遊煩悩林

住職のつぶやき

ひっかかった

2016年11月18日 | ブログ

お寺の掲示板の前に立ち止まって「う〜ん」と首をひねっている人を見かけると「しめた!」と思う。

通りすがりの人を寺の門前に立ち止まらせるような言葉を意識して、掲示板の言葉を選んでいます。

書いた言葉よりも、その人を立ち止まらせた「?」が大事なのだ。

以前、門前で「?」と立ち止まったクリスチャンの方が尋ねて来てくださった。

「どうして仏教のお寺に私たちの教え(キリスト教)が書かれているのか」と。

その時は、確か「あの世は死後の世界ではない」というニュアンスの言葉だったと思いますが、「?」を「?」のまま放置せずに門をくぐって尋ねて来てくださったことがうれしかった。

それが、寺が門外に向けて発信していることの意味なのでしょう。

世間に向けて「?」を発信して、「?」に敏感に反応された方が入門して来てくださることは有り難いことです。

 

さて数日前、寺を訪ねてくださった方がおられました。

掲示板に書いてある「人はちょっとうまいこといったくらいではたすからん」というのはどういうことか、と。

名古屋から伊勢に来て、お寺の向かい側の道を歩いておられてこの言葉にひっかかってくれたそうだ。

ちょっと出てきて説明してほしい、と。

お話を伺うと、その方は「ちょっとうまいこといった」というのは、「事が順調に運んでいる」ことなのか、「上手を言う」ことなのかひっかかったと。

「うまいこといった」を「うまいこと言った」、つまり「ちょっとぐらい上手な言葉を並べたくらいではたすからん」と読まれたのだそうです。

11月1日の「つぶやき」http://blog.goo.ne.jp/ryoten-jyosyoji/に記したとおり、ここでは前者の意ですよとお伝えしましたが、なるほど発信者のニュアンスと、受けとる方のニュアンスは様々だなぁと改めて思いました。

だからこそ、この方が自分の受け取ったニュアンスを確かめようと、寺の門を叩いてくださった行為に、道を求める姿、求道心を感じますし、発信元の意図もはっきりしなくてはならないと。

来月の掲示板に展開したいと思います。

 

ちなみに尋ねて来てくれたのは東海テレビの高井一アナウンサー。言葉によって伝える仕事をしているので、この『ちょっとうまいこと言っただけでは・・・』にひっかかったのだとか。

毎週月曜から金曜の午前9時50分から11時15分に東海テレビで放送されている『スイッチ!』という番組の「はじめまして - 街道を歩く - 」のロケ中でのこと。

「うまいこと」編集に「ひっかかれば」放送されるかも・・・。

「はじめまして - 街道を歩く - 」は、火・木・金の放送です。

http://tokai-tv.com/switch/

伊勢に向かって街道を歩いてらっしゃるようですので、外宮に来られるちょっと前ごろでしょうか。この付近の放送は12月中旬ごろだそうです。

 

余談ですが、ちょうど外の法事(松阪のお寺さまの報恩講)から帰って私服に着替えたところ(15:00ごろ)で、他所(伊勢酒詣https://www.facebook.com/に別の客人(酒詣のポスターに使用された版画家http://home1.catvmics.ne.jp/~dvs4hanga2/=私の叔父)を待たせ(15:30)、その客人を連れてあるイベント(伊勢市民芸能祭http://www.city.ise.mie.jp/7048.htmに行かなくてはならない(16:00)過酷なタイミングでの収録。

何の言い訳か分かりませんが「お父さん尋常じゃない汗やったな」という息子と緊張の出演があるのかないのか。


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ズレ

2016年11月15日 | ブログ

常笑会。

常照寺にちなんで総代が命名したお寺のゴルフコンペ。

会長は坊守が務めています。毎年、春と秋の2回開催。

「常笑会」名付けの総代をはじめ、世話方やご門徒、有縁の方々、ご住職方にもご参加をいただいております。

お寺からご門徒に向けて大々的にアピールしているわけではないので、「そんなんやっとったんか」とご存じない方が大半かと思いますが、ご門徒の親睦を兼ねてどなたでも参加いただけますので、説教は苦手やけどゴルフなら、という方は是非お声をかけていただければご案内させていただきますので是非。

