できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

体罰をみんなで考えるネットワーク2016夏のつどい終了のご報告

2016-07-31 22:40:29 | 受験・学校

おかげさまで、今日の「体罰をみんなで考えるネットワーク2016夏のつどい」は、40人近い方のご参加により、無事に終了することができました。この場をお借りして、ひとことお礼申し上げます。

また、内容的にも今回は第一部・第二部と二部構成で、とても充実したものになりました。報告を準備していただいた田村公江さん(龍谷大学)、中村哲也さん(高知大学)のおふたりに、あらためまして感謝いたします。

さて、第一部・第二部それぞれの概要と、私からのコメントを書いておきます。

<第一部>
第一部では、田村さんに翻訳していただいた「若いアスリートのための権利の章典」を使って、子どものスポーツに関する諸権利について学びました。アメリカの「健康、体育、レクリエーション、ダンスのためのアメリカ連盟」が1979年につくった章典で、いくつかのアメリカのスポーツ団体がホームページ上などで紹介しているものです。その内容は、たとえば次のとおりです。

・スポーツに参加する権利
・子ども各自の成熟度と能力に見合ったレベルでスポーツに参加する権利
・資格を持つ成人の指導者を持つ権利
・成人としてではなく子どもとしてプレイする権利
・自分のスポーツ参加における統率や意思決定に与る(あずかる)権利
・安全で健康的な環境においてスポーツに参加する権利
・スポーツ参加のための適切な準備をする権利
・成功を求めて努力するための等しい機会を持つ権利
・尊厳をもって扱われる権利
・スポーツを楽しむ権利

こうした子どもたちのスポーツに関する諸権利、日本の学校スポーツ及び学校外の地域でのスポーツの両方において、どのような形で実現しているのでしょうか?
今後、私たちのネットワークの「つどい」で、実際に子どもたちの学校内外のスポーツ活動のありようについて、この権利の章典に即して検討してみたいな、と思いました。
なお、私たちのネットワークでは、今年12月に開催予定の「子どもの権利条約フォーラム関西」でも分科会の場をひとつお借りして、この権利の章典について何らかの形で触れる場を設けたいと考えています。そのこともお知らせしておきます。

<第二部>
続いて第二部では「スポーツと体罰の関係史~高校・大学野球を中心に~」と題して、中村さんから日本の近代スポーツのあゆみ、特に学生野球の歴史と「体罰」の関係について、かなり具体的な例もふまえつつご報告をいただきました。
特に、学生野球が日本社会に普及しはじめた当初は「平等な関係」「先輩・後輩関係が緩い」などの特徴があったようですが、それが1920年代以後、全国大会の開催など競技に求められるレベルが上がるにつれて、対外試合に勝利する体制としてのピラミッド型の組織が学生野球のなかに入るようになったとのこと。そのなかで、監督から選手へ、上級生から下級生への体罰が見られるようになったとのことでした。
一方、敗戦後は野球以外の他のスポーツでも競技人口の拡大や競技レベルの上昇が見られるようになり、それにつれて体罰を使ってでも勝利を追及する動きが現れたとのこと。また、野球界でも増える一方の競技人口のなかで、「勝つこと」や「部員数を減らすために自発的にやめさせる」ことなどのために、「しごき」や「体罰」を頼る傾向が見られるようになったとのことでした。
そして近年はスポーツ推薦入試の制度化、生活指導の場と化する部活、そして指導者の体罰への対応の緩さなどの傾向から、引き続き根強く「体罰」が行使され続けているとのことでした。
以上の概要からもわかるとおり、中村さんのご報告は「体罰」を必要とするスポーツ界、特に学校スポーツを運営する側の事情を掘り下げる点に特徴があります。具体的には「勝つこと」や「部員を減らすこと」などの学校スポーツを運営する側の都合で、「効率」的な意味づけが「体罰」につきまとっているのではないかと考え、歴史的にふりかえって考察をされたというわけですね。
このような刺激的なご報告だったので、質疑応答・討論の約1時間も活発な議論が行われました。
その質疑応答・討論をふまえる形で、中村さんはおわりに、スポーツがあらためて「自由と平等を基盤に」成立するものであってほしいし、そのために「体罰」を含むさまざまな問題点を指摘して、その改善を考えていく必要があるとまとめられました。
はからずも、その中村さんの第二部のまとめが、ちょうど田村さんの第一部で取り上げた権利の章典の内容と重なっていたことが、私としてはとても印象的でした。やはり今、子どものスポーツと「体罰」の関係について問われているのは、「子どもたちのスポーツ文化が何を基盤に成立するべきなのか?」ということではないかと思います。そこに「人権」を置くのか、それとも「勝つための効率のよさ」や「(企業で役に立つ)人材養成」を置くのか。こうした理念的なことが今、問われているのではないか。このように司会をしながら、私は考えました。
以上、今日の「体罰をみんなで考えるネットワーク夏のつどい2016」のご報告でした。


