遊煩悩林

住職のつぶやき

傍観者の育成

2018年02月26日 | ブログ

注意するのが面倒で見て見ぬふりをした

今朝の朝刊(中日新聞2018.2.26『中日春秋』)で見かけたことば。

誰のことばだろう。

まぎれもない私が私の中にため込んでいることばに違いない。

だけど私はこのことばを発することさえ怖い。

『春秋』のことばは、いじめで不登校になっている生徒の担任のことばだという。

「面倒」の中身が気になる。誰でも面倒は嫌だ。

記事を読んでふたつの言葉が浮かんだ。

大事なことはだいたい面倒くさい

たしか宮崎駿のことば。

もうひとつは今月8日に開催された「真宗大谷派・九条の会」全国集会の開催趣旨文にあった

差別の当事者でないものは善人に収まり眉をひそめながらも傍観者という加害者になっていないか

ということば。

見て見ぬふりの傍観者は加害者だと断罪される。

大事なことだとはわかっていても面倒。

もっとも優先すべき事柄が面倒なほど「いっぱいいっぱい」。

子を持つ親として、いじめられてほしくない、いじめてほしくもない、こんな先生はダメだ、と。

当事者にならなけりゃいい。そんな私のなかに

注意するのが面倒で見て見ぬふりをした

ということばがいつも潜んでいる。

傍観者を育成しているのは、「それではダメだ」と他者を批判ばかりする私にある。

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ご利益

2018年02月01日 | ブログ

真宗教団連合が行なった「浄土真宗に関する実態把握調査」

http://www.shin.gr.jp/activity/event/800/pdf/report2018.pdf

Q7の「宗教に求めること」について、調査がどんな方式で行われたのかわかりませんが、予め設定した項目から選択させたとすれば面白い。

先祖の供養 54.4%

心のやすらぎや癒し 43.3%

人生の充実 14.0%

正しい善悪の判断基準 10.8%

商売繁盛 祈願成就 病気平癒 10.7%

救い 9.8%

真理や真実 8.0%

世界平和 6.7%

超能力の獲得 0.9%

その他 0.8%

求めるものはない 21.2%

いちいち面倒でも掘り下げてみると何かが見えてきそうだ。

先祖の供養をしたらどうなるのか?

どうなれば心がやすらぎ、癒されるのだろう。

何をしたら人生が充実するのか。

善悪に正しい基準があるのか。

商売がうまくいって、願いが叶い、病気が治ったら何がしたいか?

どうなったら救われるのか。

どんな真理や真実なら納得いくのか。

世界平和は誰が実現するのか。

超能力を得てどうするのか。

その他ってなんだろう。

「求めることはない」けどお布施は包めるか。

など、ツッコミ方もいろいろですが掘り下げていったときに見えてくる自分は何者だろうか。

 

さて、恵方巻の季節。すっかり定着した感がある節分の恵方巻。

鬼を払い、福を求め、幸運を呼びこむのに必死な私。

今朝みかけたSNSに

人間は与えられたものによって満足するというのは不可能だ。そこには本当の救いを知らん無知がある。無明に立っておるんです。満たされれば、無いものが与えられれば満足するということは、無知に立っている。道理に立っとらん。Yasuda Rizin

という投稿があった。

鬼神さまに豆をまき散らかし、マグロやヒレを金箔で巻いた寿司を食べ散らかすからこそ無明が見えてくるのかもしれない。

2月の掲示板には

ご利益は 求めるものでなく 与えられている

と、自戒を込めて書いてみた。

 

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