できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

今日(7月30日)のプリキュアの話です。

2017-07-30 09:22:54 | プリキュア話

おはようございます。

今朝のプリキュア、先ほどおわりました。

いや~やってくれましたね~東映アニメーション。今日の放送分はなかなか、よくできてるな~って思いました。

今回の放送分の物語ですが、基本線は高校生プリキュアの2人組、ゆかり(キュアマカロン)とあきら(キュアショコラ)のタカラヅカ風の「ちょっと恋愛モード」みたいな展開なのですが。そこに、この前、キュアパルフェ誕生のときに消えていった妖精ピカリオ=ジュリオの記憶を絡ませていて、深みのある物語に仕上がっております。

まず、スイーツづくりがさかんな国・コンフェイト公国の王子がやってきて、ゆかりに一目ぼれ。自分だけの姫にしたいと告白します。これに対して、ゆかりが大好きなあきら(=男装のプリキュアです)は、コンフェイト公国の思惑を阻止しようと動きはじめます。そして、スイーツづくりの対決へ・・・。

その一方、ゆかりが好きな気持ちがなかなか伝えられないあきらに、シエル(キュアパルフェ)は、大事な思いはことばにしないと伝えられない、自分はピカリオに気持ちを伝えられなかった・・・という話をします。

また、いちか(キュアホイップ)のすすめで、王子に渡すチョコマカロンをふたりでつくったゆかりとあきら。それを王子の泊まる宿に届けにいくときに、あきらに向かってゆかりは「そんなにまっすぐ、わたしのことを見ないで」と言います。ゆかりは、なにかと自分は完璧なお嬢様のように見えるけど、ほんとうはさみしがりやで、弱虫で・・・。それをジュリオは見抜いていた、あの子が言うのは当たっていた、などと言うわけですね。もう、そんな話をして見つめ合うゆかりとあきらの様子だけ見ていたら、タカラヅカの世界ですわ(笑)

そんなゆかりとあきらの前に、敵が現れます。変身用のコンパクトを落としたのでゆかりはキュアマカロンになれず、あきらひとりがキュアショコラになって、敵とたたかいます。ですが、あきらは敵の集中攻撃を受けて、しばりつけられて身動きできない状態になります。そして、敵がいよいよゆかりを攻撃しようとしたときに、「自分はゆかりが大好きだ!」とか言って、そのしばりを自ら解き放ち、ゆかりの元へ。涙をながすゆかりと見つめ合うキュアショコラ。もう、ますます、タカラヅカの世界ですねぇ・・・(笑)

まあ、ここから先は他のプリキュアもかけつけて、敵を倒して・・・という展開なんですけどね。そしてエンディングでの「やっぱり自分は公国に行かない」というゆかりの言葉を聴いて、王子が「ゆかりを幸せにしろ」とあきらに言う場面に至るわけですが。

でも、「よくもまあ、こんな物語の展開をお子さま向けアニメで考えつくなぁ~東映アニメーション」と、今回もまたまた、私としてはびっくりしたのでした。ほんと、面白かったです。

ちなみに来週は、プリキュアたちが海に行く物語の様子。いよいよ夏休みモードですね、プリキュアも。ここからは関西地区の高校野球放送のスケジュールとの兼ね合いで、1~2話、放送延期があったりしてもたいして大きな流れに支障がないような、そんな物語の展開になりますね。おそらく来月、高校野球中継のために放送延期の回がでるため、関西地区だけは平日に1~2回、プリキュアの放送があると思います。そういうときは「プリキュアが海へ行って・・・」とか「夏祭りで花火を見て・・・」みたいな、「どこに入れても8月中ならまあ、物語がなり立つ回」をつくるわけですね、はい。

ということで、今回のプリキュアの話、おわります。


今日(7月23日)のプリキュアの話です。

2017-07-23 09:19:19 | プリキュア話

先ほど、今朝のプリキュア、おわりました。

今日からいよいよキュアパルフェが入って、6人での物語がスタートしましたね。

先週、エンディングの歌が6人のものに変更されていましたが、今週はオープニングの動画が6人のものに変わりました。ただ、今までのオープニングの動画をつかいながら、そのなかでキュアパルフェ、もしくは妖精キラリンやきら星シエル(=キュアパルフェの本来の姿)を入れても違和感のないシーンを選んで変更した感じですね。たぶん夏休み中のどこかで(場合によれば9月に)、新しいオープニングの動画をつくるのではないかと・・・。まあ、歌は変えないと思うんですけど・・・。

それから、これも毎年夏休み以降のパターンですが、6人の物語を描いていくにあたって、まずは6人の仲間関係をしっかりと描く回が入ります。今回がまさに、その回。天才パティシエ・きら星シエルがフランスからのの転校生として、いちか(キュアホイップ)たちの通う中学校にやってきて、学校生活を始めるというのが、今回の物語でした。

ただ、このあたりがプリキュアのいつもの物語だなぁと思うのは、だれかの「弱さ」を支え合う関係を軸に、彼女たちの仲間関係が育ってくるということですかね。

今回もきら星シエルが、一方で勉強もスポーツもできる優等生だけど、実は相当な食いしん坊で、おなかがすくと妖精キラリンの姿にもどってしまう・・・ということ。校内でそのキラリンの姿にもどったときに、いちか・ひまり(キュアカスタード)・あおい(キュアジェラート)が必死になってかくまい、お弁当を分けてあげて・・・という、そんな姿が描かれました。そして、そういう自分の姿を見せるのがはずかしいと思うから、なんでもひとりでがんばってきたというキラリンに対して、いちかたちが「これからは仲間だからね(笑)」と語りかけるシーンが描かれてました。

