できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

一日も早く、学生たちに会いたい

2020-04-22 23:42:30 | 私の「仲間」たちへ

ひとまず今週分の代替授業の資料と課題、全部準備&配信終了。

もうすでに課題をやった学生からコメントが返ってきているけど、みんな今、家でどう過ごしているかを書いてくれている。それがうれしい。

この学生たちに早く会いたい。せめてネット経由でつながっていたい。

いまはとにかく使える方法をつかって、目の前の各科目の履修者とのつながりを維持すること。

そこからできるだけお互いに人のぬくもり、やさしさを伝えあうこと。それが大事だな~って思う。

その土台がここでつくれたら、今度は授業再開後、今までよりも豊かな学びができると思う。

自分はやっぱり、目の前にいる学生たちが愛おしく思う。

大学教員になってから何度も仕事でめげそうになったけど、学生たちに会いたい気持ちだけはなくさなかった。

だから、日々できることやってつながりながら、「学生たちに会いたい気持ち」」を授業再開まで蓄えていきたいって思う。

で、このことつぶやいたら、涙がボロボロでた。

あ~。自分はこの思いをず~っとしんぼうして、ためていたんだな~って、つぶやいてからあらためて気付いた。

一日も早く、学生のみんなに会いたい・・・。

※今夜ツイッターでつぶやいたことを、こっちにも転載しておきました。


今日(4月19日)のプリキュアの話です。

2020-04-19 19:35:08 | プリキュア話

気付けば今日は4月19日。再び日曜日を迎えました。

朝からプリキュアを見ていたのですが、夕方になってようやく時間がとれましたので、今朝、放送された分のプリキュアの話を書いておきます。

さて、今朝の放送分から、プリキュアたちは新しい展開をはじめるようです。それは先週の放送分でミラクルヒーリングボトルを手に入れて、3人の合体技を出せるようになったことと関連しています。当面は合体技を効果的に使えるようになるために、キュアグレース・キュアフォンテーヌ・キュアスパークルの「3人のチームワークをどうつくっていくのか?」が課題になりますね。

なので、今回は冒頭から「力をあわせてがんばろう」ということで、プリキュアたちが妖精さんたちとミーティングをする場面が描かれます。前回登場したメガビョーゲンが強くて、倒すのに手間取っているあいだにますます強くなる。ミラクルヒーリングボトルをつかって「ヒーリングオアシス」という3人の合体技を出すためにも、チームワークをもっとよくするための特訓が必要。そんな話がまとまったプリキュアたちは、誰もいない山のなかに向かいます。

プリキュアたちは山のなかで「以心伝心、心を伝え合う」をテーマに、ジェスチャーゲーム等々、さまざまな特訓をするのですが…。ぜんぜん、うまく気持ちが伝わりません。本当にこれでいいのか? 逆にバラバラになったら…? そういう心配を妖精さんたちはし始めます。特にラビリンは、本当は自分たち妖精だけで地球のお手当ができればと思っていること、このままだと3人ともボロボロでつらそうだということを語ります。でも、ふと見ると、プリキュアたち3人は笑い合って休憩しているので、それでラビリンたちはホッとします。

その一方で、今週はビョーゲンズのなかに新メンバー・バテテモーダが登場します。関西弁をしゃべるお笑い芸人風のキャラで、見た目は人間というよりも、タヌキかなにかの動物っぽい感じです。このバテテモーダが「負ける気しない」といって、特訓中のプリキュアたちを襲います。

このバテテモーダがメガビョーゲンを石から生みだし、プリキュアを襲わせるのですが・・・。今回も3人の合体技でなんとか撃退します。しかしバテテモーダは「負けたのはメガビョーゲン(自分じゃない)」「たたかうのがたのしい」「自分じゃおわりじゃないかも」「自分はあいつ(メガビョーゲン)からうまれた」と言って帰ります。ちなみに先週のラストで、メガビョーゲンが吐き出したビョーゲンズの種のようなもの。あの種のようなものが、タヌキのような動物に忍び込んだのですが…。どうやら、このビョーゲンズの種のようなものから生まれたのが、このバテテモーダのようです。

