遊煩悩林

住職のつぶやき

いたずらにくらして

2012年12月29日 | ブログ

今年も仕様もないことをつぶやいてきましたが、お付き合いをくださいましてありがとうございます。
そうこうしている間に今年も除夜の鐘のご案内を申し上げるところにきてしまいました。
本年のお付き合いにお礼申し上げ、また明年のつぶやきに耳を傾けていただければ有り難く存じます。
パソコンの前に腰掛けてああだこうだとつぶやいてみて、どこか虚飾というか嘘が混じっちゃっているなと思います。やはり仏前に座すということがごまかしようのない自己を知る基本ですね。
ご門徒の皆さまには、年末そして年始、是非お寺にお参りいただきたくご案内申し上げ、それがかなわぬ方もどうかご家庭のお内仏に一寸身を据えていただきたく存じます。

2012

それ、倩人間のあだなる体を案ずるに、生あるものはかならず死に帰し、さかんなるものはついにおとろうるならいなり。さればただいたずらにあかし、いたずらにくらして、年月をおくるばかりなり。これまことになげきてもなおかなしむべし。このゆえに、上は大聖世尊よりはじめて、下は悪逆の提婆にいたるまで、のがれがたきは無常なり。しかればまれにも、うけがたきは人身、あいがたきは仏法なり。たまたま仏法にあうことをえたりというとも、自力修行の門は、末代なれば、いまのときは、出離生死のみちはかないがたきあいだ、弥陀如来の本願にあいたてまつらずは、いたずらごとなり。しかるにいますでに、われら弘願の一法にあうことをえたり。このゆえに、ただねがうべきは極楽淨土、ただたのむべきは弥陀如来、これによりて信心決定して念仏もうすべきなり。
蓮如上人「御文」三帖目第六通 文明6年8月18日

