できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

栃木県で起きた高校山岳部の雪崩事故に思うこと~「学校事故対応に関する指針」に即した事後対応を~

2017-03-30 06:37:25 | 受験・学校

雪崩の対処法教えず=引率教諭「絶対安全と判断」-8人死亡で謝罪・栃木

(時事ドットコムニュース、2017年3月29日)

http://www.jiji.com/jc/article?k=2017032901047&g=soc


まずは、この雪崩事故で亡くなったみなさんのご冥福をお祈りします。

そのうえで、次のことを書かせていただきます。

 

まず、このケースにも、文科省「学校事故対応に関する指針」を適用して、栃木県教委及び亡くなった子どもの在籍していた当該の高校は、その趣旨どおりの事後対応を行わなければいけません。

主催が高体連であったとはいえ、それぞれの高校山岳部が教員の引率のもと、部員をつれて、この山での登山活動をしていたわけですので。

その点では、スポーツ部活動の対外試合で起きた重大事故と同じ位置づけでとらえる必要があります。

次に、その栃木県教委や当該の高校が行う事後対応のなかには、たとえば、亡くなった子どもの遺族への対応、事故原因に関する調査・検証作業、そして当該の学校の再出発に向けての作業等々、いろんなことが含まれます。

そのうち調査・検証作業に関しては、少なくとも「基本調査」といいますか、初期段階の調査として、現場に居合わせた子どもや教職員らから詳しく事情を聴くとか、レスキューに出動した消防等の情報を集めておくとか、地元気象台の観測データをとっておくとか、いろんな作業がありますね。

また、スポーツ庁が担当者を派遣したとかいう記事も、この上記の記事とは別にあります。

だとすると、そのスポーツ庁の担当者も、この「指針」のとおりに栃木県教委や当該の高校が動けるようにアシストしなくちゃいけません。

このように、まずはきっちりと、「今ある「指針」を活用して、栃木県教委や当該の学校が動けるように」という話を、誰かがするべきときかと思います(もちろん、先方から要請があれば、私、栃木まで行くつもりでもありますが・・・)。

でも、事故発生後のマスコミ報道のなかで、そういう話がほとんどでてこないところが、私としてはたいへん気がかりです。

もしかして報道関係者のみなさん、「指針」についてはご存知ないのでしょうか?

そして、そういう「指針」の趣旨にもとづく事後対応の基本的なことをきっちりやっていく上で、私の出したばかりのこの『新しい学校事故・事件学』が多少なりとも役立ってほしいのですが・・・。

『新しい学校事故・事件学』は、アマゾンからも入手可能です。 (左の一行をクリックすると、アマゾンの該当ページに移動します)

でも、そうやってこの本が役立つことが、いいことなのかどうなのか。

たいへん、気持ちがぐらぐら、ゆらぐところです。

この本が役にたつということ=誰かが学校事故で亡くなって、事後対応の必要性が生じているということですから。

ただ、昨夜、ある事故防止の研究をしている人が「訴訟でないと~」みたいなことをフェイスブックで書いているのを先ほどみました。

これについては、「あのさあ、なんのために「指針」つくったと思ってんだよ? 訴訟の前にやるべきこと、あるでしょ?」と、この場をお借りしてひとこと、言っておきます。



「体罰をみんなで考えるネットワーク」2017年春のつどいの告知です。

2017-03-28 21:16:40 | 受験・学校

今年1月の総会で、私から田村公江さん(龍谷大学)へ、「体罰をみんなで考えるネットワーク」の代表はバトンタッチしました。

この間、ネットワークの運営に関しましては、みなさまのご協力を賜り、誠にありがとうございました。

ですが、私も一会員ではありますし、ネットワーク自体はまだまだ活動を継続中です。

そこで、2017年の春のつどいの告知、広報の面で、ネットワークの活動に私の方から取り組ませていただきます。

詳しいことは下記の画像を見ていただきたいのですが、藤井誠二さんを4月30日(日)にお招きしてのイベントです。

ぜひぜひ、ご参加の申し込み、よろしくお願いします。

<一応、日時・場所等のお知らせです>

体罰をみんなで考えるネットワーク春のつどい2017

藤井誠二さん(ノンフィクションライター)講演会&意見講演会

日時:4月30日(日) 14時~17時(受付は13時半から)

