できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

2231冊目:川人博『過労自殺(第二版)』

2016-01-31 21:48:24 | 本と雑誌

2231冊目はこの本。

川人博『過労自殺(第二版)』(岩波新書、2014年)

この本と先ほど紹介した『群発自殺』を続けて読みますと、一方でマスメディアを通じた自殺報道が次々と自殺の連鎖を引き起こす危険性をはらむものの、他方で過労自殺などの背景にある企業の雇用形態・就労環境の問題などを訴えていくためには、マスメディアがくり返しこうした課題を取り上げていかなければいかない・・・・という課題を感じてしまいますね。

過労自殺 第二版 (岩波新書)


2230冊目:高橋祥友『群発自殺』

2016-01-31 20:45:40 | 本と雑誌

2230冊目はこの本。

高橋祥友『群発自殺 流行を防ぎ、模倣を止める』(中公新書、1998年)

この本は精神医学の立場から、ある人の自殺に関するマスメディアを通じた情報の拡散が、次々に類似の自殺を引きおこすという現象について検討した本です。

それこそ、1980年代半ばや90年代半ばの中学生いじめ自殺の続発、「ユッコ・シンドローム」と言われたアイドル歌手・岡田有希子の自殺とそのあとの後追いでの若者の自殺などが、この本で取り上げられている主な事例です。

また、このことにかかわって、この本が書かれた時点での諸外国の自殺に関するマスコミ報道のガイドラインや、日本での自殺報道の問題点なども、精神科医の立場から「自殺の連鎖を防ぐ」という観点から綴られています。

この本を読んで「なるほど」と思う部分もいくつかありました。やはり、ある子どもや若者に関する自殺のあと、同時期に似たような年代の人たちの自殺が多発する現象が、マスメディアの報道によって引き起こされてる側面というのは、ゼロではないと思います。その自殺報道をきっかけにして「こういう道もある」と思った人もいるのでしょう。そういう意味では、確かに情報の出し方を慎重にしなければいけない部分もあるでしょう。

ただ、報道を見て当事者たちがそのように思うに至る背景要因としての生活困難、ここはなぜ、著者は問題にしないのかな・・・なんてことも、この本を読んで思いました。また、当事者サイドに立って、マスコミを通じて、その生活困難な状況を改善して自殺予防を行ってほしいという訴えをすること自体も、著者たちはダメだというのでしょうか。気をつけないと、この著者たちの議論は、ある種の「問題の隠ぺい」にもつながりかねない側面があるな・・・と、一読して思った次第です。

群発自殺―流行を防ぎ、模倣を止める (中公新書)


2229冊目:パオロ・マッツァリーノ『「昔はよかった」病』

2016-01-31 19:51:31 | 本と雑誌

2229冊目はこの本。

パオロ・マッツァリーノ『「昔はよかった」病』(新潮新書、2015年)

「この人何者なの? 実在しているの?」といつも思う自称「イタリア生まれの日本文化史研究家」による本。どうも複数の日本人研究者(文化史や社会史、あるいは社会学などが専門領域)や雑誌のライターが、外国人の方の話も聴きながら、共通のペンネームで書いているんじゃないかと思ったりもします(あくまでも私の推測なんですけど)

それはさておき。

内容的には「昔はよかった」とついつい私たちが思ってしまうさまざまな出来事について、過去の新聞記事などを読み直してみて、「必ずしも、そうでないことも多々ある」という、そういうことに気づかせるもの。その点では、文体も軽くて読みやすく、なかなかいい本です。

それだけに・・・。「これ、ほんとうは誰が書いているの? 実在の人物?」ということが、どうしても気になってしまうのでした。

 

「昔はよかった」病 (新潮新書)


2228冊目:安田浩一『ヘイトスピーチ』

2016-01-31 19:38:32 | 本と雑誌

2228冊目はこの本。

安田浩一『ヘイトスピーチ 「愛国者」たちの憎悪と暴力』(文春新書、2015年)

この本を先日、教養科目「政治学」の授業のなかで、学生たちに紹介しました。

学生たちのなかには右翼的あるいは保守的な考え方の支持者や、「日本って素晴らしい国」と言いたい人もいるようでしたが、さすがにこの本に出てくる「ヘイトスピーチ」の事例の数々に触れると、「ああいう人たちと自分たちはちがう、いっしょにしないでくれ」とか、「あれが保守(右翼)だと思われると心外だ」という意見がでてきます。

