できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

「教委廃止論」に思うこと

2012-11-25 16:54:20 | ニュース

20121117_2
この画像は、先週11月17日(土)の京都新聞朝刊に掲載された記事です。左側のほうが私のインタビュー記事、右側のほうが京都大学の高見茂さんへのインタビュー記事です。一応、テーマは「いじめ問題と教育委員会制度」ということになっています。
ちなみに私のほうは、これまでの学校事故・事件でお子さんを亡くされた遺族のみなさんとのかかわりのなかから、いつも語ってきたように、誠実に学校・教育行政が事実経過の解明作業をやってほしいということと、そのためのシステム(第三者委員会の設置を含む)の構築という話をしました。また、いじめ自殺事件への教育委員会の対応がよくないからといって、教育委員会を廃止して首長直轄の部局に教育行政を位置づけるという話についても、「従来の遺族対応のノウハウが首長に引き継がれる危険性もあるので、それでうまくいくとは限らない」とか、「本質的に筋違いな話」とあえて言っています。
そして、教育行政の改革を含むあらゆる改革は「外科手術」のようなもので、きちんとした診たてにもとづいてやらないと、学校や教育行政のまだ健全な部分をも傷つけてしまう。今、いじめ自殺事件への対応で必要なのは、教育行政の「体質改善」であって、教委廃止のような「外科手術」ではない、という言い方もしました。これはよく学校事故・事件でお子さんを亡くされた遺族から出てくる、学校や教育行政の「隠ぺい体質」という言葉にひっかけてのコメントです。
もちろん、私の考え方がベストだとか、ベターだとかいう気はありません。ですが、このところ何かといじめ自殺問題にひっかけて、次の衆院選に向けて各政党がマニフェストのなかでいろんな提案を出してきています。その提案の中身が、どうも遺族側の思っていることとかなりずれているというのか、見当違いの方向に教育行政や学校を持っていくものになっているように思えてならない・・・・。「教委廃止論」もそのうちのひとつなので、あえて、それにクギを刺すつもりで、インタビューにはこんな答え方をしました。
これから何か、教育行政のあり方を考える際のご参考にしていただければ幸いです。もちろん、衆院選で出してくる各政党のマニフェストを読む際にも、です。

※追記:プロフィール画像、変えてみました。ある学生が描いてくれた私の似顔絵(右)と、そこからその学生が想像した「若かりし頃」の顔(左)だそうです。右側はかなり似てますが、左側はめっちゃ美化しているような印象です。


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2つを読み比べてみてください。

2012-11-19 11:41:22 | ニュース

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この写真は、昨日の朝日新聞に出ていた意見広告。「子どもたち一人ひとりに目が行き届く教育環境の実現」をもとめて出されたものです。
その一方で、こちらはNHKのニュース配信記事。自民党の教育改革の提案がまとまったというニュースです。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121117/k10013562601000.html
この両方を読み比べてみてください。
どちらのほうが、子どもの人権保障をすすめる教育施策でしょうか?
どちらのほうが、子どもたちの過ごしやすい学校生活を実現する施策でしょうか?
中身を読めば、すぐにお分かりいただけるのではないかな、と思います。
ちなみに、「いじめ防止条例」がはらんでいる問題点については、すでにこのブログで何度か指摘しています。
あと、私がこのブログで「いじめ防止条例」に関して書いたことなどを、次のブログがうまく要点を整理してくださっていますので、こちらも参考にしてください。
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1056.html


