昨日もまたツイッターを一日見ていたのですが、夜に橋下府政を「ハシズム」と名付けて、それをいろんな観点から「斬る」イベントが行われていた様子。16日の府教委が教育基本条例案に対して反対意見を出したことに続き、こうやって徐々に橋下府政や大阪維新の会の動きに対して、批判的な動きが表にでてくることは、とっても大事なことだとは思います。
ただし、注意すべきことがあります。昨日もツイッターでつぶやいたのですが、橋下知事の政治手法の最大の特徴は「劇場型政治が得意」ということ。すなわち、テレビの時代劇か何かと同じように、誰か「敵」をしたてあげて、自分がその「敵」をバッサリと斬る。そういうストーリー、物語をつくって、人々の感情に訴えかけて支持を拡大していくわけです。要するに「自分が常に主役になれる人斬り芝居の物語」をつくるのが、橋下知事の政治手法、彼の得意技だということです。私としては、まずは、そういう彼の政治手法そのものへの「ノー」をつきつけること。それが今は大事なのではないか、という思いがあります。
なにしろ、彼は「子どもが笑う大阪」をキャッチフレーズにして当選した知事です。彼の「人斬り芝居」を見たいと思って、みんな投票したんですかね? もしも彼がこんな「人斬り芝居」みたいなことばかり続けているとしたら、それは投票した人たちへの裏切りではないのか、と思ったりもします。
ですから、今必要なのは、そういう「彼が常に主役になれる人斬り芝居の物語など、もう見たくない。そんなつまらないテレビの芝居を延々続けるなら、もうスイッチ切ってしまおう」という姿勢、態度を、私たち一人ひとりが示すことではないか、と思います。そして、これから先は「人斬り芝居」ではない、「大阪の人情の芝居」を見せてほしい、そういうメッセージをいろんな場から発することだと思います。
で、今日の本題に入ります。引き続き、大阪維新の会の教育基本条例案の中身の検討です。この中身も、実は彼や大阪維新の会の「人斬り芝居」の物語で彩られたもののように思えてきました。
また、今日は特に、この教育基本条例案の第3章・第4章(13~18条)についてのコメントです。条例案そのものについては、いつものとおり、下記のページを参照しています。
http://osakanet.web.fc2.com/kyoikujorei.html
まず13条は知事の定めた教育目標の達成に向けて努力をしないとか、この条例第6章に基づく懲戒処分等の手続きをとらない府の教育委員の罷免権を知事が持つこと。14条は同様に、知事の定めた教育目標達成の努力や適切な人事・監督権限を行使しない府教委に対して、府議会が「報告権」をもって監視、チェックできるようにすることを定めたもの。要は「府知事と府議会の意向に逆らうような府教委は認めない」という体制を整えるための条文です。
続く第15条~第18条の各条文は、要するに「府立高校の校長は、これからプロ野球の監督のように任期付で採用し、成果があがらなければクビにできるようにする」ということを定めたものです。まさに「人斬り芝居の物語」のための条例ですね。
しかも、プロ野球の監督ならまだ選手時代の実績とか、他球団などでのコーチとしての経験、野球解説者などの仕事をしているときの理論的な勉強への評価とか、いろんな意味で「野球」に関する仕事ぶりが評価されます。
ですが、この条例案によると、府立高校の校長は「外部有識者の面接」で、「マネジメント能力」を中心に評価するとか。これもまたプロ野球に例えていうならば、「経営手腕が優れているから」といって、いままでプロ野球以外の仕事、民間企業の管理職などをやってきた人が、ある日突然「外部有識者」の推薦などでチームの監督になるわけですね。こう考えただけで、「こんなんで学校現場、うまくまわると思ってるの? 学校現場をなめてるのか!」と怒りたくなる人、多いのではないでしょうか。
また、時間かけて現場にとけこんでいけばまだ外部人材が校長になってうまくいくケースも出るのかもしれませんが、この校長、府教委が知事に言われ、議会に監視されながら設定した教育目標の達成、これを主な仕事として外から送り込まれるわけですよね。そういう校長に対して、その現場にいる教員がすんなりと言うことを聴くとは思えません。だから職務命令を連発することになるのでしょうし、あるいは、校長が人事評価をテコにして教員を動かそうとすることになるのでしょう。「府知事と府議会が府教委を脅かして、府教委が校長を脅かして、校長が教職員を脅かして・・・・」という、目標設定や評価、人事権で「脅かす」ことによって学校・教育を動かそうという、そういう意図が見える条例案です。