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世襲

2012年12月27日 | ブログ

東アジア。中国・北朝鮮・韓国・日本の新首脳は、みんな世襲。
いろいろ言われていますが、世襲には世襲の、そうでない人にはそうでないご苦労もおありになるのでしょう。
お寺の業界も世襲が一般的と言ってもいいのでしょう。宗派によってはそうでもないかもしれませんが、浄土真宗の場合、多くの寺がそれぞれの寺院規則に「〇〇姓を名のる者」と規定されてたりしますから、住職は代々世襲ということになります。
常照寺の場合、その設立の経緯から、世襲ではなく「選挙」という業界では少し変わったスタイルが規定されています。常照寺が所属する南勢一組、そして南勢二組というグループの住職らが、常照寺の住職を選任するというシステムです。
ですから、たとえばウチの息子がどうしても常照寺の住職をやりたいといっても、選任されなければ駄目なわけです。
逆にいえば、寺の子に生まれたといっても何としても跡を継がなくてはならないという制約がないのですから、やりたくなければ他の誰かが選任されるだけです。
世襲の規定があるとそんなわけにはいきません。何としても跡取り問題が発生します。その姓を名のる者という限定があるのですから、ほとんどの場合、子や孫がそれを引き継いできたわけです。
子や孫など引き継ぎ手がないとどうなるかということがここで大問題になるのですが、あくまでも規則は「〇〇姓」を名のるということが条件ですから、だれかがその姓を名のればいいわけです。つまり〇〇の戸籍に入ればいい。
私がここで問題にしたいのは、寺の住職に関する規定が、いわゆる「戸籍制度」にのっかっていることです。
寺は一ヶ寺、一ヶ寺が宗教法人法に一見すると守られているともいえますが、要するに国の法の下に敷かれているといってもいいのでしょう。
国法の下での宗教法人規則、つまり寺院規則ですから「戸籍」にのっかっていても不自然なことではありません。
ただ、日本の戸籍がどのような経緯でつくられていったものかということ、国にとって戸籍制度が果たす役割を考えたときに、何かしらの違和感を覚えずにはおれないのです。
とくに「世襲」という問題に直面するとき、誰から誰へということが表面的な事柄として表れますが、そうではなくいったい「何を」世襲するのかということが最重要課題であることを思うとき、引き継ぎ手が「〇〇姓」という戸籍制度に縛られていることが不健全ではないかと。まあ、たくさんある中の問題提起のひとつではありますが、そういった規定を設けることによって何を守ろうとしたか、何が守られてきたのかということも考えなくてはいけません。
さて、世襲議員でなくても「地盤を引き継ぐ」といいますが、その「地盤」って何でしょうか。それが集票の見返りとしての利権構造だったりすれば、それは「誰が」引き継ぐかという立場だけの問題でしょう。
親子で世襲するのであれば「親の願いを引き継ぐ」というのですが、その「願い」は何なのか。
寺でも、門徒でも同じことでしょう。「ご本尊を引き継ぐ」と一口にいってもそれは仏像を引き継ぐのか、生きる拠りどころとして南無阿弥陀仏という法を引き継ぐのか。
「ご先祖が大切にされた寺を引き継ぐ」といっても、ご先祖が大切にされたことを同じく尊んでいくことと、「ご先祖」を大切にするというのとはニュアンスが異なります。ご先祖が大事だから寺が大事なのではなくて、ご先祖が大事にされたことが大事なのですから、ご先祖が大事にされたことを大事にすることが、ご先祖を大事にするということにつながってくるんでしょう。だからどうしてご先祖が大事にされたのかということを知っていく必要があるのです。
とまあ、だんだん深みに入っていきますが、世襲といって何を引き継ぐのかということを考えてみたとき、そこに「戸籍制度」に則った限定性を設けられてあるということは、もちろん寺や仏像、そして法人格を守るということはあるにしても、そもそも仏法を伝承しようとするその根本のところで抱えている大きな矛盾のひとつだと思います。
そして、そのような規定が設けられることの背景に、そうでないことには仏法やお念仏を伝えることができないという懸念がいつの世にもあるのでしょう。国家神道下の廃仏毀釈で、仏法を伝えることをやめて還俗し、仏像を壊し、御経を焼き捨ててきたのもそんなに昔の話ではありません。
世襲が規定されている裏側には、常に私たち僧侶や門徒が仏の法に背き続ける存在であることが見えてきます。
「世襲議員の廃止」といった話がありますが、だからといってこの「規定をなくせ」とか言いたいのではありません。制度・規約の問題や矛盾ということの把握と、国法と仏法の間的存在として、仏さまに背かなくては生きておれないような私を自覚するということをとおして、背き続ける私を救おうと、どこまでも追いかけてきて下さる法を感じることの困難さと、それ故の尊さを思います。
議員の世襲は、いちいち法整備しなくても有権者が判断するのです。ただし「何を引き継がせるのか」という有権者の眼が問われるだけです。
東アジアの世襲首脳らが各国の意志として何を引き継いでいくのかということと同時に、身近な問題として寺の世襲に飛躍してみました。
決定的な違いは、ひらたく言ってしまえば、議員の場合はやりたくないのにやっているという世襲はないのに対して、寺の世襲は、やりたくないのにやらなければならないという被害妄想的な無責任感を孕みつつ、自らが選びとっていく道であるというところでしょうか。
さてさて私のところにはいったいどんなことが引き継がれてきて、誰に何を引き継いでいくのか。引き継ぐべき事柄をいよいよはっきりせんといけません。

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酒飯茶ばかりの私にて

2012年12月25日 | ブログ

年末。お煤払の行事を終えた京都東本願寺のスタッフが、伊勢に遊びに?来てくれました。
名づけて「研修部員有志で行く研修旅行&法念会 -伊勢に泊まろう-」。
夏ごろから企画して参加を募り、本山からの参加者に伊勢志摩の住職を加えて伊勢神宮を中心にフィールドワークを行いました。
宿泊は、志摩の住職の手配で的矢の「橘」へ。
生牡蠣を存分に愉しんでもらうために、事前に「ばっちり体調を整えてきてね」と注意していた超本人である私が胃腸風邪&二日酔いでボロボロでの参加になってしまいました。
「旅の栞」には、「法念会心得」として

毎月両度の寄合の由来は、なにのためぞというに、さらに他のことにあらず。自身の往生極楽の、信心獲得のためなりがゆえなり。しかれば、往古よりいまにいたるまでも、毎月の寄合ということは、いずくにもこれありといえども、さらに信心の沙汰とては、かつてもってこれなし。ことに近年は、いずくにも寄合のときは、ただ酒飯茶なんどばかりにて、みなみな退散せり。これは仏法の本意には、しかるべからざる次第なり。
蓮如上人「御文」四帖目第十二通