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2311冊目~2323冊目:今月読んだ本をまとめて紹介

2016-07-30 19:22:44 | 本と雑誌

最近読んだ本をまたまたまとめて、タイトルだけ紹介しておきます。

2311冊目からになります。

2311冊目:萱野稔人『暴力と富と資本主義 なぜ国家はグローバル化が進んでも消滅しないのか』角川書店、2016年

2312冊目:B.R.ルイス(大山晶訳)『ヒトラー・ユーゲント 第三帝国の若き戦士たち』原書房、2001年

2313冊目:内田樹・平川克美・奈須りえ『やっぱりあきらめられない民主主義』水声社、2016年

2314冊目:木村泰子『「みんなの学校」流自ら学ぶ子の育て方』小学館、2016年

2315冊目:北田暁大・白井聡・五野井郁夫『リベラル再起動のために』毎日新聞出版、2016年

2316冊目:共同通信「戦争証言」取材班編『語り遺す戦場のリアル』岩波ブックレット、2016年

2317冊目:小川さやか『「その日暮らし」の人類学 もう一つの資本主義経済』光文社新書、2016年

2318冊目:水無田気流『シングルマザーの貧困』光文社新書、2014年

2319冊目:倉地克直『江戸の災害史 徳川日本の経験に学ぶ』中公新書、2016年

2320冊目:鈴木大介『最貧困女子』幻冬舎新書、2014年

2321冊目:平川克美『一回半ひねりの働き方 反戦略的ビジネスのすすめ』角川新書、2016年

2322冊目:福田正博『専門医が教える糖尿病ウォーキング!』扶桑社新書、2009年

2323冊目:伊藤祐靖『国のために死ねるか 自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動』文春新書、2016年

 


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2年前の夏に起きた京都市認可保育園でのプール死亡事故のこと

2016-07-18 05:55:29 | 学問

こちらに画像で貼り付けておきます。

2年前の夏(2014年7月)に、京都市内の認可保育園のプールで死亡事故が起きました。

それから約2年たつわけですが、ご遺族や支援者のみなさんが「調査委員会」を立ち上げて事故の検証を行うよう京都市側に求めてきたのですが、それがまだ実現していないようです。

同じ京都市では、公立小学校で起きたプール死亡事故に際して、京都市教育委員会がご遺族や支援者と話し合い、専門家を集めて調査委員会を立ち上げ、事故の検証をおこなっています(ただし、その立ち上げまでの経過はよかったとしても、その後の調査委員会の動き方にいろんな課題があったわけですが)。

今回は同じ京都市であっても保育事故なので、担当部署がちがうとともに、公立ではなくて認可保育園の事故ということもあって、「二の足」を踏んでいるのでしょうか。

しかし、保育所(園)や幼稚園の事故についても積極的に第三者による調査・検証を行う方向で、このところ内閣府・厚生労働省・文部科学省などが検討を積み重ね、昨年末にはそのためのガイドラインもできていたはずです。

なぜ今、京都市がその検証作業にふみこむのを躊躇しているのか、何がネックになっているのか。

そこをご遺族や支援者のみなさん、さらには市民のみなさんに説明する必要があるのではないですかね。

ちなみに私が見る限り、この事故には次の3つのレベル(領域?)で、ご遺族・支援者と行政・司法、そして当該の保育園との間での「対話」の問題があると考えています。

1つめは、当該の保育園とご遺族・支援者との間。「なぜ、このような悲しい事故が起きたのか?」「そのとき、保育園としては何を考えていたのか?」「今後、事故が起きないように保育園としては何をするのか?」等々。ご遺族や支援者にしてみると、当該の保育園関係者に尋ねたいことは山ほどあるでしょう。

