ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

リーダーと所属するグループ

2006年07月11日 | 今日この頃
              野萱草
     3色あったが、この色だけになってしまった
    長野の車山のキスゲきれいでした。その仲間です

先週一週間は講習のためジムはお休みしました。先々週出来た事が出来なくなっていました。今の私達の年代には頭の体操だけでは駄目ですね、コンスタントに身体も使ってやらないと・・・

リーダーにもふた手ありますね。何でも1人でやるタイプ、人に任せてしまうタイプ。自分ですべてやるのは大変の様な気がしますが実は楽なんですね。人に任せるのは大変なんです。まず適任者を選ぶ目が無ければなりません。ですから良い方向に行けば後者は後継者育成も出来るわけです。前者は自分の経験を深めるだけで続く人を育てる事は出来ないのです。

昨日の婦人会は町会からの補助を受けてはいますが、純粋に町会に組み込まれているわけではないのです。町会には老人会や子ども会もあります。それぞれが町会とどのようなつながりになっているのか知りませんが、婦人会は創立の経緯が少し違うのです。

過って町会にも婦人部と言うのがありました。それは年一度のレクリェーションバス旅行だけの存在だったと思います。いつの間にか行動しなくなっていました。
子育てに夢中の時期は気づかなかったのですが、話すのは子供を通じての交友だけになっていました。ご近所と言っても同学年の子供がいないと、ほんの時候の挨拶だけと言う関係でした。一番近い隣保の方達と輪を作りたいなと思ったのです。

「無いものは作ればいい、作りましょう」と発案したのが私です。交際範囲の広い方を知っていましたので、お願いしました。快く引き受けてくださって、町会にも働きかけ、回覧板で加入者を募集しました所、120人ぐらい集まりました。一年目は、何しろ始めての試みですから多くの行事は出来ませんでした。手探りの状態です。その頃から主婦のパート務めが増え始め、婦人会員は100人を切りました。

元の町会は「婦人部」でしたので今回は「婦人会」と命名したのです。それから早30年近くの年月が過ぎ、当時40代だった会員も70代に突入しました。近年の入会者は「婦人会」と思って入ってきたのに70代、80代の人が居るものですからギョっとするらしいのです。物事を成すスピードも違います。考え方も違います。誰言うと無く定年制(コメントの中のO-Haruさんの町会では65歳になれば自動的に老人会に移行)は?と言う話がチラホラ私の耳にも届くようになりました。

私としては自分の発案で動き始めた「婦人会」に初めからご一緒している方々ですから考えても見ない事でしたが、言われてみればなるほどと思いますし、私もその意見には賛成なんです。70歳定年制が一番良いのですが、それでは今の婦人会が成り立たなくなります。折角立ち上げた「婦人会」続けて欲しいのです。色々話し合って「定年制」の方向に進めば良いと考えています。

定年制は何も「婦人会」ばかりではありません「グループ」には必要だと思っています。先輩が居られたから「グループ」の現在があるのは間違いありませんが、水も流れないと澱む様にどんな「グループ」も新陳代謝は必要なのです。「定年制」が無いと「私が居なければこの会は困るだろう」と錯覚が起きます。本当に錯覚なんです。本当に必要な人なんて何千人に、いや何万人に1人ぐらいでしょう。どんなにその会に必要に見える人でも、辞めれば後を継ぐ人は必ず居るのです。そうして「グループ」は継続してきたはずです。

「定年制」があれば辞める方も辞めやすい。残る方も辞めてもらいやすい。自分は大丈夫と思っていても70歳も過ぎるとその人なりに全てに衰えが来ます。「貴女に居てもらわないと困る」の言葉にすがらない生き方が必要だと思います。寿命が延びているのです。70代以上の人は人で又新しい関連「グループ」を作れば良いわけです。同好会なら年齢制限無くてもいいかな~。

私は昔から70歳には新しい生き方をと考えていました。始めは数えの70歳と思っていました。人様に編み物を教えると言う事は予定通り数えの70歳で辞めました。しかし1月に退会した会ではまだまだ面白く、ついつい延ばしてしまいました。でもあるきっかけで未練を断ち切って退会をしました。先輩の「今止めなければ私はずるずる続けそうだから・・・」と言う言葉を何時も思い出していました。

退会して7ヶ月に入りました。未練心も薄れてきました。まだまだ今後の確実な予定が立てられている訳では在りませんが、なんとなく「これで良かった」と言う気持ちになってきました。「クラブの老害」にだけはならないですんだようです。




























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三度 神戸花鳥園

2006年07月10日 | 今日この頃
         ニュージーランドの朝顔
       5㎝在るかなしの小さい花、多産系
    色んな色がありましたが二色だけが残りました
       来年はピンクだけになりそうです。

花鳥園は一度は主人と二度目は孫娘と今日三度目は婦人会から総勢30名で行った。まだ出来て新しいため知らない方も多く沢山の参加となった。

まず「神戸空港」に行った。到着が11時過ぎ、昼食時は混むので、まず食事を取って欲しいという説明。そして集合場所に1時半に集まるといわれた。私は「えっつ?! 2時間半も如何する?1時でも時間が余るよ、次に行く所が無ければそれでも良いが・・・」と思った。しかし団体行動である限り自分の感情での口出しは慎まねばならない。