だとしたら、そういう右翼的あるいは保守的な考え方の支持者のみなさん、あるいは「日本って素晴らしい国」と言いたい人々は、やはり「ヘイトスピーチ」を容認しないという態度を示さないといけませんねえ・・・ということを私、授業のなかで、この本に関連づけて話しました。

ヘイトスピーチ 「愛国者」たちの憎悪と暴力 (文春新書)


2227冊目:本川達雄『人間にとって寿命とはなにか』

2016-01-31 19:20:51 | 本と雑誌

2227冊目はこの本。

本川達雄『人間にとって寿命とはなにか』(角川新書、2016年)

自分が糖尿病をかかえていることもあって、書店でタイトルを見かけてなんとなく気になって、この本を買って読みました。なにしろ本のオビには「42歳を過ぎたら体は保証期限切れ」なんてことも書いてありましたからね。

そんなわけで、ナマコの研究者である著者のこの本を読んでみたんですが・・・。

これがけっこう奥の深い本で、とても興味深いものでした。

この本は生物にとっての「時間」とは何かという、かなり原理的・思想的な問題を生物学者として扱ったもの。

たとえば一日に数センチだけ動くナマコの「時間」と、他の生き物の「時間」(たとえば人間の「時間」)は、ずいぶんちがっているのではないかと。ナマコはそのくらいしか動かないがゆえに、他の生き物に食われないように、自分のからだのかたちを「食ってもあまりうまくない」皮の部分とそれ以外の部分とに分けられるようなかたちにした・・・・とか。

でも、哺乳類の動物は人間もネズミもゾウも、個体の大きさによって1回の心拍数にかかる時間(秒)がちがうものの、でも心臓が動物の一生のあいだに打つ心拍数自体は約15億回程度と一定の幅におさまる。とすれば、15億回を早く打ち尽くす動物の寿命は短く、逆に長く時間をかけて打つ動物の寿命は長くなる・・・・なんて話がでてきます。

たぶん「42歳過ぎたら体は保証期限切れ」なんて話も、この15億回の心拍数を人間がほぼ打ち尽くすのがその時期だからのようです。

あと、「ブログは書けても責任ある文章は書けない」など、本業の生物学の話だけでなく、著者がいまの私たちの暮らしを見ていて感じていることのなかにも、随所に示唆に富むことばがありました。

たとえば私たち教育学の研究者などが書く本などのなかでも、ブログの文章をそのまま本に転載したかのようなものって、時々「思いつきをそのまま書いて人々の負の感情をあおっているだけで、ほんとうに読むに堪えない」とか、「ほんとうにこの議論のウラとれているの?」とか、あるいは「このものの見方は一面的すぎる。他方から見たら別の見解がでてきて、そっちにはそっちで説得力があるんだけど」なんて思う代物もいくつかありますから。

人間にとって寿命とはなにか (角川新書)


2226冊目:白鳥秀行『「学び直し」が学校を変える!』

2016-01-31 18:38:44 | 本と雑誌

2226冊目はこの本。

白鳥秀行『「学び直し」が学校を変える!―教育困難校から見えた義務教育の課題―』(日本標準、2015年)

この本は千葉県市原市教委の元・教育長であり、元・千葉県立高校の校長でもあった著者が、ある「教育困難校」と呼ばれた高校の立て直しをどのようにはかったかをふりかえって、ブックレットにまとめたもの。タイトルにある「学び直し」ということばにひかれて読みました。

この本でいう「学び直し」のニーズは、小学校から中学校へ、中学校から高校へ、高校から大学・短大・専門学校等へと、学習面でのつまづきや生活習慣の乱れなど、子どもたちの課題が累積的に引き継がれていることから、実は大学においても見られるニーズだと思っています。

実際「中学校や高校の社会科・公民科の内容」からやり直したほうが、大学の1~2回生の「政治学」など教養科目の学習がすすむことを、私も大学教員として実感することが多々あります。

そのような次第で、3年がかりで著者たちが高校での学習につまづいている生徒たちの実情を検討し、カリキュラム改革で学校設定科目「マルチベーシック」を設けるとともに、複数の教職員がチームになってその科目を運営するなど、学校全体を挙げて学び直しのニーズに対応しようとしてきた実践は、大学にとっても参考になるなと思いました。

