できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

大阪(市)の学校が抱えている諸課題を整理すると(「住友ぶた会社おとな部」第2回の意見のまとめ)

2015-06-13 14:58:06 | 受験・学校

昨夜(2015年6月12日)、なんばのある居酒屋に私を含む10人が集まり、「大阪(市)の学校、これからどうする?」をテーマにして「住友ぶた会社おとな部」第2回を開きました。

ちなみに「住友ぶた会社」というのは、うちの娘が私に「りっぱなおぶたひょうしょうじょう」をくれたときに、「住友ぶた会社」とその表彰状に書いてあったことから、それを知ったうちのゼミ生が研究室を「住友ぶた会社」と呼ぶようになったので使っています。要するに「それだけ食っていたら太るぞ」と思うくらい「飲み食いの多い研究室」という意味ですね。そして、その「飲み食いの多い研究室」を街の中に開き、市民のみなさんといっしょに子どもや学校、教育の諸課題について話し合ってみようという発想で始めたのが、この「住友ぶた会社おとな部」です。(「住友ぶた会社学生部」は通常のゼミ、研究室のコンパですね、はい)

それから、第1回目は3月末に映画「みんなの学校」を見た感想を話し合うということで開いたのですが・・・。肝心の私自身が途中、身内の不幸で退席せざるをえず、残ったみなさんで話し合いを続けていただきました。ですから、私自身にとってはこれが実質、第1回目です。

さて、集まったメンバーは大阪市内の小中学生・高校生の保護者、NPO活動を続けている方、府内の現職教員、退職教員で元・市議の方、先の5.17住民投票(大阪市解体・特別区設置の例の投票です)で反対の立場から市民運動をされていた方等々、たった10人なんですが多様なメンバーでした。

このメンバーで居酒屋のコースメニュー&2時間飲み放題で議論をした結果(実際は約3時間近く居酒屋にいて、早く出てくれといわれるくらい盛り上がった)、次のように今の大阪(市)の学校が抱えている課題が整理できました。以下の内容を今後、各地で大阪(市)の学校のあり方について議論をする際の参考にしていただければ幸いです。

また、この最大でも10名程度の人数でじっくりと、大阪市内の飲食店を活用しながら、子どもや学校、教育を含む大阪の市政の諸課題について話し合うスタイルを広げていってくだされば・・・。市内の商店街や飲食業などの活性化とともに、公共的な議論の空間が広がるという二重の効果が見込めますので、ぜひともみなさん、やってみてください。

それでは、以下、今回の話し合いの結果を整理しておきます。

(1)高校受験のシステムと、中学・高校の接続関係の問題。
 これは公立・私立の両方に影響が及んでいる。
 定員割れが続くと募集停止になる公立高校があることから、募集人員を絞り込む高校が出ているように思う。教育基本諸条例の弊害がでているのではないか?
 この間の公立高校の入試改革の影響で、遠距離の通学を余儀なくされている子どももいる。その子たちの生活面が心配。市内の繁華街を通っての通学が増えることで、生活指導上の課題もいろいろ出てくるのでは?
 私立高校の側も生徒数急増でプレハブ校舎を建てたところもあると聴く。私学への補助金も生徒数に応じて出るとなると、小規模でいい取組みしている学校ほど運営がしんどいのでは? 総じて、公立・私立ともに高校教育の条件が悪くなっているのでは?
 その一方で、中学3年生の全国学力テストの結果を入試に反映する方向で動くと、今まで中学校でやってきた進路指導や、これと連動した日々の教育活動が全部変わらざるを得なくなる。そこはどうなんだ?