それぞれが食べたい所を探してウロウロ・・・私は初めから美味しいと聞いていたお寿司屋さんにまっしぐら・・・。個室は空港に面しているが私達の人数が多すぎて(11人)入れないのでカウンターと言う事になる。カウンターのほとんどの席は空港と反対の山側を向いている。

カウンターに各自葉らんが敷かた。「うん?これは期待できるかも?・・・」一つ一つ握って葉らんの上に置いてくれる「うんうんこの調子・・・」一番初めが「イカの塩とレモンしぼり」こんな食べ方は初めてなので新鮮だった、がしかし直ぐに「シャリに甘みがキツイ!」、メインは「魚」だからそれを生かすのにこのシャリの味はまづいよ。一瞬はその魚の味がするけれど、後はシャリの味が口中に広がる。絶対甘みが邪魔だ。シャリを食べに来たのではないよ~と心で叫んだ。板前さんがシェフの被る高~いシャッポを被っているのも異様だ、鉢巻だよね、すし屋さんは。

ネタが特別新鮮とも言えない,普通だ。寿司を選んだのは失敗だった。前回の洋食の方がよっぽど安くて美味しかった。主人の言っていた「こんな所のすし屋はたいした事ないで・・・」正解・・・

これでがっかりしているのに追い討ちをかけて、残り時間が1時間半もある。狭いこの空港の何処で時間をつぶそうか?大半の人がぞろぞろと食事を済ませて集まってきた。まだ12時だ。しかしリーダーは二、三の人とお茶でもしているのか姿が無い。ぶつぶつ言う人も出てきた。放送で呼び出してもらおう等、意見がだんだんエスカレートしてきた。これが団体の辛い所である。リーダーは15分前にやっと現れた。でも若い人が二人まだだ、5分前にその二人も現れた。やれやれ・・・言われた時間に現れたのだから文句は言えない。

私は思った。リーダーは状況判断の出来る所にいなければならない、自分が楽しんでしまっては役目は果たせない。まとめ役の辛さである。

花鳥園に着いた。「2時半に『フクロウの演技』があるのでその広場に行くように、これで解散・・・」と言っている。しかし壁に貼られた『フクロウの演技』は2時となっている。私は受付に走った「フクロウの演技は2時なんですか?」「2時です」私は今度ばかりは黙っているわけには行かない、フクロウの演技は午前午後一回ずつしかなく、それも15分ぐらいで終わってしまう「XXさん、梟の時間は2時です。今受付で聞いてきました」「2時半だと思っていた・・・」壁に掛かった時刻表を見ていた方達からも「おかしいな思った」と言う声「後15分しかありませんよ急ぎましょう」と私。皆で急いだ。所がフクロウ二羽の内の一羽がどうしても飛ばない。私のこれまで二度の経験でもこんなことは無かった。とうとう消化不良のまま時間は終了した。

自由行動であるから、初めてのあやこさんを案内して廻った。やはり花は春である。沢山咲いてはいるが、春は葉の緑が見えないくらい花がついていた。エンジェルトランペットも数が減っている。しかし二度の訪問では見られなかった大好きだった花ストレプトカーパスが私を迎えてくれた。その色の多さに驚いた。

もう一つ「孔雀の求愛」メスを前にオスが羽を広げているのに出くわした。時々羽を小刻みに震わせて求愛ダンス?をする。綺麗綺麗、艶々と玉虫色に光っている。50㎝ほどのそばで見たのは生まれて初めて。今まではケージを隔ててしか見たことが無い。こんなチャンスは滅多に無いのに、傍にはあやこさんと私、アベックさんと数人しかいない。オスはものの10分ぐらいで羽を収めてしまった。随分疲れるのかな~

今日は「すし屋さん」「時間の無駄」に前半はいらいらしたけれど、後半の「ストレプトカーパス」と「孔雀の求愛」で大満足。終わりよければ全てよし。チョン。



















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柏葉アジサイと山アジサイ

2006年07月09日 | テレビから
          モントプレチャー(姫檜扇あやめ)
        和名は「ヒオウギ」と教えられたが
     調べると違うらしい。葉が扇型に成っていない
           貴方の名前何って~の?
  
