晋ちゃんの気ままな散歩道

あっちこっち横道にそれたり休んだりしながら気ままに散歩しています。

若狭食フェア 10月7日

2006-10-08 21:30:59 | 国内旅行
先週に引き続き日本海の小浜へ。
ジパング倶楽部の特選旅行、特別団体貸し切り列車で若狭の食フェアに行き、あと若狭のお寺巡りをするという盛り沢山な企画。
費用は電車、バスの交通費、お寺の拝観料など¥4,800のみ、あと食事代、飲み代、オヤツ代、お土産代は全て自己負担。
おにぎり2ツ、一茶1本、ジャガリコ1筒、むき栗1袋、お蜜柑3ケその他身の回りの物をリュックに詰めて7時20分大阪駅に集合。
続々集まる中高年の夫婦連れ、コーラス仲間の女性グループ、孫を連れたおじいちゃん、おばあちゃん、一人旅は5人ほど。
小浜は日本海から奈良、京都を結ぶ交易の要路にあたり海のある奈良とも言われていた。毎年3月2日に始まる東大寺のお水取りの水は小浜から送られている。
この水に籾殻を落とせば東大寺に届くといわれている。
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若狭 (2)

2006-10-08 21:28:47 | 国内旅行
7時50分大阪駅を発車、新大阪、高槻、京都でメンバーを乗せ京都からは山陰線に入る。ここでまず最初のスイッチバック、進行方向が逆向きになる。
全員一斉に座席シートを回転させる。
この列車は1両目(前)と4両目(後)の一部が展望車になっているので座席シートは回転させず、今まで進行方向の景色を見ていた人は後ろの景色を、後ろの景色を見ていた人は進行方向の景色を見ることになる。
保津峡を見ながら八木、園部と進む、車窓の景色は強風の小雨交じり、川の水も昨日からの雨で濁流になっている。
山陰線は単線なので主要な駅では対向するための待ち合わせが多い。まして特別団体臨時列車はそのダイアの間を縫って走るのでなおさら待ち時間が多い。11時過ぎやっと綾部駅に到着。
ここからは舞鶴線、小浜線に入るのだがここでまたスイッチバック、また一斉に座席を回転させる。
私の後ろの座席に座っていた人が自分の座席の後、私の前の座席の網籠を覗いて「本が残っていませんか」と訊いて来たので、「あなたが今まで入れていた網籠は私の後ろになりますよ」と教えたら頭をかいていた。
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若狭 (3)

2006-10-08 21:25:25 | 国内旅行
12時半小浜着。
ここから福井鉄道バスに乗り換えて食フェアの会場へ向かう。
今度はバスの展望車、一番前の座席を確保。
10分足らずで会場に到着、テント張りの仮設で折からの強風に煽られていたが雨は降っていないので不自由はない。
テントの中は座る場所を取り合いするほど人が一杯でそこで買った干物をすぐ横にある七輪で焼いて食べているのがおいしそうだ。
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若狭 (4)

2006-10-08 21:20:03 | 国内旅行
私は焼き鯖の散らし寿司(¥200)と小浜ラーメン(¥300)を食べた。
どちらも期待以上に美味しかった。
小浜は塗り箸の産地で、割り箸はモッタイナイといって、簡単な塗り箸を呉れる。会場には使用済みの箸の回収箱があり、そこで使用した塗り箸を回収して再使用していた。
これは大変いいことだし、食べる我々も割り箸で食べるより塗り箸で食べる方が美味しく感じる。
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若狭 (5)

2006-10-08 21:18:29 | 国内旅行
2時に食フェアの会場を出発、明通寺(真言宗御室派)へ向かう。
大同元年(806年)桓武天皇の時代に征夷大将軍坂上田村麻呂公が蝦夷征伐後に平和を祈願して創建したと伝えられており、本堂、三重の塔ともに鎌倉時代中期の建立で簡素で、質実剛健、国宝に指定されている。
お堂の中には木造不動明王立像など平安後期作の国指定の重要文化財が安置されている。
住職の講話の中で、この寺こそが戦争を放棄した日本の憲法そのものを旨としたもので最近それがぐらついてきているのは良くないことだと言っていた。
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若狭 (6)

2006-10-08 21:15:14 | 国内旅行
明通寺からバスで15分天徳寺・瓜割りの滝へ行く。
落差も小さくて瓜など割れそうにない。
しかしここの水は日本百名水に選ばれており冷たくて瓜が割れるという。
柄杓ですくって飲んでみたが「六甲の水」とか「南アルプス天然の水」などとは全く違い水に味があって本当に美味しかった。
バスで隣に座ったおばちゃんの話だと尾瀬の近くに同じく瓜割りの滝があるそうだがそれは大きくて立派な滝だそうだ。
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若狭 (7)

2006-10-08 21:09:24 | 国内旅行
最後の観光地は「熊川宿」。
古代から若狭は朝廷に食料を献上する御食国(みけつくに)であった。
日本海で取れた魚や貝がはるばる京へ運ばれ、小浜ー熊川ー保坂ー朽木ー大原ー京都が鯖街道と呼ばれるようになった。
秀吉に重用され若狭の藩主となった浅野長政は熊川が交通、軍事の重要な場所であることから、諸役を免除して宿場町とした。以来40戸ほどの寒村が200戸を超える街になった。
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若狭 (8)

2006-10-08 21:05:26 | 国内旅行
熊川宿、行って見てほんとにいいところだと感じた。
町おこしで住民が頑張っており、自分達の町にそれぞれの思いを持っているのが分かる。
電柱もなく、それぞれの家の前を半分暗渠にして沢山のきれいな水が流れている、ツアーでなければ一泊してユックリしたいと思った。
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若狭 (9)

2006-10-08 21:01:01 | 国内旅行
熊川の番所を無事通過し帰路についたがこれからが大変。
近江今津17時45分発の列車(昼小浜で下車したあと回送してきた)に乗るべくバスで向かったが途中で連絡が入り、湖西線が強風のためストップしているらしい。
急遽湖北線経由に行程を変更しバスは琵琶湖の北岸を回って木ノ本駅に向かうことにし、近江今津に到着していた列車も敦賀方面へ逆送させ木ノ本駅で落ち合うことになった。
バスは17時半ごろ木ノ本駅に着いたが列車はまだ到着していない。
駅前のロータリーは狭いので大きな観光バスが5台も入ると一般の車や路線バスが入れない。
一旦近くのドライブインまで戻り待機することになった。
添乗員達が運行司令室と連絡を取り列車は18時30分に木ノ本駅に入れることになりそれにあわせてバスは再び駅に向かった。
バスを下りてやっと列車に乗ることが出来たが運転司令室とあらためて列車の出発の確認を取らないといけない。
湖西線経由の特急雷鳥なども湖北線回りに変更になっていて臨時列車はなかなか割り込めない。
隣の線路を列車がドンドン通過して行きお腹が減っていらいらしてくる。
駅の売店は閉まっており、自動販売機もコーヒーやお茶ばかり、ビールは売っていない。
仕方がないからオヤツの残りをボリボリと全部食べてしまった。
20時になってやっと列車は発車したが団体貸切列車だから車内販売はないし、動き出しても途中の駅には停車しないから駅弁も買えない。
21時半大阪駅着、難波で飯を食べようと思ったが殆どの店は22時までで店じまい中。
空腹を抱えて23時我が家へ帰着。今週もお疲れ様でした。
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若狭 付録

2006-10-08 20:55:27 | 国内旅行
   
              若狭本郷駅前にある実物大の義経号
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