おかげさまで永代経法要を勤めさせていただきました。
ご参詣の皆さま方、ご懇志を寄せていただいた皆さまに対しましてお礼申し上げます。
法要の記念に、東本願寺出版発行の『終活と宗活』という冊子を施本させていただきました。
https://higashihonganji-shuppan.jp/
法要を勤めるにあたって先に触れたとおり、「永代供養」と「永代経」が「ごっちゃ」になっているのではないかという印象。
ざっくり言ってしまえば、永代供養は終活、永代経は宗活という括りになるのではないかと。
さて、法要では名古屋の荒山優さんにお話を頂戴しました。
讃題は「四法印」。
仏教徒には言わずもがなの4つの法印について、やさしくご教示いただきました。
諸行無常:ありとあらゆるものごとはすべて移り変わっていく
諸法無我:この世のどこにも「私」はいない---誰かとの関係性によって「私」は変化する
一切皆苦:すべての出来事はままならない(思いどおりになることはない)---差異を認める---他者の尊敬
涅槃寂静:おさとりの境地は音ひとつなくしずかである---満ち足りた状態
とのご解釈から、ここでは詳しく記せませんが、それぞれ
諸行無常とは「ありがとう」
諸法無我は「おかげさま」
一切皆苦は「ごめんなさい」
涅槃寂静は「ごちそうさま」
といただいています、とのご自釈を表現してくださいました。
そして、なむあみだぶつというお念仏にそれがすべて集約されてありますね、と。
なるほど、なむあみだぶつの中身は「ありがとう」「おかげさま」「ごめんなさい」「ごちそうさま」だとすれば、私たちが仏さまに向かう態度が問われてきます。
仏さまに向かう本性が、「御利益」を求める心になってないか。
願い事を叶える宗教と事実に目覚める宗教、つまり都合がよかろうが悪かろうが、ありとあらゆるままを「いただきます」と。
「永代供養と永代経」「終活と宗活」の違いに通じるものを感じたのでした。
なむあみだぶつのご利益とは。
不都合は受け入れられない「私」が照らし出されます。
タイトルの「ウデンウデン ウタクウタク」は、優さんがお話の冒頭に紹介してくれた『無量寿経』のことば。
有田憂田 有宅憂宅
田あれば田を憂う。宅あれば宅を憂う。
(田なければまた憂えて田あらんと欲う。宅なければまた憂えて宅あらんと欲う。)
あったらあったで、なければないで憂いてばかりの姿は、あったらあったで、なければないで満足の世界から教えられる。