遊煩悩林

住職のつぶやき

それとも・・・

2012年05月31日 | ブログ

魔のしょいか 天けんおかみ 法華しう 一かふしうに すきの小さしき
島津忠良『日新菩薩記』

Img_0731「天けんおかみ」はキリスト教、「すきの小さしき」は数寄屋すなわち茶道のことで、島津はキリスト教、法華宗、茶道とともに一向宗、つまり浄土真宗を嫌った。

ということで「かくれ念仏」。
Img_0724島津氏が支配した薩摩・大隅・日向と琉球において浄土真宗は禁止されていました。
とはいっても、おなじナムアミダブツの浄土宗や時宗は保護をされたのですから、念仏がダメと言うのではなくて親鸞のお念仏のこころが民衆に届かないように禁じられたということです。

禁制下で弾圧を受けようとも、真宗のお念仏に生きられた人々の信仰心をただ美化して讃えようというのではありません。

Img_0720「がま」と呼ばれる洞を掘ってまでして、かくし仏壇といわれるタンス調の仏壇を設えてまでして、家の柱をくりぬいてご本尊をご安置してまでして、民衆はなぜ真宗を捨てなかったのかということ。そして為政者はそこまでしてなぜ弾圧したのか。ということを通して、いま私の生きている時代社会と私自身を問うテーマとなりました。

Img_0721「本願寺と門徒の縦の関係」「門徒の横のつながり」が指摘されます。
徹底して弾圧を受けた薩摩の浄土真宗の門徒は密かに「講」という組織をつくって、生まれてきたことの意味を確かめ、信仰に基づいて確立した生き方をしたのですが、それは浄土真宗が認められていた他の地域における本願寺との関係と違って、門徒らの横のつながりが大きな意味を持つといいます。
Photoその横のつながりというのは、「かくれ念仏」の講は、江戸時代の身分制度を超えて組織されていたというのです。つまり差別させることで成り立っていた身分制度が「講」では成り立たなかった、というより実は「講」によってそこから解放されていたといってもいいのでしょう。
講は、禁制の地域とそうではなかった地域の人々の国境を越えた越境交流があったともいいます。

島津の藩政は、独特の外城(とじょう)制度と門割(かどわり)制度によって民衆を支配しPhoto_2ました。
鹿児島城(鶴丸城)を内城として、100以上の外城が置かれ、その地域の郷士に軍事や行政を管轄させていた。
外城の各村は庄屋という村長が支配し、いくつかの百姓のグループを「門(かど)」と呼んで、その村の耕地を庄屋の指揮の下で門ごとに同量が配当されて耕作させた。

時には石高の8割を年貢として納めなければならなかったともいいます。それでも本願寺の献金は高額に及んだ。治水工事などの借財によって借金大国の薩摩にとって本願寺に流れる上納は面白いものではなかったはずです。

そのような完全縦割りの制度によって、互いに裁き合わせる構造下にありながら、身分差別をも超えた横のつながりは、信長、秀吉や家康が手を焼いた一揆を恐れる島津にとっては脅威であったのでしょう。
現代を生きる私が考えさせられたのは、たとえば牛のレバ刺しが食べられないことに象徴されるような、何もかもが法整備をされていく社会は、それを我慢して遵守する「善人」が、違反する「悪人」を裁いていく、人が人を裁かせる構造です。
いつも人に裁かれているような、また常に評価されているような目線に怯えて生きなければならないのは、このような社会的な構造にあることが知れてきます。同時に、何でもかんでも法整備、法整備と、あおっているのは他ならない「善人面」した自分ではないのか、と。

浄土真宗の禁制は明治まで続き、ときの国家神道化政策の廃仏毀釈によって明治9年まで、鹿児島には一ヶ寺の寺院も存在しなかったといいます。そんな鹿児島では現在、その人口の7~8割が浄土真宗の門徒になっているといいます。

それは、先の大戦において、知覧から飛び立っていった特攻の青年らの声なき声に耳を傾けたとき、私たち一人ひとりがいったい「何のために生まれてきたのか」という問いを、かくれ念仏の中で問い、確かめてきた歴史が息づいているからではないでしょうか。
私は国の犠牲になるために生まれてきたのか。藩に年貢を納めるために生きているのか。それとも・・・。

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私が私であることを証明できない私

2012年05月29日 | ブログ

5月23日から25日までの2泊3日、「薩摩のかくれ念仏」をテーマにした現地研修で鹿児島に行ってきました。
23日早朝に伊勢を出発。新大阪8時59分発の新幹線みずほ605号は鹿児島まで直行。指定席の広いシートは飛行機との差別化をはかったもので実に快適。
定刻と寸分違わぬ12時44分に到着して、さっそく薩摩地鶏のランチ。
14時の開会まで時間の余裕があったので、研修会場となる東本願寺鹿児島別院まで歩こうと地図を確認。出発するも交差点ひとつ渡らずに断念しました。

