遊煩悩林

住職のつぶやき

忘れてならぬこと

2019年04月26日 | ブログ

平成最後の!

令和最初の!

なんとなく気分的に昂揚させられるものがある。

なんなのだろう。

「ニッポン」という場所、そして「ヘイセイ」から「レイワ」へと呼ばれる時間にたまたま生きているだけだ。

4月30日が終われば5月1日になることは、いつの間にか知っている。なんでそうなったかは知らずにボーっと生きている。

この昂揚感は、何かが変わるという期待感なのか。

期待感だとすればそれは何かマイナスからプラスへのイメージだろう。

ちょうどあのマック赤坂氏が区議会に当選したとも聞いた。

 

紙幣の顔ぶれも変わるという。

何かしら気分は変わる。

なんなのだろうか。

やはり変わっているのは気分だ。

実際は何も変わってはいないのではないか。

実は何も変わっていないどころではないかもしれない。

 

平成に聞いた昭和の言葉で忘れられないのは、映画監督の伊丹万作さんが1946年8月に発表した「戦争責任者の問題」だ。

さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。(略)

だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばっていいこととは、されていないのである。(略)

「だまされていた」といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。

いや、現在でもすでに別のうそによってだまされ始めているにちがいないないのである。

「伊丹万作エッセイ集」抜粋

全部を記憶しているのではないが、忘れられない言葉です。

令和になったら振り込め詐欺が自粛されるなんてことはない。すでに便乗詐欺が横行している。

「だまされることも罪」とは厳しい指摘だが、そう言われると罪を重ねたくはない。

とはいっても騙されているといういう実感も乏しい。常に警戒し予防線を張っているつもりでいるからだろう。

だけど「騙されている」とまでは言わないが、何か違う違和感を感じなくもない。

なんなのだろう。

何か大事なことが置き去りにされたまま、気分だけが変わっていくような。

 

この間は、天皇陛下が近所におみえになられた。

陛下がみえられた神宮は、いま20年ごとに建て替えられることになっている。

これも刷新ということだと思う。維新とでも言ったほうがいいのか。

遷宮という維新の着想は、遷都にあるという説も聞いた。

かつては都を遷した。変わったのは気分だけではなかったはずだ。

都を遷し変える人も財も半端なかったはずだ。

 

さてニッポンにおいてはいざ時代が変わろうとしている。いやあえて、変えようとしていると言ってみる。

ただ神都といわれる場所に住み、念仏を聞く者としてどうなのか。

大事なことを置き去りにしたまま、気分だけが変わっていくのは、誰かの問題ではないのだ。

自己、この「私」の大問題なのである。

 

もうひとつ忘れられないことば。

私たちは戦後1日たりとも平和だった日はありません

沖縄の現地研修で地元の人が語ってくれた言の葉です。 

念仏の人にとって暦が変わることは大きなことではないかもしれませんが、それも法を聞く機縁でございましょう。

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あとからくる者のために

2019年04月05日 | ブログ

さて今年も福島の子どもたちを迎えるにあたってミーティング。

市や教育委員会などの後援申請、宿泊場所の手配など。

夏をイメージしてワクワクしてきた。

http://booses.net

昨年、プロジェクトのスタッフ研修で浪江町のお寺の坊守さまからお話を伺った。

その中で仙台教区が発行した震災情報誌「パリナーマ」の記事を紹介されたなかに、坂村真民さんの詩があった。

 

あとからくる者のために

田を耕し

種を用意しておくのだ

山を川を海を

きれいにしておくのだ

 

ああ

あとからくる者のために

苦労をし

我慢をし

みなそれぞれの力を傾けるのだ

 

あとからあとから続いてくる

あの可愛い者たちのために

未来を受け継ぐ者たちのために

みなそれぞれ自分でできる

なにかをしてゆくのだ

真民

 

自分のために、私だけのために、でなく、あとからくる者のために。

なんのために働くか。なんのために学ぶのか。

あとからくる者のために。

先人がそうであったように。

それが実は私一人のためであり、私が生きることの意味だったのだ。

 

明治、大正、昭和、平成、そして令和へと。

「元号」についての問題はとにかく、その表現は単に時を表しているだけではない。特定の国を意味している。

つまり時と場所を同時に表している表現だ。

そもそも私たちは生まれる時代も国も選ぶことはできない。

ただし幸いに生き方を選ぶことができる時代である。

いま、ここに生きる者として。

 

あとからくる者のために田を耕し種を用意しておくのだ

坂村真民

 

いろいろな憶いを込めて4月の掲示板にしたためた。

 

 
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