遊煩悩林

住職のつぶやき

日常の念仏の非日常性

2009年07月27日 | ブログ

同朋新聞8月号。「今、葬儀を考える」と題された対談の中で、門脇健大谷大学哲学科教授の「合掌して念仏申すということがシンプルだけれど無限の広がりをもった儀式=非日常的行為です。」という指摘があって考えさせられました。
念仏は「日常」か「非日常」なのか。その背景には「日常とは違う時空間をつくるということは、非常に大切なこと」と、「非日常」ということが肯定的に示されてあります。
おないぶつ(仏壇)に向かう生活が習慣となっている人からすれば日常、そうでない人からすれば「非日常」ということだけで考えれば、お念仏のある生活が「非日常化してきた現代」において「非日常的行為」としての念仏がますます意味深いというふうにも読めます。
ただ、たとえば毎日欠かさずお内仏に向かって合掌し、お念仏申す生活を営んでいるとしても、その行為はやはり「非日常的行為」であるという視点なのだと了解されるのです。
有限的な日常生活の中で、唯一それを離れる瞬間が合掌し念仏を称えるときだとすれば、「無限」という性質を持った世界との接点を「非日常」といってもいいのでしょう。
そこには「有限」=「日常」、「無限」=「非日常」という裏付けがあるわけです。
私の反省は、先日の記事(坊主と僧侶)のところで、「ありふれた日常よりも、非日常的なモノを求めるような社会的体質がそこに表れた」と、非日常を求める性質を否定的に表現したことです。そこでは「蓮の花が満開です」という話題よりも「洪水で民家が流された」方に興味を惹かれる体質を否定したいわけですが、毎日の念仏がやはり「非日常的行為」であるとすれば、「非日常」を求める性質を否定するということは、お念仏を否定して「私」を肯定したいということになってしまうのでないかと思ったわけです。ややこしいですが「有限=日常」が=「私」、「無限?(無量)=非日常」=「念仏」とすればやはり「非日常」を否定するということは、他力の念仏を否定して、自力の有限的な「私」を立てていることになるな、と。
要するに「他力本願」を表していながらどこまでも「自力」にしがみついているじぶんを改めて確認させられたということ、で乱暴にまとめてみたいと思います。
そういえば祖母が生きていてくれたときは、階段の上り下りの一段ごとに「なんまんだぶ」、トイレやお風呂からも「なんまんだぶ」と聞こえてきていました。私にはそれがずーっと「?」だったのですが、あの日常のお念仏は、非日常の世界、つまりお浄土との接点を常に保つ姿であったのだと教えられてきました。
なるほど「非日常」から「日常」が照らされてくるということでしょうか。
門脇教授は同朋新聞にこう表現されます。

「今ここ」ということも、浄土から見ての「今ここ」なんですね。
浄土を離れて「今ここ」はないんです。

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知り、伝える訓練

2009年07月24日 | ブログ

「この2・3日住職どこ行っとったんや?」
住職の不在を知っておられたご門徒に尋ねられたので、21日は桑名の教務所で教区会。22日は京都のご本山で同関協の総会と内局との懇談。23日は朝からそれの専門委員会と昼からは通信員の協議会。夕方帰ってからは一闡提の集まり・・・は朝3時まで・・・。
「で、そんな顔なんやな」
二日酔い+寝不足が顔に書いてあったのでしょう。
この方に通じたのは、私の説明でなく表情(と匂い)だけだったようです。このご門徒の表情には「?」がいっぱいになってました。
「桑名の教務所」「教区会」「同関協」「内局」「専門委員会」「通信員」「一闡提」
そのすべての単語が「?」「?」「?」・・・なのも無理はありません。
もっと丁寧に説明すべきなのはわかっているつもりですが、思考が停止状態でまったく相手に伝えようという意欲も配慮もない応対になってしまいました。が、要するに「忙しかったんやな」ということと「ただ遊びに行っとたんやないんやな」ということだけはわかっていただけたようです。
数日前にお盆のお参りのご案内をご門徒の皆さまにお送りしました。
このご門徒は、その日程の変更を相談したかったのだそうです。それなら坊守に言ってくれれば・・・。
住職の留守中にお盆参りの日程変更のご連絡がジャンジャン。非常に難儀な調整です。
毎年頭を悩ますわけですが、その調整を坊守がしっかり捌いてくれていました。

