ちょうど今から2年前、2007年の3月末、私は娘を連れて、大阪市内の日之出青少年会館に顔を出した。まだその頃、娘は2歳をすぎたばかりで、紙おむつをしていた頃。青少年会館条例の廃止、事業の「解体」を前に、いよいよ会館を閉じるということで行われた子どもたちの「お別れ会」に出席するためだった。
あれから2年。昨日はその日之出青少年会館で、放課後いきいき活動分室の保護者たち、特にお母さんたちが中心になって企画・実施した「こどもまつり」が開催された。そこに今回は私と、友人の研究者とともに参加してきた。
私は第1部の「舞台発表」がはじまる10時きっかりには間に合わなかったものの、和太鼓演奏の頃には会場にたどり着いた。行ってみて、まずは集まっている子どもの数の多さにびっくり。体育館の前半分にはビニールシートが敷かれていたが、そこには小学生くらいの子どもたちでびっしりと埋まっていた。その後ろのイスのところも、近所の高齢者の方や子どもたちの保護者であろう方たちで、これもまた、びっしりと席が埋まっていた。そして、そのまわりを「スタッフ」というバッチをつけた地元の若者たちが取り囲んでいるような、そんな様子だった。
「舞台発表」では子どもたちの太鼓演奏やダンス、合奏、トランポリン演技のほかに、若者たちのアコースティックライブ、高齢者のフラダンスなどが行われていた。日之出地区の「世代間交流」の場が、こうした文化活動サークルなどの発表を通じて、「こどもまつり」という場で行われていたわけである。
一方、お昼前からの第2部では、例えば「食事コーナー」として、カレー、焼き鳥、たこせん、プリン、団子、焼きそば、うどん、フランクフルト、チョコフォンデュなどの店が設けられていた。また、手作りおもちゃのコーナーやバンドの生演奏、写真展などもあった。もちろん、こうした店などを準備したのは、地元のよみかき教室(識字教室)の方々や、いきいき活動の保護者会、若者たちのサークル、教育NPO、高齢者の団体、少年野球チームなどのみなさんである。そして、こうしたブースの脇に、地元の相談機関の方が「心の相談室」を設けておられた。
ちなみに、この「こどもまつり」を主催した保護者会の方によると、昨日は400人くらいの方が参加していたらしい。それが昼ごはん時にいっせいに「食事コーナー」に集まっていた様子は、なかなかすごいもので、まさに「まつり!」というくらい、活気に満ちたものであった。また、よく参加者の顔を見ていると、「あれ?この人、地元の学校の先生じゃなかったっけ?」という人もいたように思う。
私は大学での仕事の都合で、やきそばやカレーを食べたらそこを離れざるをえなかったのだが、2年前の青館事業終了の日を思い出しながら、「ほんとうに地元のみなさんが、いきいき活動の保護者たちを中心に、よくここまでたどりついたなぁ。おめでとうございます!」と、心からそういいたい気持ちになった。
この日にたどりつくまで、地区内の各団体のなかの個人間で、あるいは、団体どうしの間で、いろんな考え方のズレだとか、意見の食い違いもあったと思う。また、なかにはそうしたズレやちがいを越えていくことができずに、各団体を離れていった人もいると思う。そのなかで、いろいろと心を痛めたり、悩んだりした方もおられると思う。主催者のみなさんのご苦労というのは、並大抵のものではなかったであろう。
でも、「こどもたちのまつりを開催する」ということを軸に、地区内のいろんな団体・個人がもう一度協力関係をつくって、この何ヶ月間かの準備をすすめていく。また、その準備には参加できなかったとしても、当日、舞台発表を見たり、食事コーナーにやってくる形で参加した地元の人たちもいる。そんななかで、まさに「できる人が、できることを、できる形で」準備しはじめたこのまつりが、やがて地元の人々の「つながりをとりもどす、創り出す、深めあう」きっかけへと転じていったのではないだろうか。そんなことから考えても、「ほんとうにみなさん、よくここまでたどりつかれましたね。おめでとうございます!」と、心から祝福したい気持ちでいっぱいなのである。
と同時に、大阪市内や大阪府内の他地区でも、保護者たちの小さな努力を他の人たちの努力とつなぎあわせていくなかで、「ここまでのことができる」というところはあると思う。実際、都合がつかなくて顔は出せなかったが、尼崎市の神崎地区でも、この日はもと青館施設を使った「まつり」がひらかれたと聞く。また、今後、できれば大阪市内や府内の他地区で活動中の人々が、合同で「まつり」を開催しても面白いだろうし、そのための準備として保護者たちの「合宿」を行うことも面白いだろう。いずれにせよ、「出来る人が、できることを、できる形で」準備しはじめた次の段階は、「つながりをとりもどす、創り出す、深めあう」とりくみをすることだと思う。
ちなみに、住民の「世代間交流」の活性化から地域コミュニティの形成へということを本気で大阪市が考えているのであれば、たとえば広報活動などの面からでもいいので、まずは区役所や市役所がこういう取り組みを全面的にバックアップすべきだろうし、もと青館を含め、市の持つ公的施設の利用などの形で積極的に支援すべきものだと思うのだが、いかがなものだろうか?
また、現在計画中の「市民交流センター」も、今、地元ですすめられている「世代間交流」の取り組みをさらに活性化するような、そんな施設になるのならさておき、それをかえってじゃまするようなプランになるのなら、やはり住民側の意見を聴いて、プラン自体から練り直す必要があるだろう。ましてや、日常的な子どもや青年層の活動、保護者の活動、高齢者を含む地域住民の活動にとって、マイナスにしかならないような施設統廃合計画であるならば、やはり、地元側の意見を聴いて、プラン自体から練り直さないといけないのではないか。そのほうが、今ある公的施設の有効活用がはかられると考えるのは、私だけだろうか。
さらに、運動体の人々にもこの際、伝えておきたいのは、今回の「こどもまつり」の取り組みに、今後の各地区のコミュニティ形成活動を活性化するヒントが、いろいろ詰まっていそうだということ。高齢者たちの取り組み、子どもや若者のとりくみ、その保護者たちのとりくみ・・・・などなど、ひとつひとつのとりくみは、たとえばバンド生演奏だったり、お団子やカレーづくりだったり、フラダンスだったりして、たいしたことないかもしれない。が、それを「まつり」として同じ日に、同じ場所で、いっせいに集めてやってしまえば、けっこうな盛り上がりになる。そして、それが可能になるようなつながりを、準備の段階から地道に、こつこつとやっていけば・・・・。みんなで楽しいこと、面白いことをいっしょに経験するところから、各地区独自の「人権文化の構築」へという流れで、各地区のコミュニティ形成ができるようにも思うのである。こうした取り組みに、運動体のほうからも全面的なバックアップがあると、ほんとうにありがたいと思う。もしかしたら、今ある運動体へのさまざまなマイナスイメージを転換し、あらたな運動のスタイルをつくるのは、子どもや若者、高齢者、保護者(特にお母さんたち)かもしれないと、私などは昨日の様子から感じてしまったのである。
そして最後に、今から2年前の大阪市内の青館条例廃止の頃、一生懸命、各地区の状況を取材していたマスコミの方々にいいたい。あなたたちは今、どこを取材していますか? あれから2年、それこそ「地べたをはいずりまわるような」思いで、必死になって各地区の取り組みを立ち上げ、条例廃止によるさまざまなマイナス面を乗り越えようと努力してきた、そんな人々の姿は、なぜ取材しないのですか? そこをぜひ、聞いてみたいように思う。
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