まあ、ここから先は、いつものようにノワールの手先がでてきて、街中のキラキラルを集めて闇の世界をつくろうとするのを、プリキュアたちが変身してたたかって・・・という展開になるわけですが。

なお、これも毎年夏休み以降のパターンになりますが、今回はプリキュア6人の物語のスタートにあわせて、これから年末にかけての物語の「伏線」にあたるものを随所にちりばめておりますね。

その「伏線」のひとつが、妖精キラリンの弟・ピカリオ=人間の姿のときはジュリオです。ピカリオ=ジュリオは先週、キラリン=きら星シエルがキュアパルフェに変身する際、「プリキュアになれ!」といいつつ、ノワールの攻撃を受けて倒されてしまいます。そのピカリオは今、伝説のパティシエ・プリキュアの力で長い眠りの中にいることが、今回の冒頭に明らかにされます。その長い眠りからどうすればピカリオは目覚めるのか、その目覚めのために、キラリン=きら星シエル=キュアパルフェはどのようにふるまう必要があるのか、これがひとつめの物語の「伏線」ですね。

ふたつめは、同じく今回の冒頭で、その伝説のパティシエ・プリキュアから、6人のプリキュアはそれぞれ、何か光る玉のようなものを1つずつ授かりました。これが何を意味するのか・・・ですね。

そして、ノワールの手先として、新たなキャラが登場してきました。前回ビブリーも倒れましたし、ジュリオはピカリオの姿にもどりましたので。また、ノワールがどうやら闇のキラキラルで世界を染め上げて、暗くてしずかな世界をつくりたいと考えている・・・ということも今回、わかりました。このノワールの正体や、その手先たちとノワールとの関係も、これから先、年末までの物語の「謎解き」で明らかになってくるでしょう。

ということで、今回のプリキュアのお話、おわります。


2017年8月6日(日)午後の子ども支援学研究会のお知らせ

2017-07-22 12:06:38 | 学問

2017年8月6日(日)午後の「子ども支援学研究会」の案内がようやくできましたので、こちらで画像にしてアップし、みなさんへの告知とさせていただきます。

ちなみに・・・。ここ2~3年、この子ども支援学研究会では私が司会をすることが多くてですねえ、「ええ加減、誰か代わってくれ~」という思いが正直、募っておりました。

なので、今回はその願いがかないまして(笑)、ひさびさ(いや、もしかしたら初めてかも??)に、「指定討論者」に私がまわることになりました。

まあ、そんなわけで、いじめ問題と子どもの相談・救済に関する浜田寿美男さん(前・川西市子どもの人権オンブズパーソン代表。奈良女子大学名誉教授)のお話に対して、「指定討論者」としていろいろ質問してみようと思っております。

特にいじめ問題を考える上での子ども観の部分で、浜田さんにはいろいろと伺ってみたいと思うことが多々あります。きっとその子ども観の部分で発想がいろいろ問い直されてくると、いじめ防止対策推進法への理解も変わってくるだろうなあ・・・と思ったので。

たとえば最近、私は「都会の下水管のなかでくらすドブネズミにとっての『自然』ってなんだろう?」ということをよくく考えます。

それこそ、都会の下水管はたしかに人間の側から見れば「人工」のもので、「自然」そのものではない。

だけど、生まれたときからそこで生息しているドブネズミにとっては、それが生態系、生息環境そのものなんですよね。

そして、長い間、下水管で生まれ育ったドブネズミには、そこ以外に生きられるような「外の世界」がわかるんだろうか・・・とか思ったりするわけです。

また、ドブネズミが下水管を自らの生息環境として「したたかに」生きていくための、その適応方法ってなんなのだろうか・・・ということにも関心があります。

この「都会の下水管」を「学校(制度)」に、「ドブネズミ」を「高学歴社会に生きるいまどきの子どもと若者」に置き換えて考えると、いろいろ、見えてくることがあるかと。

こういう観点から「いじめ」問題を考えると、どうなるんだろう・・・って、浜田さんに聴いてみたかったわけです。

なにしろ、浜田寿美男さんって、私が読んだものの範囲でいえば、たとえば学校(制度)は近代社会成立後の「人工」物で、「自然」なものではない・・・というところから子ども論を進めておられますもので・・・(笑)

また、浜田さんは「いまどきの子どもの生きるかたち」といいますか、ライフスタイルにこだわったお話も書かれたりしていますので(笑)

<追記>今から4~5年前、まだ私が大学院人文学研究科の科目を担当していた頃、「浜田寿美男の子ども論」をテーマに半年間、講義をしたことがあります。その頃に浜田さんの書かれたいろんな本、読みましたねえ(笑)


最近読んだ本をまとめて紹介(2496冊目~2509冊目)

2017-07-22 09:23:22 | 本と雑誌

ちょっと少し間があきましたが、また何冊か読んだ本がありますので、ここでタイトルや著者名、出版社名などを紹介しておきます。

 

2496冊目:柴 宜弘・山崎信一『セルビアを知るための60章』(明石書店、2015年)

2497冊目:福田真也『Q&A大学生のアスペルガー症候群』(明石書店、2010年)

2498冊目:大西秀樹『遺族外来―大切な人を失っても』(河出書房新社、2017年)

2499冊目:養老孟司・名越康文『「他人」の壁』(SB新書、2017年)

2500冊目:中川淳一郎『ネットは基本、クソメディア』(角川新書、2017年)

2501冊目:宇沢弘文『人間の経済』(新潮新書、2017年)

2502冊目:鈴木邦男・白井聡『憂国論―戦後日本の欺瞞を撃つ』(祥伝社新書、2017年)

