遊煩悩林

住職のつぶやき

愚痴も言えないはず

2010年01月23日 | ブログ

坊守が退院しました。
椎間板のヘルニアが悪化して寝たきり(寝ることもままならず)でしたが、何とか自力歩行ができるまで回復してお寺に戻ってきました。
留守中ご迷惑をお掛けした皆さまにお詫び申し上げ、ご心配と励ましをいただいた方々にお礼申し上げます。
7日に入院してまず、硬膜外へのブロック注射をしましたが効き目なし。次いで神経根ブロック注射を打ったところ、一時は痛みが軽減したようですが束の間、やはり激痛に・・・。そうこうしている間にオシッコの制御機能まで麻痺してしまい18日に手術を受けました。
手術そのものは1時間ほどで終了。手術室から出てくるなり「動いた!」といって足を子どものようにバタバタさせる姿に安堵しました。
退院は週明けというお話でしたが、術後、病院の廊下をウロウロうろうろする姿を目撃されて「じゃあもう出てってもらおうか」ということになったのでした。
しばらくは安静ですからご門徒の皆さまには何かとご不便をおかけすることと思います。
それにしてもたった2週間あまりの入院でしたが、健康な日には想いはかることもない様々なことを知らされました。
病者本人のつらさ、子どもたちの我慢、両親の親身、ご門徒の心配、家族・縁者の励まし、幼稚園の先生のフォローなどなど、本人もこれほどひとの「つながり」を感じたことはないといっています。
それだけでなく、病床600という大病院のシステムとそこに従事する医師・看護士らの体制と姿勢。同部屋患者の様々な人間模様とその家族の苦悩・・・。
これらはこの2週間に私の目が外に対して垣間見たことです。
その目を我が身に向けたときに映し出された姿こそ、妻が病の身にまでなって知らせたオノレのあり様でした。
家で痛みにもがき苦しむ妻を見て苛立ちさえ覚えたその自分が、せいぜい1日に30分病室を訪ねては「どや?大丈夫か?」と声をかけているわけです。
彼女はそのことについては何も言いませんが、そんな夫の姿はどんなふうに映ったのでしょうか。
知らされたのは、他人の痛みに対してどうすることも出来ないことへの苛立ちと、痛む妻の姿から目を離すことができる気分的な余裕。それは何もできないのに、何かやってやろう、やらなければならないというこころから離れたことの開放感でしょう。それよりも日頃、完全に彼女の存在を「あて」にしている自分です。いなければいないで自分でやることを、いればやろうとしない。たとえそれが痛みを押して無理をする姿であったとしても・・・です。子どもの面倒や、炊事、洗濯、掃除などなど・・・要は利害関係にしてしまっていたということでしょうか。つまりこれまで妻の「無理」を「利用」して、自分のやりたいことをやっていただけだったということです。
しかもその「やりたいこと」すらも文句を言いながら・・・。
とにかく病の「当事者」ではない私にとってはそんな「ありのまま」の姿をさらけ出させた彼女の病いでした。
しかしこれだけはしかと考えさせられました。今回は病院に入院させ、手術室に送り出す側でしたが、遅かれ早かれ立場が入れ替わる時が来る・・・。
病床についてはじめてみえてくる風景と人間模様がきっとあるんだろうと。
そのときは愚痴も言えないはずの私ですが・・・。

Img_0013_2 写真は摘出したヘルニア。生々しいので加工してあります。触感はわかりませんが見た目は鶏皮もしくは軟骨?ホルモン?といった感じ・・・。執刀医は「思ったより大きい?」とか。これが彼女を寝たきりにさせてまで人のつながりを自覚させ、また夫の身勝手さを浮き彫りにしたホトケさんということになるのでしょうか。ナムアミダブツ・・・

 

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