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「指導死」問題を考える集会に出て思うこと

2012-11-18 10:08:32 | ニュース

http://edugarden.blog50.fc2.com/blog-entry-3337.html
昨日、東京・浜松町で、「指導死」問題を考える遺族のみなさんの集会がありました。
日頃、全国学校事故・事件を語る会や、NPO法人ジェントルハート・プロジェクトの取り組みなどで、学校での教員の「指導」に起因すると思われる子どもの死(特に自死)のケースを見聞きすることがあります。
たとえば子どもを心身ともに追いつめ、逃げ場をなくすような形で指導をするとか、生徒指導や部活動指導中の暴言(パワー・ハラスメントといってもよい)とか、そして「体罰」。こういったケースによる子どもの死を、遺族のみなさんは「指導死」と呼んでいます。
大津市のいじめ自殺問題以外にも、学校で子どもが自死に至るケースとしてはこういう「指導死」というケースがある。このことについても、やはりいじめ自殺と同様に事実経過の検討や原因究明の作業が十分に行われていないなど、遺族の側から伝えたいことが多々ある。ということで、昨日の集会が開かれたのでした。
この集会の概要については、上記のブログが詳しく紹介しておられるので、そちらを見てください。
ちなみに、当初「40人くらいの参加では?」と思われた昨日のこの集会ですが、60人近くの方が来られました。また、テレビ局や新聞社などの取材もかなりありました。私も遅れて参加したのですが、座る場所が見つからないくらいの状況でした。
ただ、私はこの頃思うのです。子どもの学校生活での安全・安心、特に子どもの「いのち」にかかわるような課題というのは、教育学の研究者や学校現場の教職員、教育行政の職員、そしてソーシャルワーカーやカウンセラーなど子どもに関わる専門職の、誰であっても「一番の関心事」でなければいけないのではないか、と。ところが、昨日の集会でも、教育学系では、このような遺族の集まる場でいつも顔合わせるおなじみの教育学研究者、教育評論家の方しか姿がないんですよね。
だから「教育学系の研究者はみんな、いったい、いま、どこへ行っているのか?」ということ。「この問題に、あんまり関心がないのかな??」ということ。そして「関心がないのだとしたら、あなたたち、本気で「子どものいのちを大切にする」とか「子どもの人権が大事」とか言ってるの?」ということ。そんなことを、昨日もあらためて感じましたし、このごろ日々、強く感じるようになりました。
「本当は「指導死」のようなテーマこそ、教育学の研究でも重要課題として取り上げて、もっと議論すべきことではないのか??」「私たちが大学や短大などで養成し、送り出した教職員が、こうした「指導死」などということに関わっているということを、大学の教職課程担当としてどう受け止めるの??」と、言いたくなった次第です。もちろん、このことは、教育学の研究者であり大学の教職課程担当の立場もある私にも、ぐさっと突き刺さることではありますが。


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昨日の講演会で話したこと

2012-11-17 09:41:33 | 受験・学校
昨日、大阪の弁天町で、国際人権規約連続学習会がありました。ここで「いじめ問題を子どもの人権の視点から考える」というテーマで、私が講演をしました。この講演会ですが、だいたい、こんなことをひととおり話しました。

<はじめに>
だいたい最近、マスコミ(新聞・テレビ)の取材を受けるたびに私が話しているのは、こんなこと。

(1)子どもの人権論の視点から見たいじめ・自殺の問題。
子どもの権利条約にいう「生命への権利」の最大の侵害だし、国連子どもの権利委員会からも3回も勧告受けてるし、自殺対策基本法もあるし・・・。政府・自治体として防止策をきっちりとらなきゃいけないでしょ、ということ。そのためには事実経過を検証して、実効性のある防止策とらなきゃいけないでしょ、ということ。なにしろ政府の自殺対策でも「社会的要因」とか「追いつめられた末の死」とかいうんだから。

(2)学校で子どもを亡くした遺族たちの側から
「なぜ我が子が死に至ったのか、その経過を知りたい」という強い願いがある、ということ。でも、それが裏切られ続けてきた経過もある、ということ。我が子の死で傷つき、それ以後の対応で傷つき、二度も傷つき、遺族は孤立している傾向にある。でも、遺族の願いは、(1)で書いた経過の検証など、子どもの人権論が求めていることとも重なるはず。

(3)2011年6月の文科省通知をめぐって
文科省も自殺対策基本法が出来て以来、調査研究をすすめてきて、自殺防止の手引きみたいなものをつくってきた。その調査研究のヒアリングのなかで、遺族側の要望を聞いた。その結果でてきたのが、子どもの自殺事案(疑いを含む)が生じたときに、学校や教育行政が遺族と協議しながら調査をすすめることや、第三者委員会の設置に関する通知。
でも、その通知の趣旨を曲解したり、その通知のとおりに動かない自治体教委もある。
その一方で、その通知の趣旨どおりに動くと、検証のなかで、学校側の子ども理解のあり方、子どもたちの人間関係のあり方など、生徒指導や人権教育などの面での対応の問題点がいくつか見えてきた。
こうした検証の結果をふまえた防止策をつくることが大事。だから、遺族の願いにこたえようと努力する自治体教委・学校ほど、防止策は進むのではないか。

