遊煩悩林

住職のつぶやき

此岸の激流

2012年03月30日 | ブログ

3月。彼の岸を眺むるどころか此岸の砂をさらって数えているような日々でした。何とかわれに帰ろうと振り返っています。
東日本大震災の1周忌の直後から、人権団体や各種運動体の方々から面会要請や支援、協力を求める依頼がつづきました。
数日前のブログに「何を根拠に『脱原発』に賛成するのか」という問いをいただいてはっきりしてきたこと。それは人権主義者ではなく、運動家や活動家でもないということ。ひとりの浄土真宗の門徒を名のる者だということです。
人権を守ることを目的にしているのではなくて、念仏という大乗仏教の救いを自らの上に表現したい、自らにそれがどう展開されているかということを確かめたいのであって、それがあるいは原発によって奪われる「人権」という問題にも密接に絡んでくるのでしょう。

彼岸会の法話では、荒山信先生から「みすてず えらばず きらわず」というテーマをいただきました。
福島に行って見聞きしたこと、そして「仏教に学ぶ講座(第2回/3月18日)」で講師の森英雄先生からいただいた「仏さまに見られた私は何者か」という視点で、この彼の岸のテーマから眺むれば、「みすて えらび きらう」ことしかしない私の姿が浮き彫りになってきます。
原発事故をとおして知らされてきたことは、原発は爆発しなくても被爆者を生み出すということ。被曝労働者を生み出す構造。つまり誰かを被曝させることでなりたっている。
知らず知らずにいのちを取捨選択して、被曝してもいい人を選び出していながら、はたして被曝していい人なんているのかと問うているのです。根本的なところで「みすて えらび きらう」。
3人の死刑が執行された。やはり「みすて えらび きらう」。
しかしその「みすて えらび きらう」救いようのない者を「みすてず えらばず きらわず」という如来の本願が救うという。
さらに、大乗仏教の精神は「いつでも どこでも だれにでも」が原則です。仏陀の救済の論理は限定解除です。「いつでも どこでも だれでも みすてず えらばず きらわず」はたらいている。
「いま ここで わたし」が助かっていくのと同時に「わたし」以外のすべての「わたし」と「ともに」ということがなくては大乗仏教の救済にならない。
大乗の救済は、私が助かるだけでは成就しない。助からない、救われないという自他を放置しては、大乗仏教の救いということが完結できない。私だけでは助からないのです。私もあなたもあの人も、ともに助かるという世界。
この救いようのない自分が助かっていくということは、私もあなたもともにということでなければならないにもかかわらず、常に自分と自己関心の域でのみ助かろうと考える自分。
どうして私がこんな辛い思いを・・・と救いを求めますが、それが「私だけがこんな目に遭って」という被害者意識に留まるならば、それは他者の悲しみや痛みを見ようともせず、それどころか自己にないものを外に探し、比べて羨み、逆に「あの人よりマシ」と蔑んでいく構造でしょう。

私だけが助かるのではなく、私「も」助かる。私もあなたもあの人も。あの人は助からないけど、私は助かるということはない。あの人が助からない限り私も助からない。
だから私が助かるということと、あの人が助かるということは同質なんでしょう。
ただ、私もあなたもともに助かるのは、決して私が助けるのでもあなたが助けるのでもない。すでにそれを用意されているはたらきによるのです。自然のはたらき。人間を超えたところの如来。その誓い。本願。
何とかして自分だけ助かろうとする私の本性を見据えて、それでも「いつでも どこでも だれでも みすてず えらばず きらわず」彼岸の岸に渡す船に乗せるというのが、仏さまの誓いならば、結局いつもそれに背くことしかしない自分が見えてきます。 