2つめは、当該保育園がなかなかご遺族・支援者との対話に応じない状況に対して、京都市の保育行政としてはいったい、どのように考えているのか、ということ。それが「調査委員会を設置してほしい」という要望になり、保育行政とご遺族・支援者の「対話」の問題として浮上しているのでしょう。

3つめは、この当該保育園の民事・刑事上の法的責任をめぐる司法のあり方の問題。この事故について、京都地検が「嫌疑不十分」という理由で不起訴にしたため、ご遺族や支援者は検察審査会に申立て中であること。そのことが画像の右側部分の説明から読み取れます。ご遺族・支援者にしてみると、刑事訴訟という場で当該の保育園関係者に尋ねたいことが山ほどあったはずですが、その場すら検察当局が与えなかった。ご遺族や支援者の側にしてみると、「なぜなの?」という思いで、今度は司法関係者に対話を求めたい気持ちが沸き起こってきているのではないかと思います。

もちろん、おおもとの問題は、「1つめ」の対話の問題です。当該保育園がご遺族・支援者の「なぜ?」になかなか答えようとしないというところから、他2つの対話の問題が発生しています。ですが、このように3つの対話の問題にまで広がると、ご遺族・支援者にしてみると、「行政・司法はいったい、誰の味方なの?」という疑問すら浮かんできて、不信感が募り、問題がだんだんこじれてくるのではないかと思います。

したがって、この3つのレベル(領域?)での「対話」の問題をていねいに解きほぐしていくような、そういう関係調整がこのケースで行われなければ、保育事故の事後対応としてはご遺族・支援者と行政、司法、そして当該保育園との間に、深刻な対立、緊張関係が残り続けていくことになるでしょう。

でも、その関係調整はいったい、誰がどのような手順で、どのように進めていくのでしょうか?

ここに、保育事故や学校事故で「コーディネーター」が求められる構造的な諸問題があると同時に、その「コーディネーター」になる人の直面する困難等々、さまざまな問題が現れていますね。

あえていいますが、そのさまざまな困難にチャレンジして、積極的に打開しようと全力で試みる人。

こういう人が、いま「コーディネーター」に求められるのではないか・・・と思います。



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9月11日、学校に行かない子と親の会(大阪)設立25周年記念集会があります。

2016-07-13 00:12:29 | 受験・学校

だいぶん先、9月のイベントの告知ですが。

学校に行かない子と親の会(大阪)設立25周年記念集会(パネル・ディスカッション)が9月11日(日)13時半~17時、大阪市東成区のYMCAアジア青少年センター1階ホールで開かれます。

この日は山田潤さんの司会で、福村幸子さん、私が話をします。

会の趣旨、事前の参加申込方法などはこの画像で確認してください。

それにしても・・・。

「もう私も47歳になったオッサンやで。今さら三十数年前の中学生の頃の不登校の話してもしょうがないんとちがうかな~」みたいな話を山田潤さんにはしたのですが。

「いやいや、そういう人から、今の不登校をめぐる社会状況がどう見えるのか、という話をしてほしいんや」ということでしたので、「まあ、今回限り」みたいな形で引き受けることにしました。

なにしろ、たしかあれは自分が20代後半、90年代後半くらいのこと。

ちょうど淡路プラッツを離れて桜塚高校定時制の非常勤講師をはじめた頃に、自分の不登校体験談を語るのは「一回、やめよう。封印」と決めたものですから。

というのも、90年代以前、フリースクールだの適応指導教室だの、学校外の居場所だの、そういうものがまだ社会的に認知される「前」の自分の不登校経験と、その認知が始まった「後」の経験者とでは、いろいろと議論すべきことの枠組みも違ってきてしかるべきだろう・・・って思ったりもしたので。

だから「あえて、自分の体験を語ることは封印。いったんストップ」って決めて、もうかれこれ長い間、20年近く、な~んにも公式的な場ではしゃべってないんですよねえ・・・。

ついでにいうと、「もう三十数年前のことなんて、だいぶん忘れてるわ」ということでもありますし。

まあ、そんなことで、どうなることやらようわからんイベントになりそうですけど、もしよかったらご参加ください。


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参院選の選挙速報を見ながら思ったこと(3)