今週のエンディングでは、一応、バテテモーダとメガビョーゲンを撃退して、のどか=キュアグレースとちゆ=キュアフォンテーヌはホッとした感じなのですが、なんか不安そうなひなた=キュアスパークルが描かれます。また、来週の予告では、ひなた=キュアスパークルが「プリキュアをやめようか?」と言い始めるようです。どうやら敵のビョーゲンズが新たなキャラを登場させたりして、パワーアップするたびに、プリキュアたちも動揺したり、弱さを見せたり…。ひとりひとりのプリキュアが、その動揺をどう鎮めるか、弱さをどう乗り越えるか。そのなかで3人のチームワークがどう育ってくるのか。そういうかたちで当分の間、物語が展開していきそうですね。

ということで、今日のプリキュアの話、終了です。


再びネット上での私の情報発信のルートを「ブログ」メインに切り替えます。

2020-04-13 20:40:36 | 悩み

今日は4月13日(月)ですね。来週月曜日(4月20日)から、勤務校・京都精華大学でも、当面のネット利用による「代替授業」がはじまります。

いまはその「代替授業」の準備をパソコンをつかって少しずつすすめながら、他方で他の事務作業をしたり、大学から電子メールで入ってくる諸連絡への対応をしたり・・・。そんな状況です。

こういう状況ですと、どうしても目を酷使することになりがちです。目が疲れてくると、首筋~肩もだんだん調子悪くなってきて、そのあと頭痛もやってくる。ちょうど先月も半ばくらいにひどい頭痛に見舞われた時期がありましたが、このまま「代替授業」が続くとなると、この目の酷使や頭痛への備えも必要になってくるなあって思っています。

そこで、この際、たとえばツイッターとかフェイスブックなどのいわゆるSNSとの接触を極力、減らしていこうかと思っています。どうしてもこの間、SNSはパソコンよりはケータイの画面から見ていることが多くて、目が疲れてしまいそうですし・・・。

そのかわり、何かこちらから情報発信したいことは、極力この「ブログ」を活用して、パソコン経由で発信していこうかなって思っています。このほうが長文を書きやすいですしね。

ということで、これから感染拡大防止のための「在宅勤務」が長期になり、パソコンと向き合う作業を延々と続けなければならない状況も続きそうなので、「我が身を守る」ことを最優先にします。具体的には、極力SNSをケータイから接触することを減らして、当面、やらねばいけない「代替授業」等の対応を優先する。こちらから何か伝えたいことは、SNSよりもブログを活用する。そういう方針での動くことにします。

 

 


今日(4月12日)のプリキュアの話です。奥が深いですね。

2020-04-12 10:25:21 | プリキュア話

今日も日曜日ですので、いつもどおり今日放送分のプリキュアの話を書いておきます。

今日の放送分は、先週の続きです。先週、プリキュアたちの敵・メガビョーゲンが3体まとめて出現し、なんとか3人のプリキュアの力を結集して、美術館を攻撃した1体を倒しました。そうなると当然、残る2体のメガビョーゲンをどうやって倒すかが今日の放送分のテーマになります。また、そのプロセスで、プリキュアたち3人の合体技も登場します。

さて、冒頭で上記のことがプリキュアたちのあいだで確認されたうえで、まずは1体、川に現れたメガビョーゲンを倒します。ヒーリングアニマルのラテ(子犬)がなかなか回復しないことから、残る1体、たんぽぽからできたメガビョーゲンが巨大化し、より強くなっていることもわかります。

プリキュアたち3人は「絶対にお手当する」と思うのですが・・・。いざ、巨大化したたんぽぽのメガビョーゲンに出会うと、その攻撃の強さに防戦一方になります。また、メガビョーゲンの力で、だんだん地面も痛んできています。そんななかで、メガビョーゲンは、不思議な種のようなものを吐き出します。そして、メガビョーゲンたちの攻撃で、プリキュアたちは遠くの森のなかに弾き飛ばされて、変身が解けてしまいます。