2503冊目:菅野完『日本会議をめぐる四つの対話』(K&Kプレス、2016年)

2504冊目:志賀信夫・畠中亨『地方都市から子どもの貧困をなくす』(旬報社、2016年)

2505冊目:名越康文『SOLO TIME 「ひとりぼっち」lこそが最強の生存戦略である』(夜間飛行、2017年)

2506冊目:堀尾輝久・横湯園子・山本由美編『学校を取り戻せ! シカゴ、安達、貧困と教育改革の中の子どもたち』(花伝社、2016年)

2507冊目:大谷尚子・白石草・吉田由布子『3.11後の子どもと健康 保健室と地域に何ができるか』(岩波ブックレット、2017年)

2508冊目:事件を語りつぐ保健師・養護教諭・ソーシャルワーカーたち編『公害救済のモデル「恒久救済」 森永ひ素ミルク中毒事件から学ぶ』(せせらぎ出版、2014年)

2509冊目:町田幸彦『コソボ紛争』(岩波ブックレット、1999年)




「20年ほど前」と大差ないように見える「部活動」問題談義

2017-07-17 16:22:09 | 受験・学校

「部活で夫不在 教員の妻ら嘆き」(2017年7月17日)

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6247243

これは内田良さんが書いた最新の記事のようですが、この記事では、いわゆる「部活未亡人」ということばを取り上げています。スポーツ部活などの指導で熱心で、土日などの休日にあまり家に居ない男性教員(=夫)の問題をとりあげるために、このようなことばから入った感がありますが。

ただ、私がこの「部活未亡人」なることばに最初に接したのは、内海和雄『部活動改革』(不昧堂出版、1998年)という本のなかです。ちょうど、いまからだいたい20年ほど前、文部省(当時)の有識者会議が部活動の活動日数・時間数の制限などを論じていた時期です。また、その頃は学校週5日制の導入などとも関連して、スポーツ部活に関しては、たとえば地域スポーツクラブや外部指導者の導入なども検討・実施されていた頃でもあります。

ということは、いま、あらためて内田さんが「部活未亡人」ということばをつかって、この問題を取り上げて論じていることに全く意味がないとは思わないのですが、でも、構造的には「この約20年間、部活動をめぐる問題状況は、大きく変わってないか、より悪化している」ということになりますよね。

また、実際に外部指導者導入や活動日数・時間数の制限など、昨今スポーツ部活の問題をめぐって提案されている事柄も、私の目には「20年ほど前と大差ない」ように思えてなりません。そのことは、「部活動の社会教育への移行」という提案も同様です。

熱心にこの問題を取り上げて論じていらっしゃるみなさんにはたいへん申し訳ないのですが、私から見てますと・・・。「90年代後半にスポーツ部活動の改革で提案された事柄がなぜ、この約20年間、十分に実施されてこなかったのか?」ということをきっちり検証しておくことのほうが、「20年ほど前に提案されたことをもう一度、掘り起こしてくること」以上に大事な状況になってきているように思います。そこの部分の検証をぜひ、いま、熱心にこの問題を取り上げて論じていらっしゃるみなさんに、やっていただきたいと考えます。

ついでにいいますと、私はこの「約20年間、スポーツ部活動の改革が十分に実施されてこなかった」ことの背景要因のひとつに、「脱・ゆとり」路線の教育改革の問題があるのではないか、と直感的に思っています。

ある意味、20年ほど前のスポーツ部活動に関する諸改革の提案は、たとえば学校週5日制実施など、いわゆる「ゆとり」路線の教育改革の流れとも関連づけながら論じられてきたもの。私はその「ゆとり」路線って、子どもの休息・余暇の権利とか、心身に無理のない成長の権利の保障という観点からすると「まちがっていなかった」と思っていたりもするんですが。また、この頃は学校の学習内容についても「精選」とかいって、週5日の枠内でおさまるようにセーブしていく流れがあったのではなかったかと。

でも、その「ゆとり」路線の教育改革は、2000年代に入ると急速に「学力向上」だの「脱・ゆとり」といった路線に切り替わっていく。あれから全国一斉学力テストも実施されていますし・・・。そういう「脱・ゆとり」路線のなかで、「もっと学力向上を」という取り組みを学校に、教職員に求められる中で、いま、90年代とは異なる形で、「部活動指導の負担」というものがクローズアップされてきたのではありませんか。「もっと学習指導に教職員は手間をかけなければいけないのに、部活の負担が・・・」という話になってきたのではありまえせんか。

もしもいまの教職員の「多忙化」問題を部活動問題と関連づけながら論じていくのであれば、せめて、この約20年間の教育改革の主要な流れを意識しながら論じてほしいな・・・と。脇から私は見ていて思ってしまいます。でないと、いまのままではたとえ20年ほど前の諸提案が実現されて部活動の負担が多少、改善されたとしても、教職員には「さらなる学習指導の負担」がのしかかり、しかもそれを「勤務時間の適正化」の観点から、「短時間に効率よく」という「無理」が求められることになるでしょう。どうせ論じるならそこまで考えて、今後の教職員の「多忙化」問題や部活動問題を論じてほしいものだと、脇から見ていて気になってしかたがありません。




今日(7月16日)のプリキュアの話です。

2017-07-16 09:32:31 | プリキュア話

つい先ほど、今日のプリキュアおわりました。

いよいよ今日から新しいプリキュア・キュアパルフェ登場ですね。そのためにエンディングの歌と動画が変わりましたし(来週あたりからオープニングも動画だけは変わるかと)、さっそくCMではキュアパルフェのつかうレインボーリボンがおもちゃとして売り出されました。相変わらず、商売上手です(笑)