  ☆いっささんから(姫ヒオウギアヤメ)とお教えいただいた

今日は4時にきみこさんと待ち合わせた。5ヶ月ぶりである。去年のアジサイの咲く頃お宅に「柏葉あじさい」があると話された時「欲しい!」とおねだりしておいた。きみこさんは一切植物の世話はせず、ご主人様がお手入れを、きみこさんは見るだけだそうだ。ご主人様に頼んでくださり、今日の受け渡しとなった。
本当はもっと早い時点でメールを頂いていたが、都合が付かなくて今日になった。
「柏葉あじさい」とおまけに「山アジサイ」もいただいた。手塩にかけて育てられた「アジサイ」は生き生きと緑色である。

待ち合わせ場所、尼センは久し振りなのでブラブラしようと早めに家を出て、店内をぐるりと周り、本屋で買いたい本を探したが見当たらず、先日の旅行で落とした「万歩計」を探した。何時も神戸で買っていたので、此処の何処に売っているかがわからず又ウロウロする。秤を売っているお店を見つけて「万歩計ありませんか?」「ありますよ」目の前のケースを指差す。二種類の万歩計が鎮座ましていた。

実は万歩計を「遍路の道中」二個落としいる。山道を登っている内に突き上げられて外れるらしい。次はトイレの水槽にポチャン。足元に落とす事数限りなし。
そして先日の旅行である。考えるに余りやすくて小さいのを求めた為ではないか?と気づいた。

今日は思い切って1420円を奮発した。今までのは500円~800円だった為、小さくて衣服に差込型だったから、歩くたびに微妙に浮き上がって抜け落ちるらしい。今日は蓋付きで歩数、歩いた距離、消費カロリーがわかる優れもの、始めに自分の体重も入れて置くようになっている。これなら落とすことも無いかも?と思って「電池はどの位持ちますか?かえられますか?」「2,3年もちますよ。電池は交換できますが、皆さんそれまでに無くすようですよ」何~だ無くすのは私だけではないんだ!と一安心。

さて、10分前になったのでそろそろ待ち合わせ場所に移動しようと歩き出す。入り口が二つあるのでまず左側に行って、此処に来られなければもう一つの方へと歩む・・・そこに懐かしいきみこさんの笑顔があった。30分だけのお茶のつもりが80分もお喋りした。きみこさんは戦後生まれ私より13歳も年下だって。

きみこさんはマリンバ奏者である。炭の音色に見せられて「炭琴」の演奏もなさる。毎年きみこさんのご町内の公民館で「公子さんのマリンバと色んなものも組み合わせ」で「親子ふれあい講座」と言うのが催される。今月の最後の土曜日に「第19回ファミリーコンサート」がある。私は参加4回目である。今回は私達の共通の友達たかこさんも「蜘蛛の糸」「何故猫年が無いのか」等朗読をされるので楽しみが倍増される。

一回目は友達のご主人が車で送ってくださった。2回目は1人だったので自転車で行った。所が、行きしなは明るかったので如何にか昨年のことを思い出しつつ無事到着したが、帰りは真っ暗である。この道を通ってきたと逆をなぞって走らせたつもりなのに迷ってしまった。道を聞こうにも人っ子一人いない。そうだ何しろ広い道路にでようと思った。やっと広い道にでた。川もある、さてこれをどちらに行けば我家なのか?・・・左右を眺め、ふっとお空を仰ぐと、にょっきり2本の角のような高層住宅のシルエットが目に飛び込んだ。「あそこだ!」私の家の近所のビルである。あんなに嬉しかったことは無い。そのビル目掛けて一目散、無事我家に到着。

夜道は怖いと実感。次の年は懲りたのでバスで行った。今度は場所が不案内、如何にか成るだろうと乗り込んだバスにやすこさんが乗っていた。きみこさんの演奏会に行くと言うので安心してくっついて行った。去年は勘違いしていけなかった。
そして4回目のこの度は早々とお約束して、やすこさんとご一緒の予定。これで迷う事無く行って帰れる予定である。

迷子といえばこんなことがありました。次男坊が暗くなっても帰ってこない、ご近所の友達とも遊んでいない。如何しようも無いので門を出たり入ったり待っていた。「ただいま!」の声に玄関に飛び出すと「XXXに行って帰りに道に迷って解らなくなった。暗くなってふと見るとパチンコやのビルのネオンが見えた(その頃は駅の近くのそのビルしか高い建物はなかった)それを目指して歩いてきた」それだけ言うと彼はワ~ッと大声を挙げて泣きだした。心細かったのだろう。母の顔を見て安心して緊張の糸が切れたのだろう。

親子して迷子になったお話です。今は二人の子を持ち、一人前の顔をしているけれど、こんなに幼い頃もあったんだよ・・・












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バアバとババア

2006年07月08日 | 新聞から
             矢車ハッカ        
        花は繊細ですが、生命力は逞しい    
    翌年には孫子親戚引き連れたって感じで芽を出します

今朝の「いわせてもらお」でこんな記事が載っていました。

◎愛の違い?
初孫がカタコトを言い始めた。婿方の祖父母はバアバとジイジと呼ばせ、娘方の当方はババアとジジイと呼ばせて区別している。それにしても、アイの置き場所でこんなにも違うものか。(バアバと呼ばれたいババア)

私は思わず大声で笑ってしまいました。今も打ちながら笑いが止まりません。手が止まってしまうくらいです。一寸「ババア」はきついです。私なら異議申し立てします。私は婿側に属する人ですが、今の世の中娘側が強いように思いますがこんな方も居られるのですね。皆さんは如何区別しているのでしょうか?我家では娘側の方を話の中では「XX(地名)のおばあちゃん」と呼んでいるようです。呼びかけは共通で「おばあちゃん」または「バアバ」です。