もとの中学生の姿にもどったプリキュアたちは、「本当にお手当できるか?」「正直こわかった」「前よりももっと強くなっている」と、やや自信を失います。一方、妖精のラビリンに「このままだったらどうなるか?」を聴くと、メガビョーゲンの力で痛んだ地面は、もとに戻らないと教えてもらいます。それを聴いたプリキュアたちは「絶対に浄化しなくちゃ」と思うのですが、「でも、どうすればいいのか?」と迷います。

「まとめて1体ずつ倒したのはまちがいだったのか?」「やっぱり手分けしてがんばったほうがよかったのか・・・」と迷い始めるキュアスパークルに対して、キュアグレースは「そんなことない。みんなの力を合わせたから、だから美術館の作品も守れたし、川の水も守れた。あきらめなきゃいい。全部助けたい、手当を続けよう」と言います。このとき、のどか=キュアグレースは、自分が病気療養していたときに、医者が言っていた「すぐには治せないけど、あきらめない」という言葉を思い出します。そしてキュアグレースは「あきらめたらおわりだから、まずはこの森を出よう」と言います。

このやりとりからもわかりますが、プリキュアたちがメガビョーゲンに弾き飛ばされて、変身が解けた遠くの森は、プリキュアたちがひとりの中学生にもどって、自分の迷いや悩みを正直に語るために必要な舞台設定だったということですね。

ただ、キュアグレースが「この森を出よう」とは言うものの、出口がわかりません。子犬のラテに教えてもらおうとしても、声も聞こえないくらいぐったりしています。そのくらい、メガビョーゲンが巨大化して、強くなっています。そんなときに、あちこちからエレメントの力が現れて、メガビョーゲンのいる方向を指し示します。

もう一度メガビョーゲンの居る所にもどって変身すると、プリキュアたちは「あきらめずにちょっとずつ、体力を削る」作戦に出ます。その結果、メガビョーゲンが弱ってきて、ふらついたりもしますのですが、同時にプリキュアも体力が弱ってきます。また、メガビョーゲンに閉じ込められたたんぽぽの花のエレメントも、もう力尽きそうな状態です。

そんなときに、キュアグレースは「あきらめないで! たくさんのエレメントさんが助けたいといってる。いっしょにがんばって!」と声を出します。すると、新しいボトルに入ったエレメントをプリキュアたちは手にします。これが「ミラクルヒーリングボトル」。このミラクルヒーリングボトルをつかって「トリプルハートチャージ」を行い、「みんなで地球の病気とたたかおう」と言って、「ヒーリングオアシス」という3人の合体技を出します。これで、残る1体のメガビョーゲンを倒しました。

その後、ラテの状態ももとにもどり、たんぽぽの花畑も時間をかけて徐々にもどっていく・・・という話を聴きます。そこへ「お前たちを探していた」と言って、中学校の先生が現れます。プリキュアたちは「たくさん逃げすぎて迷子になった」と言い訳をして、戻っていきます。

ただ・・・。エンディングでラテの母親・テアティーヌは「なんでしょう。この不思議な感じ?」と言います。そのとき、先ほどメガビョーゲンが吐き出した不思議な種から芽が出て、たぬきのような動物に乗り移ろうとしていました。プリキュアが成長して「地球のお手当」をする力が高まると、メガビョーゲンも別のかたちに変異をして、生き残ろうとする・・・。こういうメガビョーゲンのための姿って、なんだか、医療の進歩の裏で変異を次々に繰り返して生き残っていくような、細菌やウイルスのような感染症の病原体を思い出してしまいますね。昨今の社会情勢を反映したかのようなメガビョーゲンの設定ですね・・・。

なお、次回は3人の合体技ができたことをふまえて、毎年のプリキュアででてくる「特訓」の話ですね。3人のチームワークをもっと高めようという話になるようですが・・・。

それにしても、今回放送分のプリキュアの内容、奥が深いですね。


学校の休校・再開のどちらについても、時間を急ぎながらも、必要な「手順と手間」をかけること。

2020-04-07 19:31:57 | 受験・学校

以下の青い太字部分で書いたことは、4月5日(日)にツイッターで連続してつぶやいたことです。また、その日のうちに文章を整理して、フェイスブックにも転載しました。それを今日(4月7日)に、あらためて自分のブログにも掲載しておきます。