(4)文科省のいじめ・自殺防止策について
文科省もこの間、いじめ防止についてはいろんな通知を出してきた。「いじめを許さない」学校の雰囲気づくり、ひとりひとりの子どもへの教職員の理解を深めること、教育相談体制の充実、出席停止措置の適用、家庭や地域社会との連携、などなど。また、自殺防止についても、教職員向けの手引きやリーフレットの作成なども行ってきた。
でも、こうした文科省のもとめるところが、はたして自治体教委や学校現場にまできちんと周知されて、現場に受け入れられて、実施されているのだろうか。また、そもそもこうした取り組みは、過去の事例に照らして、妥当なものなのか。さらに、肝心の子どもや、子どものそばにいる保護者たちからは、どのように映っているのか。そして、こうした取り組みを学校現場が積極的に取り組めるよう、教職員の配置などの条件整備は適切に行われているのだろうか。

(5)学校への警察介入をめぐって
たとえばいじめのなかに恐喝や暴行など、被害が深刻なケースがあって、被害を受けた子どもや保護者が警察に通報するケースもあるだろう。警察介入も一定、被害を受けた子どもの側に立ってみれば、やむをえない場合がある。
と同時に、警察が介入して捜査をするからということで、学校や教育行政が何もしなくていいということにはならない。警察の捜査の観点と、学校や教育行政が被害を受けた子ども、加害者になった子ども、周囲の子どもに教育的に取り組むべき課題を明らかにする観点は、おのずから違うはずである。やはり、学校・教育行政として、自分たちが何をすべきかを考える上でも、警察がたとえ介入しても経過の検証はすべきである。
このほか、不利な自白を強要されないとか、警察の捜査などに対する子どもの防御など、少年警察活動に対する子どもの人権についての啓発も重要である。そういう準備を、日本の学校はしているのか?

(6)「いじめ防止条例」をめぐって
いじめ防止条例を作ろうとする自治体が出てきているが、その趣旨や中身を検討しなおす必要がある。
今、できている条例を見ると、「これはあなたたちの責任で解決しなさい」「あなたたちの問題」と言って、条例を定める議会や首長が、一番しんどいことを子どもや保護者、学校現場に丸投げしているかのような印象がある。
「学校の責務」「保護者の責務」「子どもの役割」などを規定するのではなくて、もう少し「子どもの権利条例」的なものにして、当事者である子どもやその周囲に居る保護者、学校などを積極的に支援する条例にしていくこともできるはず。なぜ、そちらの道はとらないのか?

<おわりに>
子どものいじめや自殺の問題から浮かび上がってくるのは、我々教育学の研究者や現場教職員、教育行政職員、カウンセラーやソーシャルワーカーなどの子どもに関する専門職の人権感覚の問題。しんどいかもしれないが、我々の至らない部分と向き合っていくことしか、状況は改善されない。
遺族の願いに沿って事実経過を検証し、再発防止策が作れるかどうか。しんどくても、そこをやらないといけない。
再発防止策づくりにあたっても、子どもや保護者の意見を聴きながら、「権利基盤型アプローチ」で作っていく必要があるだろう。


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大津市子どものいじめの防止に関する条例(中間案)に思うこと