他方で、おそらく意見が分かれるのは、学校での子どもたちの「荒れ」を食い止めるために、初年度に校則違反等の対応を徹底したあたり。校門で頭髪等の校則違反があると「直してくる」ことを求めたあたりなどは、おそらく「子どもの学ぶ権利の保障」という観点から見て、違和感を覚える人が出るだろうな、と思います。実際、著者もそういう批判があるだろうことは、校長としても覚悟していたような記述がこのブックレットにはありました。

ただ、このブックレットから見えてくるのは、そういう「子どもの学ぶ権利の保障」という観点からの議論だけでは見えてこない、この高校の生徒たちを取り巻く環境の厳しさです。

「あそこにだけは子どもを通わせたくない」「あんな高校があるから地域が乱れる」とまで、地元の保護者や住民などに言われていた当時のこの高校の教職員や生徒にとっては、その悪評をどのように変えていくか・・・ということは、大きな課題だったのではないかと。また、この悪評をある程度払拭することなしには、「どうせあの高校にしか行けないのだから」と、そこに入学した生徒たちの自己肯定感も下がる一方だったのではないかと推測します。

だから、そういう当時のこの高校を取り巻く厳しい状況をふまえつつ、他方で「この子たちの学ぶ権利の保障のためには、この校則指導の方法しかないのか?」という議論を展開しないことには、きっと、この高校のような「教育困難校」や「課題集中校」の教職員に響く話を私たちは展開できないだろうな、と思います。

同様に、この高校の教職員と生徒たちにしてみると、「自分たちの努力で何か向上できるものがある」ということを体験的に学ぶ機会として、スポーツ系・文化系のさまざまな部活動や生徒会活動の取り組みがあったのではないかと。だから学校の部活をすべて否定的に語るだけの教育批判の言説の担い手には、このような学校のリアリティはわからないのだろうなあって思ったりもします。

そういういろんな意味で、とても参考になったブックレットでした。

「学び直し」が学校を変える!―教育困難校から見えた義務教育の課題 (日本標準ブックレット)


2225冊目:小林昭文『アクティブ・ラーニング入門』

2016-01-31 18:26:06 | 本と雑誌

2225冊目はこの本。

小林昭文『アクティブ・ラーニング入門 アクティブ・ラーニングが授業と生徒を変える。』(産業能率大学出版部、2015年)

文科省が今、次の学習指導要領の内容等々を検討中で、そのなかにどうやら、各教科・科目の学習のなかに、「アクティブ・ラーニング」と呼ばれる方法を積極的に活用することが盛り込まれそうです。

また、これから実施されるであろう大学等の教職課程の改革でも、教員志望者に対して、この「アクティブ・ラーニング」に対応した教育方法等の修得が求められそうです。

そんなわけで、「そもそもアクティブ・ラーニングって、なに?」と思って、読んでみました。

詳しいことはここでは書きませんが・・・・。

「わからないことを他の生徒に尋ねられる」など、授業を受けている子どもたちが思っていることを自由に表現できるように、あるいは難しい課題にも積極的にチャレンジできるように、「安全・安心の場づくり」を心がけるなど、随所に共感・納得できるところがあることも確か。

しかしその一方で、本書の書き手がそういう関心だったのかもしれませんが、「教科書的な知識を効率よく、短時間で修得できるための手法」として、この「アクティブ・ラーニング」を活用するのであれば・・・・。やはり私などは「子どもたちのその教科書的な知識に対する疑問、問いかけなどは、どこで育つの?」と思ってしまいました。

なので、「アクティブ・ラーニング」のすべてを批判・否定するかのような論調には慎重でありたいと思いましたが、他方でこの学習方法を用いる教職員や、この学習方法を導入しようとする教育政策の立案者などが、「どのような子ども観や教育観に立って、何を実現しようとしているのか?」という次元については、やはりきっちりとメスを入れたほうがいいように思いました。

アクティブラーニング入門 (アクティブラーニングが授業と生徒を変える)


2224冊目:想田和弘『観察する男』

2016-01-31 18:19:58 | 本と雑誌

2224冊目はこの本。

想田和弘『観察する男 映画を一本撮るときに、監督が考えること』(ミシマ社、2016年)

この本は著者の想田さんがうちの大学に来られて、講演会をされたときに買って、著者サインをいただいたもの。当日の講演内容も、この本の内容や「牡蠣工場」の話などとつながっていました。