それから、秋の劇場版映画プリキュアの告知も今回から開始。キュアパルフェの正体は妖精キラリン、人間の姿のときは天才パティシエ・きら星シエルです。そのきら星シエルの姿で、パリでパティシエの修業をしていた頃の秘密を明かします・・・という物語で、劇場版映画をつくるようですね。まあ、こういう細かいしかけもよくできてますねぇ、毎年毎年・・・(笑)

あと、来週からはきら星シエルが、いちか=キュアホイップたちの通う中学校に転校してくるようですね。予告編ではそうなってました。

さて、本編のストーリーですが、今回はキュアパルフェ登場だけでなく、敵のボスともいえる「ノワール」と、キラキラルなるものの正体も明らかになりました。その物語をつくったのが、今回でしばらく消えることになる妖精ピカリオ、つまり敵になっていたジュリオですね。キラリンの双子の弟です。

まず、キラキラルは「スイーツにこめられた思い」で、その思いにはうれしいとか、おいしいといった光かがやく思いだけでなく、苦しい、憎い、腹立たしいといった闇の思いがあること。また、そのスイーツに潜む闇の思いにパワーをあたえて、世界全体を闇の世界にしようとたくらんでいるのが、ノワールであること。そして、スイーツづくりの修業がなかなかすすまないピカリオの苛立ち、劣等感等々に力をあたえてジュリオに変身させ、憎しみのキラキラルに染めてしまったのもノワールであること。こうしたことが最初の方で明らかになります。

一方、ピカリオをジュリオに変え、ノワールの手先にしてしまったのは自分のせいだと、キラリン=きら星シエルは落ち込み、スイーツづくりをあきらめようとします。そんなキラリン=きら星シエルにも、ノワールは接近。ノワールはきら星シエルを闇の球=つまり、シエルの心の闇のなかに閉じ込めてしまいます。その心の闇に、いちか=キュアホイップと、「このままではいけない」と思ったジュリオが飛び込みます。

いちか=キュアホイップとジュリオは、シエルの心の闇のなかにとびこんで、スイーツづくりをあきらめようとしているシエルをなんとか、もう一度、もとの姿にもどそうとします。そしていちか=キュアホイップは、ジュリオにもう一度、ワッフルをつくるように頼みます。
闇の力に染まっているジュリオがつくるワッフルは、灰色にしかなりません。でも、そのジュリオのつくったワッフルをたべたら、シエルは復活します。なぜなら、ジュリオのなかに残っている「もう一度、復活してほしい」という願い、そこから光るキラキラルがあふれていたからです。

シエルが復活したその頃、いちご坂のまちにはビブリーが現れて、巨大人形のなかに入って大暴れしています。ビブリーはジュリオに対する嫉妬の気持ちを、ノワールによって暴れるエネルギーに変えてもらっていたのでした。そのビブリーに、ジェラート・マカロン・ショコラ・カスタードの4人のプリキュアは苦戦しています。

そこへちょうどシエルとジュリオ、キュアホイップが登場。シエルがキラキラルの力をつかって、空中でペガサスのかたちのパフェをつくりはじめます。そのパフェづくりを妨害しようとノワールが闇の大きな矢を放ったとき、ジュリオ=ピカリオがシエルの盾になって、彼女を守ろうとします。

ノワールの大きな矢がささったジュリオ=ピカリオは、シエルに「プリキュアになれ!」と言ったそのあと、ペガサスのかたちのパフェが完成。そのパフェを変身アイテムにつかって、キュアパルフェが登場します。

まあ、そのあとは、キュアパルフェがレインボーリボンをくるくるくる~ってやって、ビブリーを退治するわけですね、はい。

しかしまあ、この「光と闇」の対比といいますか、「一度、あるキャラクターが何か、どうしょうもなく落ち込んだり、悲しんだりするところを潜り抜けて、そこから光を放つ新しいプリキュアがうまれる」という展開といいますか・・・。毎年、そういう展開で夏場あたりから新プリキュアが登場してくるわけですが、このあたりのプリキュアシリーズの描き方って「ほんと、うまいなぁ」って感心します。このあたりは非行少年の立ち直りとか、ひきこもりから脱出するとか、そういう人たちの物語とも何か、似ているかも・・・。

今回、キュアパルフェ(=妖精キラリン、きら星シエル)が登場するときも、一度、自分こそが双子の弟・ピカリオを悪の手先・ジュリオにしてしまったことへの悔い、罪悪感に染まるところから話を始めてます。そういうキラリン(きら星シエル)が、「それでもなお、私は私。私はプリキュアになることをあきらめたくない、あきらめてはいけない」と思い直す。また、そういうキラリンに対して、ピカリオが「やっぱりプリキュアになってくれ~」と願う。そんなところから、新プリキュア・キュアパルフェが登場していますよね。

人の心のなかにある闇の部分、黒い・暗い部分をきっちりと描くからこそ、光の部分や明るい・白い部分も際立って描ける。そういうプリキュアの物語のなかにある対比構造、コントラストというものを、またまた今回も感じてしまいました。

実は「プリキュア」の物語というのは、一見、お子さま向けのキラキラのアニメのように見えて、ほんとうは私たちのもつ「闇の部分」との上手な向き合い方を考えている物語なのかもしれませんね。そこがひとつ、私がず~っとこの「プリキュア」にはまっている理由なのかもしれません。


これでは大阪市の学校、ますますダメになる(2) 公立高校再編のやりすぎ

2017-07-16 00:07:11 | 受験・学校

大阪市立3高校を1校に統合 西・南・扇町総合、平成34年に開校

(産経WEST 2017年7月15日)

http://www.sankei.com/west/news/170715/wst1707150018-n1.html

この記事にもあるとおり、大阪市、統廃合で公立高校減らすすんですって。

たしか以前、市立高校を府立に移管する話もあったかとおもうんですけど、なんでこうなるかな?