娘側が強いと言いますと、今日、ご近所の方と話していますと金沢に嫁いでいる娘さんがお産で里帰り「2ヶ月経ってもまだいます」「お宮参りは?」「二人で行ったようです。雨でね・・・」二人で行って悪いことはないけれどバアバの楽しみを奪ってる。その件では独立独歩で、長期里帰りと何だかちぐはぐ・・・これ姑根性?その方と私では10歳以上の差があります。私達の子供達の辺りから長期出産里帰りが始まったようです。でも1ヶ月で「へ~え?!」って驚いたものですが、今はそれが長期化を進めているのでしょうか・・・

我家の場合は遠い昔ではっきりとは覚えていませんが、一人目は少し早めに里帰りし、里で生みましたが息子が1人の生活ですので直ぐ帰ってくれたように思います。二人目の子は近所で生み、産院に居る間は私が息子と上の孫の世話をし、退院後は息子が産休(男が産休なんてね~)を取り、その3日間のおかずは私が作り置きして、息子が出勤後あちらのお母さんが(働いておられたので休暇を取って)お世話くださいました。

上の子の時は府立病院で大部屋でしたが、お母さんのそばに赤ちゃんは居りました。二人目の子は近所の病院で、個室で室内にトイレもテレビもありましたが、赤ちゃんは育児室でした。時間が決められていて、その時間になるとブラインドが上がりガラス戸越しに孫が見えると言う仕組みです。毛布がブルーかピンクの色で男か女が解るようになっていました。入院も3日間4日目には退院と早かったです。その入院中に生まれたのは男の子は少なく女の子ばかりでした。

私は手伝いに行っていますので、新しい孫の顔を見ましたが、家で留守番している主人は見ないわけです。そこで二児の父になった息子が新しい孫の写真を撮ってパソコンで家に居る息子のパソコンに送信してくれたのです。離れていても主人もリアルタイムに孫とご対面出来たのです。その時に私はパソコンに興味を持ちました。こんな便利なもの使ってみたいな・・・って。その前から何だか面白そうな道具だな~と「マウス」に憧れてはいましたが。

「嫁」と言う言葉で思い出したのですが、今読んでいる

最後の皇妃 『福貴人』 李玉琴

皇妃とは第二婦人以下を指すようです。中国(満州国)最後の王溥儀とその皇后(婉容)の時代、第二婦人(李玉琴)を中心にしたお話なんですが、その中に「嫁鶏随鶏 嫁狗随狗」と言う中国女性伝統をあらわす言葉があり、意味は「とりに嫁げばとりに随い、いぬに嫁げばいぬに随う」だそうで「女の境遇は夫の境遇に左右される」と言う古い思想があるそうです。

今はもうそんな事は無いでしょうか?。私のように専業主婦は今でもそうですね。ある意味永遠に続く関係でしょうか?唯、働きのある奥様であったり、奥様のお里が金持ちであったりすれば逆の事も言えるわけですね。

親が金持ちか、そうでないかは退職後の生活に関わってきますね。なんといっても親からの遺産はゆとりとして現れますよね。ま~私達のように主人の収入だけの老後も誰に遠慮も無くて良いですわ。
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講習会

2006年07月07日 | 今日この頃
             グロリオーサ
     花形が変わっています、赤に黄色の縁取りも鮮やか
         この頃は花束にもよく使われる

今夜は七夕。でも空は雲に覆われています。近畿は何時も梅雨の最中で、この何年も天の川も織姫・天牛も見ません。ニュージーランドでもグランドキャニオンでも天の川は、ミルキィーウエイの名の通り白く横たわっていましたのに、この地では見られません。そうだ日本では屋久島でもくっきり見えましたっけ。

スーパーでは昨日から笹をプレゼントしていますね。ご近所では小さな子供が居ないから見かけませんが・・・。

園田学園コミュニティ・スクールの『ホームページ作成』講座に7月4日から7日まで4日間、一日2時間半、計10時間通いました。

市報に載っていたので4日間連続と言うのが一寸しんどいな~と思ったのですが、電話してみました。「何歳ですか?」「70歳です」相手の一瞬の躊躇が電話を伝わってきました「パソコンは?・・・」「ブログをやっておりますので、先生のおしゃる事は理解できると思います」で受付完了。

当日学校の受付前に「名札」が並べてありました。6枚。「アレッ!」もう皆さん教室に?・・・。私は始めての場所なので探す時間を考えて早めに出てきました。
学校はバスの停留所から近く、余り早く着き過ぎたので隣の公園でぼんやりと座って時間つぶししていたのです。なんと15名募集に6名しか集まらなかったのです。始めに「メモ帳、カレンダー、マグネット、園田学園の案内等」頂きました。

「ホームページ」より「ブログ」が簡単と言う事で敬遠されたらしいのです。今回で2回目ですが、去年は定員一杯は来られたそうです。6人で先生3人、生徒側から言えば(始めての人ばかりなので)2対1でも足りないくらいです。15人も居れば落ちこぼれ続出だと思います。