(2)大阪市内の学校統廃合、小中一貫校の設置、学校選択制の問題。
 実際には西成区内にある少人数校のように、統廃合もしかたがないかな・・・という学校もあるが、しかし、跡地はどうするのか?
 大都市・大阪のなかの学校の存続すら危うい「限界集落」化した地域と、逆に学校が過密化している地域との差をどう考えればいいのか?
 学校統廃合の結果、小学校区というコミュニティの単位が変わると、地域福祉や防災などいろんな取り組みまで変わらざるを得なくなる。そこまで視野に入れての統廃合なのか?
 小中一貫校の学年の区切り(4-3-2など)はいったい、どのような意味でやっているのか? 小学校1年生と中学校3年生が同じ敷地で活動時間を共有していくのは、小規模校ならできるかもしれないが、大規模校ならしんどいのではないか?

(3)公募校長が入っている学校の抱えている課題
 公募校長の人選の問題。具体的に本当に学校をマネジメントする力量やセンスのある人が選ばれているのか?
 公募校長が入ってくる学校の側の問題。そういう校長が来るという前提で、教職員側が動ける準備ができているのか?
 本来は一部のモデル校などで準備を整えて行わなければいけない公募校長導入を、全市的に展開することに無理があるのでは?

(4)中学校給食の問題
 一方でさまざまな課題が指摘されてきたが、他方で小規模校などを中心に、改善されてきている学校もあると聴く。
 でも、何がどのように改善されているのか、よくなっている面はどこかなど、積極的に中学校給食に関する情報が発信されていない。
 「食育」という観点から見た場合、地元・大阪独自の料理や食材にこだわるなどの道もあって、外部委託する場合の業者もそういうことに長けたところを選ぶ方法もあるのでは?

(5)子どもの学校生活に関する問題、その改善のための条件整備面での課題。
 保護者として見たとき、「そこまでこだわる必要がどこにあるの?」と思うような点にこだわる生活指導が時々、学校で見られる。
 パソコンを使っての調べものなど、「家でこういうことは出来て当たり前」と教員側は思っているのかもしれないが、それが「ない」家はどうしたらいいのだろう?
 何か子どもどうしでトラブルが起きた場合に、学校としてどのように解決していきたいのかという方針が見えない学校がある。
 子どもどうしのトラブルが保護者間の問題にまで発展していって、学校だけで対応しきれないときに、第三者的に入れる人はいるのだろうか?
 学校にさまざまな課題が現れて、教員が持ちこたえられなくなって休んだ場合、そのあとに補充する教員が今は見つからない状態。
 本来はそれぞれの学校の実情に合わせて柔軟な運営形態を考えればいいはずの部活動が、全国大会のスケジュール等に合わせて動くことで窮屈になっていたりする。
 「個別指導教室」が開設されたようだが、どのような子どもが大阪市内で集められて、どのように指導されているのか? そこに落ち着いて通えるような子どもならば、もとの学校でも面倒を見ることができたのでは?
 
(6)大阪の学校を運営する基本理念の問題
 大阪の公教育は今後いったい、何を大事にしていくのか? 
 今の教育基本諸条例ではたして、ほんとうに子どもたちを大事に育てていくことはできるのか?
 もう、この諸条例にもとづく体制にはいろんな無理、弊害がでているのではないか?
 それに代わる新たな理念に何をもってくる必要があるのか?

※このほかにも「大学の授業料が高い。年子の子どもがいると出費がつらい」等々、他の話題もた~くさん出ました。また、個別具体的な保護者からのご相談もありました・・・。

<以上、整理終了>

※追記:この記事に限っては、出典がこのブログで、この記事のURLを明記する形であれば、転載をしていただくのは「可」とします。


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2121冊目:橿日康之『織姫たちの学校1966‐2006』

2015-06-10 10:29:20 | 本と雑誌

2121冊目はこの本。

橿日康之『織姫たちの学校1966-2006』(不知火書房、2012年)

大阪府内の泉州地域にかつて数校存在した「公立の隔週定時制高校」の取り組み、地元紡績・繊維産業の発展・衰退とともに綴った本。著者はこの隔週定時制高校に長年勤務した元・教員で、当時の生徒たちと教員としてのご自身とのかかわりを、主に「失敗」談とともに綴っている。ただ、著者はどうも当時の隔週定時制高校の教職員組合の動きに批判的であったようで、そのことで他の教員との関係にもいろいろ苦労された様子。そのことが本書の随所に現れている。それでもなお、このテーマを扱った類書が他にないだけに、やはり貴重。ある産業の求める人材育成に学校教育が積極的にかかわると、その産業の衰退とともにその学校教育も衰退せざるをえない・・・ということがよくわかる一冊でもある。