で、私は思うのですが、外部から校長になろうという人にせよ、そういう校長の下で働く教職員にせよ、「こんな学校に居たいと思うか?」ということです。おそらく、先日の府教育委員の教育基本条例案に対する反対意見は、そういう教育関係者の直観的なものからくる反対なのだろう、という風に思います。
ですが、次の文章を読んでください。色を変えて表記します。
◎学校や教育委員会に組織マネジメントの発想を取り入れる
学校運営を改善するためには、現行体制のまま校長の権限を強くしても大きな効果は期待できない。学校に組織マネジメントの発想を導入し、校長が独自性とリーダーシップを発揮できるようにする。組織マネジメントの発想が必要なのは、学校だけでなく、教育行政機関も同様である。行政全体として、情報を開示し、組織マネジメントの発想を持つべきである。また、教育行政機関は、多様化した社会が求める学校の実現に向けた適切な支援を提供する体制をとらなくてはならない。
提言
(1)予算使途、人事、学級編成などについての校長の裁量権を拡大し、校長を補佐するための教頭複数制を含む運営スタッフ体制を導入する。校長や教頭などの養成プログラムを創設する。若手校長を積極的に任命し、校長の任期を長期化する。
(2)質の高いスクールカウンセラーの配置を含めて、専門家に相談できる体制をとる。開かれた専門家のネットワークを用意し、必要に応じて色々な専門家に相談できるようにする。
(3)地域の教育に責任を負う教育委員会は刷新が必要である。教育長や教育委員には、高い識見と経営感覚、意欲と気概を持った適任者を登用する。教育委員の構成を定める制度上の措置をとり、親の参加や、年齢・性別などの多様性を担保する。教育委員会の会議は原則公開とし、情報開示を制度化する。
これは2000年12月の「教育改革国民会議」の最終報告書にある文書です。最終報告書自体は、次のところで見ることができます。
http://www.kantei.go.jp/jp/kyouiku/houkoku/1222report.html
また、次の文章を見てください。これも色を変えて表記します。
学校が主体的に教育活動を行い、保護者や地域住民に直接説明責任を果たしていくためには、学校に権限を与え、自主的な学校運営を行えるようにすることが必要である。
現状でも、校長の裁量で創意工夫を発揮した特色ある教育活動を実施することが可能であるが、人事面、予算面では不十分な面がある。
権限がない状態で責任を果たすことは困難であり、特に教育委員会において、人事、学級編制、予算、教育内容等に関し学校・校長の裁量権限を拡大することが不可欠である。
これは2005年10月の中教審答申「新しい時代の義務教育を創造する」のなかに出てくる言葉です。上記の引用部分は第Ⅱ部第3章に出てきます。ちなみに、この答申も下記で見ることができます。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/05102601.htm
この2つの文書を見ればわかりますが、若干のニュアンスや取り組む内容のちがいはあるといえ、学校に「組織マネジメント」の発想を導入し、校長権限を拡大したり、教員のFA制を導入するといった発想は、この十年近く、教育行政、特に中央省庁レベルでの教育行政関係者が常に「やろう」とうかがってきたことと重なるわけですね。だから、ツイッターなどを見てると、この教育基本条例案に対して「大阪は東京の実験台にされようとしている」というつぶやきをみかけるのですが、それはある程度「あたっている」ともいえるわけです。
ですから、今はまず、この教育基本条例案の撤回に向けて、いろんなレベルで反対の声をあげていく必要はあるわけですが、と同時に、この条例案の裏側にある教育論やこれに基づく改革提案というのは、すでに日本の国全体の教育政策のなかに随所にちりばめられている、という認識も必要です。条例案の撤回から、この十数年の教育改革やその裏側にある教育論への批判へと展開していく必要がある。私はいま、このように考えています。
今後もひきつづき、このような視点に立って、このブログで教育基本条例案への批判的なコメント、続けていきます。