遊煩悩林

住職のつぶやき

支度

2019年01月22日 | ブログ

今週末の報恩講に向けて準備。

事前にできる準備と、直前でないとできない準備があります。

仏具のおみがきは早々に世話人さんがやってくれました。

幕を張ったり、吹き流しを立てたりは当日の作業。

あと、食べることとお花を立てることはタイミングが重要。

ここだけの話、平常から造花を挿しているので、あまりお花を立てるタイミングは気にしていませんでしたが、昨年から坊守が「生花」を活けることに使命を見出しております。

報恩講。

お勤めや近隣寺院のご参勤、ご絵伝や御伝鈔など、平常とは違う見どころのある行事ですが、坊守の頑張りをチラッとご覧になっていただくような動機でも構いません。

寒中ですが、チラリと報恩講に触れていただければ有り難いことです。

親鸞さまの報恩講のご案内です。

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暗中模索

2019年01月05日 | ブログ

闇があるから光がある

小林多喜二

パソコンのメモに「中日春秋 2018.9.8」とあります。

メモの中から正月に相応しいものを選んだつもりで、お寺の掲示板に書してみました。

あくまでも個人的な感覚ですが。

「光があるから闇がある」のではなくて、「闇があるから光がある」のだと。

明るいところに居りながら光を探してるおめでたい自分が、その「光」から照らし出されてきています。

またその「光」によって、ようやく偽物の明かりの中に佇んでいる「私」が映し出されて、明るいと思っていたところが、実は暗い世界であったことを知らされる。

新春早々、なんとなく暗い話ですが、もっと闇を見つめなければならないのではないか。

目を背け、逸らし、誤魔化しながら過ぎてきた。

そもそもが闇を見る眼など持ってないのだ。

「超日月光」が照らす闇を追いかける一年、と記してスタートしたいと思います。

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流転

2019年01月01日 | ブログ

あけましての「おめでとう」とはいったい何がめでたいのかと思った時期があった。

されど、その思いより先に「おめでとう」ということばがあったのだ。

そうとも気づかずにいるうちに「おめでとう」と言われて生まれてきたのだった。

お念仏もそうだ。

意味がわからんと思うよりさきに如来の方から喚びかけられていたのでした。

なむあみだぶつ。

おめでとうございます。

除夜の鐘の音を聞きながら・・・ 

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