公立高校を減らして少数にする→その狭き入学者数のパイを取り合う競争が激化する(=公立校の学力水準上がる→進学実績もあがるでしょう)→入学できなかった子どもたちは私立高校へ→でも、私立高校にも授業料無償化+所得制限ありだけど進学への助成措置やってるからええやん。

これが、行政サイドの理屈かと。

でもね~。私立高校って、授業料だけじゃないんだよな~家計負担って・・・(まあ、これは公立にもありますが)。

おそらく経済的に苦しい家庭で、なおかつ私立高校には通いづらいという子どもは、広域通信制高校で良心的なところを受け皿にして進学していくんだろうね・・・。

それにしても、ほんと、公費で学校を運営することを嫌がるんですねぇ、いまの大阪市って。先日の教員給与体系を改悪する話にしてもそうですけど・・・。

なんか公立の小中学校・高校の教育水準をより劣悪に、劣悪にして、授業料無償化を含む「公費で賄うラインはこの程度、最低限のもの」としつつ、「これ以上にもっといい教育サービスがほしければ、私学へ行け」と誘導している感が、ありありと出ていますね。

それではたして大阪という地域の活性化を、教育という領域からはたせるのか。考えただけでもわかりますよね。

早いこと、維新の政治に「おわり」を告げなければ・・・。

 


これでは大阪市の学校、ますますダメになる(1) 教員給与制度の「改悪」

2017-07-15 10:47:49 | 受験・学校

「能力に応じた給与制度に 大阪市教委、30年度から」(産経WEST 2017年7月12日)

http://www.sankei.com/west/news/170712/wst1707120021-n1.html

この記事、一見すると大阪市の公立学校に勤務する教員の初任給があがって「いいじゃない」って思う方もいるかもしれません。また、「能力に応じた給与制度」って「当然じゃん」と思う方もいるかもしれません。

ですが、この新しい給与制度導入の「本質」的なところは、そこにありません。

記事の内容から次のように考えてみると、この新しい給与制度の「本質」が見えてきます。

○37歳以降「別に管理職にはなりたくない」けど、ヒラ教員として職人芸みたいな技を現場で発揮する人については、給与面からどのようにしてモチベーションの維持をするつもりなのか?

○「これって大阪維新の教育施策に忠誠を誓う教員だけが給与面で優遇される制度なのでは?」といわれたら、どう説明するつもりなのか?

○そもそも近隣の他の政令市よりも大阪市の教員の給与水準が低くなったのは、いったいだれのせいなのか?

この3点を今の大阪市のトップ、つまり吉村市長が問われた場合、どのように説明するのでしょうか?

・・・それこそ、こんな教員給与制度を実施したら、「別に管理職なんぞにはなりたかねぇ。自分は定年まで子どものそばで仕事したいんや」「上から首長がどない言おうが、私らは子どものためにできることやりまっせ」っていうような、現場教員の仕事に誇りと熟練の技をもってやってるベテランほど、大阪市から逃げるのではありませんか?

それこそ、この新しい教員給与制度の導入は、かえって大阪市の学校に混乱・困惑をもたらすのではないでしょうか?

いつも思うんですけど、「もうちょっとよく考えて、大阪市の行政、特に市長以下のトップ層、教育施策を実施してくれ」と言いたくなりますね。

この数年、大阪市の学校教育や子ども施策については、「改革すればするほど、もっと状況が悪くなる」という悪循環のパターンばかり繰り返している気がします。


 


あくまでも「直感的」に思ったことですが。

2017-07-11 22:27:23 | 学問

ここのところ、少なくとも私の目には、といいますか、私の体感あるいは直感的には、といいますか・・・。

そのことばを繰り出すご本人はいたってまじめに、善意でやっているつもりかもしれないけど、でも「従来と同じような(公)教育批判や学校批判のことば」を繰り出せば繰り出すほど、気付いたら今、文科省+政権与党の打ち出そうとする教育改革を「追認」し、さらに(公)教育や学校の状況を悪化させかねないような、そういう「しかけ」が何か、できあがっているように見えてきています。

その「しかけ」の部分をどのように解き明かすのか。

その「しかけ」の部分をどのようなことばにして表現するのか。

そこがかなり、難しいのですが。


「縦割りのタコツボに細分化された仕事」を「ヨコにつなぐ」作業

2017-07-10 23:41:42 | 学問

ほんとうはある人にかかわるひとつひとつの出来事、もの、ひと等々が、別の出来事、もの、ひと等々と複雑に、いろんなかたちでつながりあっている。

また、あるポジションに立ってみると、そのつながりあいがいろんな形で見えて来て、次々に「あっ、これも!」「こっちも!」っていう具合に課題も見えてくる。

でも、そういう風に次々に課題がつながって見えてくると、考えるべきこと、やるべきことも増えて来て、とってもしんどい。

だから、どこかでその出来事やもの・ひと等々のつながりを「あえて、見ない」ようにしてみたり、「あえて、考えない」ようにして、自分を楽で、安全・安心なポジションに置いたりする人もいる(ついでにいうと、研究者の世界での「〇〇学」や「〇〇論」の「専門」なるものも、もしかしたら、この「あえて、考えない」「あえて、見ない」ことの仕切りをつくることによって成立しているのかもしれない)。

でも、いったんその「あえて、見ない」ことや「あえて、考えない」ようにしてきたこと課題に気付き、その課題から自分に深く、何か問いかけられているように思ってしまったときには・・・。

