11月13日(月)に行われた「市民の会」主催イベントの報告も、これで3回目。この日は、大阪市のこれからの青少年施策を考えるというのが基本的なテーマで、そのなかに大阪市立青少年会館の存続問題を含めて考えていくという方向性で、私も講演内容を組み立てていました。
このイベント報告も、1回目が市長方針案が強行されたときに生じうるであろう「混乱」の問題、2回目が市長方針案を導入するまで・導入して以後の経過の問題点を指摘しましたので、今回は3回目として、今後の大阪市の青少年施策を考える上で青少年会館事業はどう位置づくのか、という話をして、そろそろしめくくることにしましょう。
まず、今の日本政府の青少年施策を考えるときに、「課題を抱える青少年支援」は、最重点課題のひとつです。そのことは、内閣府の出した「青少年育成大綱」(2004年)を見てもらえればわかります。フリーター・ニートといった若年層の就労支援や社会参加に関する問題、不登校・ひきこもり経験者、「障害」のある青少年などへの支援、非行傾向のある青少年への立ち直り支援、ひとり親家庭の子どもへの支援など、多様な「課題」を抱える青少年への社会的支援の必要性が、この「青少年育成大綱」にもりこまれています。
しかも、その多様な「課題」を抱える青少年への支援を、行政と民間の役割分担や、NPO、地域住民や保護者の参加、当事者である青少年どうしによるサポート、教育・福祉・医療・心理・労働などの各分野の連携などによって行うことも、この「青少年育成大綱」ではうたわれています。また、学校での学習についていけない子どもたちへのいわゆる「学力」保障的な取組みも、この「青少年育成大綱」のなかには含まれています。
次に、学校外の青少年の居場所づくりや、子どもの学校外活動の充実といった方向性、さらにはその学校外活動での行政と民間のパートナーシップ、NPOや民間団体の積極的な取組みと行政によるその支援という方向性は、1990年代以来の日本の教育改革が目指してきた方向性ではなかったのでしょうか。
特に、90年代の社会教育・生涯学習関係の審議会でも、社会教育行政が今後、民間団体などとのパートナーシップを構築すること、学校や首長部局との連携に勤めること、地域づくりにとりくむこと、などがうたわれています。また、学校週5日性への対応や家庭教育支援の重要性といった課題に対応する社会教育行政の必要性も、これらの政府審議会で主張されてきたことです。
とすれば、今、大阪市の青少年施策のなかで、政府レベルで考えている青少年社会教育の方向性に比較的近い取組みをしているのは、実は市立青少年会館である、ということがいえます。そして、大阪市の今の行財政改革や10月の市長方針案は、こういった観点からの既存の青少年施策の検討は行わずに、ただ財政面でのコスト削減や、あるいは、青少年会館がかつて「」施策で建てられたという点のみだけを見て物事を判断しているということがいえると思います。
これに加え、他自治体においても、例えば子どもや若者代表が企画作りから参加しての青少年施策・青少年関連施設づくり、子どもの人権尊重に関する各種の条例制定、子ども・若者の「居場所づくり」を核にした社会教育・児童福祉関係の施設運営のあり方の検討など、多様な取組みがすすめられつつあるところです。このような他自治体の先進的な取組みも、大阪市の青少年会館で今行われている各種活動の内容に近いところがあります。
このように見ていくならば、政府レベル・他自治体レベルでの青少年施策の目指すべき今後の方向性に、実は大阪市の青少年会館が比較的沿った事業展開をしていることがわかります。そして、あの「地対財特法期限後の事業等の調査・監理委員会」ですら、8月末に出した「まとめ」で、今、青少年会館で展開している各種事業のうち、「課題を抱えた青少年の居場所づくり」「青少年の体験活動」「若年層の職業観育成・社会参加支援」の3つについては、「全市的に展開すべき事業」と認めざるをえないのは、こうした事情が背景にあってのことと思われます。つまり、今、青少年会館で展開している各種事業のなかには、他自治体どころか、日本全国で取り組んでしかるべきほどの「一般的な青少年施策」が含まれている、ということなのです。
だとしたら、そんな「一般的な青少年施策」をすでに展開している大阪市立青少年会館について、今、なぜ設置条例をなくし、各館施設のうちスポーツ施設部分だけに指定管理者制度を適用し、公募の上で民間に管理代行させるのか、私には理解に苦しみます。やらなくてもいい余計な改革を行って、本当に残すべき青少年施策を傷つけている、という風にしか思えないわけです。
そして、残すべきものを逆に傷つけ、台無しにするような方針案を大阪市長が出せるのも、今、大阪市立青少年会館が展開している諸事業にどのような意味があるのか、それが政府レベル・自治体レベルでの青少年施策とどのような関係があるのかなどについて、あまり十分な検討を行わなかったからではないのか、という風に思えてなりません。
何かにつけて改革、改革と連呼されている昨今ですが、私は「やらなくてもいい余計な改革をするくらいなら、上層部はなにもしないほうがマシ。なにもしなくていいところでじっと辛抱していられることも、上層部の力量・度量のうち」「改革のやりすぎは、改革のやらなさすぎと同じくらい、始末に終えない結果を招く」という思いがあります。この大阪市の青少年会館や、これからの大阪市の青少年施策をめぐる諸問題も、それにおそらく近いのではないかと思っています。とりあえず、3回に分けて書きましたが、シンポジウムで私が話した内容の紹介は、ここで終わります。