できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

札幌での講演会で話したこと

2013-05-20 08:44:15 | 受験・学校
5月19日(日)午後、札幌で「こどけん」(子どもの権利条約市民会議)主催の講演会がありました。
この写真のとおり、子どもの自殺防止がテーマになっての講演会。
2012年12月14日に札幌市教委の調査委員会がだした子どもの自殺に関する報告書をもとにして、そこから何がわかるのか、何がわからないのか、そこがわからないような報告書になってしまった理由は何か、といったことをまとめて話しました。
これまでに見た教育行政の調査報告書のなかでは、かなり誠実に作業をしているという印象を受けたものの、この札幌市教委の報告書、「時系列的に経過を整理して書いていない」ために、「何が背景要因のなかで大事なポイントか?」が見えづらいという印象を抱きました。
また、調査委員会のメンバーのなかに当該中学校の校長や市教委の部長が入っていることで、どうしても、亡くなった子どもやその子どものいたクラスにたいして、当該中学校の教員がどう対処したのか、この学校がそもそもどのような課題を抱えた学校だったのかという点についての検討が弱いような印象も抱きました。
その結果、事実経過の検証作業から導き出される再発防止に向けての提言が、ごくありきたりな話で終わっているようにも思いました。
その一方で、スクールカウンセラー(SC)やスクールカウンセラーのスーパーバイザー(SCSV)が緊急支援としてかかわる形で、学校で子どもが亡くなったあとの対応(事後対応)がどのようにすすめられているのかも、この報告書からはよくわかりました。特に、子どもがいろんな葛藤を抱えながらも調査には積極的に協力していたこと、その子どもたちのケアに現場教職員が積極的にかかわることで、調査が生み出す子どもの心理的負担がかなり軽減されていたことが、報告書で触れられていました。でも、SCやSCSVは、子どもの心理的負担の部分をかなり強調する形で記録を残していたことも、報告書では紹介されています。これなどは、見ようによっては、報告書をまとめた調査委が暗に「これ以上、はれ物にさわらないで」と言っているようにも見えますね。
いずれにせよ、この報告書の内容、大津市の報告書などと比べて読むと、いろんなことが見えてきて、とてもよかったです。
ひとまず昨日、講演で話したことの要点のみ、お知らせします。

960289_586009044764129_110602444__2





新刊のおしらせ 大貫隆志編著『「指導死」』

2013-05-18 07:48:25 | 受験・学校
Shidoushi_0002

来週あたりから書店に並ぶと思いますが、大貫隆志さん編著の『「指導死」』(高文研)に、私も原稿を書きました。
学校での教員の過剰な叱責・暴力(体罰)などを苦にして子どもが自死する現象、これを遺族のみなさんは「指導死」と呼んでいるのですが、その「指導死」が起こる背景について、私なりの考察をまとめています。






近々予定されている講演会・集会の告知

2013-05-13 00:17:29 | ニュース

ほんとうは例の大阪市の外部監察チームが出した報告書の内容について、いろいろとコメントをしたいところではありますが・・・。まだその準備が整っていません。申し訳ありません。なかなか思うように作業をする時間がとれなくて・・・・。

さて、私が出る形で近々予定されている講演会、集会の告知を、この場をお借りしてさせていただきます。

<その1> 
札幌市子どもの権利条例市民会議(こどけん)主催の講演会。
「ほっとけない!子どもの自殺-札幌市の報告書(2012年12月14日)から考える」
2013年5月19日(日)14時半~16時40分 社会福祉総合センター(札幌市)
544087_531953680189728_1325918448_n

<その2>
浅田羽菜さんの家族とともに歩む会主催
「“事実を知りたい”という遺族の願いに寄り添って―学校事故と第三者委員会の役割とは―」
2013年6月7日(金)19時~20時半 京都市こども未来館第2研修室。
525335_517732001640003_1408081227_n
<その3>
反体罰NPO・研究者連絡会主催の集会
「今日からはじめよう! 子どもとおとなの「いい関係」づくり ~体罰のない社会をめざして~」
2013年7月7日(日) 13時30分~16時30分 とよなか男女共同参画推進センター「すてっぷ」セミナー室(参加には事前申し込みが必要です)。
936627_255890301222771_15183450_n


関西テレビの番組「みんなの学校」を見て

2013-05-06 11:13:59 | ニュース
http://digital.asahi.com/area/osaka/articles/OSK201304300151.html?ref=comkiji_txt_end_s_kjid_OSK201304300151
(朝日新聞デジタル2013年5月1日付け:みんなの学校、密着1年 大阪の関西テレビ、6日放送)

http://www.ktv.jp/document/index.html
(関西テレビ:ザ・ドキュメント みんなの学校 2013年5月5日 24時25分~放送)