織姫たちの学校1966‐2006―大阪府立隔週定時制高校の40年


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2120冊目:河原和之『「本音」でつながる学級づくり集団づくりの鉄則』

2015-06-10 10:16:51 | 本と雑誌

2120冊目はこの本。

河原和之『「本音」でつながる学級づくり集団づくりの鉄則』(明治図書、2014年)

最初に苦言をひとつ。12ページのところで、林間学校中のルール違反をした生徒の話を、林間学校から戻ったあとに聴かされて、怒りがこみあげてきたあまり、その子どもに対して手を挙げてしまったことを書いている。正直に自分のした過ちを書く点は隠す事よりもいいとは思うのだが、やはり何か、その行為に対する現時点での総括というか、反省とともに書くべきだろう。

ただ全体的に見ると、大阪の中学校教育、特に人権教育の現場実践者らしいところが随所に現れていることがうかがえる一冊ではある。障害のある子どもをクラスで受け入れ、卒業するまで仲間づくりをしてきた取組みなどは、まさに今のインクルーシブ教育の取組みそのもの。また、非行傾向がある子ども、在日外国人の子どもなど、さまざまな課題のある子どもと真剣に向き合ってきたことは、本書の内容からよく伝わってくる。

中学校教員として子どもたちに対して望みたいこと、譲れない一線があること。それとともに、それを理解してもらうための多様な取り組み、筋道や、それをわかってもらいたい相手である子どもたちの状態を理解する力の重要性。こういうことは、本書からわかることだと思う。

ただ、それだけに、冒頭に書いた苦言の部分の記述。あそこはなんとかしてほしかった。若かりし頃の自分の実践上の過ちを、もっと他の怒りの伝え方はなかったかと、退職した今なら書けると思うのだが。このあたりで、私は「譲れない一線」を論じるときの著者の姿勢に少し、危うさを感じた。

「本音」でつながる学級づくり 集団づくりの鉄則


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2119冊目:宮田穣『ソーシャルメディアの罠』

2015-06-09 12:50:09 | 本と雑誌

2119冊目はこの本。

宮田穣『ソーシャルメディアの罠(フィギュール彩)』(彩流社、2015年)

出たばかりの本を、ゼミ4回生の卒論指導のために読んだ。SNSにはまりすぎないようにするためにリアルな人間関係を大事にする等々、書いている内容は至極ごもっとも。

ソーシャルメディアの罠 (フィギュール彩)


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2118冊目:秋山孝『キャラクター・コミュニケーション入門』

2015-06-09 12:45:03 | 本と雑誌

2118冊目はこの本。

秋山孝『キャラクター・コミュニケーション入門』(角川oneテーマ21、2002年)

古本で買って読んだ本。日本のキャラクター文化に関心があるゼミ3回生に読ませたいと思ったので。キャラクターが幼児のなぐりがきで描く絵と似ているという著者の主張、「なるほど」と思わされた。キャラクターと自分の専攻領域に意外な接点を見つけて、得した感じである。

キャラクター・コミュニケーション入門 (角川oneテーマ21)


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2117冊目:千葉忠夫『格差と貧困のないデンマーク』

2015-06-07 11:19:15 | 本と雑誌

2117冊目はこの本。

千葉忠夫『格差と貧困のないデンマーク』(PHP新書、2011年)

この本については「ひとまず、読みました」というだけの記録にとどめます。

格差と貧困のないデンマーク―世界一幸福な国の人づくり (PHP新書)


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2116冊目:金子勝ほか『社会はどう壊れていて、いかに取り戻すのか』

