遊煩悩林

住職のつぶやき

謝罪の向こう側

2018年05月21日 | ブログ

孫引きで恐縮ですが、

「許しを請うことによってそこから解放されようとしている。それはわかるわけです。

しかし、許しを請う世界からは魂の自立はないという思いが僕にある」

(灰谷健次郎『子どもへの恋文』)

『聞法の生活』藤井慈等(東本願寺出版)

http://books.higashihonganji.jp/defaultShop/disp/CSfLastGoodsPage_001.jsp?GOODS_NO=20763&dispNo=001007002

著者の藤井さんは

「(略)わたしがわるい」という言葉で自分の行為を反省しています。・・・反省という形で自分を許している・・・」と。

3月、小学校を卒業した息子が同級生全員とお寺で卒業記念合宿をしたとき、お朝事(朝の勤行)で、子どもたちへの餞けとして送ったことばが、今どきの謝罪会見とそれに関する報道を見て思い浮かんできました。

報道を見てて謝罪とは要求するものであったか、という疑問もありますが、ここで灰谷さんや藤井さんが言いたいのは、許しを請うことのさらに向こう、反省の向こう側にある世界でしょう。

「人間を超えた人間の彼方から、人間におくられてくる心」

人間の魂の回復、真の誇りの回復は「慚愧のこころ」だと教えてくれています。

そして「慚愧する自分を許そうとする思いすら突破」したという親鸞の和讃を紹介されています。

無慚無愧のこの身にて

まことのこころはなけれども

弥陀の回向の御名なれば

功徳は十方にみちたまう

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真の文明

2018年05月18日 | ブログ

真の文明ハ 山を荒らさず 川を荒らさず 村を破らず 人を殺さゞるべし

田中正造 1912年6月

世紀を超えて今なお、いやよりいっそうかがやきを放つことばです。

先週「近代の解放運動の原点 田中正造の生涯を訪ねて」と題して、栃木・群馬の両県を訪問し、田中正造大学に入学させていただきました。

田中正造大学 https://syozo-uni.net

正造の生家から墓地まで、その生涯を訪ねて歩いた2泊3日でしたが、3日間ではとてもとても卒業しきれない大きな課題を、田中正造大学事務局の坂原辰男さんのお話とフィールドワークからいただきました。

田中正造大学のホームページや年表、また正造に関する本を読めば多くのことがわかります。

「鉱毒事件は終わっていない」というのも頭ではわかりますが、今回現場に立たせていただいて、「銅の生産」以外は何も片づいていないことを実感しました。

足尾銅山から100キロ以上も離れた栃木・茨城・群馬・埼玉の県境にまたがる渡良瀬遊水地は、それより下流域に被害が及ばないように足尾の鉱毒を沈殿させるためにつくられたといいます。

調整池は谷中湖と呼ばれていますが、ここは田中正造が住み込んだ鉱毒反対運動の拠点になる谷中村があった場所です。村に遊水池の計画が持ち込まれたのは、廃村によって運動の弱体化を目論んでのこと。

現在の遊水地内の谷中村役場跡の周辺には、今でも古い墓石がいくつか並んでいます。

また、鉱毒を運んだ渡良瀬川の上流域を訪ねました。

まさに銅山があった足尾地区。事前にグーグルマップのストリートビューで見ると、どうやら足尾砂防堰堤が行き止まり。

調べるとその先にはゲートが設けられて、国交省に鍵を借りなければ一般には通行できないと。

きっとここまでだと思っていたところ、現場のゲートを開けてくださる方がおいでになりました。

「足尾に緑を育てる会」https://syozo-uni.net/?page_id=407 の皆さまが、植樹を理由に手続きいただいたのでした。

軍手やスコップ、苗や肥料、ペットボトルに水までワンセットにしていただいたバケツを持って、至れり尽くせりの植樹をし、地図上では「松木渓谷」と記された場所を視察。

現在は「松木堆積場」とも呼ばれていますが、かつては松木村という人里です。

鉱毒ガスの煙害などから廃村を余儀なくされ、廃村後は鉱石クズの投棄場として使われましたが、村跡には墓跡もいくつか見受けられます。

このような堆積場は松木を含めて近辺に13ヵ所あり、2011年の東日本大震災では源五郎沢堆積場が崩れて土砂が流出したといいます。

鉱毒を含む土砂や廃石などの堆積量は1118万㎥とも。堆積場に降った雨や、廃坑から出る水にも鉱毒が含まれていて、浄水場で取り除いて渡良瀬川に流す処理が今でも行われていると。

