遊煩悩林

住職のつぶやき

人生を荘厳する

2006年05月28日 | ブログ

「荘厳」というとどんなイメージでしょうか?
「おごそか」「重々しい」といったニュアンスで使われることが多いかと思います。
私たち真宗門徒は荘厳を「しょうごん」と発音します。
そこで「しょうごん」を広辞苑でみると、ちゃんと載っています。

【荘厳】しょう-ごん
仏像・仏堂を天蓋・憧幡・瓔珞その他の仏具・法具などで飾ること。また、その飾り。

とあります。
例えば、「お内仏(お仏壇)をお荘厳する」とか、「彼岸のお荘厳」と言ったりします。確かにそうなのですが、広辞苑ではそこまでしか載っていません。「荘厳」することにはどういう意味があるのでしょうか。
荘厳することを「お飾り」するともいいます。
私たちは「飾る」というと、日常的なところでどんなイメージを持つかというと、「着飾る」とか「装飾品を身につける」、また「室内を装飾する」といった具合に自分の身の周りを彩るイメージが強いのではないでしょうか。
ここに「人生を荘厳する」ということばがあります。
「人生をお飾りする」「人生を彩る」ということです。
そういうと、やはりイメージするのは「私の人生は愛する妻や、夫によって幸せに彩られました」とか「子どもたちに彩られています」また、「かわいいペット」によってなど・・・。どうしても自分の身の周りを見渡して考えることが多いようです。
さてそこで、本堂や仏壇をお荘厳するとはどういうことなのか?
例えば、真宗の本堂や仏壇は「浄土」を表現するところです。「先祖を祀る」ところではありません。亡き方がお還りになった世界を、残されたものたちが荘厳していくところに意味があります。ですから仏壇には私たちの心のあり様がそのまま映し出されているといえます。信仰の薄い人はそれなりの荘厳になりますし、迷信深い方のお荘厳はそれなりに。欲の深い方は様々な仏や神が詰め込まれていたりもしますし、宝くじが仏壇に飾られているのはその象徴であったりします。特に女性の方は、亡き人に施しをしたい気持ちから食べるものをお供えすることが多いかもしれません。さて、正しい信心の人のお荘厳はどうでしょうか、浄土の教えを正しく受けられた人のお荘厳には、それに叶った重々しいお飾りが荘厳されています。
では「人生を荘厳する」とはどういうことか。
仏教には「荘厳身」ということばもあります。それは「仏のすがた」をいいます。つまりお悟りに飾られたお姿ということです。それは物や人ではありません。「悟り」の境地です。それは心の荘厳といえるでしょう。私たちはどんなはたらきや教えによって心をお飾りしているでしょうか。正しく真実なる教えによって人生を荘厳していきたいものです。

常照寺のホームページに永代経のご案内をアップしています。
ご門徒には別途ご案内させていただきます。是非ご参詣下さい。

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退院

2006年05月23日 | ブログ

寺ネコプントが無事に退院しました。入寺以来はじめて3日間、お寺を留守にしました。
腸に詰まっていたビー玉状の物体は「毛」。毛玉がお腹に詰まってしまって自分では上からも下からも出せなかったそうです。開腹手術を受けて3日、手術の跡が痛々しいのですが、元気なもんです。
今朝もご門徒のご法事中に本堂に忍び込んでウロウロしておりました。
4・5日後に抜糸をするとのことです。しっかりと2種類のお薬を処方してもらい、しばらくはネコ用の流動食での生活になります。
これまでもヘアボールケアの食事だったのですが、そういえば子どもが生まれてからはお風呂やブラッシングの回数が減ったと、妻と反省をしております。
父・兄・祖母の入院看護に病院に泊まり込んだことは何度もあるのですが、自身の入院経験のない私にとっては入院生活とはどんなだろうかと思わせられます。
健康であることは大切なことでしょうが、怪我や病気も引き受けなくてはいけないときが必ず誰にでもあります。世の中健康ブームですが、それよりも病んだ時の心の健康をいかに保つかということが大切なのでしょう。「これだけ健康に気を使っていたのに」なんて愚痴のないように、健康なうちから安静を保っていたいと思いました。