この本は、今度公開される映画「牡蠣工場」の撮影、編集プロセスを中心に、「観察映画」と呼ばれる作風になぜ想田さんが至ったのかをまとめた本。

従来のテレビのドキュメンタリー番組制作への違和感等々を含めて、想田さんが率直に語っておられる内容のなかに、学校事故・事件での事実究明の調査にも相通じる内容があって、いくつか自分も共感できるところがありました。

観察する男 映画を一本撮るときに、 監督が考えること


ようやく今年最初の「繁忙期」を抜けました。

2016-01-31 18:03:24 | 私の「仲間」たちへ

おかげさまで昨日、ようやく今年最初の「繁忙期」を抜けました。

前にブログを書いたのが1月9日でしたから、そこから考えると約3週間ですね。

まあ、実質的には1月16日から昨日までの15日間が「繁忙期」だったのですが。

というのも・・・・。

1月16~17日は大学入試センター試験の関連業務で、翌日18日は文部科学省の「学校事故対応に関する調査研究」有識者会議。

1月19日はうちの大学の「卒業プロジェクト(必修)」の報告書提出日(まあ、短めの卒論のようなものです)。

20日・21日と大学で通常どおり授業をして、22日は大阪市西成区のある公立中学校で生徒指導のケース会議。

1月23日は子ども情報研究センターの研究部会、24日は「体罰をみんなで考えるネットワーク」の年次総会&冬のつどい(講演会)。

25日は大学で重要な会議、26日~28日は今学期の各科目の最後の授業。

29日は糖尿病の治療でお世話になってる病院で診察を受け、薬をもらったあと、大学に顔を出して、消防署の方から救命講習を受けました。

そして昨日30日、子ども支援学研究会が午後から弁天町でありました。

まあ、こんな感じで、今学期の期末テスト前の各授業の最終回に「卒業プロジェクト」の報告書提出が控えているような状況下に、大きな研究会・イベントが3つもはいり、しかもセンター試験と文科省への出張もあって・・・ということで、今年最初の「繁忙期」がやってきたのでした。

そんなわけで、今はちょっとくたびれております。今日、あすと休みなんで、なんとかそこで気力体力を回復しなくちゃ・・・というところです。

それと、さすがに今月は疲れていて、あまり本が読めてないですねえ。いかんなあ・・・。

 


今年から「無理しない」ことを心がけています。

2016-01-09 11:56:11 | 私の「仲間」たちへ

フェイスブックのほうには昨日、いや年末年始あたりから書き込んでいることですが、こちらのブログにはまだ書いていない事なので、あえて書いておこうかと思います。

この年末年始をゆっくりと休んでみて実感しているのですが、以前よりも相当、気力体力が落ちています。

簡単にひとことでいえば「無理がきかない心身の状態」に今、自分があることがよくわかります。

実はかなり前から「糖尿病」の治療も受けていて、ある程度よくなってきてはいたんですが、去年の秋頃からまた状態がいまいち。

去年の夏に受けた定期健康診断の結果も、徐々によくなってきていたのが再び悪化傾向です。

そんなわけで、年末年始は旅行に出かけたり家でのんびり過ごしたりと、例年なら「ここで論文執筆」とかするのを止めてみました。

それである程度状態はよくなるかなあ・・・と思ったら、「かえって、それ以前の疲れもどっとでてきた」ような感じです。

正月明けは1月5日から大学での授業再開でしたが、なんとか3日間しのいだものの、今は一日一日、日々のやるべきことをこなすので精一杯かな、というところです。

そこでじっくりと、これから自分の心身の状態を整えて「これから」に備えていくためにどうしたらいいか、いろいろ自分なりに考えてみました。その結果でてきたのが、次の3つのことです。

(1)「自分の心身に無理がかかっている」と思われる仕事や活動をできるだけお断りしたり、他にまわしたりしていく。

当面2年間のあいだに、できるだけ「自分がやらずに済む」ことは、他の人にお願いするか、お断りする。

これができれば、次々に上から無理難題が降ってきて処理が追いつかないような「レベルの高いテトリス状態」で、次々に仕事をやらなきゃ日々が回らない・・・なんてことが解消されるはず。

たとえばここへきてまた調査委員会の報告書が出るとか、九州方面を中心に「いじめ自殺」関連で大きな動きがあったので、いくつかの新聞社から取材の申し込みがあったのですが、今はお引き受けできるような心身の状態ではないので、あえてお断りしました。