場所:龍谷大学梅田キャンパス (大阪市北区梅田2-2-2 ヒルトンプラザウエスト14階)

参加費:一般の方1000円、学生・ネットワーク会員500円

※終了後、懇親会も行われるそうです。

※藤井誠二さんの紹介や参加申込先は、下記の画像でご確認ください。

 



今の教員の多忙化や長時間勤務の問題に感じる物足りなさ

2017-03-28 20:42:04 | 受験・学校

働き方改革で置き去りの「教員の長時間労働」、残業代ゼロを明記した「給特法」が課題

(弁護士ドットコムニュース、2017年3月27日)

https://www.bengo4.com/c_5/c_1637/n_5889/

最近、教員の長時間労働や多忙化が議論になっていて、そのこと自体は個人的には好ましい限りだな、とは思っています。

ですが、昨今のこの問題に対する議論の在り方には、私としてはなにか「物足りなさ」を感じる思いもあります。

結論から先にいうと、「表層的な現象をとりあげての論評、それにもとづく対策の提案が、大きな政治的・社会的な構造の問題をスルーさせていて、問題の根っこをずっと残し続けていくのでは?」という思いを、昨今のこの教員の長時間労働や多忙化の問題に関する議論には感じてしまうからです。

というのも、私としては、次の(1)~(6)ような要因といいますか、政治的・社会的な構造の問題が、教員の多忙化や長時間労働には背景にあると思うのです。

にもかかわらず、私としては、昨今の教員の長時間労働や多忙化に関する議論では、下記の(1)~(6)までの政治的・社会的な構造の問題についての話は、あまり強くない印象を受けるのです。

(1)まず、昨今の議論では、この何年間か教員給与費の国庫負担を圧縮したり、ことあるごとに正規教員数を圧縮せざるをえない方向に動かされている昨今の教育行政(文科省及び自治体教育行政)と、そういうことを教育行政に求め続けている財務省への批判はどこに位置づくのでしょうか?

(2)また、この何年間か、正規教員数を圧縮せざるをえない方向に動いているにもかかわらず、次々に「あれをやれ、これをやれ」と教育再生実行会議、あるいは中教審などに矢継ぎ早に答申を出させて、文科省経由で政策としておろしてくる政権与党と、それに「忠実」につき従っている文科省への批判はどこに位置づくのでしょうか?

(3)さらに、上から矢継ぎ早に降りてくる教育政策に対して、各自治体の教育行政レベルで課題をいったん整理して、ほんとうにするべきことと、後回しでもよさそうなこととを整理することも可能かと思われます。

でも、それがほんとうにできているのかどうか?

そういう自治体教育行政としての対応への批判はどこに位置づくのでしょうか?

(4)あるいは、上から降ってくる教育政策に輪をかけるように、次々に自治体独自の教育改革を打ち出して、それをウリにしようとする首長、地方議会関係者もいます。

それはある意味で「やらなくてもいい余計なこと」を学校現場に付加しているわけですが、そういう首長、地方議会関係者への批判は、どこに位置づくのでしょうか?

(5)そして、近年では何か重大事態が起こったら、学校や教育行政の対応について、さまざまな批判や非難の声がマスコミなどから起きます。

これに備えるかのように、文科省も自治体教育行政も、学校現場に注文・指示を出す形で、それへの予防線を張るような「対策」をとっています。

また、その「対策」をつくるためと称しての「実態調査」をしたり、「実情報告」をさせています。

これもまた、学校現場にとっては「多忙化」の一員かと思われます。

ある意味、教育行政からは「私たちは常々、現場を「指導」してますから、あとは現場が悪いんです」という言い訳、アリバイづくりのための仕事のようなものですが・・・。

この点に関する批判は、どこに位置づくのでしょうか?