私も「ブログ」が簡単と言われるので「ホームページ」との違いは?どんなに難しいのか?そのことを実地検分する為に申し込んだのです。確かに難しかった。
その方法が「手作り」だかららしい。市販の「ホームページビルダー」ならもっと簡単に出来るらしい。先生の言われるには「去年の生徒さんの何人かは『ホームページビルダー』を使わない『手作り』なら習いに行く、『ビルダーを使っていると人に思われるのがいやだから・・・』と言う生徒さんが何人も居られたそうだ」私はそんな贅沢は言わないし「ビルダー」を使いこなせば、自然と独自のものが出来るようになると思っている。

私が習いに行ったのは「ブログ」と「ホームページ」の比較もあったが、自分の「遍路記」を書き直しつつ載せたいと思っているから。「遍路記」はA4の袋とじをA4の縦使用に直さなければならない。直した「遍路記」を持参したが、写真が重くて思うように動かないし、所属がヤフーの「ジオシティ」で、私のブログと違う。「ホームページ」を作るならやはり写真の貼り付け方一つを取っても違うから、統一したほうが良いかなと考えるようになった。

一つの地点に到達するにも色んな道があって色んな方法があるのだから、自分の進みやすい道を選ぶべきだと思った。

教え方に上手下手があるように、習うほうにも習い上手と下手はあるようだ。私はどうも下手に属する。何故なら何時も自分で勉強して方法を見つけ出していらからだと思う。皆一斉にパソコンに向かっている時は良いけれど、個々に見ていただく時間になると、何時もの癖で気がつくと自分で考え込んでいる。何の為に習いに来ているのか?と慌てて先生に声を掛け様としても先生が手一杯だったりすると待ってしまう。だから私は習い下手と思う。

結果としては小さな「ホームページ」は出来たけれど「遍路記」を入れるまでには行かなかった。まだまだ遠い道のりだと感じた。私はやはりボチボチ自分で試行錯誤しながら作っていくのがあってるな~と言う結論。だからと言って今回の講座が無駄ではありませんよ。知らなかったツールの使い方を習った事だけでも収穫でした。それに、講座を受けた人は「土曜日の1~4時迄いつでも教室を使わせていただけるし、メールでの質問も受け付けてくださる」と言う。これは最後の砦としてありがたいことだと思う。

受験勉強で「塾」でそのテクニックを習うのと自宅で自分で計画を立てて勉強する違いかな~。私はやはり「マイプラン型」ゆっくり着実が性に合っていると確信した。











































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思いの隔てる北の国

2006年07月06日 | テレビから
              桔 梗
       大好きな花の一つ、蕾も好きです
      何故か育たない、これもつい先日頂いた

北の国から嫌な便りがビュ~んビュ~ん飛んできます。この度はとうとう温和な日本国も制裁に乗り出しましたね。歯がゆい思いをしていました。でも毎日毎日色んな事が起こりますね。悪い話の比率が高いようですね。天変地変は多く起こりますし、人心も宇宙も大荒れです。

今日の夕刊に横田めぐみさん母娘と旦那さんの写真が出ていましたね。17年前のめぐみさん一家ですね。さきえさんは前に見ておられたのでしょうかね。私はこの写真を見て、何だか判らないのですが、しらけ気味なんです。北朝鮮ではお誕生日のお祝い品の品といい飾り方といい何だかお供え物のように見えるのは私だけでしょうか?

キムヨンナムさんのお母さんの誕生祝とかテレビで見ました時、何だか仏様へのお供えのようだな~と思ったのですが、ご本人がお年寄りだからかな~と思っていました。でも今日のヘギョンチャンのお祝いの飾りもお供えの様でしたね。国が変わればこうも変わるものでしょうかね。

キムヨンナムさんの韓国向け会見を見て思いました。言葉のニュアンスは判らないのですが、能面の様な顔で、メモをちらちら見ながら語るめぐみさんの事、かって愛した人のことを語る表情ではありませんでしたね。早紀江さんはどんなに悔しい思いで見ておられるのかと心が痛みましたね。

家庭人としての営みが出来ないほど病状が悪化したので入院させたって、それまでも再々自殺未遂をし、病院で自殺したってね。子を持ちながらも命を絶とうとした人の悲しみが解っているのだろうかと、淡々と語る旦那を見て私でさえやり切れなかったですね。早紀江さん悔しかったでしょうね。愛しさがいや増したでしょうね。

この会見を見ながら私は思ったんです「めぐみさんは本当に生きているのだろうか?」ふっと心にそんな疑問が湧いてきたんです。北の国は嘘ばっかりつくので
「うそつきの羊飼いの子」の様に、全てが嘘に見えて、「本当」が見えなくなっているんじゃないだろうか?ってね。早紀江さんのことを思えば、ま~なんて事を考えるのよ!と申し訳なく思ったのですが、そんな疑いが生じました。

今日は日本人向けの記者会見でしたね。お互いに好意を感じて結婚に至ったという話でしたが、将軍様の許可なくしては結婚さえ出来ないそうですね。まして埋葬したものを掘り起こして、荼毘に付す事など個人で出来る事ではないでしょうね。あの顔はそこまでめぐみさんを思った顔でしょうか?監視員が付いているから、めぐみさんへの思いを抑えねばならなかったと言う人も居ましたが・・・