さてそんなわけで「?」のひとつ、「通信員」の協議会に半日だけですが、出させていただきました。数週前に東本願寺の出版部さんから「空いてる日はいつですか?」と問い合わせてもらいました。北海道から九州までの全教区の通信員の日程を調整されたようです。そのご苦労だけでも「通信員」に対する期待の大きさというか熱意が伺えるのですが、果たしてその「使命」はどこにあるのだろうか・・・丁寧な説明をいただきましたが、なかなかはっきりしないじぶんです。お役目は念仏に生きる「人」を発見し、出遇い、伝え、育つことでしょう。せいぜい期待はずれにならぬよう張り切って挑んでいかねばなりません。
具体的には、主に「真宗」「同朋新聞」「同朋」という刊行物の担当ページ執筆になるわけですが、そのための「取材」という作業が不可欠なわけです。常に受け身的な生活をしている自分にとって、こちらから材を取りに出向くという仕事は難しいことです。が、それに挑んでいくことができるかどうか、そしてそれをやり遂げたときに「使命」がはっきりしていくのだと思います。
お役に立てるかどうかというと余所事のようですが、どこまでもじぶんのつとめとしてできることをやろうと思います。

いちばん身近なご門徒にさえ、じぶんがこの2・3日中どこで何をしてきたのかもロクに伝えられないような私が、専門用語に頼らずにお念仏の教えや教団の動きを表現するお仕事をいただいたわけですから、やはりその訓練の場をいただいたんだと、育てられていきたいと思います。
通信員・出版部の皆さんと今後の取材対象となる教区の皆さんにはよろしくお願いします。

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日常的被害者感覚

2009年07月21日 | ブログ

長女が1歳になって数日。二足歩行を開始して、自信満々の顔で歩き回る姿に喜んでいるわけですが、ただ喜んでいるだけでもおれません。その表情こそ人間が2本の足で立って歩くことが当たりまえでなく、有り難いことである感動を物語ってくれていますが、歩く先、歩く先には段差や柱などの「角」ばかり、ましてやその「道中」にある引き出しや戸棚をすべて開け、手の届くものは片っ端から手に取って口に入れて確かめないと気が済まない・・・誕生から1年かと、しみじみする間は彼女が寝ている時だけです。
先日、大事件が発生しました。
夕食後、妻は洗いもの、私は電話での応対中、客間で遊んでいる長男のところまでホテホテ歩いていった長女は、椅子を踏み台にしてテーブルの上によじ登り、テーブル上の灰皿の吸い殻をムシャムシャ・・・。
大騒ぎする長男の声を聞いて電話を切って駆けつけたところ、口のまわりを吸い殻だらけにしてバツの悪そうな長女が応接机の上に座っていました。
幸い飲み込んだような様子はありませんでしたが、口の中だけでも洗浄しようとそのまま風呂にいれました。
妻は妻で、飲み込んでしまったことを想定してインターネットで検索し「一本分で致死量」という情報にすっかり動揺して半ばヒステリックに夜間診療所に電話をしたそうです。すると「ここでは処置しかねるので救急病院に連絡して下さい」ということで救急病院に電話、すると担当者は「医師会へ問い合わせて下さい」と。医師会に問い合わせると「救急病院に連絡してください」と。再び救急病院の担当者にその経緯を説明してようやく当直医にたどりつき「2・3時間して嘔吐したり変調があれば胃を洗浄しますから連絡して下さい」という回答を得たのでした。
楽観的にのんびり風呂につかっていた私と切羽詰まった様子の彼女にははるかな隔たりがあり、しかも想定外の医療機関の対応に、彼女の心配と動揺はそれを通り越して怒りへと向かったのでありました。
彼女の危機迫る口調が影響したかどうかはわかりませんが、この地域の医療の体制がそこから浮き彫りにされてきました。彼女は自分たちの身辺の医療体制に絶大な信頼を寄せていたようです。あらゆる場合を想定して、こういう場合はこうしなさい、ああしなさいといった的確な回答がすぐに得られるものだと。それがたらい回しにされてその信頼がいっぺんに吹き飛び、医療不信に陥ったのでありました。
その後、いつもと変わらぬ長女の様子に妻も冷静さを取り戻しましたが、そんな不信感だけが残りました。妊婦や乳幼児の救急時の受け入れが拒否されるような報道がこぞって取り上げられる昨今ですが、今もむかしもおそらくこのようなケースは多々あるのでしょう。何かあった時の「責任」ということが、一命を取り留めた時の利益をはるかに上回る重さをもっている時代と社会ですから、仮に私なんかが電話で対応された方の立場になって考えれば、「できれば関りたくない」「関らない方が無難」という反射神経が作用してもおかしくないような気がします。
他人のそうういうところには私たちは多いに批判的なわけです。ましてや助けてもらって当たりまえ、大事に至らなくて当たりまえという神話的信頼を描いているのですから。
事の大小、重大性はとにかく、テレビでしか見たことのないたらい回しの現実に遇って、そんな自分たちであることを確認しました。
立った!立った!歩いた!歩いた!と喜んでるだけで、吸い殻をそのままにしていた私と、吸い殻をそのままにしておきながら仕事や家事を理由に目を離していたじぶんをほっといて、医療を取り巻く体制に「ちょっとおかしいぞ」「どうなってんだ!」などと言っていくのが私という人間の正体であることがはっきりしてきます。
行きつく先は、問題を提起して徹底して体制を批判していくか、はたまた同じ思いをする人を少しでも減らすために自ら志を立てて自ら医療現場に飛び込んでいくか・・・それとも「今回は大事に至らなくて良かった良かった」といって「今後気をつけよう」と再び傍観者となっていくか・・・「いい勉強になった」今後同様のことが起これば少しくらい大袈裟にでも救急車を呼ぼう、などと対策化するのがオチです。
いつの間にか私はそれを改悔することもなく、常に被害者感覚を生きていることを思います。
加害者の自覚もなく、被害者意識を基底に生きている人生には「生きる喜び」も「生まれた意義」も見出せないのではないでしょうか。日常的な被害者感情は、自ら生まれたことすら被害として見出すしかありません。にもかかわらず「生まれた意義と生きる喜びを見つけよう」といっている私なのです。1歳の長女から教えられたことです。