仰せられ候う。「物をいえいえ」と、仰せられ候う。「物をいわぬ者は、おそろしき」と、仰せられ候う。「信不信、ともに、ただ、物をいえ」と、仰せられ候う。「物を申せば、心底もきこえ、また、人にもなおさるるなり。ただ、物を申せ」と、仰せられ候う由候う。
蓮如上人御一代記聞書八七

酒飯茶を嗜みながら、大いに語り合い、聞き合いましょう。

とありましたが、酒飯茶ばかりにて「言わず」「聞かず」の私であったなと反省の研修会でございました。
聞くところによると、勤務体制上、こうしてみんなで揃って本山を離れるということは過去に例もなく、はじめてのことだそうです。それを実現させたパワー溢れるスタッフらのやる気・元気をしっかり「見る」ことができ、その姿勢に「学ぶ」ことができました。
行き届かないことばかりでしたが、出遇えたことと今回学んだことを、自分は末寺の現場で活かしていきたいと思います。

では、今回の旅の目的について、これも「旅の栞」から

それ、もろもろの修多羅に拠って真偽を勘決して、外教邪偽の異執を教誡せば、
『涅槃経』(如来性品)に言わく、仏に帰依せば、終にまたその余の諸天神に帰依せざれ、と。略出
『般舟三昧経』に言わく、優婆夷、この三昧を聞きて学ばんと欲わば、乃至 自ら仏に帰命し、法に帰命し、比丘僧に帰命せよ。余道に事うることを得ざれ、天を拝することを得ざれ、鬼神を祠ることを得ざれ、吉良日を視ることを得ざれ、と。已上
また言わく、優婆夷、三昧を学ばんと欲わば、乃至 天を拝し神を祠祀することを得ざれ、と。略出
親鸞聖人「教行信証」顕浄土方便化身土文類六(末)

真宗同朋会運動初期に「家の宗教から個の自覚の宗教へ」というスローガンが発信されました。「家の宗教」とは、国家神道や江戸幕府の寺請け制度に基づく差別と暴力の構造であり、「個の自覚」とは、国家の支配統治と人間の主体性の緊張関係における宗教的自覚と人権の獲得に向けた、終わりなきたゆまぬ歩みのことではないでしょうか。
神道は日本の習俗であり、大和民族の統治を目的に創りあげられた天皇制国家とも関係し、部落差別問題、アイヌ、沖縄の民族問題、靖国問題、多くの問題と密接に関係しております。今、日本では韓国との竹島領有問題、中国との領土問題に惹起し、急速にナショナリズムが叫ばれています。
今回の研修会を通し、親鸞聖人が「御同朋」という言葉によってしめされようとした人と人、人と社会、衆生と世界の関係性はどういうものか皆様と確かめて参りたいと思います。

自ら仏に帰命し、法に帰命し、比丘僧に帰命せよ

ご参加いただいた皆さん。組のスタッフの皆さん。おつかれさまでした。そしてありがとうございました。次回の「寄合」を期待して、合掌。

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的矢「橘」から見た的矢湾と朝日

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神祇不拝試考

2012年12月15日 | ブログ

常照寺の報恩講のチラシを入稿しました。
常照寺の報恩講は例年1月の最終土日にお勤めしています。ご門徒の皆さまへのご案内は年が明けてからになりますが、どうかご予定を。
「報恩講」は、親鸞聖人のご命日を縁に、そのご恩徳に報いるために全国、いや世界中の寺院やご門徒宅で毎年お勤まりになる法要です。
さて、その親鸞聖人のご命日。東西両本願寺をはじめ、浄土真宗10派のご本山では親鸞聖人のご命日に合わせて報恩講が厳修されるのですが、東本願寺は11月28日まで7昼夜、西本願寺では1月16日までの7昼夜執り行われます。いずれも親鸞聖人のご命日に合わせて執り行われているのですが、日がズレているのは、旧暦の11月28日がすなわち新暦の1月16日ということ・・・。
1872(明治5)年は12月2日で終了し、12月3日は1873(明治6)年の1月1日になったといいます。同時に1日が24時間に定められたというのですが、当時の時間感覚はどんなだったのでしょう。旧暦には1年が13ヶ月という閏年が設定されていたともいいますから、今の時間感覚が常識化した私からすれば、何かアバウトな雰囲気が魅力的にも思えます。
少し前になりますが、改暦の背景に明治政府の財政状況があったという記事がありました。