今日は政府から「緊急事態宣言」がでて、私の暮らす兵庫県も、この「緊急事態宣言」の対象地域になってしまいました。また、昨日も書いたように、うちの娘の入学予定の県立高校を含めて、この兵庫県内の公立学校も、あす始業式・入学式というところが多いかと思います。でも、この始業式・入学式以降は、この「緊急事態宣言」が出たあと、授業が開始できるかどうかわからない状況になりました。たぶん、5月6日(水)まで、つまりゴールデンウィークの連休明けまで再び休校という学校も、同じ兵庫県内ではいくつかでてくると思います。

ただ、兵庫県内は地域によって、新型コロナウイルス感染者の確認状況が大きく異なります。北部の但馬地域のようにまだひとりもいないエリアもあれば、阪神間・神戸や播磨のように感染者が増え、さらには亡くなった方もでている地域もあります。同じ兵庫県といっても、「ヒョーゴスラビア」なんてことばもあるくらい、5つか6つくらいの異なる特色をもった地域に分かれているのが実情です。

そう考えると、たとえば学校の休校・再開についても「兵庫県で一律に」と考えるのが本当に妥当なのかどうか。昨日の時点でも県立学校について、兵庫県知事は「但馬を除く」かたちで、「入学式・始業式後4月19日までの休校(ただし登校日あり)」という方針を示していたところです。私はこの対応方針「妥当だな」と思ったりもします。

また、3月の休校と4月の休校は、学校側にとっても子ども・家庭側にとっても、持っている意味がちがいます。もうほとんどその年度の教育活動が終わっていて、子どもと家庭、学校の関係も一定できあがっている3月ならできたことが、4月の新年度開始当初だと難しいことも多々あります。それこそ人事異動で来たばかりの管理職や教職員もいれば、この4月に入学予定の子どもと家庭もあるわけです。学校側も混乱しているさなかに、休校→再開準備→また休校という対応を求められると、教職員側も疲弊しますし、子ども・家庭も混乱します。

これに加えて、小学生のお子さんや障害のあるお子さんの場合は、学童保育や放課後デイサービスでの受け入れ体制をどう考えるのか。昼間、子どもだけが家に残る家庭の場合、昼食等はどうするのか、何かあったときの子どもの見守りはどうするのか。こういった課題はすべて、3月の全国一斉の休校時にも起きた課題です。また、それをなんとかこの約1か月間、学童保育や放課後デイサービスの関係者、各家庭や子ども自身のがんばりで乗り切りました。それをもう1か月続けろといわれても、「もう無理」と思う子どもや家庭、学童保育等の関係者もいると思います。そこへの支援、ケアが十分に行われなければ、感染拡大から子どもを守るための休校(継続)によって、かえって別の問題を生じさせ、子どもを守れないなんてことにもなるでしょう。

そして、子どもたちにはさまざまな願い、ニーズがあります。たとえば「学び」のニーズについても、子どもたちには、いわゆる「遠隔授業」でネット配信された教材に取り組むことで満足できることもあるでしょう。でも、それだけでは充たされた感じがしない。「仲間と直接出会って話がしたい」「仲間といっしょに歌いたい、スポーツしたい」「教室で勉強したい」等々、そういう思いを持つ子どもも居ます。特に入学式を前にした子どもたちのなかには、新しい学校での勉強や仲間とのかかわりに期待を持っていた子どもも多々いると思います。そういう子どもたちに、さらにあと1か月辛抱させることをどう考えて、どのような支援・ケアを行っていくのかも大事な課題です。

