の危機』(角川新書、2015年)

かつての自民党田中派や大平派のような「保守本流」あるいは「中道保守」の政治は、この十数年の新自由主義的諸改革の流れのなかで、その存立の基盤を脅かされ、衰退の一歩をたどっているのではないか・・・。

このような私の疑問にまるで「そのような節あり」と答えるかのように、民間シンクタンクの自民党政治研究のこの一冊が答えてくれた。

と同時に、それは自民党の政治がだんだん新自由主義的諸改革のなかで、多様な人々を包摂する力を失い、社会的不平等(格差)の是正や社会的弱者の救済などの機能を失っていくプロセスでもあるのだが。

もう一度この「中道保守」の政治を復権させることができるかどうか。そこに日本社会の「包摂」力の回復、社会的不平等の是正等々、いろんな課題の解決がかかっているのでは?

「戦後保守」は終わったのか 自民党政治の危機 (角川新書)


2210冊目:薬師院仁志『政治家橋下徹に成果なし。』

2015-12-29 22:58:39 | 本と雑誌

2210冊目はこの本。

薬師院仁志『政治家・橋下徹に成果なし。』(牧野出版、2015年)

この本もいわゆる「大阪都構想」は不要と思ったり、おおさか維新(旧・大阪維新の会)の政治にはとても共感できない私たちにしてみると、至極当然でまっとうなことしか書かれていない一冊。

でも維新シンパの人々は、こういう本を読まず、在阪マスコミ経由で垂れ流しの彼および維新の政治家のメッセージしかキャッチしないからなあ。

それと、大急ぎで大阪首長W選に間に合わせて出版したせいか、文中で誤植をいくつか見つけてしまった。そこが残念。

政治家・橋下徹に成果なし。


2209冊目:平松邦夫『さらば!虚飾のトリックスター』

2015-12-29 22:53:09 | 本と雑誌

2209冊目はこの本。

平松邦夫『さらば!虚飾のトリックスター 「橋下劇場」の幕は下りたのか?』(ビジネス社、2015年)

この本も、いわゆる「大阪都構想」に対して批判的な立場でいろいろ動いてきた私たちにしてみると「当然」と思うような、そういう話が満載の一冊。

私はこの本を書いた平松さんとは直接面識があるだけに、余計にそう感じるのかもしれないけど。

それにしても、2015年秋の大阪首長W選では、とことんまで「ひとりにさせへん!」の彼を平松さん、応援しておられましたね。

たとえご自分は立候補しなくとも、ひとりの市民団体のリーダーとして、ほんとうに大阪をよくしてくれそうな候補者を支持・支援し、動けるところまで動こうとされている平松さんの姿に、あらためて敬意を表したいと思います。

さらば! 虚飾のトリックスター ~「橋下劇場」の幕は下りたのか?


2208冊目:松本創『誰が「橋下徹」をつくったか』

2015-12-29 22:44:50 | 本と雑誌

2208冊目はこの本。

松本創『誰が「橋下徹」をつくったか―大阪都構想とメディアの迷走』(140B、2015年)

著者の松本創さんは以前、うちの大学案内の制作にも関わっておられて、そのために私のインタビューをしていただいたこともある方。

内容はフリーのライターの立場から、橋下前大阪市長・元大阪府知事と在阪マスコミとの関係を、「大阪都構想」問題をめぐる報道のあり方と関連づけながら問うた本。

一部知っている新聞記者さんのことも書かれていて、「これってご本人が読んだらどう思うかな?」と思うところもあった。

でも、大筋ではこの数年間の在阪マスコミと橋下前市長との関係をていねいかつ批判的に論じていて、好感は持てる。

要するに、日々彼が発信する情報を追いかけているだけに終始してしまって、結局いいように在阪マスコミは使われてしまっただけではないのか・・・という、私たち「都構想」批判派にとっては日常的に感じてきたことを、「ほらね、やっぱり」という形で明らかにしてくれた一冊ということ。

誰が「橋下徹」をつくったか ―大阪都構想とメディアの迷走