実は、こちらがどれだけしんどくても、向こうからその課題が追っかけてくるから、結局、逃げられなくなるんだよねえ。なにしろ逃げても逃げてもその問いかけ、その課題が追ってくるから、それに立ち向かう術と知恵を自分で編み出して、なんとかしのぐしかなくなる。

自分がこれまで取り組んできたこと。それは研究上の課題であれ、大学教員としての教育や大学運営の仕事であれ、市民活動の課題であれ・・・だけど。そういう自分のこれまで取り組んできたことというのは、なんかこの「逃げても逃げてもその課題、その問いかけが追いかけてくる」ような、そういうものばかりだったような気がするなあ。
ふと、今夜はそんなことを思いました。

なにしろ・・・。もともとの資格課程部門(特に教職)に加えて、副専攻「福祉」コースの準備、障がい学生支援の取り組み、そして高大接続と、人文学部のゼミ担当離れたら、次々に「全学」の教育課題への対応のお仕事が押し寄せてきているもんなあ・・・。いったい、いつになったらヒマになるんだろう・・・。

でも、たとえば教員(研究者)と事務職とか、「〇〇学部」のカリキュラムとか、そういう従来ある「縦割りのタコツボに細分化された仕事」を、「今度は全学的な見地から、現場レベルで日々「ヨコにつなぐ」という仕事があるよな~」なんてことをふと気づいてしまうと、「あっ、これもやらなあかん。あれもやらなあかん」と思ってしまう自分があるわけでして・・・。

そうそう、この「縦割り」のタコツボに細分化された仕事を、別の観点から「ヨコにつなぐ」という意味では、これ、地元・兵庫の教組での私のかかわりもそうだし(生活指導部会と養護教員部の両方に顔出してますから・・・)、研究面で「教育学と〇〇学の連携」みたいなテーマにこだわるのもそうだし、「〇〇運動(主に人権にかかわる社会運動)でやってきたことを、学校事故・事件の取り組みに応用してみる」とかいうのもそうだし・・・。

どうやら自分は、「縦割りのタコツボに細分化されたこと」を別の観点から「ヨコにつなぐ」ことに、今はいろんな領域でこだわっているんだな~って、ふと、思いました。


おかげさまで無事、今学期の公開講座終了しました。

2017-07-09 14:18:30 | 受験・学校

前々からお伝えしているとおり、昨日(7月8日)の午後は、森松明希子さんをお迎えしての公開講座2日目でした。

昨日の参加者数は20人と、少人数でした。でも、その分、森松さんと直接、原発事故で避難生活をしている親子のくらし、そして「いじめ」問題について、率直な意見交換ができたと思います。

この手の講座は、開催に必要な最低人数(10人)をクリアしたら、そこから先、あまり参加者数が大きくならないほうがいいこともあるんだなぁって、逆によく理解できました。

それと、兵庫県の加古川市から6~7人、グループで参加されていた方がいたのですが、その方々がなんとまあ、会ってみてびっくり。地元・兵庫の教組では施設の子どもたち支援の研究会をこの何年かやっていますが、その研究会で中心的に活動されている小学校の教員と、そのお友だちだとか。

このグループのみなさん、加古川でお友だちと人権問題についての学習会を定期的にされていて、原発事故の避難者の問題を考えたい、当事者の話を聴きたい・・・と思って、加古川から京都まで出てこられたのだそうです。そういうのって、ほんと、ありがたいですね。

あと、この2回の公開講座には、神奈川県からソーシャルワーカーも来られてましたね(私の知り合いですが)。遠いところ、ありがとうございます。

そして、夜は人文学部の2回生教職組+αといっしょに、森松さんを囲んで焼肉パーティー。まあ、しかし、みなさんよく肉食いますねえ。また、うちの2回生たちがこの焼肉屋で、率直に森松さんにいろんな意見を言っていたのが印象的。「なかなか、やるじゃ~ん。君ら・・・」という感じでした。「肉と単位はおとしません!」という発言もありましたけどねえ・・・。

ということで、無事に今学期の公開講座、終了いたしました。

最後になりましたが、あらためまして、この場をお借りして、ゲスト講師として来ていただいた森松さんに、こころからお礼申し上げます。ありがとうございました!


今日(7月9日)のプリキュアの話です。

2017-07-09 09:38:42 | プリキュア話

おはようございます。日曜日の朝ですので、まずはいつものとおり、プリキュアの話からです。

最近、どうもこの毎週のプリキュアの話を読んでくださっている方が居られるようで・・・。先日、打ち合わせでお目にかかったある雑誌編集者の方も、この毎週のプリキュア話を読んでおられるそうです。たいへん、ありがたいことですね、はい。

さて、来週からいよいよ新しいプリキュア・キュアパルフェが登場なので、予告編にもCMにもキュアパルフェ関連のものがでてきましたね。キュアパルフェはどうやらCMを見る限り、新体操のリボンみたいなアイテムをつかってたたかうのでしょうか? あと、新プリキュア=キュアパルフェ=きら星シエル=妖精のキラリンというのも、なんとなく、察しのいいお子さまなら今日の放送分でわかったことでしょう。

それから、今日はジュリオが妖精・キラリンの双子の弟、ピカリオであるということもわかりましたね。いちご山からスイーツ作りの修業のために、キラリン・ピカリオの双子はパリに出かけた。いつかふたりで伝説のパティシエ・プリキュアになることを夢にみて・・・。

でも、次々にスイーツづくりで成功して、人間にまで変身する力を得たキラリン=きら星シエルに対して、失敗ばかりでうまくいかないピカリオ。そんなピカリオの闇のキラキラルに目をつけるかのようにノアールがやってきて、ピカリオはジュリオと名を変え、闇の力を解放し、スイーツからキラキラルを奪っていく存在になります。