※もうひとつ付け加えるならば、実は私のような学校事故・事件の問題を扱ってきた研究者・専門職も、たとえ善意や必要性があってしていることとはいえ、この(5)については、構造的に教員の多忙化等々を加速する方向に加担してしまっている一面があります。

その点は、深く反省しておきたいところです。

これまでとは異なるもっと別の方向からの課題の指摘、改善策の提案はないのかと、私としてもこの(5)の課題を重く受け止め、自分たちの議論の在り方を見直したいなと思っています。

(6)これに、地域によってはたとえば学校選択制と学校統廃合がくっついて、「なんとか子どもを集めるために特色ある学校づくりを」みたいな動きをしなくてはいけないところもあります(そのため、学校は常に子どもを集めるための「改革」に走らされる・・・)。

あるいは「競争主義」とか「成果主義」の導入、あるいは「学校の説明責任」等々の理由付けを伴って、たとえば各校に「学力向上のPDCAサイクルつくれ」という要請が教育行政から出される。

その上で、教育行政からは各校に「実施計画だせ」とか「計画どおり行われているか点検の結果示せ」とか、その結果示したら「改善策だせ」とかいわれて、それで現場では書類に追われるわけで・・・。

こうしたことに対する批判は、どこに位置づくのでしょうか?

 

結局、以上のように、教員の多忙化や長時間労働等々の問題って、こういう5つか6つの政治・社会的な構造に規定されているように、私としては思うんですよね。

ですから、その大きな5つか6つの政治・社会的な構造にはまったく手をつけないなかで、他方で「現場で上手く工夫して、早く帰れるようにしろ」というかのように、教育行政は学校現場に対して「勤務時間の適正化」通知みたいなものだして、何か、改善に向けて動いているような「ふり」をしているようにしか思えなかったりするんですよ。

もちろん、ほんとうに「何もしない」よりは、学校現場に向けて「勤務時間の適正化」通知出す分だけ「まし」なのかもしれません。

でも、「教育行政がその通知の趣旨、本気で実現するつもりなら、まずはこの5つか6つの政治的・社会的構造を根本的に転換しないと無理なのとちがいますか?」と、私などは言いたくなってしまうんですよね。

なにしろ、気をつけないと、このままだと、たとえば「勤務時間の適正化」通知後どういう改善を学校現場でしたのか、教育行政へ書類で報告しろという作業のために、個々の教員が勤務実態の報告書を書き、校長や副校長・教頭、教務主任あたりがその報告書をとりまとめて学校としての行政宛ての報告書をつくって・・・なんて具合に、余計な書類作成業務が増えかねなかったりします。

あるいは「毎日夕方5時になったら全員、学校を出ましょう」「休日出勤はやめましょう」という「勤務時間の適正化」通知どおりの実態を一方で実現しつつ、他方で「持ち帰りの仕事が増えた」「早朝に出勤するようになった」「家で夜、寝る時間を削って作業をしている」等々の実情が生まれたら・・・。

「学校としての書類上の多忙化・長時間勤務解消」のために、「個々の教員のヤミの作業時間が増えた」

なんてことも起こりかねないのが、今の学校の状況ではないかと思います。

どうしてそうなってしまうのかというと・・・。

私としては、やはり上で述べたような(1)~(6)の構造的な要因が全く解消されないなかで、「とにかく、現象的な部分だけ問題がなくなった形をつくればいい」という風潮が、こういう対応を生み出してしまうのではないか、と思うのです。

だからもうちょっと、いま起きている現象的なところで議論をして、現象的に課題が解決されればそれでいいっていうレベルにとどまるのではなくて、歴史的に形成された政治・社会的な構造を見るところから議論を深めてほしいと思うんですよねえ、この教員の多忙化や長時間勤務の問題って・・・。

せめて今後、「教員の勤務時間、これでいいの?」と、批判的に問題提起する側からは、上記(1)~(6)のような政治的・構造的な問題の所在を示しておかないといけないように思うのですが。



「学校事故対応に関する指針」の趣旨に反する当該私立学校の対応

2017-03-25 11:39:34 | 受験・学校

中学校が遺族の卒業式出席認めず(NHK大分NEWSWEB、2017年3月24日)

http://www3.nhk.or.jp/lnews/oita/5074967961.html


この件、ご参考までに。

<その1>

文科省「学校事故対応に関する指針」は、国公私立のあらゆる学校での事後対応及び未然防止に関する対応の指針で、当然ですが、この私立学校においてもこの指針の趣旨に沿った対応が求められます。