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入院

2006年05月19日 | ブログ

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寺には私と坊守、子どもの三人の他にプントというネコがいる。2002年に、とあるお墓に捨てられていた生まれたての子ネコを連れてきてからかれこれ4年の付き合いになる。当時お寺に一人で暮らしていた私には大事なパートナーであった。それから妻が嫁ぎ、子が生まれたが彼はしっかり家族のベットに自分の居場所を確保して今に至る。この2・3日、ほとんどご飯を食べないので妻が心配していた。いわれてみれば元気がない。そこでホットカーペットにぐったりしていたプントを、大嫌いな車に乗せて毎度お世話になっている伊勢志摩ペットクリニックさんに連れて行った。「毛艶が悪いね」ということでお尻に体温計を突っ込み体温を測る。体温が高い。お尻に突っ込んだ体温計の便に菌がいないか調べる。それは異常なしだったが、先生がお腹を触診すると腸の辺に違和感があるという。血液検査をして、バリウムを飲ませてレントゲンを撮るので、2・3時間預かりたいということだったので、先生にお任せしてプントの不安な瞳を背にしてお寺で連絡を待つことにした。3時間ほどして連絡があった。「腸に何かが詰まっているので開腹してもいいか?」、こちらはお任せするしかない。そんなわけで彼は入院することになった。何も入院ははじめてのことではない。頑張れプント!

開腹手術と聞いて、何億の費用を寄付などで集めて渡米した子のニュースを思い出した。1歳の子どもに5つもの臓器を移植したが、結果としては残念なことになった。「残念」ではあるが、いのちを長らえるために今できることをすべてやったというところに立てば、念は残らない。だが、小さい体に残された無数の手術の跡にははかり知れない「無念」が残る。子どもの臓器移植には子どもの臓器が必要だという。臓器移植を待つということは他所の子の死を待つことである。ましてや5つの臓器の移植を受ける困難さはいかばかりか。もし回復したならば、その子にはどんな成長があるだろうか。切り刻まれた1歳の子どもの遺体に両親は何を思っただろうか。一人ひとりが真剣に考えて、意思表示をしなければならない。何も子どものことだけではない。ドナーカードという意思表示カードがある。しかし、ひとつだけいえることは臓器はモノではない。イノチだということを手放さずに議論されなければならない。

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母の日

2006年05月14日 | ブログ

昭和初期の日本では3月6日が母の日とされていたそうだ。この日は皇后陛下の誕生日であったというから、いかにも戦前の日本の空気を感じる。戦後アメリカにならって5月の第2日曜になったという。そのアメリカ的母の日の起源をたずねると、それは1900年代初頭の、ある「命日」に由来しているという。亡き母親の3回忌に白いカーネーションをお供えしたことがその起源といわれている。アメリカに3回忌という発想があるのかどうかは知らないが、とにかくその命日に母に感謝をせずにはおれない感情がその子にはあったのだろう。それはそのまま自分を生んでくれたことへの喜びの表現でもある。「生まれてきたことの喜び」が白いカーネーションというカタチになって表現されているのである。
さて100年近く経った今、日本で行われている「母の日」はどうしても商業的なニュアンスが強い。感謝の意をカタチにして贈り物をするわけであるが、「母の日商戦」の言葉を聞くとなにか感謝することを強要させられている感じもする。
子どもの頃、母の日が近づくと「お母さんありがとう」という短冊のついた赤いカーネーションの造花を学校で買わされた記憶がある。強制ではないので買わなくてもよかったのだが、「買わされた」というのは、私の中で母親に感謝するという気持ちが足りなかったのか芽生えていなかったということである。自発的に母の苦労を知り、感謝するなんてことは当時の私には起こり得ない感情であったといってもいい。
母の恩ということを考えるようになったのは母の死後である。母の命日をいただくようになってようやく、仏の教えに向き合うようになり、仏の教えをとおしてようやく母の恩を気づかされたといえる。逆にいえば「命日」、つまり母の死ということがなければ、仏の教えに触れることも、手を合わせることも出来ないような自分であったということである。「命日」を与えられてはじめてこころから自主的に仏に手を合わせることができることを思えば、「母の日」を与えられてはじめて「恩」に気づかされ、感謝の心が芽生えてくるということもあるだろう。ならば毎日が「父の日」「母の日」であるはずである。「今日はお母さんに感謝しましょう」なんていう「母の日」は、何か滑稽な気もするが、そうでもなければ感謝もできない、頭も下がらん私であったことに気づかされるのである。もともとの起源がそうであったように、私にとっては「命日」という母の日をいただいているが、はたして生まれたことをよろこび、頭の下がるいのちを生きておるかどうか、尋ねられているような気がする。

