できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

なかなか更新まで手がまわりません。

2008-01-26 11:57:41 | 悩み

かなり更新が途切れていますが、これから学期末・学年末の忙しい時期に大学での仕事が入りますので、引き続き、手がまわらない状況かと思います。

連日、このブログに、みなさんがいろんな形でアクセスしてくださっている状況だけは把握しているのですが・・・・。

このような次第で、たいへん申し訳ありません。他の仕事がひととおり片付くまで、今しばらくお待ちください。

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新しい年を迎えました。

2008-01-01 19:20:17 | 学問

2008年の元旦を迎えました。本年もどうぞよろしくおつきあいください。

さて、2006年8月末に大阪市の青少年会館条例「廃止」方針が打ち出され、その後、いろんな反対の動きがあるなかで、前市長の決めた方針にしたがって、2006年度末に本当に青少年会館条例が廃止され、大阪市の青少年会館事業は事実上「解体」されてしまいました。

また、大阪市内の旧青少年会館施設は、2007年度は暫定的に「市民利用施設」として、団体・グループ登録と事前申込の手続きをふまえた人たちそこがを利用できるという形態がとられるとともに、以前から実施してきた「ほっとスペース事業」などがそこを引き続き利用してきました。(ちなみに、周知のとおり、大阪市教育委員会で行ってきた青少年関連の取り組みの多くが、市民局や健康福祉局で実施されてきた青少年関連事業とともに、2007年春に設置された「こども青少年局」に移されています。この「ほっとスペース事業」も、2007年度からは「こども青少年局」の事業です。でも、旧青少年会館施設の管理者は、今も大阪市教委のようです。)

しかし、誠に残念ながら、地元住民や市民などによる旧青少年会館施設の利用は、体育館やグラウンドといったスポーツ施設部分はかなりの利用があるものの、会議室や各種の学習スペースのある旧本館部分の利用は、今のところ、それほどすすんでいない状況にあります。このことは、いろんなところで私のかかわっている調査プロジェクトの報告の情報を流しているので、すでにご存知の方も多いかと思いますが。

ただ、それでも、2007年度の「市民利用施設」としての活用のなかで、例えば地元住民や保護者の側から子ども会活動をやってみたいという人々が出てきたり、若者の自主的な文化活動サークルが生まれたりしてきた。まだ芽は小さいものの、そういうプラス面の動きもできつつあるのが今の状況です。

そんな状況のなかで、私は最近、過去の解放教育・同和教育論、あるいは解放運動論、(子どもだけに限らず)人権論関係の文献や、児童館・青少年社会教育施設、隣保館などの運営に関する文献、青少年の学校外活動論や児童福祉施策などに関する文献を、あらためて今、読み直す作業を始めました。

それは、「過去の議論のなかの何が今の状況のなかでも使えて、何が使えないか?」ということや、あるいは「今、あらためてきちんと青少年の学校外活動について、何を、どのような観点から論じる必要があるのか?」を見極める作業が必要、という私なりの問題意識に沿ってのことです。

これはまだ私の個人的な思いでしかありませんが、今後の旧青少年会館施設の活用に関する議論や、大阪市の青少年施策の今後の方向性を検討する議論を行うためには、きちんとした理論(運動論)形成と、その前提としての現状分析と過去の検証の次元からやり直す必要があると感じています。

なにしろ、1960年代までの解放運動などの理論・施策・実践に関する取り組みの蓄積の上にたって、1970年代に大阪市内の旧青少年会館事業が開始され、施設がつくられ、そこで実践を行ってきた。また、内実はどこかで変質したのかもしれませんが、一応、70年代に作られた理論・施策・実践の枠組みで、旧青少年会館事業は約30年以上継続してきたわけです。いわば、いいにせよ悪いにせよ、旧青少年会館事業を支えてきた理論的な枠組みは、約30年近い生命力を持ってきた、といえるわけです。

私としては、今、その約30年近い生命力を保ってきた旧青少年会館事業の枠組みが今、通用しなくなっているのだとすると、これから先の取り組みについても、「30年とまでいかなくても、せめて10年は持つような枠組み」で理論的な枠組みを構築していかなければ、状況の変化に対応できるものにはならないのではないか、と思うわけです。

しかし、少なくとも私は、「全く何もないところから、新たなものを生み出す」というようなことはできません。とすれば、「せめて10年は持つような理論的な枠組み」を構築するということになったとしても、やはり、「今までに積み上げてきた理論や施策、実践をベースにしながら、その成果と課題をどのように継承するのか?」という観点から考えていくしか、今の私にできることはないように思っています。

このような次第で、これからしばらくの間、例えばこのブログや他の場面で私が言うことというのは、古本や古雑誌をひっくり返して、「昔、こんなことを言っていた人がいる」というような話ばかりが続くかと思います。でも、その裏側には、旧青少年会館事業をめぐる今の状況のなかで、「これまでの理論・施策・実践を支えてきた枠組みのなかで何が使えて、何が使えないかを見極める」という、きわめて現実的な課題がある。そのように理解していただければ幸いです。(ただ、教育や福祉に限らず、大阪市の青少年施策や日本の青少年施策、これに関する理論的な研究動向などについて、その時々で「これは言っておかねば」という話があれば、その古い文献から学んだことを書く合間、合間に書いていくことになりますが。)

また、あいかわらず本業である大学での仕事もかなり忙しいので、こういった古い理論・施策・実践などを検討しなおす作業は、細々と、息の長い仕事として継続していくことになりそうです。だから、このブログの更新も、あるときはまとめて(あるいは続けて)書いたり、また別のときはちっとも書かなかったり、という感じで、不定期更新という形にしかできないかと思います。

このような次第で、このブログは今後とも不定期に更新をすることになるかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。

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