後に同席したヘギョンチャンが日本の祖父母に言いましたね「本当に私に会いたいなら、此処にきてください」って。「本当に会いたいなら・・・」と言う言葉に、私は人の作為を感じましたね。韓国の祖母には最高の礼を尽くして、日本の祖父母には「会いたいなら・・・」は無いでしょうってね。言わされている。その為に出されていると言う感じでした。

ヘギョンチャンが日本の祖父母が「めぐみさんとヘギョンチャン」は一つにと考えている事を知って居るのだろうか。知らなければ4年前に「あいにきて」今日も「あいにきて」と言ったのに会いに来てくれないとなれば彼女の心は傷つきますね。国の為なら個人は無いのがあの国なんでしょうか・・・

もしめぐみさんが生きているなら、こんなに何年も日本で「返して!」との母の声は聞こえていないのでしょうか。国内放送しか聴けない立場に居ると言う事でしょうか?早く早く帰っておいで、めぐみさん、貴女のご両親兄弟が待っているあなたの故郷、日本国へ・・・






















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下呂温泉

2006年07月05日 | ちっちゃな旅
             ルリマツリ
           どんどん大きくなる
       白色もあるそうですが見たことが無い

今夜は下呂泊、1時間半も掛けて下呂まで来たのは春に下呂に来た時に「苗代桜」を見に行きました、その濃尾バスが「蛍狩り」の車を出しているのです。電話をした時「雨が降ると蛍が出てこないし、人数が集まらない時も出ません」土曜日の夜ですので人が集まらない事は無いと思いました。

高山本線は下呂に近づくにつれてすごい霧でした。私達は先頭車両の一番前の席に乗っていましたから、瞬間線路が見えない時、霧の中に突っ込む感じでした。山の所々に漂う霧は墨絵を見る感じでした。嬉しくて何枚も写真を撮りましたが、カラーなのにモノクロ写真のようでした。

遠目は神秘的な美しさを感じる霧ですが、本当は身近に迫ると恐ろしいものです。
霧はすごいスピードで駆け上がってきます。車で山道を下っている時、下からドライアイスに水をかけた時の煙のように地面を這うように登ってきたかと思うとアッツと言う間に霧の中です。とても怖い思いをしました。裕次郎さん「夜霧よありがとう」なんて歌わんとって・・・と言う感じです。

下呂の山も霧に包まれていました。タクシーの運転手さんに聞きました「下呂は何時もこんなに霧が出るのですか?」「う~ん。霧は山の上に行けば晴れで下に降りれば雨だしね。今日は変な天気だったよ」答えになっているような無いような答え、宿に着きました。

夕食、孫娘には「お子様ランチ」を取りました。一皿に、スパゲッチ、エビフライ、鳥のから揚げ、サラダ付き。コーンスープ、小さなコンロにはハンバーグ、デザートには大好きなクリームパフェ、大喜びでした。

一つ置いてお隣の席はご夫婦でした。何気なく見ると、奥様の方がお体が不自由のようでした。右手が動かないようで、それもまだ利かなくなってから日が浅いらしく、左手で箸を使っているのですが3回に一度ぐらいしか口に運べません。ご主人が食べやすいように、全てを小さくして奥様の前に差し出します。まだ60歳になるかならないお若い方でした。杖をついてはいましたが歩く事はお出来のようでした。良いご夫婦だな~、優しい旦那様で良かったな~と思いました。

夜霧雨が振り出しましたが、決行との連絡が入りほっとしました。集合場所まで歩きました。小型バスはほぼ満席でどんどん山に入ります。このときも一番前でしたので、山道を添乗員さんと運転手さんが話しながら、ちらっとよそ見したりするとひやひやしました。

山の中真っ暗です。20分間の時間を貰い「蛍狩り」自動車のライトも消されました。居る居る蛍、力強くチカチカやっています。でも私は身近を飛ぶ蛍を見たかったのですが、車道から対岸を飛ぶ蛍を見ることになり少しがっかり。おまけに「余り遠くに行かないでください。ヘビもでます」ヘビ大嫌いの私「ヘビ」と聞いただけで足がすくむ。足元も真っ暗ですし。「蛍」があんなに高くす~いす~いと移動するとは知りませんでした。ま~ず「蛍狩り」はいたしました。地元三田の方が良かったかな~。

疲れたので一眠りしてから温泉に入りました。「掛かり湯」の事を思い出し、急いで後を追いました。彼女は「掛かり湯」の真っ最中、突っ立ったまま、ザーザーと「掛かり湯」です「座りなさい!掛かり湯は座ってするものよ!立ってたらお隣の人に掛かるでしょう・・・」夜中ですから私達だけ、広い湯船は彼女のプールと化しました。

あくる日は荷物を預けたまま、歩いて直ぐの「合掌村」に行きました。始めてみる合掌造り、興味深げでした。その頃から雨が降り出しました。色々見て廻る内に雨脚が強くなってきました。彼女に「紙漉き」を経験させたいと思っていましたので。雨宿りも兼ねて「紙漉き小屋」に行きました。私は一度だけ徳島で経験しています。間に「紅葉」を挟んだ葉書を造りました。