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ご用心

2006年05月13日 | ブログ

今週は別院と本山を行き来している間にバタバタと時が過ぎていった。
11・12日は桑名別院にて教化合同協議会が開催された。三重教区内各組正副組長、組教導、教区教化委員、教学研究室主任を対象に、来年度から実施される第九次壮年特別伝道の実施要項の説明と宗祖の御遠忌に向けた取り組みとして推進される帰敬式実践運動についての協議であった。協議会後、慰労をかねての懇親会が長島(桑名市)の和泉荘で開かれた。懇親会に出れば酒を飲み、酒を飲めば宿泊、ということになるのだが、それならば翌日の本山での編集会議の準備ができていないといけないはずであった。しかしながら準備が間に合わず、懇親会は諦めることとなった。協議会終了後、おとなしく一旦お寺へ戻り、翌日の編集会議の資料を整えて翌朝、京都へと出かけた。編集会議で宿題をたっぷり携えて後輩たちと京都駅の地下で軽く一杯やって帰ってきた。なんだかサラリーマンになったような気になった。通勤何時間とかで出勤される方々のご苦労を思う。
さて週末は年忌の予定が何件もあるので住職の職に戻る(?)とはいってもすべて住職の勤めのうちなのだが・・・。それと今日13日は父親である全住職の月命日であり、ご門徒が境内や本堂・庫裡の掃除に来て下さる日である。それに坊守は高校時代の友達の結婚式に出席のために早朝から子どもと格闘しながら着物を着て出て行った。しっかりと仏さまのご飯を盛って用意してくれていたのだが、それに気づいたのは命日の勤行が始まってからであった・・・。
週末といえば、伊勢の町はお木曵である。お木曵行事は5月・6月の毎週末。またまた雨に見舞われた。朝いちばんの一日神領民は何と北海道や東北地方から参加された方たちであった。今日一日で一日神領民が3団、地元の奉曵団が5団、あわせて8台のお木曵車がお寺の前を通っていくのだから、お寺の境内への車の出入りは、奉曵団が通り過ぎて、しかも次の奉曵団の先頭が来るまでの隙を見計らわないといけない。しかも雨。お寺のお掃除にはいつも自転車で来られる方も、雨だからといってうかつに車で来ようとしても通ることができない。勤行と感話を担当して下さった役僧さんは80歳を超えておられるが、チャリンコで傘をさして来られ、「年を自覚せんとイカン」と感話を述べられた。さらに前住職の命日に際し、昨年7月13日の遊煩悩林のブログを読み返して「誕生日と命日は選べない」ことを肝に銘じられたとも。
お掃除に来られる方はお木曵を承知されているからまだしも、さて大変なのはご法事に参られる方々。遠方からお越しになるご親戚にいたってはナビに任せているとお寺に到着できない。何とか到着されてご法事を勤めるのだが、本堂での読経中も、表からは「エンヤ、エンヤ」のかけ声。祭り好きの方はソワソワである。お木曵は来月まで続く。ご参詣の方々はご用心を・・・

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