その指針の21ページに「被害児童生徒等が死亡した場合」の「(被害児童生徒等の)保護者への支援」が書かれています。そのなかには、次の言葉があります。

○葬儀が終わった後も、被害児童生徒等の保護者への関わりは継続して行い、学校との関わりの継続を求める被害児童生徒等の保護者に対しては、他の児童生徒等の気持ちにも配慮しつつ、クラスに居場所を作る等の工夫をする。

○被害児童生徒等の保護者の意向も確認し、卒業式への参列等も検討する。

この記事を読む限り、この指針の趣旨に「真逆」の対応をしてきたのが、この当該の私立学校ですね。この点は、大分県の私立学校行政の担当者がコメントをしているとおりです。

<その2>

次に、この記事の文中で、当該の私立学校側は「ご両親が感情的になり、卒業式の円滑、厳粛な進行が保たれないおそれがあった。やむをえない措置だった」と述べています。

しかしながら「学校事故対応に関する指針」の趣旨に即して言えば、ご遺族をそういう感情にさせないように、卒業式をどのような形で迎えるのか、事前にていねいな話し合いをすべきです。

したがって、これは当該の私立学校の事後対応の「失敗」を意味するもの、誤りを意味しているものとして、少なくとも私は理解しています。

<その3>

他方で、学校事故訴訟で被告側代理人(特に私立学校の訴訟での被告側代理人)を務めることもあるような弁護士のなかには、次のように文献のなかで述べている人もいます(これは『新しい学校事故・事件学』の第3章にも引用した文章です)。

○被害者側が学校側との交渉を申し入れてきた場合、学校側としては、拒否することなく、相当の対応をしなければならない。しかし、十分な説明を尽くしたにもかかわらず、事故の責任を学校に押しつけようとする執拗な交渉の申入れがあった場合は、学校側の把握した事情と事故の責任についての見解は、既に説明したとおりである旨を回答し、交渉の申入れに応じないこととするのが相当であろう 。

○被害者の父母が、学校事故の真相を把握しようとして、学校関係者や、児童生徒等や保護者に執拗に働きかけ、そのことについて児童生徒等や保護者から苦情が申し出られているような場合は、被害者側の弁護士を通じて、父母に対して節度ある行動を求めることが考えられる 。
※以上の2つの引用は、いずれも俵正市『学校事故の法律と事故への対応』法友社、2006年より。

おそらく、今回のケースでも、何らかの形でこの卒業式のことやご遺族からの要望について、顧問弁護士に当該の私立学校側から相談があったのかもしれませんね。

もしもそうだとすると、ここから先は私の推測でしかないのですが、依然として私立学校やその代理人になる弁護士のなかには、先の引用ような遺族(被害者家族)への対応、つまり何らかの理由をつけてとにかく交渉を打ち切ろうとするような、そういう対応を行おうとする発想が根強くある、ということでしょうね。そういう学校や専門職の対応がかえって関係をこじらせたり、問題を大きくしてしまう場合があるにもかかわらず、です。

私が『新しい学校事故・事件学』で「研究者・専門職の実務の内実、専門性が問われる」ということを訴えようとしたのは、まさに、こういう現象あってのことです。

 



最近読んだ本をまとめて紹介(2429冊目~2444冊目)