旧暦では翌年は閏月があり、一年間は十三ヶ月になる。赤字財政に悩む政府には役人に一月余分に棒給を支払う資金はない。改暦の断行によって節約する腹づもりだったという。それだけではない。十二月は二日間しかないのだから月給は不要のはず・・・。そんな理屈で、二ヶ月分を支払わなかった(中日新聞2012.12.3)

と。考えた人も実行した人も、それができたこと自体がスゴいなと。
記事は「この改暦がなければ、欧米の暦とのずれは深刻化し、日本の近代化は遅れたはずだ」と結んでいます。
さて、明治期の日本の近代化について、東本願寺発行の「いのちを奪う原発」からの孫引きになりますが、
司馬遼太郎は『この国のかたち』の中で、「明治後の日本人ほど政府を信じてきた国民はないに相違ありません。国家や政府が過ちを犯すことはないとどこかで信じていました。これが近代化が遂げられた最大の理由だと思います」と言っている。
これを引用した玉光順正氏は、

この国家や政府を無条件で信じる国民性というべきものは、敗戦という大きな転機を持ちながらも、今もなお、続いているというべきだろう。そこでは、国家を構成しているものは私たち自身であるということさえ忘れているかのように感じられる。そのような日本人は、国を問うというようなことが、ほとんどできなくなってしまっているのかもしれない。そしてそのことは、私たちが浄土の思想を失った、忘れ去ったということにもつながっている。かつて親鸞や法然の集団は国土を乱すと言われた。それは浄土の思想というものは、常に穢土である国土(国家)を批判しつづけるもの、国土(国家)を相対化しうるものだからである。このことは、原子力発電が国策として推進されている今日、私たちにとっての大きな課題である。国策だからよいことだと従うのか、また仕方がないとあきらめるのか。それとも逆に、国策だから批判的に真向かおうとするのか。問われているのは私たちの浄土観でもある。

と10年前に指摘されます。
そして司馬がいう近代化が遂げられた最大の理由として挙げた「明治後の日本人ほど政府を信じてきた国民はない」こと、また玉光氏が指摘する「浄土の思想を忘れ去った」ということについて、同書に

私たちの教団は一向一揆敗北以降、江戸時代の中で寺壇制度を受け入れ、身分制度を維持する基幹として体制化してきた。教団が果たしてきた役割は、幕藩体制に無批判的に従属していく人間を生み出すことであったと言わねばならない。そのため、最も有効に機能したのは、「極楽浄土」という現世を批判する浄土教の基本概念を、死後の世界へと追いやったことであろう。(中略)明治時代には、「富国強兵」を標榜する政府の下、親鸞聖人の意志に反する「真俗二諦論」という教義を展開する。その「真俗二諦論」によって、宗教的問題(真諦)と現実の生活(俗諦)を別々な問題として位置づけたのである。宗教的領域と現実の領域を分けることによって、新しく登場した天皇制国家を問う視点など生まれようはずはない。

「真俗二諦」の教学とは、国家体制に対して従順に生きることを諭して、死後の救いを勧める教えです。
つまり、政府に無批判に従属していく国民性によって成し遂げられた日本の近代化の裏側に、浄土真宗教団、寺と僧侶が浄土を死後の世界に追いやったことの責任がみえてくるというのです。
いま、私は簡単に「浄土は死後の世界ではない」というのですが、同じ真宗の僧侶でありながら時代によって言うことが違うやないか!という「批判」を忘れてはならないことを思います。
親鸞聖人の仰せにないことを「御消息」と称して伝えてきた寺。親鸞聖人のご恩に背いてきたことを知らせ、忘れていたご恩に気づかされていくのが報恩講ではないでしょうか。