また、年末年始に1本書こうと思っていた論文も、提出を延期することにしました。

そして今月いっぱいでひとつ、自分が中心になってやってきたある研究会の活動から手を引こうかと(まあ、最近はほとんど活動できていなかったのですが・・・・)。

こんな感じで、お断りできるもの・やめてもいいものは、できるだけ控えるようにしようかと。

(2)そのことによって心身の負担を軽くするとともに、できるだけ充電の時間を持つ。

(1)の状態をキープする2年間に+αの形で、今から5年間くらいは「充電」優先。

その間に、自分の心身の回復をはかるとともに、昔ほどには動けなくなった自分の今のコンディションで「何が引き受けられるのか」を考えて、「うまく、折り合いのつくポイント」を探る。

そうでもしないと、自分の心身に余裕がでてこないな・・・・って思いました。

(3)自分の「ずっとアイドリング状態」を必要最小限にとどめる。やらなくて済む時期、済むことについては、できるだけ解除していくこと。

これはもう、昨日から開始しました。

一日のなかで、あるいは一週間単位、一か月単位で、「できるだけ、自分のアイドリング状態をゆるめる」時間をキープしていく。

この「ずっと続いている自分のアイドリング状態」というのは、それこそ「何かあったときに備えて」とばかりに、常に自分の心身を無意識のうちに緊張させている状態のこと。

たとえば今も卒業プロジェクト(卒論)の報告書の提出期限10日前で、学生がどんな相談を持ち込んできても対処できるように・・・・という心の準備をしているわけですが、こういうことを「必要最小限にとどめる」ということですね。

少なくとも、一日のなかで「この時間帯」はアイドリングしておくけど、「この時間帯」はオフにしておくとか。

また、あることで心の準備をしているときに、他の準備まで重ね合わせていくとどんどん緊張度が高まるので、複数の心の準備、アイドリング状態を重ね合わせることは避けるとか。

こんな感じで、日々の自分の緊張度、アイドリング状態をまずは緩めるとともに、できるだけ「オフ」の時間をつくっていくということ。

これを意識的にやろうかな・・・・と、昨日から思い始めて、実行中です。

まあこんな感じで、「できるだけ、自分の心身に負荷をかけない状態をキープすることを、3年から5年やっていく」という形で、私は新しい年を迎えています。

いろいろと今までとはちがった動き方をすることになって、みなさんにはご迷惑・ご心配・ご負担をおかけすることかと思いますが、どうかご理解のほど、お願いいたします。


体罰をみんなで考えるネットワークの「2016年冬のつどい」のお知らせ

2016-01-03 20:38:09 | 私の「仲間」たちへ

1月24日(日)の午後、私が代表を務めている「体罰をみんなで考えるネットワーク」の「2016年冬のつどい」が、龍谷大学梅田キャンパスで開かれます。

今回のつどいは総会記念の講演会も兼ねていて、ゲスト講師に島沢優子さん(『桜宮高校バスケット部体罰事件の真実』の著者)をお招きすることになっています。

桜宮高校のあの事件からちょうど3年が過ぎたところです。事件の記憶を風化させず、体罰防止の取り組みをより一層広げていくために何が必要か。このつどいでみなさんと考えたいと思います。ご参加、よろしくお願いします。


この年末年始の旅行で食べたもの

2016-01-03 19:58:13 | グルメ

この年末年始の2泊3日の旅行で食べたものも、画像で紹介しておきます。

1日目のお昼、尾道で食べた瀬戸内の魚の南蛮漬け定食。

1日目の夜、今治の宿で食べた「水軍料理」なるもの。

2日目の朝、元旦の宿の朝食バイキングはお雑煮とおせち風の料理、そして四国だから朝からうどん。

2日目の宿の夕食はフランス料理のコース。主な料理だけ画像で紹介すると、フォアグラのソテー、牛のステーキ。そしてデザートがクレープにみかんのソースをかけたもの。

3日目は今治を出て再び尾道へ。尾道で食べたお好み焼き(もちろん広島風)。


大三島と来島海峡大橋

2016-01-03 19:52:10 | 旅行

この年末年始の2泊3日の旅行の2日目、大三島の大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)へ初詣に行きました。

そのときの神社の写真と、奥の院にある「生樹の御門」(いききのごもん)の写真です。

2泊3日の宿は今治にとっていたのですが、大三島から今治に戻る途中に高速バスを馬島で途中下車、下から来島海峡大橋を見上げました。

そのときの写真も添付します。