できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

「こどもまつり」を開催したもと青館

2009-03-29 19:36:19 | いま・むかし

ちょうど今から2年前、2007年の3月末、私は娘を連れて、大阪市内の日之出青少年会館に顔を出した。まだその頃、娘は2歳をすぎたばかりで、紙おむつをしていた頃。青少年会館条例の廃止、事業の「解体」を前に、いよいよ会館を閉じるということで行われた子どもたちの「お別れ会」に出席するためだった。

あれから2年。昨日はその日之出青少年会館で、放課後いきいき活動分室の保護者たち、特にお母さんたちが中心になって企画・実施した「こどもまつり」が開催された。そこに今回は私と、友人の研究者とともに参加してきた。

私は第1部の「舞台発表」がはじまる10時きっかりには間に合わなかったものの、和太鼓演奏の頃には会場にたどり着いた。行ってみて、まずは集まっている子どもの数の多さにびっくり。体育館の前半分にはビニールシートが敷かれていたが、そこには小学生くらいの子どもたちでびっしりと埋まっていた。その後ろのイスのところも、近所の高齢者の方や子どもたちの保護者であろう方たちで、これもまた、びっしりと席が埋まっていた。そして、そのまわりを「スタッフ」というバッチをつけた地元の若者たちが取り囲んでいるような、そんな様子だった。

「舞台発表」では子どもたちの太鼓演奏やダンス、合奏、トランポリン演技のほかに、若者たちのアコースティックライブ、高齢者のフラダンスなどが行われていた。日之出地区の「世代間交流」の場が、こうした文化活動サークルなどの発表を通じて、「こどもまつり」という場で行われていたわけである。

一方、お昼前からの第2部では、例えば「食事コーナー」として、カレー、焼き鳥、たこせん、プリン、団子、焼きそば、うどん、フランクフルト、チョコフォンデュなどの店が設けられていた。また、手作りおもちゃのコーナーやバンドの生演奏、写真展などもあった。もちろん、こうした店などを準備したのは、地元のよみかき教室(識字教室)の方々や、いきいき活動の保護者会、若者たちのサークル、教育NPO、高齢者の団体、少年野球チームなどのみなさんである。そして、こうしたブースの脇に、地元の相談機関の方が「心の相談室」を設けておられた。

ちなみに、この「こどもまつり」を主催した保護者会の方によると、昨日は400人くらいの方が参加していたらしい。それが昼ごはん時にいっせいに「食事コーナー」に集まっていた様子は、なかなかすごいもので、まさに「まつり!」というくらい、活気に満ちたものであった。また、よく参加者の顔を見ていると、「あれ?この人、地元の学校の先生じゃなかったっけ?」という人もいたように思う。

私は大学での仕事の都合で、やきそばやカレーを食べたらそこを離れざるをえなかったのだが、2年前の青館事業終了の日を思い出しながら、「ほんとうに地元のみなさんが、いきいき活動の保護者たちを中心に、よくここまでたどりついたなぁ。おめでとうございます!」と、心からそういいたい気持ちになった。

この日にたどりつくまで、地区内の各団体のなかの個人間で、あるいは、団体どうしの間で、いろんな考え方のズレだとか、意見の食い違いもあったと思う。また、なかにはそうしたズレやちがいを越えていくことができずに、各団体を離れていった人もいると思う。そのなかで、いろいろと心を痛めたり、悩んだりした方もおられると思う。主催者のみなさんのご苦労というのは、並大抵のものではなかったであろう。

でも、「こどもたちのまつりを開催する」ということを軸に、地区内のいろんな団体・個人がもう一度協力関係をつくって、この何ヶ月間かの準備をすすめていく。また、その準備には参加できなかったとしても、当日、舞台発表を見たり、食事コーナーにやってくる形で参加した地元の人たちもいる。そんななかで、まさに「できる人が、できることを、できる形で」準備しはじめたこのまつりが、やがて地元の人々の「つながりをとりもどす、創り出す、深めあう」きっかけへと転じていったのではないだろうか。そんなことから考えても、「ほんとうにみなさん、よくここまでたどりつかれましたね。おめでとうございます!」と、心から祝福したい気持ちでいっぱいなのである。