昨日も書いたように、私としては、感染拡大防止策として休校(継続)をする必要性があることは、一定「やむをえない」とは思います。しかし、休校(継続)に伴ってさまざまな矛盾や別の問題が生じる恐れもある以上、そちらへの備えもきちんと社会的に整備していかなければ、子どもたちにさまざまな不利益も生じると思っています。休校(継続)をするならするで、きちんと行政や関係諸団体には「やるべきことがある」と思います。現場任せ、あるいは子どもや家庭のがんばりに期待で、首長や行政当局は休校(継続)だけ決めてあとは「丸投げ」というのでは、ダメだと思います。

そこであらためて、私なりの学校の休校・再開についての考え方を示したいと思って、下記の文章をブログにも転載しておきたいと思います。

○以下、ツイッターやフェイスブックからの転載部分

一般の方は感染拡大の恐れ大、早く休校をと思うかもしれませんが…。学校や教委は休校なら休校で、再開なら再開で、それ相応に子ども・家庭への連絡等々のさまざまな業務が発生します。場合によればその業務量や質次第では「今日決めて、あしたからすぐやれ」なんて形では動けないこともあるでしょう。

たとえば再開時の子どもの学びと生活のケア、休校時の家庭での子どもの過ごし方等々にきめ細やかな対応をしたい学校のなかには、休校・再開どちらにしても「準備に手間かかるから、急には方向転換できない」というケースも出てくるでしょうね。念入りに準備するがゆえの悩みですけど…。

そういう念入りに準備するがゆえに手間かかっているところが「遅い!」と非難されて、逆に「どうとでもなれ」と安直に家庭に(あるいは学校に)その後の対応を丸投げしているところが拍手喝采されるようなことがないように。3月の対応を反省して、このたびの4月の休校措置については特に思います。

いま、気をつけないといけないのは、感染拡大の恐れや不安の強い人ほど、休校措置について、この「どうとでもなれ」と安直にその後の対応を丸投げしているところに拍手喝采してしまう危険性があることです。それはそれで、休校後の子どもと家庭の生活にいろんな不都合を生むリスクを高めます。

なので休校にしても再開にしても、たとえ短期間であっても、首長と教委・校長会等の関係者がていねいに協議し、学校現場で具体的な対応を詰めて考える手続きを踏んでいるかどうか。そこをよく一般の人も見極めてください。それなしにいきなりマスコミやSNSで休校・再開を発表する自治体は危ないです。

また、学校の休校・再開のどちらにしても、たとえば行政サイドで学童保育や放課後デイサービス、児童館等の他の子ども施策との関係をきちんと調整できているかどうかについても、注意を払ってください。休校中の子どもの見守りを担う機関等の負担と、それへの備えにも目を向ける必要がありますので。

そして休校時の子どもと家庭の状態にも、さまざまな目配りが必要になります。経済的困難に限らず、子どもと家庭にもいろんな事情がありますから。また、ある家庭にとっては当たり前のように休校中にできることが、他の家庭ではそうではないってことも多々ありますので。


4月という時期の「休校」措置(継続)の「重み」を受け止めてください。

2020-04-06 13:32:11 | 受験・学校

先ほどお昼どきにNHKラジオ第一を聴いていて、兵庫の県立学校の「休校」継続の方針を知事が示したというニュースを聴きました。私は「いつか、来るだろう・・・」と思っていましたが、「入学式・始業式が済むまで待つかな?」というかすかな期待も持っていました。

今の新型コロナウイルスの感染拡大状況において、当然ながら学校に行くことに不安を覚える子どもや家庭も多いかと思います。でも他方で、それでもなお入学式を迎え、学校に通うことを楽しみにしてきた子どもや家庭もいます。我が家もそういう家庭です。兵庫県立学校の「休校」継続を、私は手放しで喜ぶわけにはいきません。

この状況下での「休校」継続は必要な面もあるので納得します。でも、春から学校に通いたい・通わせたい。そういう思いの子どもと家庭に辛抱させているんだ、それで失われることもあるんだ…という認識も、どこかで持ってください。

同様に、各校の管理職や教職員のなかにも、この新年度、意欲をもって何かに取り組もうとした人もいるはずです。そういう人にも辛抱をさせたり、何かを失うことでもあるんですよね、「休校」継続って。その重みも受け止めてください。