2015-06-07 10:39:42 | 本と雑誌

2116冊目はこの本。

金子勝・伊東俊彦・伊多波宗周・高橋若木・竹田茂夫『社会はどう壊れていて、いかに取り戻すのか』(同友館、2014年)

この本も、例の大阪市解体・特別区設置の住民投票の頃に読んだ本。この本を先に紹介した『市民の政治学』と併せて読むと、ますます、自分の今の問題意識がクリアになった気がする。

そのきっかけになったのは、この本の第4章「街の群集」の普遍主義のところ。ここで「街の群集」と「荒野の預言者」を対比させて論じている個所を読んだときに、最近よくツイッターやフェイスブックなどで私がよく言う「専門家や研究者がストリート(まち、街頭)に出て、さまざまな抗議活動を行うことの重要性」に気づかされた。

社会はどう壊れていて、いかに取り戻すのか


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2115冊目:篠原一『市民の政治学』

2015-06-07 10:29:22 | 本と雑誌

2115冊目はこの本。

篠原一『市民の政治学-討議デモクラシーとは何か―』(岩波新書、2004年)

もう十年近くも前に書かれた本ですが、このたびの大阪市解体・特別区設置に関する住民投票の頃にあらためて読みました。なかなか、いい本だと思います。

この本を読んで、いま、「近代社会」を支えてきた「資本主義、近代国家、産業主義、個人主義、科学主義」の5つの柱が問い直されている、という著者の重要な問題提起に「なるほど」と思いました。これは単に大阪市解体・特別区設置をめぐる諸問題だけでなく、私がずっと関わってきた学校事故・事件に関する専門家のあり方などにも共通する問題なのではないか・・・・とも思ったので。

市民の政治学―討議デモクラシーとは何か (岩波新書)


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2114冊目:佐野眞一『宮本常一の写真に読む失われた昭和』

2015-06-07 10:20:42 | 本と雑誌

2114冊目はこの本。

佐野眞一『宮本常一の写真に読む失われた昭和』(平凡社ライブラリー、2013年)

先日の『『日本残酷物語』を読む』もそうだが、最近、宮本常一という人の取り組んだことに関心がある。

この本を読んでもそうだけど、人びとの暮らしのありよう(衣食住やモノの生産等々)に目を向け、写真を撮り、話を聴き、記録に残す。そういう地道なフィールドワークの蓄積のなかで、庶民の生活とこれを成り立たせている意識のありようを浮かび上がらせる。そういう仕事って大事だなあって思うし、今は今のやり方で、似たようなことを誰かがやっておかないといけないのでは・・・・って思ったりもする。

宮本常一の写真に読む失われた昭和 (平凡社ライブラリー)


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2113冊目:石井光太『浮浪児1945-』

2015-06-07 10:13:22 | 本と雑誌

2113冊目はこの本。

石井光太『浮浪児1945- 戦争が生んだ子供たち』(新潮社、2014年)

この本も久々に「いい本だな」と思った1冊。

ノンフィクションライターの著者が敗戦直後の東京などに居た「浮浪児」と呼ばれる子どもたちの「その後」を居って、ひとりひとり訪ね歩いて書いた本。敗戦直後の日本の子どもたちの生活状況と児童福祉施設のあり方の問題など、この本は「浮浪児」たちを追いかけながら、今にもいろんな形で尾を引く「あの戦争」の問題を浮かび上がらせているように思う。

浮浪児1945‐: 戦争が生んだ子供たち


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2112冊目:林三郎『太平洋戦争陸戦概史』

2015-06-07 10:05:07 | 本と雑誌

2112冊目はこの本。

林三郎『太平洋戦争陸戦概史』(岩波新書、1951年)