と同時に、大阪市内や大阪府内の他地区でも、保護者たちの小さな努力を他の人たちの努力とつなぎあわせていくなかで、「ここまでのことができる」というところはあると思う。実際、都合がつかなくて顔は出せなかったが、尼崎市の神崎地区でも、この日はもと青館施設を使った「まつり」がひらかれたと聞く。また、今後、できれば大阪市内や府内の他地区で活動中の人々が、合同で「まつり」を開催しても面白いだろうし、そのための準備として保護者たちの「合宿」を行うことも面白いだろう。いずれにせよ、「出来る人が、できることを、できる形で」準備しはじめた次の段階は、「つながりをとりもどす、創り出す、深めあう」とりくみをすることだと思う。

ちなみに、住民の「世代間交流」の活性化から地域コミュニティの形成へということを本気で大阪市が考えているのであれば、たとえば広報活動などの面からでもいいので、まずは区役所や市役所がこういう取り組みを全面的にバックアップすべきだろうし、もと青館を含め、市の持つ公的施設の利用などの形で積極的に支援すべきものだと思うのだが、いかがなものだろうか?

また、現在計画中の「市民交流センター」も、今、地元ですすめられている「世代間交流」の取り組みをさらに活性化するような、そんな施設になるのならさておき、それをかえってじゃまするようなプランになるのなら、やはり住民側の意見を聴いて、プラン自体から練り直す必要があるだろう。ましてや、日常的な子どもや青年層の活動、保護者の活動、高齢者を含む地域住民の活動にとって、マイナスにしかならないような施設統廃合計画であるならば、やはり、地元側の意見を聴いて、プラン自体から練り直さないといけないのではないか。そのほうが、今ある公的施設の有効活用がはかられると考えるのは、私だけだろうか。

さらに、運動体の人々にもこの際、伝えておきたいのは、今回の「こどもまつり」の取り組みに、今後の各地区のコミュニティ形成活動を活性化するヒントが、いろいろ詰まっていそうだということ。高齢者たちの取り組み、子どもや若者のとりくみ、その保護者たちのとりくみ・・・・などなど、ひとつひとつのとりくみは、たとえばバンド生演奏だったり、お団子やカレーづくりだったり、フラダンスだったりして、たいしたことないかもしれない。が、それを「まつり」として同じ日に、同じ場所で、いっせいに集めてやってしまえば、けっこうな盛り上がりになる。そして、それが可能になるようなつながりを、準備の段階から地道に、こつこつとやっていけば・・・・。みんなで楽しいこと、面白いことをいっしょに経験するところから、各地区独自の「人権文化の構築」へという流れで、各地区のコミュニティ形成ができるようにも思うのである。こうした取り組みに、運動体のほうからも全面的なバックアップがあると、ほんとうにありがたいと思う。もしかしたら、今ある運動体へのさまざまなマイナスイメージを転換し、あらたな運動のスタイルをつくるのは、子どもや若者、高齢者、保護者(特にお母さんたち)かもしれないと、私などは昨日の様子から感じてしまったのである。

そして最後に、今から2年前の大阪市内の青館条例廃止の頃、一生懸命、各地区の状況を取材していたマスコミの方々にいいたい。あなたたちは今、どこを取材していますか? あれから2年、それこそ「地べたをはいずりまわるような」思いで、必死になって各地区の取り組みを立ち上げ、条例廃止によるさまざまなマイナス面を乗り越えようと努力してきた、そんな人々の姿は、なぜ取材しないのですか? そこをぜひ、聞いてみたいように思う。

