できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

西宮の新市長のあいさつを「市政ニュース」で読んで思ったこと。

2014-05-25 14:21:34 | ニュース
西宮市政ニュースWEB版 2014年5月25日、第1435号
「今村市政スタート」から
http://www.nishi.or.jp/homepage/shicyo/koho/shiseinews/2014/14_0525/201405251435_0101.html

今日配付された西宮市政ニュースの、新市長のあいさつの部分のWEB版。一見ことばづかいがていねいだから騙されそうに見えるが、これ読んだだけで、橋下市政のミニ版を彼が西宮でやろうとしていることがわかる。そのポイントは次の3点。
(1)まず彼は「スピード感を持って、それでいて堅実で合理的な改革」というが、具体的に何をするのかはここで一切語っていない。「改革者」イメージを先行して定着させようとしている。
(2)(1)の政治に取り組むために、市長としての彼は市内のいろんな催し、賞状授与などの場面に出るのを「やりたくない」という意思表明をこの文章のなかでしている。
 本来こういう場面は市長として市民に直接触れて、市内でどんな活動が行われているのかを知る重要なチャンスだとも思う。だが、彼にはそういう発想はない。
(3)そして、「これからの政治は、「市に何をしてほしいか」を陳情して、それを政治が実現するというものではなく、「自分たちが西宮に対して何ができるか」を考えていただき」とか、「陳情ではなく、合理的な提案がいただけるなら、どんどん検討することをお約束」とかいう、彼のあいさつのくだり。
 要は彼が自分の施政運営方針に沿って、使えそうな市民の声を聴き、手下のように動いてくれることを求めている、とも読める。「陳情なんて聞きたくない」といっているかのようにも読める。
 ちなみに、これはアメリカのケネディ大統領の就任演説を参考にしているのかもしれないが、少なくともケネディは差別や貧困などの国内問題の解決に向けて、アメリカの市民に「何ができるか」を考えていただきたいと呼びかけたかと思う。
 でも、彼のこの就任直後の新市長あいさつには、そういうマイノリティや困難な生活を営む人々への共感を示したような言葉はない。
 以上3点、彼の新市長としてのあいさつを市政ニュースで読んでの率直な感想でした。


このブログ、秋には別のところに引っ越しします。

2014-05-23 21:13:10 | 悩み
http://blogzine.jp/close.html

このブログを運営するにあたって、OCNブログ人のサービスを使ってきたのですが、そこが別添の記事のとおり、2014年11月末をもってサービスを停止するそうです。
それにあわせて、このブログも秋以降、どこかに移転することを考えなければいけなくなりました。
詳しいことが決まり次第、また別途、お知らせします。


「ゼロ・トレランス」導入の前に大阪市教委がすべきこと

2014-05-18 22:06:44 | ニュース
大阪市立校:「問題行動に即罰則」検討 暴力急増背景に(毎日新聞 2014年05月18日 12時30分)
http://mainichi.jp/select/news/20140518k0000m040105000c.html

※大阪市教委が子どもたちの「問題」行動に対して、ゼロ・トレランスを導入するとか。
 下記の内容はその「ゼロ・トレランス」に関して、フェイスブックにも書いたことですが、こちらにも書いておきます。
 「ゼロ・トレランス」導入の前に、それを導入しなければならなくなるほど、子どもたちを荒れさせている背景には何があるのか。そこをまずはしっかりと、大阪市の教育行政や学校が考えること。
 また、その「荒れ」の背景要因に一連の大阪市の教育改革があるのならば、それを一刻も早く停止すること。
 そのことのほうが「ゼロ・トレランス」の前にやるべきことではないか、と思います。
 だいたい、そもそも大阪市の中学校給食(弁当給食)導入で、いま、子どもたちの不満が相当高まっていると聴いています。

<以下、フェイスブックに書いたこと>
ちなみに船木正文「ゼロ・トレランス批判と代替施策の模索」(『季刊教育法』第153号、2007年6月)では、「ゼロ・トレランス」がもたらす問題として、次のことを指摘しています。

(1)マイノリティ生徒への差別的効果
「ゼロ・トレランスでは、圧倒的にアフリカ系とラティーノ系の生徒がターゲットになっているが、低学力の生徒、学習障害児、家庭環境に恵まれない生徒も多数対象になっている。」(p.30)
「ゼロ・トレランスは、差別と格差を生む社会構造を反映し、学校内の不平等を維持ないしは悪化させ、排除される生徒にとっては生涯にわたるダメージを与えると避難され、とくに社会的に恵まれない環境の都市部の学校では人種・階層と暴力・犯罪との関連性がより追及されるべき本質問題である。」(p.30)
「今日ではゼロ・トレランスが十把一絡げあるいは紋切型に適用され、暴力を伴わない喫煙や無断欠席等の軽微な違反行為を理由に、あるいはキーチェーン、ホッチキス、図形コンパス、レモン飴、喘息吸入器等が凶器や薬物とみなされて処分され、しかも重大とは言えない違反行為に対し学校が過剰に反応し警察機関による介入に依存するケースもきわめて多い。少数の重大な暴力事件のために多数の軽微な「違反」行為を包摂する結果になっているのである。」(p.30)

(2)排除生徒の犯罪再生産効果
※この論文では、全米各州でゼロ・トレランスが定められているが、26州だけが学区に代替教育の保障を命じていること。また、その代替教育の保障については学区の裁量権があり、多くが代替プログラムを制度化していないこと。その結果、懲戒処分で学校から排除された生徒の44%が代替教育が保障されない状態にある(1996~99年)ことが紹介されている。また、この論文では、代替プログラムの多くが「問題」生徒を収容するだけで、十分な教育が保障されず、疎外感や敵対心がさらに生徒の学力低下を招いているともいう。
「結局、排除される生徒は留年しあるいは学校復帰が困難となってドロップ・アウトし、非行・犯罪の原因が散在する路上に放置され、その後刑務所に収容されるケースも多い。」(p.31)

(3)ゼロ・トレランスの正当性
「生徒の個別の事情や行為の意図等に関し教育的裁量ないし考慮の余地のない権威的で杓子定規に適用されるゼロ・トレランスから、生徒は法の不公正と不合理を学び、あるいは大人からの不適正な処遇に疎外感と反抗心を強め、したがって生徒の更生と学校秩序の改善に効果を期待することはできない。」(p.31)