「お父さんは、生まれた意義と生きる喜びは見つかっているの?」

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前科

2009年07月18日 | ブログ

東本願寺出版部が毎月発行している「同朋新聞」。7月号に学生時代にお世話になった恩師の記事を見つけました。
かつて私が大谷大学で哲学を学んで・・・、正確にいえば「学んで」ではなく、哲学科に「在籍していた」ときのゼミの担当教諭です。
卒業論文に挑むにあたって「私とは何か?」というとてつもないテーマを掲げるまではよかったのですが、いくら自分で表現しようとしても自分の「私」という問題が具体化されてこない私の言い訳が論文の下書きには残っています。今思えば、私の「私とは何か」という問題は、私だけの「私とは何か」という問題として、自信を持って提出すればよかったように思うのですが、自分の表現に極度のコンプレックスを抱いていた私が犯した過ちは、その「言い訳」を削除して他人の著作からことばを引用して巧みに?構成したモノをつくりあげたことです。
「引用」といえば聞こえがいいですが、それは「盗用」でしかありません。
自分の考えや意見、思考を評価されることを恐れて、何かそれに近いようなことばを探し出してはくっつけて・・・という作業、それは他人の「私とは何か」という問題を自分の問題にすり替えて、人の思考をそのまま自分の思考のように見せかけて発表したということです。
幸いであったのは、同教授が盗用文献と盗用箇所をすべて調べ上げてくれたことです。
何とか親の手前「要領よく大谷派の教師資格だけ取得して卒業できればいいか」というような思いがあったのが当時の私です。
そのときに師がなされたお仕事、そのご苦労と決断は私の人生にとって非常に大きなものとなりました。日々の講義に加えて、膨大な数の論文に目を通さなければなければならない時期に、私の犯した罪を隅から隅まで洗いざらしにしてくれたご苦労は、「このまま大谷派の教師として社会に出すことができない」という厳格なものであったと思っています。
結果は半年間の留年でした。
卒業論文以外のすべての単位は(要領よく?)取得していましたので、通年で取得しなければならないような単位はなく、半年間の留年となったのでした。当時のバイト先に正社員として就職することになっていましたが、就職も持ち越しとなり、やはりバイトに明け暮れる日々となりました。
半年後に提出した論文は言い訳ばかりの、やはり論文とは呼べないものではありましたが、振り返ってみれば、この半年間は「私」という存在が、取り替えの効かないかけがえのないものとして見出させてもらう貴重な時間でありました。それがなければ、自分の頭で考えることをしない、いつも自分の都合に合うことだけを探しては自分にしてしまうような私であることにさえ気づくことさえできなかったのでしょうから。いつも誰かになろうとばかりして、私であろうとしない。「私」であることをよろこべないじぶんなわけです。だからといって今でも基本的な性質は変わっているわけではありません。他者が人生かけて導き出したことばを、あまりにも容易に用いていることが多々あります。その都度、思い出されるのは、自分の都合に合うことばかり求めていては「本当の私」には出会えないぞ、という師の厳格な決断です。「私とは何か」という問いをたてて、私を殺していた自分を見出させて下さった恩師なのでありました。
お会いしてお礼も申し上げていない落第生が恩師呼ばわりするのも恐縮ですが、同朋新聞にて記事を拝見して、改めて犯した前科を精一杯肯定しているじぶんを恥じさせられました。自分が感じ、学び、知ったことを考え、自分のことばで表現することの大切さを教えてくれていなければ、表現することの訓練の場にわざわざブログという手段を選ぶこともなかったでしょう。日ごろ様々な罪を犯して生きている私でありますが、かつてその罪が裁かれて今の「前科」となったことが、自分が自分の人生を受けとめられずに、劣等感や優越感を行ったり来たりしている自分を、すべてあるがままでよいと認めて下さる仏のみ教えへのお導きとなったとも思っています。それがなければ自ら僧侶として、お寺で生活していこうという道を選びとることもなかったのではないか。あいかわらず都合の良い解釈ですが、私が犯した罪によって、その前科があって今じぶんがここにあるのだと思うのです。それが精一杯の自己肯定です。ですがそれには「罪」をきっちりと断罪して下さるはたらきがあってのことでした。