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地方議会のチェック機能

2009-03-25 11:18:22 | ニュース

この数日、関西圏のマスメディア(もしかしたら全国ネットで?)は、大阪府庁のWTC移転案をめぐる橋下府知事と府議会各会派のせめぎあいや、府議会での採決結果の報道に明け暮れておりました。私としては、その裏でおそらく可決・成立したであろう国際児童文学館の府立図書館への移転・廃止や、府立青少年会館の廃止、さらには、大阪府内の青少年拠点施設への補助金廃止のことのほうが気がかりなのですが・・・・。

ただ、マスメディアを駆使してさんざん世論の支持をあおった上で、橋下府知事が出したWTC移転案であっても、府議会は府議会として、各会派それぞれの事情はあるものの、否決するべきときは否決することが示されたわけです。すでに一部のマスメディア報道でも出ているとおり、今までの改革手法がそう簡単には通用しなくなっているという意味で、これは府知事サイドにしてみればかなりのダメージかもしれません。

また、今の地方自治のシステムが、府民の選挙で選ばれる府知事=つまり首長と、同じく府民の選挙で選ばれる府議会=地方議会の、ふたつの代表制をとっている以上、「首長によって示される民意」と「地方議会によって示される民意」のせめぎあいというのは、今後も続くことになるかと思います。そして、このシステムによって、府知事の持つさまざまな権限に対する地方議会のチェック機能が担保されているといってもいいでしょう。

しかし、ここで立ち止まって考えてほしいのです。今回のWTC移転案をめぐるせめぎあいのように、今までの大阪府議会は、例えば府知事サイドから出てくる予算案に対してきちんとしたチェックをかけたり、あるいは、施設建設案に対して疑義を示したりすることが、どの程度あったのでしょうか? もしもそのチェック機能が有効に働いていたのであれば、府知事サイドが言うような「財政難」などは、そう大きなものになっていなかったのではないか、という気がするのです。

あるいは、大阪府としての子ども施策や教育施策に対して、府議会としては今まで、どういう見識を持って、府知事あるいは府教委サイドから出てくるものに対して、自らの主張を行ってきたのでしょうか? 府の行政サイドから出てくる提案に対して「ノー」といえる、そんな府議会であれば、なおさら、そう思いますよね。

そして、首長と地方議会のふたつの民意のせめぎあいによって、首長の持つ権限にチェックをかけていくというのが、今の地方自治のシステムだとすると、地方議会がいかに首長の打ち出す施策に対してチェックをかけていくのかという問題。これは都道府県だけでなく、市町村レベルの自治体でもいえることだと思います。

だから今後は、橋下府知事や府教委サイドから出されてくるさまざまな政策提案に対してだけでなく、府議会がどんな議論をして、どういう方針で臨もうとしているのか。あるいは、大阪市や大阪府内各市町村で首長が打ち出す施策に対して、地方議会側がどんな反応を示そうとしているのか。「地方議会」の側にも、私たちの注目が必要ではないか、と思います。府知事を含め、首長が出す政策提案をただ「追認」「承認」するだけの地方議会であれば、それはチェック機能が有効に機能していないという見方もできるので。

ちなみに、今回否決された府庁のWTC移転案ですが、「そもそもそんな予算があるなら、大阪府の子ども施策や教育施策にまわせよ」といいたかったです。また、今、何か用事があって府庁に行くと、分散してどこにどの部局の入っている建物があるのかわからない面がありますが、しかし、その程度なら案内表示をきちんと整備すればいいわけで、「別に今の大阪城周辺にある府庁で、何が問題なの?」と思います。さらに、「わざわざ、今の交通の便利のいいところを棄ててまで、ニュートラムくらいしか使えない南港に行くのもなぁ・・・・。府庁に出向く用事のある人のこと、ちゃんと考えているの? 災害発生時に府庁がまず孤立するんじゃないの?」という思いもありますしね。そして、もっと地方分権化の流れを推し進めて、今後いっそう、市町村レベルに都道府県レベルから行政権限を委譲するのであれば、大阪府庁はもっと規模を縮小してもいいわけですし、そうなれば、「今ある府庁を補修工事しながら使うことで、何か問題があるのか? あるいは、大阪城近辺の最近建造されたビルの借り上げではなぜだめなのか?」と言いたくなりますしね・・・・(その補修工事や建物の借り上げの幅ですら、どの程度必要なのか、かなりシビアに見積もりをすることは可能でしょう)。