2012-11-11 10:59:29 | ニュース
先日、ある方から、「大津市子どものいじめの防止に関する条例(中間案)」を見せていただきました。
この条例案を、現在、大津市の第三者委員会が最終報告と提言をまとめる前に、大津市議会では12月議会に提出、可決成立させたいと思っているようです。なおかつ、これに類似の条例を各地で制定しようという動きや、これを国レベルの法律にしよう(たとえば「いじめ対策法」のようなもの)という動きもあるようです。
みなさん、これ読んで、どう思いますか??
自治体が子どもに関する条例をつくることを「いけない」という気はありませんが、私はこの条例案なら、作るのをやめてほしいと思いました。
本当に条例案を作りたいなら、せめて12月をめどに第三者委員会が出してくる最終報告を待ってから動くべきだし、市民、特に大津で暮らす子どもたちの意見を反映させてつくるべきだろう、と思いました。
ある意味、「子どもの権利条例」や「子どもの人権オンブズパーソン条例」を作ることに対する「妨害」のようなものかな、とすら思います。(参考までに、川崎市の子どもの権利条例のHPを書いておきます。どれだけ、川崎市の条例のほうが格調高く、子どもへの信頼・愛情に満ちているかわかります。 http://www.city.kawasaki.jp/shisei/category/60-2-1-1-0-0-0-0-0-0.html
以下、条文の内容を読んで、気づいたことをまとめます。具体的な条文は、下記に書いてあります。
「家庭の責務」や「子どもの役割」などを条例で定めて、今まで以上に当事者である子ども、そして我が子がいじめている・いじめられているかもしれないということで悩んでいる親たちを追いつめて、どうするんだろう、と思います。
特に6条などを見ると、いじめが起きるのは家庭教育の責任、だから、家庭教育の強化ということから「親学」導入を・・・と、「親学」推進派が大喜びするような中身になっていますね。
また7条の「子どもの役割」で、いじめを受けた子どもは「相談するものとする」と。それが簡単にできない状況に追い詰められている、そこをどう考えるのか。一番しんどい状況にある子どもに、「お前らが動かないからダメなんだ」と言っているようにも思えます。
あるいは「学校の責務」を定めているのなら、それを学校が実施できるように徹底したバックアップ体制を市がとるべきだと思うのですが、条例のなかには14条で「適切な財政的措置」という言葉がひとつあるだけですね。
たとえば、もしも学校がこの責務を十分に果たすためには、大量の教員の増員が必要と判断されたときには、大津市は「適切な財政的措置」ということで、市費負担教職員を増やすんですかね?? あるいは滋賀県・県教委や文科省に増員の要求を出すんですかね?? そんなときには、大津市及び大津市議会は、市の財政負担をタテにとって、きっと増員に難色を示すと思います。
さらに、5条や11条との関係を考えると、一応「人権」という言葉をかぶせつつも、実態としてはこれ、「道徳教育強化」条例です。
ほかにも、3条でいう学校に高校と特別支援学校が入りますが、県立・私立・国立の高校、あるいは県立の特別支援学校に、市の条例で5条でいう「責務」を課すことができるのかどうか。もしも今の法解釈上、大津ではこれが「できる」というのであれば、当然、川西市の子どもの人権オンブズパーソンは、川西市内の県立高校でおきたいじめ自殺事案に介入してもいい、ということになるでしょう。
あるいは、18条の「委員会への協力」。一応、この条例では第三者委員会を常設して、その第三者委員会が日常的にいじめなどの相談・調整などに応じるシステムにしていますが、この「協力」義務を負う立場に、「市の機関」って入っていないですよね。条例3条でいう「関係機関等」って、警察署や児童相談所などを想定しているようですし。たぶん3条の「関係機関等」の解釈で、なんとか市教委を入れるのでしょうけど。でもこれ、18条の条文を字面どおり解釈したら、市教委の対応に問題があったとき、市教委はこの「協力」義務、自分らには適用されないとか言い出しかねないですね。
総じて、「子どもが安心して学ぶ環境」を「社会全体でつくる」というタテマエに立ちながら、市は計画つくって、啓発キャンペーンやって、第三者委員会さえ開いていればそれでOK。あとは学校現場にややこしいことを丸投げし、また、いじめの解決は子どもと家庭(保護者)の責任でなんとかしろ、というかのような条例です。
要するに、前文などで掲げているタテマエを、個々の条例が裏切っていく。いちばん困っている子どもや、その子どもの過ごす家庭を支えたり、困難を抱えた子どもたちと真剣に向き合おうとしている学校現場を、大津市及び市教委で全力で支えようとする条例にはなっていない、ということです。