そして今回も、ジュリオはプリキュアを倒し、修業がうまくいかなかった自分の悔しさを姉・キラリンにぶつけるべく、ジュリオ自身のもっている闇の力を全部解放して、プリキュアたちにぶつけてきます。

それでですね・・・。ここからのシーンが今回、印象的。

これはきっと「荒れている子どもたちとつきあう教職員や保育士、ソーシャルワーカーやカウンセラーのみなさん」にぜひぜひ、見ていただきたいシーンかと。

まず、ジュリオは自分の持っている闇の力、つまり、パリでの修業がうまくいかなかった悔しさや姉・キラリンに対する腹立たしさなど、いろんな思いを全部解放して、キュアホイップ(いちか)にぶつけてきます。

でも、その闇の力をぶつけられたキュアホイップは、なんと、カスタード・ジェラート・マカロン・ショコラの4人のプリキュアの力を自分にあつめて、ジュリオの攻撃を一身に受け止めようとするんですね。

どうしてそんなことをするのかというと・・・。

ジュリオの攻撃を一身に受け止めているときに、闇の力の向こうに、ジュリオがピカリオだった頃のさみしさとか悔しさ、悲しみが、キュアホイップにだけは感じとれる。だから、ジュリオの攻撃に負けないで、キュアホイップがそれを我が身で受け止めれば受け止めるほど、ジュリオの根っこにあるピカリオの悲しみが見えてくる・・・。

そしてキュアホイップは、そのピカリオの悲しみのさらにその奥に、もともとピカリオがスイーツ大好きで、姉・キラリンに一度、おいしいワッフルをつくってほめられたことがあることを知りますと・・・。「スイーツ大嫌い」というジュリオのことばは、ほんとうは「スイーツ大好き」という気持ちの裏返しだということに気付きます。

そのあとは、5人のプリキュアたちの力を集めて、いつものとおりデコレーションケーキの山のなかにジュリオを閉じ込めて、もともとあった「スイーツ大好き」って気持ちに働きかけます。その結果、ジュリオはもとの妖精・ピカリオの姿にもどるってわけですね。

この「ジュリオの攻撃を一身に受け止めるキュアホイップ」と、「そのキュアホイップを支える4人のプリキュア」って、何か示唆的ですよね。ちょうど学校で荒れて、何かとある特定の教員に突っかかる子どもと、その子どもの本心を理解するために、その特定の教員を他の教員みんなで支えているような、そんな場面のようにも見えました。

なおかつ、プリキュアの世界では「もともと、根っから悪い人(妖精)はいない」という前提に立っていて、「その見た目悪いように見えたり、あるいは今は悪いことをしていたりする人(妖精)でも、心の内側のどこかに眠っているよい部分に働きかけて、そこから一気にその人の変わるタイミングをさぐっていく・・・」ということ。これも過去のプリキュアにも何度かでてきた場面ですが、そういうことがまた今回も描かれていたように思いました。

ただ・・・。こういうジュリオ=ピカリオの気持ちをはじめて知ったきら星シエル=キラリンは、どうやら次回、ものすごく落ち込みそうです。

なにしろシエル=キラリンは今回、「自分はいちか(=キュアホイップ)のように、誰かの気持ちをまっすぐに受け止めることができなかった・・・」というようなセリフを残していますので。要するに、スイーツづくりの技術はうまくても、スイーツをつくったり食べたりする人の気持ちにまで、シエル=キラリンは目を向ける余裕がなかったってことですね。それゆえに、弟・ピカリオ=ジュリオがノワールの手先になって、闇の力を解放するようになったわけなので。また、予告編でもシエル=キラリンが落ち込んでいる場面が描かれていました。

そして予告編を見ていると、そんな落ち込んだシエルのところに、ノワールがどうやらやってくる・・・というところから、さて、シエルがどうやって新しいプリキュアに変身していくのか。そこが楽しみですね。

ということで、今日のプリキュアの話、おわります。


昨日(7月2日)のプリキュアの話です。

2017-07-03 23:03:20 | プリキュア話

晩ごはんのあと、昨日朝のプリキュアを録画で見ました。

まあ、実は昨日もケータイのワンセグ機能つかって、日本教育政策学会(京都女子大学にて開催。7月1~2日の2日間)の受付の片隅で見ていたりしていたんですけどね。

さて、昨日のプリキュアですが、天才パティシエのきら星シエルが、いちご山の妖精のひとり・キラリンであったということがわかりました。また、そのキラリンにはピカリオという双子のきょうだいがいて、いっしょに海外でスイーツづくりの修業に励んでいたこともわかりました。

まあ、このピカリオという名前からなんとなく察しのつく方もいるのではないかと。どうやらついこの前までプリキュアを追いつめていた敵・ジュリオと、「リオ」という名前の部分だけつながりますねえ。

ちなみに昨日の放送分でもジュリオがラストに、悪のパワーに満ちた状態で登場していました。また、ここのところプリキュアとたたかっている敵・ビブリーも、このジュリオ同様、ノワールさまなる存在に自分のもっているキラキラルをさしだして、そのかわりに悪いパワーを充填してもらっている感じです。

そして、昨日の放送分では、いちご山でおきた何らかの悲しい出来事をきっかけに、世界各地に散り散りになっていたスイーツの妖精たちが、もう一度、長老と妖精・ペコリンの呼びかけで再結集。そこでプリキュアたちが妖精たちの再開を祝うパーティーをやろうと呼びかけ、スイーツづくりをする。そのスイーツでキラキラルが満たされたところに、ビブリーがやってくる・・・という展開でした。

