昨日は大田区総合体育館に行ってきました。
関西依怙贔屓で売る当ブログとしては、京都に行くのが筋やないのか、という気もしたんですが、
どうしても内山高志の「最後の一戦」をこの目で見ておきたい、という思いでした。
セミが終わって場内にTV東京のVTRが流れ、それが終わろうかというときでした。
青コーナーの方から、内山の名を呼ぶ声が沸き上がり始めました。
ひょっとしたら、花道の奥に内山の姿が早めに見えたのかもしれません。
まるで彼の登場を待ちきれないように、人々は早々に声を上げていました。
両者入場、本来なら...もう、こういうのは古い考え方なのかもしれませんが、
後から入ってくるべき王者、ジェスリル・コラレスが先に登場し、次いで内山が入場。
場内は一斉に大歓声と拍手で内山を迎えました。
長きに渡る「王朝」を築いた男への、雪辱の期待はもちろんのこと、だったでしょう。
しかしその熱量は、単なる目前の一戦を勝利することのみに向けられたものではなく、
ひとたびの敗北で却って浮き彫りになった、ひとつの勝利がいかに難事であるか、
その積み重ねが、どれだけ膨大な労苦の元に成し遂げられた偉業であるかという
事実に対する、改めての驚嘆と敬意にも満ちている。そんな風に感じました。
試合は序盤、内山より大柄で、なおかつ速い驚異のサウスポー、コラレスの優勢でした。
何しろ大きく、距離が長く、踏み込みが速い。
左のパンチは、内山を鋭く脅かす。立ち上がりは内山、外せないかに見える。
内山が出ると、体を左右に翻して、連打とスイッチを織り交ぜた攻撃でヒットを取る。
しかし同時に、これらの攻め手のみならず、防御、というのを通り越した「護身」もまた、
こちらの想像を超えた次元のものでした。
好打してはクリンチ、ミスブローしてもクリンチ、という具合で、自分のやることだけやると、
ひたすらに体を寄せ、揉み合う。ことにミスブローのあとのクリンチが一番スピードがあることには、
見ていて呆れるのを通り越し、感心してしまうほど。
能力が高いことは見て取れるが、果たしてこの選手、本人が模索していたという
「ビッグマッチ」の舞台たる、米国のマーケットで売り物になるボクサーかな、と疑問でした。
しかしそのボクシングは、内山にとり御しにくく、脅威であるのも事実でした。
3回、ボディを打たれ、スイッチを交えてのコンビで後手に回らされる。
右ボディストレートが散発的に出るが、そのたびに倍する手数、ヒットを喫し、
後続をクリンチで断たれ、また攻められ、序盤は失点続きでした。
5回も低い姿勢から突き上げるようなワンツーなどを打たれ、劣勢。
しかしこの回終盤、コラレスがミスしてバランスが崩れ、そこに左フックが当たったか?
ダウンの裁定。場内一気に歓声に満ちる。
これで流れが変わるかと淡い期待もしたが、コラレスは頻繁にスイッチし、
左右の構えから左フックを決める。内山の攻めは散発的。
8回を経ても流れは変わらずも、9回終盤に内山がボディを決め、
10回は右ボディから猛攻。左右のボディが数回決まり、コラレスは露骨にホールド。
場内は囂々たる声援、しかし内山攻めきれない。
11回、コラレスはほぼ横向いて回り、しまいには走って逃げる。
揉み合いでは、ロープをつかんでのクリンチも。
しかし攻めると、軽い連打を放り込んでくる。また逃げ、クリンチ。
最終回は内山が攻めたが、ノックアウトはならず、判定でした。
採点は2-1でした。会場での私の採点は、115-112でコラレス。
自分では、内山に甘いかな、と思った数字でした。
試合後、場内は判定への不満も、ちらほらありました。
しかし内山本人がインタビューで、悔しさを押し殺して静かに敗戦を認め、
場内へ感謝を述べると、誰もが結果を受け入れねばならない、という雰囲気にもなりました。
試合全体を見て思うのは、ジェスリル・コラレスの能力の前に、
現状における内山高志の戦力は、それを攻略するにはさまざまに不足があった、
ということです。厳しいようですが、そして残念至極ですが、そう思います。
そして、過去のどの時点かなら、それがかなったのか、という問いには、もう意味はありません。
時は過ぎ去り、王朝は終わり、失われたものがいかに偉大で、貴重なものだったのかを思い返す。
我々に出来ることは、それに多大な敬意を払うことのみ、です。
感情を押し殺して言葉を紡いだのち、内山高志は静かにリングを去りました。
その背中に向けて、盛大な拍手と、敗れてもなお敬意に満ちた声がかけられていました。
そのしばらくのち、勝者コラレスがリングを降りる頃には、場内は閑散としていて、
彼を称える声も拍手も、まばらなものでした。
この日、フルラウンドの闘いで見せた姿がその全貌である、とするならば、
少なくとも私は、この選手の能力の高さが、現状の内山を上回ることは認めるにせよ、
到底、敬意の対象たりうるものとは思いませんでした。
そして、改めて内山高志の偉大を思っています。
どんな相手にも、堂々たる闘いぶりで、強烈な勝ち方を長きに渡り見せ続け、
そのこと自体が当然であるかのように存在していた、王者の姿を。
今更詮無いことですが、その頃に、一度でもいいから、直にその姿を見ておくべきだった。
愚かしいことこの上ないですが、そんな風に思っています。