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行ったど!原発

2012年03月28日 | ブログ

Img_030514日朝、常磐道を南下して福島に別れを告げ、茨城県へ。
東海村にある原子力発電所に立ち寄りました。http://www.japc.co.jp
原発内にはもちろん入れませんが、隣接する「テラパーク」http://www.japc.co.jp/gendenkan/へ。
ゲートの警備体制をみれば、決して入館者を迎えるウエルカム的な雰囲気はなく、入館すら尻込みしてしまいそうな雰囲気が漂います。
Img_0306写真撮影は駄目だと注意されて施設内へ、エントランスには発電用のタービンがモニュメントとして展示されてます。複雑な思いでそれを眺めましたが、正直に言えば造形的な美しさも感じました。
しかし撮影禁止とはどういうことかと尋ねると「げんでん」の女性スタッフは「原発の構造や制御室の様子などセキュリティに関わるものはNGなんです」と。そういわれると、ついそりゃそうかと思ってしまいますが、実際には、この場所に原発があることを知らない人への喧伝につながることの警戒といったところでしょうか。
もともと撮影厳禁という「展望台」への階段は完全に立ち入り禁止。そこからはいったい何が見えるのだろうかと考えてしまいます。
Img_0322展望台でありながら、そこから展望されたくないものとは何なのか。少なくとも秘密があるということです。そこに日本の原子力政策の展望がみえるのかもしれません。
秘密だから隠すのか、隠すから秘密なのかはわかりませんが、隠されると疑いたくなる、秘密は知りたくなるのは私だけではないでしょう。
ところで、この原発が東京電力と東北電力に売電していた実績を知らない地元の住民がいるとかいないとか。廃炉の実験施設と認識されている方、営業運転されていることを知らない方もいるとすれば、ここにも「寝た子を起こすな」的論理がはたらいているのかと思い至ります。
3.11の地震によってこの東海村の原発も停電し、非常用発電機が作動したものの30分後に到達した津波によって発電機が浸水し、福島と同じ事態に陥る寸前だったそうです。それが後々になって発表されて、はじめて原発稼働の実態を知ったという方もいるのでしょう。しかし、この東海原発の危機的状況は、首都近郊ではどれだけ報道されたのでしょうか。天皇陛下の関西避難計画は、むしろこちらの動向次第だったのではないかとまで考えてしまいます。http://www.asahi.com
テラパークの「原子力シアター」では「茨城県が消費する電力の実に60%に相当する電力がここでつくられています」といった表現がありました。「ちゃんと言ってんじゃん」と思わず評価してしまいましたがその言い回しは、原発なしでは電気は足りませんよという意識づけだったわけです。今となっては・・・です。
「原子力発電のしくみと安全性」という解説映像では「原発は二重、三重の安全対策が施されているんだね!」という登場人物の子どもの台詞が虚しく響きわたります。このシアターの映像は震災前も震災後も変わってないそうです。
震災後、来館者は減ったそうです・・・。
帰り際、放射能のマークが書かれた黄色いドラム缶数十本を積んだトラックが施設内に入っていく光景を目にして、空っぽのドラム缶だろうか、瓦礫かなんかをどこからか持ってきたのだろうかなんて勝手な想像を膨らませながら、何でもかんでも疑ってかかってしまう性分を自覚しつつ東海村を後にしました。

20120314_113819 さて、今回の福島行きに名のりを上げてご一緒してくれた法蔵寺の鈴木さんと縁の深いお寺が、すぐ近くの常陸太田市にあるとのことでお参りさせていただきました。
ちょうどお昼どきということで、ついつい調子に乗ってお昼ご飯までご馳走になり、住職夫妻とお母さまにはいろいろお話も聞かせてもらい、お土産のまでいただいちゃいました。駒柵さんお世話になりました。
って、すっかりゴチになりオミヤまでいただいてきたのですが、茨城県のこの歸願寺さまもまた被災寺院なのです。20120314_134002「被災地は東北」という勝手なイメージで、その東北からの帰り道にちょっと寄り道感覚でお邪魔してしまったのですが、倒れた石塔、壊れた塀など、震災から1年たった今でも修復がすんだわけではありません。そしてこの町にも放射能が降った。いわゆるホットスポットなどの対応にも追われた。ここも被災地なのでした。
歸願寺のご住職らは、震災以前から、原発に対して非常に高い関心を寄せておられ、その危険性についても熟知されておられます。
3.11の震災後は停電がつづいたそうです。停電で真っ暗な中、原発の直近に暮らす人々にとってやはり情報がない、とくにその危険性を知っているからこそ、正確な情報がないことの不安と混乱はいかばかりだったかと想像します。

今回の被災地をたずねる旅は、まさに驚くことばかりでした。
被災したのは東北の人たちだけではないということ、被害は津波だけではないということを忘れかけていた自分に気づかされました。
日ごろテレビは正しいことを言わない!なんて豪語しながら、私の「被災地東北」「被害は津波」というイメージはやはりテレビの報道でつくられていたのでした。東海村の原発の危機的な状況などは、ここに来てはじめて知ったような次第です。
福島・茨城だけでなく、原発や使用済みの燃料のある施設周辺の人々をはじめとした私たちは、たとえそれが目を背けたい事実だとしても、正しいことが知りたい。確かな情報を素早く通信できるというということが、携帯電話やインターネットを初めとした電化製品の便利さだったはずです。にもかかわらず、肝心の正しい情報、ほんとうのことが出てこないのであれば、それらはいったい何の道具なのかと考えさせられます。
ただ一方的に批判したいのではありません。知るものも、知らせるものも、知らないものも、知らんぷりをするものも全部「私」なのでした。

