遊煩悩林

住職のつぶやき

隣る人

2013年09月30日 | ブログ

春 花ニエミ
夏 日ヲアホギ
秋 月ニスミ
冬 雪ニヤスム

柳宗悦

先日、秋の彼岸会の法話で荒山淳先生が紹介してくださった柳宗悦の詠です。
暑さが和らいだ感のあるこの季節、仏教聴聞週間ともいわれる彼岸、私たちはご家庭やお寺の仏さまに日々手を合わす中で、いったい何を憶いながらお念仏を申していますかという問いかけをいただきました。

「後生の一大事」という言葉がありますが、この「後生」は後の世ではなく、「最後の生」といただいていますという淳さんは、その「最後生の一大事」について「人間に生まれていちばん大切なこと」だと言っておられました。
そしてその一大事を「出遇う」ことだと。

1に健康、2に家族、3にお金という価値観を前提にして、「無宗教」を標榜する日本人について、欧米諸国では無宗教を表明すると「共産主義者」とみられるともいいます。欧米各国では信仰・宗教が一大事なのであります。

「幸せを求める人は幸せにはなれないんだよ」とある先生が語っておられたという言葉も印象的でした。
常に幸せを求め続けなくてはならないようなところに生きている私です。
健康や家族やお金を永遠に求め続ける時代。それは「ハダカになれない時代」とも表現されました。
ハダカというのは美しいところも醜いところもすべてさらけ出せるような依りどころです。永遠でないものを依りどころにする社会そのものを「依るべなき時代」と。

「宗教」の「宗」は「むね」。「むね」の原語は「ま・う・ち・ね」だよとも教えていただきました。
「まうちね」というのは、決して目には見えない大切なことであると。だから「宗にしろ、胸にしろ、棟にしろ、旨にしろ、大事なことには『むね』という音があてられている」と。

1988年に公開された宮崎駿の「となりのトトロ」にふれて、決して目には見えない大切なことを「トトロ」としてバブル全盛のあの当時、宮崎監督はまさにそのような「依るべなき時代」を見つめて「隣る人」の存在を表現されたのだとも。
「隣る人」とは「私に居場所を与えてくださる存在」といわれます。

依るべなき時代社会にあって、常に幸せになりたいという強迫観念を生きざるを得ない私に、それを求めずにはおれない私に、求めなくてもいいんだよと。それを求め続けるところを居場所と錯覚してきた私に、そうではない居場所を与えてくださる存在に「出遇う」こと。漠然とですが、この世に生を受けた一大事について聞かせていただいたように思います。

法話の最後に一枚のCDを聞かせていただきました。
長渕剛の復興支援ソング「ひとつ」

悲しみは どこから やってきて
悲しみは どこへ 行くんだろう
いくら考えても わからないから
僕は悲しみを 抱きしめようと 決めた

永遠のしあわせは どこから やってきて
永遠のしあわせは どこへ 行くんだろう
いくら考えても わからないから
僕は悲しみを 抱きしめようと 決めた

ひとつになって
ずっといっしょに 共に生きる
ひとつになって
君と生きる 共に生きる

悲しみはどこから来てどこへ行くのか
永遠のしあわせはどこから来てどこへ行くのか
いずれも「いくら考えてもわからないから悲しみを抱きしめようと決めた」
悲しみから逃げなくてもいいんだよという隣る人の励ましとして聞かせていただきました。

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排されない除かれない

2013年09月22日 | ブログ

過去から未来に繋がるいのちを
誰一人排除しない南無阿弥陀仏

名古屋東別院の名古屋教区教化センターhttp://www.ohigashi.net/が発行する『センタージャーナル』。昨年末に発行された83号の巻頭言の言葉です。
http://www.ohigashi.net/images/pdf/centerjournalNo83.pdf