だから、こういうことから考えてみても、府知事サイドから出てくる行財政改革のプランは、「いったい、何が基本的な基本原則なのかがわからない」わけです。例えば、「財政再建でムダな出費を抑える」というのであれば、「当然、それを基本原則にして府庁移転案も検討しなければいけないのでは? そこだけ聖域ですか? なぜそれは聖域なのですか?」という批判ができるはずなのです。そして、当面の財政再建策はやりつつも、その間に、「そもそも、国や府が責任を持って担うべき行政施策は何で、各市町村が担うべきものは何か」という根本的なところから、もっと徹底した議論をしたほうがいいような気がするのですが・・・・。

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つながりをとりもどす、創り出す、深めあう

2009-03-18 22:02:15 | いま・むかし

この1年近くの間、大阪市内のもと青少年会館を活用して、例えば子ども会や保護者会の活動、若者のサークル活動、あるいは識字教室の活動などに取り組む人々に、私は次のことを言い続けてきました。

「できることを、できる人が、できるかたちで」

その一方で、ここ最近のある研究プロジェクトの活動などを通じて、大阪市内の各地区のもと青少年会館の活動状況について、だいたいの様子が見えてきました。何かができる人、動ける人がいる地区については、細々とではあっても、徐々に子ども会活動などの取り組みがはじまり、それが軌道に乗りつつあるようです。

そこで、あらためて、次の段階での取り組みについて、それぞれの地区のみなさんでぜひ、考えてほしいことを、以下のとおり簡潔にまとめておきます。

「つながりをとりもどす、創り出す、深めあう」

次の段階として、大阪市内の各地区でもと青少年会館を活用して活動中の人たちに望むのは、このことです。

たとえば、条例廃止・事業「解体」によってあちこちに散らばった元青少年会館職員に声をかけ、子ども会や保護者会の活動が立ち上がっていることを知ってもらい、参加できるところから一ボランティアとして協力していただく。あるいは、いままでいろんなもめごとがあったり、いざこざがあったりして、疎遠になっている人たちどうしの関係を、もう一度、いっしょに活動できそうなことからつくりなおす。これがまさに、「とりもどす」の営み。

あるいは、今まであんまりもと青少年会館とかかわりのなかった地元の人たちに声をかけ、子どもたちの活動に協力を求めるとか。同じようにもと青少年会館を使って活動をしていながら、相互にかかわりのなかった団体・サークルどうしのつながりをつくるとか。さらに、各地区内のサークルや諸団体どうしが協力しあう関係をつくるとか、場合によれば、地区を超えた仲間関係をつくるとか。これがまさに、「創り出す」の営み。

そして、日々、もと青少年会館を活用して子ども会や保護者会、識字教室などの取り組みを続けているメンバーどうしが、いろんな突っ込んだ話ができるようになる。あるいは、ある館で活動している保護者と、別の館で活動している保護者とが交流しあって、「自分らでもがんばったら、こんなことができるんや」ということを確認しあう。これがまさに、「深め合う」の営み。

ひとまず「できることを、できる人が、できるかたちで」何かはじめた各地区の各団体・サークルでは、次のステップとして「つながりをとりもどす、創り出す、深め合う」という、この3つの営みを積み上げていくことを目指してほしいな、と思います。

大阪市内の青少年会館についていうと、2007年3月に条例廃止・事業「解体」を迎えた初期段階では、地元での子ども・若者の育成活動や識字教室などを含む文化・学習活動を、だれかが、何らかの形ではじめること。それ自体が重要な課題でありました。だからこそ、手探りの状態のなかで「できることを、できる人が、できるかたちで」はじめてみることに、重要な意義がありました。