20120314_150911 さて、帰りの首都圏は湾岸線を選択。ディズニーランドを見ては「おー」、スカイツリーを眺めては「おー!」と、そしてナビに導かれるままなぜか羽田の滑走路と平行して走って「お?」っと、そんなこんなで14日の深夜には、桑名へ、伊勢へ、志摩へ、無事に帰ってこれました。
ご支援いただいた皆さま。この旅で出遇った皆さまほんとうにありがとうございました。
今後どういったカタチで継続的に支援活動に関わっていったらいいのか問わされています。
源慶寺の梛野住職には何から何までお世話になりました。背中を押していただかなかったら踏み出すことができない一歩だったと思います。ありがとうございました。

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行ったど!ハワイアンズ

2012年03月27日 | ブログ

さて、13日の早朝からすっかり長居してしまった空気の読めない善意の押し売り隊は、現地の視察用に無理をいって「チーム二本松」のガイガーカウンターを貸してもらって眞行寺をあとにしました。

しかし、現地視察の前に風呂と仮眠を求めて・・・磐越道を南下、事前にチェック済みの、フラガールの「ハワイアンズ http://www.hawaiians.co.jp/」へ。
予約もせずにエントランスに乗り付けたのですが、「ご予約は?」と聞かれ・・・。再開後は「復興」キャンペーンで大盛況。
桑名から同乗してくれた教区駐在は、翌日の業務に支障がないように日帰り、後の3人は「せっかく」なので宿泊希望。
20120313_135315 ワンボックスには「勿忘の鐘」のポスターと「支援物資運搬中」の貼り紙、そして我々おっさんの、汚れ、やつれきった表情を総合的にご判断いただいて、何とかお部屋をご用意いただきました。
再開したとはいえ、改修して使えるようになった施設は限られていたのでした。
さて、風呂に浸かり食事を済ませたものの、誰も眠をとる気配もなく、それどころか不眠のハイテンションもあって再び出動。
何処へというわけでもありませんでしたが、車は海岸線へ。多くの人を飲み込んだ「津波」の現場に立ちたいという本能でしょうか。
震災報道でよく耳にした「浜どおり」を海岸線に沿っていわき市から北上。道中、モクモクと白煙をあげる3本の煙突を目指して走りました。
20120313_142347 3本の煙突の正体は、東京電力広野火力発電所。その存在を知って驚きました。福島第1原発と第2原発とほぼ等間隔にこの火力発電所。聞けば福島だけでも海岸線に沿って新地・原町・勿来などの火力発電所が立地されています。
そしてこの広野の発電所を境にして隣の楢葉町は福島第1原発から20km圏内の警戒区域で立ち入り禁止。
20120313_143314 警察車両などいかにも物々しい雰囲気の中、隣接するJヴィレッジに出入りするバス車両には防護服を着た作業員の姿がありました。
付近には新装開店 のラーメン店があり、営業中の喫茶店や民宿、また津波被害からいち早く復旧したと見られる新築の住居がいくつか見られ、そこには当然のように生活される方のお姿があり、私たち外野の感覚からすれば、果たして「ここには今後も人が住んでいくことができる町なのか」と、何とも言い難い複雑な心境がしました。そこに居住されている方々からすれば迷惑なことではありますが・・・。
20120313_143144 国道6号筋は一見、復旧がすすんだようにみえますが、道を一本入ると地震と津波の痕跡がありありと見受けられます。それをみて国道筋のみせる表情は「ここは人が住める町なんですよ」という意図を含んだアピールを感じました。
至る所で車を止めたり、降りてカメラを向けたり、放射線量を測ったりしているとすぐ県内外のパトカーが近づいてきます。「テロ対策」の看板もありましたが、それだけではない「無言の圧力」を感じつつ、常磐道からハワイアンズに戻ってきたところで、三重教区駐在20120313_150000 はタイムオーバー、湯本駅から帰路に着いたのでした。箕浦さんおつかれさまでした。