2017-03-25 09:01:41 | 本と雑誌

今回も新書本・文庫本が中心ですが、最近読んだ本のタイトル等をまとめて紹介しておきます。

2429冊目:文部科学省『高等学校キャリア教育の手引き』教育出版、2012年

2430冊目:文部科学省『中学校キャリア教育の手引き』教育出版、2011年

2431冊目:奥野修司『看取り先生の遺言』文春文庫、2016年

2432冊目:齋藤孝『「頭がいい」とは、文脈力である。』角川文庫、2009年

2433冊目:柏井壽『おひとり京都の晩ごはん』光文社新書、2017年

2434冊目:山崎雅弘『日本会議 戦前回帰への情念』集英社新書、2016年

2435冊目:島田裕巳『反知性主義と新宗教』イースト新書、2017年

2436冊目:齋藤孝『語彙力こそが教養である』角川新書、2015年

2437冊目:齋藤孝『文脈力こそが知性である』角川新書、2017年

2438冊目:小川仁志『〈よのなか〉を変える哲学の授業』イースト新書、2017年

2439冊目:奥野滋子『「お迎え」されて人は逝く 終末期医療と看取りのいま』ポプラ新書、2015年

2440冊目:中山元『アレント入門』ちくま新書、2017年

2441冊目:橋本健二『階級都市―格差が街を侵食する』ちくま新書、2011年

2442冊目:吉田千亜『ルポ母子避難―消されゆく原発事故被害者』岩波新書、2016年

2443冊目:鳥畑与一『カジノ幻想 「日本経済が成長する」という嘘』ベスト新書、2015年

2444冊目:佐高信・浜矩子『どアホノミクスの正体』講談社+α新書、2016年


昨日の証人喚問を見ていて、あらためて考えたこと

2017-03-24 10:26:47 | 国際・政治

おはようございます。

今朝も参議院予算委員会のラジオ中継聴きながら、このブログを書いています。

このトップバッターで質問している自民党議員、安倍総理との質疑応答をしているというより、なんか党としての「言い訳」をしている感じですねえ。

昨日も証人喚問でトップバッターだった方ですが。

さて、ここ最近の例の学園の国有地売却問題や、昨日の証人喚問等々を見ていて、あらためて昨夜から今朝にかけて考えたことを、以下のとおりまとめておきます。

(1)

まず、今、日本会議派の極右勢力による国家改造運動(以後「極右的な国家改造運動」と称す)に、政治家・官僚・民間人(私立学校の経営者、弁護士、企業経営者等々)が次々に合流しているという現実がある。

(2)

この極右的な国家改造運動は、排外主義・歴史修正主義的な思想を基盤とする。したがって敗戦後の日本社会を形成してきた日本国憲法を嫌悪し、日本社会に暮らす外国籍の人々を排斥し、明治維新~敗戦までの日本の歴史のなかで、自分たちの主張にとって問題のある部分を否認する。そして、その否認、嫌悪、排斥を現実のものとするために、国家改造運動を実施する。

(3)

したがって、その国家改造運動のターゲットになるのは、敗戦後の日本国憲法において実現されてきたリベラルな諸価値であり、福祉国家的な側面からの諸施策ということになる。ここで「福祉国家的な諸施策の縮小・解体」を目指す新自由主義的な政治・経済改革論者と、極右的な国家改造運動を目指す勢力との接合が生まれる。

(4)

一方、極右的な国家改造運動を目指す勢力も、現実的に日本社会に基盤をつくっていくためには、地方議会及び地方行政、さらには国会及び国の官庁に勢力を拡大していかなければならない。そのためには、極右のポピュリズムを巻き起こし、地方議会の議員や首長、国会議員などに自分たちの仲間を送り込んでいく。まさに「国民主権」を基盤に民主的な手続きを踏んで、「極右の政権」をつくろうとするわけである。一方で日本国憲法を嫌悪しながら、他方でその憲法の趣旨を利用して、自らの政治勢力の基盤をつくるといえばいいのだろうか。

(5)

また、極右的な国家改造運動を目指す勢力も、現実的に日々、メシを食っていかなければならない。そのときに、新自由主義的な政治・経済改革によって規制緩和を生じさせ、今まで保有していた国・自治体の資産を流動化させてそこを破格の安値で得たり、あるいは新たなビジネスチャンスを得たりして、自らの「利権」の基盤を創出する。ここでも、新自由主義的な政治・経済改革論者と、極右的な国家改造運動を目指す勢力との接合が生まれる。

(6)

規制緩和によって法的なしばりが弱くなり、国や自治体の関与が少なくなればなるほど、新自由主義的な政治・経済改革論者と、極右的な国家改造運動を目指す勢力のどちらにとっても、「自分たちのお仲間」に利益誘導をやりやすくなる。そうなると、ますますこの両者の「お仲間」になることで、その利益誘導という動きに乗ろうとする人々が現れやすくなる。これは「コネ」でなにもかも動く社会ができあがる、ということでもある。