ご門徒の皆さまには既にお配りさせていただいた2013年版の常照寺の寺報。その巻頭に「鬼神」と鬼神に仕える「餓鬼」について記しました。ご門徒の皆さまにはどうか上記の内容と合わせてお読みいただくと解りやすいかと思います。解りにくい記事のフォローになりますが、表題にはできなかった文章に込められた副題に「神祇不拝」ということがあります。
年末年始にかけて神社へのお参りということもあるかと思います。またご当地伊勢の神宮では来年の式年遷宮に向けて、気運の盛り上がりを感じます。
個人的なイメージとしては「神」というのは「アリ」だと思うのです。古くから山を拝み、川を拝みしてきた。五穀豊穣を感謝する、自然の恵に感謝を捧げる対象としてです。そして今ではお祈りやお願いごとの対象として「アリ」なんだと。かつては礼の対象だったのが、お願いごとをする、したくなるのが「私」なんでしょう。お願いごとをし尽して見えてくる事柄が尊いと思うのです。己を知らしめられる意味で、です。同時に、その対象となる「神」の存在によって、仏のはたらき・救済が確実なものとして明確になってくるとも思うのです。
問題は、人間を縛り束ねるために、都合のいいように理屈をつけてそれを拝むことを強要していくはたらきです。そのことを「鬼神」と呼ぶのではないか。まさに神の名を利用してそれを拝し祀ることを強要し、従わないものを排除していくはたらき。
親鸞が「神祇不拝」というときの「神祇」とは、まさにこの「鬼神」のことを言うのでしょう。何も仏教徒は神社に参らないとか、真宗門徒は神社に参ったらいかんとか、そういう質のことではないんだということが言いたいのです。ただその鬼神に絡みとられてないかということです。ナンマンダブツをいわゆる「神領」から廃してきたはたらきへの目線は、未だに神領と呼ばれる場所でこそ感じる事柄です。
大事なことは、くり返すようですが、浄土を死後の世界と説いてきた教団こそ鬼神に仕える餓鬼の集団であったのではないかということと同時に、そのことに異を唱えた方々を排除し、見殺しにした教団において、いま、私たちの寺はどうなのか、僧侶はどうなのか、一人の門徒としてどうなのか、常に問いかけられていることです。

餓鬼道は、常に飢えたるを「餓」と曰う、「鬼」の言は尸(屍)に帰す。
子の曰わく、「古は人死と名づく、帰人とす。また天神を鬼と云う、地神を祇と曰うなり。」
形あるいは人に似たり、あるいは獣等のごとし。心正直ならざれば、名づけて「諂誑」とす、と。
魔は煩悩によって菩提を妨ぐるなり。鬼は病悪を起こす、命根を奪う。
季路問わく、「鬼神に事えんか」と。
子の曰わく、「事うることあたわず。人いずくんぞ能く鬼神に事えんや」と。
「教行信証」化身土巻