そして「休校」中の子どもと家庭の負担。家庭で過ごすことが難しい子どもへの公的支援の弱さ。こういうことについても、「休校」継続を求めた人は、しっかりと目を向けてください。必要な公的な支援を行うように求めてください。なお、こちらは教委だけでなく首長部局の仕事もありますので、念のため。

なお、たまたま我が家が県立高校に入学予定の子がいるから、兵庫県の「休校」措置継続について、このようなコメントをしました。でも、同じことは他の自治体にも言えること。これしか感染拡大を防ぐ手立てがないからと一応納得しますが、でもこの新学期早々の「休校」って本来とても重いことですよ。

なので「休校」継続を求めた人々に対しては、ぜひともその措置の重みを受け止めてほしい。そのことでかえって苦しんだり、困惑している人々のことにも想像力を及ぼしてほしい。そういう人があなたの身近にもいることを考えて、そういう困っている人々と共に生きる覚悟をしてほし。そう私は願います。

要するにいま、「休校」継続措置がでて「やったぞ!」みたいなことを言う人が居たら、私、そんな人たちとのつきあい方を今後考えることにする。お望みどおり「休校」が決まったら、今度は学校に行きたかった・授業やりたかったと思う人のことも想像してほしい。ただそれだけです。

※先ほどツイッターに連続で投稿した内容に手を加えて、転載しました。


今日(4月5日)のプリキュアの話です。

2020-04-05 09:49:58 | プリキュア話

今日も日曜日です。いつもどおり早起きして、朝から今日放送分のプリキュアと仮面ライダーを続けてみてました。さっそく、今日のプリキュアについてコメントを書いておきます。

前にも書いたとおり、ここ数回のプリキュアは、3人のプリキュアそれぞれのキャラクターをていねいに描いたり、仲間関係の深まりを描いたりしていますね。今回の放送分もその延長線上で、今回はのどか=キュアグレースを中心にストーリーを組み立てています。

ただ「仲間関係の深まり」という点では、今回放送分から少し変化がでてきました。どうも今回、次回の放送分あたりで、3人の合体技が登場するかもしれないな・・・という、そんな予感がしてきました。この予感、外れているかもしれませんが・・・。でも、次週予告のタイトルが「力を一つに、ミラクルヒーリング」だったので、次回も今回同様、なんらかのかたちで3人の力をひとつにすることが求められる展開になりそうです。

さて、その今回放送分なのですが、プリキュアたちの通う中学校の校外学習が舞台になっています。隣町のガラスの美術館まで出かけて、午前中はガラス工芸の作品の鑑賞、午後は体験学習をするとのこと。ちなみに、のどか=キュアグレースは、普段車での移動ばかりなので、電車でどこかに出かけるのは初めての体験だということ。そういう子どもは最近、多いのではないかと思います。

それで朝、最寄駅にプリキュアたちも集まるのですが・・・。そのときに改札口で財布を落としたおばあさんがいて、小銭が散らばったのを、のどか=キュアグレースが拾おうとします。お金を拾うのに夢中になって、自転車が接近するのに気づかないのを、ちゆ=キュアフォンテーヌがさりげなくフォローしたり、あるいは、どうしても見つけられなかったおばあさんのお守りを、ひなた=キュアスパークルが見つけたりします。このときに、ちゆから「大事なことに一生懸命になると、周りが見えなくなる」と、のどかは言われていたように思います。このことが、今回の物語後半にもつながってきます。

そのガラス美術館での展示ですが、プリキュアたちは作者に出会って直接話を聴きます。中学生くらいからガラスで何かつくりたくなって、フランスに留学してから、本格的に自分の表現したいものをつくろうと思ったこと、等々。そこへ、子犬のラテ(=ヒーリングアニマル)と3人の妖精さんたちもやってきます。本来ラテたちは校外学習に「来てはいけない」と言われていたのですが、「何かあったときにすぐに知らせられるから」という理由で、こっそりやってきた次第です。