でも、あれから2年。すでにその段階をクリアした地区や団体・サークルもできつつある状況では、今度は「今ある活動をベースにして、地元から積極的に教育・子育ての新しい運動をどのように創出していくのか?」ということが、大きな課題になってきているように思います。また、「条例廃止・事業「解体」後に立ち上がった諸活動を、単に維持・継続させている段階から、もっとよりよいものに発展させていくために、何が今、必要か?」ということを考えていく必要のある団体・サークルもでてきているように思います。

だとすれば、やはり各地区において、今までとは異なる新たな層に活動への参加・協力を呼びかけていくことも必要になってくるでしょう。あるいは、今までのいきさつのなかで疎遠になってしまっている人々にもう一度声をかけ、その人たちを呼び戻していくことも必要かもしれません。あるいは、すでに各地区で立ち上がっている諸活動どうしをつなげて、地区内で、地区外で、相互に支えあうネットワークを構築することも必要かもしれません。

そうやって、今までにはなかった新しいつながり方を創り出すことが、まさに、各地区における教育・子育ての運動のバージョンアップであり、運動の再生ということにつながることは、いうまでもありません。だからこそ「つながりをとりもどす、創り出す、深め合う」ということを、いま、あらためて強調したいわけです。

考えてみれば、まだ大阪市内に青少年会館のない頃、解放子ども会の活動や保育・教育を守る会などの保護者組織の活動、そして識字教室その他の学習・文化活動の営みは、誰かが中心となってはじまったことを、誰かがあとをつないで、新たな人々を呼び込んで、そのなかでつながりをふかめて・・・・ということをくりかえして、だんだん、広がっていったのではないでしょうか。その頃のとりくみに学びなおして、今の情勢のなかでできることを積み上げていけば、きっと、私のような発想につながるように思います。

そして、できることなら、その新しいつながり方を創り出す営みの中核部分には、<「ここで生まれ、育ち、暮らし続けて、ほんとうによかったな~」ということを、子どもや若者を含む地元住民が実感できるようになること>を、目標として置いてほしい。また、そのことを実感できるようになるために、子どもや若者の参加・参画はもちろん、子育て中の保護者や高齢者、障害のある人たちや外国籍の人たちなどなど、多様な人々が参加・参画できるような、そんな活動の枠組みを考えてほしい。そのことを、私としては強く願います。

結局、「人権のまちづくり」をすすめる営みというのは、私としては、実際にそれぞれの地区に暮らす人々の生活を地道に見つめて、まずは、その人たちがよりよい暮らし方ができるようになるために必要なつながりを創り出すことだと思います。

また、私にそのことを気づかせてくれたのは、先日、ある研究プロジェクトの会合のあと、あるウドン屋でカレーうどんや焼きそばをいっしょに食べた保護者会の方、子育て中の保護者への支援活動に取り組まれている方、識字教室のボランティアの方(いずれも女性)たちの話です。「ああ、こうやって、地元で地道に活動をしている女性たちどうしのつながりを創りだして、この人たちが『面白いから、もっとやってみたい』と思うような、そんな取り組みをしていけば、各地区で教育や子育て、学習・文化活動を核にしながら、新しい運動ができるんじゃないか?」と思ったのです。

そんなわけで、またいっしょに、みなさん、ウドンを食べましょう(笑) そういえば、ある地区では、元青少年会館職員の方がウドン屋をはじめて、そこに地元の保護者サークルの方が出入りしていると聞きましたしね。もしかしたら、銭湯やウドン屋が、新しい地域社会での取り組みの核になるかもしれませんね・・・・、それもまた、面白いかも?