■(資料)「大津市子どものいじめの防止に関する条例」(中間案)全文(2012.09.14)
全ての子どもは、かけがえのない存在であり、一人一人の心と体は大切にされなければなりません。子どもの心と体に深刻な被害をもたらすいじめは、子どもの尊厳を脅かし、基本的人権を侵害するものです。このようないじめを防止し、次代を担う子どもが健やかに成長し、安心して学ぶことができる環境を整えることは、全ての市民の役目であり責務です。いじめを許さない文化と風土を社会全体で創り、いじめの根絶に取り組まなければなりません。ここに、いじめの防止についての基本埋念を明らかにして、いじめの防止のための施策を推進し、その対策を具現化するためにこの条例を制定します。
(目的)
第1条 この条例は、子どもに対するいじめの防止に係る基本理念並びに責務及び役割を明らかにするとともに、いじめの防止及び対策並びにいじめの解決を図るための基本となる事項を定めることにより、子どもが安心して生活し、学ぶことができる環境をつくることを目的とする。
(基本理念)
第2条 子どもが安心して生活し、学ぶことができる環境を実現するため、市、学校、保護者、市民、事業者及び関係機関等は、それぞれの責務及び役割を自覚し、主体的かつ積極的に相互に連携して、いじめの防止に取り組むものとする。
(用語の定義)
第3条 この条例において、次の各号に掲げる用語の意義は、それぞれ当該各号に定めるところによる。
(1) いじめ 子どもが一定の人間関係のある者から、心理的又は物理的な攻撃を受けることにより、精神的又は肉体的な苦痛を感じるものをいう。
(2) 子ども 小学生、中学生及び高校生をいう。
(3) 学校 本市の区域内にある小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校をいう。
(4) 保護者 親権を有する者、未成年後見人その他の子どもを現に監護する者をいう。
(5) 市民 本市の区域内に居住し、通勤し、又は通学する者をいう。
(6) 事業者 本市の区域内で営利を目的とする事業を行う個人又は法人並びにスポーツ少年団、ボランティア団体その他の各種の事業活動を行う個人又は団体をいう。
(7) 関係機関等 子ども家庭相談センター、警察署その他子どものいじめの問題に関係する機関及び団体をいう。
(市の責務)
第4条 市は、子どもをいじめから守るため、必要な施策を総合的に講じ、必要な体制を整備しなければならない。
2 市は、だれもがいじめを許さない社会の実現に向けて、いじめに関する必要な啓発を行わなければならない。
(学校の責務)
第5条 学校は、教育活勤を通して、子どもの自他の生命を大切にする心、公共心及び道徳的実践力を育成しなければならない。
2 学校は、いじめを予防し、又は早期にいじめを発見するための体制を整えなければならない。
3 学校は、いじめの防止に取り組むとともに、いじめを把握した場合には、その解決に向け速やかに、組織対応を講じなければならない。
4 学校は、子ども自身がいじめについて主体的に考え行動できるよう、それぞれの学年に応じた学級の環境づくりに努めなければならない。
5 学校は、子どもがより良い人問環境を構築できるよう必要な取組を行わなければならない。
(保護者の責務)
第6条 保護者は、子どもの心情の理解に努め、子どもが心身ともに安心し、安定して過ごせるよう愛情をもって育まなければならない。
2 保護者は、いじめが許されない行為であることを子どもに十分理解させるよう、家庭教育を行わなければならない。
3 保護者は、いじめを発見し、又はいじめのおそれがあると思われるときは、速やかに市、学校又は関係機関等に相談又は通報をしなければならない。
(子どもの役割)
第7条 子どもは、互いに思いやり共に支え合い、いじめのない明るい学校生活に努めるものとする。
2 子どもは、いじめを受けた場合には、一人で悩まず必ず家族、学校、友達、関係機関等に相談するものとする。
3 子どもは、いじめを発見した場合(いじめの疑いを含む。)及び友達からいじめの相談を受けた場合には、家族、学校、関係機関等に相談するものとする。
(市民及び事業者の役割)
第8条 市民及び事業者は、それぞれの地域において子どもに対する見守り、声かけ等を行い、子どもが安心して過ごすことができる環境づくりに努めるものとする。
2 市民及び事業者は、いじめを発見し、又はいじめのおそれがあると思われるときは、速やかに市、学校又は関係機関等に情報を提供するものとする。
(関係機関等の役割)
第9条 関係機関等は、いじめの防止に関する啓発活動等を積極的に実施するとともに、市との連携及び協力に努めるものとする。
2 関係機関等は、いじめに関する情報を入手したときは、速やかに市に報告するものとする。
(行動計画の策定)
第10条 市は、基本理念にのっとり、いじめのない子どもが安心して生活し、学ぶことができる社会の構築を総合的かつ計画的に推進するため、いじめの防止に関する行動計画(以下「行動計画」という。)を策定するものとする。
2 前項に規定する行動計画は、次に掲げる事項について定めるものとする。