Img_0695

http://www.facebook.com/sakurajima.volcano
報道でも聞いていましたが、桜島の噴火が観測史上最速で500回を超えた、と。それによって積もった降灰は、22日中に清掃車フル稼働で除去された?
http://mainichi.jp/
とはいうものの、はじめて克灰の街を訪れた私が、車やバスが巻き上げる灰によって歩くことを断念するには、交差点で信号待ちしているだけの時間で充分でした。
全線均一の160円というのも使いやすく、すぐさま路面電車に飛び込み、鹿児島随一の繁華街「天文館」を過ぎたところで下車、徒歩5分で鹿児島別院へ到着しました。

開会後さっそく鹿児島教区光泉寺の佐々木智憲住職から「薩摩のかくれ念仏の歴史と背景」の講義。つづいて部落解放同盟鹿児島県連合会の山口武文委員長から「島津藩の民衆支配の構造」と題した講義をいただきました。(内容は改めて・・・)
18時を過ぎて終了後、近くのホテルへチェックイン。夜の天文館へ繰り出して、焼酎を介して深夜まで地元の方々との交流を深めたのでした。

Img_0706

翌日は、鹿児島を南へ北へ東へとフィールドワーク。
朝、別院を出発して鹿児島市を南下、知覧町の竹林に囲まれた「立山かくれ念仏洞(たっちゃまかくれねんぶつがま)」と呼ばれる「がま」を見学。

現在でこそ碑が建てられ、「がま」の内部とそこに至る道は整備されていますが、深い林の斜面を密かに掘った洞穴の跡は、かつての深い信仰心はもとより、いかに役人の目を逃れるか、その弾圧の厳しさを感じさせます。

つづいて、かくれ念仏のさまざまな資料が展示されているミュージアム知覧へ。

屋敷の柱をくりぬいてご本尊を隠した「秘仏の柱」の展示や、海上へご本尊を持ち出して大きな声で念仏したといった説明を聞き及ぶに、念仏がまさに命懸けであったことを強く感じます。

さて、このミュージアムが建つところは、太平洋戦争末期の沖縄戦で特攻隊が飛び立った特攻基地の跡地。
ミュージアムの隣の「知覧特攻平和会館」を見学しました。
http://www.chiran-tokkou.jp/index.html

修学旅行生や観光客、また自衛隊員とその父兄らが多く訪れていました。
ここには、数機の戦闘機をはじめ特攻隊員の遺影、遺品などが展示されていますが、それをみて何とも複雑な思いがしました。
複雑というのは、特攻隊員を讃えようとするようなものをどことなく感じたからです。それはかつての戦争を美化し、彼らの生命と引きかえに今日の平和がある・・・ような違和感です。
思ったのは、国が国のために命を捧げた行為を美化するのは当然と言えば当然ですし、またとある宗教団体が、弾圧下で信仰に命を捧げたことを美化するのもまた当然だといえます。
ただ、それぞれの時代を生きる上で、その人が何にいのちを懸けていくのかということを考えさせられます。
国のために命を捧げることが強要されたり、命を懸けた信仰が弾圧されるところには自由も平等もない。かつての苦難の歴史を顧みて、私たちが自由と平等を手に入れているような錯覚に絡めとられているのではないかと感じました。

さて、そんなことを思いながら知覧に残る「武家屋敷群」の見学を兼ねて昼食。
一泊二日の日程で参加された方々を鹿児島中央駅で見送り、さらに一泊のオプション日程に。
鹿児島市を北上して宮之城にある時吉萬次郎の墓所へ向かいました。墓地を参拝、フィールドワークの日程を終了し、霧島温泉に向けて鹿児島県を東へ。夕刻、独特の硫黄の臭気が漂う霧島国際ホテルへ到着。疲れを落としました。