哲学科教員ブログも楽しく読んでいます。http://tetsugakuka.seesaa.net/

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坊主と僧侶

2009年07月15日 | ブログ

世間で「お坊さん」といえば、それでだいたい何をやっている人かわかってもらっているつもりがあります。一般的には「僧侶」よりも「坊主」という言い方の方が馴染みがあるのでしょう。「私は僧侶です」「あの人は僧侶だ」という使い方はあまりしません。シチュエーションにもよりますが一人称で「僧侶です」というよりは「坊主です」の方が親しみが湧きます。三人称で使う場合は「あいつは坊主や」となるわけで、二人称、あなたと私という関係においては「坊主」でなしに「お坊さん」となります。「おい坊主!」でなく、「ちょっとお坊さん」と柔らかくさせるようなはたらきが、一応というか、伝統的にはたらいていてくれているわけです。
「坊主」といっても、ただ丸刈りにしたということもあれば、僧侶になったということもあります。なかには「坊の主」ですから、住職という職分とも受け取ることができます。
「お坊さん」の「坊」は、やはり「坊主」の「坊」として一般的には使われているのでしょうが、「坊」は「寺」ということですから置き換えると「お寺さん」なわけです。「ご縁さん」「ご院さん」「住職さん」いろいろ呼んでいただきますが、「お寺さん」という響きにも親しみが込められてあるのを感じます。
「妻が坊主になった」といってもいろいろあるわけです。
ちょっとした引っかかりは、男の子を「坊や」「坊ちゃん」と呼ぶことがあるのは、やはり「坊さんは男だ」と相場が決まっていたころの名残でありましょうか。
大谷派内で住職の妻が僧侶になることは珍しいことではありません。ですが妻が「坊主」になるとなると話が少し違うようです。
ご門徒を対象に細々とやっているこのブログですが、このひと月間の平均アクセス数は1日せいぜい数十件。それが・・・です。7月9日のブログを公開後その日だけで何百ものアクセスがありました。
「妻が得度した」だけではこんなことにはならなっかたかどうかわかりませんが、「坊主になった」となったことで「違った」と受けとめてもいいのでしょうか。
何がいいたのかというと、ありふれた日常よりも、非日常的なモノを求めるような社会的体質がそこに表れたと受けとめてみたのです。社会的体質というと余所事のようですが、私自身がそういう精神構造であるということです。テレビ番組なんかはその象徴でしょう。どんな話題を提供すれば視聴率が得られるとか、どんな情報を番組に盛り込めば何が売れるとか。マスコミに対する批判は私自身もよく口にしますし、耳にもします。ただ、どんな残酷で暗いニュースだとしても、そんな話題を意識下に望んでいるような「私」なのだと知っておかなくてはならないと思いました。先日、NHK地方のニュースで、何処其処の「蓮の花が咲きました」という話題が報道されていたのをみて、はっとさせられました。

私たちはちょっと変わったことや、珍しいことを見つけては人に伝えたいという性質を持っています。善くも悪くも・・・です。
「金で買えるようなニュースを信じないで下さい」ということばを時々思い出します。水俣病の資料館で語り部をされている杉本栄子さんが修学旅行生に語っておられた言葉です。http://ryoten.blog./jyosyoji/2007/05/

アクセス数がわかるということは、知りたいという欲があるわけです。発信者としてはそれが増えることはよろこばしいことですが、一般ウケしなくてはいけないような愚かなサービス精神がかき立てられてきます。
「僧侶」と「坊主」とどちらが馴染みやすいか・・・などと。

もともと多くを語るような人間でない者が語りすぎると、自分でない者まで自分として表現してしまいます。その自覚を新たに「炎上」せぬように続けていきたいと思います。私には前科があるのですから・・・・

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