(1) いじめに関する市、学校、保護者、市民、子ども、事業者及び関係機関等のそれぞれの役割等に関すること。
(2) いじめのない学校づくりに向けた子どもの主体的な参画に関すること。
(3) いじめの防止に向けた教育及び人づくりに関すること。
(4) いじめの防止に向けた普及啓発活動に関すること。
(5) 次条に規定するいじめ防止啓発月間に関すること。
(6) いじめを早期に発見するための施策に関すること。
(7) いじめを防止し、及び解決するための施策に関すること。
(8) いじめに関する相談体制等に関すること。
(9) いじめを受けた子ども及びいじめを行った子ども並びにその家庭に対する支援に関すること。
(10) 前各号に掲げるもののほか、いじめのない社会を実現するために必要なこと。
3 市は、第1項の規定により行動計画を策定したときは、これを公表するものとする。
(いじめ防止啓発月間)
第11条 子どもをいじめから守り、社会全体でいじめの防止への取組を堆進するために、毎年6月をいじめ防止啓発月間(以下「啓発月間」という。)とする。
2 市は、啓発月間において、その趣旨にふさわしい広報啓発活動を実施するものとする。
3 学校は、啓発月間において、人権及び道徳に係る教育を実施するとともに、子どもが主体的にいじめの防止に向けた活動を展開できるよう支援及び指導を行うものとする。
(相談又は通報)
第12条 何人も、いじめを発見し、又はいじめのおそれがあると思われるときは、市に相談又は通報をすることができる。
(相談体制等)
第13条 市は、いじめに関する相談、通報等に速やかに対応するとともに、全ての子どもが安心して相談できるよういじめに関する相談体制を整備するものとする。
2 市は、いじめを未然に防止し、いじめから子どもを守るため、いじめに係る情報の一元化を図り、関係機関等との相互の連携及び迅速かつ適切な対応ができるよう組織体制を強化するものとする。
3 学校は、学校におけるいじめに係る相談体制の充実のため、スクールソーシャルワーカー、スクールカウンセラー等の配置に努めるものとする。(財政的措置等)
第14条 市は、この条例の目的を達成するため、適切な財政的措置を講ずるものとする。
2 市長は、前条第3項に規定する相談体制の充実のため、国及び滋賀県に対して適切な措置を講ずるよう要請するものとする。
(大津の子どもをいじめから守る委員会)
第15条 相談、通報、報告又は情報の提供(以下「相談等」という。)を受けたいじめ(いじめのおそれがあるとして相談等をされたものを含む。以下この条において同じ。)について、必要な調査、調整等を行うため、市長の附属機関として、大津の子どもをいじめから守る委員会(以下「委員会」という。)を置く。
2 委員会は、市長の諮問に応じるほか、相談等のあったいじめについて、その事実確認及び解決を図るために必要な調査、審査又は関係者との調整(以下「調査等」という。)を行うものとする。
3 委員会は、特に必要があると認めるときは、関係者に対して資料の提出、説明その他必要な協力を求めることができる。
(委員会の組織等)
第16条 委員会は、委員5人以内をもって組織する。
2 委員会の委員は、次に掲げる者のうちから市長が委嘱し、又は任命する。
(1)臨床心理士等子どもの発達及び心理等についての専門的知識を有する者
(2)学識経験を有する者
(3)弁護士
(4)前各号に掲げるもののほか、市長が適当と認める者
3 委員の任期は、2年とする。ただし、委員が欠けた場合における補欠の委員の任期は、前任者の残任期間とする。
4 委員は、再任されることができる。
5 前各項に定めるほか、委員会の組織等に関して必要な事項は、規則で定める。
(是正指導)
第17条 市長は、委員会の調査等の結果を受け、必要があると認めるときは関係者に対して是正指導を行うことができる。
2 市長は、是正指導をしたときは、その後の経過の確認を行い、その結果を委員会に報告するものとする。
3 是正指導を受けた者は、これを尊重し、必要な措置をとらなければならない。
4 是正指導を受けた者は、当該是正指導に係る対応状況を市長に報告するものとする。
(委員会への協力)
第18条 学校、保護者、市民、子ども、事業者及び関係機関等は委員会の調査等に協力するものとする。
(活動状況等の報告及び公表)
第19条 委員会は、毎年の活動状況等を市長に報告するものとする。
2 市長は、前項の規定による報告の内容を、市議会及び市民に公表しなければならない。
3 市長は、必要と認めるときは、是正指導及びその対応状況の内容を公表することができる。
(個人情報に対する取扱い)
第20条 市は、この条例の施行に当たって知り得た個人情報の保護及び取扱いに万全を期するものとし、当該個人情報を業務の遂行以外に用いてはならない。
2 委員会の委員は、正当な理由なく、職務上知り得た秘密を漏らしてはならない。その職を退いた後も同様とする。
3 いじめに関する相談、通報等に関係した者は、正当な理由なく、その際に知り得た個人情報を他人に漏らしてはならない。
(委任)第21条 この条例の施行について必要な事項は、市長が定める。
附則この条例は、平成25年4月1日から施行する。