ところで翌日、新幹線帰省組は鹿児島市に向けて早朝に宿を出発、私は霧島温泉から比較的近距離にある鹿児島空港からの伊丹便を手配してもらい飛行機での帰路をチョイス。
大誤算だったのは、出発時刻を過ぎても飛び立たない飛行機・・・ではなく、セキュリティの厳しさ。
まず、手配してもらったチケットの名義人を確認するのに身分証明書の提示を求められて、万事休す。運転免許証も保険証もクレジットカードも持たず、私が私であることを証明する「もの」がなく信じてもらえない。「これしかないんですが」といって差し出した名刺に苦笑いされ・・・。本来このような認証はあり得ません!と念押しされて何とかチケットを入手。せめてタスポぐらい持つか・・・と反省しつつも、私が私であるということを信じないということが前提になっていることの精神的ダメージがキツかった。
搭乗前のセキュリティチェックでは、それもあってか丸裸に、まではされませんでしたが、胸ポケットのボールペンでピー、マネークリップでピー、最後にベルトとって下さいといわれようやくクリアー。つぎに手荷物検査はカバン内のライターを出して下さい、と。そんなのあったかなというと、カバンの底にありますから出して下さい、と。カバンの脇のジッパーを開けると何時ぞやから入れっぱなしのライターが出てきた。
どちらを選択されますか?と聞かれてまたまた戸惑っていると、機内持ち込みはひとつだけです。もうひとつは処分させていただきます、って。
へぇーっ!そんなに厳しいんですね、いまの日本で飛行機に乗るのは!
搭乗できたのはいいですが、何やかんやで定刻を1時間ほど過ぎてようやく離陸。携帯はダメ、iphoneで写真も撮れず、雲が厚くて桜島を見ることもなく、プロペラ機の燃料タンクが視界を遮り、座席は狭く、土産の焼酎でも飲んで寝るしかないと思いきやドリンクサービスに起こされ・・・それでもわずか一時間ほどで大阪まで飛んできました。
手配いただいたチケットは確かに新幹線よりも安く、移動時間も動き出せば圧倒的に飛行機。しかしう~ん!何を優先するべきなのか。
金額や時間は確かに現代では重要なポイントですが、それより何より、飛行機の利用に不慣れな三重県のど田舎者にとって辛かったのは、あなたがあなたであることを証明せよと問われたことでした。しかもそれは、いくら自分の名前や生年月日や職業を語ったところでは証明されない。確かそんな映画がありましたが、根本的に客の言う言葉は信用しないということが当たり前であるということ、そして免許証や保険証という証書が本人の言葉より信頼できると・・・。参った。精神的に参りました。くたくたになって帰ってきました。
善くも悪くもさまざまなことを学んだ研修でした。
と、余談はとにかく、学んだこと、感じたことをいずれ・・・・・。

「かくれ念仏」のご参考に
http://www.hongwanji-kagoshima.or.jp/kakure/map

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宿業共感の大地

2012年05月19日 | ブログ

天上天下唯我独尊

いわずと知れた、お釈迦さまがその生涯を懸けて宣言された立場です。
この世でオレだけが尊いんじゃなくて、他と比較することのない、この私一人のいのちの尊厳を表してくださっています。

組の同和研修を組内のご住職とご門徒を交えて開催しました。
講師の片山寛隆(相願寺住職)氏は「『逆差別』という言い方があるが、それは『彼処に比べればまだマシな方や』と言っていきたいこころではないか」と指摘されました。彼処に比べればまだマシという「彼処」を求める私の本性です。「彼処」をつくりあげ、差別の上に此方の尊厳を保とうとする根性。

「在家仏教」の「宗教なき時代の閉塞」という記述の中で真城義麿氏は「セーフティーネットなき社会」といいます。人類がはじまって以来ずっと宗教が担ってきた「存在への安心」がなくなってきたと。
仏教は、寝たきりになろうが、認知症になろうが、犯罪をおかそうが、人間存在として尊い価値というものがあるといいますが、ほんとうの宗教がわからなくなってきた現代において、「日本社会にはセーフティーネットがない。成果を出せず期待に応えられない人たちがいる居場所がない。こんな状態になった私がこの世の中に存在していていいのだろうか、などと思わせるプレッシャーみたいなものが世の中にある」と。
寝たきりになろうが、認知症になろうが、ひとかけらも存在の意義が損なわれることはない。できるとかできないとか、条件なしに救われる価値があるということを「いのちの尊厳」というならば、此処も彼処も何ら比較の必要がないわけです。

にもかかわらず、「彼処に比べればまだマシ」というところにしか立てない。
片山氏は親鸞聖人の「慚愧心」は言い換えれば「恥じる心」とおっしゃいました。さらにひらたく言えば「ごめんなさい」だ、と。
仏教を学んだり、お念仏の教えを聞かせていただくと、人間存在の罪が知らされて恥じる心が生まれる。ごめんなさいの私であったことに気づかされます。一般的には、仏道を学んだり、修行をつめば「人間がよくなる」とか「まるくなる」ように受けとられていますが、そうではない。
罪が消えるわけでもない。罪も消えず、罪を犯さずにはおれない自分を知ると、そこに開き直りが生じてくる。助かっても助からんでもどうでもいいとか、悪いことしとるから救われるんじゃろが、と。
念仏を申すということはどういうことか、それはどこまでも「恥じるこころのない私」「心からごめんなさいと言えない私」を知らされ続けることだと教えられました。