2016-07-11 00:30:30 | 国際・政治

参院選で改憲発議に必要な3分の2以上の議席数を改憲勢力で獲得するが、与党の閣僚経験者等々有力な候補者も落選するなど、手痛い打撃も相当くらって、そう簡単には改憲勢力側が動けない雰囲気ができる。

これまでつぶやいてませんが、実は私、そういう可能性はありうるなあって思ってました。

政治において選挙結果、国会・地方議会の各政党の議席数、これは重要なもの。いずれも今後の政治の流れを左右する基盤をつくります。

ですが、それだけで政治の全てが決まるわけではありません。

市民の政治に対する批判的な意識とこれに基づく日々の行政・議員への働きかけ。これも大事な政治活動です。

だからこそ、特に関西圏で改憲勢力がこのたびの参院選で圧勝した今から、日々「おかしいものはおかしい」と言える市民層を着々とつくっていき、まずは地方政界でも力をつけて、今回の参院選で当選した議員その他の改憲勢力系の議員、首長を徹底的に批判していかねば・・・と思うわけですね。

残念ながら、関西圏での私たちは今まで、そういう取り組みを十分にしてくることができなかった。

そこは徹底的に自分たちのダメさ加減と向き合って、やり直しをしなければいけないと思います。

まだまだ、ひとりの参院議員を送り出すことすらできないくらい、私たち力不足だという点は認識しないと。

そんなわけで、からだのあちこちにガタは来てますが、休んでばかりもいられません。

これからもう一度、自分たちの力を取り戻すために、地道にこつこつ、自分たちの弱さ、ダメさ加減と向き合って、克服していかなければ・・・と思います。

そのためにも、まずは今夜ぐっすり寝て、気力体力を回復させます。

 

それにしても、こんな風にも思うのですが・・・。

寝る前の最後の本音、ぼやき。

私、半分はミリオタ、戦史オタク(もう半分はプリキュアですが)なんで思うんですけど・・・。

どんな戦争にも相手方に重要な会戦(陸戦)・海戦で敗退することあるし、それで戦局の主導権を相手方に握られることってあると思うんですが・・・。

でも、その「負けいくさ」から「しんがり」を残して時間を稼ぎつつ、まずは主力部隊を撤退させ、戦力を蓄え、再び反撃に転じるという、そういう局面だってあるもの。

また、当面「負けいくさ」が続くと割り切ったら、「長期持久戦」をしのぐシフトを組んで、徹底的に防衛戦を戦い抜くという局面だってあり得るわけですよね。

でも、去年から今年にかけての大阪や兵庫というのか、関西圏を見る限り、私たちの側でこの「しんがり」を務めたり、「反撃」の準備のためのしんどい作業をやろうという人が、あまりにも少なすぎる。

「それって、なんなの?」です。

ここに、実は私たちの側の弱さ、だらしなさがあるのかな。

そこにつけ込まれているのかな、と思えてなりません。

これだけは今、はっきりと申し上げておきます。

それでは、おやすみなさい。

 


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参院選の選挙速報を見ながら思ったこと(2)

2016-07-10 23:19:42 | 国際・政治

これは大阪市解体・特別区設置構想の住民投票のときも、大阪W選のときも言うたことと重なりますが・・・。

まずは、今日までの選挙戦の過程で、政権与党を含む改憲勢力が何を言ってきたのか、どういうことをしてきたのか

それもきちんと記録と記憶に残す作業が大事ですね。「あのとき、ああ言うたやないか。ウソいうな」という批判を次々にしていくためにも、その記録と記憶がとっても大事になります。

次に、「参院選後の政治の課題は?」みたいな感じで、最もな顔して、今夜からマスコミは安倍政権への懸念を表明しはじめます。

その中には野党共闘が従来主張してきたこともたくさん含まれます。

ですから一方で「なぜ今まで言わないの?」とマスコミ批判しつつ、同時に自分たちの主張を続けましょう。

だから野党共闘推しだったみなさん。

今夜から明日、さらにその後に向けて、今まで選挙期間中も言ってきたことをどんどんつぶやいたり、書いたり、話したりしていきましょう。

それが「次」の取り組みの基盤をつくっていくと思うので。

以上、先ほどあらためてツイッターでつぶやいたことの「まとめ」でした。

「転んでもタダでは起きへんで~!」ですわ。


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参院選の選挙速報を見ながら思ったこと(1)