つづけて

阿弥陀仏に南無と頭が下がるとき、絶望の只中にあっても、自分の中にあるいのちは決して絶望することのない力となる

と、同教化センター主幹の荒山淳さんは記しておられます。

あなたが願いを見失っても 願いがあなたを見捨てない

5月に常照寺の掲示板に記した言葉を思い出しました。
http://blog.goo.ne.jp/ryoten-jyosyoji/d/20130502

荒山淳さんをお迎えして、「私を見捨てることのない願い」をともに確かめたいと思います。
どなたさまもどうぞお参りください。

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悲しみを知らない善人根性

2013年09月20日 | ブログ

東本願寺が毎月発行する「同朋新聞」。
すでにご覧いただいた方もいらっしゃると思いますが、その9月号の「人間が人間であるために」という欄に寄稿させていただいています。
「各寺院における身元調査お断りプレート貼付について‐忌避意識を自覚‐」というタイトル。https://higashihonganji.e-shelf.jp/book-search/view/bookNum/38/
先般、全寺院に配布された「身元調査お断りプレート」について。
私たちの寺院には、これまで過去帳閲覧禁止の「帯封」と身元調査お断りの「プレート」が配布されてきました。
それは身元調査や過去帳閲覧によってどのようなことが起こったのか、また起こるのかということをふまえて、同時に寺の運営上、厳重に保管されなければならない情報をさらすわけにはいかないということでしょう。
同朋新聞には、この帯封とプレートの貼付率から寺と私自身のこの問題に対する忌避意識が露見することを書きましたが、先日、お寺の同朋会で記事を皆で読み合わせたところ「自分のルーツをさぐるために、自分の先祖に関する記述を見せないのはおかしい」という意見がありました。
その意見に対しては、なんとなく「それはそうだ」といった空気が流れたような気がします。
ただ、たとえば家系図をつくりたいという要求に対しての要求であれば何も閲覧する必要はないはずです。
必要に応じて口答ないし筆答で対応できる事柄です。
問題がそこにあるのではないでしょう。
そもそも家系図をつくりたいという意思のところに、自覚できないどんな意識がうごめいているのか。
純粋な気持ちで自分のところにまでこの生命現象を届けてくださったその流れを確かめたいという思いもあるかもしれません。
ただ、問題は閲覧を求める「事由」によって開示し得るというものではないという認識の問題です。その認知が徹底されていないということが、昨年のNHKの番組で放送された過去帳を開示するお寺の映像でした。
自分に関係する記述だからいいじゃないかという問題ではないのです。
そもそもが、いかなる事由によっても閲覧してはならない。開示してはならないという質の問題です。
公開できるのは、部落差別問題における研究・調査のために、宗務総長が許可したときのみと聞いています。宗務総長の許可のない開示・閲覧は理由を問わず禁止行為なのでした。
ただ近年の法改正によって、過去帳やそれに類する書類が経理に関する帳簿として扱われると解釈できるとも聞いています。
具体的には税務署の職員がお寺の過去帳をコピーしたり、持ち帰って閲覧することができてしまう危険性があるということです。
今こそ、これまで取り組んできた過去帳閲覧禁止の帯封と身元調査禁止のプレートにかけられた願いを確かめなおさなくてはならない時が来ているような気がします。
ようやく常照寺の玄関にも「しない・させない・ゆるさない」というプレートを掲示しました。
プレート掲示を契機にこれまで避けてとおってきた議論を、ご門徒と交わしていければとも思います。

そして、記事には記載されていませんが、過去帳を厳重に保管する義務のある住職の姿勢として「善意」ということが問われてきました。
NHKの番組で放送されたのは、自らのルーツを求めて訪れた出演者に、寺側が自ら公開した姿でした。
私自身の善人根性ということもおおいに問われます。
忌避意識は「悲しみ」から目を背けるものであるような気がします。その無自覚な忌避意識は悲しみを知ることもできない。
「悲しみを知らない善意」ほど怖いことはないということも表現したかったところです。

同朋新聞はじめ東本願寺の出版物を電子書籍で読むことができますので、あわせて宣伝まで
https://higashihonganji.e-shelf.jp/

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死ぬのは誰だ

2013年09月19日 | ブログ

学生時代とてもお世話になったセンセーでありながら、なかなか合わせる顔がない私ですが、センセーの本が出たと聞いて早速購入。
題して

死ぬのは僕らだ!
http://www.amazon.co.jp/

センセー自身、ブログに「ウチダの名前で売れてます」と記しておられますが、届いた本には内田樹さんの「帯」がついております。
http://tetsugakuka.seesaa.net/article/374808316.html

死ぬのは僕らだ!
「僕だ!」でなくて「僕ら」というところが気になります。

デュシャン

死ぬのはいつも他人ばかり

ではありませんが、他人事としてしか考えていない「死」と、我が身の事実として起こる「死」。
秋の夜長・・・彼岸に彼岸を想うてみたいと思います。

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ミュージカル ブッダ

2013年09月18日 | ブログ

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2013年9月28日(土)
13時30分開演
三重県総合文化センター大ホール

手塚治虫の「ブッダ」を原作にした「ミュージカル ブッダ -Buddha-」が上演されます。http://www.warabi.jp/buddha/index.html

あの「ブッダ」のお芝居!しかもミュージカル!ということで万難を排してでも行きたいところですが、ときはお寺の28日さま+ご門徒のご法事+息子の運動会!と目白押しで万事休す。
先日、たまたま所用で訪ねた四日市のお寺さまで「わらび座」の営業の方にお会いして、このミュージカルのこと、上演する劇団わらび座のことなどいろいろ聞かせていただきました。
わらび座はなんと1951年に創立。しかも年間1200回の公演を全国で行っているのだそうです。どうやって?と思いますが、7つの公演グループがあるとのこと。その規模に驚きつつ、本拠地の秋田県仙北市に「たざわ湖芸術村」というアートヴィレッジをエンターテイメントリゾートとして展開していると聞き、秋田に行ってみようという気になりました。このヴィレッジのわらび劇場では常設公演があるようです。
http://www.warabi.or.jp/about/
ヴィレッジのコンセプトは「共生」といいます。ミュージカルブッダのテーマも「共に迷い、共に生きる」。
これまでも「火の鳥」「アトム」を上演してきたわらび座が、手塚治虫シリーズの第3弾として「ブッダ」を、この時期に制作したのにはやはり「震災」ということがあるとも言っておられました。
チラシにある「人間はなぜ生きるのか、なぜ生き続けなければならないのか」というテーマをミュージカルというカタチでどう表現できるのか。
ブッダの全国公演中、必ずどこかで観たいと思います。
http://www.warabi.jp/stages.php

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