古い本だけど最近復刊されたので、今なら書店で入手可能だと思う。

第二次世界大戦の敗戦直後に集められる資料を駆使して、元・参謀本部勤務で最後の陸相秘書官でもあった陸軍大佐の著者が書いた本。

旧・陸軍の軍人の立場から見ても、アジア太平洋戦域・中国大陸や旧・満州の戦域での陸軍の戦い方、さらにはその戦い方を裏づけている日本政府の外交等々の戦略には多々問題点があったと、敗戦直後から指摘されているわけで・・・。いまだにあの戦争が「よかった」などと思っている人がいるというのが、信じられないところである。

太平洋戦争陸戦概史 (岩波新書)


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2111冊目:孫崎亨『日米開戦の正体』

2015-06-07 09:58:52 | 本と雑誌

2111冊目はこの本。

孫崎亨『日米開戦の正体―なぜ真珠湾攻撃という道を歩んだのか―』(祥伝社、2015年)

若干(いや、かなりか?)のミリオタの気がある私にしてみると、すでに知っている話が多かったのではありますが・・・。しかし、元・外交官の立場で、そのご経験をふまえて、日本の近現代史、特に昭和戦前期の日本国内の政治と軍事・外交のあゆみをきちんと整理し直して、どこにターニングポイントがあったのかを明らかにしてくださっているので、けっこう「いい本だなあ」と思いました。

日米開戦の正体――なぜ真珠湾攻撃という道を歩んだのか


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2110冊目:大澤真幸『自由という牢獄』

2015-06-07 09:45:13 | 本と雑誌

2110冊目はこの本。

大澤真幸『自由という牢獄』(岩波書店、2015年)

この本は正直なところ、タイトルにひかれて買ったものの、読み進めていくなかでだんだん、読むのがつらくなってきた。

どうも自分の思考がこの本で展開されている議論についていけないというのか・・・。

最初の章は前にどこかで読んだことがあるな、と思ったら、98年にある雑誌に出た論文を掲載したものだった。ここくらいかな、自分なりにもストンと腑に落ちたのは。まあ、何もかも規制をとっぱらって自由になってしまったら、かえって自分が何をしていいのかわからないという不自由に陥ってしまうことがある、というのが、最初の章の論旨だと理解したけど。

でも、この章以外のところは、自分でも論旨を読み取るのがつらくて、正直、お手上げでした。

自由という牢獄――責任・公共性・資本主義


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2109冊目:中島岳志『下中彌三郎』

2015-06-07 09:36:59 | 本と雑誌

2109冊目はこの本。

中島岳志『下中彌三郎 アジア主義から世界連邦運動へ』(平凡社、2015年)

これもまた、久々にいい本に出会ったと思った一冊。教育学、特に日本教育史の研究だと、下中彌三郎については大正期の教員組合運動(啓明会の創設)や自由教育運動(児童の村小学校の創設)、あるいは読書の大衆化(平凡社の創設、辞典の刊行)といったことで、わりと肯定的に捉えられる人物である。でも、その下中彌三郎が昭和期にはいるとファシズムに接近し、「皇国日本による世界統一」(本書第三章)を夢見るようになる点については、教育学(日本教育史)の研究ではあまり注目してこなかったのではなかったかと。この本はそういう下中の生涯全体を近代日本思想史の立場から描きだそうとしたもので、とても面白かった。要は下中彌三郎って、その時々の社会の「時流」のなかで、何かを「変革」する新しい動きに身をゆだねる形で生きてきたのかな、常に「変革の主体である自分」で居たかったのかな・・・なんて風に、この本から読み取れたので。

下中彌三郎: アジア主義から世界連邦運動へ


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2108冊目:畑中章宏『『日本残酷物語』を読む』

2015-06-03 22:28:30 | 本と雑誌

2108冊目はこの本。

畑中章宏『『日本残酷物語』を読む』(平凡社新書、2015年)

これは久々にいい本に出会った気がする。もともとの『日本残酷物語』の平凡社ライブラリー版を持っているので、この本を読んだことをいいきっかけにして、そっちのほうも読んでみたい。あと、平凡社ライブラリー版には現代編がついていないので、そちらは古本屋で探そうかと。

『日本残酷物語』を読む (平凡社新書)


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