店主が言うには「子供さんは葉書は小さすぎて造りにくいので色紙が良いです」と言う事でした。ここは紙を漉くというよりも、漉いた紙の上に、色付けされて細い紙紐で色紙の上に絵を描くことが主の様でした。余り絵は得意そうではないので見本に見せられた「ドラエモン」を真似る事を勧めました。結構愉し気でした。その間雨は勢いを増し雷も加勢しています。作品は1週間後に送られてくると、大枚1,250円の紙漉き体験は好評の内に終わりました。宿に帰り着いた時はもう雨は止んでいました。

一台早めの電車に間に合ったので変更し、予定より1時間早く新大阪まで迎えに来ていた両親に彼女を引き渡し、無事今回の二人旅終了。




















































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名古屋港水族館

2006年07月04日 | ちっちゃな旅
              ユ リ
         我家の最後に咲いたユリです
      鮮やか過ぎて吃驚、これはこれで良しかな

フットボール型の「メインプール」に移動しました。今度はおなじみ「イルカのショー」です。2~3階筒抜けの深いプールです。3000人収容です。館内が広いものですから、そんなに混んでいる感じはしなかったのですが、3000人収容の席がほぼ埋まっています。私達は水のかかるのを承知で3列中央よりに座りました。一度少しだけ水を浴びました。

前面には大~きなスクリーンがあります。それには水中カメラがセットされているらしく、水中の様子も映されます。始めて見たのは飼育員がカラフルな輪を投げ入れます、それを追う3匹のイルカの水中の姿がスクリーンに映し出されます。イルカは3っの輪を口先に引っ掛けると水上に上がってきます。数が判っているのでしょうか。

水中では赤い色は水に吸収されて見難くなり、青い生き物は黒く見えるそうです。
だからカラフルな色の魚が泳いでいるとしても、水の中は黒っぽい魚の群れと言う事になります。

三匹のイルカの首にレイの様に輪を掛けてやりますと、フラフープのようにぐるぐる廻すんですよ。

空中にボールが張り出てきます。助走を付けたイルカが飛び上がって頭でその玉にタッチします。これは和歌山でも見ましたが、高さが違います。その上驚いたのはもう一度は飛び上がったイルカがここぞ!と思ったところで、くるっと一回転したかと思うと尾びれで確実に玉にタッチするのです。空中でですよ。お見事!としか言いようがありません。万来の拍手を貰ってイルカたちは退場します。

お隣が5人兄弟とお母さんでした。お母さんがたこ焼きと蕨餅を買ってきました。一番末っ子が蕨餅を一つ食べました。見ていますと下の子から順番と言うルールらしく上の子達は自分の分がなくなりはしないかと心配顔をしては居るのですが、ちゃんと順番を待っています。順番が来れば自分の欲しい方を言うだけ。お母さんも何も言わず唯下から順を繰り返しています。一番オチビちゃんが二つ目を取ろうとしても上げません。兄弟と言うのはこうして育って行くのだと感心して眺めていました。私は一人娘ですから競争する事はありません。私の目の前にあるものは全て私のもので、ゆっくり食べても誰も取る人は居ません。どちらが幸せなんでしょうか?分け合って食べるほうが美味しいような気がしましたね。

「進化の海」と言うのは骨格標本や進化の過程が学べる様に立体映像があります。
その一角におなじみのマイカメラでシャッターを切ってくれるコーナーがあります。私達も並びました。バックには実寸のシャチがぶら下がっています、その前に足型で立つ位置が決められています。絵ではなくシャチの模型の前ですから立体感があります。始めの一枚は会館のもの「買って頂かなくても結構ですが一枚取らせてください」撮りました。次は私のカメラで一枚撮ってくれました。一応写った写真を見ようと前進しました。その私の前に早々と今撮った写真が印刷機から吐き出されてきました。撮って私の手に載せられるまで1分と掛かっていません。此処にもハイテクの波が押し寄せています。今は家庭でも印刷機にカメラを接続して印刷できるようになっています。その技法が此処で使われているのです。今までなら「お帰りの時出口で・・・」が瞬時に出来るようになったのです。

ハイテクと言えばイソギンチャク等動かない生物の前にカメラが据え付けられていて、ボタンを押せばカメラが前後左右どちらにも移動し、自分の見たい生き物がじっくり見れるようになっていました。孫娘も喜んで操作していました。

「日本の海」は深く大きな水槽の中で「バンドウイルカ」と「シャチ」が勇々と泳いでいるのを見ることが出来ます。大きな水槽の前で休憩しながら眺めていました。「シャチ」と「イルカ」が空中に顔を出して立ち泳ぎの様に並んでいるのは(私達が居るのは2階部分で水面は3階)身体の大小のかなりの差が二つ並んでいるのはユーモラスでした。
                   (またまた明日)
                                (90)






















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ベルーガ

2006年07月03日 | ちっちゃな旅
            アガパンサス
         薄い色が何とも涼しげ・・・
       友人の息子さんも大好きだそうで
         男の人にも好まれる花か?
        優し気でいて、凛としてます