そんな美術館へ、メガビョーゲンとグアイワルがあらわれます。プリキュアたちは変身してすぐにたたかいはじめるのですが、子犬のラテが「別のところにもメガビョーゲンがいる」と伝えます。川沿いにはシンドイーネが連れてきたメガビョーゲンが、黄色いタンポポの花のところにはダルイゼンの連れてきたメガビョーゲンがいます。タンポポの花のところにはキュアフォンテーヌ、川沿いにはキュアスパークル、美術館にはキュアグレースと、それぞれ分かれて最初はたたかいます。

しかし、メガビョーゲンがそれぞれ強くて、個々のプリキュアだけではたおせません。それどころか、時間がたつにつれてメガビョーゲンは強くなる。そこで妖精のラビリンが「3人で力をあわせよう。まずは1体ずつメガビョーゲンを消して行こう。現れたのが遅いメガビョーゲンのほうが弱い」と言って、川沿いのメガビョーゲンの方に行くことを提案するのですが・・・。ここでキュアグレースは「嫌だ。美術館を離れたくない。作品を絶対に守りたい」と言います。このあたりで、先ほどの「大事なことに一生懸命になると、周りが見えなくなる」というのどか=キュアグレースの課題が、再び現れるわけですね。

ただ、この場は美術館にもどってきたキュアフォンテーヌ・キュアスパークルの援護で、なんとか切り抜けます。美術館のメガビョーゲンは結局、キュアフォンテーヌが氷のエレメントで固めて浄化し、光のエレメントを救い出して、その力を3人のプリキュアは得ます。

残る2体のメガビョーゲンを倒すのが次回に持ち越しになるわけですが…。ただエンディングの場面で、キュアグレースはラビリンに謝ります。「ちゃんとまわりを見て考えないと。目の前のことだけ考えていたんじゃだめだ。まちがえそうになったら、言ってほしい」と。その様子を見て、キュアフォンテーヌが「反省会は終わった? じゃあ切り替えて、お手当に行こう」と声をかける。そんなかたちで今回の放送分はおわりました。

 


最近読んだ本をまとめて紹介(3055冊目~3072冊目)

2020-04-05 08:28:43 | 本と雑誌

最近読んだ本がかなりたまってきたので、またまたここで紹介しておきます。

やはり新型コロナの感染拡大防止で家に居る時間が長くなっているせいか、感染症やウイルス関連の本も含めて、いろんな本を読みますね。この間、読書量だけは豊かになっている感じがします。