他の尊厳を奪って自らの尊厳を保とうとする根本的な差別人の私が、仏法を聞いたり念仏を唱えて差別をしなくなるのではないのです。
差別などしたくない、してません!といって生きている私の差別性に気づかされ、差別せずにはおれない私であるにもかかわらず、恥じる心すら持ち得ないような私が知らされてきたときに、「だから救わずにはおれない」という仏のこころが響いてくるのでしょう。
同時に「自分さえよければいい」と、他を排除せずにはおれない我が身を知らされることで、自分だけではない他者と「ともに」でしか救われようがない自己が知らされれば、開き直ることができなくなるのです。

先月お邪魔したとあるお寺さまに

絶対の自由と平等との双運は只是れ宿業共感の大地に於てのみ成就するのであらふ
量深

ということばが軸に掛けられてありました。
このことばを領解するようなものを私は持ち合わせてはいませんが、問われたのは、「自由と平等」という相容れない立場を常日頃、並列して使ってないかということです。
絶対の自由には、平等がない。平等を唱えれば、そこに絶対の自由はあり得ない。それが私であり、私たちの世間なのでしょう。
しかしこのふたつがともに成就する大地があるのだ、と。

片山氏は、アメリカ独立宣言を引かれて「天賦の権利が人間に付与される」という宗教性に触れられました。「天賦の権利」ですから「人間の権利」ではない。人間を超えた世界からいただいた権利ということです。
つまり、互いに相反する絶対の自由と平等という主張が成就する「宿業共感の大地」とは、人知を超えた大地が開かれてはじめて絶対の自由と平等を賜ることができるということだとすれば、その大地が開かれない限り、いくら自由の権利、平等の権利を言ったところで「人間の権利」つまり、エゴが拡大、欲が膨らむことでしかありません。
宗教なき時代の閉塞感は、ほんとうの宗教を各人が責任を伴って判断し、選択しなければ、「私はここにいていいのだろうか」というプレッシャーから解放されず、「ここに生まれてよかった」という確固とした居場所のない、ますます人が睨み合い、裁き合う、存在の安心のない大地が拡大していくだけではないでしょうか。

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人形

2012年05月18日 | ブログ

お寺で人形展やってまーす\(^O^)/

木目込み人形作品展

日時 5月19日(土)~27日(日)
   am10:00~pm4:00(最終日は正午まで)

場所 常照寺 本堂

ご門徒さんの手づくり作品展です。
お気軽にお誘い合わせてどうぞ!

詳しくはコチラ 
http://nekonote.heteml.jp/office-nekonotejp/icommu/isesakuhinten.pdf

Image

wikipedia/木目込み人形 http://ja.wikipedia.org/wiki/

社団法人日本人形協会/木目込人形 http://www.ningyo-kyokai.or.jp/

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ボトルキープ

2012年05月17日 | ブログ

ブログの「更新が減ってきたね」といわれ・・・。
確かに!
やらなくてはならないこと。
やりたいこと。
やらんでもいいこと。
やらされていること。
日ごろ、限られた時間の中でやっていることにはいろいろありますが、その中でも優先順位が高いときは徹夜してでもやったはずです。
齢のせいにはしたくないですが、「更新せねば!」と思う意欲とそのスパンが確かにのびてきたような気もします。
決してパソコンの前に座る時間がないわけではないですし、発信したいこともたくさんあるのですが、何やらかんやら他の作文ばっかりやって?よろこんでいます。
ついついそちらの方で発散してしまって、コチラが疎かになってきた、と。
言い訳はとにかく、最近の目安はズバリ!遊煩悩林も登録していただいている真宗大谷派の大阪教区が運営しているメガサイト「銀杏通信http://www.icho.gr.jp/)」のブログアンテナhttp://rna.icho.mydns.jp/rss/最新記事100!
50弱のブログが更新順に表示されていて、時期にもよりますが、何となく10日から2週間ほっとくと間違いなくこの「最新記事100」からは漏れちゃいます。
ここから漏れるとどういう心理がはたらくかというと。
行きつけのスナックのボトルがなくなったような・・・です。
最近、酒量が増えてきたようです。依存傾向にあるのかもしれません。ただ、毎年この時期に出てくる偏頭痛や湿疹は出てきません。そんな効用もあるのか、と勝手に解釈して今日も晩酌を・・・。
そんな煩悩林を彷徨っております。
3歳の長女は連日じぶんの髪を切り・・・。私の兄の病院生活もひと月を超え・・・。
自分ひとりの精神衛生を保つことの難しさ・・・とその影響について、という他愛のないお話です。皆さまどうかご自愛を。
銀杏通信のブログアンテナいいですよ。見てくださいね。

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