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岐阜県可児市の「子どものいじめ防止条例」をめぐって

2012-11-05 08:57:52 | ニュース

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121030/k10013128251000.html
(「いじめ自殺“学校は保護者と情報共有を” NHKニュース2012年10月30日)
このNHKのニュースを見れば、学校でのいじめ自殺などで我が子を亡くした保護者たちが、まずは学校や教育行政が迅速な調査を行って報告をすること、再発防止策を確立するためのシステムをつくること、そして、調査や再発防止策づくりにあたって遺族との対話、情報共有をすすめていくこと、この3つのことを求めていることがわかります。
そのことを前提にして、次のブログの記事を読んでください。

http://blogos.com/article/49341/?axis=g:1
(片山さつき:大津いじめ自殺事件遺族記者会見、自民党いじめ問題対策分科会は答えを出します!文科省が初めて出してきた「いじめの定義と態様別分類」とは?:ブロゴス、2012年10月30日)
これを読めばわかりますが、上記のNHKニュースで遺族の側が求めていることと、まったく見当ちがいのことをやろうとしていることがわかりますね。
たとえば、このブロゴスの記事には、片山さんたち自民党の政治家が、岐阜県可児市のいじめ防止条例の内容にふれつつ、高橋史朗氏らのコメントなども参照しながら、「家庭教育支援法、条例、いじめ防止法、条例」のセットをつくろうとしていること。あるいは、「親学」をこのいじめ防止にひっかけてやろうとしていること。そのことがうかがえますよね。そこには、こうしたいじめ防止条例にある「保護者の責務」を強調しようという、そういう意図がうかがえます。
しかし、そんなことは、上記のNHKニュースの中身を見ればわかりますが、遺族の側は何も求めていません。むしろ、学校や教育行政の責務として、再発防止策の確立やそれに向けての調査の実施、遺族への説明の実施等が確実に行われるような、そんなシステムをもとめているわけですよね。
とすれば、いろいろ熱心に動いているように見えますが、この自民党の政治家のような発想にもとづいて条例をつくったり、新たな施策を展開すると、さらなる「隠蔽」へとつながるのではないか。あるいは、今後いじめ自殺が起きたときに、その責任を保護者や子どもの側に押し付けていくことにつながるのではないか。そういう危惧を私は覚えます。

ちなみに、あらためて、岐阜県可児市のいじめ防止条例(これは略称ですね)を見ました。
http://www.city.kani.lg.jp/view.rbz?nd=1112&ik=3&pnp=154&pnp=168&pnp=1112&cd=4022
可児市のいじめ防止条例の中身については、上記のサイトで見ることができます。
これを読めばわかりますが、この条例は「子どもの権利侵害」(前文)としていじめをとらえ、このいじめを社会全体で防止していくために何をするか、どんな施策を実施していくのか、について定めたものです。また、第1条にも、子どものいじめ防止に関する基本理念・責務や、子どもが安心して生活し、学ぶ環境づくりを目的としていることがわかります。
この基本理念や目的に対応するかのように、市や学校の責務、市民や事業者の責務についての規定があります。また、市と学校がいじめ防止に関する教育・啓発に積極的に取り組むこと(8条)、市が子ども、保護者、学校などのいじめ防止に関する取り組みを積極的に支援すること(9条)、市や学校がいじめの被害を受けた子どもの通報・相談などの体制を整えること(10条)などの規定が設けられています。そして、第11条以降に「いじめ防止専門委員会」の設置やその職務、相談や調査などの方法、是正要請の手続きなど、具体的に被害を受けた子どもの救済に関する規定が設けられています。
いわば、いじめ防止というテーマに限定しながらも、子どもの人権相談・救済に関する自治体としての責務、対応すべき事項を具体的に規定しているのが、この可児市の条例。もちろん、教育委員会の独立性を尊重するというタテマエから、「是正要請」という形をとってはいるものの、しかし、条例上その是正要請を受けた場合はこれを尊重し、対応しなければいけない(第14条)わけですから、実質的にはさまざまな是正措置が行われるはずです。
そして、以上のような可児市の条例の規定は、兵庫県川西市の子どもの人権オンブズパーソン条例の趣旨と、かなり近いような印象があります。だから、私などは「片山さんはこの条例をどういう風に理解したのだろう??」と思ってしまいました。また、下記のような課題がいろいろと残るものの、こうした条例を作ろうとがんばってきた可児市の取り組みには、やはり、見るべきものがあると私は思っています。