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まだまだ議論の弱い部分

2009-03-17 10:14:21 | 国際・政治

 またまた、久しぶりの更新になります。ですが、ここ最近、個人的に感じていることをいくつか、要点だけまとめて書くような中身になります。

(1)おととい、私の前の職場・兵庫県川西市で、子どもの人権オンブズパーソン制度発足10周年記念のイベントがありました。ご存知の方も多いと思いますが、兵庫県川西市の子どもの人権オンブズパーソンというのは、日本初の地方自治体条例にもとづく公的な子どもの人権救済・擁護機関です。

 それで、詳しい話はここでははぶきますが、率直に思ったことがひとつ。それは、「もしも大阪市や大阪府内の各自治体、あるいは大阪府に、こうした公的な子どもの人権救済・擁護機関が設置されていたら、例えばその機関は、各自治体で青少年会館や青少年センター、児童館などが廃止され、子どもの居場所が失われるという事態が生じたとき、どんな見解を表明したのだろうか?」ということ。あるいは、「子どもの側から、大阪府内の各自治体での青少年センターや児童館の廃止等に際して、『私らの居場所をなくさないで』という理由で、こうした公的な子どもの人権救済・擁護機関への申し立てが行われた場合、こうした機関はどういう見解を表明したのだろうか?」ということ。このことです。

 子どもの権利条約(児童の権利に関する条約)31条の「休息・余暇、遊び、文化的・芸術的生活への参加」の権利保障の視点から考えてみても、もしも公的な子どもの人権救済・擁護機関が大阪市や大阪府内の各自治体、あるいは大阪府にあったとしたら、府内・市内の青少年会館・児童館等の廃止に際して、きっと、何か意見表明を行っていたような気がするのですが・・・・。こういう子どもの人権保障という面からの青少年施策に関する議論だとか、あるいは、市民レベル・自治体行政レベルでの取り組みは、大阪府内ではまだまだ、立ち遅れているような気がします。

(2)(1)の話とも関係しますが、いくつかの自治体では、青少年拠点施設を公設民営方式で運営したり、NPOと行政の連携で運営する方法がとられています。こうした取り組みのなかには、子どもの人権論の関係者が最近、注目して検討してきたものも含まれます。また、大阪市内の「ほっとスペース事業」の運営も、行政とNPOの連携による「課題のある青少年の居場所づくり」の取り組みとして、全国的に見ても注目すべき取り組みであることはまちがいありません。

 今、大阪府内の各自治体で、財政難や府からの補助金削減、廃止等の状況を前に、青少年会館や青少年センター、児童館などの運営方法の見直しなどが検討されていると思います。そのときに、先日ここで書いた茨木市の話のように、いきなり「設置条例廃止、事業も廃止」という提案をするのではなく、もう少し、こうした公設民営方式やNPOと行政との連携の試みに注目する必要があるのではないでしょうか。

 たとえ行政当局が青少年会館等の事業廃止、条例廃止などを行っても、そこに建物が残ります。子どもを含め、そこに暮らす人々の生活が残ります。その人たちの暮らしが、行政施策の廃止や制度の見直しなどによって何らかの形で支障を来たしたとしても、その代替措置がとられたり、あるいは、そこから何か新たなものが立ち上がるような、そんな工夫を行政当局側はするべきではないのでしょうか。こういう他地域で行われている新たな取り組みに関する検討も、今の大阪府内ではまだまだ、弱いような気がします。

(3)さらに、地方自治体の子ども(青少年)施策というときに、学校教育が主要な領域であることは認めるとしても、例えば他にも、乳幼児期の保育だとか、乳幼児期から学童期以後にいたるまでの子育て支援、虐待防止の取り組み、ひとり親家庭への支援など、今まで児童福祉の領域で行われてきた子ども家庭支援の施策も重要です。また、子どもの放課後や夏休みなど長期休暇中の諸活動のように、「休息・余暇、遊び、芸術的・文化的生活への参加」の権利保障という意味で、子どもの社会教育・生涯学習施策や文化施策に関わる部分の取り組みも重要です。そして、非行防止や課題のある子どもへの支援施策、将来の進路形成にかかわる施策も重要ですし、今まで述べてきた諸施策がすべて子どもの生活にかかわる以上、それへの子どもの意見表明や参加・参画の視点からの検討も重要です。