長くなりましたが、総選挙の前日に・・・。

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ちんぷんかんぷん

2012年12月03日 | ブログ

次から次へと締切に追われ、遊煩悩林の更新が滞ったまま師走になってしまいました。
サボっている間に、ちょっとヤル気の出る話をもらいました。
「またまた聞き」の話になるのですが、なんとこの遊煩悩林をプリントアウトしてファイリングしてくださっている方がいらっしゃるというのです。その方が、最近「更新されてない」という話題をしているところに居合わせたある方が、「そのひと入院したんじゃない?」ということになって、すっかり私が入院中で更新できないということになっていたのだとか。で、ブログそっちのけで私が入院したという情報だけがまわり回っていよいよ私が日常によく顔を合わす人の耳にまで届いてきたそうです。
たまたま私の兄が体調を壊していることもあって、それを知ってくれている人とブログのサボりがいつの間にかミックスして遠いところで形成されていったわけです。
飛躍しますが、選挙が近くなり、いろいろなところでいろいろな論議がされる中で、いわゆる世論形成ということを思いました。たまたま私の場合は兄の入院と私のサボりという事実が融合されたわけですが、火のないところに煙を立たせるような手法で世論もつくられていってはいやしないかと。
とにかく、つぶやきをやめると病人にされたり、下手をすれば死人にされかねません。こりゃ死んでもつぶやき続けにゃならんと意を決したのでありました。「民」が踏ん張らんと、「政」に殺されるも同然になりかねません。
ただ入院したら、病状にもよりますがよっぽどでなければ退屈でつぶやきは増すんじゃないか・・・とも。
励みは、どこぞの見ず知らずの誰かがこのつぶやきをわざわざプリントアウトしてファイリングしてくれているなんていうことです。思考の試行的レッスンですから、何の答えもないつぶやきですが、そうやってご覧いただいているという視線を感じたときに心地よいプレッシャーとともに、頑張ってつぶやかなくちゃという励みをいただいたのでした。
ブログは締切もなく、文字数の制限もないので頭の整理に程よく、思考の試行という位置づけでつぶやいていますが、やはりつぶやかないとアレもコレもソレもで整理もできず頭がゴッチャ煮のまま、どれもこれも中途になっちゃった感があります。
ゴッチャ煮が煮詰まってくるといっぱいいっぱいで余裕がなくなり、何もかもが負担に感じて煩わしくなる。なるほど煩悩の林に遊ぶような余裕は仏にしかありません。
一年に一度はご本山に出仕しようと言っていたのが、報恩講にもお参りせず。また、来年に行われるイベントのご依頼をいくつかいただいたのですが、それもお断り・・・。荷の重いこともありますが、せっかくいただくチャンスなのでそれぞれ大事にしたいところではありますが、それを断っていくというのはなにかもったいないなと思うのです。もともとがケチな性分です。断るのが苦手というのもあります。
断るというのは、可能性を失っていくということでしょう。考えてみれば、あらゆる可能性を持ちながら誰もがこの世に生まれ、いわゆる「成長」とともにその可能性を捨てていく私たち。選択を迫られ、ひとつの選択をすることで他の可能性を失っていくわけです。
ということは「お断り」というのも、言い方によっては成長の証でもあり、また若さを失うということともいえるのかもしれません。
「断らない」というのは、やはりチャレンジ精神でしょうか。いくつになってもチャレンジし続ける姿勢が「若さ」かもしれませんね。
ただ、負の連鎖はよくありません。コレを断らないかわりにアレとソレを断らなければならないって事態が激化してきました。断っても断らなくても「無理」が強いられることになってくると末期的です。
何を断じて、何を断じないか。こうやって決断を迫られつつみな年を重ねていくのですね。
正信偈の大好きなフレーズに「不断」とあります。

不断煩悩得涅槃 -煩悩を断ぜずして涅槃を得る-

他力を疑わない精神です。
だけど、仏前に座してこのことばの鏡に映しだされる我が姿は、「為せば成る為さねば成らぬ」と自力に執着する姿丸出しです。
まだ年内の締切をいくつか残していますが、とりあえず2013年版の寺報の入稿を済ませたのでホッと一息ついて、そんなふうにふりかえっております。
さて年の瀬に向けていよいよタイムリミットが迫ってきますが、そんな締切に追われて、それをやり遂げることの繰り返しだけでいいのか。
客観的に設定されたタイムリミットの中で物事が動いていくのですが、主観的なタイムリミット、「寿命」という設定のなかでちゃんとやるべきことがやれているのかと問われると果たして・・・。
「仏法には、明日と申す事、あるまじく候」と蓮如上人御一代記聞書http://www.otani.ac.jp/のとおりです。
人間として生まれて、人間として生きる時にまず為すべきことを為さず、そのことを先送りして、目先のことに為せば成る、為せば成ると右往左往しているじぶん。
チンプンカンプン生きているそんな視線をいただきつつ、今月の掲示板には、秋のお彼岸に聞かせていただいた小林一茶の句を記させてもらいました。

たらいから 盥へうつる ちんぷんか

産湯のたらいに浸かってから、湯灌のたらいに浸かるまでチンプンカンプンに生きている私。「明けましておめでとう」から「よいお年を」まで、「ただいたずらにあかし、いたずらにくらして、年月をおくるばかりなり」(蓮如上人 御文第3条4通)

遊煩悩林9月27日 http://ryoten.blog.ocn.ne.jp/jyosyoji/2012/09/

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