また、前回放送分では、いちか(キュアホイップ)のつくったなんでもないパンケーキにキラキラルが集まっていることに、きら星シエルが不思議そうな思いを抱いていました。今回放送分ではそのことを率直に、果物屋の前で、シエルからいちかに質問するというところから物語がスタートしました。でも、お互いに「キラキラルのことを知っているのはなぜ?」と不思議がり、放送のラストでいちか=キュアホイップ、シエル=妖精のキラリンということがわかって納得、という展開もありましたね。まあ、キラリンが今度はいちかにスイーツづくりの弟子入りを頼む・・・という場面もありましたが。

そんなわけで、次週以降はジュリオが妖精・ピカリオなのかどうか。また、もしもジュリオが妖精・ピカリオだとしたら、なぜノワールの支配下にいま、置かれているのか。そもそもノワールとは何者なのか。また、なぜいちご山の妖精たちは各地に散り散りになってしまったのか。そして、きら星シエルがおそらく次のプリキュアになると思われるのですが(妖精たちはプリキュアにあこがれていて、キラリンはそのために修行していた・・・という話も今回、でていましたので)、どういうタイミングでプリキュアになるのか、等々。そういう謎解きが中心の回になりそうですね。楽しみです。


昨日の兵庫県知事選挙に思うこと

2017-07-03 20:50:25 | 国際・政治

http://www.nhk.or.jp/kobe2/senkyo/

こちらが昨日(2017年7月2日)の兵庫県知事選挙の結果についてのNHKの記事です。

さっと投票所別の結果を見ましたが・・・。

投票日の数日前に流れた「現職ややリード、勝谷候補が激しく追い上げ」という情報(たしか朝日新聞の情勢報道では?)や、「かなり現職が苦戦している」といった情報は、あながちまちがっていたわけではなさそうです。

というのも阪神間、特に尼崎では、勝谷候補の得票数のほうが現職・井戸知事をリードしていました。

また、同じく阪神間の自治体や神戸市内の各区のなかには、井戸知事の得票数にかなり勝谷候補が近づいている地域もありました。

なので、選挙情勢に関するマスコミ報道や、投票日前にいろんなところで「現職苦戦?」とか、「勝谷候補の追い上げが激しい」という話がでていたのは、少なくとも阪神間・神戸に限って言えば「そのとおり」といえます。

しかしながら、兵庫県は阪神・神戸以外に、播磨、但馬、丹波、淡路と4つの特色の異なる地域があります。こちらでは、勝谷候補はあまり得票できていません。但馬や播磨山間部あたりでは、もう、全然得票できていない感じですね。

結局、勝谷候補の陣営は、「有権者人口の多い阪神・神戸で風をつくって得票して、それ以外の地域で票がとれないのには目をつぶろう」という作戦をとっていたのかな・・・なんてことを思いました。

そして、もしも勝谷候補の陣営に大阪から「維新」の系統の人々が流れていたのだとしますと・・・。やはり「維新」への対策は阪神間・神戸できっちりとやっておかないといけないかな、と思いました。

おそらく「大阪・梅田や難波への通勤圏の兵庫県内」には、大阪から「維新の(政治的)空気」を吸い込んで、地元で吐き出している人がいるのではないかと思います。そういう「維新の(政治的)空気」を「クリーンにする」装置の開発を、なんとか考え出さないといけませんね。

逆に兵庫県内でも阪神間や神戸あたりのいい(政治的な)空気を吸い込んで、大阪の梅田や難波あたりで吐き出すくらいにならないとねぇ・・・。


「体罰をみんなで考えるネットワーク2017夏のつどい」が7月30日(日)に開催されます。

2017-07-03 09:45:42 | 私の「仲間」たちへ

私が今年1月まで代表をつとめていた「体罰をみんなで考えるネットワーク」が、2017年夏のつどいを、次のような趣旨で開催するそうです。

みなさま、ぜひぜひ、ご参加よろしくお願いします。

<以下、案内文を引用>

「体罰をみんなで考えるネットワーク2017」夏のつどいを開催します。

今年も、学校における教員から生徒への暴言、暴力の報道が後を絶ちません。ときには「指導」という名のもとに、自ら命を断つほどにまで子どもが追い詰められてしまう現実があります。

子どもの命を守り、育むための場であるはずの学校で、教員が子どもの命を傷つける事態が日常化してしまうのは、なぜでしょうか。

今回のつどいは、ゲストスピーカーとして内海千春さんをお招きします。内海さんは、中学校教諭として長年子どもたちと向き合いながら、一方で我が子が担任からの体罰により自死に追い込まれた遺族の立場から、学校のあり方を問い続けてこられました。

また「全国学校事故・事件を語る会」の代表世話人として、全国から遺族や被害者家族の相談にも日々対応されています。

教員としての経験、遺族としての経験をふまえて、学校における体罰をどう考えるか、内海さんの貴重なお話を伺い、共に学び合いたいと思います。

申込みは、taibatsu2015network@gmail.com までメールにて。
①お名前②ご所属(なくても構いません)③ご連絡先④懇親会参加の有無(参加費別途)をお知らせください。

皆様の参加申し込みをお待ちしております。

〇日時 7月30日(日)14時~17時

〇場所 龍谷大学梅田キャンパス

〇参加費 一般1000円・学生及び会員500円

〇テーマなど

 生徒指導や授業など学校での体罰について(仮)

 講師:内海千春さん(全国学校事故・事件を語る会代表世話人)

 前半(第1部):内海さんからの講演

 後半(第2部):講演をふまえての意見交換会

※夏のつどい終了後、懇親会も予定されているそうです。