 いわば、地方自治体の子ども施策というときには、こうした施策を「子どもの人権保障」という観点から、トータルにコーディネートしていく視点が重要だと私は考えるわけです。しかしながら、今、大阪市や大阪府内の各自治体、大阪府の行政施策を検討するにあたって、こうした視点はどれだけ貫かれているのでしょうか。あるいは、市民レベルの取り組みにおいても、各行政当局の取り組みについて検討する際、「子どもの人権保障」という観点はどれだけ貫かれているのでしょうか。

 どうも、あくまでもこれは私の目から見ての話でしかないのですが、一部でがんばってる人たちがどちらにもいるものの、総体的に見れば、「市民レベル、行政レベル、どっちもまだまだ弱い」ような気がしてならないのですが・・・・。だからこそ、財政難を理由に青少年拠点施設などを廃止したり、あるいは、さまざまな子どもや子育て中の家庭への支援施策が打ち切られたりしても、なかなか、「それはおかしいのでは?」という声があがってこないのかな、という気がしています。

 この「まだまだ弱い」部分をどう強化し、何かあるときに「それはおかしいのでは?」という声が出せるところにまで高めていくのか。それが、今後の大阪府内及び大阪市内での「人権教育」の課題のように思います。そして、それを学校内・学校外、両方で行っていく必要があると思うのですが・・・・。その自覚ももしも「弱い」としたら、大阪府内及び大阪市内の「人権教育」の営み自体が、今の情勢を前にして、根本的に見直されてしかるべきだと思います。

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あわせて、言っておかねばならないこと(茨木市青少年センター関連)

2009-03-05 12:55:41 | ニュース

大阪府内・茨木市の青少年センター3ヶ所の廃止問題に関して、昨日・今日と、朝日新聞のネット配信ニュースは、次のような記事を流しています。

http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200903030056.html?ref=recc (茨木市の青少年センター廃止案に、大阪府「待った」、2009年3月3日)

http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200903040043.html (大阪・茨木の青少年センター廃止条例案、市が記述削除、2009年3月4日)

この2件の記事では、大阪府の補助金で建設した青少年センターを廃止するにあたって、府知事の承認を得なければいけないところ、茨木市からはそういう手続きをとってこなかったという点を強調しています。また、大阪府の青少年センター事業への補助金が削減されたことを理由に、茨木市が青少年センター3ヶ所を廃止すると主張していたことと、そのことに対して、大阪府側は別の補助金を使って運営すればいいと考えていること。このことも、記事からはわかります。そして、当面3月議会を「しのぐ」ために条例廃止という提案は避けたものの、茨木市側はその方針を崩さず、あらためて大阪府側と協議をするつもりでいることも、この2つの記事からはわかります。

さて、この記事に書いてあることは、行政内部の手続き上の問題という面から見れば「まさしく、そのとおり」で、まずはこのことをマスコミが指摘したこと自体、私としては評価したいと思っています。

ただその上で、実際に青少年センターが茨木市の子ども施策においてはたしている機能や、地元の人々の声などをふまえて、次のことも指摘しておきます。マスコミはまだ、そこまでは取材していないようだし、そこには関心がなさそうなので。

(1)まず、この3つの青少年センターは、全市的な子育て支援事業や青少年の体験活動支援事業などの拠点として、「次世代育成支援行動計画」などの茨木市の行政計画のなかに位置づいています。3つの青少年センターで展開中の諸事業は全市的な子ども施策=「一般施策」であり、「子育て支援の充実」等を主張する茨木市議会の各政党は、その観点から、行政のくりだす3センター廃止提案などを検討しなければいけません。逆に、そういう観点からこの青少年センターの存続問題について議論をしないとすれば、市議会各会派は過去の議論の経過をふまえていないことになるでしょうし、子ども施策について「何もわかっていない」ということになるでしょう。