2016-07-10 22:59:16 | 国際・政治

なにがおきても、あきらめない、負けない。それが美しきプリキュアの魂。

さてと、そろそろ起きるとしますか。この政治情勢だと、日本の学校は今後ますますボロボロですなあ。

なにしろ学校の気にいらない教育実践についての「密告」調査奨励する政党が選挙で勝つわけですから。

その政党にすりよっておこぼれにあずかりたい人もまたふえますしね。

しかしまあ、この政治情勢に現れている、目の前の密かな危機への無関心。

大きい勢力へのすりより、付和雷同。

そして大きい勢力の情報と印象の操作。

これって学校事故事件の事後対応過程で現れる地域社会の課題そのもの。

あるいは、いじめやパワハラによる自殺の置きやすい社会そのもの、だね。

他の人はさておき、少なくとも自分は今までどおり「あかんもんは、あかん」と、学校や子どものことを軸に言い続けるつもり。

こんな厳しい政治情勢のなかでも、まだ人間の可能性や良心の存在を信じる。

目の前にいる人々と地道につながる。

おめでたいやつですが、それしかやること思いつかないので。

これから選挙で当選した人々、特に政権与党と補完勢力により一層の厳しいまなざしを。

おかしな政策提案、特に改憲提案への徹底した批判を。

そして、そういう批判や厳しいまなざしを共有できる仲間の拡大をめざしましょう。

たとえおめでたいヤツとか時流にのれないバカなヤツと言われても。

あしたからまたいろいろとねちねちと、しつこく、でも楽しくいろんなこと文句言うていくしかないんで、まずは気力体力の温存から始めましょう。

この政治情勢だと、日本社会の混乱・混迷はしばらく続きます。

でもそこをかいくぐってすてきな花を咲かせるためには、私らがあきらめないことだわ。

・・・以上、今回の参院選の開票速報がはじまって、すぐにツイッターでつぶやいたことでした(若干、ツイッターからこっちに転載するにあたって、字句の修正をしました)。

でも、これは実は昨夜、神戸・三宮センター街に居る頃から、開票速報の状況を見て、「これを速報がはじまったらすぐに言わなきゃ」と思っていたことでした。

新聞等々が伝えているとおり、政権与党とそのコバンザメみたいな政党が優位で「参院の3分の2を獲得するかも」という情勢に大きな狂いはないとしたら・・・。

やはり、そんな厳しい情勢のなかでも、私たちが自分たちの気持ちをすぐに立て直して、この厳しい情勢に立ち向かっていく態度をしめしていかないと、と思ったもので。

そういうファイティング・ポーズ(だけでも)示せる人が出てこない限り、ここから先、関西圏に私たちの生き残る道はありません。

それが示せれば、その先に戦略や戦術、将来展望も「かすかに」見えるかもしれませんが。

「嫌なものは嫌」「変なものは変」と腹の底から言える、「なにがあってもあきらめない」と突っ張れる。

そういう人に私たち自身がならないと・・・。

もちろん、少しでもマシな方向で結果が出たら、それはそれでいいわけですけど。

まだまだ開票速報は続いていますし・・・。

でも、あらためて大阪・兵庫・京都等々この関西圏で、きっちりと今の政治情勢に「おかしいやんか!」と言える人々をつくっていく。

そういう人々をつないでいく。

それ以外に、この関西圏の状況を変えていく道はない。

そのことをあらためて、昨日、今日で私、感じました。

だから、いつものとおり、プリキュアの美しい魂で「あきらめない、負けない」で明日からもがんばります。


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ほんとうに姑息な手法

2016-07-09 11:39:03 | 受験・学校

例の自民党の「学校の政治的中立性」に関する調査の呼びかけのページですが、いったん削除されたあと、復活しています。

しかもよく読まないと、2つのちがいはわかりません。

最初のものは「子供を戦場に送るな」という文言が入っていましたが、そこは削除され、代わりに「安保関連法は廃止」という言葉が入りました。

あとの部分には、大差ないように思われます。

ほんとうに姑息な方法。

「子供を戦場に送るな」という教員をも調査するのかという批判が強まったから、文言を変えて、小手先の印象操作でごまかそうとしているだけかと思います。

一応、2つの画像を貼りつけておきますので、どこがどのように変わっているのか、ご確認ください。

※追記

しかし、よっぽど自民党は嫌なんでしょうね。

「安保関連法は廃案にすべき」くらい、立法過程にも内容にも多々問題があることを指摘されること自体が!