この「みんなの学校」の録画、先ほど我が家で、カーテンレールの付け替えをする前にひととおり見ました。
たぶん「ケアする学校」という言葉がぴったりくるんじゃないですかね、この小学校の取り組みって。印象的だったのは、日常生活のなかでのささいな子どもどうしのトラブルに、校長以下の教職員がていねいに向き合っているということ。それと、障害のある子どもや家庭環境にさまざまな課題のある子どもを、まずは大事に学校で抱えていくということ。この2点でした。そう考えると、「保育」あるいは「福祉」と「教育」との相互浸透みたいな切り口から、この学校の取り組みを考えていったほうがいいのかな・・・という気もしています。
また、子どもの数に対して配置されてる教職員数も、比較的多めに居るような印象を画面上からは受けました。そのことで、学級担任がひとりで課題のある子どもを抱え込まずに済んでいること、ある教員の叱り方の問題などに対して、校長や別の教員がきっちり「それはちがうんじゃないか?」と指摘するなどの対応も可能になっています。このあたりの学校の条件整備がどんな風に行われているのか、知りたいところです。あと、定期的に気になる子どもについて、教員間での意見交換や連絡調整もしていましたしね。
それともうひとつが、こういう学校の取り組みを可能にしているのは、やはり校長が課題のあるひとりひとりの子どもの顔と名前を覚えられるくらい、学校が小規模だ、ということもあるのではないでしょうか。全校児童あつめて「道徳の時間」をもって、そこで校長から今の子どもたちの生活上の課題を取り上げて、話をすることだって可能ですから。
とすれば、大阪市内で今後「学校選択制」を実施したり、「学校統廃合」を無理にすすめたら、この学校のよさ、なくなりかねませんね。
あと、「商売繁盛やのに、給料下がるなあ」と、番組の終わりのほうで校長がつぶやいた場面。これも印象的ですね。
正直なところ、「小学校での英語学習」だとか「学力向上のための特別な補習」だとか、あるいは「みんなで●●検定の何級合格を目指そう」とか、何か華々しく学校外の人々をひきつけるような、そんな「目玉商品」みたいな実践は、この学校にはありません。
しかし、日々の子どもたちどうし、子どもと教職員+学校に出入りする地域の人々のかかわりをていねいにつくっていこうという、そういう姿勢のうかがえる学校でした。
きっと、今すすめられている教育改革のベクトルとは、大きく向きの異なる学校。また、大津市の中2いじめ自殺の調査報告書を念頭に番組をみると、「きっといじめを防ぐための学校づくりって、こういう条件整備と取り組みの両面から入っていく必要があるんだろうなあ」って感じました。


同じ経過を「子どもに寄り添って」見るのか、「おとなの事情」を介在させて見るのか?

2013-05-03 11:09:15 | インポート

こちらの新聞記事ですが・・・。

http://mainichi.jp/area/news/20130502ddf001040004000c.html

(兵庫・川西の高2自殺:いじめ、関連不明、第三者委が調査報告:2013年5月2日、毎日新聞大阪夕刊)

川西のオンブズ側の出した報告書と、県教委の第三者委の出した報告書、両方を読み比べて、何が結論の違いに至ったかを検証したいところです。

ただ、私がこの件について、これまで読んだ新聞記事や今回の新聞記事からわかる範囲でコメントするならば・・・。

(1)県教委の第三者委も川西のオンブズも、亡くなった子どもに対する高校での1学期中のいじめが、その子どもの生きる気力を奪い、無力感を抱くまでに至ったということ。そのことは両方とも認めている。

(2)また、子どもが亡くなったあとの学校の対応について、自殺を「不慮の事故」という形にしようとした点など、県教委の第三者委も「問題だ」と言わざるをえなかった。この点はおそらく、川西オンブズも同様のことを指摘しているだろう。

(3)しかし上記(1)(2)は、これまでに新聞報道などで判明していることなどからも言えることであり、川西オンブズ・県教委の第三者委、両者の見解の相違があまり生まれない部分でもある。

(4)その上で残る問題は、夏休みの終わりごろに、亡くなった子どもが自殺をほのめかすようなことを言ったり、文章やメールにして残したりしていない、ということをどう見るか。そこについて、県教委の第三者委と川西のオンブズの判断がわかれてくる。

(5)おそらく県教委の第三者委は、確たる証拠がないということから、自殺といじめとの直接的なつながりを認めることを躊躇した、もしくは、意識的に判断を回避した、ということ。それは見ようによっては「慎重で誠実な判断」ということも言える。だが、別の言い方をすれば、「県教委側は専門家のこのコメントをたてにとって、いじめがあった事実を認めるが、それと自殺とのつながりを認めない、という主張を裁判ではするぞ」ということでもある。要するに、県教委の第三者委は「おとなの事情」で、こういう判断をした、ということである。

(6)これに対してオンブズは、「最終的にこれが決めてだ、ということは見当たらない」という留保をつけながらも、「しかし、夏休み前までの深刻ないじめがなければ、はたしてこの子どもは、生きる気力を奪われたり、無力感を抱いたりしただろうか?」と考えてみたのではないか。とすれば「今のところ最終的にそう判断する決め手はないとしても、でも、いじめが何らかの形でこの子が死のうと思った背景にあったことは推測できる」と、オンブズの立場から言わざるをえない。要するに、川西オンブズの側は、「できる限り、その子どもの側に寄り添ってみる」という立場から判断をした、ということである。

さて、川西のオンブズ、県教委の第三者委、どちらのほうが、より「真相に近い」ことを判断し、自らの言葉で語っているのだろうか??

最終的な報告書を読み比べてみないとわからないのだけど、「おとなの事情」が介在しない分、私は明確に川西オンブズの側だと思うのだけど・・・。

※今週はこのほかにも、大阪市の外部監察チームが体罰問題に関する最終報告書をまとめるなど、まるで「行政サイドは連休前に出せば、マスコミは騒がないだろう」とでも思ってやってるのか・・・と思うような、重要な動きがいくつかありました。そのことについても、連休を利用して、このブログで書いていきたいです。