ハワイアンズは、その名のとおり男性はアロハ、女性はムームーで過ごすのですが、そんな日常を離れたテーマパークに、線量計を持ってマスクをして 戻ってきたおじさん3人に対して「どちらまで?」とさりげなく声をかけてくれたコンシュルジュのことばで、慌ててマスクをはずしました。
20120313_135806 首都圏でどういうコマーシャルが流れているのかはわかりませんが、都会から日帰りバスがひっきりなしにやって来るところから、「きずなリゾート」の名が示すように「きずな」というイメージ、そして福島の復興のシンボルとして扱われていることは想像できます。被災したフラガールたちの悲しみや、震災後の彼女たちの苦労が大きく報道されたこともこの集客につながっているのでしょう。
20120313_145056 華やかなショーの裏側にある彼女たちの苦労が売り物になっていることはとにかく、ただ、ここは日常の喧騒を忘れて過ごすための施設ですから当然といえば当然なのですが、たとえば毎日放射能のことを考えずには生活できない人にとって、ここがそのことを忘れることができる場であるのかということを考えさせられました。確かにひと時でもその日常から離れることはできるのかもしれませんが、それはやっぱりごまかしではないかと思ってしまうのです。
20120313_153134 車中でラジオを聞いていて驚きました。各市町村の放射線量と風向きの情報が流れてくるのです。それが日常になっている場所に生活する人々にとってのハワイアンズと、他県から「きずな」とか「復興支援」とかのキャッチフレーズでやってくる私たちはどう映るのだろうかと思うのです。
たまたま私は宗派の復興支援センターが呼びかけてくれた「勿忘の鐘」が縁となって福島に来た。そこで放射能の中で生活している人たちの悲しみと苦しみを見聞きした。でもハワイアンズにはそれが微塵もない。ましてやそれらの人々の悲しみや苦しみをすべて骨抜きにしていくような感覚、「わすれなのかね」をついて忘れないぞと思ったことをすべて忘れてしまうような感覚でした。
Img_0233 それでもそこで食するものはどこの野菜か、どこの魚か、どこのお肉なのかとやはり考えてしまいます。売店には地酒や地元の魚の干物も置いてあります。
経済的な支援として、ハワイアンズに出かけていって遊んで、食べて、飲んで、お土産を買って帰るということを否定するつもりは毛頭ありません。ただ地元のフラガールをはじめ施設の従業員らの抱えている苦悩はそれだけではみえない。
Img_0290 その苦悩を抱えたまま再開を急いだ施設が、皮肉にも福島の「大丈夫ですよキャンペーン」「安全ですよキャンペーン」の旗印のようになっているような気がするのです。
しかしあの広大な館内中がアロハ一枚で過ごせるのは、どんなエネルギーによるのかと考えてしまいました。古くは炭鉱の町として、閉山後、その採掘に邪魔だった温泉水が当時のハワイアンセンター館内を暖めていたというのも驚きです。
20120313_224229この地の温泉はユーラシアプレートと太平洋プレートの摩擦が熱源だともいいます。石炭・地熱などのエネルギー源であったこの地に、やはりその供給源としての役割が火力そして原子力とカタチをかえてこの地方に求められてきた?押しつけられてきた?のかと、ふと思いました。

悲観的なことばっかり言ってますが、しっかりショーは楽しみました。私を含め熱狂的な観客の姿を見るとやっぱり骨抜きにされます・・・。
ただ気になったのは、予約のない宿泊客ということもあってか私たちの部屋に用意されていたのは女性用のムームーが3枚だったことです。

眞行寺では、放射能のことを考えなければ生きていけない生活者の苦悩があり、ハワイアンズでは逆に放射能放射能ってそんなに騒ぐ必要はないという空気がありました。確かに一日そこら遊びにきて館内で過ごすだけならばいいのかもしれません。私たちも少なからずその感覚で行ったのではないかと問われつつ、そんな福島の明と暗、表と裏をみて、そこに暮らす、生活するという人の存在は忘れてはならないことを確かめつつ、翌朝福島をあとにしました。(つづく)