とはいえ、常笑会アピールのつぶやきではなく・・・。

常笑会でラウンドするゴルフ場はこれまで同じコースでやってきたのですが、最近グリーンまでの距離を示すヤード表示がおかしいんじゃないかと思っていました。

グリーンセンターまでの距離の表示がグリーン手前までの表示になったのか、他に何か理由でもあるのかと。

当然、雨風などの気象条件によってボールの飛距離は変わってきますが、どうもそうではない。

表示に従ってクラブを選択、前までは届いていたはずがどうも5〜10ヤード届いてない。

技術的な問題はいたしかたないにしても、何が原因か。というのでゴルフ場のヤード表示のせいだと。

高齢者の自動車事故がメディアで取り立たされていて気づかされたことです。

ゴルフ場のせいではなかった、と。

技術的なことでもヤード表示の問題でもない。

オノレの肉体的な問題なんだと。

自分の頭の中の飛距離は30代のままで、実際は40代の飛距離だということ。その意識のズレがこの最近の5〜10ヤードなのだ。

よく年配の方が「最近ボケてきて・・・」とおっしゃる方がいらっしゃいますが、なるほど「ズレ」なんだ。

思っていることと現実のギャップ。

考えてみれば、酔っ払って失敗も増えた。本の文字も見にくい。

にもかかわらず、ボールのせいにしたり、クラブのせいにしたり、挙げ句の果てにはゴルフ場のせいだと。なんなら「後厄」のせいにでも・・・。

そうやって何でもかんでも責任を転嫁していくオノレの姿を教えてくれるのもゴルフの面白さだ、と。

「仏道を習うとは自己を習うなり」とは禅師のことばですが、何かそれに通じなくもないか、と。

車の運転もゴルフも、そのような「ワタクシ」であることを自覚しておかないと、とんでもないことになる。

いつも「私は悪くない」「悪いのは誰か」で生きているのだ。

 

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たすかる

2016年11月01日 | ブログ

先月の掲示板に書いた

私の中に煩悩があるのではない
煩悩の中に私がある

は、秋の彼岸会で荒山淳さんから発された言葉を書き留めていたものです。

私の中の煩悩を、修行によって取り除こうとしてきた仏教もあったのでしょう。

ですがこの言葉に会わせていただくと、そうでない仏教があらわれてきます。

私の中の煩悩を取り除いて、清らかな人間になろうというのもまた煩悩だと。

なるほど私という存在は煩悩なくしてはありえないのだ。

浄土の仏教が、あらゆる煩悩を離れた世界を説くのだとすれば、その世界から私たちがどう映るか。

まさに煩悩ワールドの中にそうとも知らずに生きている私を発見するのである。

さて、ではそんな私に仏教はどんな救済を説いているのか。

これも彼岸会の法話で放たれた言葉を書き留めたものですが、

人はちょっとうまいこといったくらいではたすからん

と。

「ちょっとうまいこといった」というのは、それなりに思いどおりにいっているということでしょう。

思いどおりにいっていれば私たちは満足する。それを仏教は煩悩というのでしょう。

仏教の説く救済、救い、つまり「たすかる」というのは、そんな人の煩悩を満たすのではないのでしょう。

思いどおりにならないことが思いどおりになることが仏の救済ではなくて、思いどおりにならないことを思いどおりにしようとしていたという煩悩に気づかせ、思いどおりにならない「苦」をいかに生きていくかというところに「たすかる」ということがあるのでしょう。

で、今月は少しそのことを胸にしながら、東本願寺の報恩講http://www.higashihonganji.or.jp/にお参りさせていただこうと思い、

人はちょっとうまいこといったくらいではたすからん

と掲示板に記してあります。

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