「ベルーガ」って?と思われるでしょう?私はわざわざ「ベルーガ」に会いに「名古屋港水族館」に孫娘と二人旅してきました。テレビで「ベルーガ」を見た日から見たくて、ネットで調べて名古屋にしかいない事を知り行ってきました。孫娘との二人旅を、この梅雨時を選んだのは元々は「蛍狩り」のつもりでした。でも「蛍」は天候次第ですから何か他にメインになるものを探していました。

毎日のように天気予報を見ていましても7月1日~2日は雨または雨のち曇りです。諦めていました。雨でも「水族館」ならぬれなくても良いし、孫娘には「蛍狩り」は天候次第で、雨には飛ばないと言う事もあり期待はずれは可哀想なので「水族館」を前面に出すようにしていました。

二日間幸いな事に1日「蛍狩り」の時霧雨、2日日曜日の10時~11時までの1時間スコールの様な激しい雨が,遠雷を感じさせながら降りましたが後は又天気になりました。

名古屋について感じたのは昔と何だか違うと言うことです。名古屋の人が聞くと怒られそうですが、私としましては「田舎都会」って感じだったのです。それが何故か判らないのですが「精気」と言いますか、人間でいいますと「働き盛り」って感じなのです。

名古屋港から名古屋へ帰りの地下鉄に3時過ぎに乗りましたが、ぎゅうぎゅう詰め、思わずお隣の方に聞きました「名古屋の地下鉄は何時もこんなにいっぱいなんですか?」「今日は特別ですよ、今日から各デパートがバーゲンを始めていますから・・・」と言うことでした。購買力があると言う事は市民生活向上を意味していますよね。孫娘が新しい靴を履いてきて足の先が痛いと言うのでバーゲン会場でサンダルを買いました。ほんの気持ちだけ消費税を落としてきました。

名古屋から地下鉄を一度乗り換えていくので40分程掛かると計算していましたら30分もかからず着いてしまい、開園9時30分までの間「砕氷船ふじ」を眺めていました。

名古屋港水族舘は北館南館に分かれていて主に南館は普通の水族館の感じでメインは「ペンギン」です。北館から入って直ぐに「ベルーガ」の居る水槽があります。
普通は奥まった所に「スター」が居ると思うのに、直ぐご対面です。「ベルーガのショー」が10時20分なので暫く座り込んで「ベルーガ」の不思議な姿を見ていました。

「ベルーガ」は「白イルカ」といわれるクジラの仲間なんです。身体全体に脂肪を蓄えている(寒い、冷たい海で生きているので)少々ずんぐり型です。「ベルーガ」は背びれが無いんです。背びれのあるあたりはその脂肪層が厚く少し盛り上がっています。「ベルーガ」は生まれた時は薄ねずみ色です。成長するにしたがって白くなっていきます。頭がこぶのように膨らんでいます。此処を「メロン」と呼びます。「メロン」は脂肪の塊で「気のう(噴気孔のあたり)」で発せられた音を集めて水中に出す役割をしています。「メロン」はとても柔らかです。

歯は生えていますが(上下それぞれ18~20本)獲物を挟むためのものでほとんど飲み込みます。クジラ類の年齢は歯に現れるので、死ぬと歯を二つに割って数えるそうです。去年死んだ「ベルーガ」は35歳とα(歯が磨り減った部分)だったそうです。獲物の取り方も変わっています。獲物の居そうな海底の砂に向かって一度吸い込んだ息を吹きかけて、驚いて出てきた魚を飲み込むのです。

「ベルーガ」の喜び所は「舌」らしく一つ芸が出来るとベルーガ自身が口をあけます飼育員の人が手を差し入れて「舌」に水を掛けてピチャピチャ叩いてやっていました。魚のご褒美は後の方だけで大方はこの方法で「舌」を叩いてやっていました。私達はショーの始まる少し前に「オーロラの海」と言う「ベルーガのショー」のある水槽に行ったので練習風景を見ていました。合図で甲高い大きな声でなくんですよ。

ショーが始まる前真っ暗になって、徐々に明るくオーロラが出たりします。今の時期の北極圏の状態を表しているそうで、今は白夜だそうです。ショーの一環として体温を測ります。尾に近いあたりに生殖器があり、そこに体温計を入れて計ります。人間と同じ35度ぐらいです。その生殖器を挟んで漢字の「小」の字の様な位置にお乳があります。

そうだ特徴をもう一つ・・・。「ベルーガ」は首と胸びれ(人間の手を広げたような形で団扇の様な形)が柔らかいので、飼育員が小首を傾げますと、自分も小首を傾げるんです。これはイルカには出来ない芸ですね。「バイバイ」と胸びれを振るのも、人間の手のひらに似ていますので自然です。

死するものあれば生まれるものありで、去年赤ちゃんが生まれました。今はまだお母さんと別の水槽で暮らしています。子育ては母親の仕事です。乳離れをするのが2年ぐらいですから(今一年半)もうじき見られますね。ニックネームは「ベル」だそうです。   
                 (又明日)




















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