(2)3つの青少年センターが「全市的な子ども施策」=「一般施策」に位置づいているということであれば、当然ながら、これがなくなることの不利益は、市民全体におよぶことになります。そのときに生じる急な生活条件の変化などに対して、茨木市としてはどのような緩和措置を講じるつもりがあるのでしょうか? 例えば学童保育的な事業をセンターで実施していたとして、その利用者たちはセンターがなくなれば行き場を失います。その代替的措置は考えているのでしょうか? あるいは、子育て相談や親の会活動などをしている人たちは、これからどこへ相談に行き、どこで集えばいいのでしょうか? さらに、夜にそこに集まって音楽活動をしたり、学校の補習などを受けている若者たちは、どこへ行けばいいのでしょうか? こうした人たちのニーズに対する代替措置を検討しないまま、廃止を強行するというのは、私としては納得いきません。

(3)さらに、3つの青少年センターが「全市的な子ども施策」=「一般施策」に位置づいているということは、これをなくせば当然、全市的な施策をなんらかの形で修正しなければいけないことになります。その検討を行う会議を開いたり、そこで議論を尽くしたりする努力は、どうなっているのでしょうか? あるいは、今のところ青少年センターが社会教育施設に位置づいているのであれば、これは市議会で条例廃止等について審議する前に、市の教育委員会において、自らの設置する社会教育施設についてどうするかについて、議論をしなければいけません。これは現行法上、必要な手続きかと考えます。

(4)次に、3つの青少年センターの事業は、大阪府の補助金をもらって建設し、これまで運営されてきたかもしれませんが、青少年センター事業そのものは茨木市の事業として、茨木市の条例にそっているものです。だとすれば、府の補助金がたとえ打ち切られたとしても、そこで展開されている事業が市民にとって必要なものであれば、茨木市として独自の財源を確保するか、新たな補助金を受けるなどして、事業の存続をはからなければなりません。もちろん、従来の事業予算をそのままつける必要はなく、財政難のなかですから、一定の減額や事業の縮小は認めなければいけないでしょう。しかし、大阪府の補助金が切れたら茨木市は事業をしないというのは、市としての子ども施策に対する責任放棄だと言われかねません。

(5)そして茨木市は、3つの青少年センターの事業がなくなることによって、さまざまな不利益を被るであろう現在の利用者に対して、きちんとした事業縮小や施設廃止等の理由を説明する機会を設けたのでしょうか? あの大阪市ですら、2007年3月末の青少年会館条例廃止・事業「解体」にあたっては、一応、地元利用者に対する説明会を一通り開催しました(もちろん、そこでの説明の中身や会のあり方自体は、さまざまな問題を残していますが)。3月議会で提案する予定だったのに、現在の利用者に対して茨木市がいまだに説明会をおこなっていないとすれば、それ自体、大きな問題だと考えます。

(6)また、廃止を前提とした説明会開催以前に、現在の利用者、特に青少年センターを利用中の子どもやその保護者たちから、青少年センターの存続についての意見聴取の機会を、茨木市としては設ける必要があるのではないでしょうか。特に茨木市が子どもの権利条約に掲げた諸理念を尊重する自治体であることを表明するのであれば、子どもの権利条約にいう「意見表明権」の趣旨から考えても、今後、青少年センターをどう利用したいのかについて、子どもの意見を聴取する必要があるのではないでしょうか。また、その際に、そこを利用する子どもたちにもわかるように、今のセンター運営の抱えている諸課題(経費負担を含む)について、きちんとした情報提供を行う必要があるのではないでしょうか。

こうした点についての言及や指摘が、今のところ、まだ朝日新聞の記事には欠けています。だから、あえてこの場で指摘しておきます。

また、今後、私も地元の人たちからいろんな話を聞く機会をもっていこうと思いますが、3つの青少年センターの存続について、楽観は禁物。市側は「この際、なくしてしまおう」という構えを崩しているわけではありません。

いつもいうように、茨木市の3つの青少年センター存続を求める人たちは、「できる人が、できることを、できるところから」はじめていくことをおすすめします。それには例えば、市役所に投書するとか、市議会議員に自分たちの意見を届けることも含まれるでしょうし、存続を求める人たちどうしの意見交換、交流会などを開くことも入るでしょう。あるいは、子どもたちとともに、青少年センターの諸事業に積極的に参加するというのも、立派な取り組みかと思います。みなさん、がんばってください。

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