そして、この安保関連法が「子供を戦場に送り出す」危険性を持つものだと言われることが!

必死になって隠したい、ごまかしたいと願うもののなかに、彼らがほんとうにやりたい政治的な意図があるのではないかと思えてなりません。



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「危機管理」論の前提にあるものを疑うべき

2016-07-09 10:09:24 | 受験・学校

おはようございます。

昨夜からの続きでこの話になるわけですが、こちらのツイッター上でのつぶやきをまずは読んでください。

このところ私、学校や保育の「危機管理」論や「リスク管理」論に批判的なまなざしを向けなければいけない、と思い始めています。

というのも「危機管理」にせよ「リスク管理」にせよ、その管理する側の主体が何を「危機だ」あるいは「リスクだ」と感じているかによって、その管理の手法が大きく異なってくるからです。

それこそ、たとえば、まず先にメディアを抑えて自分たちに都合のいい情報を流して、いろいろ問われている人はほとぼりが冷めるまでおとなしくしておく。

そういう「危機管理」術もありえます。

こういう「危機管理」術は、時間たてば同じ失敗を繰り返します。

なぜなら、問題の根を断ちきって改善したわけではないから。

でも、こういう「危機管理」術を使う人にとっての「危機」とは、要するに「自分たちのところに批判の矢がとんできて、政権運営などの立場が危うくなること」ですよね。

だから自分たちに矢がとんでこなくさえなれば、「危機」から脱した。

つまり、見事な「危機管理」ができた、という話になるわけです。

同様に「訴訟リスク」という言葉もあります。

たとえどんな不祥事が起きようが、重大事故が起きようが、「訴訟が起きて自分たちの立場が問われること」自体が「リスク」だと認識しているのであれば、「訴訟が起きないようにする」あるいは「訴訟が起きても負けないようにする」ことが「リスク管理」術になりますよね。

そして、こういう「リスク管理」術を使いこなすことに長けてしまうと、根本的な不祥事や重大事故の防止をどうするかという議論がおろそかになってしまいがちですね。

そんなことから、この松井計さんのツイッター上のコメントに対しては「ちょっとちがうんだけどなあ」って思いました。

要するに「危機管理」のポイントが狂っているんですよ。

で、そのポイントの狂いは、実はその「危機管理」が何を目指しているのか、何が守られるべきかという理念・思想的な次元にそもそも問題がある、というのが、少なくとも私の考えです。

<参考>

戦前か!自民党がHPで“「子供たちを戦場に送るな」という偏向教育を行う教員”の通報を呼びかける密告フォーム

(リテラ、2016年7月9日配信)

http://lite-ra.com/2016/07/post-2401.html

 


 

 


 

 


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いま、ここで言っておきたいこと。

2016-07-09 00:21:54 | 受験・学校

私はこの何年か事故・事件など、学校で亡くなる子どもの問題に研究者として関わり、「子どもの安全・安心の確保と豊かな教育実践の両立」にこだわってきた。

ひとりひとりの命を大切にしようと各方面に呼びかけてきた以上、自分にとっては子どもに「戦場に行け」なんて教育実践、ありえない。

もしも学校で「子どもたちを戦場に送るな」を語ることが「中立性を逸脱」というなら、では「子どもたちを戦場に送るな」と「子どもは戦場に行くべし」を並列にして学校で語れ、というのか。

この両者を比べて「どっちを選ぶ、君たち?」と学校で語れというのか。

冗談じゃない、そんな学校おかしいわ。

いま、ここで学校や保育の領域で子どもの安全について考えたり、動いてきたりしてきた人びとが、あの「子どもを戦場に送るな」を「中立性を逸脱」するものと扱おうとした調査に、ひとことも抗議しない、どこかで釘もささないとしたら、「そんなヤツ、頼りにならん。本気でもの考えてない」と私は思う。

だって、これから子どもたちの命を奪いかねないことを学校で「やれ」という、そういう学校にしようとする危険性の強い調査であるわけでしょう?