3055冊目:北村厚『教養のためのグローバル・ヒストリー 大人のための世界史入門』ミネルヴァ書房、2018年

3056冊目:岡田晴恵・田代眞人『感染爆発にそなえる 新型インフルエンザと新型コロナ』岩波書店、2013年

3057冊目:高田礼人『ウイルスは悪者か お侍先生のウイルス学講義』亜紀書房、2018年

3058冊目:本庄豊『戦争孤児 「駅の子」たちの思い』新日本出版社、2016年

3059冊目:山室信一編『人文学宣言』ナカニシヤ出版、2019年

3060冊目:岡檀『生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由がある』講談社、2013年

3061冊目:辻田真佐憲『古関裕而の昭和史 国民を背負った作曲家』文春新書、2020年

3062冊目:山本太郎『感染症と文明―共生への道』岩波新書、2011年

3063冊目:飯倉章・山室信一・小野塚知二・柴山桂太ほか『世界史としての第一次世界大戦』宝島社新書、2020年

3064冊目:福岡伸一『生物と無生物のあいだ』講談社現代新書、2007年

3065冊目:岸見一郎『人生は苦である、でも死んではいけない』講談社現代新書、2020年

3066冊目:田村秀『データ・リテラシーの鍛え方 “思い込み”で社会が歪む』イースト新書、2019年

3067冊目:塚崎朝子『患者になった名医たちの選択』朝日新書、2020年

3068冊目:マルクス・ガブリエル(大野和基訳)『世界史の針が巻き戻るとき 「新しい実在論」は世界をどう見ているか』PHP新書、2020年

3069冊目:大木毅『戦車将軍グデーリアン 「電撃戦」を演出した男』角川新書、2020年

3070冊目:加藤徹・林振江『日中戦後外交秘史 1954年の奇跡』新潮新書、2020年

3071冊目:岩田健太郎『「リスク」の食べ方―食の安全・安心を考える』ちくま新書、2012年

3072冊目:岩田健太郎『99.9%が誤用の抗生物質 医者も知らないホントの話』光文社新書、2013年


悲しみを抱えた数多くの人たちといっしょに暮らす社会をつくるために

2020-04-01 10:18:08 | 私の「仲間」たちへ

今日は4月1日。2020年度が今日から始まりました。

とはいえ、私の勤務校も新型コロナウイルスの感染拡大防止のために、入学式は中止。

また、新入生関連の行事や在学生のオリエンテーションも、新入生に学生証と配布物を渡す程度にして、他のものは4月19日まで一切中止。

それどころか学内の主だった会議も中止か延期、4月19日までは食堂も売店も休み、クラブ・サークル活動も中止で、大学として、学内に学生は「できるだけ来ないで」という連絡をしました。

なので、この新年度開始からも当分のあいだ、私は家に居ることになりました。

ちなみに、現時点での新学期授業開始は4月20日(月)を予定しています。ただ、これもどうなるかわかりません。

さて、そんな状況のなかで・・・。

おととい、志村けんさんが亡くなったニュースを聴いてから、ずっと考えていること。

また、たぶん、他の誰でもなく、私がこの課題を引き受けて考えていきたいと願うこと。

それを、新しい年度のはじまりに書いておきます。

今後、新型コロナウイルスの感染拡大がおさまるまで、まだまだ時間がかかると思う。また、そうなると、悲しいけれども、何人かの方が亡くなると思う。さらに、たとえ幸いにして回復したとしても、呼吸器関係の後遺症を抱えながら暮らしていかなければいけない人もいると思う。そして、亡くなった方の遺族も、後遺症を抱えながら暮らす人の家族もいる。あと、次々に亡くなる方を前に、なにもできなかったことを悔やむ医療の専門家も出るでしょう。

こういう遺族・家族や、後遺症を抱えながら暮らす人、何もできなかったと悔やむ専門家たちを、私たちのこの社会はどのように大事に受けとめて、共に生きていくことができるのか。新型コロナウイルス感染症がもたらした悲しみや苦しみとともに、それでもなお生きていかなければいけない人たちと、私たちはどのような作法で向き合っていくのか。

いままで学校事故・事件の事後対応、特に被害者家族や遺族のみなさんの諸課題について考えてきた自分は、この「新型コロナウイルス感染症がもたらした悲しみや苦しみとともに、それでもなお生きていかなければいけない人たち」の課題とも向き合っていく。こういう人たちを大事に受けとめられるような社会のあり方を考えていく。今後は、そういう仕事にも取り組んでいきたいなあって思います。

ちなみに私、他の大学教員のみなさんが関心を持っている「遠隔授業のやり方」がどうのとか、そんな話には「あまり、興味わかない」状態です(どうしても必要に迫られたら、嫌でもやると思いますが・・・。私にとってのパワーポイントの使用と同じですね・・・)。

むしろ今は、感染症のリスク管理が個々の人間と社会もたらす負の側面とか(ほんとうに「都市封鎖」なんてやってしまったら、その間、さまざまな経済的・社会的な活動が止まってしまうわけで・・・)、その負の側面を緩和するための新しい福祉国家のあり方とか、そして、この「新型コロナウイルス感染症がもたらした悲しみや苦しみとともに、それでもなお生きていかなければいけない人たち」のこととか。そういう課題ばかりが気になって仕方がありません。なんか、この機会に、まじめに人文系の研究者として考えておきたいことが多くて・・・。

あとは、この際、世界史・地理・日本史の「お勉強」をすることくらいですかねえ、いま、関心が向くのは(新年度から「社会科公民科教育法」に加えて、「社会科地歴科教育法」という科目も担当しますので)。

ということで、忘れないうちに、おとといから自分が考えていることをまとめておきますね。

(フェイスブックに昨夜書き込んだことに加筆修正を行って、こちらに転載しておきました)