ただ、片山さんが「保護者の責務」にこだわって何か「親学的なもの」を盛り込めそうだと思った理由は、この条例の第6条にあります。この条例の第6条は、保護者がいじめを正しく認識すること、子どもに対していじめが許されない行為であること等を説明、理解させるようにすることなどを定めています。しかし、この程度のことは、多くの保護者は「言われなくても、やっている」というのではないでしょうか。また、ここから「親学的なもの」をやろうとするのには、かなり解釈上の無理があるのではないでしょうか。どこにも「いじめ防止に向けての親の学習」を「実施しなければならない」とは書いていませんから。
また、この条例の第3条に「子どもは、人との豊かな人間関係を築き、互いに相手を尊重しなければなりません」と規定していますが、これもわざわざ書くべきことなのかどうか。むしろこの条例の基本理念・目的からすれば、子どもたちが互いを尊重し、人との豊かな関係を築けるように、行政は何をするのか、学校は何をするのかを規定する必要があったのではないかと思います。それこそ、ひとつまちがうと、いじめをした子ども・いじめられた子どもの双方に、この条例は「相手を尊重する努力をしたのか?」と、責任を問うものになりかねません。
そして、先ほど述べた学校や行政の責務、あるいは市や学校の啓発・教育や支援、通報・相談などの取り組みに関する規定ですが、これには「この条例にもとづいて、市がどのような施策を実施したか、学校がどんな取り組みをしたかを検証するシステム」のことが書かれていません。第16条の「報告」は、あくまでもいじめ防止専門委員会の活動状況の報告ですので。
あと、可児市の小中学校や幼稚園・保育所などはこの条例の適用範囲ですが、可児市内の高校や私立学校に通う子どもはどうなるのか・・・・という、「市の条例」特有の問題があります。
私としては、こうした可児市の条例についての諸課題を指摘して、片山さんたちがそれを国の施策としてどう是正するのかを提案するのならわかります。でも、先ほどのブロゴスの記述は、そんな内容になってはいなかったですよね。

以上のことから、どうも片山さんたち「見当違いの方向」で、いじめ防止策について考えているのではないか・・・・と思えてなりません。むしろ、いじめ自殺などが起きたときの学校・教育行政の対応の不手際を強調し、それに対する人々の怒りや批判・非難をてこにしながら、いじめで亡くなった子どもの遺族たちの求めることとはまったく別の施策を、「解決策だ」といって持ち込もうとしているようにも思えてなりません。これでは、「惨事便乗型」の教育改革をやろうとしているのではないか、という疑いすら抱くものです。

<追記>
このブログの内容はもともと、フェイスブックに先週、書きこんでいたものです。実は10月30日(火)の午後、長野県への出張の帰り道に、ある新聞社の方から可児市の条例のことでインタビューを受けたのです。そのときに条例を実際に見て思ったことをまとめようと思ったら、お子さんを自殺で亡くしたご遺族の方が片山さんの文章を読んで、「これは何がいいたいのかよくわからない」ということを、フェイスブックに書きこんでおられました。そのご遺族の文章も読んだうえで、だいたい、上記のようなことをすでに、フェイスブックに書きこんでいたのです。そして、それを読んだ方から、「いつか、どこかでこのことを書いてほしい」というお話があったので、ブログにあらためて書きこんでおきました。
いじめや子どもの自殺という悲しい出来事に「便乗」するかのように、たとえば教育委員会廃止や「親学」などを持ち込んでくる政治家の動きがこのところ、生じています。でも、実際の遺族の方が求めているのは、そんなことではないのです。そのことをわかっていただければ、と私は思います。



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