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行ったど!福島

2012年03月26日 | ブログ

激流に流されて、彼の岸も此の岸も確かめることのないままお彼岸が過ぎていきました。さて遅くなりましたが、福島行きの報告です。
3月11日の「勿忘の鐘」で呼びかけて集まった約5000本のペットボトルを載せて12日の夕方6時に志摩市の源慶寺を出発したトラックとワンボックスに、常照寺に寄せられた支援と現地への差し入れ(と私)を便乗させてもらって伊勢を出発。
トラックのボランティアのドライバーさんと海老名のパーキングエリアで待ち合わせの約束をして、ワンボックスは桑名別院で二人のたのもしいスタッフ(四日市法蔵寺の鈴木さんと教区の駐在さん)を乗せて、向かうは福島県二本松市の眞行寺。
伊勢湾岸道から東名、そして首都高へ。なるほどドライバーさんが首都高を昼日中に抜けたくないという言葉を実感しつつ、ぐるぐる巡るループ状のジャンクションhttp://tokyo-smooth.jp/を経て東北道へ。
ひたすら北上を続けると、覚悟はしていましたが道路には白いモノが・・・。
安達太良のサービスエリアでふたたびトラックと合流して、いざ二本松。
目的地の眞行寺は幼稚園を運営されていることもあって、園児が通園してくる時間までに作業を終えようということで朝6時の待ち合わせ。
20120313_062306_2 不眠で走り続けた私たち4人であの800箱の水を卸すとどのくらいかかるのだろう?14tのあのトラックはいったい境内に入れるのか?と不安を抱えつつ、夜が空けた午前6時ほぼちょうどに眞行寺さまに無事到着。
12時間、ひとりで走り続けたドライバーさんは我々の不安をよそに、参道を切り返すこともなく山門の脇まで一発バックオーライ。
そして雪が積もる境内には、早朝から眞行寺の仏教青年会の皆さんが待ち構えてくれていたのでした。
20120313_063338_2トラックから降ろした積荷は、軽トラ、軽バン、リヤカーとフォークリフトで境内奥のガレージまで運搬。一糸乱れぬ?作業は1時間弱で終了。
朝7時、ご住職の両堂参拝にお参りをさせていただいた後、なんとドライバーさんは「帰ってから仕事があるのでお先に!」といって、唖然とする我々を尻目に帰路に着かれました。