<以下、リンク>

自民党が「学校教育における政治的中立性についての実態調査」をはじめ「密告」をお願い→批判殺到し削除? - NAVER まとめ

http://matome.naver.jp/odai/2146798733344433901



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とても支持できないです、こういうことをする政党は。

2016-07-08 22:03:19 | 国際・政治

自民党ホームページ「学校教育における政治的中立性についての実態調査」

https://ssl.jimin.jp/m/school_education_survey2016?_ga=1.59801455.395835691.1409157024

先ほどツイッター上で私、このようなページを見つけました。

こういうことを平気でやるような政党ですとか、ここと連立するような政党、さらにはここと連携しようとする政党は、とても支持することができません。

ついでにいうと、こういう政党に「多様な教育機会の確保」を求める一連の動きも、私は容認しがたい。

なぜなら、もしも「多様な教育機会の確保」に関する法案が成立しても、その後、こういう思想調査的なことをしてOKがでるような「多様な教育機会」以外認めない・・・って、すぐにいいそうですから、この政党。

<追記>

リンクが切れているという話もあるので、ツイッター上で出回っていた上記のページの画像を代わりに貼り付けておきます。

 

<追記2> こういうツイッター上での自民党関係者の発言も見つけました。ここで記しておきます。

 


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2310冊目:竹宮惠子『少年の名はジルベール』

2016-07-08 18:39:45 | 本と雑誌

この本は、このブログで2310冊目に紹介する本になります。

私の勤務校・京都精華大学の今の学長で、マンガ家さんでもあります。

竹宮惠子『少年の名はジルベール』(小学館、2016年

以下、ここからはちょっと長いのですが、この本を読んで感じたことを文章に綴ってみます。

さて、この本は竹宮惠子さんのマンガ家デビューから「風と木の歌」がブレイクする頃までを、ご本人がふりかえって書いた本です。

お隣のポピュラーカルチャー学部の斎藤光さんが「NHKの朝ドラ原作になりそう」とかいうものだから、この本、読んでみたわけですが(たしかに、そんな雰囲気のある本です)。

ただこの本をあらためて読んでみて、学長としての竹宮惠子さんは、マンガ学部の教育さらに私の居る人文学部を含めて、「全学的にこんな風に若い人たちを育てたいのだろうな~」ということも、なんとなくこの本から伝わってきました。

わざわざ彼女が自分の若かりし頃のマンガ制作の現場のことを、今、あらためて綴ろうと思ったのは、「こんな風に若い人に育ってほしい」と伝えたいという思いがあるんだろうな・・・なんてことを思った次第です。

異国の文化や歴史を背景にした作品を1本マンガ作品として描ききるためには、どのくらいの人文・社会系の知識が土台にないといけないのか。

ほんとうに質感をもって人物や背景を描くためにも、そういう知識がいるのではないのか。

そのためにも、時には自分の作品制作の部屋を飛び出て、思い切って海外に出ることも必要なのではないか。

あるいは、自分の描きたいマンガ作品のストーリー構成や人物の性格等々を構想するためにも、文学や映画、演劇等々、マンガ以外の他の物語性を持った作品をたくさん参考にしなくてはいけないのではないか。

そして、自分の本当に描きたいマンガ作品に出会っていくためにも、他者とのつながりが大事なのではないか。同じ世代の同じ志を持った仲間とか、あるいは少し視点の異なるところから意見を言ってくれる仲間とか、いろんな人々と出会って、つながっていくことが大事なのではないか・・・。

そんなことを彼女は自分の若いマンガ家時代の体験をこの本に綴って、学生たちに、そしてうちの大学の教職員に語りたかったんじゃないか・・・と思いました。

ついでにいうと、前々から「マンガやアートの作品づくりの細かいテクニックとかはわからないが、でも、たとえばストーリーを描くときの人間(特に子ども)の捉え方とか、読者である子どものことについてとか、そういう点では自分も創作活動している学生に言えることもあるよな」と思っていた私にしてみると、彼女の体験からもそのことが裏付けられたような気がしました。

そうそう、1970年代に少年愛をテーマにした作品を少女コミック誌に連載する。それを実現することを、当時の学生運動の影響を色濃く受けた竹宮さんにとっては、ひとつの「革命」のようなものだと考えていたんですね。

「世の中の流れをひとつ変えていく」という大事な仕事は、「自分の創作の領域(あるいは自分の専門領域)」のなかにもある・・・と、彼女は言いたかったのだろうと思います。