今日の証人喚問を見ていて、ふと思ったこと

2017-03-23 23:26:30 | 国際・政治

今日はなんといっても、例の学園の理事長さんの国会での証人喚問の話ですね。

家でパソコンに向かいながらラジオでの中継を聴いていて、ざっと、こんな印象を抱きました。

(1)

今回の証人喚問でとった与党側議員や維新の議員の次のような質問の方法は、学校事故・事件訴訟での被告側弁護団とか、あるいは法的責任を回避したい学校・行政や学校法人側がやることによく似ていました。

・文書公開を求めても応じない、もしくは「のり弁」状態で日頃は対応しているのに、肝心のときには自分たちの都合のいい書面等が出てくる。

・本筋の話ではない別の話をあえてとりだし、そこでの証人の発言や対応上の問題点をことさらに強調することで、「この人、ほんとうのことを言っていない(うそつきだ)」というような印象をつくりだそうとする。(⇒ほんとうの「印象操作」というのは、こういう手法ですね)

・「そういうことを言うと法的な責任が問われますよ」(この証人喚問の場合「偽証罪」ですが)を連発して、恫喝を加える。

でも、ある意味腹をくくって「知っていること、正直に言うぞ」と思っている理事長さんに対しては、こういう手法はあまり、効果なしのようでしたね。

また、逆に理事長さんの返答でやり込められていた感がありました。

(2)

これに対して、他の野党の議員たちは、すでにマスメディアなどで伝えられていることや、先日の現地視察などでわかったことを手がかりにして、冷静に理事長さんの側に「この部分はまちがいないですか?」「この部分についてどういう印象を抱いたか?」「この部分について、どういうことが裏であったと考えられるか?」等を聴くなど、事実と論理をできるだけ積み上げていく形で証人喚問を行おうとしていました。

特に例の理事長さんご本人が今は「思っていること、知っていることを正直に話したい」と考えているわけですよね。

だから、(1)のような対応をするよりは、この(2)のような冷静な対応の積み上げのほうが、あくまでも理事長さんの側から見た話でしかないのですが、それでもいろんな事実関係や状況認識などが引き出せるように思いました。

これは今後、学校事故・事件訴訟や事後対応のなかでの調査・検証の場面でのやりとりにおいても「使える」手法だなあ・・・なんてこと思いながら、ラジオを聴いていました。

(3)

例の理事長さん、私立幼稚園の経営者として見た場合、当該の幼稚園で起きた「虐待」問題、「教育勅語」的な価値観にもとづく教育など、いろいろと問題はあるわけですが。

でも、その理事長さんがこの証人喚問で拠り所にしているのが、まさに「人権」というものなんですよね。

ことさらに政権の側が「私人」である自分をつぶそうとしている・・・ということ、それを理事長さんはおっしゃっていたわけで。

このことを今後、思想的に、どう考えるのか。それは私たちにつきつけられているようにも思いました。


月収数万円の非正規雇用の職種が、学校に制度化されるということ。

2017-03-15 10:42:25 | 受験・学校

部活動指導員を制度化 外部人材の指導や引率が可能に (2017年3月14日 教育新聞ネット配信記事)

https://www.kyobun.co.jp/news/20170314_02/

 

これで、月収数万円程度の学校の非正規雇用の職種、できあがりですね。

しかも部活指導を通して子どもの事故防止、安全確保や生活指導等々、いろんな役割を担うわけで。けっこう重要な仕事だと思うんですよ。

でも、正規教員の「多忙化」解消の文脈からでてくるこの部活動の外部指導者導入の話のなかで、これが「月収数万円程度でけっこう重い任務を課す校内の非正規雇用の職種をつくっている」なんていう、そういう切り口からの議論、弱いですよね。

そんなんで、ええんかいな・・・??