今回訪ねた中才浄水場の浄化施設にも赤く濁った水が見られましたが、グーグルマップで簀子橋堆積場を見ると一目瞭然。

足尾鉱毒事件はまだまだ全然終わりが見えない、継続中の事件なのでした。

谷中村・松木村などの村々とそこに暮らした方々に思いをいたし、戦後の電源開発を謳い文句にダムに沈んだ実家の寺とバラバラになった村のご門徒、そして村を追われた祖母や父とその兄妹のことを個人的に思い起こしてセンチメンタルに浸ったのでした。

ただ「真の文明ハ 山を荒らさず 川を荒らさず 村を破らず 人を殺さゞるべし」とつづった正造のことばにふれて、100年後を生きるこの私こそが山河を荒らし、村を破り、人を死に追い込んでいることに加担している当事者であるぞと感傷に耽っている場合でないことを教えられたのでした。

落第を繰り返す私でございます。田中正造大学の卒業はなかなかかないそうにありませんが、学生の精神だけは忘れずに学んでいこうと思います。

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GW

2018年05月02日 | ブログ

GW・・・とは。

「今年のGWは・・・」といえば何となく。

ゴールデンウィーク。略してGW。

ゴールデンを何と訳すかによるところですが。

かの業界では19:00-22:00をGTと。

4月に、はれて中学に進学した長男には、小学生の頃から「GT」という時間がある。

ゴールデンタイム。

寺での留守番の時間を彼はこうよんでいる。

彼にとっては、私も妻も、そして妹たちのいない「ゴールデンなひととき」をGTというのだ。

至福のひととき、解放された時間とでもいうのか。そこには一人の寂しさとか孤独といった気配は微塵も感じない。

寺の留守番を預かるという至福。それは静かに心を落ち着けて内観に浸る・・そんなイメージか。

いやいや。

誰にも邪魔されずに、誰の視線も気にすることもないオノレの時間。

オノレの時間とはいうが、決してオノレの時間ではない。

煩悩に操られる時間だ。辛抱の裏側なのだろう。

やりたくないことをやらされているという日常の思い込みの裏側。

そこに「ゴールデン」な感覚がある。

でも、そのゴールデンタイムにやっていることは、親から見れば決してゴールデンなことのようには思えない。

本人もきっと、それが人生上、本当にやらなければならないことでもなければ、本当にやりたいことでないこともわかっているのだろう。

ただやりたくないことの裏側に過ぎない。ただそれも必要な時間。

当の親もGWだといって酒を飲んでるだけ。それも必要な時間。

しかし本当にゴールデンな事柄に出遇うことが叶った時がGTであり、GWなのだろう。

ゴールデンかどうかは結果だろう。目的にすると苦になるだけだ。

ゴールデンウィークをゴールデンに過ごさなくてはならないという脅迫感。

幸せになりたいという欠乏症。

そこには「何のために生きるのか」という根源的な問いが潜んでいる。

それは世間にプレゼンテーションされているGWの対極にある問いであるような気がした。

この問いを携えて日常を離れることができればそれをGTまたGWなのかもしれない。

米澤英雄は『何のために人間に生まれたか』の中にこんな言葉を遺しているそうだ。

助からんやつだと目覚めるということが助かった証拠なんです

助かり方を間違えている、もはや助かろうとも思ってもいない私に「目覚め」は程遠いが、なるほど寝ても醒めても眠っていることを教えられる。

醒めても覚めても夢の中を彷徨うばかりの私にゴールデンワード(GW:金言)を、5月の掲示板に記した次第です。

 

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