だから私も、自分の日々の授業とか、学外でやっている諸活動のなかで、何か「世の中の流れをひとつ変えていく」道筋を探ろうかな・・・なんて思いました。




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参院選前にいろいろと思うこと

2016-07-08 12:28:28 | 国際・政治

いよいよ、あさっては参院選。

今の政治的状況について、いろんな思いがあたまとこころとからだにありますし、思いついたことは先にツイッターでつぶやいています。

なので、このブログにまとめて何か書くことはこの間、あまりありませんでした。

ただ、この今の政治的な状況を見ていて、教育学の研究者であり、大学の教員としての自分が何をすべきかということを考えると、やはり一方でその時々の状況に「これはあかんやろ」といいつつも、他方で目の前の学生に向けて何ができるかを考えて、動かないといけないかと。

あるいは、大学の外で、広く「市民」層に向けて、「生涯学習」という場面を通じて何ができるかを考えていかなければいけないかと。

そのようなことを切実に今、思うわけです。

そんなことを、以下のとおり、ツイッターのつぶやき4回分にまとめておきました。

〇以下、ツイッターでつぶやいたことのまとめ。

大本営発表というその場しのぎの明るいウソに騙され続け、気付いたら一面焼け野原、飢えと物資不足に苦しむ日々、そして敗戦。

でも、つらくてもその「現実」に向き合うことから一つ一つ、みんなで議論して、大事なことを積み上げていくのが、敗戦後日本の再建過程だったのではなかったかと。

私がこれからやるべきことは、自分の大学で、あるいは町のなかで、学校や教育、子どもというフィールドを通して、<つらくてもその「現実」に向き合うことから一つ一つ、みんなで議論して、大事なことを積み上げていく>ことのできる「おとな」が育つ環境を整えていくこと。そんなことを思ってます。

少なくとも私は教育学の研究者であり、大学教員なんで、<つらくてもその「現実」に向き合うことから一つ一つ、みんなで議論して、大事なことを積み上げていく>作法を少しでも身に付けた学生を、今後、できるだけ多く社会に送り出すところから、さまざまな取り組みを始めたいなと思います。

そうやって一方で今後も地道に「つらくてもその「現実」に向き合うことから一つ一つ、みんなで議論して、大事なことを積み上げていく」作法をこの社会に根付かせていく作業をしつつ、そのためにもやはり、バカげた政策提案や改憲案を出す政党には「ノー」と言わざるを得ない。これが今の私の立場です。

〇以上でおわり。

※あと、ツイッターでは書きませんでしたが、この「つらくてもその『現実』に向き合う」のなかには、「自分たちの考え、判断や行動の誤り、あるいは他者への加害性とも向き合う」が入ることは、あらためて言うまでもありません。

※もうひとついうと、どれだけ状況がつらくて、困難でも、あきらめずに、その「現実」に仲間とともに向き合い、議論をして、何かなすべきことをつみあげていく・・・というのは、まったくもって、プリキュアたちのしている(してきた)ことですねえ。


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近々、共著で本が出ます。

2016-07-08 00:48:51 | 私の「仲間」たちへ

来月の予定ですが、近々、共著で本がでます。そのチラシができたので、ここで掲載しておきます。

鈴木庸裕・佐々木千里・住友剛編著『子どもへの気づきがつなぐ「チーム学校」』(かもがわ出版、2016年8月)

本体1800円+税、B5判で112ページの本です。


 

 


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「アベノミクス」いよいよ危ない・・・???

2016-07-01 10:37:20 | 国際・政治

http://digital.asahi.com/articles/ASJ6Z4C94J6ZUTFK004.html?rm=553

(年金の運用損、昨年度5兆円超 GPIF公表は参院選後 朝日新聞デジタル 2016年7月1日07時35分)

昨年度だけで5兆円を超える運用損があるんですか・・・・。

とすれば、今年度はどのくらい運用損がでるんですかね?

これだけの運用損を出しながら、「福祉や社会保障の充実」を掲げて政権与党が参院選に臨んでいるとしたら・・・。

私としてはやはり「ごめんなさい」と言うところから入ってほしいですね、政権与党。

そして、なぜこれだけの運用損が生じてしまったのか。その理由はなんなのか。

きちんと反省して、説明しなければいけないと思うんですが。

そういうことがないと、「アベノミクス、いよいよ危ない」としか思えないんですけど・・・・。


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