と、今から約20年近く前、大阪府教委の運動部外部指導者として、ある公立高校定時制の野球部とつきあった経験者として、あえて言っておきます。

※ちなみに、先行的に部活動指導者の派遣事業を名古屋市が行っているんですが、そこで派遣されている指導者への報酬は月4.8万円くらいです。少し古いデータ(2004~2005年頃)ですけど、下記のPDFファイルでそのことがわかります。

http://www.city.nagoya.jp/somu/cmsfiles/contents/0000002/2230/474.pdf



2017年前期の公開講座で「災害発生後の子ども支援」を取り上げます。

2017-03-11 09:46:28 | 受験・学校

おはようございます。

昨日、本学のホームページ上にて、2017年度前期の公開講座ガーデンのラインナップが発表されました。

そのなかで、私の担当する公開講座(2回)の告知もでているので、お知らせします。

詳しくは下記のページを参照してください。

正式な申し込み受け付けは4月10日(月)から開始で、今回は2回連続で参加でなくとも(1回ずつでも)申し込み可能です。

http://www.kyoto-seika.ac.jp/info/garden/2017/first/lecture_sumitomo2017_first/

なお、講座の概要については、以下のとおりです。

<講座の概要>

東日本大震災のような大きな災害発生後の対応について、「子ども」と「家庭」をキーワードに考えます。被災した子どもやその家庭の生活を支えていくために、学校や保育所・幼稚園、NPOや地域社会の人々、企業、そして国や地方自治体の行政など、それぞれの立場から何ができるのでしょうか。「子どもの権利条約(児童の権利に関する条約)」の内容を中心に、これからの被災した子ども・家庭支援のあり方を考えてみます。

講師:住友 剛(本学人文学部教授)

定員:設定なし

受講料:1回1,500円

 

日程

全2回/土曜日/14:00~17:15

▶ 第1回 6月10日

14:00~15:30 災害発生後の子どもの生活
        ―阪神淡路と東日本、2つの震災から見えてくること―

15:45~17:15 実際に求められる支援とは?
        ―生活、学び、あそびをリンクさせる―

▶ 第2回 7月8日

14:00~15:30 原発事故で避難した親子の暮らしから見えてくること
        講師:森松明希子(東日本大震災避難者の会 Thanks & Dream)

15:45~17:15 意見交換会「原発事故で避難した子どもへの『いじめ』を考える」
        コーディネーター:住友 剛、コメンテーター:森松明希子




いよいよ今日から『新しい学校事故・事件学』発売です。

2017-03-10 09:25:07 | 受験・学校

おはようございます。3月10日(金)になりました。

いよいよ今日から、私の新著『新しい学校事故・事件学』(子どもの風出版会、2017年3月)の発売です。

出版社の方にお聴きしたところ、3日ほど前の時点で、アマゾンの予約注文が200部近くあるとか。

初版2000部で、もうこれだけの予約注文。ほんとうにありがたいことです。

街中の大きな書店には週明けの3月13日(月)あたりから並ぶと思うのですが、さて、ネット上での予約注文との兼ね合いで、書店にはどの程度並んで、どの程度、本がそこから売れていくのでしょうか・・・?

もしもどうしても急いで入手を・・・という方は、アマゾンからの予約注文をおすすめします。

アマゾンの方も、今朝見たら「一時的に在庫切れ」状態になっていますが・・・。

でも、予約注文すれば出版社からアマゾンに数日遅れで本が届いて、お手元にとどくとおもいますので、よろしくお願いします。

<追記>

先ほど出版社の方から連絡があり、出版社からアマゾンへの納品手続きが遅れているそうです。

いま、予約注文されている分も含めて、来週半ば以降の発送になりそうです。

たいへん申し訳ありません。今しばらくお待ちください。


3月10日、私の著書『新しい学校事故・事件学』(子どもの風出版会)が出ます。

2017-03-01 23:27:49 | 受験・学校

なかなか思うように更新ができないなか、気付けばもう3月になってしまいました。

この間、突貫工事のようなペースで原稿を書いていた本が、いよいよ出版されます。

奥付では3月10日付けの出版になっていますが、『新しい学校事故・事件学』(子どもの風出版会)という本です。

もうすでにアマゾンでは予約注文が可能になっていますので、関心のある方はぜひ、ご購入ください。

まずはとりいそぎ、お知らせでした。

※上記の文中、本のタイトル部分をクリックしていただきますと、アマゾンの私の本のページに飛ぶことができます。