20120313_070451さて今回の支援は、宗派と現地復興支援センターの呼びかけに応じた「飲料水の提供」http://higashihonganji.or.jp/info/と同時に、眞行寺の佐々木道範副住職が立ち上げたNPO「チーム二本松(市民放射能測定室)http://team-nihonmatsu.」の活動支援が目的。
「チーム二本松」は子どもを外で思いっきり遊ばしたい、子どもを笑かせたいという純粋性からスタートしました。
20120313_071031_2 この願いに賛同して、直接お会いして支援したいと事前にわがままを言っておりましたら、娘さんの卒業式に出席する予定でおられた佐々木さん夫妻が、早朝から押し掛けた私たちに、ごていねいにご対応くださり、いろいろ聞かせてくださいました。
震災後の状況、5人の子の親としての 目線、僧侶としての目線など様々な視点で、活動の中で起こってきたこと、見えてきたこと、感じること。
震災後の福島や二本松で実際にあったこと、いま起こっていることは耳を疑いたくなるようなことばかりです。
20120313_084237 知事をはじめ県政を担う方々の県外居住疑惑。福島県民の県外流出防止策。福島の言論・思想を封じ込める無言の圧力。眞行寺にかかる深夜の嫌がらせ電話などなど。
原発事故後に多くの学者が言って歩いた「大丈夫ですよ」「安心してください」という言葉。「大丈夫」と信じたい人たちの中で、実際にお子さんの尿から放射性物質が検出されているという「大丈夫ではない事実」を伝える佐々木さんたちのご苦労は想像を絶します。
事実から目を背けてでも安心したいという欲求。事実を伝えるということは悲しく、苦しい。
いわゆる御用学者の言葉を信じて町に残った方々から、実際に放射能を測定して事実を伝える佐々木さんに、泣きながら「お願いだから、大丈夫と言って!」と懇願される場もあったそうです。
活動の中で見えてきたのは、事実は隠されるということ。
国や県は「人」以外のものを守ろうとして、人と人を分断しようとするということ。
そんな事実の中で「自分たちで考えること。自分たちで勉強し、自分たちで測定し、自分たちで守る」という「チーム二本松」が生まれたのですが、やればやるほど、言えば言うほど圧力は厳しい。眞行寺にも(想定どおり?)深夜に嫌がらせの電話がつづいたことについて「最近かかってこないことをどう受けとめるべきか考えています」と言っておられましたが、国や民を操作しようとする側に都合が悪ければ嫌がらせがあるし、逆に「利用」できるとなればしない。ならば、放射性物質を含んだ廃棄物の処理という施策ひとつをとっても、ある一定の方向を向かせていく世論を形成していこうとする意図が見え隠れしてきます。
「除染」の有効性についての考え方も語ってくれました。眞行寺の幼稚園は屋根を剥ぎ、壁を削り、土を入れ替えて線量が下がった。でも「除染」は「移染」に過ぎないと。剥いだ屋根は、削った壁は、入れ替えた土は・・・という問題。佐々木さんは表面の土を深くに埋めた。
佐々木さんが原発の事故後、外で遊べなくなった子どもたちに問われ、教えられたのは、自分たちはただの被害者じゃないということ。原発は危ないといわれてきたにもかかわらず無視してきたというところで、子どもたちに対しては少なからず加害の責任を持っている。そんな自責の念も含めていいます。みんながそれをどこか自分たちから遠いところに持って行きたがる。だけど持って行っていい場所なんかどこにもない。それは原発を立地する構造と同じことだ、と。常にそれは社会的に「弱い」ところに向かうだけです。原発は都会から遠いところに建った。原発が爆発して出た放射能はどこへやるのか。次から次へと弱者を生み出し、つくりあげる構造に言及し、放射能のゴミの持って行き場を探すということは、自分より弱い人を探すということに他ならない、ならば原発を建てたことと同じことをやることになる。
だから、佐々木さんたちは汚染された土を放射能が出てこないように地内に埋めた。
そして「全部どこかへ持って行こうとするから話が進まない。少しずつみんなが被るしか今はないんじゃないかと思う」と語られました。
苦しみのもとをまとめてどこかに持って行く、特定の誰かに押しつけるのではなく、みんなが少しずつ背負う、共有し合うことのご提起。
問われたのは、それを少しずつ背負う「みんな」とは誰なのか。原発の危険性を知らんぷりしてきた責任は、知らんぷりした者がみんなで少しずつ共有するべきだということ。ここでいう「みんな」は、日本中に原発を建ててきたみんな、つまり「私」です。
それは現実的に放射性物質を含む廃棄物を拡散すればいいという志向ではなく、悲しみや苦しみの責任を転嫁するのでもなく、悲しみや苦しみを誰かに押しつけるのでもなく、悲しみや苦しみをともに背負っていくという心的な志向だと思います。ただ、悲しみの共有者らのその志向が、外部の論理に取り込まれていくことに警戒しなければならないと思います。外部の論理というのは、具体的には為政的な思考に組み込まれることです。そこに組み込まれていくならば、みんなが少しずつ背負っていたはずの苦しみや悲しみを増大させ、背負いきれないものにまで増幅させていくことになりかねない。

事実と活動を伝えて、佐々木さんは全国を講演されて歩いておられます。東本願寺の講演で佐々木さんは「親鸞聖人は、いま福島で悲しみ苦しんでいる自分たちのことを『われら』といって一緒に寄り添ってくれている」といっておられた。その親鸞聖人の七百五十回御遠忌を私たちが所属する三重教区と桑名別院は2年後につとめようとしています。
その御遠忌をお待ち受けする過程に、私はこの「われら」だと寄り添っておられる宗祖の目線を確かめることの必要性を感じます。
「是非、三重に来てください」とお伝えしました。たとえ御遠忌には叶わなかったとしても必ず、三重に伊勢に志摩にお招きしたいと思います。

20120313_072859 さて眞行寺では、「同朋青空市場」という無料市場を定期的に開いておられます。「青空」という名称ですが、本堂に隣接する会館に全国から送られてくるお米や野菜が並べられていました。原発の事故後、多くの食品から放射性物質が検出されましたが、すべての食品が測定できるわけではなく、とくに幼い子どもたちの口にする食品に不安を感じる方々が多いといいます。地元のスーパーではなく、インターネットを通じて県外産の食品を購入されている方も少なくないそうです。飲料水だけでなく、佐々木さんは、お米やお野菜などわずかでもいいから中長期的な目線で継続できる支援を呼びかけておられました。
常照寺のご門徒には多くはありませんが、農業を営むお知り合いの方がいらっしゃればこのような支援のあり方があることをご周知いただくと有り難いことです。(つづく)

同朋青空市場 http://blogs.yahoo.co.jp/michinorisasaki1108/

百人百話 佐々木道範さん http://www.ustream.tv/recorded
百人百話 佐々木るりさん http://www.ustream.tv/recorded

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彼の岸を眺む

2012年03月19日 | ブログ

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